飼う者と飼われる者
セシリオは、鍋をかき回しながら中を覗き込んだ。トマトはうまい具合に煮えている。一緒に煮ている玉ねぎと人参、そしてわずかな鶏の肉に染み込んでいるようだ。背後のテーブルの上には、硬いパンと安物の葡萄酒、牛乳が用意してある。シチューが出来れば、夕食の準備は終わる。
すでに夜は更けており、寝ている者も多い。だが、セシリオの飼い主は、今頃ようやく仕事を終えるのだ。彼女の仕事を考えると仕方のないことだ。
シチューが出来上がったちょうどその時に、彼の飼い主が部屋に入ってきた。彼女は、身体を隠す長衣をきつく自分の体に巻き付けている。仕事をする時は扇情的な格好をするが、その反動で仕事以外の時は体を隠そうとする。
セシリオは、火を止めて彼女を迎え入れる。彼の姿を見て、疲労のにじんだ女の顔に笑みが浮かんだ。
セシリオは、娼婦であるマリエッタに飼われていた。マリエッタに衣食住の面倒を見てもらっている。代わりに、掃除、洗濯、料理などをしている。
彼の一番の仕事は、飼い主に奉仕することだ。彼女の体を洗い、揉みほぐし、そして性玩具として奉仕する。性玩具である少年は、年増の娼婦の体の隅々まで知っている。その体の反応も知り尽くしている。
セシリオは、自分の境遇を悪いものとは思っていない。雨露をしのぐ部屋に住むことが出来る。寒さを防ぐ服を着ることが出来る。飢えに苦しむことも無い。殴られることも無い。彼の飼い主は、彼の両親に比べれば天使のようだ。性玩具になることなど些細なことだ。
粗末な部屋の中にはたいしたものは無い。セシリオの努力のおかげで清潔なことくらいが取り柄だろう。その部屋の中で、二人は食事を楽しむ。
食事が終わり、セシリオは食器を洗う。その背を、飼い主である娼婦は見つめている。まとわりつくような粘っこい視線だ。少年は、彼女が何を望んでいるのか分かっていた。
マリエッタは、裸の状態で寝台に仰向けの格好になっていた。セシリオも裸となり、彼女の体に覆いかぶさる。彼は、飼い主の体に口付けていく。首に、肩に、胸に、腋に口付けていく。彼女の反応をうかがいながら、丁寧に口と舌で奉仕する。
夏の熱気に汗ばむ彼女の体を、セシリオは水で洗ったばかりだ。彼女の体からは、香草の香りが立ち上っている。あらかじめ水に香草を漬けていたのだ。二人のささやかな贅沢だ。
性玩具たる少年は、奉仕する対象である女の体を見る。娼婦として食えるだけあり、肉感的な魅力の有る体だ。だが、年のせいで豊かな胸は垂れ、腹には肉がついている。セシリオは、年増娼婦の腹を愛撫しながら口を付ける。
娼婦の首には、淫魔のお守りがかかっている。彼らのいる国は反魔物国であり、淫魔は禁忌の存在だ。だが娼婦たちは、自分の仕事が上手く行くように密かに身に着けている。
女のヴァギナからは、透明な蜜があふれていた。少年は、ヴァギナに口を付けて蜜をすすり上げる。ろうそくの灯りは、娼婦の下腹部を照らす。数えきれないほど男を迎え入れたヴァギナは、黒ずんだ色をしている。粘っこい蜜は、少年の舌にまとわりつく。
セシリオは、ヴァギナから舌を移していく。ヴァギナと尻の間をゆっくりと往復する。そして女の尻を持ち上げると、その尻の穴に舌を這わせる。毛の生えた尻の穴をくすぐり、皺を一本一本舐めていく。そうしてほぐすと、中へと舌をもぐり込ませた。
女は、かすれた声であえぎ声をあげる。その声を聴きながら、少年はゆっくりと舌を出し入れする。尻の穴の入り口は、丁寧に洗った。だが、奥へと舌を進めると、独特の臭気と味がする。少年にとっては、慣れた臭いと味だ。
女は、性玩具の頭を軽く叩いた。この合図の後にやることは分かっている。少年は体を起こし、女のヴァギナにペニスを当てる。少年らしい小ぶりのペニスは、硬くそり返っている。少年は、蜜壺の中へと進めていく。
性玩具は、飼い主の反応を見ながらペニスを動かし続けた。痙攣し、もだえ、喘ぎ声を上げる彼女を見ながら、効果を考えてペニスを出し入れする。飼い主は、彼に熱心に性技を仕込んだ。彼は、その成果を惜しみなく発揮していく。
少年は、飼い主が絶頂へと上りつめる様を落ち着いて見つめていた。獣じみた声を上げる女を見ながら、少年はペニスを抜く。そして女の腹に向かって白濁液を放つ。
彼は、飼い主の恍惚とした表情を見ながら、荒い息をおさめようとしていた。
マリエッタは寝息を立てていた。セシリオは、彼女を無言のまま見下ろしている。彼女の整った顔には、穏やかな表情が浮かんでいる。ほつれた赤毛は、彼女の顔を魅惑的に引き立てている。
だが、彼女は若さを失いつつある。その肌は、若いころの張りは乏しい。体形には、だらしの無さが目に付くようになっている。熟した魅力はあるが、若いころの魅力に比べると見劣りする。
ただ、セシリオは彼女の若いころを知らない。彼がマリエッタに拾われたのは、二年前のことだ。
セシリオは、貧民窟で生まれ育った。現在住んでいる街に広がる貧民窟だ。彼は、飢えと不潔、殴打の苦痛と共に生きて来た。虱まみれの髪をして腹を空かせ、両親に殴られないかと怯える日々だ。
彼は、十一歳の時に家から逃げ出した。両親に、しつけと称して縛られ、熱湯を浴びせられたのだ。その時のやけどの跡は、彼の胸と腹に残っている。逃げ出す時に住んでいた部屋に火を付けたことは、ささやかな復讐だ。その後に火事になったが、両親がどうなったのかセシリオには分からない。
頼ることの出来る者は、彼にはいない。浮浪児として生きるしかなかった。ごみをあさり、物乞いしながら生きる日々だ。浮浪児にはグループや縄張りがあり、暴力沙汰は日常茶飯事だ。セシリオは、他の浮浪児に繰り返し私刑にかけられ、おびえながら貧民窟をさ迷い歩いた。
ある日のこと、ごみをあさっていたセシリオは、後ろから棒で殴られた。彼を追い払いごみを奪おうとして、浮浪児の一人が殴りかかってきたのだ。セシリオは必死に逃げようとするが、その浮浪児は執拗に殴り付けてくる。這いつくばりながら逃げようとするセシリオの目に、割れた酒の壺が転がっているのが見える。
セシリオは、自分を襲う者にその壺を投げつける。彼の耳に、襲撃者のかん高い悲鳴が聞こえた。尖った破片がその者に突き刺さったのだ。
セシリオは懐に手を伸ばす。以前、ごみの中から拾った小刀が有る。浮浪児の悲鳴はセシリオの血をわき立たせていた。小刀を手に相手に突き進む。左足の太ももに小刀が刺さる。浮浪児は、発狂した猿のような声でわめき散らす。
小刀を抜くと、太ももから血があふれる。セシリオは、自分に力がわき上がってくることが分かった。快感が彼を支配していた。彼のペニスは怒張している。小刀は血で濡れている。この血は自分の戦果であり、力の証だと彼は感じる。彼の体は歓喜で震える。
セシリオは、地面の上で悶えている浮浪児に小刀を突き出す。小刀は、浮浪児の右の二の腕をえぐる。浮浪児は、わめきながら地面に落ちているごみを投げつけてくる。血で濡れた小刀を持った少年は、かまわずに突き進もうとする。もっと血が見たくて体が抑えられない。
不意に、小刀を持った少年は背後から取り押さえられる。振りほどこうとするが、少年から離れようとしない。小刀を持った手が抑えられる。その隙に、浮浪児は血痕を残しながら地を這って離れていく。
浮浪児が見えなくなったところで、セシリオは離された。小刀は奪い取られている。憎悪を込めて振り返ると、彼を取り押さえた女が見えた。体にきつく長衣を巻き付けた女だ。
これが、セシリオとマリエッタの出会いだ。
マリエッタの寝顔を見ながら、セシリオは出会いを思い出す。あの時は、マリエッタを憎んだ。虐げられ続けた自分が、虐げる側に回ることが出来たのだ。あの時ほどの快楽は、それまでの人生で無かった。その快楽を、彼女は奪い取ったのだ。
だが、それを機会にセシリオは彼女に飼われることとなった。彼女は、自分が生活の面倒を見ると言ったのだ。自分の言う事を聞くなら、飯を食わせ、服を着せ、部屋に住まわせてやると言った。セシリオは、マリエッタの意図を疑いながら受け入れた。浮浪児を一年近くやっており、すでに心身は限界に近かった。
マリエッタは娼婦であり、貧民窟から少し外れた地域に住んでいる。貧民窟ほどはひどくは無いが、貧しい者の住む所だ。彼女は、自分が借りている部屋にセシリオを住まわせた。
マリエッタは掃除、洗濯の仕方、食事の作り方などを仕込んだ。セシリオを自分の使用人としたのだ。また、性技について仕込んだ。彼女は、自分に奉仕する者を欲したのだ。少年は、彼女から素直に学び、まじめに奉仕した。衣食住が与えられることは、素直でまじめになるほど魅力的なことだ。
セシリオは、初めのころは性の快楽に溺れて上手く奉仕できなかった。だがマリエッタは、焦らずに辛抱強く仕込んだ。彼が性欲を抑えられない時は好きにさせ、ある程度落ち着いてから技術を教え込んだ。技術の向上が見られると、褒美として快楽を与えた。そしてより強い快楽が有ることを示唆し、自分の望む方向へと誘導した。マリエッタが熟練の娼婦だから出来たことだ。
二年がかりの教育のおかげで、セシリオはマリエッタを満足させる性技を身につけた。彼の性技は、マリエッタ以外の女も喜ばせるだろう。あくまで性技だけだが。
セシリオは、そばかすの目立つやせた少年だ。女から見て魅力のある存在では無い。彼には、マリエッタが自分を飼う理由が分からない。もっとましな少年はいるはずだ。拾われた時、彼は汚れきっていた。気まぐれにしても、なぜ自分を拾ったのか分からない。
ろうそくの火はすでに消えている。セシリオは、夜の闇を見つめる。おれは、いま幸せなのだろうか?飯は食えるし、殴られることも無い。女とやれる。おれは幸せなのか?
小刀で人を刺した時、セシリオの全身を歓喜が支配した。自分の存在の奥底からわき上がってくる歓喜だ。虐げられ続けた少年の存在が訴える歓喜だ。
あの時、おれは幸せとは何なのか分かった気がした。少なくとも分かりかけた。おれは、何のために生きているのか分かりかけた気がした。
セシリオは、マリエッタの寝顔を見る。自分から小刀を奪い取った女の顔だ。娼婦とは思えない安らかな寝顔だ。
あんたは、おれを幸せにしてくれるのか?おれから幸せを奪うのか?
血の快楽を覚えている少年は、声に出さずにつぶやいた。
それから暑い日が続いた。外のごみ捨て場の生ごみには、蛆がわいている。その蛆が成長し、蠅となって飛び回っている。セシリオは、昼の間中、蠅に悩まされ続けた。
夜になると、蚊が飛び込んでくる。うるさくまとわりついて、彼の血を吸おうとする。食事の用意を終えたセシリオは、体にまとわりつく蚊を叩き潰していた。
彼は、刺された所を掻きながらマリエッタのことを考える。もう帰ってくるはずの時間だ。彼女は、仕事が終わった後はすぐに帰ってくるはずだ。寄り道をするときは、事前に彼に話をする。何かあったのかと、顔をしかめる。
戸が乱暴に叩かれた。セシリオは、すぐさま身構えて扉の方をにらみつける。開けてと、扉の外から言われる。マリエッタの声だ。だが、声の調子がおかしい。彼は、急いで扉を開ける。
扉を開けると、マリエッタが倒れ込んできた。セシリオは、焦りながら彼女を受け止める。彼女は、荒い息を吐いている。セシリオは、彼女を抱えながら寝台へ運ぶ。
寝台へ横たえると、着ている長衣を脱がす。いつもはきつく巻き付けている長衣が、ゆるい着方をしている。下着だけの姿になったマリエッタの体を、ろうそくの火が照らす。セシリオは呻き声を上げる。彼女の体中に蒼黒く変色したあざが有る。それどころか所々に、鞭のような物で打たれた跡が有る。刃物で切られた跡や針のような物で刺された跡も有る。
少年は、震える手で傷ついた娼婦の手当てを始めた。
セシリオは、マリエッタの傷口を洗い、薬をぬった。だが、貧乏人の住む地域で売っている薬は、効果の怪しい物だ。医者はこの地域にはいない。この地域まで連れてくることは無理だし、医者に払える金は無い。
マリエッタは、とぎれとぎれに事情を話した。顔役の手下のごろつきに私刑にかけられたのだ。この街の娼婦は、何人かの顔役に支配されている。顔役の手下のごろつきは、様々な口実を設けて娼婦の稼ぎを奪い取る。マリエッタはそれに逆らったため、見せしめのために私刑にかけられたのだ。
顔とヴァギナに傷は無い。ごろつきたちは、まだマリエッタを娼婦として使うつもりだろう。そうでなければ、化け物みたいな顔になるまで殴られるか、ヴァギナを刃物で切り裂かれるだろう。
だが、ろくな治療の出来ない状態では、マリエッタの命は危ない。翌日になると、彼女は傷のために高熱を出した。ひたいを冷やしているが、冷める様子は無い。震える彼女の手を、少年は黙って握りしめている。
バカな女だ。セシリオはそう思う。若いうちに小金持ちの商人に身請けさせれば、生活に困らなかっただろう。年増の娼婦となった今では、彼女を身請けしようという者などいない。そのあげく、ごろつきに食い物にされ続け、私刑にかけられた。飼っている愛玩物は、彼女を救うことが出来ない。
セシリオは手を離し、立ち上がる。傷ついた女に背を向ける。結局、こうなるんだ。おれが幸せになるためには、手は一つしかないんだ。少年は、外へと歩き出す。
少年の後ろから、かすれた声が追いかけてくる。彼は、飼い主の呼ぶ声に応えない。しっかりとした足取りで、少年は飼い主を振り切った。
夜になっても熱気は残っている。セシリオは、建物の二階の陰で汗ばんでいる。崩れた壁から月の光が差す。老朽化が激しいために住む者はいない建物だ。少し前まで浮浪者が住み着いていたが、近所の者に半殺しにされていなくなった。
生ぬるい風が吹くたびに、近くにあるごみ捨て場から臭いが漂ってくる。腐った野菜の臭いと近所の売春宿から出るごみの臭いが混ざっている。売春宿のごみは、特有の生臭さが有る。この混ざり合った臭いは、セシリオがこの街で毎日のように嗅がされてきた臭いだ。
この街にも美しく清潔な所は有る。上層の者たちが住む地域は、「天国の次に美しい」所らしいと、セシリオは聞いたことが有る。彼は、そんな所に入り込むことは出来ない。
セシリオは、懐の硬い感触を確かめる。小刀の感触だ。以前に持っていた小刀は、マリエッタに捨てられた。だが、新しい小刀を手に入れ、隠し持っていた。彼は、この小刀を研いで手入れをしている。
建物の下には狭い通りが有る。マリエッタを虐げているごろつきの一人が、自宅に帰る際に通るのだ。ごろつきは、身を守るために複数人で行動することが多い。だが、帰宅する時にわずかの間だが一人になることが有る。
建物の壁には壊れている所が有り、少し手を加えれば下の通りに落とすことが出来る。ごろつきの上に落とすことが出来るのだ。セシリオは準備を終えている。
おれとマリエッタは、クソ共に死ぬまで虐げられるんだ。セシリオは、壁に手を当てながら思う。殺しをすれば、幸せを味わうことが出来る。おれにとって幸せは、殺しをすることだ。彼は、声を出さずに笑う。
セシリオの中に、痛みの記憶がよみがえる。親から殴られ、熱湯をかけられた痛み。親を避けて外に出ていたら、近所の者に殴られた。その痛みもはっきりと覚えている。浮浪児だった時に、商店主にこん棒で殴られたことが有る。浮浪児の集団に、石を叩き付けられた痛みも覚えている。
セシリオは、胸の小刀の感触を確かめた。自分を殴った浮浪児を小刀で刺した時の感触がよみがえる。体に熱がこみ上げ、歓喜が彼を突き上げる。そうだ、これこそが幸せなんだ。彼は、震えながら思う。おれは、幸せを手に入れるんだ!
ごろつきが通りを歩いてきた。予想通りに一人だ。多分酔っているだろう。だが、辺りを警戒しながら歩いている。セシリオは微笑む。ごろつきは頭上には警戒していない。地面にまき散らされている酔っ払いの反吐に気を取られている。セシリオからは、月明かりでごろつきが見える。
歓喜に震える少年は、石造りの壁に手を当てた。硬い感触を確かめながら力をこめる。手だけでなく体を押し当てる。壁がゆっくりと動く。こすれる音を立て、壁は通りに落ちる。
硬い物が叩き付けられる音と、獣じみた絶叫が響き渡った。屠殺される豚以上に汚いわめき声が繰り返される。セシリオは通りをうかがう。ごろつきが地面を這いずり回っている。
セシリオは部屋から飛び出し、階段を駆け下りた。興奮のあまり、階段の崩れた所を踏みそうになる。彼は立ち止まり、深呼吸をする。そして足元を確かめながら駆け降りる。懐から小刀を取り出し、さやから抜く。彼の中を恐怖と憎悪、興奮と歓喜が渦巻く。彼のペニスは怒張している。
通りに駆け出し、ごろつきを見下ろす。左手で右肩をおさえている。そこに壁が当たったのだ。多分、右肩は砕けているだろう。ごろつきは、泣き声を上げながら這いずり回っている。通りに出る者はいない。騒ぎに巻き込まれることを避けるために、建物の中で息をひそめているのだろう。
セシリオは小刀を構え、ごろつきに飛びかかった。ごろつきの背に小刀を突き入れる。忘れられない心地よい感触が彼の手に伝わる。セシリオの顔に衝撃が走る。ごろつきが左手で殴り飛ばしたのだ。壁に叩き付けられて意識が飛びそうになる。歯を食いしばり、正面を見る。
ごろつきは、セシリオをにらみつけている。月明かりが、ごろつきの野獣じみた顔を照らす。セシリオは、自分の手の中を確認する。小刀は手放していない。彼は立ち上がり、ごろつきへと突き進む。硬い体にぶつかり、跳ね飛ばされそうになる。だが、小刀を前へ突き入れていく。再び彼の顔に衝撃が走り、地面に叩き付けられる。ごろつきの体当たりに、少年の意識は朦朧とする。だが、小刀は手放していない。
月明かりが小刀を照らす。血で濡れていることがセシリオに分かる。彼は笑う。刺すことが出来たのだ。彼は、怪鳥のような声を上げて飛びかかる。手にはっきりと肉を刺す感触が伝わる。歓喜が彼を支配した。そのまま小刀を突き入れ続ける。殴られた苦痛をしのぐ快楽が彼を支配する。
セシリオの体は、背後から抑えられた。ごろつきから引き離される。彼はもがくが、振り放すことが出来ない。そのまま後ろへ引きずられる。
羽ばたきの音と共に、セシリオの体が浮いた。少年はかん高い声を上げる。振り放して地面に降りようとするが、そのまま宙へと浮かび上がり続ける。
血で濡れた小刀を持った少年は、ごろつきの這いずり回る地面から遠ざかっていった。
セシリオを戦慄させる飛行が終わった場所は、街の古い城壁跡だ。すでに放棄された場所であり、人が立ち寄ることはない。彼を捕らえた者は、そこに降り立った。
魔物は二人いる。一人はセシリオを捕らえた者、もう一人は先導した者だ。降り立つことの出来たセシリオは、魔物たちから弾かれたように離れる。体を震わせながら魔物たちを見つめた。
月の光が魔物たちを照らしている。二人とも背に翼をもち、頭に角を生やしている。幼い時に聞いた魔物の特徴を備えている。少年は歯の根が合わない。
ふと、セシリオは奇妙な気持ちがわき上がった。馴染みの者と会っている様な気持となる。彼の周りに魔物などいるはずが無い。彼は、自分を捕らえた魔物の顔を見る。月に照らされた魔物の顔は、若く美しい女の顔だ。だが、どこか見覚えがある。彼女の感触を思い出す。よく知っている体の感触のような気がする。
マリエッタ、とセシリオはつぶやく。なぜそうつぶやいたのか、彼にも分からない。気が付いたらつぶやいていた。
魔物は、ややうつむき加減になりながら微笑む。セシリオの飼い主は、セシリオをほめるときにそのような微笑み方をする。
彼は、自分の目の前にいる者を凝視した。自分の今の状況を把握しようとする。自分が何をしようとしていたのか思い出そうとする。思念が乱れてまとまらない。ただ、彼の口からは意味のない言葉ばかりが漏れ出る。
目前の魔物は、なだめるように話し始めた。マリエッタは、寝台の上で苦しんでいるうちに、急に体が楽になった。死ぬのだろうかと思い恐れを感じたが、体に力がわいてくる。次第に体が熱くなり、自分が別の形になるような想念が彼女の中にわいてくる。
気が付くと、マリエッタは部屋の中で立っていた。寝台から立ち上がれないほど傷ついていたはずなのに、立つことが苦では無い。それどころか、未だ体験したことが無いくらい力がみなぎっている。体に走る快感に震えながら、自分の状況に混乱する。
彼女は、目の前に女がいることに気が付いた。高級娼婦並みの美貌と肢体を持った、官能的な女だ。露出度の高い服は、娼婦でも着ることをためらうほど淫猥なものだ。だが、気にかけるべき所はそこでは無い。その女は背に翼を持ち、頭には角が生えていた。
淫魔さま、マリエッタは思わずつぶやく。目の前の女は、微笑みながらうなずく。
マリエッタたち娼婦にとって、淫魔であるサキュバスは崇拝の対象であり、守り神としてあがめるものだ。恐れはあるが、嫌悪は無い。彼女は、淫魔の前にひざまずく。
淫魔は、深手を負ったマリエッタを魔物へと変えたのだ。マリエッタは、サキュバスになる前段階であるレッサーサキュバスとなったのだ。彼女の身に備わった魔力と淫魔の魔力により、彼女の傷は抑えられた。
自分の身に起きた変化に驚き混乱するが、マリエッタの中に一つのことがはっきりとする。彼女が飼っている少年が凶行に走ろうとしている。ごろつきなど死んだほうが良いが、セシリオを人殺しにしてはならない。マリエッタの中に少年の存在がはっきりとしてくる。それが魔物の力なのかは分からない。ただ、彼の所にすぐに行かなくてはならない。
マリエッタを魔物に変えた淫魔は、彼女を導く。その誘導により、ふらつきながらも飛ぶことが出来た。セシリオの存在を追い求め、その身を捕らえた。
セシリオの混乱に拍車がかかる。彼女の言葉は分かるが、その意味を把握することが出来ない。様々な形の不明確な思念が、彼の中で飛び交う。頭の中がまとまらず、混沌が広がる。
魔物と化した女は、少年を見つめている。ためらいが顔に浮かんでいる。意を決したように前に進み、少年を抱きしめた。
少年の体が弾かれたように震える。だが、自分を抱きしめる者をはねのける気は起らない。その感触が、匂いが彼を包む。彼が味わったことの無いほどの極上の女体だ。同時に、慣れ親しんだ感触と匂いがある。
少年は、魔物と化した飼い主を抱き返した。人間では無くなっても、はねのけることの出来ない存在だ。彼を飼い、保護してきた女だ。その体を狂おしく抱きしめる。
震えながら抱き合う二人を、淫魔は黙って見守り続けた。
街の門をくぐり抜けた。警備兵たちはセシリオたちを見下したように見たが、特に不審な目では見なかった。彼らは、無事に街の外へ出られた。セシリオは、淫魔により化粧を施されて別人のようになっている。マリエッタは以前とは顔が違っている。もちろん翼などの魔物の証は、魔術により隠している。
二人は、淫魔の導きで街を、そして国を出ることにした。何の未練もない街であり、国だ。ごろつきから憎まれており、魔物化した者には危険な街でもある。彼らの安住の地は、ここには無い。
魔物たちは、この街に複数忍び込んでいるそうだ。そして街の住人をひそかに魔へと誘いこんでいるそうだ。彼女たちの手により、セシリオたちは街を出て魔の支配する地へ旅立つことが出来る。
二人は、一度も振り返らずに街を出た。振り返る価値の無い街だ。
セシリオは、乾いた土の道を歩きながら自分の中へと沈む。おれは、人を殺せなかった。やつを殺しかけた時、おれは幸せを手に入れかけた。だが、マリエッタが邪魔した。
セシリオの懐に固い感触が有る。小刀の感触だ。ごろつきを刺した小刀はマリエッタに奪われたが、新たな小刀を手に入れたのだ。人を殺すことの出来る物の確かな感触は、彼には心地よい。
おれはどうすれば幸せになれるのだ?人を殺せば幸せになれるのか?このクソみたいな街を出れば、マリエッタと新天地で暮らせば幸せになれるのか?セシリオは、沈んだまなざしを前方に向けながら歩き続ける。
左腕に柔らかい感触がする。マリエッタが身をすり寄せたのだ。彼女は手を伸ばし、セシリオの背を愛撫する。彼女の感触が彼の中に染み込んでくる。
おれは幸せになりたいんだ。少年は、声に出さずにつぶやいた。
すでに夜は更けており、寝ている者も多い。だが、セシリオの飼い主は、今頃ようやく仕事を終えるのだ。彼女の仕事を考えると仕方のないことだ。
シチューが出来上がったちょうどその時に、彼の飼い主が部屋に入ってきた。彼女は、身体を隠す長衣をきつく自分の体に巻き付けている。仕事をする時は扇情的な格好をするが、その反動で仕事以外の時は体を隠そうとする。
セシリオは、火を止めて彼女を迎え入れる。彼の姿を見て、疲労のにじんだ女の顔に笑みが浮かんだ。
セシリオは、娼婦であるマリエッタに飼われていた。マリエッタに衣食住の面倒を見てもらっている。代わりに、掃除、洗濯、料理などをしている。
彼の一番の仕事は、飼い主に奉仕することだ。彼女の体を洗い、揉みほぐし、そして性玩具として奉仕する。性玩具である少年は、年増の娼婦の体の隅々まで知っている。その体の反応も知り尽くしている。
セシリオは、自分の境遇を悪いものとは思っていない。雨露をしのぐ部屋に住むことが出来る。寒さを防ぐ服を着ることが出来る。飢えに苦しむことも無い。殴られることも無い。彼の飼い主は、彼の両親に比べれば天使のようだ。性玩具になることなど些細なことだ。
粗末な部屋の中にはたいしたものは無い。セシリオの努力のおかげで清潔なことくらいが取り柄だろう。その部屋の中で、二人は食事を楽しむ。
食事が終わり、セシリオは食器を洗う。その背を、飼い主である娼婦は見つめている。まとわりつくような粘っこい視線だ。少年は、彼女が何を望んでいるのか分かっていた。
マリエッタは、裸の状態で寝台に仰向けの格好になっていた。セシリオも裸となり、彼女の体に覆いかぶさる。彼は、飼い主の体に口付けていく。首に、肩に、胸に、腋に口付けていく。彼女の反応をうかがいながら、丁寧に口と舌で奉仕する。
夏の熱気に汗ばむ彼女の体を、セシリオは水で洗ったばかりだ。彼女の体からは、香草の香りが立ち上っている。あらかじめ水に香草を漬けていたのだ。二人のささやかな贅沢だ。
性玩具たる少年は、奉仕する対象である女の体を見る。娼婦として食えるだけあり、肉感的な魅力の有る体だ。だが、年のせいで豊かな胸は垂れ、腹には肉がついている。セシリオは、年増娼婦の腹を愛撫しながら口を付ける。
娼婦の首には、淫魔のお守りがかかっている。彼らのいる国は反魔物国であり、淫魔は禁忌の存在だ。だが娼婦たちは、自分の仕事が上手く行くように密かに身に着けている。
女のヴァギナからは、透明な蜜があふれていた。少年は、ヴァギナに口を付けて蜜をすすり上げる。ろうそくの灯りは、娼婦の下腹部を照らす。数えきれないほど男を迎え入れたヴァギナは、黒ずんだ色をしている。粘っこい蜜は、少年の舌にまとわりつく。
セシリオは、ヴァギナから舌を移していく。ヴァギナと尻の間をゆっくりと往復する。そして女の尻を持ち上げると、その尻の穴に舌を這わせる。毛の生えた尻の穴をくすぐり、皺を一本一本舐めていく。そうしてほぐすと、中へと舌をもぐり込ませた。
女は、かすれた声であえぎ声をあげる。その声を聴きながら、少年はゆっくりと舌を出し入れする。尻の穴の入り口は、丁寧に洗った。だが、奥へと舌を進めると、独特の臭気と味がする。少年にとっては、慣れた臭いと味だ。
女は、性玩具の頭を軽く叩いた。この合図の後にやることは分かっている。少年は体を起こし、女のヴァギナにペニスを当てる。少年らしい小ぶりのペニスは、硬くそり返っている。少年は、蜜壺の中へと進めていく。
性玩具は、飼い主の反応を見ながらペニスを動かし続けた。痙攣し、もだえ、喘ぎ声を上げる彼女を見ながら、効果を考えてペニスを出し入れする。飼い主は、彼に熱心に性技を仕込んだ。彼は、その成果を惜しみなく発揮していく。
少年は、飼い主が絶頂へと上りつめる様を落ち着いて見つめていた。獣じみた声を上げる女を見ながら、少年はペニスを抜く。そして女の腹に向かって白濁液を放つ。
彼は、飼い主の恍惚とした表情を見ながら、荒い息をおさめようとしていた。
マリエッタは寝息を立てていた。セシリオは、彼女を無言のまま見下ろしている。彼女の整った顔には、穏やかな表情が浮かんでいる。ほつれた赤毛は、彼女の顔を魅惑的に引き立てている。
だが、彼女は若さを失いつつある。その肌は、若いころの張りは乏しい。体形には、だらしの無さが目に付くようになっている。熟した魅力はあるが、若いころの魅力に比べると見劣りする。
ただ、セシリオは彼女の若いころを知らない。彼がマリエッタに拾われたのは、二年前のことだ。
セシリオは、貧民窟で生まれ育った。現在住んでいる街に広がる貧民窟だ。彼は、飢えと不潔、殴打の苦痛と共に生きて来た。虱まみれの髪をして腹を空かせ、両親に殴られないかと怯える日々だ。
彼は、十一歳の時に家から逃げ出した。両親に、しつけと称して縛られ、熱湯を浴びせられたのだ。その時のやけどの跡は、彼の胸と腹に残っている。逃げ出す時に住んでいた部屋に火を付けたことは、ささやかな復讐だ。その後に火事になったが、両親がどうなったのかセシリオには分からない。
頼ることの出来る者は、彼にはいない。浮浪児として生きるしかなかった。ごみをあさり、物乞いしながら生きる日々だ。浮浪児にはグループや縄張りがあり、暴力沙汰は日常茶飯事だ。セシリオは、他の浮浪児に繰り返し私刑にかけられ、おびえながら貧民窟をさ迷い歩いた。
ある日のこと、ごみをあさっていたセシリオは、後ろから棒で殴られた。彼を追い払いごみを奪おうとして、浮浪児の一人が殴りかかってきたのだ。セシリオは必死に逃げようとするが、その浮浪児は執拗に殴り付けてくる。這いつくばりながら逃げようとするセシリオの目に、割れた酒の壺が転がっているのが見える。
セシリオは、自分を襲う者にその壺を投げつける。彼の耳に、襲撃者のかん高い悲鳴が聞こえた。尖った破片がその者に突き刺さったのだ。
セシリオは懐に手を伸ばす。以前、ごみの中から拾った小刀が有る。浮浪児の悲鳴はセシリオの血をわき立たせていた。小刀を手に相手に突き進む。左足の太ももに小刀が刺さる。浮浪児は、発狂した猿のような声でわめき散らす。
小刀を抜くと、太ももから血があふれる。セシリオは、自分に力がわき上がってくることが分かった。快感が彼を支配していた。彼のペニスは怒張している。小刀は血で濡れている。この血は自分の戦果であり、力の証だと彼は感じる。彼の体は歓喜で震える。
セシリオは、地面の上で悶えている浮浪児に小刀を突き出す。小刀は、浮浪児の右の二の腕をえぐる。浮浪児は、わめきながら地面に落ちているごみを投げつけてくる。血で濡れた小刀を持った少年は、かまわずに突き進もうとする。もっと血が見たくて体が抑えられない。
不意に、小刀を持った少年は背後から取り押さえられる。振りほどこうとするが、少年から離れようとしない。小刀を持った手が抑えられる。その隙に、浮浪児は血痕を残しながら地を這って離れていく。
浮浪児が見えなくなったところで、セシリオは離された。小刀は奪い取られている。憎悪を込めて振り返ると、彼を取り押さえた女が見えた。体にきつく長衣を巻き付けた女だ。
これが、セシリオとマリエッタの出会いだ。
マリエッタの寝顔を見ながら、セシリオは出会いを思い出す。あの時は、マリエッタを憎んだ。虐げられ続けた自分が、虐げる側に回ることが出来たのだ。あの時ほどの快楽は、それまでの人生で無かった。その快楽を、彼女は奪い取ったのだ。
だが、それを機会にセシリオは彼女に飼われることとなった。彼女は、自分が生活の面倒を見ると言ったのだ。自分の言う事を聞くなら、飯を食わせ、服を着せ、部屋に住まわせてやると言った。セシリオは、マリエッタの意図を疑いながら受け入れた。浮浪児を一年近くやっており、すでに心身は限界に近かった。
マリエッタは娼婦であり、貧民窟から少し外れた地域に住んでいる。貧民窟ほどはひどくは無いが、貧しい者の住む所だ。彼女は、自分が借りている部屋にセシリオを住まわせた。
マリエッタは掃除、洗濯の仕方、食事の作り方などを仕込んだ。セシリオを自分の使用人としたのだ。また、性技について仕込んだ。彼女は、自分に奉仕する者を欲したのだ。少年は、彼女から素直に学び、まじめに奉仕した。衣食住が与えられることは、素直でまじめになるほど魅力的なことだ。
セシリオは、初めのころは性の快楽に溺れて上手く奉仕できなかった。だがマリエッタは、焦らずに辛抱強く仕込んだ。彼が性欲を抑えられない時は好きにさせ、ある程度落ち着いてから技術を教え込んだ。技術の向上が見られると、褒美として快楽を与えた。そしてより強い快楽が有ることを示唆し、自分の望む方向へと誘導した。マリエッタが熟練の娼婦だから出来たことだ。
二年がかりの教育のおかげで、セシリオはマリエッタを満足させる性技を身につけた。彼の性技は、マリエッタ以外の女も喜ばせるだろう。あくまで性技だけだが。
セシリオは、そばかすの目立つやせた少年だ。女から見て魅力のある存在では無い。彼には、マリエッタが自分を飼う理由が分からない。もっとましな少年はいるはずだ。拾われた時、彼は汚れきっていた。気まぐれにしても、なぜ自分を拾ったのか分からない。
ろうそくの火はすでに消えている。セシリオは、夜の闇を見つめる。おれは、いま幸せなのだろうか?飯は食えるし、殴られることも無い。女とやれる。おれは幸せなのか?
小刀で人を刺した時、セシリオの全身を歓喜が支配した。自分の存在の奥底からわき上がってくる歓喜だ。虐げられ続けた少年の存在が訴える歓喜だ。
あの時、おれは幸せとは何なのか分かった気がした。少なくとも分かりかけた。おれは、何のために生きているのか分かりかけた気がした。
セシリオは、マリエッタの寝顔を見る。自分から小刀を奪い取った女の顔だ。娼婦とは思えない安らかな寝顔だ。
あんたは、おれを幸せにしてくれるのか?おれから幸せを奪うのか?
血の快楽を覚えている少年は、声に出さずにつぶやいた。
それから暑い日が続いた。外のごみ捨て場の生ごみには、蛆がわいている。その蛆が成長し、蠅となって飛び回っている。セシリオは、昼の間中、蠅に悩まされ続けた。
夜になると、蚊が飛び込んでくる。うるさくまとわりついて、彼の血を吸おうとする。食事の用意を終えたセシリオは、体にまとわりつく蚊を叩き潰していた。
彼は、刺された所を掻きながらマリエッタのことを考える。もう帰ってくるはずの時間だ。彼女は、仕事が終わった後はすぐに帰ってくるはずだ。寄り道をするときは、事前に彼に話をする。何かあったのかと、顔をしかめる。
戸が乱暴に叩かれた。セシリオは、すぐさま身構えて扉の方をにらみつける。開けてと、扉の外から言われる。マリエッタの声だ。だが、声の調子がおかしい。彼は、急いで扉を開ける。
扉を開けると、マリエッタが倒れ込んできた。セシリオは、焦りながら彼女を受け止める。彼女は、荒い息を吐いている。セシリオは、彼女を抱えながら寝台へ運ぶ。
寝台へ横たえると、着ている長衣を脱がす。いつもはきつく巻き付けている長衣が、ゆるい着方をしている。下着だけの姿になったマリエッタの体を、ろうそくの火が照らす。セシリオは呻き声を上げる。彼女の体中に蒼黒く変色したあざが有る。それどころか所々に、鞭のような物で打たれた跡が有る。刃物で切られた跡や針のような物で刺された跡も有る。
少年は、震える手で傷ついた娼婦の手当てを始めた。
セシリオは、マリエッタの傷口を洗い、薬をぬった。だが、貧乏人の住む地域で売っている薬は、効果の怪しい物だ。医者はこの地域にはいない。この地域まで連れてくることは無理だし、医者に払える金は無い。
マリエッタは、とぎれとぎれに事情を話した。顔役の手下のごろつきに私刑にかけられたのだ。この街の娼婦は、何人かの顔役に支配されている。顔役の手下のごろつきは、様々な口実を設けて娼婦の稼ぎを奪い取る。マリエッタはそれに逆らったため、見せしめのために私刑にかけられたのだ。
顔とヴァギナに傷は無い。ごろつきたちは、まだマリエッタを娼婦として使うつもりだろう。そうでなければ、化け物みたいな顔になるまで殴られるか、ヴァギナを刃物で切り裂かれるだろう。
だが、ろくな治療の出来ない状態では、マリエッタの命は危ない。翌日になると、彼女は傷のために高熱を出した。ひたいを冷やしているが、冷める様子は無い。震える彼女の手を、少年は黙って握りしめている。
バカな女だ。セシリオはそう思う。若いうちに小金持ちの商人に身請けさせれば、生活に困らなかっただろう。年増の娼婦となった今では、彼女を身請けしようという者などいない。そのあげく、ごろつきに食い物にされ続け、私刑にかけられた。飼っている愛玩物は、彼女を救うことが出来ない。
セシリオは手を離し、立ち上がる。傷ついた女に背を向ける。結局、こうなるんだ。おれが幸せになるためには、手は一つしかないんだ。少年は、外へと歩き出す。
少年の後ろから、かすれた声が追いかけてくる。彼は、飼い主の呼ぶ声に応えない。しっかりとした足取りで、少年は飼い主を振り切った。
夜になっても熱気は残っている。セシリオは、建物の二階の陰で汗ばんでいる。崩れた壁から月の光が差す。老朽化が激しいために住む者はいない建物だ。少し前まで浮浪者が住み着いていたが、近所の者に半殺しにされていなくなった。
生ぬるい風が吹くたびに、近くにあるごみ捨て場から臭いが漂ってくる。腐った野菜の臭いと近所の売春宿から出るごみの臭いが混ざっている。売春宿のごみは、特有の生臭さが有る。この混ざり合った臭いは、セシリオがこの街で毎日のように嗅がされてきた臭いだ。
この街にも美しく清潔な所は有る。上層の者たちが住む地域は、「天国の次に美しい」所らしいと、セシリオは聞いたことが有る。彼は、そんな所に入り込むことは出来ない。
セシリオは、懐の硬い感触を確かめる。小刀の感触だ。以前に持っていた小刀は、マリエッタに捨てられた。だが、新しい小刀を手に入れ、隠し持っていた。彼は、この小刀を研いで手入れをしている。
建物の下には狭い通りが有る。マリエッタを虐げているごろつきの一人が、自宅に帰る際に通るのだ。ごろつきは、身を守るために複数人で行動することが多い。だが、帰宅する時にわずかの間だが一人になることが有る。
建物の壁には壊れている所が有り、少し手を加えれば下の通りに落とすことが出来る。ごろつきの上に落とすことが出来るのだ。セシリオは準備を終えている。
おれとマリエッタは、クソ共に死ぬまで虐げられるんだ。セシリオは、壁に手を当てながら思う。殺しをすれば、幸せを味わうことが出来る。おれにとって幸せは、殺しをすることだ。彼は、声を出さずに笑う。
セシリオの中に、痛みの記憶がよみがえる。親から殴られ、熱湯をかけられた痛み。親を避けて外に出ていたら、近所の者に殴られた。その痛みもはっきりと覚えている。浮浪児だった時に、商店主にこん棒で殴られたことが有る。浮浪児の集団に、石を叩き付けられた痛みも覚えている。
セシリオは、胸の小刀の感触を確かめた。自分を殴った浮浪児を小刀で刺した時の感触がよみがえる。体に熱がこみ上げ、歓喜が彼を突き上げる。そうだ、これこそが幸せなんだ。彼は、震えながら思う。おれは、幸せを手に入れるんだ!
ごろつきが通りを歩いてきた。予想通りに一人だ。多分酔っているだろう。だが、辺りを警戒しながら歩いている。セシリオは微笑む。ごろつきは頭上には警戒していない。地面にまき散らされている酔っ払いの反吐に気を取られている。セシリオからは、月明かりでごろつきが見える。
歓喜に震える少年は、石造りの壁に手を当てた。硬い感触を確かめながら力をこめる。手だけでなく体を押し当てる。壁がゆっくりと動く。こすれる音を立て、壁は通りに落ちる。
硬い物が叩き付けられる音と、獣じみた絶叫が響き渡った。屠殺される豚以上に汚いわめき声が繰り返される。セシリオは通りをうかがう。ごろつきが地面を這いずり回っている。
セシリオは部屋から飛び出し、階段を駆け下りた。興奮のあまり、階段の崩れた所を踏みそうになる。彼は立ち止まり、深呼吸をする。そして足元を確かめながら駆け降りる。懐から小刀を取り出し、さやから抜く。彼の中を恐怖と憎悪、興奮と歓喜が渦巻く。彼のペニスは怒張している。
通りに駆け出し、ごろつきを見下ろす。左手で右肩をおさえている。そこに壁が当たったのだ。多分、右肩は砕けているだろう。ごろつきは、泣き声を上げながら這いずり回っている。通りに出る者はいない。騒ぎに巻き込まれることを避けるために、建物の中で息をひそめているのだろう。
セシリオは小刀を構え、ごろつきに飛びかかった。ごろつきの背に小刀を突き入れる。忘れられない心地よい感触が彼の手に伝わる。セシリオの顔に衝撃が走る。ごろつきが左手で殴り飛ばしたのだ。壁に叩き付けられて意識が飛びそうになる。歯を食いしばり、正面を見る。
ごろつきは、セシリオをにらみつけている。月明かりが、ごろつきの野獣じみた顔を照らす。セシリオは、自分の手の中を確認する。小刀は手放していない。彼は立ち上がり、ごろつきへと突き進む。硬い体にぶつかり、跳ね飛ばされそうになる。だが、小刀を前へ突き入れていく。再び彼の顔に衝撃が走り、地面に叩き付けられる。ごろつきの体当たりに、少年の意識は朦朧とする。だが、小刀は手放していない。
月明かりが小刀を照らす。血で濡れていることがセシリオに分かる。彼は笑う。刺すことが出来たのだ。彼は、怪鳥のような声を上げて飛びかかる。手にはっきりと肉を刺す感触が伝わる。歓喜が彼を支配した。そのまま小刀を突き入れ続ける。殴られた苦痛をしのぐ快楽が彼を支配する。
セシリオの体は、背後から抑えられた。ごろつきから引き離される。彼はもがくが、振り放すことが出来ない。そのまま後ろへ引きずられる。
羽ばたきの音と共に、セシリオの体が浮いた。少年はかん高い声を上げる。振り放して地面に降りようとするが、そのまま宙へと浮かび上がり続ける。
血で濡れた小刀を持った少年は、ごろつきの這いずり回る地面から遠ざかっていった。
セシリオを戦慄させる飛行が終わった場所は、街の古い城壁跡だ。すでに放棄された場所であり、人が立ち寄ることはない。彼を捕らえた者は、そこに降り立った。
魔物は二人いる。一人はセシリオを捕らえた者、もう一人は先導した者だ。降り立つことの出来たセシリオは、魔物たちから弾かれたように離れる。体を震わせながら魔物たちを見つめた。
月の光が魔物たちを照らしている。二人とも背に翼をもち、頭に角を生やしている。幼い時に聞いた魔物の特徴を備えている。少年は歯の根が合わない。
ふと、セシリオは奇妙な気持ちがわき上がった。馴染みの者と会っている様な気持となる。彼の周りに魔物などいるはずが無い。彼は、自分を捕らえた魔物の顔を見る。月に照らされた魔物の顔は、若く美しい女の顔だ。だが、どこか見覚えがある。彼女の感触を思い出す。よく知っている体の感触のような気がする。
マリエッタ、とセシリオはつぶやく。なぜそうつぶやいたのか、彼にも分からない。気が付いたらつぶやいていた。
魔物は、ややうつむき加減になりながら微笑む。セシリオの飼い主は、セシリオをほめるときにそのような微笑み方をする。
彼は、自分の目の前にいる者を凝視した。自分の今の状況を把握しようとする。自分が何をしようとしていたのか思い出そうとする。思念が乱れてまとまらない。ただ、彼の口からは意味のない言葉ばかりが漏れ出る。
目前の魔物は、なだめるように話し始めた。マリエッタは、寝台の上で苦しんでいるうちに、急に体が楽になった。死ぬのだろうかと思い恐れを感じたが、体に力がわいてくる。次第に体が熱くなり、自分が別の形になるような想念が彼女の中にわいてくる。
気が付くと、マリエッタは部屋の中で立っていた。寝台から立ち上がれないほど傷ついていたはずなのに、立つことが苦では無い。それどころか、未だ体験したことが無いくらい力がみなぎっている。体に走る快感に震えながら、自分の状況に混乱する。
彼女は、目の前に女がいることに気が付いた。高級娼婦並みの美貌と肢体を持った、官能的な女だ。露出度の高い服は、娼婦でも着ることをためらうほど淫猥なものだ。だが、気にかけるべき所はそこでは無い。その女は背に翼を持ち、頭には角が生えていた。
淫魔さま、マリエッタは思わずつぶやく。目の前の女は、微笑みながらうなずく。
マリエッタたち娼婦にとって、淫魔であるサキュバスは崇拝の対象であり、守り神としてあがめるものだ。恐れはあるが、嫌悪は無い。彼女は、淫魔の前にひざまずく。
淫魔は、深手を負ったマリエッタを魔物へと変えたのだ。マリエッタは、サキュバスになる前段階であるレッサーサキュバスとなったのだ。彼女の身に備わった魔力と淫魔の魔力により、彼女の傷は抑えられた。
自分の身に起きた変化に驚き混乱するが、マリエッタの中に一つのことがはっきりとする。彼女が飼っている少年が凶行に走ろうとしている。ごろつきなど死んだほうが良いが、セシリオを人殺しにしてはならない。マリエッタの中に少年の存在がはっきりとしてくる。それが魔物の力なのかは分からない。ただ、彼の所にすぐに行かなくてはならない。
マリエッタを魔物に変えた淫魔は、彼女を導く。その誘導により、ふらつきながらも飛ぶことが出来た。セシリオの存在を追い求め、その身を捕らえた。
セシリオの混乱に拍車がかかる。彼女の言葉は分かるが、その意味を把握することが出来ない。様々な形の不明確な思念が、彼の中で飛び交う。頭の中がまとまらず、混沌が広がる。
魔物と化した女は、少年を見つめている。ためらいが顔に浮かんでいる。意を決したように前に進み、少年を抱きしめた。
少年の体が弾かれたように震える。だが、自分を抱きしめる者をはねのける気は起らない。その感触が、匂いが彼を包む。彼が味わったことの無いほどの極上の女体だ。同時に、慣れ親しんだ感触と匂いがある。
少年は、魔物と化した飼い主を抱き返した。人間では無くなっても、はねのけることの出来ない存在だ。彼を飼い、保護してきた女だ。その体を狂おしく抱きしめる。
震えながら抱き合う二人を、淫魔は黙って見守り続けた。
街の門をくぐり抜けた。警備兵たちはセシリオたちを見下したように見たが、特に不審な目では見なかった。彼らは、無事に街の外へ出られた。セシリオは、淫魔により化粧を施されて別人のようになっている。マリエッタは以前とは顔が違っている。もちろん翼などの魔物の証は、魔術により隠している。
二人は、淫魔の導きで街を、そして国を出ることにした。何の未練もない街であり、国だ。ごろつきから憎まれており、魔物化した者には危険な街でもある。彼らの安住の地は、ここには無い。
魔物たちは、この街に複数忍び込んでいるそうだ。そして街の住人をひそかに魔へと誘いこんでいるそうだ。彼女たちの手により、セシリオたちは街を出て魔の支配する地へ旅立つことが出来る。
二人は、一度も振り返らずに街を出た。振り返る価値の無い街だ。
セシリオは、乾いた土の道を歩きながら自分の中へと沈む。おれは、人を殺せなかった。やつを殺しかけた時、おれは幸せを手に入れかけた。だが、マリエッタが邪魔した。
セシリオの懐に固い感触が有る。小刀の感触だ。ごろつきを刺した小刀はマリエッタに奪われたが、新たな小刀を手に入れたのだ。人を殺すことの出来る物の確かな感触は、彼には心地よい。
おれはどうすれば幸せになれるのだ?人を殺せば幸せになれるのか?このクソみたいな街を出れば、マリエッタと新天地で暮らせば幸せになれるのか?セシリオは、沈んだまなざしを前方に向けながら歩き続ける。
左腕に柔らかい感触がする。マリエッタが身をすり寄せたのだ。彼女は手を伸ばし、セシリオの背を愛撫する。彼女の感触が彼の中に染み込んでくる。
おれは幸せになりたいんだ。少年は、声に出さずにつぶやいた。
16/08/31 20:49更新 / 鬼畜軍曹