その日も、霧の朝だった。
　昇ったばかりの陽はすでに白く、分厚くかかった雲越しに弱々しい光を投げるばかりで、濃霧と相まって初夏だというのに肌寒さを覚える。
　大学の西、図書館へと続く石畳の街路を往きながら、僕はそっとため息をついた。
　――ほんとうに、霧の多い街だ。

　学術都市モルティエ。
　魔界と人界の境を曖昧にするかのように、常に濃い霧に包まれているこの都市は、魔物娘との学術交流で世界に知られる都市である。
　教授の半数ほどが魔物娘で構成され、「あちら」の学問を学ぶことができる、人界で唯一の場所。
　およそ正道の学問が探求されている場ではない、知の極北。
　そこには人魔問わず一流の研究者たちが集い、日夜寝食を忘れて研究に励んでいる――

　と、聞いていたのだけれど。
　実際に来てみれば、教授はしょっちゅう講義を休講にし、また恋人を得た魔物娘たちは場所も時間も問わずにいちゃいちゃしているという有様。
　それでいて研究成果はしっかり出ているのだから驚きである。

　今日も例によって、1限の開始10分前に休講の連絡が届き、既に大学へ着いてしまっていた僕は図書館を目指していた。
　迷いようもない。都市の中でも一際目立つ、ドーム状の巨大な建造物。
　こちらの世界で、魔界の本まで蔵書として収められている図書館はここくらいのものだろう。
　学生証をかざし、ゲートを抜ける。館内に入った途端に湿った空気が拭い去られるように掻き消え、本の匂いに包まれる。

「――――」
　受付に座る女性の、柔らかな視線。
　図書館の司書を務めるハクタク――ミヒリさんが、いつものように謎めいた微笑みを浮かべて僕に会釈をしてくれた。
　その美しく切り揃えられたミディアムボブも、黒の縦セーターが強調する艶めかしい身体のラインも、少しずり落ち気味の眼鏡も、恐ろしいほどの精確さで昨日と寸分も違わない。
　僕も軽く会釈を返す。

　彼女は微笑みを浮かべたまま、ゆらゆらと首を左右に揺らし始めた。

「……」
　細いフレームの黒縁眼鏡越しに、僕の方をじっと見つめながら。
　ゆらゆら。ゆらゆら。

　僕は曖昧な笑みを浮かべてその場をやり過ごす。
　彼女と知り合ってからもう長く経つが、僕には未だにこのジェスチャーの意味が掴めない。するときとしないときがあり、するときは特別機嫌が良いのだろうと考えている。
　が、知性溢れる美貌を備えたミヒリさんが幼児じみた仕草をするのは、やはり不気味だった。

「さて、今日は何を読もうか……」
　改めて図書館内を見回す。

　円筒状の、４階まで吹き抜けのフロア。１階から遥か高みにある天井まで見はるかせば、大きな球形の魔力灯がツルのように垂れ下がり、辺りを煌々と照らす。
　中央に聳える螺旋階段から放射状に延びる廊下を辿ると、僕の背丈の二倍ほどもある書架がひしめき合う各フロアに至り、その外にはカフェも兼ねたバルコニーがついている。
　書架の合間に設けられた閲覧スペースには、一人用の柔らかなソファ・チェアのほか、会議ができるように遮音膜が張られたグループ席まで用意されており、数人のカメラを抱えた魔物娘たちが何やら討論しているのが見えた。
　昼過ぎなどはソファ席で午睡に耽る学生が多いのだけれど、この時間はまだ勤勉な学生しかいないようだ。
　僕はソファに腰掛け、見繕った本を開く。

　と。
　先ほどのカメラを持った魔物娘たちが、ぞろぞろと席を立って出てゆく。
　……これから写真でも撮りに行くのだろうか。と思ってみていると、案の定、バルコニーに出て撮影を始めた。眺めの良い場所だ、写真を撮るにはもってこいだろう。
　席のすぐそばにある小窓からぼんやりと彼女らを見ていると、ある魔物娘がふと目にとまった。

　ラミア類に特徴的な蛇の胴体。その各所に生える鳥のような羽毛。
　否、その異様さは姿形ではなく、彼女の装い――両目を覆う、黒い布にあった。
　昏い金色の髪と色白の地肌の上に、呪いのように巻き付くそれは、多様な魔物娘たちのなかにあってなお目立つものだった。
「――」
　グループの他の魔物娘たちが、いかにも楽しげにシャッターを切っているのに対し、彼女はどこか沈んだ様子で、ぽつり、ぽつりと写真を撮っている。
　目隠しをしたまま。
　身にまとっている黒いワンピースのせいで、上半身はよけい華奢に、下半身の蛇体は肉感的に見える。

（……ああ、バジリスクか）
　そこでようやく思い出す。ラミア類の中でも、その魔眼でもって知られる彼女らは、常に目隠しをしている、と。
　しかし、目隠しをしている状態で写真が撮れるのだろうか。
　そんなことを思いつつ、読書に耽ること暫し。
　一足先に撮影が終わったのか、バジリスクの彼女がしゅるしゅると床を這って席に戻ってくる。
（……あ）
　半開きになっていた彼女の鞄が本棚にぶつかった拍子に、するりと一葉の写真が落ち、僕の足元へ滑ってきた。
　何か物思いに耽っているのか、彼女は落としたことに気づいていないようだ。
　そっと拾い上げて見てみる。
　――写っているのは、どこかの室内だろうか。書類やポスターが乱雑に散らばった六畳の部屋で、窓際の二足の靴だけが綺麗に揃えられている。開け放たれた窓の向こうはホワイトアウトして何も見えない。
　素人目に見て、構図に魅力があるわけでも、加工が上手いわけでもない。
　ただ、どこか虚脱したような美しさのある作品だった。


「――これ、落としましたよ」
　彼女のもとへ行ってそう告げ、写真を差し出す。
「っ……！」
びくり、と大げさなほどに彼女は肩をすくませる。
「すみません。ありがとうございま――わっ、ああっ」
　慌てて写真を鞄にしまおうとした彼女は、手元が狂ったのか鞄の中身をぶちまけてしまう。
「ああ……大丈夫ですか。手伝いますよ」
「ご、ごめんなさい、ごめんなさい……」
　流石に動揺しすぎではないだろうか。
　困惑しつつ、床に散らばったプリントやら何やらを一緒に集める。

「……すみません。何度も、ありがとうございます」
　拾い集めた書類を受け取る彼女の手は、まだわずかに震えていた。

　と、そこへ。
「あれれ。シエラちゃん、写真じゃなくて男の子をキャプチャーしてきたの？」
　下世話なジョークとともに、他の魔物娘たちも席に戻ってきた。
「……シエラちゃん、ナイス・カムショット……？」
　ゲイザーの子が目をきょときょと動かしながらつぶやく。
「お、落し物を届けてもらっただけですよ」
　シエラ、と呼ばれたバジリスクの彼女は、頬を真っ赤にして反論する。
「わわ。向こうから声を掛けられたってこと？　さっすがシエラちゃん……じゃ、この人をモデルにするんだ？」
「やっ、ちがっ……」
　賞賛の目を向けるコボルドと、困惑するバジリスク。
「……？」
　僕はといえば、話が全く見えていない。

「あ、まだ説明してなかったんだ。わたし、一年生のキエっていいます。あのですねー、わたしたち、授業の課題でポートレートを撮るんですけど、そのモデルを探してて」
　耳をぴょこぴょこと動かしながらコボルドの子――キエは、もふもふの手に抱えたカメラをこちらに持ち上げてみせる。
「良かったらシエラちゃん――このバジリスクの子の、モデルさんになってくれませんか？　じゃないと彼女、作品を提出できなくて進級できないかも……」
　潤んだ目でこちらを見上げるキエ。
　かわいい。
　そして胡散臭い。
「いや、いきなり言われてもちょっと……」
　やたら中性的な顔立ちをしているせいか、しばしばその手のモデル勧誘を受けることはある。
　が、どれも胡散臭かったので断ってきたし、ましてや魔物娘のモデルなんて、危機感しか覚えない。

「そうですよねえ。じゃあ、ゆっくり話し合って決めましょうか？」
「えっ」
「Ｄ棟の裏路地にスキニスという喫茶店があります。わたし、そこのマスターの奥様に少しばかり顔が利くので、お二人でお茶でも飲んできてくださいな」
　キエはもこもこの手で何事かノートに書きつけると、千切ってこちらへよこす。
「はい。じゃあシエラちゃん、ふぁいとっ」
　およそ悪意の存在しないウインクとともに、きゃらきゃらと笑いながら彼女らは席を出ていった。
　そして、僕とシエラだけがその場に残される。
「え……えっ、えっ……」
　憔悴しきった様子で三つ編みをぎしぎしと引っ張るシエラ。
　それは見ていてあまりに痛ましく、僕は咄嗟に、
「……とりあえず、行ってみようか」
　カメラを抱えて呆然と立ち尽くすシエラに、そう声をかけたのだった。






「……ごめんなさい、付き合わせてしまって」

　場所は変わって、路地裏にひっそりと佇む喫茶店”スキニス”。
　寡黙なマスターとサテュロスの夫婦が切り盛りするこの店は、昼間はカフェ、夜はバーとして密かに人気がある。
　窓際の席の向かいには、暗澹たる表情を浮かべたシエラ。
　……目隠しをしているのだが、うつむきがちな顔や口元の表情から、何となくそう読み取れた。
「いや、どうせ講義まで暇だったし全然気にしてないよ……あ、きたきた」
　頼んでいたセットが運ばれてくる。かぼちゃのタルトとシナモンミルクティー。
　ちなみにキエに渡された書付を渡すと、サテュロスはにっこりと微笑んで、お好きなものをどうぞ、と言っていた。どうやらタダでいいらしい。

「すみません。い、いただきます……わ、おいしい」
　かぼちゃのタルトを一口頬張り、口元を綻ばせるシエラ。
　彼女の感情を読み取るには、どうやら口元の動きに目を配るのが大事なようだ。
「……ここ、実は前から来てみたかったんですけど、一人ではなかなか入りづらくて――」
「ほんと？　ならよかった。マスターの顔、ちょっと怖いしね……」
　無言でグラスを磨いているマスターをちらりと見やる。
「あの、さっき一緒にいた……キエちゃん？とは来たりしなかったの？」
　彼女は店主と顔利きのようだし、てっきり頻繁に来ているものだと思っていた。
「いえ、彼女たちとはたまたま同じ班になっただけで……そんなに仲良し、というわけでもないんです」
　シエラの声のトーンが幾分か落ちる。
「そ、そっか。そうだよね、まだ入学してちょっとしか経ってないもんね」
「いえ……中学も高校も、友達できなかったので……きっと大学でも同じだと思います」
「……そ、そうだったんだ……」
　藪蛇だった。蛇だけに。
　目隠しをしたその姿は、同じ魔物娘たちからも奇異の眼差しを向けられたのだろうか。
　ふー、ふーと唇を尖らせてシナモンミルクティーを冷ます彼女の半生を想像してみる。
　……なんだか、ますます放っておけなくなってきてしまった。

「……あ、そういえば、バジリスクは目隠ししてても一応『見えて』はいるんだっけ？」
　苦し紛れに話題を変える。
「はい。魔力と熱探知のおかげで、目で見るよりくっきり……。ただ、写真の色を微調整するときとかは、肉眼で見て作業してます」
「ああ、使い分けをしてるんだ。――そういえば、その目隠し……うっかりほどけちゃったりしないの？」
　ふと気になって訊いてみた。
「いえ、これは自分の意思で解こうとしたときにしか解けないんです――そういう呪いを、施してあります」
　あっさりと答えるシエラ。
　魔物娘は往々にして、自身にとってデメリットをもたらす魔法――つまり呪いを、故意に自分にかける、と聞いたことがある。
……だいたいはプレイの一環として、だが。

「でも、実は欠陥があって」
「えっ」
「お、想い人といいますか……その、わたしと相思相愛の人ができた場合、その方が触れると、目隠しはぼろぼろに千切れてしまうんです」
「ああ……」
　いかにも魔物娘らしい欠陥だった。
「元々、この目隠しは未婚のバジリスク用のものなので、欠陥というか仕様に近いんですけれど……でも、わたしに好きなひとができるならともかく、わたしのことを愛してくれるひとなんていませんから。大丈夫です」
　自嘲気味に言うシエラ。
「いや――」

　ほっそりとした顎に形の整った小鼻、月明かりのように白い肌。昏い金色の髪は、緩く一つ結びの三つ編みにされ、露わになったうなじが彼女の華奢さを際立たせていた。

　――なにより。
　先ほどからずっと観察してきた、彼女の口元。
　薄く形の良い唇が、黒い目隠しの下で薄紅色に艶めく様は、彼女の清楚な佇まいのなかにあって一際妖しげな魅力を放っていた。
「わ……あ、あまり見ないでください」
　なんとなく僕の視線を感じたのか、困ったように手をぱたぱたと振るシエラ。
「……その、かわいいと思うよ」
「え……っ、あ、ありがとう、ございます。……は、はじめて言われ……その、うれしい、です」
　またシエラの頬が朱に染まる。目元が隠れているのに、感情表現が分かりやすい。
　――と、思ったところで。

　ぞわり、と肌が粟立つ。
　――目隠しの下から、じっとりと熱い視線がこちらに向けられている。
　何故かそんな感覚を抱いた。

　もし。
　その目隠しを外せば。
　彼女の灼けるような視線を一身に浴びることができる。
　気づくと僕は彼女へ手を伸ばして――


　ぱちり、と、卓上で暖色の灯りが点く。

「あ――」
　ささやくように、窓を打つ音。
　視線をやると、小雨が降りだしていた。
　雨で照度が落ちたのに合わせて、自動で照明が点いたのだろう。

「……」

　沈黙を雨音が彩る。シエラは――動揺したときの癖なのだろうか――三つ編みをしきりに弄っている。
　ただ、何となくちらちらとこちらを「見ている」ような気がした。
　僕は平静を装ってカモミールティーを啜った。
「……と、本題に入ろうか。写真のモデル探してるんだったよね」
「は、はい。演習の課題で、ポートレートを撮ることになって……」
「ふむふむ」
「モデルも自分で選んで、撮影交渉するんですけど、みんな恋人や友達をモデルにするからすぐ決まるんです。でもわたしは……その、恋人どころか友達もいなくて。わたしの班も、わたし以外はみんなもう撮影に入ってて、どうしようかと……」
「なるほど……」
　なんとなく状況が飲み込めた。
　ただの写真のモデルとはいえ、魔物娘が――それも彼女のように内気な子が――探すのは大変だろう。
　そして、
　――してやられた。
　と思った。
　先ほどのコボルドの子は、シエラの話を聞いたら依頼を断れまい、と読んでいたのだろう。
「……僕でいいなら、モデルするよ。何すればいいかわかんないけど」
「ほ、ほんとですか」
　シエラは俯いていた顔をぱっと上げる。
「なんか、放っておけなくなっちゃったし……図書館で拾った君の写真、良い作品だなって思ったから」
　ここまでの態度を見るに、とても人を騙せそうな性格には見えない。
　それに、彼女の写真家としての技量にも興味があった。
「や……やったっ」
　小さくガッツポーズしてみせるシエラ。
「ど、どうしましょう……明日からもう、撮影に入ってもいいですか？」
「あ、うん。午前中は空いてるよ」
「じゃあ、そこで……！　っと、ど、どうしよ……わたし、きちんとしたポートレート撮るの初めてで……今から帰って、準備してきますっ」
「あっ」
　くいっ、とミルクティーを呷ろうとして盛大に溢した彼女にハンカチを貸しつつ、僕は密かに明日が楽しみになってきていた。








　翌日の朝早く。僕は少し早めに図書館に来てシエラを待っていた。
　どうやらシエラの班は、撮影場所を図書館に指定されているらしい。
　服装はいつもの格好でいいと言われたので、細めのジーンズにシャツという出で立ち。
　素の自分でいい、ということなのだろうが、写真に残るのだからもっと格好つけるべきだったか。

　そんなことを考えていると、待ち人が姿を現した。
　黒のゆるいシャツに、深紅のフレアミニ。首からカメラを下げたシエラは、きょろきょろ見渡すこともなく、まっすぐに僕のもとへ来る。
　と、その蛇体を見て、あることに気づく。
「おはようございます。……お待たせして、すみません」
「おはよう……それは、ストッキング？」
　シエラの蛇体。
　艶めかしい鱗が見えるはずのそこは、羽毛の生えている尾先だけを出す形で、黒のストッキングで覆われている。
　薄い生地越しに覗けるむっちりとした蛇身は生白く、思わず触れてみたくなるような色香を放っていた。
「はい。その、今朝は冷えたので。変……ですよね」
　わたしの地元ではみんな履いてたんですけど、こっちでは普通じゃないみたいです。
　自嘲っぽく言い添えるシエラ。
「いや。すごい、魅力的だなって思って」
　端的に言うとエロかった。ラミア類の魔物娘には着用を義務付けたいほどに。
「そっ……そうですか……？」
　照れたような声音で、シエラはストッキングの生地をひっぱって見せる。
「ちょっ……やめて、撮影に支障が出るから」
……ポートレートを撮るのにモデルがテントを張っていたら洒落にならない。
　しかし清楚な佇まいのシエラが、むっちりとした蛇体を覆うストッキングを確かめるようにつまみあげる姿は、あまりに性的だった。
「……？　は、はい」
　よく分からないといった顔のシエラ。
　……そういえば、彼女は熱探知ができるのだった。勃起でもしようものなら、たちどころに露見するだろう。
　にわかに冷や汗をかきつつ、どこで撮ろうか、と尋ねてみる。
「そうですね……４階のバルコニーにしましょう。透視の魔法を使って、壁を透かして図書館の内部を……この吹き抜けの構造とか、球形の魔力灯を、うまく背景に落とし込めるか試してみたいので」
「ああ、魔法を使って撮るのか」
　先導するシエラについて、螺旋階段を登る。何かに引っかかってストッキングが破れたりしないだろうか、と密かに胸を踊らせつつ、僕は階段をずりずりと這い登るシエラの蛇体を注視していた。

　４階のバルコニーに着くと、シエラは何やら小難しい顔をしながら魔法で光球をつくりだす。
「おや。それはなに？」
「あ、光源に使います、ここは霧がいつも出ているので……先輩はその位置で……ええ、そんな感じで佇んでいてください」
　特に難しいポーズなどを要求されるわけでもなく、僕はほっと胸をなでおろす。
「撮りますね……あ」
「ん？」
「先輩……か、かっこいいですよ」
「ああ、うん……ありがとう……」
　――カメラマンが撮影のときグラビアモデルをベタ褒めするアレだろうか。
　などと思いつつ、そのまま体勢や位置を変えながら何枚か撮る。
　シエラは光球を出したり引っ込めたり、何やら魔法を駆使して忙しそうにしているが、僕はといえば、ときたま通る学生からの視線に耐える程度で、特に労力を要する場面はなかった。

　しばらくそうして撮影したのち、シエラから撮影が終わったことを告げられる。
「なんか……撮影中にやたら顔赤くしてたけど、僕恥ずかしいことしてた……？」
「あ、いえ、その……熱感知と魔力探知で、先輩のことをすごく注視している状態なので、なんだか恥ずかしくなってしまって……」
「なんだ、良かった……」
　可愛らしい理由だったことに安堵する。
「写真はどんなかんじ？　大丈夫そう？」
「あ、はい。よく撮れたと思います――でも、やっぱり、もう少し先輩の内面を見てみたいな、と思って。その、ポートレートなので」
　恥ずかしそうに言うシエラ。
「め、迷惑じゃなかったら、もう少し一緒にいてもいいですか……？」
「あ……うん。僕は全然、構わないけど……このあと、講義が入ってて」
「つ、ついていっても……？」
　期待するような声音で問われる。
「や、一コマだし、講義が終わった後でも」

「……一コマでも長く、一緒にいたいです」
　――目隠しの下から、こちらをまっすぐに見上げる視線を感じた。







　その後、二人で講義を受け――ちなみに僕よりシエラのほうがまじめにノートをとっていた――終わったあとも日が傾くまで写真を撮ったり談笑したりして。
　夕飯にクトゥルフ系カレーを一緒に食べに行き。

「……結局、一日中一緒にいたね」
　いまは二人、夜道を歩いている。
「はい。今日はほんとうに、ありがとうございました……先輩を撮るの、すごく楽しいです」
　シエラはとても嬉しそうに微笑みながら、そう言った。
「そ、そう？」
　大した表情もポーズもしていないと思うのだが。
「はい……わたしは、その……もともと、好きなものを好きなだけ見たくて、写真を撮り始めたんです」
「好きなだけ見る？」
「ええ。だって、すごくないですか。写真って、いくら見ても良いんですよ」
「……」
　言われてみればそうだ。
　僕らにとっては当たり前すぎるその事実が、肉眼でものを見ることを許されていないシエラにとっては救いだったのだろう。
「好きなものを、写真に撮っておけば、いくらでも繰り返し見られる。それってすごく、素敵なことだと思って――でも」
「……でも？」
「写真で見るだけじゃ我慢できないことも、あるんだなって……今日はそう思いました」
「……うん」
「その、いつか……」
「……」
「……な、なんでもないです、変な話しちゃってすみませんでした」
　堪えきれなくなったのか、赤面して黙りこんでしまうシエラ。
「いや、そんなことないよ。ありがとう、大切な話を聞かせてくれて」
「いえ……」
　暫しの沈黙の後、シエラが恐る恐るといった体で口を開く。
「ま、また明日……会ってもらえますか？」
　街灯が彼女の顔を照らすが、目隠しに覆われたそこからは何も読み取れない。ただその声には、隠しがたい不安と寂しさが入り混じっていた。

「もちろん。どうせ暇だし――明日もたくさん遊ぼう」
「う……嬉しい、です。明日も、先輩に――」
　嬉しそうに口元を綻ばせるシエラを見て、ふと――彼女の目も見られたらいいのに、と思う。
　彼女はいま、どんな笑顔を浮かべているのだろう。
　目隠しに触れさえすれば――

「――あ、私の家、すぐそこなので……送ってくれて、ありがとうございました」
　シエラの声で、現実に引き戻される。
「……ああ、いや、全然。同じ方向だし」
「いえ――あの、お家着いたら、連絡ください。し、心配なので」
　本気で案じてくれているのだろう、シエラは不安そうに三つ編みをぎゅっと握る。
「男だし大丈夫だよ――と言いたいところだけど、ここじゃあむしろ逆なんだよね……心配してくれてありがと」
　ひらひらと手を振って別れを告げ、一人帰路につく。
　道中でふと振り返ると、もう随分と小さくなった彼女の姿が、まだ別れた場所にぽつんと佇んでいるのが見えた。
「……もう」
　こっちまで寂しくなってくる。
　僕はそっと電話を取り出して、彼女の電話番号を押したのだった。

■作者メッセージ
病み要素＆えろしーんは後編からになります。たぶんすぐ投稿できるかと

ラミアの蛇体にストッキング履かせ隊