毛糸と弓矢
クリスマスが近付くと、街全体が落ち着きを失ってしまう。
それは、きっと気のせいではない。
友人に、家族に、恋人に。
大事な人を想う気持ちが鈴の音に変わって、そこかしこで澄んだ音を立てている。
無論、僕がアルバイトをしているこの小さな手芸用品店も、クリスマス前の空気を纏うことから逃れられていない。
通りに面したウィンドウには緑と赤のテープで飾り付けがなされ、「プレゼントの包装承ります」という張り紙は、少し斜めになりながら、行き交う人に主張している。
店に入ってすぐの特設コーナーには、手編みのマフラーや手袋を作るための道具一式に、入門書。
小さな店だが、商店街の中にある手芸用品店を頼ってくる客は少なくない。今年の冬に備えて仕入れた在庫は、クリスマスまでにひとまず捌けそうだった。
しかし。
「……今日は、暇だな」
寒色系の薄ぼんやりとした店内で、ついつい呟いてしまう。
カウンターに頬杖をついてしまいそうなのをぐっと堪えて、見るともなく外を眺める。
足早に店の前を過ぎてゆく人々は、みんな防寒着でもこもこに着膨れている。帰り道が凍っていなければいいが。
カウンターに置いてあるラジオからは、パーソナリティのエンディングトークが聞こえる。今年はホワイトクリスマスになるそうですよ、というラジオパーソナリティの声は、浮かれた気持ちを隠そうともしていない。
二階では、手芸教室を開いている女郎蜘蛛の奥さんが何か冗談を言ったのか、生徒たちの笑い声が階下まで降ってきた。
時計の針は、もうすぐ五時を指そうかというところ。
和やかな針のお稽古が終わる時間で、配達に行っているこの店の旦那さんが戻ってくる時間でもある。
そうなれば、店番をしている僕もお疲れ様でしたまた明日、となる。
しかし、こうして暇を潰しているだけでお給金を頂くのは、ちょっと気が引ける。
帰る前に、せめて店内の掃除は丹念にしておこうと、前時代的なはたきを手にカウンターを出て、商品棚をぽんぽんと払う。
ラジオからは、僕が生まれる前に作られたのに今でも毎年どこかしらで流れている、おなじみのクリスマスソングが流れ始めていた。
そのリズムに合わせて、指揮棒のようにはたきを振るう。
ウィンドウのそばまで来たついでに空を見上げてみれば、灰色の雲が商店街の上を覆っていた。ホワイトクリスマスどころか、今にも雪が降り出しそうだった。だから、みんな家路を急いでいるのかもしれない。
今年のクリスマスは、どうしようか。
実家に帰る気分でもないし、男友達と遊ぶのはなんだか負けたような気がする。かと言って、大多数の人がそうするような、一緒に過ごせる恋人も居ない。
ぼんやりと思案を巡らせていると、背後で、からん、とドアベルが音を立てた。
振り向いて客の姿を確認するより早く、「いらっしゃいませ」と一段高い接客用の声色を使う。
だが、客の顔を見て「おや」と出てきた声は、自分でも分かるほど親しみが篭っていた。
「こんにちは。お仕事帰りですか?」
僕の挨拶に、お客さんは――キューピッドのシラハさんは、表情を変えずに頷いた。
肩まであるピンク色の癖っ毛にもこもことした白い帽子を乗せ、首に巻いたマフラーも真っ白。褐色の頬は寒さのせいか、微かに赤い。着ている黒いチェスターコートは男物に見えるが、それが凛々しい顔立ちとすらっとした高身長にはよく似合っている。
でも、一番目を引くのは、肩から提げている、子どもくらいなら入ってしまいそうなほどに大きなトートバッグだろう。その大きさもさることながら、口から飛び出しているハートの形をしたやじりとピンクシルバーの弓は、誰でも気になってしまうはずだ。
彼女、シラハさんがこの手芸店を訪れるようになったのは、ひと月ほど前、十一月の半ば頃のこと。
冬の気配も濃厚になった、ある平日の夕暮れ時。
ふらりと店にやってきて、無表情でずいぶん長いこと棚の間をうろうろしていたキューピッドに、僕は若干の警戒心を押し隠しつつ、丁寧に対応を図った。
「何かお探しですか?」と言われたことに僅かに驚いた様子を見せ、そして自分の行動を省みたのか恥ずかしそうに、彼女は答えた。
「……その。毛糸の手袋とか作るのに、はじめてなら、何を買えばいい……ですか?」
店内に流れていたラジオの音にも負けそうな、蚊の鳴くような声だった。
しかし、かろうじて聞き取れた彼女の言葉に、僕はなるほどと内心で合点した。
一ヶ月も前からと言う人もいるだろうが、準備期間も考えれば、十一月の内からクリスマスプレゼントについて意識し始めるのは、決して早くはない。
きっと、このキューピッドさんは、大切な人への贈り物として手編みで何かを作ろうと思っているのだろう。
愛情を向ける先があることへの羨ましさと、独り身の学生としての寂しさを飲み込んで、初心者向けのセットを見繕った。
最後に、編み物教室もやっていますが、と言う勧誘をしてみたものの、彼女はそれには首を横に振り、僕が選んだ何冊かの教本と、毛糸、それに、ピンク色の編み棒を買っていった。
そしてそれ以来、シラハさんはたびたび、店へ来るようになった。
来るのは、いつも夕方。
名札付きの弓矢を持っているのは仕事帰りであるからだと気付いたのは、最近のこと。
この国において、クリスマスと色恋沙汰は切っても切れない関係にある。
エロスという神様に仕えている彼女たちは、あちらこちらで恋人たちに世話を焼くのが仕事だ。宗教の垣根なんてあってないようなもの。この時期は相当に忙しいのだろうなと、目の下にクマをつくったキューピッドさんに同情したりもした。
頻繁に毛糸を買っていくのは、それだけ熱心に練習をしているという事なのだろう。仕事で疲れているのに、慣れない手つきで編み針を操り糸を手繰る姿を想うと、接客の声にもねぎらいの気持ちが混ざってくる。
今日もまた、シラハさんは真剣な目つきで、棚に並んだ毛糸を吟味している。
太さや色が違えば、出来上がりも違ってくる。
好きな人に合う色を考えるのが楽しいのよ、とはこの店の女主人の言葉だが、なるほど、シラハさんの横顔は、どこか楽しそうだ。
「……あの」
毛糸選びの邪魔をしないようにカウンターで待っていようと思ったが、小さい声に振り向けば、シラハさんの視線はこちらを向いている。
今まであちらから何かを言ってきたのは最初の一度だけだったので、少々驚く。あるいは、小さいから気付かなかっただけで今までにも声をかけられていた可能性もあるが。
「なんでしょう?」
「手袋の色、何色が、いいかな……って」
色。
色とだけ言われても困ってしまう。
「そうですね……えっと、どんな人が着ける物なんですか?」
尋ねてみると、シラハさんの綺麗な形をした眉が少しだけ曲がり、視線はさまよう。
人のイメージを言葉にするというのは、意識してみると難しいものである。意地悪な質問になってしまったかな、と別の訊き方を考えていると、シラハさんは僕の頭頂部あたりに目線をやって、ぽつりぽつりと言った。
「……男の子。かっこいいよりは、かわいい……と、思う」
男の子、ということは。
この人も、素敵な誰かと愛に満ちたクリスマスを過ごす予定なのだろう。
理解した途端、微かに胸の奥が痛んだ。
その痛みに、自嘲する。
この人は、ただのお客さんなのに。僕は何を。
「かわいい系の男の子ですか。それでしたら……」
何でもないように答えたつもりだが、声色に出てしまっていなかっただろうか。
揺れてしまった感情の振り子を抑え込み、そうですね、と考える。
赤、は少々派手だろうか。青は落ち着きすぎているようにも思える。緑は、似合う似合わないがはっきりしすぎていて、不確定な時に選ぶのは気が引ける。
顔も知らないキューピッドさんの想い人を想像し、結局、無難であろうという色を取る事にした。
「水色、なんていかがでしょう」
明るめの色だが、かわいい系だというのなら平気だろう。
「……水色」
「はい。男性なら青系が無難……って言うのは、僕のイメージかもしれませんけど」
最終的に決めるのはシラハさんですから、と内心で付け加える。
だが、シラハさんはどうやら僕の提案がしっくり来たようで、何度か頷くと、水色の毛糸玉を三つほど手に取った。
「じゃあ。これください」
「はいはい」
カウンターに戻り、手早く会計を済ませる。
お釣りを渡す時、シラハさんの指の細さに見とれてしまったのがなんだか悔しかった。
「手袋、喜んでもらえるといいですね」
毛糸を入れた紙袋を渡す時にそう言ってみると、シラハさんは口の端にほんの少しだけ笑みを浮かべて頷いた。
普段は人に幸せを与えて回っているであろう、この綺麗なキューピッドさんが、クリスマスというイベントを介して自分も幸せになれるのならば、何よりだ。
寂しいという気持ちも、否定はできないが。
…………
クリスマスイブとクリスマス及びその前後一日、つまりは二三日から二六日まで、手芸店は計四日の連休に入る。
店主の女郎蜘蛛さんと旦那さんが、クリスマスということでお出かけをするらしい。
とても夫婦仲の良い二人が毎日忙しそうにしているのはそばで見ているので、めいっぱい羽根を伸ばしてきてくれるのを願うばかりだ。買ってきてくれるというお土産は、楽しみにさせてもらおう。
問題は、独り身で予定もないままクリスマスに放り出されてしまった、と言うことだろう。
「……はぁ」
ため息は白く伸びて、冬の空気に消えた。
下宿にいてもやる事はないので、軽い気持ちでぶらりと街には出てみたものの、いよいよ明日はクリスマスイブともなれば、そこかしこは手を繋いで歩く恋人たちに溢れ、お仕事をしている人ですら楽しそうに見えてしまう。
すれ違った親子連れは、どこかに食事でも行くのだろうか、両親に挟まれた子どもが食べ物の名前を列挙している。ウェディングドレスが飾られたウィンドウの前で立ち止まっているカップルは、すっかり二人だけの世界と言った様子。
なんだか、自分が酷く場違いな存在に思えてきてしまい、マフラーを口元まで引き上げる。
冷えた素手をコートのポケットに突っ込んで向かう先は、自分でも分からない。
考えよう。華やかな街に混ざれるような何かを。
そうだ。冬休みの間せっせとアルバイトに励んでいたことを褒めてやる意味を込めて、自分に何かクリスマスプレゼントでも買ってやろうか。
気になっているゲームがあった。服も買いたい。それに、コンビニでチキンとケーキでも買えば、きっと充分幸せだ。
現実逃避をしつつも、人にぶつからない程度の最低限の注意だけを払っていたつもりだった。
しかし、不意に視界に捉えた姿には、ついつい視線が吸い込まれてしまった。
「……あれ」
手芸用品店の看板の下に立っている、黒いコートを着た女性。
常連のキューピッド、シラハさんが、そこに居た。
同じタイミングで、向こうもこちらに気付いたらしい。軽い会釈に手を上げて応え、不安半分喜び半分で近付く。
「どうしたんですか?今日は、お店お休みですよ」
クリスマス本番には、まだ少しだけ時間がある。
頑張って作っていたが完成前に材料が足りなくなって買いに来た、という可能性はある。
だが、こちらの質問には答えず、シラハさんは肩にかけていたいつものトートバッグの中をごそごそと漁り始める。
仕事帰りには早い時間なのに、弓矢は入れっぱなし。もしかして、仕事道具じゃなくて私物なのだろうか。
僕がそんな事を思っている間にシラハさんがバッグから取り出したのは、水色の手袋。
指の長さはちぐはぐで、網目の大きさもばらばら。ちょっと不格好だが、一応完成はしているように見える。
「……あ、もしかして」
僕の言葉に頷いたシラハさんに、すみませんが、と謝罪をする。
店のウィンドウに貼られたままになっているのは、「プレゼントの包装承ります」の張り紙。
「ラッピングのサービスは、昨日までだったんです。貼り紙剥がしておけば良かったですね」
渡す時にはちゃんとした包装を、と思って来ていたのかもしれない。
そうであれば、期待をさせてしまったのはどうにも申し訳ない。
しかし、シラハさんは、今度は首を横に振った。
「じゃあ、どうして……」
言ってから、一つの可能性が思い浮かぶ。
もしや、この手袋を、僕に。
それはあまりにも希望にあふれていて、本当にそうであれば舞い上がってしまいそうなほど喜ばしくて、しかし違った時の恥ずかしさを思うととても口に出せない発想だった。
いや、でも、もしかしたら、万に一つくらいは。
困ったことに、走光性の思考は、一度思いついてしまった華やかな可能性にしがみついてしまう。
いっそ、それをシラハさん本人が否定してくれたら。
何か、何かを言ってくれないか。イエスでもノーでも。
すがる思いでシラハさんの目を見ると――。
「……えっ」
泣いていた。
いや、まだ泣いてはいない。
泣きそうになっていた。
目尻にたまった涙は、今にも頬を伝いそうだ。
「ど、どうしたんですか!?」
自分で自分の大声に驚いてしまい、それから、向けられた好奇の視線に気まずくなる。
何より、泣きそうなシラハさんを目立たせてしまうのは、好ましくない。
「と、とりあえず、うちへどうぞ!ここから近いんで!」
後先考えず、シラハさんの冷たい手を取って駆け出す。
手芸店から下宿のアパートまでは歩いて十分ほどの距離だが、今回ばかりは、数十秒にも数時間にも感じられた。
鍵を入れたポケットも分からなくなるくらい焦りながらもどうにかドアを開ければ、出かける前まで点けていた暖房の空気は、まだ部屋に残ってくれていた。
狭いだとかゲーム機を片付けてないだとか色々な事はひとまず置いておいて、手を引かれるままになっていたシラハさんには、座布団……も椅子も無いので、ベッドに座ってもらう。
そして、シラハさんが落ち着く時間を取るついでに、温かい飲み物でも用意しようと、僕はキッチンに立つ。
保温のランプが点いているポットから、ティーバッグを入れたカップにお湯を注ぐ。シラハさんが紅茶は嫌いだった時のために、一応コーヒーも用意。
そうこうしている内に、僕の頭の中も落ち着いてきた。
冷静な思考の第一声は、慌てていたとは言え女性を家に連れ込むというのはどうなのだろうというもの。
お店はいくらでもあるのだから、お茶を飲める場所にでも入ればよかったのではないだろうか。
そんな事今更言われても。それに、クリスマス前でどこも混んでいるだろうと自分を自分で一蹴し、両手にカップを持って、シラハさんの所へ戻る。
シラハさんは、何やらまた、トートバッグの中をごそごそと漁っていた。
いつの間に脱いだのか、コートはたたまれて床に置いてある。今は、細いジーンズに白いハイネックセーターという格好だ。たまに袖口から覗く手首の細さにはどきりとさせられていたが、こうして見ると、脚もすらりとして細長い。こういうのを、モデル体型と言うのだろうか。
二人でお茶をすることなど考えられていない一人暮らし向けのミニテーブルに紅茶とコーヒーを置いて、僕はフローリングの床に座る。
シラハさんが編んだ毛糸の手袋は、両手揃ってミニテーブルの片隅にちょこんと置かれていた。縮こまった手袋は、どこか居心地悪そうにも見える。
「どうぞ、コーヒーでも紅茶でもお好きな方を」
僕が勧めても頷きすらしないシラハさんの横顔を見れば、耳まで赤くなっている。
寒さのせいか、それ以外の理由のせいか。
もしや、プレゼントを渡そうと思っていた相手に何かがあったとか。それで、やり場のない気持ちをどうにかしたくて。
勝手に悪い想像をはじめた僕を尻目に、シラハさんはバッグの中から弓矢を取り出す。
左手で持つのは、ピンクシルバーの弓。それに鈍い金色をした矢をつがえ、弦を引き……。
僕に、狙いを定めた。
「……えっ」
何かの間違いかと思ったが、丸っこいやじりの向こうに見えるシラハさんの涙目は、間違いなく僕を見ている。
キューピッドさんたちの持つ弓矢に殺傷能力は無いと聞いてはいるけれども、弓矢で狙われる事への恐怖は、また別だ。
落ち着こう。矢は色によっていろんな効果があったはずだ。金色の矢は何だった?
恐怖は無知から来るというじゃないか。あの矢で何が起こるか分かれば――。
ひゅっ、と。
最初に、短い風切り音があった。
続いて聞いたのは、とん、と、僕の背後の床に矢が落ちる音。
射抜かれたのだと理解した直後。
僕のものではない思考が、記憶が、流れ込んできた。
滅茶苦茶な濁流は、やがて分解、整理され、現れたのは、触れるのをためらうほど純粋で、抱えるのも大変なくらいに大きな、恋心。
そして、その恋心が向いている先は。
「……分かって、もらえた?」
シラハさんの声に視線を上げるのも、一苦労だった。
無口な一人の女性が心の中で煮詰めに煮詰めた想い。
それは重くて甘くて切なくて恥ずかしくて嬉しくて……筆舌に尽くしがたい。
手芸店で時折見せるシラハさんの嬉しそうな顔は、彼女の気持ちのごく一部が漏れ出ていただけに過ぎなかったらしい。
でも。
振り向けば、黄金色の矢はフローリングの床で鈍く光っている。
この矢は、ただシラハさんの想いを伝えてくれただけではなかった。
数多の感情は僕の中で混ざり合い、心はマーブル模様と化して、思い浮かんだ言葉すらシラハさんの物だったか僕のものだったかも分からなくなっている。
でも、でも。
混ざってしまった気持ちの中に、たしかに存在するのは、シラハさんに好いてもらえていたのが嬉しくてたまらない、という気持ちだ。
そうだ、返事をしなきゃ。
僕も好きです?愛してます?そんな言葉くらいじゃ足りない。
シラハさんのように矢を射ったりできない僕は、どうやって気持ちを伝えればいい?
決まっている。
好きな人にすることなんて。
「っ……!」
驚いたシラハさんの声が、小さく聞こえた。
構いやしない。僕は、こうするしかないと思ったのだから。
頬に添えた手から、シラハさんの体温が伝わってくる。
奪った唇は、リップクリームの味がした。
ミニテーブル越しの、膝立ちでのキス。
不格好な自覚はある。ロマンチックなんて言葉とは程遠い、下手な口付け。
おずおずと、シラハさんの手が僕の手に重ねられる。冷たく細い指におっかなびっくり手の甲を撫でられて、少しだけくすぐったい。
やがて、どちらからともなく唇を離すと、僕とシラハさんは何も言わずに見つめ合う。
言葉を探す必要は無かった。互いの手が、唇が、目が、気持ちを伝えてくれていた。
ゆらり、と傾いたシラハさんの体が、ベッドの上で仰向けになり、スプリングで軽く跳ねる。
示し合わせたように、ミニテーブルを乗り越えた僕はシラハさんの上に覆いかぶさる。
自分のベッドで女の人を押し倒すなんて思ってもいなかった。
こんなに綺麗な人が自分のベッドの上に居るというのも、なんだか不思議だ。
いや、実は今僕は幻を見ているだけで、まばたきをしたらシラハさんは消えてしまっているんじゃないだろうか。
そんな空想をねじ伏せる意味も込めて、再び、シラハさんと唇を重ねる。
間近で見つめ合ったさっきとは違い、今度はただキスを楽しむために、目を閉じる。
控えめな性格だと思っていたけれども、こちらの後頭部を押さえつけて口内に舌をねじ込んでくるシラハさんのキスは、正に貪ると言った感じだ。
そんなに愛されたら、応えないわけにはいかない。
互いの舌を味わうように、濡れた粘膜を絡め合う。
くちゅ、にゅる、と、舌を転がしていると、だんだん、触れているのはどちらのものなのか分からなくなってくる。
飴玉でも舐めているように、口の中が甘くなってくる。混ざりあった唾液を飲むと、お腹の底が熱くなった気がした。
その熱に急かされるように、シラハさんのセーターの裾を掴み、捲り上げる。
腰回りは引き締まっていて、お腹には薄っすらと筋肉がついている。脂肪はほとんどついていない。
胸を隠しているブラジャーは、可愛らしいピンク色。ありがたいことに、外しやすいフロントホックだった。
手探りでどうにかこうにかブラジャーを外して、一旦キスをやめる。
中途半端に服を脱がされたシラハさんの姿は、とても美しい。
褐色の肌は見るからにきめ細やかで、全身に口付けを落としたくなるような欲求に駆られる。
しばらく僕の視線を受けていたシラハさんだったが、急にぷいと横を向いてしまうと、壁を見たまま呟いた。
「……あんまり、見ないで」
「どうして?」
「胸、小さいから……恥ずかしい」
その羞恥の表情こそが男の劣情を煽るだなんて、シラハさんは思ってもいないのだろう。
本人曰く「小さい」胸に手を添えると、シラハさんの口からは「んっ……」という声が漏れた。
確かに、大きくはない。でも、控えめに膨らんだそれは、張りがあるのにふわふわとして柔らかい。
手のひらで胸をこねると、柔らかな弾力を持って指を押し返してくる。色の薄い乳輪を撫で、先端でつんと主張している乳首を摘む。
そうして愛でる度に、シラハさんは可愛らしい喘ぎ声を上げては、恥ずかしそうに目を逸らす。
そんな反応をされたら、もっといじめたくなってしまう。
赤ん坊のように乳首に吸い付くと、シラハさんの喉から「ひゃうっ!?」という素っ頓狂な声が飛び出した。
「待っ……だめ、それ……!」
だめと言われてやめられるはずもない。
舌で乳首を舐めると、シラハさんは腰を浮かせて悶える。軽く歯で噛めばいやいやと首を振り、ちゅうと吸ってみれば、はぁ、と深く息をつく。
面白いように反応してくれるシラハさんの、もっと深くまで触れたくなって、空いていた手を下半身へと伸ばす。
ジーンズを脱がせるのももどかしく、隙間から強引に手を押し込むと、指先に薄い布が触れた。
そのままもう少しだけ下へと指を伸ばすと、ぐちゅ、と、濡れた布の感触。
口では胸をいじめながら、指でシラハさんが悦ぶ箇所を探す。
「やだ、待って、待って……おねがい、だから……」
困ったことに、シラハさんが本当に拒んでいるのか、僕には分からない。
だけど、ショーツの上から秘裂をなぞっただけで上がった「くぅん!」という鳴き声みたいな声は、嫌がっているようには聞こえない。
それどころか、下着はおもらしでもしてしまったかのようにぐちゃぐちゃになってゆく。
触れるほど、愛でるほど、シラハさんの呼吸は浅く短くなり、綺麗なお腹はびくびくと震える。
このまま続ければ、シラハさんは一足先に上り詰めるだろう。でも、そろそろ僕の方も収まりが効かなくなってきた。
「……シラハさん」
胸から口を離して名を呼ぶと、シラハさんはぼんやりとした眼差しをこちらに向けた。
ちょっとだけ恥ずかしかったけれど、ベルトを外したズボンはパンツと一緒に脱ぎ捨てて、上向きに固くなったペニスを晒す。
シラハさんは、とりあえず驚いたようには見えなかった。
しばらく僕の物を見つめてから、緩慢とした動作でジーンズを脱ぎ、ピンク色のショーツから足を抜く。
そして、僕の手を取って、胸に導いた。
柔らかい胸の下で繰り返される鼓動は、驚くほど速い。
「……分かる?」
「はい」
「ごめんね……でも、緊張、しちゃって」
「大丈夫です。シラハさんが落ち着くまで、待ちますから」
「……うん。ごめんね、ありがとう」
一度、二度と深呼吸を繰り返すシラハさんを、ただ、待つ。
きっと、男より女性の方が「はじめて」への不安は大きい。
「……手、繋いでて」
呟いたシラハさんの右手に、僕の左手を重ねる。
手のひらを合わせて、指を絡める、いわゆる恋人繋ぎ。
ただ、手を合わせているだけなのに、胸の奥に温かいものが灯る。シラハさんも同じなのだろう。緊張していた顔に、分かりづらいけれども、ほんの少しだけ、笑みが浮かぶ。
「……うん、これなら、大丈夫」
さっきまであったはずの嗜虐心なんて、とっくにどこかへ行ってしまった。
今は、とにかくシラハさんと愛し合いたい。
おあずけを食らって先走りを垂らしていたペニスに手を添え、シラハさんのアソコに……濡れそぼった秘裂に押し当てる。
そのまま、一気に押し込みたいのは我慢して、ゆっくりと、熱い肉の中をかき分ける。
「痛っ……」
僅かに抵抗を感じた直後、シラハさんの顔が歪んだ。
大丈夫ですか、と訊こうとした僕の頬に、シラハさんはそっと手を添える。
「……だいじょぶ。うん、へいき……いたいいのも……幸せ、だから」
はじめはぼやけていた言葉だったけれども、幸せという言葉だけは、はっきりと言い切った。
本心でもあるけれども、強がりでもあるだろう。
それが愛おしくて、手を繋いだまま、シラハさんの上に身を重ねる。
重くないだろうかと不安になったが、抱きしめてくるシラハさんは、むしろ体重をかけられることを望んでいるようだった。
ぴったりと肌を合わせれば、お互いの鼓動が感じられて、不思議と安心できる。
「……どきどきしてる、ね」
シラハさんは、嬉しそうだった。
もちろん、僕だって嬉しい。
好きな人と同じだというのが、こんなにも嬉しいことだなんて。
「はい。どきどきしてます」
微笑みを交えながら、そっと口付ける。
それが、合図だった。
そっと腰を動かしたのはシラハさんのため……であるつもりだったが、実際には、シラハさんの膣内が気持ちよすぎて、僕がすぐにイかないためにゆるゆるとした動きになったと言ったほうが正しい。
肉の襞が亀頭や竿に絡みついて、背筋がぞくぞくする。こんこんと湧き出す愛液が潤滑剤になってくれているのに、敏感な裏筋を舐める肉壁の感触には心地よいざらつきがあり、情けなく腰が引けそうになってしまう。
「……きもちいい?」
シラハさんの言葉にも、頷くことしかできない。
こんな気持ちいい行為を知ってしまったら、セックスの事しか考えられない頭になってしまう。
それに。
「んっ……ふぅ……」
耳元で聞こえる、シラハさんの甘ったるい吐息。
このゆっくりな行為で、シラハさんも感じてくれている。
愛する人と、快楽を分かち合えている。
それが、肉体的なものだけじゃない喜びを与えてくれる。
抜ける寸前まで腰を引けば、離さないとばかりに媚肉が締め付けてくる。逆に押し込もうとすれば、狭い膣内は余すところなくまとわりついてきて、奥へ奥へと誘う。
ずりゅ、ずりゅ、という濡れた摩擦音は、二人分の荒い吐息に混ざってやけに大きく聞こえる。
激しい快感ではなく、じわじわと高まる性感。
お腹の奥にぐつぐつと熱いものが煮えていくような、緩やかな射精感の高まり。
「……ね」
ふと、シラハさんが耳元でつぶやく。
「ちょうだい?ぜんぶ……」
ふぅ、と、熱い吐息が耳にかけられる。
それは、ぎりぎりの所にあった限界を踏み越えさせる一言だった。
シラハさんの細い体にしがみついて、ぐいと腰を押し付ける。
こつん、とペニスの先端がシラハさんの一番奥にぶつかった途端、お腹の中で煮えたぎっていたものが、弾けた。
「っ、ん……!」
シラハさんの口から、一段と甲高い嬌声が上がる。
激しすぎる絶頂感にシラハさんを強く抱きしめれば、僕の背に回されていた手にも同じくらい強く力が入る。乱れる呼吸に、うねるお腹。性器だけじゃなくて、くっつけあった体で、全身で、愛する人を感じる。
精液を吐き出すペニスにシラハさんの蜜壺はぐちゅぐちゅと絡みついて、子宮口は愛おしむように鈴口にキスをしている。
相手の快感が、自分の快感に。自分の快楽が、相手の快楽に。
今までに感じたことのない悦びと充足感に、声も出なかった。
気付いた時には射精は止まっていて、聞こえるのは、どちらのものかも分からない鼓動と呼吸だけ。
抱き合ったまま、どれほどの間、余韻に浸っていたのか。
身を起こして、僅かに萎えた物をシラハさんの中から引きずり出す。
そのままふらりと後ろに倒れ込みそうになった体は、どうにか両手で支える。
下半身をさらけ出したまま座るのはちょっと間抜けな姿だとは分かっていても、四肢の先は快楽にぴりぴりと痺れてしまっていて、動いてくれない。
そんな動けない僕がぼんやりしている間に、体を起こしたシラハさんは、そのまま四つん這いになり、僕の足の間に顔をうずめる。
そして、小さく呟いた。
「……おそうじ、するね」
ためらうことなく、シラハさんの舌が僕のペニスに這わせられる。
艶のある唇から伸びた赤い舌は宝石のようで、そんなものが愛液と精液にまみれたグロテスクな肉塊に触れているというギャップは、そのまま興奮の大きさに繋がった。
浮き上がった血管や、敏感になっている裏筋や、エラを張った亀頭を舐め回されている内に、たちまち硬さを取り戻してしまったペニスを、シラハさんは大きく口を開けて、咥える。
裏筋に添えられた舌の感触はざらざらとしていて、ゆっくり呑み込まれてゆくのに伴う鋭い快感に腰が浮いてしまいそうになると、シラハさんは僕の腰に手を回して、がっちりと捕まえてしまった。
逃げられない状態で押し付けられる快感から、反射的にシラハさんの顔に腰を押し付けるような動きをしてしまう。
でも、異物が喉奥まで来ているのだから苦しいはずなのに、シラハさんの目に苦しげな色は見られない。
それどころか、嬉しそうに目を細めている。
「んっ、ぶっ……むぅっ……」
竿と唇の隙間からうめき声のようなものを漏らしながら、シラハさんはおもむろに口全体を使った奉仕を始める。
口をすぼめながら引き抜き、よだれでぬらぬらと光る竿が覗いたと思えば、舌と唇が亀頭を苛め、その感触に背をのけぞらせた途端、また根本まで呑み込まれる。
だが、直接的な刺激以上に、シラハさんが奉仕してくれているという事実が、何よりも興奮を煽る。
凛々しく綺麗な顔立ちを歪め、じゅぽじゅぽと音を立てながら、下品なフェラチオを繰り返す。
ついさっき大量に射精したはずなのに、もう、下腹部にはぐつぐつと熱が煮えてきている。これをシラハさんの口の中に思いっきりぶちまけたら、どれだけ気持ちいいだろうか。
想像するだけでぞくぞくして、たまらなくなった。
「っ……」
抗えない快楽に導かれるまま、どくん、と音が聞こえそうな、塊のような精液が吐き出されて、体が震える。
その間にも、シラハさんはすぼめた頬の内側と舌で、射精を促し続ける。
何度も喉を鳴らして精液を飲み込むシラハさんの目は、とろんと蕩けていた。
ちゅぽん、と音を立てて口から抜けたペニスは、まだ反り返ったまま。
立て続けに大量の射精をしても、体はシラハさんを求め続けている。
「……今度は、私が」
ベッドの上で膝立ちになったシラハさんが、じりじりとにじり寄ってくる。
拒む理由は無かった。
絶頂を繰り返しても、嬌声が悲鳴のようになっても。
もっと、愛し合いたい。
それしか考えられなかった。
…………
「……おはよう」
目を開ければ、息がかかる距離にシラハさんの顔があった。
切れ長の目に、シミひとつ無い肌。一緒のベッドに入っていた事に驚くよりも先に、その美しさに見とれてしまう。
「おはようございます……今、何時でしょうか」
「……お昼過ぎ。十二時半」
そんなに寝ていたのか、とだるい頭の中で感心する。
いつまで交わっていたのか。具体的な時間は分からないものの、カーテンの隙間から見える空は白み始めていた気がする。
「あ……そうだ」
僕の頭を撫でながら、シラハさんは微笑む。
「めりー、くりすます」
「……そっか。今日、イブだっけ」
「うん」
「シラハさん、欲しいプレゼントとかありますか?」
「……だいじょぶ。最高のプレゼント、もらったから」
はて、何かあげただろうか。
疑問符を浮かべてしまったが、シラハさんにぎゅっと強く抱きしめられ、理解する。
「でも、僕はシラハさんと手袋の二つを貰ったので、不公平ですよね」
「そう?」
「そうですよ」
「じゃあ、何か……あっ」
話の途中、何かに驚いたシラハさんの視線は、僕の上を通り過ぎた。
釣られて追いかけた視線は、カーテンの隙間へ。
「わっ」
それを見た僕の口からも、驚きの声が漏れた。
細く覗く灰色の空。その空から、白い雪がはらはらと舞っていた。
ホワイトクリスマス。あの日、ラジオの天気予報が言っていた通りになった。
どうしてクリスマスに雪が降るというだけで、こんなにもロマンチックで特別な日に感じられてしまうのだろう。
雪になるくらいなんだからとても寒いというのは分かっていても、なんだか、街に出れば素敵なことが待っているような気までしてしまう。
それに、せっかく編んでもらった手袋だって、使ってほしそうにテーブルの上で待っているじゃないか。
考えるほどに理由は浮かぶ。でも、根っこにあるのは、とても単純な理由だけ。
恋人と……シラハさんと、クリスマスデートをしたいだけだ。
「シラハさん」
「なぁに?」
「ケーキ、買いに行きませんか?」
「……うん。チキンも」
「そうですね。今日は、存分にメリークリスマスしましょう」
「うん。メリークリスマスしたい」
「……メリークリスマスする、ってなんでしょう」
「なんだろ……ツリー飾る?」
そんな風に笑いながら、僕もシラハさんもなかなかベッドから、いや、お互いの体から離れられない。
触れ合った箇所から伝わる全てが愛おしくて、どうにも手放すのが惜しくなってしまう。
耳にかかる吐息も、押し付けられた小さな胸も、その奥で鳴っている鼓動も、絡められた脚も。全身で感じられるシラハさんの存在が心地よくて、幸せで……。
「……ふふっ」
不意に、シラハさんはどこかいたずらっぽく笑った。
どうしたのだろう、と思った直後に、気がつく。
いつの間にやら大きくなってしまった僕の物が、僕とシラハさんのお腹の間に挟まれてしまっている。
「あっ、いや、これは……」
「……いいよ。私も、したいと思ってたから」
いたずらっぽい笑みはそのままに、僕の額に軽くキスを落としたシラハさんが、僕を仰向けに転がし、上に跨る。
どうしてだろうか。曇り空とカーテンで薄暗い部屋の中でも、シラハさんのすらりとした体ははっきりと見える。紅潮した顔を見れば、すぐには終わらないだろうということも分かる。
まあ、でも、いいだろう。それを、お互いが望んでいるのだから。
膝立ちになり、少しずつ腰を落とすシラハさんの膣内に、反り返っていたペニスが呑み込まれてゆく。
ずるずると、濡れた熱い肉をかき分ける感触は、ぞくぞくするほどに気持ち良い。
ゆっくり、ゆっくりと、肉襞の一つ一つで味わうように腰を下ろす。
そうして、とん、と、シラハさんの一番奥に、僕の物の先端がぶつかる。その小さな衝撃がどれほどの快楽に変わったのか、シラハさんは背を丸め、体を痙攣させた。
膣内は蠢き、ぎゅうぎゅうと痛いほどに締め付けられ、まだ入れただけだと言うのに、僕も射精してしまいそうになる。
しばらくして、ふー、ふー、と息を荒くしたまま、シラハさんは言った。
「……思いついた」
本当に良い思いつきだとでも言うような、自信たっぷりの表情。
そっと体を前に傾け、ぴったりと僕の体に覆いかぶさる。子宮が降りてしまっているのか、子宮口に鈴口が擦れ、鋭い痛みにも似た快感が走る。
だが、シラハさんは僕を逃がそうとしない。
それどころか、僕の体をしっかり抱きしめると、興奮を隠そうともしない息遣いもそのままに、僕の耳元に口を近づけ、囁いた。
「私、子どもが欲しい……な」
熱っぽい言葉に、ぞくり、と肌が粟立つ。
シラハさんの目は冗談でも何でもなく、本気でその「プレゼント」を欲しがっていた。
期待と不安と情欲と、色々なもので痺れてしまった頭の片隅で、未だ待たされている毛糸の手袋に詫びる。
どうやら、今日はケーキもチキンも、買いに行けそうにない。
……………………
シラハには何か趣味がないの?という同僚の言葉は、私が思っていた以上に、私の心に深々と突き刺さってしまったらしい。
いつもはぼんやりと帰るだけの道で、何か心惹かれるものはないだろうかとウィンドウを眺めてしまうくらいなのだから。
仕事道具でもあり私物でもある弓矢が入った鞄を背負ったまま、ウィンドウに、あるいは看板に、私の目は流れてゆく。
本、プラモデル、自転車、おもちゃ、ボードゲーム、料理……。
賑わう商店街には、今まで気にもかけていなかったのが不思議になるくらい、色々なお店がある。
でも、どれもしっくり来ない。私がそれをしている姿、というものが想像できない。
半ば諦めかけていた私が手芸用品店の前で足を止めたのも、ドアが開けっ放しでちょっとだけ入りやすい気がしたから、なんて後ろ向きな理由。
私は、手先が器用な方ではない。不器用だとも思っている。仕事で弓を射るときも、いつか外すんじゃないかと内心怯えているくらいだ。
入る時に少しだけガラスのドアを押してみれば、ドアベルが、カラン、と澄んだ音を立てた。
寒色系の照明が灯る薄暗い店内には、色とりどりの毛糸や布が並んでいる。
棚の間を歩くと、何か、懐かしいような匂いに包まれた。
そうだ、確か、母の使っていた裁縫箱がこんな匂いだった。
郷愁を胸に、店内を眺める。
角にあった低いテーブルには、教本付きの初心者向けセットが積まれている。教本の対象年齢はばらばらだが、いずれも、「誰でもできる」「簡単」と言った謳い文句が付いている。
誰でもできる。私のような不器用なキューピッドにも?
妙な皮肉が浮かんで、自嘲の笑みが出そうになるのをこらえる。
そんな事をしながら店の中をいつまでも歩き回っていた私の前に、ひょこっと、一人の男の子が顔を出した。
「何かお探しですか?」
このお店の後継ぎなのか、アルバイトなのか。緑色のエプロンを着けた、私よりも頭一つほど小さい、若い店員さんだった。
その姿を見た途端。
気まずさよりも、恥じらいよりも。求める気持ちが、最初に来た。
この人のことを知りたい。私のことを知ってほしい。この人と、仲良くなりたい。
あるいは、これがきっと一目惚れというものなのかもしれない。
私の視線は、男の子の目から、エプロンの前で重ねられた手に。
そして、男の子の少し後ろにある、初心者向けのセットへ。
誰でもできる。
じゃあ、きっと、口下手で、不器用な私にも。
そう思ってしまったら、もう、止まらなかった。
意を決して、精一杯愛想の良さそうな声で、尋ねる。
この場限りにならないように、願いながら。
「……その。毛糸の手袋とか作るのに、はじめてなら、何を買えばいい……ですか?」
それは、きっと気のせいではない。
友人に、家族に、恋人に。
大事な人を想う気持ちが鈴の音に変わって、そこかしこで澄んだ音を立てている。
無論、僕がアルバイトをしているこの小さな手芸用品店も、クリスマス前の空気を纏うことから逃れられていない。
通りに面したウィンドウには緑と赤のテープで飾り付けがなされ、「プレゼントの包装承ります」という張り紙は、少し斜めになりながら、行き交う人に主張している。
店に入ってすぐの特設コーナーには、手編みのマフラーや手袋を作るための道具一式に、入門書。
小さな店だが、商店街の中にある手芸用品店を頼ってくる客は少なくない。今年の冬に備えて仕入れた在庫は、クリスマスまでにひとまず捌けそうだった。
しかし。
「……今日は、暇だな」
寒色系の薄ぼんやりとした店内で、ついつい呟いてしまう。
カウンターに頬杖をついてしまいそうなのをぐっと堪えて、見るともなく外を眺める。
足早に店の前を過ぎてゆく人々は、みんな防寒着でもこもこに着膨れている。帰り道が凍っていなければいいが。
カウンターに置いてあるラジオからは、パーソナリティのエンディングトークが聞こえる。今年はホワイトクリスマスになるそうですよ、というラジオパーソナリティの声は、浮かれた気持ちを隠そうともしていない。
二階では、手芸教室を開いている女郎蜘蛛の奥さんが何か冗談を言ったのか、生徒たちの笑い声が階下まで降ってきた。
時計の針は、もうすぐ五時を指そうかというところ。
和やかな針のお稽古が終わる時間で、配達に行っているこの店の旦那さんが戻ってくる時間でもある。
そうなれば、店番をしている僕もお疲れ様でしたまた明日、となる。
しかし、こうして暇を潰しているだけでお給金を頂くのは、ちょっと気が引ける。
帰る前に、せめて店内の掃除は丹念にしておこうと、前時代的なはたきを手にカウンターを出て、商品棚をぽんぽんと払う。
ラジオからは、僕が生まれる前に作られたのに今でも毎年どこかしらで流れている、おなじみのクリスマスソングが流れ始めていた。
そのリズムに合わせて、指揮棒のようにはたきを振るう。
ウィンドウのそばまで来たついでに空を見上げてみれば、灰色の雲が商店街の上を覆っていた。ホワイトクリスマスどころか、今にも雪が降り出しそうだった。だから、みんな家路を急いでいるのかもしれない。
今年のクリスマスは、どうしようか。
実家に帰る気分でもないし、男友達と遊ぶのはなんだか負けたような気がする。かと言って、大多数の人がそうするような、一緒に過ごせる恋人も居ない。
ぼんやりと思案を巡らせていると、背後で、からん、とドアベルが音を立てた。
振り向いて客の姿を確認するより早く、「いらっしゃいませ」と一段高い接客用の声色を使う。
だが、客の顔を見て「おや」と出てきた声は、自分でも分かるほど親しみが篭っていた。
「こんにちは。お仕事帰りですか?」
僕の挨拶に、お客さんは――キューピッドのシラハさんは、表情を変えずに頷いた。
肩まであるピンク色の癖っ毛にもこもことした白い帽子を乗せ、首に巻いたマフラーも真っ白。褐色の頬は寒さのせいか、微かに赤い。着ている黒いチェスターコートは男物に見えるが、それが凛々しい顔立ちとすらっとした高身長にはよく似合っている。
でも、一番目を引くのは、肩から提げている、子どもくらいなら入ってしまいそうなほどに大きなトートバッグだろう。その大きさもさることながら、口から飛び出しているハートの形をしたやじりとピンクシルバーの弓は、誰でも気になってしまうはずだ。
彼女、シラハさんがこの手芸店を訪れるようになったのは、ひと月ほど前、十一月の半ば頃のこと。
冬の気配も濃厚になった、ある平日の夕暮れ時。
ふらりと店にやってきて、無表情でずいぶん長いこと棚の間をうろうろしていたキューピッドに、僕は若干の警戒心を押し隠しつつ、丁寧に対応を図った。
「何かお探しですか?」と言われたことに僅かに驚いた様子を見せ、そして自分の行動を省みたのか恥ずかしそうに、彼女は答えた。
「……その。毛糸の手袋とか作るのに、はじめてなら、何を買えばいい……ですか?」
店内に流れていたラジオの音にも負けそうな、蚊の鳴くような声だった。
しかし、かろうじて聞き取れた彼女の言葉に、僕はなるほどと内心で合点した。
一ヶ月も前からと言う人もいるだろうが、準備期間も考えれば、十一月の内からクリスマスプレゼントについて意識し始めるのは、決して早くはない。
きっと、このキューピッドさんは、大切な人への贈り物として手編みで何かを作ろうと思っているのだろう。
愛情を向ける先があることへの羨ましさと、独り身の学生としての寂しさを飲み込んで、初心者向けのセットを見繕った。
最後に、編み物教室もやっていますが、と言う勧誘をしてみたものの、彼女はそれには首を横に振り、僕が選んだ何冊かの教本と、毛糸、それに、ピンク色の編み棒を買っていった。
そしてそれ以来、シラハさんはたびたび、店へ来るようになった。
来るのは、いつも夕方。
名札付きの弓矢を持っているのは仕事帰りであるからだと気付いたのは、最近のこと。
この国において、クリスマスと色恋沙汰は切っても切れない関係にある。
エロスという神様に仕えている彼女たちは、あちらこちらで恋人たちに世話を焼くのが仕事だ。宗教の垣根なんてあってないようなもの。この時期は相当に忙しいのだろうなと、目の下にクマをつくったキューピッドさんに同情したりもした。
頻繁に毛糸を買っていくのは、それだけ熱心に練習をしているという事なのだろう。仕事で疲れているのに、慣れない手つきで編み針を操り糸を手繰る姿を想うと、接客の声にもねぎらいの気持ちが混ざってくる。
今日もまた、シラハさんは真剣な目つきで、棚に並んだ毛糸を吟味している。
太さや色が違えば、出来上がりも違ってくる。
好きな人に合う色を考えるのが楽しいのよ、とはこの店の女主人の言葉だが、なるほど、シラハさんの横顔は、どこか楽しそうだ。
「……あの」
毛糸選びの邪魔をしないようにカウンターで待っていようと思ったが、小さい声に振り向けば、シラハさんの視線はこちらを向いている。
今まであちらから何かを言ってきたのは最初の一度だけだったので、少々驚く。あるいは、小さいから気付かなかっただけで今までにも声をかけられていた可能性もあるが。
「なんでしょう?」
「手袋の色、何色が、いいかな……って」
色。
色とだけ言われても困ってしまう。
「そうですね……えっと、どんな人が着ける物なんですか?」
尋ねてみると、シラハさんの綺麗な形をした眉が少しだけ曲がり、視線はさまよう。
人のイメージを言葉にするというのは、意識してみると難しいものである。意地悪な質問になってしまったかな、と別の訊き方を考えていると、シラハさんは僕の頭頂部あたりに目線をやって、ぽつりぽつりと言った。
「……男の子。かっこいいよりは、かわいい……と、思う」
男の子、ということは。
この人も、素敵な誰かと愛に満ちたクリスマスを過ごす予定なのだろう。
理解した途端、微かに胸の奥が痛んだ。
その痛みに、自嘲する。
この人は、ただのお客さんなのに。僕は何を。
「かわいい系の男の子ですか。それでしたら……」
何でもないように答えたつもりだが、声色に出てしまっていなかっただろうか。
揺れてしまった感情の振り子を抑え込み、そうですね、と考える。
赤、は少々派手だろうか。青は落ち着きすぎているようにも思える。緑は、似合う似合わないがはっきりしすぎていて、不確定な時に選ぶのは気が引ける。
顔も知らないキューピッドさんの想い人を想像し、結局、無難であろうという色を取る事にした。
「水色、なんていかがでしょう」
明るめの色だが、かわいい系だというのなら平気だろう。
「……水色」
「はい。男性なら青系が無難……って言うのは、僕のイメージかもしれませんけど」
最終的に決めるのはシラハさんですから、と内心で付け加える。
だが、シラハさんはどうやら僕の提案がしっくり来たようで、何度か頷くと、水色の毛糸玉を三つほど手に取った。
「じゃあ。これください」
「はいはい」
カウンターに戻り、手早く会計を済ませる。
お釣りを渡す時、シラハさんの指の細さに見とれてしまったのがなんだか悔しかった。
「手袋、喜んでもらえるといいですね」
毛糸を入れた紙袋を渡す時にそう言ってみると、シラハさんは口の端にほんの少しだけ笑みを浮かべて頷いた。
普段は人に幸せを与えて回っているであろう、この綺麗なキューピッドさんが、クリスマスというイベントを介して自分も幸せになれるのならば、何よりだ。
寂しいという気持ちも、否定はできないが。
…………
クリスマスイブとクリスマス及びその前後一日、つまりは二三日から二六日まで、手芸店は計四日の連休に入る。
店主の女郎蜘蛛さんと旦那さんが、クリスマスということでお出かけをするらしい。
とても夫婦仲の良い二人が毎日忙しそうにしているのはそばで見ているので、めいっぱい羽根を伸ばしてきてくれるのを願うばかりだ。買ってきてくれるというお土産は、楽しみにさせてもらおう。
問題は、独り身で予定もないままクリスマスに放り出されてしまった、と言うことだろう。
「……はぁ」
ため息は白く伸びて、冬の空気に消えた。
下宿にいてもやる事はないので、軽い気持ちでぶらりと街には出てみたものの、いよいよ明日はクリスマスイブともなれば、そこかしこは手を繋いで歩く恋人たちに溢れ、お仕事をしている人ですら楽しそうに見えてしまう。
すれ違った親子連れは、どこかに食事でも行くのだろうか、両親に挟まれた子どもが食べ物の名前を列挙している。ウェディングドレスが飾られたウィンドウの前で立ち止まっているカップルは、すっかり二人だけの世界と言った様子。
なんだか、自分が酷く場違いな存在に思えてきてしまい、マフラーを口元まで引き上げる。
冷えた素手をコートのポケットに突っ込んで向かう先は、自分でも分からない。
考えよう。華やかな街に混ざれるような何かを。
そうだ。冬休みの間せっせとアルバイトに励んでいたことを褒めてやる意味を込めて、自分に何かクリスマスプレゼントでも買ってやろうか。
気になっているゲームがあった。服も買いたい。それに、コンビニでチキンとケーキでも買えば、きっと充分幸せだ。
現実逃避をしつつも、人にぶつからない程度の最低限の注意だけを払っていたつもりだった。
しかし、不意に視界に捉えた姿には、ついつい視線が吸い込まれてしまった。
「……あれ」
手芸用品店の看板の下に立っている、黒いコートを着た女性。
常連のキューピッド、シラハさんが、そこに居た。
同じタイミングで、向こうもこちらに気付いたらしい。軽い会釈に手を上げて応え、不安半分喜び半分で近付く。
「どうしたんですか?今日は、お店お休みですよ」
クリスマス本番には、まだ少しだけ時間がある。
頑張って作っていたが完成前に材料が足りなくなって買いに来た、という可能性はある。
だが、こちらの質問には答えず、シラハさんは肩にかけていたいつものトートバッグの中をごそごそと漁り始める。
仕事帰りには早い時間なのに、弓矢は入れっぱなし。もしかして、仕事道具じゃなくて私物なのだろうか。
僕がそんな事を思っている間にシラハさんがバッグから取り出したのは、水色の手袋。
指の長さはちぐはぐで、網目の大きさもばらばら。ちょっと不格好だが、一応完成はしているように見える。
「……あ、もしかして」
僕の言葉に頷いたシラハさんに、すみませんが、と謝罪をする。
店のウィンドウに貼られたままになっているのは、「プレゼントの包装承ります」の張り紙。
「ラッピングのサービスは、昨日までだったんです。貼り紙剥がしておけば良かったですね」
渡す時にはちゃんとした包装を、と思って来ていたのかもしれない。
そうであれば、期待をさせてしまったのはどうにも申し訳ない。
しかし、シラハさんは、今度は首を横に振った。
「じゃあ、どうして……」
言ってから、一つの可能性が思い浮かぶ。
もしや、この手袋を、僕に。
それはあまりにも希望にあふれていて、本当にそうであれば舞い上がってしまいそうなほど喜ばしくて、しかし違った時の恥ずかしさを思うととても口に出せない発想だった。
いや、でも、もしかしたら、万に一つくらいは。
困ったことに、走光性の思考は、一度思いついてしまった華やかな可能性にしがみついてしまう。
いっそ、それをシラハさん本人が否定してくれたら。
何か、何かを言ってくれないか。イエスでもノーでも。
すがる思いでシラハさんの目を見ると――。
「……えっ」
泣いていた。
いや、まだ泣いてはいない。
泣きそうになっていた。
目尻にたまった涙は、今にも頬を伝いそうだ。
「ど、どうしたんですか!?」
自分で自分の大声に驚いてしまい、それから、向けられた好奇の視線に気まずくなる。
何より、泣きそうなシラハさんを目立たせてしまうのは、好ましくない。
「と、とりあえず、うちへどうぞ!ここから近いんで!」
後先考えず、シラハさんの冷たい手を取って駆け出す。
手芸店から下宿のアパートまでは歩いて十分ほどの距離だが、今回ばかりは、数十秒にも数時間にも感じられた。
鍵を入れたポケットも分からなくなるくらい焦りながらもどうにかドアを開ければ、出かける前まで点けていた暖房の空気は、まだ部屋に残ってくれていた。
狭いだとかゲーム機を片付けてないだとか色々な事はひとまず置いておいて、手を引かれるままになっていたシラハさんには、座布団……も椅子も無いので、ベッドに座ってもらう。
そして、シラハさんが落ち着く時間を取るついでに、温かい飲み物でも用意しようと、僕はキッチンに立つ。
保温のランプが点いているポットから、ティーバッグを入れたカップにお湯を注ぐ。シラハさんが紅茶は嫌いだった時のために、一応コーヒーも用意。
そうこうしている内に、僕の頭の中も落ち着いてきた。
冷静な思考の第一声は、慌てていたとは言え女性を家に連れ込むというのはどうなのだろうというもの。
お店はいくらでもあるのだから、お茶を飲める場所にでも入ればよかったのではないだろうか。
そんな事今更言われても。それに、クリスマス前でどこも混んでいるだろうと自分を自分で一蹴し、両手にカップを持って、シラハさんの所へ戻る。
シラハさんは、何やらまた、トートバッグの中をごそごそと漁っていた。
いつの間に脱いだのか、コートはたたまれて床に置いてある。今は、細いジーンズに白いハイネックセーターという格好だ。たまに袖口から覗く手首の細さにはどきりとさせられていたが、こうして見ると、脚もすらりとして細長い。こういうのを、モデル体型と言うのだろうか。
二人でお茶をすることなど考えられていない一人暮らし向けのミニテーブルに紅茶とコーヒーを置いて、僕はフローリングの床に座る。
シラハさんが編んだ毛糸の手袋は、両手揃ってミニテーブルの片隅にちょこんと置かれていた。縮こまった手袋は、どこか居心地悪そうにも見える。
「どうぞ、コーヒーでも紅茶でもお好きな方を」
僕が勧めても頷きすらしないシラハさんの横顔を見れば、耳まで赤くなっている。
寒さのせいか、それ以外の理由のせいか。
もしや、プレゼントを渡そうと思っていた相手に何かがあったとか。それで、やり場のない気持ちをどうにかしたくて。
勝手に悪い想像をはじめた僕を尻目に、シラハさんはバッグの中から弓矢を取り出す。
左手で持つのは、ピンクシルバーの弓。それに鈍い金色をした矢をつがえ、弦を引き……。
僕に、狙いを定めた。
「……えっ」
何かの間違いかと思ったが、丸っこいやじりの向こうに見えるシラハさんの涙目は、間違いなく僕を見ている。
キューピッドさんたちの持つ弓矢に殺傷能力は無いと聞いてはいるけれども、弓矢で狙われる事への恐怖は、また別だ。
落ち着こう。矢は色によっていろんな効果があったはずだ。金色の矢は何だった?
恐怖は無知から来るというじゃないか。あの矢で何が起こるか分かれば――。
ひゅっ、と。
最初に、短い風切り音があった。
続いて聞いたのは、とん、と、僕の背後の床に矢が落ちる音。
射抜かれたのだと理解した直後。
僕のものではない思考が、記憶が、流れ込んできた。
滅茶苦茶な濁流は、やがて分解、整理され、現れたのは、触れるのをためらうほど純粋で、抱えるのも大変なくらいに大きな、恋心。
そして、その恋心が向いている先は。
「……分かって、もらえた?」
シラハさんの声に視線を上げるのも、一苦労だった。
無口な一人の女性が心の中で煮詰めに煮詰めた想い。
それは重くて甘くて切なくて恥ずかしくて嬉しくて……筆舌に尽くしがたい。
手芸店で時折見せるシラハさんの嬉しそうな顔は、彼女の気持ちのごく一部が漏れ出ていただけに過ぎなかったらしい。
でも。
振り向けば、黄金色の矢はフローリングの床で鈍く光っている。
この矢は、ただシラハさんの想いを伝えてくれただけではなかった。
数多の感情は僕の中で混ざり合い、心はマーブル模様と化して、思い浮かんだ言葉すらシラハさんの物だったか僕のものだったかも分からなくなっている。
でも、でも。
混ざってしまった気持ちの中に、たしかに存在するのは、シラハさんに好いてもらえていたのが嬉しくてたまらない、という気持ちだ。
そうだ、返事をしなきゃ。
僕も好きです?愛してます?そんな言葉くらいじゃ足りない。
シラハさんのように矢を射ったりできない僕は、どうやって気持ちを伝えればいい?
決まっている。
好きな人にすることなんて。
「っ……!」
驚いたシラハさんの声が、小さく聞こえた。
構いやしない。僕は、こうするしかないと思ったのだから。
頬に添えた手から、シラハさんの体温が伝わってくる。
奪った唇は、リップクリームの味がした。
ミニテーブル越しの、膝立ちでのキス。
不格好な自覚はある。ロマンチックなんて言葉とは程遠い、下手な口付け。
おずおずと、シラハさんの手が僕の手に重ねられる。冷たく細い指におっかなびっくり手の甲を撫でられて、少しだけくすぐったい。
やがて、どちらからともなく唇を離すと、僕とシラハさんは何も言わずに見つめ合う。
言葉を探す必要は無かった。互いの手が、唇が、目が、気持ちを伝えてくれていた。
ゆらり、と傾いたシラハさんの体が、ベッドの上で仰向けになり、スプリングで軽く跳ねる。
示し合わせたように、ミニテーブルを乗り越えた僕はシラハさんの上に覆いかぶさる。
自分のベッドで女の人を押し倒すなんて思ってもいなかった。
こんなに綺麗な人が自分のベッドの上に居るというのも、なんだか不思議だ。
いや、実は今僕は幻を見ているだけで、まばたきをしたらシラハさんは消えてしまっているんじゃないだろうか。
そんな空想をねじ伏せる意味も込めて、再び、シラハさんと唇を重ねる。
間近で見つめ合ったさっきとは違い、今度はただキスを楽しむために、目を閉じる。
控えめな性格だと思っていたけれども、こちらの後頭部を押さえつけて口内に舌をねじ込んでくるシラハさんのキスは、正に貪ると言った感じだ。
そんなに愛されたら、応えないわけにはいかない。
互いの舌を味わうように、濡れた粘膜を絡め合う。
くちゅ、にゅる、と、舌を転がしていると、だんだん、触れているのはどちらのものなのか分からなくなってくる。
飴玉でも舐めているように、口の中が甘くなってくる。混ざりあった唾液を飲むと、お腹の底が熱くなった気がした。
その熱に急かされるように、シラハさんのセーターの裾を掴み、捲り上げる。
腰回りは引き締まっていて、お腹には薄っすらと筋肉がついている。脂肪はほとんどついていない。
胸を隠しているブラジャーは、可愛らしいピンク色。ありがたいことに、外しやすいフロントホックだった。
手探りでどうにかこうにかブラジャーを外して、一旦キスをやめる。
中途半端に服を脱がされたシラハさんの姿は、とても美しい。
褐色の肌は見るからにきめ細やかで、全身に口付けを落としたくなるような欲求に駆られる。
しばらく僕の視線を受けていたシラハさんだったが、急にぷいと横を向いてしまうと、壁を見たまま呟いた。
「……あんまり、見ないで」
「どうして?」
「胸、小さいから……恥ずかしい」
その羞恥の表情こそが男の劣情を煽るだなんて、シラハさんは思ってもいないのだろう。
本人曰く「小さい」胸に手を添えると、シラハさんの口からは「んっ……」という声が漏れた。
確かに、大きくはない。でも、控えめに膨らんだそれは、張りがあるのにふわふわとして柔らかい。
手のひらで胸をこねると、柔らかな弾力を持って指を押し返してくる。色の薄い乳輪を撫で、先端でつんと主張している乳首を摘む。
そうして愛でる度に、シラハさんは可愛らしい喘ぎ声を上げては、恥ずかしそうに目を逸らす。
そんな反応をされたら、もっといじめたくなってしまう。
赤ん坊のように乳首に吸い付くと、シラハさんの喉から「ひゃうっ!?」という素っ頓狂な声が飛び出した。
「待っ……だめ、それ……!」
だめと言われてやめられるはずもない。
舌で乳首を舐めると、シラハさんは腰を浮かせて悶える。軽く歯で噛めばいやいやと首を振り、ちゅうと吸ってみれば、はぁ、と深く息をつく。
面白いように反応してくれるシラハさんの、もっと深くまで触れたくなって、空いていた手を下半身へと伸ばす。
ジーンズを脱がせるのももどかしく、隙間から強引に手を押し込むと、指先に薄い布が触れた。
そのままもう少しだけ下へと指を伸ばすと、ぐちゅ、と、濡れた布の感触。
口では胸をいじめながら、指でシラハさんが悦ぶ箇所を探す。
「やだ、待って、待って……おねがい、だから……」
困ったことに、シラハさんが本当に拒んでいるのか、僕には分からない。
だけど、ショーツの上から秘裂をなぞっただけで上がった「くぅん!」という鳴き声みたいな声は、嫌がっているようには聞こえない。
それどころか、下着はおもらしでもしてしまったかのようにぐちゃぐちゃになってゆく。
触れるほど、愛でるほど、シラハさんの呼吸は浅く短くなり、綺麗なお腹はびくびくと震える。
このまま続ければ、シラハさんは一足先に上り詰めるだろう。でも、そろそろ僕の方も収まりが効かなくなってきた。
「……シラハさん」
胸から口を離して名を呼ぶと、シラハさんはぼんやりとした眼差しをこちらに向けた。
ちょっとだけ恥ずかしかったけれど、ベルトを外したズボンはパンツと一緒に脱ぎ捨てて、上向きに固くなったペニスを晒す。
シラハさんは、とりあえず驚いたようには見えなかった。
しばらく僕の物を見つめてから、緩慢とした動作でジーンズを脱ぎ、ピンク色のショーツから足を抜く。
そして、僕の手を取って、胸に導いた。
柔らかい胸の下で繰り返される鼓動は、驚くほど速い。
「……分かる?」
「はい」
「ごめんね……でも、緊張、しちゃって」
「大丈夫です。シラハさんが落ち着くまで、待ちますから」
「……うん。ごめんね、ありがとう」
一度、二度と深呼吸を繰り返すシラハさんを、ただ、待つ。
きっと、男より女性の方が「はじめて」への不安は大きい。
「……手、繋いでて」
呟いたシラハさんの右手に、僕の左手を重ねる。
手のひらを合わせて、指を絡める、いわゆる恋人繋ぎ。
ただ、手を合わせているだけなのに、胸の奥に温かいものが灯る。シラハさんも同じなのだろう。緊張していた顔に、分かりづらいけれども、ほんの少しだけ、笑みが浮かぶ。
「……うん、これなら、大丈夫」
さっきまであったはずの嗜虐心なんて、とっくにどこかへ行ってしまった。
今は、とにかくシラハさんと愛し合いたい。
おあずけを食らって先走りを垂らしていたペニスに手を添え、シラハさんのアソコに……濡れそぼった秘裂に押し当てる。
そのまま、一気に押し込みたいのは我慢して、ゆっくりと、熱い肉の中をかき分ける。
「痛っ……」
僅かに抵抗を感じた直後、シラハさんの顔が歪んだ。
大丈夫ですか、と訊こうとした僕の頬に、シラハさんはそっと手を添える。
「……だいじょぶ。うん、へいき……いたいいのも……幸せ、だから」
はじめはぼやけていた言葉だったけれども、幸せという言葉だけは、はっきりと言い切った。
本心でもあるけれども、強がりでもあるだろう。
それが愛おしくて、手を繋いだまま、シラハさんの上に身を重ねる。
重くないだろうかと不安になったが、抱きしめてくるシラハさんは、むしろ体重をかけられることを望んでいるようだった。
ぴったりと肌を合わせれば、お互いの鼓動が感じられて、不思議と安心できる。
「……どきどきしてる、ね」
シラハさんは、嬉しそうだった。
もちろん、僕だって嬉しい。
好きな人と同じだというのが、こんなにも嬉しいことだなんて。
「はい。どきどきしてます」
微笑みを交えながら、そっと口付ける。
それが、合図だった。
そっと腰を動かしたのはシラハさんのため……であるつもりだったが、実際には、シラハさんの膣内が気持ちよすぎて、僕がすぐにイかないためにゆるゆるとした動きになったと言ったほうが正しい。
肉の襞が亀頭や竿に絡みついて、背筋がぞくぞくする。こんこんと湧き出す愛液が潤滑剤になってくれているのに、敏感な裏筋を舐める肉壁の感触には心地よいざらつきがあり、情けなく腰が引けそうになってしまう。
「……きもちいい?」
シラハさんの言葉にも、頷くことしかできない。
こんな気持ちいい行為を知ってしまったら、セックスの事しか考えられない頭になってしまう。
それに。
「んっ……ふぅ……」
耳元で聞こえる、シラハさんの甘ったるい吐息。
このゆっくりな行為で、シラハさんも感じてくれている。
愛する人と、快楽を分かち合えている。
それが、肉体的なものだけじゃない喜びを与えてくれる。
抜ける寸前まで腰を引けば、離さないとばかりに媚肉が締め付けてくる。逆に押し込もうとすれば、狭い膣内は余すところなくまとわりついてきて、奥へ奥へと誘う。
ずりゅ、ずりゅ、という濡れた摩擦音は、二人分の荒い吐息に混ざってやけに大きく聞こえる。
激しい快感ではなく、じわじわと高まる性感。
お腹の奥にぐつぐつと熱いものが煮えていくような、緩やかな射精感の高まり。
「……ね」
ふと、シラハさんが耳元でつぶやく。
「ちょうだい?ぜんぶ……」
ふぅ、と、熱い吐息が耳にかけられる。
それは、ぎりぎりの所にあった限界を踏み越えさせる一言だった。
シラハさんの細い体にしがみついて、ぐいと腰を押し付ける。
こつん、とペニスの先端がシラハさんの一番奥にぶつかった途端、お腹の中で煮えたぎっていたものが、弾けた。
「っ、ん……!」
シラハさんの口から、一段と甲高い嬌声が上がる。
激しすぎる絶頂感にシラハさんを強く抱きしめれば、僕の背に回されていた手にも同じくらい強く力が入る。乱れる呼吸に、うねるお腹。性器だけじゃなくて、くっつけあった体で、全身で、愛する人を感じる。
精液を吐き出すペニスにシラハさんの蜜壺はぐちゅぐちゅと絡みついて、子宮口は愛おしむように鈴口にキスをしている。
相手の快感が、自分の快感に。自分の快楽が、相手の快楽に。
今までに感じたことのない悦びと充足感に、声も出なかった。
気付いた時には射精は止まっていて、聞こえるのは、どちらのものかも分からない鼓動と呼吸だけ。
抱き合ったまま、どれほどの間、余韻に浸っていたのか。
身を起こして、僅かに萎えた物をシラハさんの中から引きずり出す。
そのままふらりと後ろに倒れ込みそうになった体は、どうにか両手で支える。
下半身をさらけ出したまま座るのはちょっと間抜けな姿だとは分かっていても、四肢の先は快楽にぴりぴりと痺れてしまっていて、動いてくれない。
そんな動けない僕がぼんやりしている間に、体を起こしたシラハさんは、そのまま四つん這いになり、僕の足の間に顔をうずめる。
そして、小さく呟いた。
「……おそうじ、するね」
ためらうことなく、シラハさんの舌が僕のペニスに這わせられる。
艶のある唇から伸びた赤い舌は宝石のようで、そんなものが愛液と精液にまみれたグロテスクな肉塊に触れているというギャップは、そのまま興奮の大きさに繋がった。
浮き上がった血管や、敏感になっている裏筋や、エラを張った亀頭を舐め回されている内に、たちまち硬さを取り戻してしまったペニスを、シラハさんは大きく口を開けて、咥える。
裏筋に添えられた舌の感触はざらざらとしていて、ゆっくり呑み込まれてゆくのに伴う鋭い快感に腰が浮いてしまいそうになると、シラハさんは僕の腰に手を回して、がっちりと捕まえてしまった。
逃げられない状態で押し付けられる快感から、反射的にシラハさんの顔に腰を押し付けるような動きをしてしまう。
でも、異物が喉奥まで来ているのだから苦しいはずなのに、シラハさんの目に苦しげな色は見られない。
それどころか、嬉しそうに目を細めている。
「んっ、ぶっ……むぅっ……」
竿と唇の隙間からうめき声のようなものを漏らしながら、シラハさんはおもむろに口全体を使った奉仕を始める。
口をすぼめながら引き抜き、よだれでぬらぬらと光る竿が覗いたと思えば、舌と唇が亀頭を苛め、その感触に背をのけぞらせた途端、また根本まで呑み込まれる。
だが、直接的な刺激以上に、シラハさんが奉仕してくれているという事実が、何よりも興奮を煽る。
凛々しく綺麗な顔立ちを歪め、じゅぽじゅぽと音を立てながら、下品なフェラチオを繰り返す。
ついさっき大量に射精したはずなのに、もう、下腹部にはぐつぐつと熱が煮えてきている。これをシラハさんの口の中に思いっきりぶちまけたら、どれだけ気持ちいいだろうか。
想像するだけでぞくぞくして、たまらなくなった。
「っ……」
抗えない快楽に導かれるまま、どくん、と音が聞こえそうな、塊のような精液が吐き出されて、体が震える。
その間にも、シラハさんはすぼめた頬の内側と舌で、射精を促し続ける。
何度も喉を鳴らして精液を飲み込むシラハさんの目は、とろんと蕩けていた。
ちゅぽん、と音を立てて口から抜けたペニスは、まだ反り返ったまま。
立て続けに大量の射精をしても、体はシラハさんを求め続けている。
「……今度は、私が」
ベッドの上で膝立ちになったシラハさんが、じりじりとにじり寄ってくる。
拒む理由は無かった。
絶頂を繰り返しても、嬌声が悲鳴のようになっても。
もっと、愛し合いたい。
それしか考えられなかった。
…………
「……おはよう」
目を開ければ、息がかかる距離にシラハさんの顔があった。
切れ長の目に、シミひとつ無い肌。一緒のベッドに入っていた事に驚くよりも先に、その美しさに見とれてしまう。
「おはようございます……今、何時でしょうか」
「……お昼過ぎ。十二時半」
そんなに寝ていたのか、とだるい頭の中で感心する。
いつまで交わっていたのか。具体的な時間は分からないものの、カーテンの隙間から見える空は白み始めていた気がする。
「あ……そうだ」
僕の頭を撫でながら、シラハさんは微笑む。
「めりー、くりすます」
「……そっか。今日、イブだっけ」
「うん」
「シラハさん、欲しいプレゼントとかありますか?」
「……だいじょぶ。最高のプレゼント、もらったから」
はて、何かあげただろうか。
疑問符を浮かべてしまったが、シラハさんにぎゅっと強く抱きしめられ、理解する。
「でも、僕はシラハさんと手袋の二つを貰ったので、不公平ですよね」
「そう?」
「そうですよ」
「じゃあ、何か……あっ」
話の途中、何かに驚いたシラハさんの視線は、僕の上を通り過ぎた。
釣られて追いかけた視線は、カーテンの隙間へ。
「わっ」
それを見た僕の口からも、驚きの声が漏れた。
細く覗く灰色の空。その空から、白い雪がはらはらと舞っていた。
ホワイトクリスマス。あの日、ラジオの天気予報が言っていた通りになった。
どうしてクリスマスに雪が降るというだけで、こんなにもロマンチックで特別な日に感じられてしまうのだろう。
雪になるくらいなんだからとても寒いというのは分かっていても、なんだか、街に出れば素敵なことが待っているような気までしてしまう。
それに、せっかく編んでもらった手袋だって、使ってほしそうにテーブルの上で待っているじゃないか。
考えるほどに理由は浮かぶ。でも、根っこにあるのは、とても単純な理由だけ。
恋人と……シラハさんと、クリスマスデートをしたいだけだ。
「シラハさん」
「なぁに?」
「ケーキ、買いに行きませんか?」
「……うん。チキンも」
「そうですね。今日は、存分にメリークリスマスしましょう」
「うん。メリークリスマスしたい」
「……メリークリスマスする、ってなんでしょう」
「なんだろ……ツリー飾る?」
そんな風に笑いながら、僕もシラハさんもなかなかベッドから、いや、お互いの体から離れられない。
触れ合った箇所から伝わる全てが愛おしくて、どうにも手放すのが惜しくなってしまう。
耳にかかる吐息も、押し付けられた小さな胸も、その奥で鳴っている鼓動も、絡められた脚も。全身で感じられるシラハさんの存在が心地よくて、幸せで……。
「……ふふっ」
不意に、シラハさんはどこかいたずらっぽく笑った。
どうしたのだろう、と思った直後に、気がつく。
いつの間にやら大きくなってしまった僕の物が、僕とシラハさんのお腹の間に挟まれてしまっている。
「あっ、いや、これは……」
「……いいよ。私も、したいと思ってたから」
いたずらっぽい笑みはそのままに、僕の額に軽くキスを落としたシラハさんが、僕を仰向けに転がし、上に跨る。
どうしてだろうか。曇り空とカーテンで薄暗い部屋の中でも、シラハさんのすらりとした体ははっきりと見える。紅潮した顔を見れば、すぐには終わらないだろうということも分かる。
まあ、でも、いいだろう。それを、お互いが望んでいるのだから。
膝立ちになり、少しずつ腰を落とすシラハさんの膣内に、反り返っていたペニスが呑み込まれてゆく。
ずるずると、濡れた熱い肉をかき分ける感触は、ぞくぞくするほどに気持ち良い。
ゆっくり、ゆっくりと、肉襞の一つ一つで味わうように腰を下ろす。
そうして、とん、と、シラハさんの一番奥に、僕の物の先端がぶつかる。その小さな衝撃がどれほどの快楽に変わったのか、シラハさんは背を丸め、体を痙攣させた。
膣内は蠢き、ぎゅうぎゅうと痛いほどに締め付けられ、まだ入れただけだと言うのに、僕も射精してしまいそうになる。
しばらくして、ふー、ふー、と息を荒くしたまま、シラハさんは言った。
「……思いついた」
本当に良い思いつきだとでも言うような、自信たっぷりの表情。
そっと体を前に傾け、ぴったりと僕の体に覆いかぶさる。子宮が降りてしまっているのか、子宮口に鈴口が擦れ、鋭い痛みにも似た快感が走る。
だが、シラハさんは僕を逃がそうとしない。
それどころか、僕の体をしっかり抱きしめると、興奮を隠そうともしない息遣いもそのままに、僕の耳元に口を近づけ、囁いた。
「私、子どもが欲しい……な」
熱っぽい言葉に、ぞくり、と肌が粟立つ。
シラハさんの目は冗談でも何でもなく、本気でその「プレゼント」を欲しがっていた。
期待と不安と情欲と、色々なもので痺れてしまった頭の片隅で、未だ待たされている毛糸の手袋に詫びる。
どうやら、今日はケーキもチキンも、買いに行けそうにない。
……………………
シラハには何か趣味がないの?という同僚の言葉は、私が思っていた以上に、私の心に深々と突き刺さってしまったらしい。
いつもはぼんやりと帰るだけの道で、何か心惹かれるものはないだろうかとウィンドウを眺めてしまうくらいなのだから。
仕事道具でもあり私物でもある弓矢が入った鞄を背負ったまま、ウィンドウに、あるいは看板に、私の目は流れてゆく。
本、プラモデル、自転車、おもちゃ、ボードゲーム、料理……。
賑わう商店街には、今まで気にもかけていなかったのが不思議になるくらい、色々なお店がある。
でも、どれもしっくり来ない。私がそれをしている姿、というものが想像できない。
半ば諦めかけていた私が手芸用品店の前で足を止めたのも、ドアが開けっ放しでちょっとだけ入りやすい気がしたから、なんて後ろ向きな理由。
私は、手先が器用な方ではない。不器用だとも思っている。仕事で弓を射るときも、いつか外すんじゃないかと内心怯えているくらいだ。
入る時に少しだけガラスのドアを押してみれば、ドアベルが、カラン、と澄んだ音を立てた。
寒色系の照明が灯る薄暗い店内には、色とりどりの毛糸や布が並んでいる。
棚の間を歩くと、何か、懐かしいような匂いに包まれた。
そうだ、確か、母の使っていた裁縫箱がこんな匂いだった。
郷愁を胸に、店内を眺める。
角にあった低いテーブルには、教本付きの初心者向けセットが積まれている。教本の対象年齢はばらばらだが、いずれも、「誰でもできる」「簡単」と言った謳い文句が付いている。
誰でもできる。私のような不器用なキューピッドにも?
妙な皮肉が浮かんで、自嘲の笑みが出そうになるのをこらえる。
そんな事をしながら店の中をいつまでも歩き回っていた私の前に、ひょこっと、一人の男の子が顔を出した。
「何かお探しですか?」
このお店の後継ぎなのか、アルバイトなのか。緑色のエプロンを着けた、私よりも頭一つほど小さい、若い店員さんだった。
その姿を見た途端。
気まずさよりも、恥じらいよりも。求める気持ちが、最初に来た。
この人のことを知りたい。私のことを知ってほしい。この人と、仲良くなりたい。
あるいは、これがきっと一目惚れというものなのかもしれない。
私の視線は、男の子の目から、エプロンの前で重ねられた手に。
そして、男の子の少し後ろにある、初心者向けのセットへ。
誰でもできる。
じゃあ、きっと、口下手で、不器用な私にも。
そう思ってしまったら、もう、止まらなかった。
意を決して、精一杯愛想の良さそうな声で、尋ねる。
この場限りにならないように、願いながら。
「……その。毛糸の手袋とか作るのに、はじめてなら、何を買えばいい……ですか?」
17/12/21 10:19更新 / みなと