読切小説
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沈む二人
もうなにもかにも疲れ果ててしまって、私は一人、嵐の中、海辺の崖に佇んでいた
どうしてこうなったのだろう、とぼんやり思い返す。
はじまりは町にやってきたキャラバン。
私――パールはその中にいた、一人の青年に恋をしたのだ。
青年はルーマと言った。私は一目見た瞬間から、彼の顔から目が離せなくなった。
これが恋なのだと思っていたし、今でも思っている。
――そうでない部分も、あったかもしれない。
私たちは不思議と心が通じあい、
彼が[憧れの人]から[恋人]に変わるまで、そう長い時間はかからなかった。
もっとも、それから先に進むにはまだ早いので清いおつきあいではあったが。
私とルーマはいろんな話をした。私がこの町の神父の妹であること、
ルーマの母親は十数年前にこの町でルーマを産み落としたこと。
驚いたのは、兄とルーマの誕生日が同じだったことだ。
彼の所属するキャラバンは一月この町に残ると言った。
彼がこの町にいる内に、きちんと婚約がしたくて、
ある朝、私は兄に彼との交際を許してくれるように願い出た。
兄は「まだお前には早いとは思うが」と眉をひそめながらも、祝福しようと思う、と言ってくれた。
私は嬉しくなって、その日の夜にはルーマを連れて家に戻った。

「ただいま、兄さん」
いつものように、扉を開ける。不思議だったのは、部屋に明かりがついていないことだった。
「兄さん……いないの?」
「……いや、いるさ」
暗がりから突然出てきた兄に、私は言葉を失った。
朝出ていくときは確かにいつも通りの、厳しくも優しい、シャンとした姿をしていたのに。
今の兄はまるで幽鬼のように見える。
一体、この半日で兄になにがあったというのだろう。
「……はじめまして、ルーマです。あの、どこか、体の具合、でも」
「……はじめまして、か。はは、はははははは!」
突然。兄は狂ったように奇声をあげて、ルーマの胸ぐらにつかみかかった。
「はじめてなんかじゃあ、ないッ!私とお前とは、ずっと前に、出会っている!」
「え、あ、あの、どういうことですか、パールの、お兄さん」
困惑するルーマと兄の顔を見比べて、私はあっ、と声を上げた。
わずかな明かりに照らし出された二人の顔は、似ていた。
そっくり同じ顔、というわけではない。ただ、まるで、そう……[兄弟]であるかのように。
「二十年前」
兄は絞り出すように告げる。
「この町に、一組の夫婦がいた。夫婦はある日、双子の、男の子を、授かった」
だが、と続ける。
「当時、この町では、双子は不吉だとされていて、夫婦は困り果てた」
「どう、なったの……?」
恐る恐る問いかけると、兄はこう話してくれた。
このままでは災いが来ると思った夫婦のうち、
夫のほうは赤ん坊の一人を抱えて、海辺へ向かった。
誰にも見られないようにたどり着いた崖で、
男は赤ん坊を……投げ捨てようとしたのだそうだ。
だがそこには先客がいた。一人の女だった。
女は旅の商人の妻で、一年前に子供を亡くしていたという。
女は夫がなにをしに来たかを察して、手を伸ばした。
「その子を、私にください。私のこの、空の両腕と胸を、埋めさせてください」
願ってもないことだった。夫だとて、本当は赤子を殺したくはなかったのだ。
夫は家に帰り、妻にそのことを伝えた。
翌朝には旅の商人は町を出て、それ以降、訪ねてくることはなかった。
「怖かったのだ、と彼女は言ったんだ」
「え……?」
「子供がいつか、本当の親のところへ戻りはしないか。また腕と胸が空になりはしないか」
だから、ここをずっと、訪れなかったのだ、と。
「けれど去年、その二人が亡くなったと聞いたから、またこの町に来たのだと、そう、告悔を、した」
「去、年……?」
自分お顔が青くなっていくのが解る。
この小さな町で去年夫婦揃って亡くなったのは――私と兄の父母だけだ。
「そ、れ、じゃあ……」
「……ルーマ。お前は、私の弟で、パールの兄だ。だから、結婚は、許され、ない」
意気消沈する兄の声を、青ざめた恋人、そうして兄でもある人の姿を、置き去りにして、
私はいつからか降り始めた雨の中へと逃げ出していた。

兄だと受け入れるには、私はルーマを愛しすぎていた。
きっと、ルーマも同じことと思う。
だから、二人でいれば過ちを起こす。それは人として許されないことだ。
かといって別れるなどできない。愛してる。世界中の誰より、ルーマを愛してる。
このままでは兄が悲しむと思う。ルーマを困らせると思う。
ずっと、大好きな二人を苦しませるくらいなら――私は、ここで終わろう。
吹きすさぶ風に背中を押されるように、私は崖下へと身を投げた。

落ちた海の中。荒れ狂う波に飲み込まれて私の体は沈んでいく。
[本当に、いいの?]
呼吸ができなくなって、ぼんやりし始めた頭の中にそんな声がした。
[あなたは、それでいいの?]
……よくない。私は、ルーマと一緒にいたい。ずっと彼を愛したい。彼に愛されたい。
[だったら、私の娘に、お成り]
そうすることで彼を愛しても、許されるのなら。
私はもう、どうなってもいい。

私が書き換えられていく。この体を構成する小さななにもかもが、魔力によって、海と溶け合う。
なにもかもを、飲み込む海に、私の体は染まっていく。
心地いい。快楽の大波に人の倫理(しがらみ)もほどけて溶ける。
今はただ、彼への愛しさで胸がいっぱいになっていた。
もう呼吸は苦しくない。ただ彼がそばにいないことが苦しい。
だから、迎えに行こう。
海と同じ青く染まった肌と、そこから生えた魚のようなヒレで、私は海に舞った。

「……あの子は、やっぱり行ってしまった」
旅の商人の妻、ルーマの育ての母は海を見つめていた。
「覚悟はしていました。いつか私の元から去ってしまうのだと」
「……そう、ですか」
「ええ。でも、あの子を愛する人と一緒なのだから、きっと、寂しくはないでしょう」
寂しげな顔をして女は海を見つめる。
神父は拳を握りしめて、あの夜を思い出す。

二人が追いかけても追いつけなくて、パールは彼らが見る前で海に沈んだ。
「あんたが余計なことを言わなければ!」
「兄が、妹に道を外れさせたいと願うわけがないだろう!」
いつの間にか互いにつかみかかって、争っていた。
「お前だって、パールを幸せにしたかっただろう!」
「したかった、したかったとも! 俺は彼女を愛している!」
どこで間違えたのだろう。なにが間違っていたのだろう。
よく似た顔の相手ともみ合いながら、二人して泣いていた。
「……だぁいじょぅぶ……」
声がした。聞きなれた声だったので、二人で言葉を失った。
「ルーマは、私と一緒に、幸せになるのよ」
「あ、ああ、パール、そんな、そんな……っ!」
神父は嘆いた。妹の姿は変わっていた。青い肌になヒレとウロコを持つ異形に。
海の魔物に見入られて、彼女もまた、魔物と化していた。
「パール……」
「ルーマぁ、私と、来て、くれるでしょう?だって、私を愛しているのだものねぇ」
「だが、俺と君は、兄妹で……」
「そんなのは、人間の理屈。今の私には、関係ないわ」
ねえ、とパールだった魔物はルーマにしなだれかかる。
「……だったら、行こう。君となら、どこへだって」
「……ありがとう。愛してるわルーマ……」
魔物は神父へ向けて、寂しげに呟いた。
「ごめんなさい、兄さん」
そうして二人、あるいは一人と一匹は、嵐の海に消えた。笑みだけを、神父の前に残して。

目の前の女のように割り切ることができない自分を恨めしく思いながら、
それでも神父は海を見つめる。
教義には反するものの、奇妙な運命によって分かたれ、また出会った、
自分のきょうだいたちが幸せであることを願いながら。



14/02/23 20:20更新 / 白子 稲生

■作者メッセージ
生き別れの兄妹が恋に落ちるとかバッドエンドフラグだけど、
魔物娘世界なら余裕でハッピーエンドだよね!
ハッピーエンド?
愛し合う二人が一緒になったんだからハッピーエンドですよ。

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