堕落の学園
夕方、殆どの生徒達が帰宅した学園内の理事長室には大きな窓から夕暮れの日差しが差し込んでいる。
静謐な空間の中に漂うのは微かな紅茶の香り、そして外から微かに響く放課後も運動場で熱心に鍛錬に励む学生達の声。
その部屋で夕日を背に受けながら女性理事長は一人、静かに書類に目を通している。
ぱら、ぱら、と紙の擦れる音を立てながら、理事長は傍らに置いてあるティーカップに手を伸ばしかけた。
と、その手が止まる。
カタカタ……と、僅かにカップが振動を紅茶の水面に伝え、琥珀色の波紋が作られる。
静かだった部屋の空気が震えている。
何かが起ころうとしている。
しかし理事長は少しその波紋を見つめた後、特に気にした様子もなくその波立つ液体に口を付ける。
その振動が頂点に達した直後、ふわり、と一陣のそよ風が室内に吹いた。
風が窓のカーテンを揺らし、同時に振動が収まった時には、理事長の前に黒い影が立っていた。
異様な姿の騎士だった。
黒いマントに、角と口元だけを露出する異様な形状の黒い兜。
それ以外の装備も全てが黒づくめの騎士が、最初からそこに居たかのように佇んでいる。
カチャ、とカップをソーサーに戻し、理事長がその騎士に眼鏡の下から微笑み、話しかける。
「いらっしゃい、先輩」
その言葉を受けて黒い騎士が兜を外す。
輝く金色の髪と、甘やかな香りが広がる。
「お久しぶりです、ハサ」
笑みを返しながら、騎士が答えた。
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「漆黒の勇者」という呼び名は教団内で忌まわしい事件と共に知れ渡っている。
それは一昔、高名な騎士を輩出する事で有名な学校で起こった。
男女二名の生徒が魔物に攫われ、行方知れずとなった事件。
うち、女生徒の方は特に将来を有望視されていた事から当時の教団に衝撃を与えた。
必死の捜索に関わらず二人は発見されなかった。
それだけではない。
その誘拐事件以降、漆黒の装備に身を包んだ恐ろしい魔力と武力を備えたサキュバスが各地で猛威を振るうようになったのだ。
教団はこのサキュバスは事件とは無関係である事を主張したが、そのサキュバスの正体は誘拐された女生徒ではないかとの噂は流れ続けた。
当然、事件の舞台となった学園はその管理体制を追求される事となった。
更に在学生から魔に堕ちる者を出したではないかとの疑いから、一時は閉校に追いやられる寸前にまでなった。
しかし、傾きかけたその学園の理事長に就任したハサ・マッキャロンは生徒の管理体制を徹底して矯正し、汚名返上に尽力した。
ハサは当時誘拐されたその女生徒、ソラン・ストーサーの後輩にあたる卒業生だった。
「この素晴らしい学園と同時に、偉大な先輩であるソラン・ストーサーの汚名を払拭したい、「漆黒の勇者」は断じて先輩ではない」
そう主張するハサの手腕により、批判とは裏腹に学園からは成績優秀な生徒が更に多数輩出された。
暴落していた学園の名誉は実績によって持ち直し、それに伴って漆黒の勇者への噂も下火になった。
この学園が閉校を免れたのは一重にこのハサ・マッキャロンのお陰であると言える。
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「先輩忙しそうですね」
「ハサも運営が大変なようで……ああ、ありがとう」
ソファーに座ったソランはハサから温かいハーブティーのカップを受け取る
ソランの向かいに座るハサの表情は、普段生徒や教職員に見せる冷徹な表情とは別物のように柔らかい。
「あの件は穏便に済みそうですか?」
「復学直後は色々噂を立てられるでしょうけれど……あの娘が付いているので大丈夫ですよ」
二人が話すのはオラシオとウーズラの件だ。
過去の事件の再来となると折角安定しかけた学園の評価が覆りかねなかった。
しかし今回は両名共に帰還し、なおかつ在学生であるウーズラの無実も証明する事が出来た。
無傷とはいかないが、何とか批判を抑え込む事が可能な範囲だ。
「正直肝を冷やしました、あの二人だったから尚更……」
「脈ありの二人だったんですね?」
「脈ありどころか大変にご執心でしたからね、ええ」
「今回で成就したのですね、良い事です」
「綱渡りが過ぎます、周辺の魔物達にはもう少し気を付けてもらわないと……」
眼鏡を外し、眉間をマッサージしながらハサがこぼす。
「厳重に注意しておきます、聞くところによると表向きは完璧ですが……裏方の様子はどうでしょう?」
「抜かりありません」
不敵に笑うと、ハサは一つのファイルをソランに渡す。
「なるほど……」
ソランはそれを開くと笑みを浮かべた、淫魔らしい笑みだった。
そのファイルはに記されているのは在学生の「侵食率」。
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ハサ・マッキャロンは学業優秀な生徒だった。
運動神経や魔法の才能は並だったが、座学における発想力、柔軟性、頭の回転の速さは抜きん出ていた。
よって指揮官、参謀、もしくは研究職への道が開けていた。
そんな彼女の心に常に指標としてあったのはソラン・ストーサーその人に他ならなかった。
彼女のように出来なくとも、分野は違えども、彼女のように在りたい。
それを目標にハサは日夜勉学に励んでいた。
なので、大多数の生徒達と同様にあの事件はハサに大きな衝撃を与えた。
いや、彼女への傾倒が人一倍激しかったハサはショックを受けるだけでは済まなかった
そんな筈がない、彼女が欲望に負けて堕落するなどあり得ない。
思い詰めた彼女は学業の傍ら、独自にその事件の足取りを追い始める。
法に触れるのも厭わない危険な調査はやがてソラン自身の目に留まり、本人からの接触を得るに至った。
ソランの口から語られたのは教団の教えとは違う現実、そしてそれに対するソランの考え。
ハサは元々教団の教えよりも、ソラン自身に対して崇拝に近い念を抱いていた。
そうしてハサは悪い言葉で言うと「寝返った」
ハサはその才能の全てを侵略へと注ぐ魔界の先兵となったのだ。
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「この場所の空気に触れて分かっていましたが……ここまで進んでいるとは」
侵食率とは、文字通り生徒達の魔物化の進行度の事だ。
ソランの手にしたリストには学園内での目撃例、または魔力の残滓からの推察による生徒同士の「交友」が記されている。
〇ジョッシュ・ブラン 所属:研究科
〇マナリー・アッシュ・ティシエラ 所属:勇者志望
〇日〇の月 実験棟にて魔力の残滓を確認、
上記二名がより「交友」を深めたものと推測される。
〇ハントリー・バッシュ 所属:前衛科
〇トキシカ・トキシック 所属:魔道科
〇日〇の月 実習棟にて上記トキシカ・トキシックの不正な魔道行使を探知
ハントリー・バッシュに対してチャームを行使した後
「交友」を深めたものと思われる。
〇サミュエル・イヴァノン 所属:前衛科教師
〇ノノン・ポウエル 所属:看護科
〇日〇の月 ノノン・ポウエルの魔力によるものと思われる不正な転移魔法を感知
転移先はサミュエル・イヴァノンの宿泊する宿直室であった事が判明
後に魔力の残滓の確認により「交友」が行われたものと思われる
〇ジャック・ジェン 所属:看護科
〇サフウェル・ラヴィダジ 所属:前衛科
〇ラクウェル・ラヴィダジ 所属:前衛科
〇日〇の月 学生寮にてジャック・ジェンの私室へラヴィダジ姉妹の侵入を確認
後日私室を調査した所魔力の残滓を確認、「交友」済みと思われる
これらがほんの一例、卒業生まで含めると膨大な数の報告が上がっている。
しかしここに記されるのは学園外に漏れない園内での事例。
それらの漏洩は防がれ、外観から見るとこの学園は潔癖そのものなのだ。
それが、ソランにとって意外な事だ。
「不思議なものですね、これだけの事が内部で進行しているというのに……」
「この学園は閉鎖的環境にあります」
ハサはソランに認められるのが嬉しいらしく、嬉し気にカップを弄びながら言う。
「本来それは教団の教え以外に触れない「純粋培養」のために必要な環境、ところがそれは透明性を失う事にも繋がります」
「内部の爛れが外から隠蔽されるというのは一部教団でもみられる腐敗の構造と一緒ですね、皮肉な事……それにしても……」
ぱら、とファイルを捲りながらソランが言う。
「本当に多いというか、大変その……「お盛ん」なんですね……それでいてこれだけ隠蔽がうまくいっているとは……」
こほん、と咳払いをするソランにハサは目を細める、どこまでいっても恥じらいを忘れない先輩素晴らしい、と。
「禁じられているからこそですよ」
「禁じられているから?」
「ええ、人は禁じられると破りたくなるという習性を持っています」
カップをソーサーに戻し、運動場の生徒達に目を向ける。
「実は「禁欲」を掲げる事はカモフラージュと同時にその「欲望」の促進にも一役買う事になるんです」
ハサが行った改革は色々あるが、基本的には校則を厳しくする事が主だ。
女生徒の制服の丈を伸ばし、男女間の交際は勿論、交流をも禁じ、性的な話題も禁じる。
それでいてその中に「抜け道」を用意してやる。
例えば男女の寮は分かれており、男子寮から女子寮への侵入は厳罰に処される事になる。
一方、女子寮から男子寮への侵入には規則がなく、物理的にも容易だ。
禁止事項も多岐に渡っているが、実の所教師陣にも魔物達が多く在籍しているため、余程目立たなければ「お目こぼし」も多々発生している。
ただでさえ学生達は思春期である上、学園内の魔力の濃度もかなり上昇している。
自然に性欲が溜まりやすい環境の構築に「禁断」の誘惑……。
それにより、外目からの潔癖さはより完成され、内部の爛れはより進行する。
よく学び、よく鍛える模範的な生徒達が、表向きは教団の教義の手本を示しながらその裏で若い肉体と情欲を愛する人と共有する。
そうして育った「優秀」な人ならざる者達が教団の重要なポストや機関に送り込まれて行く。
この学園は魔物の育成機関として機能しながら堂々と教団領内に建ち、領内の人々はこぞってそこに我が子を入学させようとするのだ。
「皆とても優秀ですよ……運動場のあの子など、今模擬戦の相手をしている彼にご執心な様子で、間もなく想いを抑えきれず「交友」に至るでしょう」
「な、なるほど……」
ソランは怖いくらいに優秀な後輩の成果に若干引く程の視察の手応えを感じ、ハサは嬉々として憧れの先輩に成果を報告するのだった。
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(本当に、そうなのかな……)
ウーズラは授業を受けながらぼんやりと考える。
復学から暫くの期間が経った。
最初の頃は他の生徒達から批判されたり、あらぬ噂を立てられたりもしたが、それも数週の話だった。
ウーズラの懸命な努力と、オラシオの協力によって勉強の遅れも取り戻した。
そうして以前と同じ平穏な学園生活に何とか戻って来たウーズラが思い出すのはオラシオの言葉。
「あの学校も魔界の勢力下に置かれ始めてるって状況でね……」
自分の通っているこの学校が、魔物の勢力下に置かれている?
とてもそうは思えない。
そう聞かされた後も、学園生活に変わった所は無い……いや……。
ちりちり、と視線を感じて右隣を見てみると、オラシオが自分と同じように座って勉強している。
顔は前を向いていたが、流し目の形で視線をウーズラの方によこしていた。
視線に気付かれても慌てる様子もなく、じっとりと熱の籠った眼差しを十分に送った後、前に向き直った。
(この分だと……今夜も……)
想像しただけで自分のみっともない欲望を隠すために座り直さなくてはいけなかった。
その動きに目ざとく気付いたオラシオが、今度は一瞬だけ顔ごとこちらを向いて笑った。
唇を舐めながら。
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そうか、そういうことか。
男子寮の夜ウーズラはベッドに仰向けになりながら理解した。
眠っている訳ではない、眠れる訳がない。
自分の小柄な体に乗りかかったオラシオが黒い翼をはためかせながら腰を振っていては。
ギッ ギシッ ギッ ギギッ ギシッ ギシッ
「ん、ん、んん、んむ、ちゅ、んむん、むちゅっ」
部屋には絶えず音が響いている。
頬に手を添えて顔を逸らせないように固定し、自分の舌を貪るオラシオの立てる水音。
じっとしているだけでも耐えきれない快楽を与えて来る膣壁で、しつこくウーズラを舐め回すオラシオの粘着質な腰使いを受けて軋むベッドのスプリングの音。
「ぷぁ、ぷは、ぁ、ぁう、んむ」
「はむ、ぁむ、ンッ」
そこに時折漏れる自身の情けない喘ぎ声、だが解放されるのは一瞬でまたすぐに声ごと舌を呑み込まれてしまう。
激情に駆られた時のあの激しい交わりではない。
夜の長さを楽しむような、じっくりと快楽を擦り込むような交わり。
誰の邪魔も入らず、獲物が逃げる心配もないサキュバスの寵愛。
毎夜、毎夜、毎夜。
復学して以来オラシオが夜にウーズラの元を訪れない日はなかった。
「明日はテストあるから」
「今日は疲れてるよね?」
「私も今夜は用事があるから……」
そんな風に伝えられる日があっても、結局日が落ちるとこの淫らな恋人はお菓子を我慢できない子供のように目を潤ませながら部屋に現れるのだ。
そうして、繰り返し繰り返し交わり続ける事でウーズラにも変化が訪れた。
オラシオがウーズラを喜ばせる形に変化し続けるのと同様に、ウーズラの元々凶悪だった陰茎もよりオラシオを喜ばせる形に変化し続けている。
そして、ウーズラにもわかるようになってきたのだ。
それは聴覚が発達したからか、それとも防音の魔法を透過できるようになったからかは分からない。
夜な夜な寮全体から漏れ聞こえる声、音に……。
あっ……あんっ……んっ
ちゅぶ、ちゅぱ、じゅぽ、むちゅ
ああああふぁああああだめえええぁぁぁぁ
駄目だ、駄目だ、こんな事
出して♪ 出して♪ 出してぇ♪
ずちゃ、くちゃにちゃねちゃぁ
ん、んく、ごくっ……ごくっ…ごくっ……
止まんない、止まんないよぉぉぉ……
それは、貪る音。
恋人同士が思うさまに肉欲に耽る音。
或いは陥落された獲物が魔物にしゃぶり尽くされる音。
無駄な抵抗が儚く崩れる音……。
今まで自分が認識できなかっただけなのだ、巧みに隠蔽されていたそれらに。
この学園はもう、魔の手に堕ち行くばかりなのだ。
取り繕われた表皮を剥がせば、中身はドロドロに熟れ切った果実なのだ。
「あぁ……オラシオ、さ……」
「んん〜ふふ♪ウーズラくぅん……」
与えられる過ぎた快楽に耐えきれず、助けを求めるように手を伸ばすとオラシオはその手を握り、更なる快楽の深みへと誘う。
例え卒業したとしても彼女からは逃れられないだろう、彼女は逃がさないだろう。
確信めいたその考えにどうしようもなく爛れた幸福を感じながら、ウーズラは瑞々しい乳房に顔を埋め、自らも下から彼女を突き上げる。
そうして、この学園の夜に渦巻く嬌声達の一部になっていった。
学園の長い長い夜は更けていく。
明ける事が無いかのように。
20/05/03 18:35更新 / 雑兵
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