読切小説
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嫁入りと浅葱色
 おそらくそうなるであろうとは分かっていた。
 気心の知れた相手で、家族同士の仲も良い。それに、他に誰がいるかと言えば、思い浮かぶ者は無い。
 しかし、それにしても。
 幼馴染との結婚とは、こんなにも胸躍らないものであるのだろうか。

 あやめは、村外れの樹の下に座り込んだまま、深々とため息をついた。
 幾度目かも分からないため息に、あやめの隣に座っている少年、殻彦もぴくりと眉を動かす。

「……そろそろ、村に戻らんか」

 殻彦の言葉は、穏やかだった。あやめが妻となるから、というだけではない。常に誰に対しても優しいのが、元来の性格なのである。
 しかし、あやめは静かに、首を横に振った。

「まだ、ここにいる」
「そうか。なら、おれもそうしよう」

 村外れは、静かだった。対照的に、明日に迫った祝言の支度で、小さな村はいつになく浮かれている。結ばれる二人には、会う人がことごとく祝いの言葉を投げかける。
 その空気を喜ばしくもくすぐったくも思っていた殻彦が、妻となるあやめの姿が見えないことに気付いたのは、四半刻ほど前のこと。
 幼い頃からあやめを目で追い続けていた少年は、ここ数日、幼馴染の様子がおかしいことをわかっていた。だから、村中を駆け回り、あやめを見かけたという人の話を追い続けて、ようやく、大樹以外は何も無い村外れの草原でその姿を見つけた時は、ひとまず安堵した。
 とは言え、あやめの様子がおかしいことは変わらず、遠くを見つめる横顔は美しいものの、物憂げな様子は歓迎しがたい。
 もしや、自分との婚姻が嫌なのだろうか。
 それとなく尋ねてみたものの、あやめの返答は、「そうではない」という簡潔なものだった。
 では、なぜ。
 平和な田舎で人の良さばかりが育った頭を用いて、殻彦は考える。
 婚姻が決まるまで、あやめはいつもと同じ、少し勝ち気ながらも愛らしい振る舞いをするおなごだった。いや、決まってからも、そうだった。夫婦になったら尻に敷かれるかもしれないと思うほど、てきぱきと万事の支度を進めていた。
 あるいは、そのせいか。
 一つ、あたりをつけた殻彦は、「なあ」と切り出した。

「確かに、こんな村の百姓の嫁なんざ、退屈かもしれん」

 小さな村の百姓同士とは言え、結ばれるとなれば物が要る。
 品々を買うため共に町に行った時、あやめの目は物珍しさに輝いていた。刺激の多い、退屈などとは無縁の町を見て、これからずっと田畑のそばで暮らしていくことに嫌気が差したとしても、おかしくはない。

「だが、うちにはうんざりするほどの田もあれば、おれらの子や孫までまとめて住める家もある。ひもじい思いだけは、絶対にさせん。毎日とはいかんが、町に行って珍しいものを見るなり買うなりすることだって……」

 しかし、殻彦が出した答えにも、あやめはただ首を横に振るだけだった。

「……そうじゃない」
「じゃあ、なんでそんな顔をしてるんだ」
「わかんない」
「……わからんか。そりゃあ、困ったな」

 嘘ではない。あやめにも、自分の胸中にかかった靄の正体がわからない。
 そのせいで、夫となる幼馴染を困らせていることは理解している。これから共に暮らしてゆくのに、こんなことではかなわないともわかっている。
 それでも、どうしようもないのだ。

 明日には夫婦となるという者たちとは思えぬ状況だった。隣り合って座ったまま、会話も無く、いたずらに時ばかりが流れる。
 空はよく晴れているのに、二人の胸中は、薄暗い。
 何かを言うべきだが、ふさわしい言葉の見つからない。その居心地の悪さを裂くように、「おい!」という声が、村外れに大きく響いた。二人が振り向けば、少し離れたところから、殻彦の父親が何やら大きな箱を背負ったまま、筒にした手を口に当て、叫んでいた。良いか悪いかはともかくとして、持たぬ間を誤魔化してくれる声ではあった。

「ちょっと、来てくれんか!」

 父に呼ばれ、殻彦は若干ためらいながらも、立ち上がった。
 尻に付いていた土を払い、一歩だけ踏み出してから、あやめを見下ろす。

「あとで、迎えに来るからな」
「来なくていい」
「そうもいかん」

 あやめは顔を上げず、ただ、ざくざくと草を踏む音が遠ざかってゆくのを聞いていた。
 やがてその音も聞こえなくなると、いよいよ、村外れの樹下はさみしげに静まり返る。
 ひらりと落ちて風に揺られる葉は、あやめのやりどころの無い気持ちをあらわしているようでもあった。
 その葉が地に落ち、転がるのを見ながら、あやめは思い出す。
 昔、自分たちが今以上に小さかった頃。
 二人で、この樹に登ったことがあった。
 枝を一本ずつ、子どもの重さに耐えられるか確かめつつ。先に登り手を差し伸べてくれる殻彦の姿は、不思議なほどに頼りになって、思えば、ぐいと引き上げる力の強さこそ、性差など考えもしていなかった幼馴染が「男である」とはじめて感じたものだったかもしれない。
 それから抱き続けている気持ちが恋慕であるのかは別として、殻彦ならば、あの時と同じように、妻も子も手を引いて守ってくれるだろうと信じられる。
 そうである以上、自分が案じることなど、何も無いはずなのに。

「……あ」

 ぽつ、ぽつ、と、地や枝葉を打つ水音に、あやめが顔を上げた。
 空は依然として青く晴れ渡っている。そう確かめている間にも、降り出した雨は勢いを増し、たちまち、叩きつけるような音とともに、景色を霞ませてしまった。
 音も姿も雨に埋め尽くされた中で、あやめは、ふと思い出した。
 母様に教えてもらった。こういうのは、狐の嫁入りと言うんだよ、と。
 もしも、雨の中にぼんやりとしたものが見えたら、それは、お稲荷様の嫁入り行列。とてもありがたいものだから、お祝いをしてから、あやかれるように拝みなさい。

 そして、今。
 確かに、雨で煙る景色の中に、ぼんやりとした人影と、揺れる灯りが見えた。
 長い長い、彼方まで続いている灯りの列を率いて、二人分の影がゆっくりと通り過ぎてゆく。
 本当に、あったんだ。
 そう思ったまま、どれほど、雨を眺めていただろうか。
 気付いた時には雨は上がっており、一面は陽を受けて雫をきらめかせていた。
 草は濡れて頭を垂れてこそいるものの、踏まれた跡はなく、そこに何かが通ったなどとは、到底信じられない。
 ――いや。
 一つだけ、異様なものが、草の中に見えた。
 目がおかしくなったのかと思いながらも、好奇心に動かされ、あやめは腰を上げる。
 草履を履いた足を濡らしながら、腰ほどの高さがある草たちをかき分け、覗き込めば、やはり、それはあった。

 火が、落ちていた。
 見たことのない、浅葱色の火。草の中に落ちているというのに燃え広がる気配も無ければ、水に消える様子もない。
 危ないかもしれない、などとは微塵も思わず手を伸ばす。感触は無い。熱さも痛みも無い。確かに見えているのに、そこには何も無いかのようでもあった。

「あやめ!」

 火を突き抜け、草に指先を触れさせていたあやめが、呼ぶ声に振り向く。
 一歩一歩、大股で草を踏み、殻彦が、そこに先程までお稲荷様の嫁入り行列があったなどとはつゆ知らず、あやめのそばまでやってきた。

「大丈夫か?ひどい雨だったが」
「……うん。樹の下にいたから」
「そうか。しかし、ちょっとは濡れただろう。ほら、拭いとけ」

 渡された手ぬぐいで、いつの間にやら随分濡れていた髪を拭きつつ、あやめは「妙なものを見た」と言うべきか考えていた。
 殻彦ならば、疑うどころか「おれも見たかったな」と言ってくれるだろう。

「あやめのお袋様も心配していたぞ。また降ってくるかもしれんし、帰ろう」

 しかし、どうにも言う気が起きず、あやめは素直にうなずき、村に戻る殻彦のあとに続いた。
 一度だけ草むらを振り向いて見れば、もう、そこに浅葱色の火は残っていなかった。


……………………


 あやめが熱を出したのは、その晩のことだった。
 雨に降られたせいだろうと誰もが思った。あやめの母も、祝言を前にしてふらふら出歩いていた娘に苦言を呈そうとはしたものの、視線も曖昧なあやめには、「とにかく、ゆっくり休みなさい」と言うことしかできなかった。
 一晩経っても熱は引かず、夫婦両家の中では、祝宴の空気と用意だけが宙ぶらりんになっていた。
 食い物はいつまでもつだろうかなどと両親が話す声を布団の中で聞きながら、あやめは「あれはなんだったのだろうか」と考える。
 通り雨のあとに残っていた、不思議な火。
 かすかに見えたものが本当に狐の嫁入りだったのならば、あの火はお稲荷様の落としていったものなのだろうか。
 無論、考えても答えなど出るはずもない。風邪のせいで夢うつつの頭は、そもそも物を考えられるほどに回ってはいない。

 ふと、玄関の戸を叩く音がした。
 二、三ほど、母と誰かが何事かを言い交わす。足音が近づいてくる。広い家ではない。足音はあやめが寝ている部屋の前ですぐに止まった。
 そして、すぅと滑った障子戸から入ってきた顔を見て、あやめの目が、少しだけ揺れた。

「どうだ、具合は」

 責めるでもなく、憐れむでもなく、いつもどおりに殻彦は尋ね、あやめの枕元に腰を下ろす。田を見て来たのか、その身はかすかに泥の匂いがした。
 何一つ変わらない幼馴染の姿に安堵しつつも、あやめは、苦しげに口の端を噛む。

「……ごめん」
「何がだ?」
「その……祝言、先延ばしになったから」
「気にせんでいい。むしろ、心構えする時間が取れてありがたいくらいだ」

 そう言って笑う殻彦が、あやめの気を軽くしようと冗談めかしたのは、明らかだった。

「あやめのことだ。寝てても腹は減っただろう。何か食うか?」

 あくまでもからかいを交える幼馴染に、あやめは少し迷ってから、答えた。

「……肉。ううん、やっぱり……その、おいなりさんが、食べたい」
「稲荷寿司か。よし、ちょっと待ってろ」

 ためらうことなく飛び出した殻彦を見送り、開けっ放しの戸に目線だけは向けて、あやめは自分の要求に戸惑っていた。
 病に伏しているのに、妙に、食い気ばかりがある。それに、いなりなどさほど好きではなかったのに。今日ばかりは、どうにもあの油揚げの感触が恋しい。

「持ってきたぞ。宴席で出すつもりだったらしいが、まあ、少しくらい食ってもいいだろう」

 殻彦は、すぐに戻ってきた。
 皿の上に、大きめの稲荷寿司が四つ。
 そのうちの一つに、体を起こしたあやめの手が伸びる。
 聞かずとも分かる。母の作るいなりの味だった。馴染み深い味だが、今は、いつも以上に美味く感じられる。

「それだけ食えるなら、あまり心配もしなくてよさそうだな」

 殻彦の言葉に、あやめは稲荷寿司を食べる手を止めて、かすかに頬を赤らめた。
 その反応に目を細めながら、殻彦は「どれ、一つ」といなりをつまみ、かぶりつく。甘く煮た油揚げに包まれていた酢飯が噛んだ拍子にほころび、着物の膝にこぼれ落ちる。
 それらの落ちた飯も口に放り込んでから、「うむ」と満足そうに頷いた。

「美味いな。あやめのお袋さまは、相変わらず料理が上手い」
「……私も」
「む?」
「私も、料理は勉強したから。母様くらいには、できる」

 ただ事実を述べている、というよりも、張り合うような物言いだった。
 幼少より気が強かったあやめには珍しくもないが、一方で、親を敬っていた彼女には似つかわしくない口ぶりでもある。
 殻彦は、手に持っていたもう半分のいなりも口に入れ、ほとんど飲み込むように腹に収めてから、座り直し、まっすぐにあやめを見据えた。

「やはり、何事かあったのだろう」

 膝を突き合わせ、しかし目線は交錯せず。
 殻彦の言葉に、あやめはうつむいたまま、何も答えない。
 ならば、と、殻彦は続けた。

「……おれは、あやめを娶れることを、喜ばしく思っている」

 びくり、とあやめの肩が跳ねる。

「少々跳ねっ返りではあるが、よい妻になってくれるだろうと。良いところも……悪いところも知っているが、それでもだ。しかし、今のあやめは、おれの知っているあやめとは違って見える。それでは……なんと言うか、困るのだ」
「……うん」

 弱々しく、あやめも頷く。
 十分承知である。自分としても、このままではいけないとは思っている。
 でも、しかし。
 言い訳を探す心が、あやめは憎かった。

「……すまん。婚前に言うことではなかった。とにかく、早く良くなることを願っている」

 逃げるように、殻彦は立ち上がった。
 あやめの枕元を離れ、厨で飯炊きをしていたあやめの母に丁寧に挨拶をしてから、帰ってゆく。
 残されたあやめは、いなりと一緒に持ち込まれたお茶を一杯飲んでから、布団の上でじっとうつむいていた。
 整理のつかない胸中を見つめ続けながらも、自らの身が薄く纏った浅葱色の火には、気付かなかった。


…………

 一夜明け、あやめの快復を確かめた両家は、早々に祝言を始めようと決めた。
 庶民同士の婚姻である。親兄弟しか見届けない略式である上に、支度は既に済んでいる。決定から実行まで、時間は要さない。
 半ば叩き起こされて、殻彦も朝早くから身支度に取り掛かった。既にあちらも用意を始めているのだから、と髪を整え、衣装を着替え、分厚い座布団に座らされる。
 しかし、一日妙な空白が空いてしまったこともあり、結ばれる当人である花婿の気持ちは、中々落ち着くものではない。広間の奥に座り、家で最も上等な着物に身を包んだ殻彦は、見るからに緊張していた。
 見知った顔ばかりが並んでいる、形ばかりの場であるとしても、まだ子どもである殻彦にとって、この場の空気は重い。めでたいはずなのに、気まずい。
 早く始まり、終わってくれないか。
 殻彦がそんなことすら思い始めた頃。
 静かに、広間のふすまが開いた。

 はっ、と、そこにいる誰もが息を呑んだ。おまたせして申し訳ない、などというあやめの父の謝罪など、誰も聞いていなかった。
 それほどまで、あやめは、美しかった。
 少々丈が長く、どこか古さを感じさせる着物は、おそらく母も使った嫁入り衣装であろうが、お下がりの着物が上等な無垢に見えるほど、あやめの持つ雰囲気は妖艶。口に差した紅も鮮やかで、薄く化粧をした白い顔がそれを引き立てる。
 しかし、ただ、殻彦だけは、別の理由で息を呑んでいた。
 先日、見舞いに訪れた時に抱いた違和感。
 その正体が、はっきりと目に見えていたためである。

 あれは、なんだ。
 危うく言葉にしそうだった自らの口を、噛んで潰す。
 あやめの身が、ぼんやりと揺れている。するりするりと一歩ずつ歩く姿の輪郭が、二重にも三重にも見える。

 あやめが、殻彦の隣にするりと腰を下ろす。良く訓練された所作にも見える、落ち着いた振る舞いだった。
 どこに出しても恥ずかしくない見事な花嫁ぶりに、人々が見惚れて、感嘆する。それが、殻彦をより一層戸惑わせた。
 これに気付いているのは、おれだけなのか。
 隣に座るあやめの纏う静かな熱が、殻彦の肌をちりちりと焦がす。
 不快ではない。ただ、胸騒ぎが収まらない。

 殻彦が必死に混乱を押さえつけている間にも、祝言は粛々と進む。
 眼の前に差し出された酒を口にして、あやめに盃を手渡す瞬間、わずかに指先が触れた。その指先は、悲鳴を上げてしまいそうなほどに熱かった。

 やがて、儀礼が終わり、宴席へと移ったところで、殻彦はまっさきにあやめの手を引き、家を抜け出した。
 当然、祝いの言葉を言いに訪れた村人たちも含めて宴客たちは驚き、呼び戻そうともしたが、誰かが言った「ふたりとも気を張り詰めていたから、外の空気が吸いたくなったのだろう」という言葉が、それを止めた。

「……あやめ」

 家を出て、あぜ道を駆け抜け、村外れにある大樹のもとまで来て、ようやく殻彦は口を開いた。

「なあに?」

 答えるあやめの表情は、穏やかだった。
 昨日までの、何事かを思い悩んでいた気配など、微塵も残っていない。晴れやかで、婚姻を心から喜んでいるようだった。

「いきなり連れ出したりしたら、殻彦の父様や母様も驚くわ。早く、戻りましょう?」
「いいや、その前に、教えてくれ」
「何を?」
「何があったんだ。おまえの、その、青い揺らぎは何物なんだ」

 強く問い詰める殻彦の口調にも、あやめは動じない。

「私にも、分からないの。でも、どこかが悪くなった、ということもなくて、それどころかとても気分が良いのよ」

 今にも歌いだしそうな声色で言ってから、あやめはその場でくるりと回ってみせる。着物の裾が僅かに広がり、また、静かに戻る。
 無邪気さは微笑ましいが、殻彦は悲しげに、首を横に振った。

「やはり、おかしいぞ。昨日までのあやめは、もっと……沈んでいた。それが、たった一晩で何もかもが変わったようだ。いっそ、まったく知らない別人であると言われたほうが腑に落ちる」
「ふふ。そうね、昨日までの私は、確かにひどく愚かなことで思い悩んでいたわ」

 あやめが大樹に手を付き、見上げ、それから、袴姿の殻彦の手を取る。
 その手の熱さと柔らかさに、殻彦は自分の心臓が跳ねる音を聞いた。あやめの妖しい美しさを直視できず、背後にある樹へと視線を逃がす。
 そうした殻彦の様子も、あやめは楽しんでいるようだった。

「殻彦は、村のみんなにも、外の人たちにも、誰にでも優しいでしょう?」
「……そうか?」
「そうよ。だって、そうだから私は殻彦を好いたのだもの」
「では、それでいいではないか」
「いいえ、それではだめなの。殻彦は、私の夫なのだから。妻の私だけを、愛でてなければいけないの」

 どういうことだ、と言おうとして開いた殻彦の口に、柔らかいものが触れる。
 焦点のずれた視界に映る、幼馴染の細められた目。唇を重ねられたのだと気付くまで、少し時間を要した。
 艶めくあやめの唇に、緊張で乾いた唇を喰まれる。ぞくりと背が痺れ、足から力が抜ける。
 逃れようとしたのか、しがみつこうとしたのか、殻彦自身にも分からぬままたたらを踏んだ体は、あやめにしっかりと抱きとめられた。

「……そうだわ。もう、夫婦なのだから。それらしい事をしないと」

 幼馴染の目はこんなにも、獣のような形をしていただろうか。
 曖昧になった殻彦の唇が、再び塞がれる。
 絡められた舌から、あやめの熱が入り込む。粘つく、身の内に張り付くような熱さが、腹の底に溜まっていく。
 ゆっくりと草の上に押し倒されても、殻彦は抵抗できなかった。
 自分より力で劣るはずの幼馴染に跨がられ、晴れ着を剥がれ、首筋を撫でられ、焦燥も快感も、夢心地に混ざり合う。
 あやめは、片手では殻彦を愛撫しながら、もう片方の手で、自らの着物をはだけさせた。肉の薄い、骨ばった体つき。幼い頃、男も女も無く裸になって川遊びをした時と比べるならばともかく、結婚もできる歳の娘としては、少々、女らしさに欠ける。
 しかし、それでも、殻彦はそのあやめの体に魅入られてしまった。
 白い肌に、小さな胸の膨らみ、ぴっちりと閉じた未通の秘部。細い足に自ら指を這わせる様子に、思わず、唾を飲む。

「……くす」

 あやめが、母性すら含ませて、笑った。
 足を撫でていた手を股にやり、閉じている蜜壺を指で開く。既に、そこはぬらぬらといやらしく濡れそぼっていた。
 そして、袴を剥がれ、既に十分屹立していた殻彦のものに、ゆっくりと、腰を下ろした。

「いっ……う……」

 狭い穴をこじ開け、押し広げる感触が、あやめには痛みとなって、殻彦には快感となって伝わる。
 苦しげな声をこぼし、目の端に涙を浮かべながらも、あやめは笑みを崩さない。
 それが、殻彦を瞬間的な正気へと引き戻す。

「……あやめ」

 案じる言葉までは言わずとも、名を呼ぶだけで、あやめには伝わった。
 伸ばした手を繋ぎ、ゆっくりと、あやめが腰を揺する。
 蕩けた襞に撫でられ、殻彦は再び夢心地の快楽に落とされる。
 しかし、あやめも同じような快楽に沈むには、そう時間はかからなかった。

「はっ……あ……」

 揺すりこすりつけるような動きから、腰を振り、貪るような動きへ。
 ぱちゅん、ぱちゅん、と音を立てながら、あやめは、反り返り、白い喉を見せた。
 途端、殻彦のものを舐めつけていた肉壷がぎゅうと締め付けを増す。
 達してもなお、あやめの動きは収まらない。
 一心不乱に、愛する者へと快楽を与え、愛する者からの寵愛を求める。
 それは、びくり、と震えた殻彦が精を吐き出しても、終わらなかった。
 混ざりあった体液がぐちゃぐちゃと音を立て、嬌声が消えて荒い息遣いだけになっても、交わった体は離れない。
 若い夫婦二人のそれは、獣の交わりとも、人の交わりとも違う行為だった。


……………………


 あやめと殻彦の二人が家に戻ると、宴席は、すっかり酒臭い場になっていた。
 主役であるはずの二人が前を歩いても気付かない者すらいて、「おお、戻ったか」と殻彦の父が声をかけるのも、随分遅れてからだった。

「殻彦」

 かわるがわる投げられる祝いの言葉に愛想笑いで応えていた殻彦に、隣に座るあやめが微笑みかける。
 その頬は、化粧だけではない赤みを帯びていた。

「お酌、してあげる」
「……ああ、頼む」

 祝言で交わした、誓うための盃とは違う、楽しむための酒だった。
 父や祖父たちも飲んでいる酒を、あやめが――嫁が、夫の猪口に注ぐ。
 薄く満たされた無色のそれを、殻彦は一息で呷った。だが、どうにか飲み込むと、すぐにむせかえった。

「うっ……辛っ……」
「そんなに?」
「喉が痛い。なんでお父たちはこんなものを喜んで飲んでいるのか分からん」

 猪口を置いて顔をしかめる殻彦を見て、あやめは楽しげに笑った。
 宴席には、猪肉の鍋が運ばれてきたところだった。葱や大根などが一緒に煮込まれた汁が椀に入り、人々に渡される。殻彦とあやめには、「今日はお前たちのための宴なのだから」と、一回り大きな器が渡された。
 汁の熱さに怯んだ殻彦が、一旦床にそれを置いて冷めるのを待つ。そうしている間にも、村の大人たちは猪肉をあてにして、酒を飲む。
 あやめも、酒こそ飲まないものの、猪汁を早々に平らげると、自分で二杯目をよそった。席に戻るついでに、稲荷寿司を皿ごと持ってくる。

「……よく食うな。昔は、もう少し淑やかな食欲をしていたと思ったが」
「あんなことをした後だからかしら。すごくお腹が空くのよ」

 あんなこと、とぼかしてはいるものの、つい先程まで宴を抜け出した自分たちのやっていた行為は、中々、正常ではなかった。
 思い返し、殻彦は恥ずかしさと、青い欲求を腹の底に感じた。
 しかし、あやめはやはり落ち着いており、食い進める手は止まらない。
 皿に乗っていた稲荷寿司は、殻彦が二つ目を食べようかと手を伸ばした時には、既に全てあやめの腹に収まってしまっていた。
 二皿目が出てくるのを待ちながら、殻彦は冷めた猪汁を啜る。箸に刺して口に運んだ大根は、まだ熱かった。

「いつか、殻彦もああやって水みたいにお酒を飲むようになるのかしら」

 不意に、あやめが言った。
 視線の先では、殻彦とあやめの両親が、上機嫌で酒を酌み交わしている。

「なる……のかもしれん。が、今はただの水でいい」

 肉と汁を纏めて飲み込み、殻彦も自分の父親を見やる。それだけで、さっき呷った酒の辛さが喉に蘇るようだった。

「私たちが、もっと大きくなって……そう、子ができた時は、またお酌してあげるわ」
「……ああ、そうだな。その時は、頼む」

 殻彦の返事に、あやめは機嫌良く何度もうなずいた。それがいつになるか、それまではどうするのか、などとは、考える必要もなかった。
 ただ、あやめの背で揺れる青い火は、殻彦を静かに撫でて、愛でていた。
18/09/19 16:48更新 / みなと

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