少年時代と今
裏山の雑木林は子どもたちにとって最高の遊び場だ。
今日も俺たちは裏山で遊んでいた。
メンバーはガキ大将の忠、物知りな博史、紅一点の若菜、そして俺だ。
今はかくれんぼをしている。
「いーち、にー、さーん、しー・・・」
鬼の忠が数え始める。
俺は全速力でダッシュした。
まずはあの木の裏に隠れ、忠が背を向けたらもっと奥の木に隠れ・・・
だがその木の裏には思わぬ先客が居た。
和服を着た女の子が木の根元にしゃがんで、そこに生えていた花を摘んでいた。
「わわっ? だれだ、おまえ?」
俺はまじまじとその女の子を見た。
ちょっと切れ長な目、すらりとした鼻、すべすべしてそうなほっぺ・・・
かわいらしいがこのあたりでは見かけない。
「うち? うち、ことは(琴葉)ってゆうんよ」
かなり強い京訛りが返ってきた。
そして・・・頭からぴょこんと覗いている獣の耳がひこひこと揺れ、お尻から伸びている太くてふさふさした獣の尻尾が少し警戒をしているようにピンと立っている・・・この人ならざる部分二つは黄金色。
「お・・・オレはだいち」
俺、鈴木大地は自己紹介した。
「ねぇ、ことはってもしかしてきつねさん?」
「ううん、いなりっていう、きつねのまものやよ〜」
「まもの?」
そのときの俺は魔物というものを知らなかったが、どうでもよかった。
「なんでもいいや。ねぇことは。いっしょにあそばない?」
「うん、あそぶあそぶ!」
子どもには魔物だのなんだのは関係なかった。
こうして琴葉が俺たちの仲間に入り、俺たちはさらによく裏山で遊ぶようになった。
ターザンごっこをしたり、どんぐりをひろったり、木の枝で工作をしたり、秘密基地を作ったり・・・
琴葉の家に遊びに行くこともあった。
彼女の家は普段俺たちが行かないような、裏山のもっと深いところにある稲荷神社だった。
琴葉の母である稲荷の美琴さんが俺たちをもてなしてくれたこともあった。
美琴さんの話だと、琴葉の家系は代々この山と森を見てきた稲荷だという。
昔もやはりこの裏山は子どもたちの遊び場だったらしい。
俺たちはこの楽しい遊び場を残っていたことを嬉しく思い、裏山で毎日のように遊んだ。
だが、そんな楽しい日々は俺が10歳のときに消えようとしていた・・・
「なぁ、聞いたか? 例のうわさ」
「うん、どうやら本当らしいね」
「うそっ、それ、イヤだなぁ・・・」
俺と忠、博史と若菜の4人組で学校帰りに沈んだ声で話している。
「裏山5つをどっかの会社が買って、ゴルフ場になるなんて・・・」
「いやだぞ! オレは絶対いやだぞ! オレたちの遊び場はどうなるんだ!」
両手を振り上げて忠が吼える。
「でも大人たちはみんなそれに賛成なんだって。観光客が目当てなんだろうね・・・」
博史が静かに言う。
「あたしもイヤ! 何か手はないの!?」
このことに関して俺は授業中から考えていた。
「・・・署名活動ってどうだろう? みんなのサインをもらって姿勢を見せるんだ」
「すごい! 大地君、よく考えたね」
博史が目を丸くして感心する。
「サインをもらって、その会社の偉い人に見せ付ければいいんだ」
「おっしゃ! それじゃ、この署名活動のリーダーはガキ大将のオレよりお前がやったほうがいい。お前やれ!」
忠の命令に俺は力強く頷いた。
自分でも良く分からなかったが、最初からこのことは自分が主体となってがんばろうと思っていた。
こうして俺たちは署名活動を始めたが、残念な結果となった。
署名は同じ小学校の児童とお情けで書いてくれた先生のものしかもらえなかったからだ。
村の大人たちからは署名をもらえなかった。
博史の推察どおり、ゴルフ場を作ることで集客効果を期待していたからだ。
「くそぅ・・・何とかならないのか・・・!?」
この計画のリーダーである俺は毎晩、机の上で頭を抱えた。
そんな俺にさらに悪いことが起こった。
親が突然引っ越すと言い出したのだ。
転勤の都合上、都会の方に行くことになった。
「いやだぞ! オレはやらなきゃいけないことがあるんだ!」
俺は父親に食いついた。
しかし
「10歳にもなって、下らない我侭を言っているんじゃない!」
ぐわん!
思いっきり父親に殴られる。
「図体ばかりでかくなって! それじゃまるっきり幼稚園生のクソガキと一緒じゃないか!」
殴られた痛みよりも、話を聞いてくれない父親が憎くて、そして力がなくて父親にも会社にも何も出来ない自分が悔しくて涙が滲んできた。
気づいたときには俺は家を飛び出していた。
「あ、こらっ! こんな暗いのにどこに行く!?」
父親の声が追いかけてきたが、俺は一目散に裏山に向かって駆けていた。
息を切らしながら俺は琴葉の住む神社の前で止まった。
なぜだか分からないが、矢も盾も止まらず琴葉に会いたくなったのだ。
その琴葉は外に出ていて石に腰かけ、月を仰ぎ見ていた。
琴葉がゆっくりとこっちを向く。
「なんとなく大地が来はるような気がして待っとったよ」
とくに驚いた様子もなくにっこりと笑った。
「こっちきぃや」
ちょっとずれて琴葉は俺を隣に誘う。
俺は頷いて隣に腰掛けた。
二人で月を仰ぎ見る。
「きれいな月やなぁ・・・いろんな表情を見せはるけど、どれもみんなおんなじ月・・・そしてみんなきれいや。けれども満月は格別や」
今夜は満月で、満天の星空の中、白い綺麗な光を静かに放っていた。
「月は人の手が届かないからそのままできれいや。人の手が加わってきれいなものもある。せやけど失敗しはったらとことん汚くなる・・・この森は、どないなるんかなぁ・・・」
琴葉の声が遠くに聞こえ、胸がドキドキする・・・そう言えば二人きりでこんなに近くにいるのはどれくらいぶりだろう?
しかもこんなに綺麗な月を見ながら。
こんなこと、もうないかもしれない。
いや、「かも」じゃなくて、もうないのだ・・・引っ越すのだから・・・
「大地? 何で泣いとるん?」
突然声をかけられ、ビクッとする。
上を向いていたが、涙がこぼれてしまったらしい。
琴葉の方を向くとさらに涙がぽろぽろとこぼれた。
「どないしたの? 男の子が泣いちゃあかんでっしゃろ? ん?」
小首をかしげ、琴葉が俺の頬を伝う涙を拭う。
俺は泣いている理由を伝えた。
琴葉の顔が凍りつく。
「ほうか、引っ越すのか・・・さみしゅうなるな」
そのままゆっくりと下を向いた。
「うちも引っ越すことになるかもしれへんなぁ。大地が住む人里に・・・森でゆっくりする方が好きやけど、なんとかなると思う」
下を向いたまましゅんと琴葉が鼻を鳴らす。
まずい、泣きだした。
俺は腕でごしごしと涙を拭う。
女の子を泣かして何が男だ!
「な、なぁ琴葉!」
琴葉が軽く飛び上がる。
「な、なんや急に大きな声出して・・・びっくりしはるやないか」
琴葉は流れていた涙を拭うのも忘れて俺を見つめる。
ごくりと唾を飲んで俺は言葉を続けた。
「琴葉、オレ・・・大人になったら、森を守る人になる。森を守る仕事をするよ!」
このことは前々から、裏山がゴルフ場になる計画を聞いてから考えていた。
その考えは父親に殴られたときから固まってきて、そして琴葉の涙を見たときに完全に固まった。
「ぐ、具体的に何をするん?」
「う? いやぁ・・・それはまだ考えてない」
「なんや、そいじゃあかんやないか」
琴葉が苦笑をする。
笑われてちょっとムッとしたが、俺は続けた。
「でも、守るんだ。オレたち子どもが遊ぶ場が消えないように、琴葉たちが住む場所がなくならないように・・・」
俺の言葉を聞き、琴葉はクスクス笑うのをやめて真剣な表情で俺を見た。
「・・・約束やで」
「ああ、約束する」
「じゃあ、約束の印に・・・」
「指きりか?」
俺は小指を出したが、琴葉は首を横に振った。
「約束の印にせっぷんしよけよ」
「せっぷん? ああ、キスのことか・・・ってええ!?」
「なんや、キスなんて言葉つこうて、けったいな・・・」
「そっちの方が普通の言い方だよ・・・って、そうじゃなくて、いきなりなんだよ?」
「なんや・・・うちとせっぷんはイヤ?」
「そ・・・そんなことはない・・・」
ちょっと上目づかいでこっちを見てきて、すねたようにほほを膨らませる琴葉にどぎまぎしながら答える。
キスは、むしろしたいくらいだ。
しかし、してもいいのだろうか?
いや、互いの気持ちが一緒ならするべきだ。
「分かった、約束する」
「ん、約束・・・」
俺と琴葉は眼を閉じ、おっかなびっくり、くちびるを押し付けあった。
子どもゆえそれ以上のことはできないし、思いつきもしなかったが、それでも幸せな気分になる。
「・・・さ、早う帰りよし。家の人が心配してはると思うよ?」
「あ、そうだった!」
俺は飛び上がった。
「じゃあな、琴葉」
「ほなね、大地・・・あ、待って!」
背を向けて走り出そうとした俺だったが、足を止めて振り返る。
ちょっとの間もじもじしていた琴葉だったが、やがてつぶやいた。
「・・・もし大地が約束を守ってくれはったら、もう一度せっぷんしよな?」
嬉しくて俺はまだ琴葉のくちびるのやわらかい感触を残している口元を綻ばせた。
「ああ、楽しみにしている。だからがんばるよ!」
あれから15年の月日が経った・・・
俺は中高をそれなりに過ごして卒業して、大学は自然科学関係を専攻し、そして今は都心のある小企業の会社、リ・ネイチャー(Re nature)で働いていた。
リ・ネイチャーはエコロジーな商品を作ったり、自然に負担をかけない新たな技術などを開発したりすることをコンセプトとしている会社で、俺にとっては最高の会社だった。
高いモチベーションと知識のおかげで俺は若干25歳にして新商品開発プロジェクトの一員に抜擢されたのだが・・・
「チクショウっ! これでもダメだ! どうすればいいんだ・・・」
机に頭を抱えて突っ伏す。
自然に優しく、100%廃材で作ったリサイクルのエコ商品を作ろうとしているのだが、課題は山積みだった。
まずその廃材だが、どれをつかうのか、そしてそれを安定して手に入れるのが難しい。
また、安定して手に入れて作るにしても、そのエネルギーコストが新品のものをつくるときより高くなってしまっては、本末転倒だ。
それをクリアできたとしても見栄えが悪かったら消費者は買ってくれない。
「くそう・・・何とかならないのか・・・?」
あの時、なかなか署名が集まらなかったときと同じような歯がゆさや悔しさ、挫折感が俺を襲う。
そして、15年前のあの時に引っ越しが被さったのと同じように、悪いことは続くものらしい。
俺は付き合っていた彼女と最近別れた。
『あたしと仕事、どっちが大事なのよ!?』
『どっちもだよ・・・お前と付き合い続けるためにも仕事はしなきゃいけないんだよ』
『エコとか大層なこと言いながら儲けは小さい仕事が? エコブームかもしれないけど、あんたの仕事はやっていることが少々時代錯誤だわ』
『んだと!?』
『それ以外でも、あんたもどこかあたしに満足してないところがあるようだし・・・いいわ、別れましょう!』
『ああ、俺の仕事を悪く言う、価値観が違う女とは俺も付き合いたくはない・・・!』
別れ方はこんなに汚いケンカ別れだった。
『所詮・・・俺は森を守るなんてことは・・・何かをするなんて出来ないのか?』
コンクリートジャングル内のあるビルのあるフロアで俺は頭を抱えるのであった・・・
今日も俺たちは裏山で遊んでいた。
メンバーはガキ大将の忠、物知りな博史、紅一点の若菜、そして俺だ。
今はかくれんぼをしている。
「いーち、にー、さーん、しー・・・」
鬼の忠が数え始める。
俺は全速力でダッシュした。
まずはあの木の裏に隠れ、忠が背を向けたらもっと奥の木に隠れ・・・
だがその木の裏には思わぬ先客が居た。
和服を着た女の子が木の根元にしゃがんで、そこに生えていた花を摘んでいた。
「わわっ? だれだ、おまえ?」
俺はまじまじとその女の子を見た。
ちょっと切れ長な目、すらりとした鼻、すべすべしてそうなほっぺ・・・
かわいらしいがこのあたりでは見かけない。
「うち? うち、ことは(琴葉)ってゆうんよ」
かなり強い京訛りが返ってきた。
そして・・・頭からぴょこんと覗いている獣の耳がひこひこと揺れ、お尻から伸びている太くてふさふさした獣の尻尾が少し警戒をしているようにピンと立っている・・・この人ならざる部分二つは黄金色。
「お・・・オレはだいち」
俺、鈴木大地は自己紹介した。
「ねぇ、ことはってもしかしてきつねさん?」
「ううん、いなりっていう、きつねのまものやよ〜」
「まもの?」
そのときの俺は魔物というものを知らなかったが、どうでもよかった。
「なんでもいいや。ねぇことは。いっしょにあそばない?」
「うん、あそぶあそぶ!」
子どもには魔物だのなんだのは関係なかった。
こうして琴葉が俺たちの仲間に入り、俺たちはさらによく裏山で遊ぶようになった。
ターザンごっこをしたり、どんぐりをひろったり、木の枝で工作をしたり、秘密基地を作ったり・・・
琴葉の家に遊びに行くこともあった。
彼女の家は普段俺たちが行かないような、裏山のもっと深いところにある稲荷神社だった。
琴葉の母である稲荷の美琴さんが俺たちをもてなしてくれたこともあった。
美琴さんの話だと、琴葉の家系は代々この山と森を見てきた稲荷だという。
昔もやはりこの裏山は子どもたちの遊び場だったらしい。
俺たちはこの楽しい遊び場を残っていたことを嬉しく思い、裏山で毎日のように遊んだ。
だが、そんな楽しい日々は俺が10歳のときに消えようとしていた・・・
「なぁ、聞いたか? 例のうわさ」
「うん、どうやら本当らしいね」
「うそっ、それ、イヤだなぁ・・・」
俺と忠、博史と若菜の4人組で学校帰りに沈んだ声で話している。
「裏山5つをどっかの会社が買って、ゴルフ場になるなんて・・・」
「いやだぞ! オレは絶対いやだぞ! オレたちの遊び場はどうなるんだ!」
両手を振り上げて忠が吼える。
「でも大人たちはみんなそれに賛成なんだって。観光客が目当てなんだろうね・・・」
博史が静かに言う。
「あたしもイヤ! 何か手はないの!?」
このことに関して俺は授業中から考えていた。
「・・・署名活動ってどうだろう? みんなのサインをもらって姿勢を見せるんだ」
「すごい! 大地君、よく考えたね」
博史が目を丸くして感心する。
「サインをもらって、その会社の偉い人に見せ付ければいいんだ」
「おっしゃ! それじゃ、この署名活動のリーダーはガキ大将のオレよりお前がやったほうがいい。お前やれ!」
忠の命令に俺は力強く頷いた。
自分でも良く分からなかったが、最初からこのことは自分が主体となってがんばろうと思っていた。
こうして俺たちは署名活動を始めたが、残念な結果となった。
署名は同じ小学校の児童とお情けで書いてくれた先生のものしかもらえなかったからだ。
村の大人たちからは署名をもらえなかった。
博史の推察どおり、ゴルフ場を作ることで集客効果を期待していたからだ。
「くそぅ・・・何とかならないのか・・・!?」
この計画のリーダーである俺は毎晩、机の上で頭を抱えた。
そんな俺にさらに悪いことが起こった。
親が突然引っ越すと言い出したのだ。
転勤の都合上、都会の方に行くことになった。
「いやだぞ! オレはやらなきゃいけないことがあるんだ!」
俺は父親に食いついた。
しかし
「10歳にもなって、下らない我侭を言っているんじゃない!」
ぐわん!
思いっきり父親に殴られる。
「図体ばかりでかくなって! それじゃまるっきり幼稚園生のクソガキと一緒じゃないか!」
殴られた痛みよりも、話を聞いてくれない父親が憎くて、そして力がなくて父親にも会社にも何も出来ない自分が悔しくて涙が滲んできた。
気づいたときには俺は家を飛び出していた。
「あ、こらっ! こんな暗いのにどこに行く!?」
父親の声が追いかけてきたが、俺は一目散に裏山に向かって駆けていた。
息を切らしながら俺は琴葉の住む神社の前で止まった。
なぜだか分からないが、矢も盾も止まらず琴葉に会いたくなったのだ。
その琴葉は外に出ていて石に腰かけ、月を仰ぎ見ていた。
琴葉がゆっくりとこっちを向く。
「なんとなく大地が来はるような気がして待っとったよ」
とくに驚いた様子もなくにっこりと笑った。
「こっちきぃや」
ちょっとずれて琴葉は俺を隣に誘う。
俺は頷いて隣に腰掛けた。
二人で月を仰ぎ見る。
「きれいな月やなぁ・・・いろんな表情を見せはるけど、どれもみんなおんなじ月・・・そしてみんなきれいや。けれども満月は格別や」
今夜は満月で、満天の星空の中、白い綺麗な光を静かに放っていた。
「月は人の手が届かないからそのままできれいや。人の手が加わってきれいなものもある。せやけど失敗しはったらとことん汚くなる・・・この森は、どないなるんかなぁ・・・」
琴葉の声が遠くに聞こえ、胸がドキドキする・・・そう言えば二人きりでこんなに近くにいるのはどれくらいぶりだろう?
しかもこんなに綺麗な月を見ながら。
こんなこと、もうないかもしれない。
いや、「かも」じゃなくて、もうないのだ・・・引っ越すのだから・・・
「大地? 何で泣いとるん?」
突然声をかけられ、ビクッとする。
上を向いていたが、涙がこぼれてしまったらしい。
琴葉の方を向くとさらに涙がぽろぽろとこぼれた。
「どないしたの? 男の子が泣いちゃあかんでっしゃろ? ん?」
小首をかしげ、琴葉が俺の頬を伝う涙を拭う。
俺は泣いている理由を伝えた。
琴葉の顔が凍りつく。
「ほうか、引っ越すのか・・・さみしゅうなるな」
そのままゆっくりと下を向いた。
「うちも引っ越すことになるかもしれへんなぁ。大地が住む人里に・・・森でゆっくりする方が好きやけど、なんとかなると思う」
下を向いたまましゅんと琴葉が鼻を鳴らす。
まずい、泣きだした。
俺は腕でごしごしと涙を拭う。
女の子を泣かして何が男だ!
「な、なぁ琴葉!」
琴葉が軽く飛び上がる。
「な、なんや急に大きな声出して・・・びっくりしはるやないか」
琴葉は流れていた涙を拭うのも忘れて俺を見つめる。
ごくりと唾を飲んで俺は言葉を続けた。
「琴葉、オレ・・・大人になったら、森を守る人になる。森を守る仕事をするよ!」
このことは前々から、裏山がゴルフ場になる計画を聞いてから考えていた。
その考えは父親に殴られたときから固まってきて、そして琴葉の涙を見たときに完全に固まった。
「ぐ、具体的に何をするん?」
「う? いやぁ・・・それはまだ考えてない」
「なんや、そいじゃあかんやないか」
琴葉が苦笑をする。
笑われてちょっとムッとしたが、俺は続けた。
「でも、守るんだ。オレたち子どもが遊ぶ場が消えないように、琴葉たちが住む場所がなくならないように・・・」
俺の言葉を聞き、琴葉はクスクス笑うのをやめて真剣な表情で俺を見た。
「・・・約束やで」
「ああ、約束する」
「じゃあ、約束の印に・・・」
「指きりか?」
俺は小指を出したが、琴葉は首を横に振った。
「約束の印にせっぷんしよけよ」
「せっぷん? ああ、キスのことか・・・ってええ!?」
「なんや、キスなんて言葉つこうて、けったいな・・・」
「そっちの方が普通の言い方だよ・・・って、そうじゃなくて、いきなりなんだよ?」
「なんや・・・うちとせっぷんはイヤ?」
「そ・・・そんなことはない・・・」
ちょっと上目づかいでこっちを見てきて、すねたようにほほを膨らませる琴葉にどぎまぎしながら答える。
キスは、むしろしたいくらいだ。
しかし、してもいいのだろうか?
いや、互いの気持ちが一緒ならするべきだ。
「分かった、約束する」
「ん、約束・・・」
俺と琴葉は眼を閉じ、おっかなびっくり、くちびるを押し付けあった。
子どもゆえそれ以上のことはできないし、思いつきもしなかったが、それでも幸せな気分になる。
「・・・さ、早う帰りよし。家の人が心配してはると思うよ?」
「あ、そうだった!」
俺は飛び上がった。
「じゃあな、琴葉」
「ほなね、大地・・・あ、待って!」
背を向けて走り出そうとした俺だったが、足を止めて振り返る。
ちょっとの間もじもじしていた琴葉だったが、やがてつぶやいた。
「・・・もし大地が約束を守ってくれはったら、もう一度せっぷんしよな?」
嬉しくて俺はまだ琴葉のくちびるのやわらかい感触を残している口元を綻ばせた。
「ああ、楽しみにしている。だからがんばるよ!」
あれから15年の月日が経った・・・
俺は中高をそれなりに過ごして卒業して、大学は自然科学関係を専攻し、そして今は都心のある小企業の会社、リ・ネイチャー(Re nature)で働いていた。
リ・ネイチャーはエコロジーな商品を作ったり、自然に負担をかけない新たな技術などを開発したりすることをコンセプトとしている会社で、俺にとっては最高の会社だった。
高いモチベーションと知識のおかげで俺は若干25歳にして新商品開発プロジェクトの一員に抜擢されたのだが・・・
「チクショウっ! これでもダメだ! どうすればいいんだ・・・」
机に頭を抱えて突っ伏す。
自然に優しく、100%廃材で作ったリサイクルのエコ商品を作ろうとしているのだが、課題は山積みだった。
まずその廃材だが、どれをつかうのか、そしてそれを安定して手に入れるのが難しい。
また、安定して手に入れて作るにしても、そのエネルギーコストが新品のものをつくるときより高くなってしまっては、本末転倒だ。
それをクリアできたとしても見栄えが悪かったら消費者は買ってくれない。
「くそう・・・何とかならないのか・・・?」
あの時、なかなか署名が集まらなかったときと同じような歯がゆさや悔しさ、挫折感が俺を襲う。
そして、15年前のあの時に引っ越しが被さったのと同じように、悪いことは続くものらしい。
俺は付き合っていた彼女と最近別れた。
『あたしと仕事、どっちが大事なのよ!?』
『どっちもだよ・・・お前と付き合い続けるためにも仕事はしなきゃいけないんだよ』
『エコとか大層なこと言いながら儲けは小さい仕事が? エコブームかもしれないけど、あんたの仕事はやっていることが少々時代錯誤だわ』
『んだと!?』
『それ以外でも、あんたもどこかあたしに満足してないところがあるようだし・・・いいわ、別れましょう!』
『ああ、俺の仕事を悪く言う、価値観が違う女とは俺も付き合いたくはない・・・!』
別れ方はこんなに汚いケンカ別れだった。
『所詮・・・俺は森を守るなんてことは・・・何かをするなんて出来ないのか?』
コンクリートジャングル内のあるビルのあるフロアで俺は頭を抱えるのであった・・・
11/09/18 10:34更新 / 三鯖アキラ(旧:沈黙の天使)
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