読切小説
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小さな二人の好きなもの
 昔々ある所に、とても仲の良い男の子と女の子がいました。
 男の子は、少し怖がりだけどとても優しくて、おとなしい子でした。
 女の子は、ちょっとおませさんだけど頭が良い、勝ち気な子でした。

 二人は、それぞれ隣り合って並んだお家で育った、幼馴染です。
 誕生日も、ほんの数日違うだけ。
 男の子だから、女の子だから、なんて事は気にしないで、二人はいつも一緒。
 かけっこをしたり、かくれんぼをしたり、絵本を読んだり、おままごとをしたり……。

 そんな二人が特に好んで遊んだのは、チェスでした。
 と言うのも、女の子が唯一男の子に勝てないものが、チェスだったからです。
 だから、負けず嫌いな女の子は、毎日一回は、決まって男の子にチェスを挑みました。

「今日こそ、勝ってみせるんだから!」

 そう言いながら駒を並べる女の子に、男の子も満更ではありません。
 女の子より速くは走れないし、かくれんぼだってすぐ見つかるし、木登りだって上手じゃない。
 そんな自分でも勝てるものがあるというのは、心根が優しい男の子にとっても嬉しかったのです。
 それに、自分が勝っている限り、女の子とチェスをできる、というのもありました。
 お父さんから教わって好きになったチェスを、女の子も好きになってくれたら、それほど喜ばしいことはありません。

 さて、普段は優しい男の子ですが、勝負となれば手加減はしません。
 盤面を見る目は真剣そのもの。大人顔負けの打ち筋で、たちまち女の子を負かしてしまいます。
 その度に、女の子はもう一回、もう一回、と繰り返します。
 しかし、何度やっても女の子は勝てません。

「どうして勝てないのかしら。どうして負けちゃうのかしら」

 不思議そうに首をかしげる女の子に、男の子は優しく、チェスの打ち方について教えてあげます。
 男の子の教え方は決して上手ではありませんが、それでも、女の子は素直に教わって、何度も何度も頷きます。
 そして、「じゃあ、今度こそはきっと勝てるわ!」と張り切り、結局は負けてしまうのでした。



 ある日のこと。
 どことなくどんよりとした天気の下で、男の子はお母さんのお手伝いとして、お家の掃除をしていました。
 さほど広くはないお家ですが、それでも、お母さん一人で掃除をするのは、大変です。
 その事に気付いた日から、男の子は、自分から掃除のお手伝いを買って出るようになりました。
 いっつもお掃除をしているのに、いったい埃というのはどこから来るのだろう。
 そんな事を考えながら廊下をほうきで掃いていると、こつん、こつん、と、玄関のドアが叩かれる音がしました。
 お母さんは、キッチンのお掃除をしていて気付いていないようです。
 ぼくだってお客さんの対応くらいはできるんだから、と男の子はドアを開けました。

 そこに居たのは、お隣の女の子……の、お母さんでした。
 挨拶もそこそこに、女の子のお母さんは、不安そうに、男の子に尋ねました。
 うちの子が、来ていないかしら?
 男の子は、首を横に振りました。
 すると、女の子のお母さんは、ますます不安そうに、おろおろとしはじめました。

 そうこうしている内に、男の子のお母さんが、ひょいと玄関に顔を出しました。
 女の子のお母さんは、今度は男の子のお母さんにも、同じように尋ねました。
 うちの子が、来ていないかしら?
 いいえ、来ていないわね。
 まあ、それは困ったわ。実はね、今朝からどこかに行ったまま帰ってきていないの。

 それを聞いた男の子は、リビングを覗き込んで、柱時計を見上げました。
 もう、お昼を過ぎています。いつもならば、一緒に遊んでいても女の子が「お腹が空いたから一回お家に帰ろう」と言い出す時間です。
 なんだか急に不安になってしまった男の子は、言いました。
 ぼくが、探しに行ってきます。

 履きなれた靴でお家を飛び出した男の子は、まず、女の子がいつもかくれんぼで隠れる場所を探しました。
 でも、女の子は見つかりません。
 次に、鬼ごっこで逃げる時に通る路地裏を探しました。
 でも、女の子は見つかりません。
 次に、木登りをして遊ぶ林の中を探して回りました。
 でも、やっぱり女の子は見つかりません。

 空は、すっかり灰色の分厚い雲に覆われてしまっています。
 男の子は、早く女の子を見つけないと、と、そこらのゴミ箱まで開けはじめました。
 広い町の中、隠れる場所はいくらでもあります。
 でも、もし、もしも悪い人にさらわれたりしていたら。
 ぼくの知らないどこかに行ってしまっていたら。
 それはもう、お手上げだ。
 浮かび上がった嫌な考えを振り払うように、男の子は必死になって、駆け回りました。
 だけど、やっぱり、女の子は見つかりませんでした。
 湿っぽい風に頬を撫でられて、男の子はしょんぼりと肩を落としました。

 もうすぐ、夕べの鐘が鳴る頃です。
 気付けば、めったに来ないような路地裏の吹き溜まりにまで来ていました。
 男の子は、仕方ないから、一回お家に帰ろう、と決めました。
 もしかすると、女の子はもうお家に帰っているかもしれない。
 そうして、またあなたは危ないことをして、とお母さんに叱られているかもしれない。
 木登りをして枝から落ちた時よりも、かけっこをしていて水たまりで転んだ時よりも、キツく叱られているかもしれない。
 そうであれば良いな、と思いながら、男の子は路地裏から、表通りを目指します。
 以前、おにごっこをしていて、一度だけこんな所まで逃げてきてしまった事がありました。その時の記憶を頼りに、あっちへ行ったり、こっちへ来たり。

 それにしても、女の子はどこに行ったのだろう。
 どこかに遊びに行くなら、今まではぼくを誘ってくれたのに。
 おつかいなら、お母さんが知らないはずはない。
 不思議に思いながら歩き回っていると、男の子は、はたと気付きました。

 路地裏の雰囲気が変わっているのです。
 壁はやけにしっかりしたレンガ造りに。地面も、ひび割れなんて無く、綺麗に切られた石が敷き詰められています。
 更には、雨が降りそうだった曇り空は、晴れ渡った、しかし決して青くはない空になっていました。
 朝焼けや夕焼けとも違う、初めて見る空の色。
 振り返れば、もう、歩いてきた路地裏はどこかに消えてしまっていました。
 男の子は段々と心細くなってきました。
 自分は、どこに迷い込んでしまったのだろう。
 本当は泣き出したいくらいだったけれども、ここで泣いていても始まらない、と勇気を振り絞って、男の子はとにかく道に沿って歩き続けました。
 しかし、行けば行くほど、帰りたいお家からは遠ざかっているようにしか思えないのです。
 湿っぽい風のかわりに、甘いお菓子の香りが。
 人の声のかわりに、鳥のさえずりが。
 そして、路地裏の出口のかわりに、大きな扉が、そこにはありました。

 男の子は、扉に入るべきか大いに悩みました。
 知らない所に一人で行ってはいけないということは、よく分かっています。
 でも、扉があるということは、誰かがいるかもしれないということ。
 誰かがいれば、どうやったら帰れるかを教えてもらえるかもしれない。

 意を決して、大きな扉を押し開けようとした、その時でした。

「女王様のお城に入ろうとするのは、誰だ!」

 突然、男の子に向かって、そんな言葉が飛んできたのです。
 飛び上がるほどに驚いた男の子が振り向けば、そこに人の姿はありません。
 あるのは、地面に落ちた影だけ。
 どういうことかと見上げてみれば、そこにあったものは、一層男の子を驚かせるものでした。
 なんと、空中に大きなトランプが浮いていて、しかもそのトランプから、女の子の上半身だけが生えているのです。
 頭に被ったクローバーの帽子に、手には装飾の付いたギラギラ光るメイス。
 だが、何よりも男の子を驚かせたのは、その女の子が、今日一日探し回っていた女の子であった事です。

 見慣れた顔であるはずなのに、見たことのない格好をしている。
 既知と未知が一つになった光景に、男の子は、ただぽかんと口を開けたまま、女の子を見上げることしかできません。

 そんな男の子に、女の子はクスクス笑いながら、言いました。

「ごめんね、そんなに驚くとは思わなかったの」

 どうやら、男の子が驚いたのは、自分が大きな声を出したからだと思っているようです。
 男の子は、そうじゃないよ、と言おうとしましたが、他にも色々と言いたいことがありすぎて、喉の奥で詰まってしまっていました。
 結局、ただ首を横に振っただけの男の子に、女の子は手を差し伸べました。
 いつも男の子が転んだ時に差し出される、助け起こすための手。
 しかし、その手を取った男の子を引っ張る力は、これまでに手を貸してもらったときとは比べ物にならないくらい、強い力でした。

 男の子の体がふわりと浮いて、一瞬、水の中に飛び込んだような感触がありました。
 ばしゃん、とも、ずるん、とも違うような音がして、目の前が真っ白になりました。
 そして、今度は、ふわふわとしたカーペットの感触がありました。

 なんと、女の子が半分だけ入っていたトランプの中は、不思議な部屋になっていたのです。
 扉すら無い部屋の壁沿いにはぎっしりと棚が並べられ、その中には、たくさんのゲーム盤やらトランプやらが置いてありました。
 チェスやバックギャモンなど、男の子が知っているゲームもあれば、見たことのない文字が書かれたゲームもあります。
 もう、男の子は何がなんだか分かりません。
 どうしたらいいかも分からずカーペットの上にぺたんと座り込んだままだった男の子の前に、女の子は、がしゃん、と音を立てて、何かを置きました。
 見れば、それはガラスでできたチェスセットでした。

「聞きたいこと、いっぱいあるよね」

 男の子の考えを読み取ったかのように、女の子は不意に言いました。
 綺麗なチェスセットを見たまま、男の子は頷きます。
 でも、女の子はあくまでも意地悪に、そしてとてもいたずらっぽく、笑いました。

「私に勝ったら、教えてあげる」

 じゃあ、勝てなかったら?
 男の子がそれを聞く前に、女の子は、ぱん、と手を打ちました。

「さあ、はじめましょう」

 女の子の言葉を聞いて、ケースの中に収まっていた駒たちはひとりでに動き出し、透き通ったチェス盤の上に整列しました。
 チェス盤を挟んで男の子の向かいに座った女の子は、躊躇うこと無くポーンの駒を摘み、かつん、と音を立てて前へ。
 さあ、あなたの番よ。
 そんな視線を受けて、男の子は、おっかなびっくりポーンを掴みました。
 いつもならば、色んな定石や戦術を頭の中で思い出しながら打つ手を考えるのですが、今回は、お手本をなぞる余裕もありません。
 ここはどこ?その格好は?どこに行っていたの?
 山のように積もった訊きたいことが頭の中を埋め尽くして、かつん、かつん、と駒が鳴る音すらどこか遠くに聞こえてしまうほど。
 それでも中々言葉が出てこないのは、どうにも胸がどきどきとして、落ち着かないせいです。
 女の子と部屋で二人っきりになってチェスを打つのなんて、いつもやっていることなのに、どうしたことでしょうか、妙に女の子が気になってしまうのです。

 そして、拮抗していた戦局が、そろそろ動き出そうかというタイミングで、見計らったように、女の子は言いました。

「私が勝ったら、一つ、なんでも言うことを聞いてもらうからね」

 男の子が驚いて顔を上げれば、女の子はいつもと同じ可愛らしい笑みで、しかしいつもと違う熱っぽい瞳で、男の子を見つめていました。
 ただでさえ色んな物がぐるぐる回っていた頭の中に、感じたことのない熱が入り込んでしまって、もう、男の子はチェスどころではありません。
 たくさんの疑問符が頭の中を埋め尽くして、駒の動かし方すら危うげです。
 いったい、負けたらどんな命令をされてしまうのだろう。
 不安なはずなのに、心のどこかでは、変な期待もしてしまいます。

 そして、ついに。

「……チェック、メイト」

 女の子が、こつん、と置いたナイトが、男の子のキングをじっと睨みつけました。
 空いているマスに逃げようとすれば、そこにはクイーンが待ち構えています。
 はじめて、そう、はじめて、男の子は、女の子に負けてしまったのです。
 でも、悔しさはあまり感じませんでした。
 それよりも、さっき言われた「言うことを聞いてもらう」という事の方が気になって仕方ありません。

「……やった。やったぁ!」

 無邪気に、満面の笑みを浮かべて勝利の喜びを噛みしめる女の子が、次に何を言い出すのか。
 もう、今となっては気になるものは、それだけです。

「じゃあ……じゃあ、一つ、なんでも言うことを聞いてもらうからね!」

 女の子が、ずいとチェス盤を乗り越えて身を乗り出してきた分だけ、男の子はひょいと身を引こうとして……どん、と、背中が壁にぶつかってしまいました。
 こんな所に壁なんてあっただろうか。
 不思議に思いながらも、男の子は、間近に迫った女の子の顔から目を離せません。
 瞳は潤み、吐息は熱く。
 ここまではっきりと、この子が「女の子」であると意識したことは、今までありませんでした。

「あのね、今までは、私たち、お友達だったでしょう?」

 女の子の言葉に、男の子は頷きました。
 性別なんて関係ない。仲の良いお友達。
 女の子も、頷きました。

「でもね、これからは……お友達なんかじゃあ、なくなるの」

 どういうことだろう。
 不思議そうな男の子に、女の子は優しい声で教えてあげました。

「これからはね、私たち……恋人になるのよ」

 恋人。
 その言葉が女の子の口から出てきたことに、男の子は少なからず驚きました。
 それは、自分たちじゃなくて、大人たちのためにある言葉だと思っていたからです。
 どうして、そんな事を言い出したのか。
 不思議には思いましたが、決して、男の子は「嫌だ」とは感じませんでした。
 それどころか、今感じているふわふわとしてどきどきとする気持ちは、「恋人になる」という言葉にすっと収まったように感じたくらいです。

「教えていただいたの。ハートの女王様に」

 それは、誰?
 男の子の質問を先取りしたように、女の子は続けます。

「かわいくて、頭が良くて、素敵な、この国の女王様はね、なんでも知っているの。
 どうやったらチェスで勝てるのか。
 どうやったら楽しく遊べるのか。
 どうやったら、女の子は幸せになれるのか。
 それに……」

 こつん、と、男の子のおでこに、女の子のおでこがぶつかりました。
 見えるものは、お互いの瞳だけ。映っているのは、お互いの姿だけ。

「……どうやったら、大好きなあなたを、私だけのものにできるのか、ってことも」

 柔らかく、甘く。
 小さな恋人たちの時間。
 それは、口づけからはじまりました。


…………


 ある日のことです。
 男の子がお皿洗いのお手伝いをしていると、こつん、こつん、と、玄関のドアがノックされました。
 男の子の手は泡だらけだったので、かわりにお母さんがドアを開けると、そこには、お隣の女の子がいました。

「こんにちは!」

 元気よく挨拶されただけで、お母さんは「うちの子を遊びに誘いに来てくれたのね」と分かってしまいました。
 女の子の声はキッチンまで聞こえていたので、男の子は気付いていないふりをしながらも、お皿洗いをする手はどこかそわそわしています。

 もちろん、それがお母さんに分からないはずがありません。
 「もうお手伝いは大丈夫だから」とお母さんに言ってもらうと、男の子は泡だらけの手をきちんとゆすいでから、上着も着ないで玄関へと駆けていき、そのまま、女の子に手を引かれてお隣のお家へと入っていきました。
 その姿を見て、お母さんはくすりと笑って、思いました。
 もうちょっと大きくなったら、きっと、二人はお似合いになるんでしょうね。
 それは、誰も言わないけれど、二人を知る誰もが思っていることでもありました。

 だけど、二人のほかには、まだ誰も知らないのです。
 男の子と女の子は、もう、立派な不思議の国の住人であることを。
17/11/12 18:33更新 / みなと

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