聖騎士と悪魔
男は、牢の床に倒れていた。体のいたるところが、血と糞尿で汚れていた。牢の中は、悪臭が立ち込めていた。
男の姿を見て、男がどういう地位にあるかわかる者は少ないだろう。それだけ汚れていた。男は、聖騎士と呼ばれる地位にいた。
男は、聖騎士であるがゆえに拷問を受けた。骨が見えるまで鞭打たれた。生皮を剥がれ、剥がれた所を火で炙られた。
男は、頑健な肉体を持っていた。聖騎士として、強い誇りもあった。それらは拷問で打ち砕かれた。
男は、異端審問官の誘導するままに自白した。神を罵った事、悪魔を崇拝したこと、男色を行ったことなどを白状した。もちろん男はそのような事はしていない。男が憎悪していたことだ。拷問によって認めさせられた。
異端審問官は、冷笑しながら男の自白を聞いていた。自白の記録が終わると、男をこの牢に投げこんだ。
男は、それ以来この牢の床に伏したままだ。汚物を入れる壷まで行くこともできず、糞尿を垂れ流していた。
牢の中に異変が起こった。壁の一角がぼやけた。そこから一人の少女が現れた。
少女の頭には山羊の角がついていた。手足は獣のような毛で覆われていた。
少女は、悪臭を立てる男の前にしゃがみこんだ。少女は、男の体に手をかざした。男の体は、紫色の靄のような物に包まれた。
男は、うめき声を上げながら顔を上げた。少女の顔を見上げた。
「これで少しは楽になったはずだ。話くらいは出来るだろう」
少女は、落ち着いた声で言った。
「わしの名はバフォメット。お前達があがめていることにされた悪魔だ」
男は笑った。自嘲するかのような笑いだ。
「お前の名を聞いてよいか？」
バフォメットは、笑いを気にした様子も見せずに聞いた。
「ロベール・モンターギュ」
吐くような聞き取りづらい返事だ。
バフォメットは満足そうにうなずいた。
「ロベールよ、ここから助けてやってもよいぞ。治療もしてやろう。人間の医術では無理でも、わしなら治す事も出来る」
バフォメットは一息つき、微笑を浮かべながら言った。
「ただし、わしに仕えることが条件だ。悪魔であるわしに仕えるのだ。どうする？」
バフォメットは、張り付いたような笑いを浮かべながら言った。
ロベールはうめき声を上げた。少しの間、何も音を立てなかった。やがてくぐもった笑い声を上げながら言った。
「お前に仕える。バフォメットよ、俺を好きなようにしろ。魂をくれてやってもいい」
ロベールは、低く嗤いながら言った。
バフォメットは、笑いを消した。静かにロベールを見下ろした。平板な声で答えた。
「よかろう、お前を救ってやろう。これは悪魔の契約だ。それを忘れるな」
バフォメットとロベールの体が揺らぎ、朧げな姿となった。二人の姿は、牢から消えた。
気がつくと、ロベールはベットの上にいた。牢の中ではない。
瀟洒な装飾が施された部屋だった。白い壁に色鮮やかなタペストリーが飾っていた。棚の上に置かれた物は、燭台を始め皆繊細な造りのものだ。ベッドや枕は柔らかい物であり、それらは絹で覆われていた。ベッドの上には上質な毛皮がかかっていた。
ロベールは、自分を責め苛んでいた激痛が抑えられていることに気づいた。体の所々が疼く程度である。ゆっくりと体を動かしてみると、覚悟していた激しい痛みは無かった。
バフォメットの治療が施されたわけか。ロベールは笑った。ありがたいものだ。悪魔と契約した甲斐があった。
体を調べてみると所々塗り薬が塗られ、布で覆われていた。汚れきっていた体も、清められていた。
バフォメットが、人間をしのぐ医術を持っていることは確かだ。人間の医術では、これほどまで痛みが押さえられるわけが無い。
ロベールが自分の体を調べていると、一人の女が入ってきた。
裾の長い黒い服をまとい、黒のフードをかぶっていた。不自然なほど青白い顔をした、若い女だ。
「薬を塗りなおし、布を替えます」
感情の欠落した声で言うと、ロベールの返事を待たずに作業を開始した。作業は、まったく無機的に行われた。丁寧だが、感情の窺がえない手並みだ。眉ひと筋動かさず、ロベールの下腹部を露出させて治療を行った。
治療が終わると、何も言わず一礼して出て行った。
「あれが魔女というやつか？」
ロベールは、苦笑しながらつぶやいた。
バフォメットが、ロベールのもとに来たのはそれから7日後だ。魔女は1日1回薬を塗り、布を替える。そこから日にちを計算した。
バフォメットは、楽しげに言った。
「体の調子は良くなったようだな。手術後の経過は良いと、報告を受けている」
ロベールは、皮肉っぽい調子で答えた。
「おかげさまで体の具合は良い。今日来たのは、お前に服従することを確認に来たのか？」
バフォメットは苦笑しながら答えた。
「それもある。では、まず確認をするとしよう。もっともあの牢で、すでに契約は完了しているがな」
ロベールは、どうでもいいと言った調子で答えた。
「契約書を書かなくて良いのか？」
バフォメットは笑いながら言った。
「まあ、契約書があったほうが信用できるというなら、取り交わすとしよう」
バフォメットは、一枚の書類を出した。書類、インク壷、羽ペン、小刀をロベールに渡した。ロベールに、インク壷に自分の血をたらし、そのインクを使って契約書に署名しろと言った。
ロベールは、退屈そうに契約書を眺めた。自分の指を切り、血をインク壷へ垂らした。そのインクで署名をし、ぞんざいにバフォメットへ渡した。
バフォメットは、わざとらしく念入りに確認すると、ニヤニヤ笑った。
「これでお前はわしの僕だ。せいぜい忠誠を尽くすが良い」
ロベールは、バフォメットに気が無い調子で話した。
「ほかに用は？」
バフォメットは肩をすくめて言った。
「お前の安否を確認に来たのだ。それも終わった」
背を向けるバフォメットに、ロベールは声をかけた。
「お前は本当にバフォメットなのか？」
少女姿のバフォメットは、やれやれと言いたげな様子で振り返った。
「この姿のせいで信じられぬのか？山羊の頭と足を生やし、両性具有の体になれば信じるのか？」
ロベールは、わざとらしく笑いながら答えた。
「まあな」
バフォメットは、再び肩をすくめると背を向けた。
「気が向いたら、お前好みの姿になってやろう」
一人残されたロベールは、馬鹿馬鹿しそうにため息をついた。
ロベールは、聖堂騎士団に所属する聖騎士だ。厳しい訓練を繰り返し、魔物との戦いにおいては最前線に立ち続けた。
聖堂騎士団は、魔物から人々を守るために組織された騎士団である。聖騎士は、騎士であると同時に修道士であった。主神教会から庇護され、国を超えて組織されていた。
ロベールは、貴族の家に生まれた。家を相続すると、同じような貴族と安楽な生活を送った。鯨飲馬食をくり返し、娼婦を抱いた。本を中途半端に読み、暇な学者もどきと「知的会話」を楽しんだ。
ロベールは、そんな日々に倦んできた。ロベールが聖堂騎士団に惹かれたのは、そんな時だった。清貧に甘んじ、戦いの先頭に立つ。そのような聖堂騎士団の姿に、安逸な生活におぼれていたロベールは惹かれた。
ロベールは、自分の全財産を聖堂騎士団に寄付し、入団した。
安楽な生活を送っていたロベールにとって、聖堂騎士団の生活は厳しかった。だが、ロベールには適性があった。もともと体は頑健であり、騎士として必要な武術は父から叩き込まれていた。怠惰な生活で腐った精神を叩きなおし、贅肉を落とせば、騎士として十分やっていけた。
騎士として訓練を繰り返した後、ロベールは魔物との実戦に臨んだ。侵略してきた魔物達を、力で退けた。忌々しげな魔物たちの表情に、ロベールは喝采を上げた。
神に祈り、騎士として戦う。ロベールの生活は充実していた。
その生活は打ち砕かれた。
聖堂騎士団は、本部のある国で弾圧された。突如団員は逮捕され、投獄され、拷問にかけられた。逮捕の理由は神にそむき、悪魔を崇拝したことだ。
聖堂騎士団は、魔物との戦いの傍ら金融業を行っていた。金融業は成功し、一国の財政を左右するだけの財力を持つようになった。このことが致命傷となった。聖職者の中には、聖堂騎士団の利殖を非難する者も多かった。商売敵ということで、商人達からも敵視された。
聖堂騎士団の本部のある国の王は、聖堂騎士団への不満を利用した。王国は財政難に喘いでいた。王は、聖堂騎士団に借金をしていた。そのため王は、聖堂騎士団の財産を狙っていた。
王は、主神教会に対して手を打っていた。前の教皇は王が幽閉し、死に至らしめた。今の教皇は、王の傀儡だ。聖堂騎士団の弾圧に協力したら、聖堂騎士団の財産の一部を主神教会に分け与えると約束していた。王が聖堂騎士団を弾圧すると、教皇は聖堂騎士団に異端の烙印を押し、非難した。
他の国は、聖堂騎士団の弾圧に参加しなかった。止めもしなかった。
孤立無援の中、騎士団員達の多くは拷問で殺された。生き残った者も自白を強要され、茶番でしかない裁判を待つ身だ。
聖堂騎士団は、魔物の手ではなく人間の手によって叩き潰された。
ロベールがベットに寝転んでいると、ノックの音の後にバフォメットが入ってきた。
「体はだいぶ良くなったと聞いている。ちょっと見せてもらおう」
ロベールの返事を待たず、バフォメットはロベールの体をまさぐり始めた。体の各部を医者のような手つきで確認した。そしてにんまりと笑った。
「悪くない。わしの医術のせいもあるが、お前の頑健さも大したものだ」
バフォメットは、体をまさぐり続けた。股間を愛撫し始めた。ロベールの呆れた様な顔をものともせず、股間を楽しそうにまさぐり続けた。
「お前は、わしの僕だ。わしの好きなようにさせろ」
バフォメットは笑いながら言うと、ロベールの股間に顔をうずめた。そしてニヤつきながら言った。
「男の濃い臭いがするのう。これでは精も濃さそうだ」
バフォメットは、いたずらっぽい表情でペニスに舌を這わせた。先端から根元まで丁寧に這わせた。ペニスに満遍なく唾液を塗りこむと、睾丸に舌を這わせた。
ロベールは背を振るわせた。快楽もさることながら、少女に己のペニスを舐めさせている事に強い背徳感を感じた。
バフォメットはペニスを小さな口に咥え、飲み込んだ。少女とは思えぬ巧みな技術だ。ロベールは、すぐに追い詰められた。少女の口に出すことにためらいはあったが、我慢できなかった。ロベールは、少女の口に己の欲望をぶちまけた。
バフォメットは、精液をのどを鳴らして飲み込んだ。ペニスを音を立てて吸い上げた。中に残っていたものもすべて吸い上げると、汚れた唇を舐めながらロベールを見上げた。
「濃い精だのう。さすが頑丈な男だけある。この先楽しめそうだな」
そう言うと、バフォメットはペニスを再び舐め始めた。ロベールのペニスを回復させると、バフォメットはロベールの腰にまたがった。小さい膣に、たくましいペニスを飲み込んでいった。バフォメットの膣は、ロベールのペニスをきつく締め上げた。バフォメットの表情に、苦痛の色は無かった。腰を振るいながら笑っていた。
「なんだ、楽しんでおらぬな。わしが少女の姿をしているのが気になるのか？これでもお前とは比べ物にならぬほど生きてきておるわ」
バフォメットは、ロベールの顔を見下ろし微笑を浮かべた。
「お前は悪魔に仕えたのだ。倫理など無用のものだ。背徳を楽しめ」
ロベールは嗤った。自分を嗤った。そうだ、俺は堕落した騎士だ。
ロベールはバフォメットの腰をつかみ、下腹部に力を入れた。
「お前は、まだ神を捨てておらぬな」
バフォメットは、激しい性交の後言った。ロベールとバフォメットは、最初の淫行の後毎日お互いを貪りあった。体を貪りあって10日になる。
「神などどうでもいい。悪魔であるお前に仕えていることがその証拠だ」
ロベールは、寝転びながら無感情に答えた。
「口では何とでも言える。まだお前の中には神がいる」
バフォメットは微笑みながら言った。ロベールの足を撫で回した。
「お前とは契約を交わした。俺が神を信じようと信じまいと、お前の命令どおりに動く」
ロベールは、あくびをしながら答えた。
「わしはそれでも良いのだがな」
バフォメットは足を撫で回す事をやめ、ベッドのわきにある台に手を伸ばした。銀製のゴブレットに葡萄酒を注ぐと、ゆっくりとすすり始めた。
「わしは、お前の仲間達を見た」
バフォメットは、聖堂騎士団への弾圧の様を語り始めた。ロベールと同じく、骨が出るまで鞭打たれた者。皮をはがれ、火で炙られた者。口に漏斗を突っ込まれ、無理やり大量の水を飲まされた者。ラックという道具ににかけられて体を引き伸ばされ、関節と靱帯を破壊された者。そして股間を縄で締め上げられ、股間を叩きのめされた者。
「その者は、血の小便を垂れ流しながら死んだよ」
バフォメットは、無感情に話した。
「やつらは、死の間際までささやいておった。何をささやいておったと思う？」
ロベールは、無言で首を振った。
「神に救いを求めていたのだ」
バフォメットは嗤った。
「神は救ってなどくれぬ。答えてさえくれぬのにな」
バフォメットは軽く息をつき、再び葡萄酒をすすり始めた。
「神が救わぬのならば、お前が救えばよい」
ロベールはぞんざいに答えた。
バフォメットは、静かなまなざしでロベールを見た。
「救おうとしたよ。だがわしは悪魔だ。契約に縛られる。拒否されたらそれまでよ」
バフォメットは苦く笑った。
「まあ、わしとの契約に応じた者もいた。そやつらのうちには救えた者もいた。」
バフォメットは、ロベールから目をそらした。
「死んだ者もいるがな」
ロベールは、苛立たしさを我慢できなくなった。八つ当たりだとわかっていたが、荒々しく言った。
「俺に、薬を塗る魔女がいるだろう。あいつを変えてくれ。顔が青白すぎる。明るい顔のやつにしてくれ」
バフォメットは、無言でロベールを見つめた。沈黙が場を支配した。バフォメットはゆっくりと沈黙を破った。
「あやつは異端審問を受け、拷問にかけられたのだ。シスターだったが、教会のお偉方と少し考えが違っておったのでな。」
バフォメットは、無表情にロベールを見つめた。
「お前は『苦悩の梨』を知っておるか？」
ロベールは、首を横に振った。聞き覚えが無かった。
「あやつは、もう子供が生めぬ。わしの医術でもどうにもならぬ」
そうつぶやくと立ち上がり、ロベールに背を向けた。ゴブレットを台に置くと、そのまま部屋から出て行った。
ロベールは一人残された。
拷問か。ロベールは吐き捨てた。拷問なら体で知っている。顔も青白くなるだろうさ。
ロベールは、自分に加えられた拷問を思い返した。拷問は密室で行われた。外の情報は遮断されていた。ロベールは、何もわからないまま鞭打たれ、皮剥がれ、火で炙られた。異端審問官は、絶え間なくロベールを責め立てた。ロベールが気絶すると、別の苦痛を加え無理やり覚醒させた。痛めつけながら単純で、意味の無い質問を繰り返した。
ロベールは、時間の感覚を失った。悪夢を見ているのか、覚醒しているのかもわからなくなった。ただ、苦痛と意味の無い質問がロベールの中で渦をまいていた。
異端審問官は、ロベールの状態を正確に把握していた。タイミングを見計らい、一つの情報をロベールに与えた。ロベールの従士が、悪魔を崇拝していた事を白状したと。異端審問官は、ロベールに自分の与えた情報が染み渡るための間を空けた。間のあと拷問を再開した。ロベールの中では、苦痛と従士が自白したことが渦巻いた。
異端審問官は、拷問を続けながらタイミングを見計らっていた。苦痛と気絶と覚醒が繰り返された。時間を把握できなくなり、延々と苦痛を感じ続けているロベールに、二つ目の情報を与えた。先輩に当たる聖騎士が、悪魔崇拝を行ったことを自白したと。わざとらしく間を空けると、悪意をこめて言った。若い聖騎士と男色を行ったことを白状したと。ロベールの中に、悪意を塗りこんだ情報が染み渡っていった。
その後も拷問は続けられた。ロベールは、すでに心が折れていた。異端審問官の望む事を言いたかった。だが、異端審問官は意味の無い質問を繰り返しながら、拷問を続けるばかりだった。打ちのめされているロベールに、異端審問官は楽しげに言った。従士はまだ拷問を受けている。お前が強情だからな。
ロベールにとっては、従士の事などもはやどうでもよかった。ただ、苦痛から逃れたかった。異端審問官は、どう白状すればよいかすぐに教えようとしなかった。タイミングを見計らい、少しずつ誘導した。ロベールは、異端審問官がもったいぶりながら与える模範回答を、さかりのついた犬のように求めた。
自白が終わったとき、ロベールの心身は打ちのめされ、擦り切れていた。汚物にまみれた体と同様に、心も汚物にまみれていた。聖騎士としての誇りなど、どこにも無かった。
俺は、あの時神に救いを求めた。ロベールは、汚辱に満ちた回想の中で思った。
バフォメットは、仲間達が神に救いを求めながら死んでいったと話していた。俺も神に救いを求めた。
ロベールは笑った。だが、救ってくださらなかった。答えて下さらなかった。
自分が救われるために祈りをささげることは、利己的だと言うのだろうか？他人のために祈るのでなくては、答えぬというのだろうか？
自分は、あの時必死に祈った。生涯でもっとも真摯な祈りだった。それでも答えてくださらなかった。
ロベールは、笑いながら吐き捨てた。神などいないのかもしれないな。神は、人の弱い心が生んだ妄想の産物に過ぎないのかもしれない。聖職者達は、人の心を支配するために神なる妄想の産物を利用しているのだ。自分は、間抜けにもだまされ、利用されてきたのかもしれないな。
ロベールは、笑い続けながら思った。いや、神はおられるのかも知れない。これは試練なのかも知れない。俺は試練に負けた。試練に打ち勝ったものは拷問で死に、神の国へと旅立った。神は、微笑みながら迎え入れてくださるのかもしれない。俺は、地上で悪魔に仕えている。神にとって、俺は一瞥を与える価値もないわけだ。
試練を必要とする神とは、何なのだろうか？神は強者だけを必要とし、弱者は必要としないのだろうか？試練を与え、人を振り分けているのだろうか？
神は、俺達を見下ろしているのだ。本気になって怒る誠実さも無く、涙を流す温かさも無いのだ。退屈そうに人を見下ろしているのだ。人にすべてを失って自分に頼ることを強要したあげく、救いを求めて差し伸べられた手を払いのける非人なのだ。
ロベールは笑った。
神は非人だ、非人なのだ。
ロベールは笑い続けた。
バフォメットは、ロベールの体に薬を塗っていた。バフォメットに魔女を変えるように言ってから、魔女は来なくなった。
「あの魔女でかまわん。変える必要はない」
ロベールは、無感情な声で言った。
「わしがお前に塗りたいだけさ」
バフォメットは、低い声で笑いながら塗り続けた。塗り終わり、布を巻くと軽く笑った。
「もう出歩けるだけ回復した。運動不足の解消が必要だな」
バフォメットはニヤニヤ笑いながら、ロベールの股間を撫で回した。
「まあ、それなりに運動しているがな」
バフォメットは撫で回すのをやめると、つぶやくように言った。
「神はいるのかも知れぬな」
ロベールは、力なく笑った。
「唐突に何を言い出すんだ？」
この間の続きさ、と言うとバフォメットはロベールの目を見ながら語りかけた。
「神がいることを否定せんよ。神が世界を創ったこともな。だが、神が創ったこの世界は認めんよ」
バフォメットは、ロベールの傷跡をなでた。
「なぜ、お前達は拷問にかけられ、なぶり殺しにされなくてはならないのだ？なぜ、あの魔女は、子供が生めなくなる様な拷問を受けたのだ？神は完全な存在だと言う。その完全なものが創った世界がこのざまか？」
バフォメットは、笑いを収めていた。目と声には、異様な力がこもっていた。
「そんなこと知るか」
ロベールは吐き捨てた。
バフォメットは、ロベールの目を見つめながら話し続けた。
「こんなことは昔から繰り返し問われ続けてきたよ。陳腐な疑問だ。その答えの一つは、未来の永遠の調和のために必要な犠牲と言うやつだ」
バフォメットは顔を歪めて言った。
「お前の犠牲も、あの魔女の犠牲も未来の調和のために必要なんだとさ」
ロベールは何も答えなかった。うつろな視線をさ迷わせるばかりだった。
バフォメットは、そんなロベールにかまわず話を続けた。バフォメットは、人間の悲惨を見続けてきた。虐殺、拷問、陵辱、飢え、貧困。その一つ一つをロベールに語った。その中には、ロベールの故郷にある村の話もあった。
5年前の冬、バフォメットはその村を通りかかった。一人の少年が、ぼろ屋の前で雪の中に倒れていた。バフォメットと魔女は、すぐに自分達の宿に運び込み手当てをした。少年は、寒さをしのげぬぼろをまとっていた。ぼろを脱がすと、やせこけた体中にあざがあった。バフォメット達の手当てもむなしく、少年はその晩息を引き取った。
少年を埋葬した後、少年について調べた。少年は、村で一番貧しい家の子供だった。倒れていた所にあるぼろ屋に住んでいた。少年の父と母と兄は、憂さ晴らしに少年を虐待していた。村人達は、虐待をのんびりと眺めていた。誰も救うものはいなかった。
「あの少年の犠牲も、未来の調和のために必要らしい。そんな犠牲を必要とする調和とは何だろうな？わしはそんな調和は要らんよ。犠牲を要求する神など理解できない。理解する気も無い」
バフォメットは息をつき、笑った。
「あの少年の最後の言葉も『神さま』だった」
バフォメットは口を閉ざした。沈黙が支配した。沈黙は永劫に続くかと思われた。
バフォメットは、ゆっくりとロベールに手を伸ばした。ロベールの体を撫で回した。股間を愛撫した。
ロベールは抵抗しなかった。空虚な瞳で前を見るばかりだった。
バフォメットは、ロベールの股間を露出させた。顔を寄せ、ペニスに舌を這わせた。顔を離すと自分の股を露出させ、ロベールのペニスにこすりつけた。自分の股が濡れると、ロベールのペニスを自分の中に飲み込んだ。始めはゆっくりと、次第に腰の動きを早くしていった。角と尾を、腰の動きに合わせて揺らした。
「お前は堕ちた騎士だ。神はお前を顧みなかった。これからも顧みることは無い。お前は快楽に溺れれば良い。快楽はお前を裏切らぬ」
バフォメットの膣は、激しくロベールのものを締め付けた。ロベールの精を搾り取ろうとしていた。
「堕ちよ。どこまでも堕ちよ！」
ロベールは、バフォメットの中に精を放った。バフォメットは恍惚として受け止めた。バフォメットは少しの間、目を閉じていた。目を開けると、再び腰を動かし始めた。
悦楽と堕落の宴は続いた。いつ果てるとも無く続いた。
世界は屍で埋まっていた。屍は皆、激しい苦痛と共に生を終えたものだった。屍は皆、神に救いを求めながら生を終えた。屍は、地の果てまで続いていた。
屍の中央に、一つの処刑台があった。一つのものが斬首されていた。斬首されていたのは神だ。
傍らに一人の男がいた。男は検事だ。同時に判事だ。そして処刑人だった。男は神を斬首した。男は剣を持っていた。かつては神のために振るっていた剣だ。その剣で神を斬首した。
男に恐れは無かった。かつて無いほど自分が強くなったと感じた。そして空虚だった。
男は世界を見渡した。屍が、世界の果てまで続いていた。
男の中で、神は死んだ。
「お前は打ち砕かれ、荒野をさ迷っているのだろう。ならばわしが共にいよう。お前が虚無に飲み込まれぬように」
男の姿を見て、男がどういう地位にあるかわかる者は少ないだろう。それだけ汚れていた。男は、聖騎士と呼ばれる地位にいた。
男は、聖騎士であるがゆえに拷問を受けた。骨が見えるまで鞭打たれた。生皮を剥がれ、剥がれた所を火で炙られた。
男は、頑健な肉体を持っていた。聖騎士として、強い誇りもあった。それらは拷問で打ち砕かれた。
男は、異端審問官の誘導するままに自白した。神を罵った事、悪魔を崇拝したこと、男色を行ったことなどを白状した。もちろん男はそのような事はしていない。男が憎悪していたことだ。拷問によって認めさせられた。
異端審問官は、冷笑しながら男の自白を聞いていた。自白の記録が終わると、男をこの牢に投げこんだ。
男は、それ以来この牢の床に伏したままだ。汚物を入れる壷まで行くこともできず、糞尿を垂れ流していた。
牢の中に異変が起こった。壁の一角がぼやけた。そこから一人の少女が現れた。
少女の頭には山羊の角がついていた。手足は獣のような毛で覆われていた。
少女は、悪臭を立てる男の前にしゃがみこんだ。少女は、男の体に手をかざした。男の体は、紫色の靄のような物に包まれた。
男は、うめき声を上げながら顔を上げた。少女の顔を見上げた。
「これで少しは楽になったはずだ。話くらいは出来るだろう」
少女は、落ち着いた声で言った。
「わしの名はバフォメット。お前達があがめていることにされた悪魔だ」
男は笑った。自嘲するかのような笑いだ。
「お前の名を聞いてよいか？」
バフォメットは、笑いを気にした様子も見せずに聞いた。
「ロベール・モンターギュ」
吐くような聞き取りづらい返事だ。
バフォメットは満足そうにうなずいた。
「ロベールよ、ここから助けてやってもよいぞ。治療もしてやろう。人間の医術では無理でも、わしなら治す事も出来る」
バフォメットは一息つき、微笑を浮かべながら言った。
「ただし、わしに仕えることが条件だ。悪魔であるわしに仕えるのだ。どうする？」
バフォメットは、張り付いたような笑いを浮かべながら言った。
ロベールはうめき声を上げた。少しの間、何も音を立てなかった。やがてくぐもった笑い声を上げながら言った。
「お前に仕える。バフォメットよ、俺を好きなようにしろ。魂をくれてやってもいい」
ロベールは、低く嗤いながら言った。
バフォメットは、笑いを消した。静かにロベールを見下ろした。平板な声で答えた。
「よかろう、お前を救ってやろう。これは悪魔の契約だ。それを忘れるな」
バフォメットとロベールの体が揺らぎ、朧げな姿となった。二人の姿は、牢から消えた。
気がつくと、ロベールはベットの上にいた。牢の中ではない。
瀟洒な装飾が施された部屋だった。白い壁に色鮮やかなタペストリーが飾っていた。棚の上に置かれた物は、燭台を始め皆繊細な造りのものだ。ベッドや枕は柔らかい物であり、それらは絹で覆われていた。ベッドの上には上質な毛皮がかかっていた。
ロベールは、自分を責め苛んでいた激痛が抑えられていることに気づいた。体の所々が疼く程度である。ゆっくりと体を動かしてみると、覚悟していた激しい痛みは無かった。
バフォメットの治療が施されたわけか。ロベールは笑った。ありがたいものだ。悪魔と契約した甲斐があった。
体を調べてみると所々塗り薬が塗られ、布で覆われていた。汚れきっていた体も、清められていた。
バフォメットが、人間をしのぐ医術を持っていることは確かだ。人間の医術では、これほどまで痛みが押さえられるわけが無い。
ロベールが自分の体を調べていると、一人の女が入ってきた。
裾の長い黒い服をまとい、黒のフードをかぶっていた。不自然なほど青白い顔をした、若い女だ。
「薬を塗りなおし、布を替えます」
感情の欠落した声で言うと、ロベールの返事を待たずに作業を開始した。作業は、まったく無機的に行われた。丁寧だが、感情の窺がえない手並みだ。眉ひと筋動かさず、ロベールの下腹部を露出させて治療を行った。
治療が終わると、何も言わず一礼して出て行った。
「あれが魔女というやつか？」
ロベールは、苦笑しながらつぶやいた。
バフォメットが、ロベールのもとに来たのはそれから7日後だ。魔女は1日1回薬を塗り、布を替える。そこから日にちを計算した。
バフォメットは、楽しげに言った。
「体の調子は良くなったようだな。手術後の経過は良いと、報告を受けている」
ロベールは、皮肉っぽい調子で答えた。
「おかげさまで体の具合は良い。今日来たのは、お前に服従することを確認に来たのか？」
バフォメットは苦笑しながら答えた。
「それもある。では、まず確認をするとしよう。もっともあの牢で、すでに契約は完了しているがな」
ロベールは、どうでもいいと言った調子で答えた。
「契約書を書かなくて良いのか？」
バフォメットは笑いながら言った。
「まあ、契約書があったほうが信用できるというなら、取り交わすとしよう」
バフォメットは、一枚の書類を出した。書類、インク壷、羽ペン、小刀をロベールに渡した。ロベールに、インク壷に自分の血をたらし、そのインクを使って契約書に署名しろと言った。
ロベールは、退屈そうに契約書を眺めた。自分の指を切り、血をインク壷へ垂らした。そのインクで署名をし、ぞんざいにバフォメットへ渡した。
バフォメットは、わざとらしく念入りに確認すると、ニヤニヤ笑った。
「これでお前はわしの僕だ。せいぜい忠誠を尽くすが良い」
ロベールは、バフォメットに気が無い調子で話した。
「ほかに用は？」
バフォメットは肩をすくめて言った。
「お前の安否を確認に来たのだ。それも終わった」
背を向けるバフォメットに、ロベールは声をかけた。
「お前は本当にバフォメットなのか？」
少女姿のバフォメットは、やれやれと言いたげな様子で振り返った。
「この姿のせいで信じられぬのか？山羊の頭と足を生やし、両性具有の体になれば信じるのか？」
ロベールは、わざとらしく笑いながら答えた。
「まあな」
バフォメットは、再び肩をすくめると背を向けた。
「気が向いたら、お前好みの姿になってやろう」
一人残されたロベールは、馬鹿馬鹿しそうにため息をついた。
ロベールは、聖堂騎士団に所属する聖騎士だ。厳しい訓練を繰り返し、魔物との戦いにおいては最前線に立ち続けた。
聖堂騎士団は、魔物から人々を守るために組織された騎士団である。聖騎士は、騎士であると同時に修道士であった。主神教会から庇護され、国を超えて組織されていた。
ロベールは、貴族の家に生まれた。家を相続すると、同じような貴族と安楽な生活を送った。鯨飲馬食をくり返し、娼婦を抱いた。本を中途半端に読み、暇な学者もどきと「知的会話」を楽しんだ。
ロベールは、そんな日々に倦んできた。ロベールが聖堂騎士団に惹かれたのは、そんな時だった。清貧に甘んじ、戦いの先頭に立つ。そのような聖堂騎士団の姿に、安逸な生活におぼれていたロベールは惹かれた。
ロベールは、自分の全財産を聖堂騎士団に寄付し、入団した。
安楽な生活を送っていたロベールにとって、聖堂騎士団の生活は厳しかった。だが、ロベールには適性があった。もともと体は頑健であり、騎士として必要な武術は父から叩き込まれていた。怠惰な生活で腐った精神を叩きなおし、贅肉を落とせば、騎士として十分やっていけた。
騎士として訓練を繰り返した後、ロベールは魔物との実戦に臨んだ。侵略してきた魔物達を、力で退けた。忌々しげな魔物たちの表情に、ロベールは喝采を上げた。
神に祈り、騎士として戦う。ロベールの生活は充実していた。
その生活は打ち砕かれた。
聖堂騎士団は、本部のある国で弾圧された。突如団員は逮捕され、投獄され、拷問にかけられた。逮捕の理由は神にそむき、悪魔を崇拝したことだ。
聖堂騎士団は、魔物との戦いの傍ら金融業を行っていた。金融業は成功し、一国の財政を左右するだけの財力を持つようになった。このことが致命傷となった。聖職者の中には、聖堂騎士団の利殖を非難する者も多かった。商売敵ということで、商人達からも敵視された。
聖堂騎士団の本部のある国の王は、聖堂騎士団への不満を利用した。王国は財政難に喘いでいた。王は、聖堂騎士団に借金をしていた。そのため王は、聖堂騎士団の財産を狙っていた。
王は、主神教会に対して手を打っていた。前の教皇は王が幽閉し、死に至らしめた。今の教皇は、王の傀儡だ。聖堂騎士団の弾圧に協力したら、聖堂騎士団の財産の一部を主神教会に分け与えると約束していた。王が聖堂騎士団を弾圧すると、教皇は聖堂騎士団に異端の烙印を押し、非難した。
他の国は、聖堂騎士団の弾圧に参加しなかった。止めもしなかった。
孤立無援の中、騎士団員達の多くは拷問で殺された。生き残った者も自白を強要され、茶番でしかない裁判を待つ身だ。
聖堂騎士団は、魔物の手ではなく人間の手によって叩き潰された。
ロベールがベットに寝転んでいると、ノックの音の後にバフォメットが入ってきた。
「体はだいぶ良くなったと聞いている。ちょっと見せてもらおう」
ロベールの返事を待たず、バフォメットはロベールの体をまさぐり始めた。体の各部を医者のような手つきで確認した。そしてにんまりと笑った。
「悪くない。わしの医術のせいもあるが、お前の頑健さも大したものだ」
バフォメットは、体をまさぐり続けた。股間を愛撫し始めた。ロベールの呆れた様な顔をものともせず、股間を楽しそうにまさぐり続けた。
「お前は、わしの僕だ。わしの好きなようにさせろ」
バフォメットは笑いながら言うと、ロベールの股間に顔をうずめた。そしてニヤつきながら言った。
「男の濃い臭いがするのう。これでは精も濃さそうだ」
バフォメットは、いたずらっぽい表情でペニスに舌を這わせた。先端から根元まで丁寧に這わせた。ペニスに満遍なく唾液を塗りこむと、睾丸に舌を這わせた。
ロベールは背を振るわせた。快楽もさることながら、少女に己のペニスを舐めさせている事に強い背徳感を感じた。
バフォメットはペニスを小さな口に咥え、飲み込んだ。少女とは思えぬ巧みな技術だ。ロベールは、すぐに追い詰められた。少女の口に出すことにためらいはあったが、我慢できなかった。ロベールは、少女の口に己の欲望をぶちまけた。
バフォメットは、精液をのどを鳴らして飲み込んだ。ペニスを音を立てて吸い上げた。中に残っていたものもすべて吸い上げると、汚れた唇を舐めながらロベールを見上げた。
「濃い精だのう。さすが頑丈な男だけある。この先楽しめそうだな」
そう言うと、バフォメットはペニスを再び舐め始めた。ロベールのペニスを回復させると、バフォメットはロベールの腰にまたがった。小さい膣に、たくましいペニスを飲み込んでいった。バフォメットの膣は、ロベールのペニスをきつく締め上げた。バフォメットの表情に、苦痛の色は無かった。腰を振るいながら笑っていた。
「なんだ、楽しんでおらぬな。わしが少女の姿をしているのが気になるのか？これでもお前とは比べ物にならぬほど生きてきておるわ」
バフォメットは、ロベールの顔を見下ろし微笑を浮かべた。
「お前は悪魔に仕えたのだ。倫理など無用のものだ。背徳を楽しめ」
ロベールは嗤った。自分を嗤った。そうだ、俺は堕落した騎士だ。
ロベールはバフォメットの腰をつかみ、下腹部に力を入れた。
「お前は、まだ神を捨てておらぬな」
バフォメットは、激しい性交の後言った。ロベールとバフォメットは、最初の淫行の後毎日お互いを貪りあった。体を貪りあって10日になる。
「神などどうでもいい。悪魔であるお前に仕えていることがその証拠だ」
ロベールは、寝転びながら無感情に答えた。
「口では何とでも言える。まだお前の中には神がいる」
バフォメットは微笑みながら言った。ロベールの足を撫で回した。
「お前とは契約を交わした。俺が神を信じようと信じまいと、お前の命令どおりに動く」
ロベールは、あくびをしながら答えた。
「わしはそれでも良いのだがな」
バフォメットは足を撫で回す事をやめ、ベッドのわきにある台に手を伸ばした。銀製のゴブレットに葡萄酒を注ぐと、ゆっくりとすすり始めた。
「わしは、お前の仲間達を見た」
バフォメットは、聖堂騎士団への弾圧の様を語り始めた。ロベールと同じく、骨が出るまで鞭打たれた者。皮をはがれ、火で炙られた者。口に漏斗を突っ込まれ、無理やり大量の水を飲まされた者。ラックという道具ににかけられて体を引き伸ばされ、関節と靱帯を破壊された者。そして股間を縄で締め上げられ、股間を叩きのめされた者。
「その者は、血の小便を垂れ流しながら死んだよ」
バフォメットは、無感情に話した。
「やつらは、死の間際までささやいておった。何をささやいておったと思う？」
ロベールは、無言で首を振った。
「神に救いを求めていたのだ」
バフォメットは嗤った。
「神は救ってなどくれぬ。答えてさえくれぬのにな」
バフォメットは軽く息をつき、再び葡萄酒をすすり始めた。
「神が救わぬのならば、お前が救えばよい」
ロベールはぞんざいに答えた。
バフォメットは、静かなまなざしでロベールを見た。
「救おうとしたよ。だがわしは悪魔だ。契約に縛られる。拒否されたらそれまでよ」
バフォメットは苦く笑った。
「まあ、わしとの契約に応じた者もいた。そやつらのうちには救えた者もいた。」
バフォメットは、ロベールから目をそらした。
「死んだ者もいるがな」
ロベールは、苛立たしさを我慢できなくなった。八つ当たりだとわかっていたが、荒々しく言った。
「俺に、薬を塗る魔女がいるだろう。あいつを変えてくれ。顔が青白すぎる。明るい顔のやつにしてくれ」
バフォメットは、無言でロベールを見つめた。沈黙が場を支配した。バフォメットはゆっくりと沈黙を破った。
「あやつは異端審問を受け、拷問にかけられたのだ。シスターだったが、教会のお偉方と少し考えが違っておったのでな。」
バフォメットは、無表情にロベールを見つめた。
「お前は『苦悩の梨』を知っておるか？」
ロベールは、首を横に振った。聞き覚えが無かった。
「あやつは、もう子供が生めぬ。わしの医術でもどうにもならぬ」
そうつぶやくと立ち上がり、ロベールに背を向けた。ゴブレットを台に置くと、そのまま部屋から出て行った。
ロベールは一人残された。
拷問か。ロベールは吐き捨てた。拷問なら体で知っている。顔も青白くなるだろうさ。
ロベールは、自分に加えられた拷問を思い返した。拷問は密室で行われた。外の情報は遮断されていた。ロベールは、何もわからないまま鞭打たれ、皮剥がれ、火で炙られた。異端審問官は、絶え間なくロベールを責め立てた。ロベールが気絶すると、別の苦痛を加え無理やり覚醒させた。痛めつけながら単純で、意味の無い質問を繰り返した。
ロベールは、時間の感覚を失った。悪夢を見ているのか、覚醒しているのかもわからなくなった。ただ、苦痛と意味の無い質問がロベールの中で渦をまいていた。
異端審問官は、ロベールの状態を正確に把握していた。タイミングを見計らい、一つの情報をロベールに与えた。ロベールの従士が、悪魔を崇拝していた事を白状したと。異端審問官は、ロベールに自分の与えた情報が染み渡るための間を空けた。間のあと拷問を再開した。ロベールの中では、苦痛と従士が自白したことが渦巻いた。
異端審問官は、拷問を続けながらタイミングを見計らっていた。苦痛と気絶と覚醒が繰り返された。時間を把握できなくなり、延々と苦痛を感じ続けているロベールに、二つ目の情報を与えた。先輩に当たる聖騎士が、悪魔崇拝を行ったことを自白したと。わざとらしく間を空けると、悪意をこめて言った。若い聖騎士と男色を行ったことを白状したと。ロベールの中に、悪意を塗りこんだ情報が染み渡っていった。
その後も拷問は続けられた。ロベールは、すでに心が折れていた。異端審問官の望む事を言いたかった。だが、異端審問官は意味の無い質問を繰り返しながら、拷問を続けるばかりだった。打ちのめされているロベールに、異端審問官は楽しげに言った。従士はまだ拷問を受けている。お前が強情だからな。
ロベールにとっては、従士の事などもはやどうでもよかった。ただ、苦痛から逃れたかった。異端審問官は、どう白状すればよいかすぐに教えようとしなかった。タイミングを見計らい、少しずつ誘導した。ロベールは、異端審問官がもったいぶりながら与える模範回答を、さかりのついた犬のように求めた。
自白が終わったとき、ロベールの心身は打ちのめされ、擦り切れていた。汚物にまみれた体と同様に、心も汚物にまみれていた。聖騎士としての誇りなど、どこにも無かった。
俺は、あの時神に救いを求めた。ロベールは、汚辱に満ちた回想の中で思った。
バフォメットは、仲間達が神に救いを求めながら死んでいったと話していた。俺も神に救いを求めた。
ロベールは笑った。だが、救ってくださらなかった。答えて下さらなかった。
自分が救われるために祈りをささげることは、利己的だと言うのだろうか？他人のために祈るのでなくては、答えぬというのだろうか？
自分は、あの時必死に祈った。生涯でもっとも真摯な祈りだった。それでも答えてくださらなかった。
ロベールは、笑いながら吐き捨てた。神などいないのかもしれないな。神は、人の弱い心が生んだ妄想の産物に過ぎないのかもしれない。聖職者達は、人の心を支配するために神なる妄想の産物を利用しているのだ。自分は、間抜けにもだまされ、利用されてきたのかもしれないな。
ロベールは、笑い続けながら思った。いや、神はおられるのかも知れない。これは試練なのかも知れない。俺は試練に負けた。試練に打ち勝ったものは拷問で死に、神の国へと旅立った。神は、微笑みながら迎え入れてくださるのかもしれない。俺は、地上で悪魔に仕えている。神にとって、俺は一瞥を与える価値もないわけだ。
試練を必要とする神とは、何なのだろうか？神は強者だけを必要とし、弱者は必要としないのだろうか？試練を与え、人を振り分けているのだろうか？
神は、俺達を見下ろしているのだ。本気になって怒る誠実さも無く、涙を流す温かさも無いのだ。退屈そうに人を見下ろしているのだ。人にすべてを失って自分に頼ることを強要したあげく、救いを求めて差し伸べられた手を払いのける非人なのだ。
ロベールは笑った。
神は非人だ、非人なのだ。
ロベールは笑い続けた。
バフォメットは、ロベールの体に薬を塗っていた。バフォメットに魔女を変えるように言ってから、魔女は来なくなった。
「あの魔女でかまわん。変える必要はない」
ロベールは、無感情な声で言った。
「わしがお前に塗りたいだけさ」
バフォメットは、低い声で笑いながら塗り続けた。塗り終わり、布を巻くと軽く笑った。
「もう出歩けるだけ回復した。運動不足の解消が必要だな」
バフォメットはニヤニヤ笑いながら、ロベールの股間を撫で回した。
「まあ、それなりに運動しているがな」
バフォメットは撫で回すのをやめると、つぶやくように言った。
「神はいるのかも知れぬな」
ロベールは、力なく笑った。
「唐突に何を言い出すんだ？」
この間の続きさ、と言うとバフォメットはロベールの目を見ながら語りかけた。
「神がいることを否定せんよ。神が世界を創ったこともな。だが、神が創ったこの世界は認めんよ」
バフォメットは、ロベールの傷跡をなでた。
「なぜ、お前達は拷問にかけられ、なぶり殺しにされなくてはならないのだ？なぜ、あの魔女は、子供が生めなくなる様な拷問を受けたのだ？神は完全な存在だと言う。その完全なものが創った世界がこのざまか？」
バフォメットは、笑いを収めていた。目と声には、異様な力がこもっていた。
「そんなこと知るか」
ロベールは吐き捨てた。
バフォメットは、ロベールの目を見つめながら話し続けた。
「こんなことは昔から繰り返し問われ続けてきたよ。陳腐な疑問だ。その答えの一つは、未来の永遠の調和のために必要な犠牲と言うやつだ」
バフォメットは顔を歪めて言った。
「お前の犠牲も、あの魔女の犠牲も未来の調和のために必要なんだとさ」
ロベールは何も答えなかった。うつろな視線をさ迷わせるばかりだった。
バフォメットは、そんなロベールにかまわず話を続けた。バフォメットは、人間の悲惨を見続けてきた。虐殺、拷問、陵辱、飢え、貧困。その一つ一つをロベールに語った。その中には、ロベールの故郷にある村の話もあった。
5年前の冬、バフォメットはその村を通りかかった。一人の少年が、ぼろ屋の前で雪の中に倒れていた。バフォメットと魔女は、すぐに自分達の宿に運び込み手当てをした。少年は、寒さをしのげぬぼろをまとっていた。ぼろを脱がすと、やせこけた体中にあざがあった。バフォメット達の手当てもむなしく、少年はその晩息を引き取った。
少年を埋葬した後、少年について調べた。少年は、村で一番貧しい家の子供だった。倒れていた所にあるぼろ屋に住んでいた。少年の父と母と兄は、憂さ晴らしに少年を虐待していた。村人達は、虐待をのんびりと眺めていた。誰も救うものはいなかった。
「あの少年の犠牲も、未来の調和のために必要らしい。そんな犠牲を必要とする調和とは何だろうな？わしはそんな調和は要らんよ。犠牲を要求する神など理解できない。理解する気も無い」
バフォメットは息をつき、笑った。
「あの少年の最後の言葉も『神さま』だった」
バフォメットは口を閉ざした。沈黙が支配した。沈黙は永劫に続くかと思われた。
バフォメットは、ゆっくりとロベールに手を伸ばした。ロベールの体を撫で回した。股間を愛撫した。
ロベールは抵抗しなかった。空虚な瞳で前を見るばかりだった。
バフォメットは、ロベールの股間を露出させた。顔を寄せ、ペニスに舌を這わせた。顔を離すと自分の股を露出させ、ロベールのペニスにこすりつけた。自分の股が濡れると、ロベールのペニスを自分の中に飲み込んだ。始めはゆっくりと、次第に腰の動きを早くしていった。角と尾を、腰の動きに合わせて揺らした。
「お前は堕ちた騎士だ。神はお前を顧みなかった。これからも顧みることは無い。お前は快楽に溺れれば良い。快楽はお前を裏切らぬ」
バフォメットの膣は、激しくロベールのものを締め付けた。ロベールの精を搾り取ろうとしていた。
「堕ちよ。どこまでも堕ちよ！」
ロベールは、バフォメットの中に精を放った。バフォメットは恍惚として受け止めた。バフォメットは少しの間、目を閉じていた。目を開けると、再び腰を動かし始めた。
悦楽と堕落の宴は続いた。いつ果てるとも無く続いた。
世界は屍で埋まっていた。屍は皆、激しい苦痛と共に生を終えたものだった。屍は皆、神に救いを求めながら生を終えた。屍は、地の果てまで続いていた。
屍の中央に、一つの処刑台があった。一つのものが斬首されていた。斬首されていたのは神だ。
傍らに一人の男がいた。男は検事だ。同時に判事だ。そして処刑人だった。男は神を斬首した。男は剣を持っていた。かつては神のために振るっていた剣だ。その剣で神を斬首した。
男に恐れは無かった。かつて無いほど自分が強くなったと感じた。そして空虚だった。
男は世界を見渡した。屍が、世界の果てまで続いていた。
男の中で、神は死んだ。
「お前は打ち砕かれ、荒野をさ迷っているのだろう。ならばわしが共にいよう。お前が虚無に飲み込まれぬように」
14/02/24 21:35更新 / 鬼畜軍曹