Occulted
旧校舎にチャイムは鳴らない。教室のほとんどが新校舎に移ったいま、この旧校舎は半ば物置と化しているから。
学校という場所にあるべき喧騒はなく、ただ僕の足音が廊下に谺する。
誰もいない四階の角部屋。「オカルト研究会」と手書きで記された札が下がるその部屋の扉を、今日も僕は開く。
「――あら」
今日は少し遅かったのね、と。
澄んだ声の主――藤夜(ふじよ)先輩は部室の中央、深紅色のソファに腰掛けていた。めくっていた単語帳を閉じて、腰まである長髪を後ろに払ってにっこりと微笑む。先輩は細目なので、笑うとなんだか猫のように見える。
「いえ、ホームルームが長引いてしまって……」
かばんを下ろして、微妙に距離を置いて先輩の隣に座る。名状しがたい触感のソファは先々代の部長が買ったコレクションの一つで、深海生物の触手をクッションの綿につかったものらしい。その真偽はともかく、部室にある先々代部長の蒐集物のなかでは、まだ有用性が高い方だろう。
「あれって不毛な時間よね。紅茶飲む?」
「頂きます」
そろり、と立ち上がって、先輩が私物の紅茶をカップに注いでくれる。ダージリンかアッサムかわからないが、きっと良い茶葉なのだろう。芳醇な香りが辺りを漂う。
「はい、熱いから気をつけてね……。で、今日は何の本を読むの?中原中也?原民喜?そういえば読みさしのショーレムはどこへいったのかしら」
先輩はくすくすと笑う。
「紅茶ありがとうございます。……あれはまだ積んでますよ。今日は課題の英文和訳でも進めようかな、と」
「あら、真面目」
先輩はソファに戻って、僕のすぐ隣に腰を下ろす。紅茶の香りに混じって、先輩の匂いがふわりと漂った。
僕を真面目、と評した先輩は、けれど僕より遥かに真面目で頭も良いのだった。うちのような、いいとこ中堅の進学校にはもったいないほどの秀才だと聞く。
おまけにすごく――美人だ。腰ほどまである、濡羽色の流れるような長髪。細く、華奢な体つき。ただ表情は、いつも伏せているような細い目とも相まって、どこか陰があるように見える。先輩に彼氏がいないようなのは、この暗さのせいなのかもしれない。
「……」
「なあに?」
気づくと、先輩が可笑しそうな目でこちらを見返していた。僕は照れ隠しに紅茶を啜る。本当はもっと先輩を眺めていたいのだけれど、必ずバレる。先輩は、どんなに勉強に集中しているように見えても、僕が見ているとすぐに視線が合うのだ。
不思議。
視線に敏感なのかもしれない。……あるいは僕の目つきがよほどいやらしいか。
「あ、紅茶、すごく美味しいです。先輩が持ってきてる茶葉ですよね?なんか独特の甘みがありますよね」
「茶葉にはそんなに高いものではないけれど、淹れ方には結構こだわってるのよ」
そう言って、藤夜先輩はこころもち胸を張ってみせる。服の上からだとあまり目立たないけれど、体が細いから実はけっこう巨乳っぽい。
「黒峰くん、視線の動きが分かりやすいのね」
胸を手で隠す素振りをしながら、先輩はまたくすくすと笑う。
流石に今度は赤面を隠せず、僕はテキストをかばんから引っ張りだした。もう勉強に集中しよう。
「あれ。黒峰くん?……寝てる?」
数十分後。黒峰くんは机の上に広げたノートに突っ伏して寝ていた。
「育ち盛りだものね」
わたしはそう嘯いて、彼の寝顔をじっと見つめる。中性的、というのだろうか。透き通るような白い肌といい、長い睫毛といい――ともすれば女の子に間違えられそうな、フェミニンな雰囲気を漂わせた面立ち。
やや長めの前髪をかき分けて、そっと頬を撫ぜる。……起きない。よほど深く眠っているようだ。
「……この薬、本当に良い効き目ね」
制服の胸ポケットから白い錠剤を取り出す。通販で買った睡眠剤。バフォメット製薬、とか言う企業の製品だったか。仮にも危ない薬を飲ませるわけにはいかないので、慎重に調べて買ったのだけれど、こんなに効くとは思わなかった。
ちなみにタネはびっくりするほど簡単でつまらない。彼がいつも使うマグカップに、予め睡眠剤を入れておいて、紅茶を注いで渡すだけ。
「よいしょっ、と」
彼の上体を起こしてソファに凭れかけさせると、わたしはその前に跪き、スラックスのジッパーを下ろす。そっと手を忍び込ませると、お目当てのものはすぐに見つかった。彼のペニス。彼の細い外見からすると意外なほど太くて長いそれは、わたしの手で探り当てられただけでもう半勃ちになっている。
「もしかして、わたしのおててのこと、覚えてくれてたのかしら……?」
彼のペニスの反応が嬉しくて、竿を揉むように扱いてやる。すぐにそれは硬く反り返り始めて、下着の中に収まりきらなくなった。スラックスに引っかからないように気をつけつつ、外に出してあげると、ぶるん、と大きく跳ねる。
ほんとうに、大きい。
血管が太く脈打って、亀頭は艶やかに膨らみきっている。軽く扱いてみると、大きく張り出したカリが人差し指に引っかかった。いけない、潤滑液が必要だ。
わたしはでろりと唾液を掌に垂らす。指先に唾液をまとわり付かせ、亀頭をしっかり扱く。濡らしたせいで、ぬちょ、と卑猥な音が立つようになってしまった。
「これが、わたしの、膣に……」
この充血しきった海綿体が、未通だったわたしのなかを容赦なく拡げて、押し進んでいく。わたしの膣は彼のペニスのサイズぴったりに拡がって、それをぎちぎちと締め付け、離さないとばかりにすっかり密着してみせるだろう。けれど彼の鈴口がわたしの子宮口に押し付けられると、わたしの膣肉は小躍りして精液を搾り取ろうと蠕動しだすのだ。そして膣道を戻りだしたペニスが、今度は立派なカリでわたしの膣壁をこそげ、ひだひだを伸ばし、拡げる。
「だめ……我慢できない」
その様を想像して、わたしは堪えきれずにパンストと下着を下ろす。そこはすでに愛液で塗れている。真珠のように膨らんだ陰核を中指の腹で擦りつつ、彼のペニスを舐めまわす。汗のしょっぱさと、雄の香り。思い切って口に含むと、それは濃厚な香りになってわたしの胸を満たした。頭がぼーっとして、唾液が止めどなく湧き出てくる。
「んちゅ……ぷは、はあ、すき……くろみねくん、すき……はぷ」
技巧も何もないけれど、ただひたすらに尽くしてあげたいという気持ちが膨らむ。亀頭を丁寧に舐め回し、カリの下まで舌先を伸ばし、竿を根本から扱いて射精を促す。尽くせば尽くすほど、彼のペニスは脈動し、その熱を伝えてくれる。奉仕とはなんて甘美なものなのだろう。
ほどなく、口内で彼の亀頭が一際大きく膨らんで、どぴゅり、と熱い白濁を吐き出す。すこし苦味があって、しょっぱいそれ。雄が牝を孕ませるための、精液。黒峰くんが、出してくれた。わたしの口と手で。口のなかに溢れてしまうほどに。
彼のペニスに牝として認められていることに恍惚としながら、わたしも数回目の絶頂を迎える。震えながらも、亀頭を吸い上げ、竿を扱き上げて残った精液を搾り取る。一滴も残さないように。彼の精液は、全部わたしのものなのだから。
十分に吸い尽くし、下品な音とともにペニスから口を離すと、自分の愛液に塗れた左手に精液を吐き出す。前回してあげたときから自分で処理していないのだろうか。量も多く、ところどころゲル状の塊になった精液を、ゆっくりと舐めとる。
「だめ……」
おかしい。こんなこと、普通じゃありえない。わたしが変態なのだろうか。
彼の精液が――あまりにも美味しい。
一般的に、不味いものだと聞いているのだけれど。
初めて飲んだ時から抵抗はなかったし、最近は美味しさまで感じるようになった。おまけに肉体的な渇きだけでなく、精神的にも満たされるような充足感がある。事実、彼の精液を飲んだ後は勉強も捗るくらいだ。
ただ、もっと深くまで満たして欲しいという願望も、ある。中途半端に渇きを満たされたが故に、むしろ渇きに耐えられなくなるような。
「くろみね、くん……」
恍惚の嘆息とともに、わたしは彼の下腹部に顔をうずめた。子宮が疼く。彼のペニスを、自分のなかに収めてしまいたい。口じゃなくて、膣のなかで果てさせたいし、子宮に精液を浴びせて欲しい。
けれど、初めては彼にしてほしかった。起きている時の彼に。自分の意思で。
「うう……」
こうしている今、もしも彼の目が覚めたら。目の前には発情しきった牝がいて、射精したばかりのペニスはきっとまたすぐに力を取り戻して。わたしがくろみねくんへ向けてお尻をふりふりと振って、淫猥な言葉とともに種付けを乞うたら。
彼はわたしを犯してくれるだろうか。
恨めしげに彼のペニスを握る。甘勃ちになっているそれは、もう硬さを取り戻しつつあった。
「ん……もう少し、頑張ってくれるのかしら……?」
わたしの為に勃起してくれるペニスが愛おしくて、何度も裏筋に口づけしてしまう。子宮にもらえないぶん、口でたくさんもらおう。そう決めて、わたしは口の端を舐めた。
* * *
「ん、んん……」
目を覚ますと、僕はソファで横になっていた。枕元がやけに心地よい。あの名状しがたい感触のソファではありえない心地よさ。
はっとして目を上げると、藤夜先輩がいつものように猫のような目で微笑んで僕を見下ろしていた。淡いトリートメントの香りと先輩の体臭が入り混じった、良い匂い。ストッキング越しに伝わる、先輩の体温とふとももの柔らかさ。
「おはよう、黒峰くん」
はっとして体を起こす。どうやら先輩に膝枕されていたようだった。
「ご、ごめんなさい、ええと、その、寝落ちしちゃって……というか、また膝の上で……」
くすくすと笑う先輩をよそに、しどろもどろになりながら謝罪する。先輩の膝で寝てしまうのは、実は初めてのことではない。最近、部活中やたらと眠気に襲われるのだ。起きた時には先輩に膝枕されている。子供か、という話だ。
しかし、どれくらい寝ていたのだろう。壁にかかった禍々しい時計――やはり先々代の部長が見つけてきたという、触手があしらわれた、すごく見づらい時計――を見やる。針はだいたい五時の辺りを指しているから、一時間ほどだろうか。
「気にしないで。もともと、この時間は休憩みたいなものだから。それより、そろそろ後片付けをして帰りましょう?」
先輩は微笑んで僕の寝癖を直す。一周回ってなんだかもう恥ずかしくない。
窓の外に目をやると、陽は沈みかけて深い藍色が辺りを包んでいた。
「ねえ、黒峰くん」
帰り道。学校からの帰り道、春とはいえまだ肌寒い宵の口を二人で歩いていると、藤夜先輩は問いかけてきた。
「はい」
「部活のときよく寝てるけど、何か夢とか見るのかしら?」
「……それって、暗に非難してます……?」
先輩はくすくすと笑って手を振って否定した。
「ああ、そんなつもりではないの。ただ、その……あんまりにも気持ちよさそうな寝顔だから」
……きっとさぞかし間抜けな寝顔を晒しているのだろう。
「うーん……夢は見てないと思います。お恥ずかしい話、すごいぐっすり寝ちゃってて。起きるとすごい気分爽快って感じなんですよね……あ、でも」
ふと思い出す。
「ずいぶん昔、部室に一人でいたとき、ソファで寝落ちしちゃったんですよね。そのときすごい悪夢を見たのを覚えてます。耳から脳みそに触手を入れられる夢でした」
「……それは確かに悪夢ね」
「やっぱりあのソファ、曰くつきなんですかね。綿の代わりに大量の触手が入ってるらしいですけど。今日は先輩の膝枕で寝たから平気だったのかも」
冗談めかして調子に乗ったことを言うと、先輩は思いのほか楽しげな表情を浮かべていた。サイドに垂らした髪を手で軽く梳くのは、先輩の機嫌がいいときの癖だ。
「ふふ。じゃあ、明日も膝枕してあげようかしら」
「や、もう寝ませんよ。明日こそは有意義な時間を過ごしますから……と、じゃあこのへんで」
お気をつけて、また明日、と挨拶して僕たちは別れる。こちらに手を振る先輩。
灯り始めた街灯が、彼女の影を長々と落としていた。
* * *
明くる日の放課後。いつものように僕は部室へ向かう。今日はついでに先輩に数学の問題について聞こうと考えていた。さすがに勉強を教わりながら寝たりはしないだろう。
「……あれ、灯りがついてない」
今日は早めにホームルームが終わったため、どうやら先輩より先に部室についてしまったようだった。合鍵で部室に入り、荷物を置いたところで。
ぞくり、と。
肌が粟立った。
誰かがいる。
何か異物がいるというだけで、通い慣れた部室がまるで異質な空間に感じられた。
はやく、灯りを――
そのとき。
「こんにちは」
無機質な声が後ろから響く。反射的に振り向くと、赤い赤い瞳が、僕の眼を覗きこんでいた。
「ひっ……」
思わず仰け反り、ソファに尻餅をつく。やや小柄の人影が、僕を見下ろしている。
鍵も開いていなかったのに、どこから?
混乱する僕をよそに、その人は電灯のスイッチをぱちり、とつける。
一瞬、人形が立っているのかと思った。
肩ほどまでの色素の薄い髪と、赤い瞳。磁器のように白く、恐ろしく整った顔立ち。首元のリボンは一年生を示す青色。
その少女はこちらをまっすぐに見つめて言った。
「部活動、見学させて頂いてもよろしいですか?」
「いやあ、びっくりしたよ。ドア上の換気窓から入ってくるなんて」
数分後、落ち着いた僕たちはお菓子をつまみながら談笑していた。
「いえ、扉の前でお待ちしていようかと思っていたのですが。窓が開いていたので、つい……」
霧宮さん、というらしい――人形のように肩口で綺麗に切りそろえられた色素の薄い髪と、怜悧な眼差し、朱を引いたような薄い唇が印象的な女の子。
登場の仕方こそ心臓に悪かったが、その他は概ね丁寧で良い子だった。
「部員は先輩一人なのでしょうか?」
霧宮さんは小首を傾げて問うてくる。
「いや、藤夜さんていう先輩がいるんだけど、そろそろ来るんじゃないかな?」
「――そのひとは」
「うん?」
やけに語気が鋭くなったので、僕は聞き返す。
「いえ……部員はそのひとと先輩だけですか?」
「うん。霧宮さんが入ってくれたら女子二人に男子一人だね。まあ、最近はなんだか女の子の入学者が増えてるみたいだから、女性部員が多めなのは珍しいことでもないよね」
「――――ええ」
そのときの霧宮さんの鋭い視線の意味を、後に僕は知ることになる。
* * *
かつ、かつ、とわたしの足音が廊下に響く。はやる気持ちを抑え、平静を装って旧校舎を歩く。
それでもやはり、気持ち早足になってしまうのは仕方がないことだと思う。わたしの生活で唯一楽しみにしている時間が待っているのだから。
入学してすぐ、入る学校を間違えた、と思った。体調を崩して第一志望を受けられず、滑り止めで入った高校。中学からの進学者たちで既にグループは形成されていて、少数の高校から入った生徒たちは苦労して打ち解けるか、諦めて孤立していた。
わたしはそもそも打ち解ける努力すらする気になれなかった。下劣な話題しか口にしない級友たちに混ざるくらいなら、勉強していたほうがよほど面白い。幸いにも優等生というポジションを得ることが出来たので、最低限のコミュニケーションだけとっていれば、波風を立てずに生活することができた。
ただ、わたしの居場所はどこにもなかった。家に帰れば両親に大学受験に向けてのプレッシャーをかけられる。今日は何時間勉強したのか。授業で何を学んだのか。夕飯の席で必ず問われる。
学年が進むごとにそうしたプレッシャーは学校でも強くなり、教師や級友たちも、わたしの模試の成績が帰ってくる度に期待の眼差しで見つめてくるようになった。視線。視線。視線。視線は圧力だ。良い成績を取れば礼賛と嫉妬の眼差しが向けられ、少しでも悪い成績を取れば「どうしたの?」などと聞かれる。
気づくと、わたしにとってはオカルト研究会の部室が唯一の憩いの場所になっていた。とりわけ、そこに来る後輩――黒峰くんが。
新入生が入部すると聞いたとき、わたしはその人を疎ましく思うだろうと予期していた。気兼ねなく過ごせる空間を奪われるのだから。最悪の場合、部を辞めるつもりだった。
けれど、全くそんなことにはならなかった。最初、色白で中性的な顔立ちからはどこか冷たい印象を受けたけれど、温かみのある人だった。人懐こく、それでいて馴れ馴れしいところがまるでない。
周囲と自分を切り離しつつ、他者と適切に距離をとるのが上手なのだろう。部活の間じゅうずっと二人きりで一緒にいるのに、少しも不愉快に思わなかった。もっと一緒にいたいと感じた人間は、彼が初めてだった。
気づけば、むしろ両親を説得して、三年生になっても部を続けていた。
彼と時間を過ごすようになってはじめて――わたしは淋しかったのだと理解したから。
「――ああ」
けれど、依然として彼以外の人間とは仲良くしようと思えなかった。プライドが高いから?いや、優劣ではなく単に性質の問題だ。わたしに合うひとは彼しかいない。
わたしには彼しかいない。
けれど、彼にとってはどうなのだろう?わたしはその他大勢の中の一人にすぎないのでは?
他の人と話さないでほしい。彼がわたしだけのものでいてくれたら。
好意と依存と独占欲、どれが最初だったのかは分からない。
わたしはそれらをないまぜにした昏い昏い愛情を、彼に傾けるようになった。
そしてある日。
部室に入ると、彼がソファで眠っていた。悪夢でも見ているのか、ひどく魘されている。思わず駆け寄って、肩を軽く叩く。起きない。ハンカチで額の汗を拭いている間に呼吸は穏やかになったが、起きる気配はない。
上気した頬。汗ばんだ肌。間近でみる彼の顔。
魔が差した、としか言いようがない。
気づくとわたしは眠っている彼の唇を奪っていた。
そのときはそれだけで終わったが、彼の肌の感触が忘れられず、彼に睡眠薬を飲ませ、唇を貪り――その次には肌を舐めまわし――とうとう口淫に及んでしまった。
救いがたい話だけれど、彼と、彼が与えてくれる快楽の虜になったわたしには、もはややめることはできない。阿片のような快楽。
「昨日したばかりだけれど……今日もしてしまおうかしら」
連日のように眠らせてしまうと、流石に怪しまれるだろうと思って控えてはいるのだけれど。
最近はもう、あまり我慢ができない。
結局早足になっていたわたしは、四階にある部室の前に着く頃には、少し息が切れていた。そんな自分が恥ずかしくて、深呼吸して息を整える。扉からは灯りが漏れている。今日は珍しく、黒峰くんが先に部室に着いたのだろう。
わたしは呼吸を落ち着かせながら扉を開いた。
* * *
「黒峰くん、その女の子は――?」
「あ、藤夜先輩」
藤夜先輩は入ってくるなり、僕にそう尋ねてきた。細い目がいつになく険しく見開かれていて、僕は少し動揺する。性急な物言いといい、普段の先輩らしくない。
「新入生の霧宮さんです。今日は部活見学に来たそうで」
「こんにちは。1年の霧宮です」
僕の説明も言葉半ばに、霧宮さんは慇懃にお辞儀をする。
「初めまして、藤夜です。新入生が来るなんて思ってもいなかったけれど、勿論歓迎するわ――」
つ、と一度目を伏した先輩は、どこか陰のある笑みを浮かべて、僕たちの方へ向き直る。
「二人とも、紅茶はどう?」
学校という場所にあるべき喧騒はなく、ただ僕の足音が廊下に谺する。
誰もいない四階の角部屋。「オカルト研究会」と手書きで記された札が下がるその部屋の扉を、今日も僕は開く。
「――あら」
今日は少し遅かったのね、と。
澄んだ声の主――藤夜(ふじよ)先輩は部室の中央、深紅色のソファに腰掛けていた。めくっていた単語帳を閉じて、腰まである長髪を後ろに払ってにっこりと微笑む。先輩は細目なので、笑うとなんだか猫のように見える。
「いえ、ホームルームが長引いてしまって……」
かばんを下ろして、微妙に距離を置いて先輩の隣に座る。名状しがたい触感のソファは先々代の部長が買ったコレクションの一つで、深海生物の触手をクッションの綿につかったものらしい。その真偽はともかく、部室にある先々代部長の蒐集物のなかでは、まだ有用性が高い方だろう。
「あれって不毛な時間よね。紅茶飲む?」
「頂きます」
そろり、と立ち上がって、先輩が私物の紅茶をカップに注いでくれる。ダージリンかアッサムかわからないが、きっと良い茶葉なのだろう。芳醇な香りが辺りを漂う。
「はい、熱いから気をつけてね……。で、今日は何の本を読むの?中原中也?原民喜?そういえば読みさしのショーレムはどこへいったのかしら」
先輩はくすくすと笑う。
「紅茶ありがとうございます。……あれはまだ積んでますよ。今日は課題の英文和訳でも進めようかな、と」
「あら、真面目」
先輩はソファに戻って、僕のすぐ隣に腰を下ろす。紅茶の香りに混じって、先輩の匂いがふわりと漂った。
僕を真面目、と評した先輩は、けれど僕より遥かに真面目で頭も良いのだった。うちのような、いいとこ中堅の進学校にはもったいないほどの秀才だと聞く。
おまけにすごく――美人だ。腰ほどまである、濡羽色の流れるような長髪。細く、華奢な体つき。ただ表情は、いつも伏せているような細い目とも相まって、どこか陰があるように見える。先輩に彼氏がいないようなのは、この暗さのせいなのかもしれない。
「……」
「なあに?」
気づくと、先輩が可笑しそうな目でこちらを見返していた。僕は照れ隠しに紅茶を啜る。本当はもっと先輩を眺めていたいのだけれど、必ずバレる。先輩は、どんなに勉強に集中しているように見えても、僕が見ているとすぐに視線が合うのだ。
不思議。
視線に敏感なのかもしれない。……あるいは僕の目つきがよほどいやらしいか。
「あ、紅茶、すごく美味しいです。先輩が持ってきてる茶葉ですよね?なんか独特の甘みがありますよね」
「茶葉にはそんなに高いものではないけれど、淹れ方には結構こだわってるのよ」
そう言って、藤夜先輩はこころもち胸を張ってみせる。服の上からだとあまり目立たないけれど、体が細いから実はけっこう巨乳っぽい。
「黒峰くん、視線の動きが分かりやすいのね」
胸を手で隠す素振りをしながら、先輩はまたくすくすと笑う。
流石に今度は赤面を隠せず、僕はテキストをかばんから引っ張りだした。もう勉強に集中しよう。
「あれ。黒峰くん?……寝てる?」
数十分後。黒峰くんは机の上に広げたノートに突っ伏して寝ていた。
「育ち盛りだものね」
わたしはそう嘯いて、彼の寝顔をじっと見つめる。中性的、というのだろうか。透き通るような白い肌といい、長い睫毛といい――ともすれば女の子に間違えられそうな、フェミニンな雰囲気を漂わせた面立ち。
やや長めの前髪をかき分けて、そっと頬を撫ぜる。……起きない。よほど深く眠っているようだ。
「……この薬、本当に良い効き目ね」
制服の胸ポケットから白い錠剤を取り出す。通販で買った睡眠剤。バフォメット製薬、とか言う企業の製品だったか。仮にも危ない薬を飲ませるわけにはいかないので、慎重に調べて買ったのだけれど、こんなに効くとは思わなかった。
ちなみにタネはびっくりするほど簡単でつまらない。彼がいつも使うマグカップに、予め睡眠剤を入れておいて、紅茶を注いで渡すだけ。
「よいしょっ、と」
彼の上体を起こしてソファに凭れかけさせると、わたしはその前に跪き、スラックスのジッパーを下ろす。そっと手を忍び込ませると、お目当てのものはすぐに見つかった。彼のペニス。彼の細い外見からすると意外なほど太くて長いそれは、わたしの手で探り当てられただけでもう半勃ちになっている。
「もしかして、わたしのおててのこと、覚えてくれてたのかしら……?」
彼のペニスの反応が嬉しくて、竿を揉むように扱いてやる。すぐにそれは硬く反り返り始めて、下着の中に収まりきらなくなった。スラックスに引っかからないように気をつけつつ、外に出してあげると、ぶるん、と大きく跳ねる。
ほんとうに、大きい。
血管が太く脈打って、亀頭は艶やかに膨らみきっている。軽く扱いてみると、大きく張り出したカリが人差し指に引っかかった。いけない、潤滑液が必要だ。
わたしはでろりと唾液を掌に垂らす。指先に唾液をまとわり付かせ、亀頭をしっかり扱く。濡らしたせいで、ぬちょ、と卑猥な音が立つようになってしまった。
「これが、わたしの、膣に……」
この充血しきった海綿体が、未通だったわたしのなかを容赦なく拡げて、押し進んでいく。わたしの膣は彼のペニスのサイズぴったりに拡がって、それをぎちぎちと締め付け、離さないとばかりにすっかり密着してみせるだろう。けれど彼の鈴口がわたしの子宮口に押し付けられると、わたしの膣肉は小躍りして精液を搾り取ろうと蠕動しだすのだ。そして膣道を戻りだしたペニスが、今度は立派なカリでわたしの膣壁をこそげ、ひだひだを伸ばし、拡げる。
「だめ……我慢できない」
その様を想像して、わたしは堪えきれずにパンストと下着を下ろす。そこはすでに愛液で塗れている。真珠のように膨らんだ陰核を中指の腹で擦りつつ、彼のペニスを舐めまわす。汗のしょっぱさと、雄の香り。思い切って口に含むと、それは濃厚な香りになってわたしの胸を満たした。頭がぼーっとして、唾液が止めどなく湧き出てくる。
「んちゅ……ぷは、はあ、すき……くろみねくん、すき……はぷ」
技巧も何もないけれど、ただひたすらに尽くしてあげたいという気持ちが膨らむ。亀頭を丁寧に舐め回し、カリの下まで舌先を伸ばし、竿を根本から扱いて射精を促す。尽くせば尽くすほど、彼のペニスは脈動し、その熱を伝えてくれる。奉仕とはなんて甘美なものなのだろう。
ほどなく、口内で彼の亀頭が一際大きく膨らんで、どぴゅり、と熱い白濁を吐き出す。すこし苦味があって、しょっぱいそれ。雄が牝を孕ませるための、精液。黒峰くんが、出してくれた。わたしの口と手で。口のなかに溢れてしまうほどに。
彼のペニスに牝として認められていることに恍惚としながら、わたしも数回目の絶頂を迎える。震えながらも、亀頭を吸い上げ、竿を扱き上げて残った精液を搾り取る。一滴も残さないように。彼の精液は、全部わたしのものなのだから。
十分に吸い尽くし、下品な音とともにペニスから口を離すと、自分の愛液に塗れた左手に精液を吐き出す。前回してあげたときから自分で処理していないのだろうか。量も多く、ところどころゲル状の塊になった精液を、ゆっくりと舐めとる。
「だめ……」
おかしい。こんなこと、普通じゃありえない。わたしが変態なのだろうか。
彼の精液が――あまりにも美味しい。
一般的に、不味いものだと聞いているのだけれど。
初めて飲んだ時から抵抗はなかったし、最近は美味しさまで感じるようになった。おまけに肉体的な渇きだけでなく、精神的にも満たされるような充足感がある。事実、彼の精液を飲んだ後は勉強も捗るくらいだ。
ただ、もっと深くまで満たして欲しいという願望も、ある。中途半端に渇きを満たされたが故に、むしろ渇きに耐えられなくなるような。
「くろみね、くん……」
恍惚の嘆息とともに、わたしは彼の下腹部に顔をうずめた。子宮が疼く。彼のペニスを、自分のなかに収めてしまいたい。口じゃなくて、膣のなかで果てさせたいし、子宮に精液を浴びせて欲しい。
けれど、初めては彼にしてほしかった。起きている時の彼に。自分の意思で。
「うう……」
こうしている今、もしも彼の目が覚めたら。目の前には発情しきった牝がいて、射精したばかりのペニスはきっとまたすぐに力を取り戻して。わたしがくろみねくんへ向けてお尻をふりふりと振って、淫猥な言葉とともに種付けを乞うたら。
彼はわたしを犯してくれるだろうか。
恨めしげに彼のペニスを握る。甘勃ちになっているそれは、もう硬さを取り戻しつつあった。
「ん……もう少し、頑張ってくれるのかしら……?」
わたしの為に勃起してくれるペニスが愛おしくて、何度も裏筋に口づけしてしまう。子宮にもらえないぶん、口でたくさんもらおう。そう決めて、わたしは口の端を舐めた。
* * *
「ん、んん……」
目を覚ますと、僕はソファで横になっていた。枕元がやけに心地よい。あの名状しがたい感触のソファではありえない心地よさ。
はっとして目を上げると、藤夜先輩がいつものように猫のような目で微笑んで僕を見下ろしていた。淡いトリートメントの香りと先輩の体臭が入り混じった、良い匂い。ストッキング越しに伝わる、先輩の体温とふとももの柔らかさ。
「おはよう、黒峰くん」
はっとして体を起こす。どうやら先輩に膝枕されていたようだった。
「ご、ごめんなさい、ええと、その、寝落ちしちゃって……というか、また膝の上で……」
くすくすと笑う先輩をよそに、しどろもどろになりながら謝罪する。先輩の膝で寝てしまうのは、実は初めてのことではない。最近、部活中やたらと眠気に襲われるのだ。起きた時には先輩に膝枕されている。子供か、という話だ。
しかし、どれくらい寝ていたのだろう。壁にかかった禍々しい時計――やはり先々代の部長が見つけてきたという、触手があしらわれた、すごく見づらい時計――を見やる。針はだいたい五時の辺りを指しているから、一時間ほどだろうか。
「気にしないで。もともと、この時間は休憩みたいなものだから。それより、そろそろ後片付けをして帰りましょう?」
先輩は微笑んで僕の寝癖を直す。一周回ってなんだかもう恥ずかしくない。
窓の外に目をやると、陽は沈みかけて深い藍色が辺りを包んでいた。
「ねえ、黒峰くん」
帰り道。学校からの帰り道、春とはいえまだ肌寒い宵の口を二人で歩いていると、藤夜先輩は問いかけてきた。
「はい」
「部活のときよく寝てるけど、何か夢とか見るのかしら?」
「……それって、暗に非難してます……?」
先輩はくすくすと笑って手を振って否定した。
「ああ、そんなつもりではないの。ただ、その……あんまりにも気持ちよさそうな寝顔だから」
……きっとさぞかし間抜けな寝顔を晒しているのだろう。
「うーん……夢は見てないと思います。お恥ずかしい話、すごいぐっすり寝ちゃってて。起きるとすごい気分爽快って感じなんですよね……あ、でも」
ふと思い出す。
「ずいぶん昔、部室に一人でいたとき、ソファで寝落ちしちゃったんですよね。そのときすごい悪夢を見たのを覚えてます。耳から脳みそに触手を入れられる夢でした」
「……それは確かに悪夢ね」
「やっぱりあのソファ、曰くつきなんですかね。綿の代わりに大量の触手が入ってるらしいですけど。今日は先輩の膝枕で寝たから平気だったのかも」
冗談めかして調子に乗ったことを言うと、先輩は思いのほか楽しげな表情を浮かべていた。サイドに垂らした髪を手で軽く梳くのは、先輩の機嫌がいいときの癖だ。
「ふふ。じゃあ、明日も膝枕してあげようかしら」
「や、もう寝ませんよ。明日こそは有意義な時間を過ごしますから……と、じゃあこのへんで」
お気をつけて、また明日、と挨拶して僕たちは別れる。こちらに手を振る先輩。
灯り始めた街灯が、彼女の影を長々と落としていた。
* * *
明くる日の放課後。いつものように僕は部室へ向かう。今日はついでに先輩に数学の問題について聞こうと考えていた。さすがに勉強を教わりながら寝たりはしないだろう。
「……あれ、灯りがついてない」
今日は早めにホームルームが終わったため、どうやら先輩より先に部室についてしまったようだった。合鍵で部室に入り、荷物を置いたところで。
ぞくり、と。
肌が粟立った。
誰かがいる。
何か異物がいるというだけで、通い慣れた部室がまるで異質な空間に感じられた。
はやく、灯りを――
そのとき。
「こんにちは」
無機質な声が後ろから響く。反射的に振り向くと、赤い赤い瞳が、僕の眼を覗きこんでいた。
「ひっ……」
思わず仰け反り、ソファに尻餅をつく。やや小柄の人影が、僕を見下ろしている。
鍵も開いていなかったのに、どこから?
混乱する僕をよそに、その人は電灯のスイッチをぱちり、とつける。
一瞬、人形が立っているのかと思った。
肩ほどまでの色素の薄い髪と、赤い瞳。磁器のように白く、恐ろしく整った顔立ち。首元のリボンは一年生を示す青色。
その少女はこちらをまっすぐに見つめて言った。
「部活動、見学させて頂いてもよろしいですか?」
「いやあ、びっくりしたよ。ドア上の換気窓から入ってくるなんて」
数分後、落ち着いた僕たちはお菓子をつまみながら談笑していた。
「いえ、扉の前でお待ちしていようかと思っていたのですが。窓が開いていたので、つい……」
霧宮さん、というらしい――人形のように肩口で綺麗に切りそろえられた色素の薄い髪と、怜悧な眼差し、朱を引いたような薄い唇が印象的な女の子。
登場の仕方こそ心臓に悪かったが、その他は概ね丁寧で良い子だった。
「部員は先輩一人なのでしょうか?」
霧宮さんは小首を傾げて問うてくる。
「いや、藤夜さんていう先輩がいるんだけど、そろそろ来るんじゃないかな?」
「――そのひとは」
「うん?」
やけに語気が鋭くなったので、僕は聞き返す。
「いえ……部員はそのひとと先輩だけですか?」
「うん。霧宮さんが入ってくれたら女子二人に男子一人だね。まあ、最近はなんだか女の子の入学者が増えてるみたいだから、女性部員が多めなのは珍しいことでもないよね」
「――――ええ」
そのときの霧宮さんの鋭い視線の意味を、後に僕は知ることになる。
* * *
かつ、かつ、とわたしの足音が廊下に響く。はやる気持ちを抑え、平静を装って旧校舎を歩く。
それでもやはり、気持ち早足になってしまうのは仕方がないことだと思う。わたしの生活で唯一楽しみにしている時間が待っているのだから。
入学してすぐ、入る学校を間違えた、と思った。体調を崩して第一志望を受けられず、滑り止めで入った高校。中学からの進学者たちで既にグループは形成されていて、少数の高校から入った生徒たちは苦労して打ち解けるか、諦めて孤立していた。
わたしはそもそも打ち解ける努力すらする気になれなかった。下劣な話題しか口にしない級友たちに混ざるくらいなら、勉強していたほうがよほど面白い。幸いにも優等生というポジションを得ることが出来たので、最低限のコミュニケーションだけとっていれば、波風を立てずに生活することができた。
ただ、わたしの居場所はどこにもなかった。家に帰れば両親に大学受験に向けてのプレッシャーをかけられる。今日は何時間勉強したのか。授業で何を学んだのか。夕飯の席で必ず問われる。
学年が進むごとにそうしたプレッシャーは学校でも強くなり、教師や級友たちも、わたしの模試の成績が帰ってくる度に期待の眼差しで見つめてくるようになった。視線。視線。視線。視線は圧力だ。良い成績を取れば礼賛と嫉妬の眼差しが向けられ、少しでも悪い成績を取れば「どうしたの?」などと聞かれる。
気づくと、わたしにとってはオカルト研究会の部室が唯一の憩いの場所になっていた。とりわけ、そこに来る後輩――黒峰くんが。
新入生が入部すると聞いたとき、わたしはその人を疎ましく思うだろうと予期していた。気兼ねなく過ごせる空間を奪われるのだから。最悪の場合、部を辞めるつもりだった。
けれど、全くそんなことにはならなかった。最初、色白で中性的な顔立ちからはどこか冷たい印象を受けたけれど、温かみのある人だった。人懐こく、それでいて馴れ馴れしいところがまるでない。
周囲と自分を切り離しつつ、他者と適切に距離をとるのが上手なのだろう。部活の間じゅうずっと二人きりで一緒にいるのに、少しも不愉快に思わなかった。もっと一緒にいたいと感じた人間は、彼が初めてだった。
気づけば、むしろ両親を説得して、三年生になっても部を続けていた。
彼と時間を過ごすようになってはじめて――わたしは淋しかったのだと理解したから。
「――ああ」
けれど、依然として彼以外の人間とは仲良くしようと思えなかった。プライドが高いから?いや、優劣ではなく単に性質の問題だ。わたしに合うひとは彼しかいない。
わたしには彼しかいない。
けれど、彼にとってはどうなのだろう?わたしはその他大勢の中の一人にすぎないのでは?
他の人と話さないでほしい。彼がわたしだけのものでいてくれたら。
好意と依存と独占欲、どれが最初だったのかは分からない。
わたしはそれらをないまぜにした昏い昏い愛情を、彼に傾けるようになった。
そしてある日。
部室に入ると、彼がソファで眠っていた。悪夢でも見ているのか、ひどく魘されている。思わず駆け寄って、肩を軽く叩く。起きない。ハンカチで額の汗を拭いている間に呼吸は穏やかになったが、起きる気配はない。
上気した頬。汗ばんだ肌。間近でみる彼の顔。
魔が差した、としか言いようがない。
気づくとわたしは眠っている彼の唇を奪っていた。
そのときはそれだけで終わったが、彼の肌の感触が忘れられず、彼に睡眠薬を飲ませ、唇を貪り――その次には肌を舐めまわし――とうとう口淫に及んでしまった。
救いがたい話だけれど、彼と、彼が与えてくれる快楽の虜になったわたしには、もはややめることはできない。阿片のような快楽。
「昨日したばかりだけれど……今日もしてしまおうかしら」
連日のように眠らせてしまうと、流石に怪しまれるだろうと思って控えてはいるのだけれど。
最近はもう、あまり我慢ができない。
結局早足になっていたわたしは、四階にある部室の前に着く頃には、少し息が切れていた。そんな自分が恥ずかしくて、深呼吸して息を整える。扉からは灯りが漏れている。今日は珍しく、黒峰くんが先に部室に着いたのだろう。
わたしは呼吸を落ち着かせながら扉を開いた。
* * *
「黒峰くん、その女の子は――?」
「あ、藤夜先輩」
藤夜先輩は入ってくるなり、僕にそう尋ねてきた。細い目がいつになく険しく見開かれていて、僕は少し動揺する。性急な物言いといい、普段の先輩らしくない。
「新入生の霧宮さんです。今日は部活見学に来たそうで」
「こんにちは。1年の霧宮です」
僕の説明も言葉半ばに、霧宮さんは慇懃にお辞儀をする。
「初めまして、藤夜です。新入生が来るなんて思ってもいなかったけれど、勿論歓迎するわ――」
つ、と一度目を伏した先輩は、どこか陰のある笑みを浮かべて、僕たちの方へ向き直る。
「二人とも、紅茶はどう?」
15/10/23 13:24更新 / しろはなだ
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