捨て駒の安息
辺りにはのどかな田園風景が広がっていた。黄金色の麦畑が広がり、農民たちが刈り入れに精を出している。その麦畑の先に灰色の城がそびえている。
城は見たところは何の変哲もない、ただの地方領主の城にしか見えない。城壁を行き来する兵の姿も穏やかな物腰だ。だが、この城の内実は帝国の重要な実験施設だ。
「潜入しにくいな。城からの見晴らしが良い」
「内部の防御もある。奇襲しにくい城だ」
声は二か所から聞こえる。一つは荷馬車の御者から、もう一つは荷馬車の上の藁の中から聞こえる。
「簡単に見えて難しい、よくある話だ」
「荷馬車に紛れて城に潜り込むことは可能か?」
「ダメだ。城の中に入り込んでいる奴の話だと、外からの物資は厳しく検査するそうだ」
「農民や城の使用人に化ける事は?」
「一人一人が監視されているそうだ」
御者は薄く笑う。
「つまり強襲するしかないわけだ」
「そう決めつけるのはまだ早い。調査は終わっていない」
「結論は出ていると思うが」
「お前は、殺す事しか頭にはないのか?」
藁の中から押し殺した非難の言葉が放たれる。
「必要なら殺すだけだ」
御者は、口の端を釣り上げて笑う。結論は出ている。城を強襲し、中にいる連中を殺して資料を奪う。それで終わりだ。御者は笑い続ける。
殺戮への期待に震えながら、御者に扮している男は城を見据えていた。
ヴァーツェルとキマイラは、帝国内にある施設の破壊を命じられた。二人は親魔物国軍の破壊工作員であり、主神教団や反魔物国の施設の破壊を任務とする。施設は帝国東南部にある城であり、そこでは人体実験が行われているという情報が入っていた。
主神教団の一部や反魔物国の一部は、強靭な兵士を作るために人体実験を行っている。魔術や薬物投与、洗脳などによって魔物を初めとする敵に対抗するための兵を作り出す事が目的だ。
親魔物国であるヴァーツェルの国にとっては、人体実験施設は破壊しなくてはならない物だ。ヴァーツェルとキマイラは、所属する軍の特務機関の命を受けて施設について調べ、施設のある帝国領に侵入した。現在、施設のすぐそばで襲撃のための準備を行っていた。
二人は、夜になると農家の一つへと引き上げた。あらかじめ施設周辺の農家のいくつかを買収してある。そこを根拠地にして活動しているのだ。帝国領内の大半の農民は農奴であり、施設周辺で働く農民もほとんどが農奴だ。彼らは激しく収奪されており、飢えているため領主を憎んでいる。のどかな田園に見えても、よく観察すれば粗末な服を着て痩せこけた農奴が酷使されている事が分かる。彼らにいくらかの食糧を渡したら、ヴァーツェル達に協力してくれた。目の前に差し出された食料が、領主への恐怖に勝ったわけだ。
ヴァーツェル達がいる家は、粗末な木造の建物だ。石造りの家は、裕福な者でなければ建てる事は出来ない。農奴の家は、隙間風が入る上に薪が乏しいために夜は冷える。二人は、あらかじめ用意してきた厚手の衣服に感謝しながら身を震わせた。
「あの施設が暴露されれば、帝国侵攻の口実に使われるな」
イスメネは、薄笑いを浮かべながら言った。イスメネは、キマイラの四つの人格の一つだ。山羊の人格であり、知性に恵まれている。
「結構な事じゃないか。帝国が滅びれば喜ぶ奴は多い」
ヴァーツェルの返答に、イスメネは薄く笑う。
ヴァーツェルは、目の前のキマイラを見る。四つの存在が人間に混ざり合った姿だ。獅子、龍、山羊、蛇、これらの存在が若く美しい女性の体に合わさっていた。頭からは龍と山羊の角を生やし、獅子の耳が付いている。右肩には山羊の頭が付き、右手は山羊の獣毛に覆われている。左肩には龍の頭が付き、左手は爬虫類の鱗で覆われている。背には龍の翼が広がり、尾は蛇だ。足は獅子の毛で覆われている。これらが、人間の女性の麗貌と肉感的な肢体に混ざり合っているのだ。
かつてキマイラは、魔物と人間双方の実験により殺戮兵器として作り出されていた。キマイラはおびただしい数の人間と魔物の犠牲を払って作り出され、大量の人間と魔物を殺戮してきた。新魔王の命により、キマイラを作り出すための実験は魔物側では禁じられた。だが、人間側はキマイラ製造を続けている。襲撃しようとしている施設は、キマイラ製造にも関わっているという情報が入っている。
「帝国はそう簡単に滅びはせんよ。帝国を舞台とした泥沼の戦いに、我が国が引きずり込まれるだけだ」
「大きいばかりで、分裂している上に腐っている帝国が?」
「分裂していても、帝国内には強力な勢力が存在する。それに周辺諸国も問題を抱えている所ばかりだ」
諭すように言うイスメネを、ヴァーツェルは刺す様に見る。帝国を破滅のるつぼに叩き込みたいヴァーツェルにとっては、イスメネの意見は苛立ちを感じるものだ。
「王弟殿下も軽率すぎる。困ったものだな」
「不敬だぞ!」
怒声を上げるヴァーツェルを、イスメネは軽く笑いながら応える。
ヴァーツェル達の国は、国王派と王弟派に分かれている。対外侵略に消極的な国王に対して、軍に影響のある王弟は侵略に積極的だ。ヴァーツェル達の所属する軍の特務機関は、王弟派に属する。王弟は、主神教団や反魔物国に対する攻撃を主張している。侵略に成功すれば、他の親魔物国に比べて有利な立場となる事が出来ると考えているのだ。侵略を行うために、王弟は特務機関を使っているのだ。
「人体実験を行う施設を襲撃する事は良い事さ。連中のやっている事を明るみに出し、裁く必要はある」
イスメネの強い口調に、ヴァーツェルは怒りを収める。施設の破壊に積極的なら、ヴァーツェルと目的は合致する。
イスメネは微笑みながら立ち上がり、ヴァーツェルの方へと歩いてくる。ヴァーツェルの体に手を掛け、宥める様に愛撫する。
「そろそろ休みましょう。休めるうちに楽しまないとね」
キマイラは、嫣然とした微笑みを浮かべながら柔らかい声を出す。このような態度を取るのは、蛇の人格であるエウジェニアだ。エウジェニアは擦り寄って来て、ヴァーツェルを抱きしめる。
ヴァーツェルは下半身に血が集まるのを自覚しながら、エウジェニアの柔らかさと温かさを感じ、匂いを嗅いだ。
ヴァーツェルとエウジェニアは、お互いの口を貪りあいながら服を脱がし合った。ヴァーツェルは、むき出しになったエウジェニアの胸を愛撫する。エウジェニアは、引き締まった筋肉質の体だが胸は大きくて柔らかい。ヴァーツェルは、弾力のある胸と硬い突起を掌で楽しむ。
エウジェニアはひざまずき、さらけ出されているヴァーツェルのペニスに顔を寄せる。わざとらしく音を立てて臭いを嗅ぎ、いたずらっぽい調子で口付ける。繰り返し口付けると、愛おしげにペニスに頬ずりをした。
「口付けの跡を付けてあげるからね。私の物だと言う証に」
エウジェニアは、音を立てて吸い付くようにペニスに口付ける。
ヴァーツェルは、呻き声を抑えられない。繰り返しエウジェニアと交わってきたが、彼女の性技には翻弄されてしまう。
エウジェニアは、陰嚢に口付けたり袋の皮を唇で引っ張ったりし始める。陰嚢の皺に舌を這わせながら、形の良い鼻を竿に擦り付ける。エウジェニアは、ヴァーツェルの陰茎越しに見上げながら微笑みかけた。
ヴァーツェルは耐えられなくなり、エウジェニアの顔にペニスを押し付けて嬲る。エウジェニアの彫りの深い整った顔を、赤黒い肉の塊で蹂躙する。
エウジェニアは、自分からペニスに顔を押し付けていた。やがてペニスから顔を離すと、豊かな胸でペニスを挟み込む。ペニスを白い膨らみに埋め込みながら、ピンク色の堅い突起で嬲る。そのまま揉み込んだ後、ペニスの先端を谷間から解放して舌で愛撫する。エウジェニアの透明な唾液が、赤く充血したペニスと白から薄赤に染まりつつある胸を光らせた。
ヴァーツェルは、エウジェニアに射精を告げる。エウジェニアの許しを得て、ペニスから白濁液を放出した。亀頭はエウジェニアの口に含まれており、ヴァーツェルは舌の蠢く口の中に精液を流し込む。激しい奔流は、射精している本人にも制御できない。ヴァーツェルは、痙攣しながら繰り返し精を放ち続けた。
エウジェニアは、射精が終わってもペニスの中にある精を執拗に吸い上げ続けた。長い吸精が終わると、エウジェニアは顔を上げて濡れた口に笑みを浮かべる。両腕を見せ付ける様に上げると、楽しげに笑う。
「さあ、今度はこっちでやりましょう。あなたはここが好きでしょ」
エウジェニアは、自分の右腋に顔を寄せながら微笑みかける。
ヴァーツェルは立ち上がり、エウジェニアの後ろに回り込む。エウジェニアの翼に引っ掛からないように注意しながら、エウジェニアの唾液で濡れたペニスを右腋に擦り付けた。
エウジェニアは右腋でペニスを挟み込み、ヴァーツェルに動かすように誘う。エウジェニアの右肩に付いている山羊の頭は、目を細めながら右腋から突き出されるペニスに頬ずりをする。山羊の白い獣毛が、ペニスの先端からあふれ出る液で濡れていく。
エウジェニアは腋からペニスを開放し、自分の股を広げる。毛で覆われた右手でヴァギナを広げて、ピンク色に滑り光りながら蠢く肉を見せ付けた。
「もう待ちきれないわ。早く入れて頂戴」
ヴァーツェルはエウジェニアの正面にまわり、座り込んでヴァギナにペニスを擦り付ける。そのままエウジェニアの体を抱きしめながら、ペニスを中へと押し入れていく。エウジェニアの汗で濡れた肉の匂いとペニスを温かく包む肉の感触で、ヴァーツェルは自制を失う。
エウジェニアは、ヴァーツェルを抱きしめ返しながら喜びに身を震わせた。共に座りながら抱きしめ合って交わる座位は、エウジェニアの好きな体位だ。ヴァーツェルを見て、感じられる体位だからだ。
ヴァーツェルは、エウジェニアによって腰を上げさせられた。ヴァーツェルの尻の割れ目に冷たいものが滑り込む。ヴァーツェルの尻の穴にねっとりとした快感が走る。エウジェニアの尾である蛇が、ヴァーツェルの尻の穴を舐め回しているのだ。
エウジェニアは、渦を巻くようにしてヴァーツェルのペニスを締め付ける。締め付けるだけ締め付けると、揉みほぐす様にペニスを愛撫する。蛇は、膣の締め付けに合わせて舌を蠢かせて尻の穴をほぐす。
ペニスと尻の穴に連携して与えられる快楽に、ヴァーツェルは背を震わせる。耐えられなくなったヴァーツェルは、出そうになった事をエウジェニアに告げる。
エウジェニアは獅子の毛に覆われた足でヴァーツェルの腰を締め付け、同時に膣肉でペニスを締め付けた。
「中で出すのよ。私の子宮をあなたの精で染めて」
エウジェニアの熱い息を耳元で感じ、ヴァーツェルは中へ精を放出した。一度目に劣らぬ激しい射精を、腰と背を震わせながら行う。涎を垂らしながら震えるエウジェニアの顔を見ながら、ヴァーツェルは腰を押し付けて精を流し込み続けた。
精を出し切ったヴァーツェルは、エウジェニアを抱きしめながら荒い息をつく。エウジェニアの弾力のある感触を味わい、濃厚な体臭を楽しむ。頬に擦り付けられるエウジェニアの髪が心地よい。
ヴァーツェルのペニスが再び締め付けられた。エウジェニアの顔を覗き込むと、獰猛な笑いを浮かべている。
「分かっているとは思うが、あたしの相手もしてもらうぞ。エウジェニアに先を取られたせいで我慢出来なくなったのだからな」
この表情と物言いは、獅子の人格であるエウリュディケだ。四つの人格の中でも最も獣性に従っている人格だ。龍の人格であるアレティナや山羊の人格であるイスメネも舌なめずりをしているだろう。
まだ快楽の交わりは始まったばかりだ。
エウジェニアとの交わりの後、ヴァーツェルはキマイラの三つの人格と交わりあった。
エウリュディケは、ヴァーツェルの上に伸し掛かりながら腰を揺すり動かした。膣で締め付けている間に、ヴァーツェルの体をむしゃぶりつく様に舐め回す。そうして強引にペニスを回復させると、床に四つん這いになって尻を向けた。エウリュディケは、獅子そのものの様に後背位で交わる事を好むのだ。
エウリュディケの次は、アレティナの番だ。アレティナは、ヴァーツェルを寝かせてその上に覆いかぶさった。三回精を放って萎えているペニスを胸で挟み、強くしごいて回復させる。アレティナは、エウリュディケに比べると落ち着いているが支配欲は誰よりも強い。ヴァーツェルの腰の上にまたがり、回復させた彼を騎乗位で攻め立てた。
最後はイスメネだ。イスメネは、四つの人格の中では最も温厚な性格だ。疲れているヴァーツェルを、山羊の毛の生えている右手で優しく撫でまわす。固くなった筋肉をゆっくりと揉み解し、ヴァーツェルの疲労を癒していく。だが、彼女は好色で計算高い人格でもある。ヴァーツェルの汚れたペニスを口に含み、唇と舌で弱い所を巧みに攻め立てていく。ペニスを回復させると、床に寝てヴァーツェルを誘う。ヴァーツェルにとって楽な姿勢である正常位で快楽を貪るのだ。
交わりの後、二人は湯で体の汚れを落とす。工作員として活動する為には、臭いが付いたままではいられない。体を洗い終わった二人は、藁を敷いた床にマントにくるまって寝る。農奴に余分な寝台は無いからだ。
ヴァーツェルは、自分に寄り添いながら寝息を立てるキマイラを見つめていた。キマイラは時折眉をしかめる。彼女には四つの人格が有り、不完全な状態で同居している。その為に情緒不安定な所が有るのだ。
彼女は、旧魔王時代に殺人兵器として作られた存在だ。人間の女に獅子、龍、山羊、蛇の魔物を合わせて作られた。実験の段階で、多くの人間と魔物が犠牲となった。彼女は、屍の山の上に作られた成功例だ。新魔王の政策により解放されて治療を受けたが、不安定さを克服する事は出来なかった。
彼女が特務機関に入ったのは、実験体であった事への復讐かも知れないとヴァーツェルは思う。そう思うのは、ヴァーツェル自身が実験体だったからだ。
ヴァーツェルは、帝国東北部に住む農奴だった。その地では、帝国の他の場所同様に農奴は激しく収奪されていた。豊作の時でも辛うじて生きる事しか出来ない。不作の時は、餓死者があふれる事になる。
ヴァーツェルは、税を払う事が出来ない為に主神教団の施設で働かされる事となった。領主と教団は、不作であるにもかかわらず重税を課したのだ。ヴァーツェルの一家には、税を払う事など不可能だ。
ヴァーツェルは、教団兵に連行された時の事を良く覚えている。父と母は、ヴァーツェルの顔を見ようともしなかった。引きずられていくヴァーツェルを見向きもせずに、薪を運んでいた。
ヴァーツェルの連行された所は、領内にある主神教団管轄の城だ。そこでは人体実験が行われており、ヴァーツェルは実験材料とされた。ヴァーツェルは、肉体強化のための実験材料とされた。魔族と戦うためには、強靭な肉体を持つ兵士が必要となる。その兵士作りの為に、ヴァーツェルは薬物投与や魔法の施術をされた。さらに、異端審問の際の拷問時に開発された洗脳技術の実験もされた。
ヴァーツェルと共に実験にかけられた者の多くが、惨たらしい死をとげた。助かっても廃人になったり、発狂したり、重度の障害を持つ身となる。彼らは速やかに処分された。ごくわずかな者が自殺に成功したが、彼らは幸運な例外に過ぎなかった。
ヴァーツェルは、度重なる実験により心身とも蝕まれていた。極めてまれな幸運とヴァーツェルの機転が無ければ、ヴァーツェルは廃人となり処分されていただろう。
ヴァーツェルがいつものように実験にかけられていると、隣の部屋で尋常ではない騒ぎが起こった。製造途中のキマイラが暴れ出したのだ。動揺して隙を見せた研究員と警備兵を殺し、ヴァーツェルは城から逃げ出した。
ヴァーツェルに対して、城はすぐに追手を差し向けた。城から少し離れた断崖でヴァーツェルは追い詰められ、絶壁から落ちた。
ヴァーツェルには幸運が重なり、絶壁の底に叩き付けられる事は無かった。途中で、蝙蝠の翼を持つサキュバスと鳥の翼を持つハーピーが受け止めてくれたのだ。彼女達は、魔王軍の工作員だった。実験施設である城を調査している所で、偶然にヴァーツェルを助ける事が出来たのだ。
ヴァーツェルは、彼女達魔物の諜報機関の手により魔王領へと運ばれた。ヴァーツェルは、人体実験の生きた証拠であるからだ。魔物が自分を助けた理由は、ヴァーツェルには他に思い当たらない。
ヴァーツェルは、魔王領で治療を受けた。だが、それがヴァーツェルにとって良い事だったのかは分からない。ヴァーツェルの心身は激しく破壊され、廃人よりはマシと言う状態だった。ヴァーツェルは、反吐を吐き散らし糞尿をまき散らしながら、壁に頭を打ち付け床を転がりまわった。魔物達は根気よく治療を続けたが、もしかしたら楽に殺してやった方が親切だったかもしれない。
魔物達の努力により回復したヴァーツェルは、魔王軍に参加する事を望んだ。自分を虐げた主神教団と帝国に復讐するためだ。実験によって肉体は強化されており、軍人として役に立つはずだから軍に入る事が出来ると考えた。
だが、魔王軍はヴァーツェルの入軍を拒否した。ヴァーツェルが憎悪から不必要な殺戮を行う事を危惧したからだ。彼女らは、ヴァーツェルに開拓地での仕事を紹介した。
魔王軍に失望したヴァーツェルは、魔王領を出て親魔物国の一つに移住した。新魔物国なら自分を軍人として雇ってくれると考えたからだ。望みは叶えられ、ヴァーツェルは軍人となった。さらに、彼の特殊な力に目を付けた軍により、ヴァーツェルは特務機関の一員となる事が出来た。
その国には、人間だけが構成員の特務機関が存在する。魔物と違って殺戮をためらわない人間達による、汚れ仕事専門の機関だ。ヴァーツェルはその機関に入る事が出来たのだ。特務機関に入ったヴァーツェルには、訓練と言う名の暴力が叩き付けられた。だがヴァーツェルは耐え抜き、工作員としての実務に参加する事が出来るようになった。
それからは殺戮の日々だ。主神教団や反魔物国の人間を、血と肉の塊に変え続ける日々だ。その日々は、ヴァーツェルに生きる喜びすら与えた。虐げられて生き続けたヴァーツェルにとって、復讐とは生きる目的であり意味となったからだ。
弱者には二つの道がある。弱者のまま死ぬか、強者に這い上がるかだ。ヴァーツェルは、自分が後者になったと信じた。敵を殺せば殺すほどそう信じる事が出来た。完全な勝利とは、敵を殺す事だ。殺戮を繰り返す事が強者であることの証だと、ヴァーツェルは信じた。
だが、その殺戮と「勝利」の日々は、魔物娘の登場により変わった。
ヴァーツェルの所属する特務機関に、魔物娘達が参加するようになった。その為、従来の方針を変えざるを得なくなってきた。これは王妃の差し金による。
王妃は、魔王の娘であるリリムの一人だ。彼女は、戦争を引き起こす事により自己の権限を拡大しようとする王弟を危険視した。その為、王弟の支持基盤である軍に魔物娘達を次々と参加させた。魔物娘を軍にとって無くてはならないものとし、そして人間の兵士を魔物娘と交わらせる事により自分の側に引き込もうとしているのだ。その王妃の手は、ついに特務機関にまで及んだ。
今までの特務機関は、殺戮を繰り返す事が常態だった。だが魔物娘達は殺戮に反対し、より穏健のやり方で工作を行う。そして目に見える成果を出した。さらに魔物娘達は、特務機関の人間達と交わる事により彼らをインキュバス、つまり魔物へと変えていった。その結果、彼らは殺戮に対して強い嫌悪感を持つようになったのだ。
この王妃の手に対して、王弟と軍は特務機関にキマイラを入れる策を用いた。キマイラは、他の魔物娘よりも強力な力を持つが不安定な存在だ。彼女に任務を失敗させ、それを口実に魔物娘を特務機関から排除する。さらに軍の中枢に、魔物娘とインキュバス化した者を入れないようにしようという訳だ。
この策謀の駒であるキマイラは、不安定ながらも自制して任務を行っていた。現在の時点では、成果は失態をはるかに上回る。王弟派は、彼女を口実にする事は出来ない。
ヴァーツェルは、キマイラと共に任務を行う事が多い。キマイラによってヴァーツェルの行う殺戮は妨げられている。だがキマイラは有能であるため、ヴァーツェルは逆らう事が難しい。その上、共に任務を重ねるうちに、二人は関係を結ぶようになってきた。ヴァーツェルはキマイラを警戒していたのだが、それでも魔物娘の、キマイラの魅力にはかなわなかった。
ヴァーツェルのせめてもの抵抗は、自分のインキュバス化を阻止する事だ。軍は、インキュバス化を妨害する薬を開発している。この薬は、インキュバス化を完全に阻止する事は出来ないが、ある程度は妨げる事は出来る。その薬をヴァーツェルは服用していた。
ヴァーツェルは、キマイラの寝顔を見ながら考えに沈み続けた。ヴァーツェルの考える事は、このままではキマイラが妊娠する事だ。人間と魔物娘との間では子供は出来にくいが、繰り返し交わり続ければ子供は生まれる。ヴァーツェルとキマイラは、すでに数えきれないほど交わり続けている。
子供が出来たら、危険な任務から足を洗って普通の生活をする事になるのだろうか?親子三人で日常に埋没するのだろうか?
ヴァーツェルは低く笑う。特務機関に所属している者が、簡単に足を洗う事が出来るはずがない。既にヴァーツェルは、裏の事を知りすぎている。足を洗おうとすれば始末されるだろう。
それにヴァーツェルもキマイラも、普通の生活が出来ない者だ。ヴァーツェルは、人体実験の後遺症を抑えるために薬を常用している。薬が無ければまともに体を動かす事すら出来ない。キマイラも、人格の分裂による混乱を抑制するために薬を常用している。薬のおかげで辛うじて暴走を抑えているのだ。二人とも使い捨ての兵器として辛うじて存在を許されているのだ。普通の者の日常を送る事は出来ない。
ヴァーツェルの表情が憎悪に歪む。日常だと?日常は糞だと嫌と言うほど知っているさ、体でな!ヴァーツェルは、農奴だった頃の虐げられ続けた日々を思い出す。汚れて痩せこけた体で酷使され続ける日々、嘲罵と殴打が日常の日々。日常は、ヴァーツェルに苦痛と恐怖と憎悪しかもたらさない。
ヴァーツェルは、父の事を思い出す。領主の兵や使用人の前に跪いていた父、他の農奴に馬鹿にされていた父、憂さ晴らしに自分と母を殴っていた父、領主の兵に引きずられていく自分を見向きもしなかった父。俺は父となるのか?自分を捨てた奴と同じになるのか?ヴァーツェルは、唇を歪めて嗤う。
俺の望むことは復讐だ!俺を動かすものは憎悪だ!日常も家族も糞だ!ヴァーツェルは嗤い続ける。
だが、俺の復讐すべき相手は何だ?ヴァーツェルは、陰鬱な淵に沈み込みながら考える。ヴァーツェルを人体実験した施設は破壊され、関係者のほとんどは殺された。ヴァーツェルがやったのでは無くて、帝国皇帝が破壊し、殺戮した。
皇帝は、人体実験を行った領主と主神教団を非難し、軍を派遣して領主を亡ぼした。人体実験を行った施設は破壊され、関係者は取り調べの際の拷問とその後の火刑によりほとんどの者が殺された。
皇帝は、表向きは正義を口にしていたが本当の目的は別にある。人体実験を行っていた領主は選帝侯の一人であり、選帝侯を亡ぼす口実として人体実験を非難したのだ。皇帝は選帝侯の選挙によって皇帝になれるのであり、皇帝の権限強化のためには選帝侯は邪魔である。皇帝は、正義の名のもとに邪魔者を始末出来た。
また、主神教団を攻撃する口実にもなった。皇帝は、大陸の世俗権力の頂点である事を自称している。皇帝は、世俗権力の代表として宗教勢力の上に立とうとしていた。選帝侯と組んで人体実験を行っていた事を口実として、主神教団領に攻め込み教皇を退位させ、自分の傀儡を教皇に仕立て上げようと企んだのだ。
この企みは、教団によってかわされた。教皇は、実験に関わった主神教団の者と選帝侯を破門したのだ。教団には、穏健派と急進派、そして急進派の中の跳ね上がりである過激派が存在する。人体実験を行ったのは過激派だ。穏健派である教皇は、何かと問題を起こす過激派をこの機会に始末し、さらに急進派と過激派を意図的に混同して急進派を粛清しようとしていた。
結局、ヴァーツェルを人体実験した者達は、ヴァーツェルとは関係のない者達に抹殺されたのだ。ヴァーツェルは復讐の対象を失った。そしてヴァーツェルは、政治の駒として使われている。
俺の復讐すべき相手は何だ?主神教団を亡ぼせばよいのか?帝国を亡ぼせばよいのか?反魔物国を全て滅ぼせばよいのか?俺の復讐はいつ終わるのだ?
ヴァーツェルは、疲労が自分に伸し掛かっている事を感じた。推し掛かるだけではなく、自分の中を蝕んでいる事を分かっている。殺戮を行えばかつて味わった苦しみを紛らわす事が出来る。だが、そのたびに疲労がヴァーツェルを蝕んでいく。
キマイラは、寝苦しそうに呻きだした。ヴァーツェルは、キマイラの背を撫でてやる。キマイラは、気持ち良さそうな声を上げながら人間の頭と山羊の頭を摺り寄せて来た。この頭を摺り寄せてくる癖は、四つの人格とも共通している。
今は考えるのを止めよう。ヴァーツェルは考えを放棄して、キマイラに体を寄せる。キマイラからは、温かな感触と安心させるような匂いがした。ヴァーツェルは、心地良さを感じながら眠りへと落ちて行った。
城を襲撃するために、城の外と中で騒動を起こす事となった。まず城の外で農奴達に騒ぎを起こさせるのだ。農奴達は、城の者によって互いに対立するように仕向けられていた。農奴の一部は、他の農奴を監督する役に付けられて少しばかり利益を与えられている。さらに農奴の間には密告が奨励され、農奴の間には密偵が潜り込んでいる。その為に農奴達は互いに憎み合っていた。この農奴同士の憎み合いを利用するのだ。
まず、農奴達の一部に金や食料をばらまいて領主達への反抗へと誘う。次に、わざと農奴達の反抗のたくらみを露見させ、領主の部下に摘発させる。その摘発の最中に、別の農奴に他の農奴を告発させて騒ぎを拡大させる。工作員達は、騒ぎをあおるために領主の部下を襲撃したり倉庫の物を盗んだりする。かつ、反乱の「証拠」をねつ造してばら撒き、領主の部下による摘発を促進させる。混乱が大きくなったところで、工作員達は夜陰に紛れて倉庫や住宅を放火するのだ。
城としては実験を行うのは裏の任務であり、表の任務はこの地の管理だ。城の外で騒ぎが起これば、兵を出さざるを得ない。城の外で騒ぎが起こったところで、城の中に潜り込んでいる工作員は城の中で放火や破壊を行う。こうして城の中も混乱させた上で城を襲撃するのだ。
この計画は、人間の工作員が立てた。魔物の工作員は、農奴を犠牲にすることに難色を示し反対した。だが代替案を出す事が出来ない上に、時間が経つと実験の犠牲者が増えるために強くは反対できない。かつ、実験の出資者である大商人が城を訪れており、これも捕えなくてはならない。迷っている魔物の工作員の隙をついて、人間の工作員達は計画を実行に移してしまった。いったん計画が実行されると、魔物の工作員も協力せざるを得ない。こうして農奴達を犠牲にした破壊と混乱の中で、城への襲撃が行われた。
城の外では、闇の中に火の手が上がっている。農奴と領主の部下、そして農奴同士が激しく戦っている音が響き渡っていた。
アレティナは、夜闇にまぎれてヴァーツェルを抱えて飛んでいた。潜入工作の場合、龍の人格であるアレティナが担当する。アレティナは、キマイラの四つの人格の内で最も工作時において冷静に対処できる。
城に近づくと、窓の一つへ入り込む。事前に、城の中の工作員から侵入に適した場所の報告を受けている。窓から城の中へ入り込むと、資料保管室を目指す。彼らの任務は、実験の資料を抑える事だ。城の中の図面は城の中の工作員から渡されており、ヴァーツェル達は城の中の経路について頭に叩き込んでいた。
走り回り怒号を上げる城の警備兵を避け、ヴァーツェル達は資料室へと急ぐ。一見すると何の変哲もない城だが、頑丈で守りに適した造りをしている。秘密の実験をするにはふさわしい城だ。混乱を起こさなければ襲撃する事は難しいと二人は再確認する。
経路を確認しながら先を急ぐ二人の前に、二つの影が現れた。とっさに身構えた二人は、相手を確認して構えを解く。一人は人間の男、もう一人は蜘蛛の魔物娘アラクネだ。二人とも工作員だ。アラクネは城の壁をよじ登る事が出来るため、男を背負って城の中へ侵入した。彼らの任務は、実験体の確保だ。
「実験体は確保できたか?」
「三人確保できた。他は殺された。俺達は、実験体の処分の最中に入り込んだ」
「殺していた連中は?」
「五人捕獲した。縛って実験室に転がしている。見張りに二人置いた」
男は吐き捨てる。
「五人も残す必要は無いと言うのに」
男の体を見ると、返り血を浴びている。研究員や警備兵を殺している所をアラクネに止められたのだろう。
「資料は確保できたの?」
アラクネは無感情な声で聞く。
「いや、まだだ。これから奥へ行く」
「今頃、資料の始末をしているかもしれないわ」
「分かっている、急ぐ」
ヴァーツェルとアレティナは、話を切り上げて走り出す。資料を持ち出して逃げられたり燃やされたりしたら、実験を告発する事が難しくなる。
通路の途中で警備兵が一人いた。二人は物陰に隠れて様子を見るが、警備兵は動きそうにない。アレティナは黒い球を放ち、警備兵の顔に当てる。警備兵は、くぐもった声を上げながら顔を抑える。アレティナは素早く飛び出し、警備兵に拳を放つ。警備兵は、呻き声と共に床に崩れ落ちた。
アレティナは、警備兵の鼻と口から黒い粘液を落とした。アレティナの放った玉には黒い粘液が入っており、相手の視力を一時的に奪う。口や鼻を覆うと窒息する事もある。わざわざ粘液を取るあたり、アレティナも殺人を嫌う魔物娘らしい行動を取る。アレティナが先に出た理由も、ヴァーツェルにやらせると警備兵を殺す可能性があるからだ。
そのまま二人は奥へと急ぐ。城の中の工作員の話だと、そろそろ資料が収納されている可能性が高い区画に入るはずだ。前方の一室で、人の動く気配がある。二人は、その部屋のドアの前に立つ。
アレティナの手の中に、煙を凝縮したような球が現れる。ヴァーツェルはドアを乱暴にあけ、その瞬間にアレティナは煙の球を室内に放つ。一瞬のうちに煙が部屋の中に充満し、中から男の咳き込む声が響く。煙の中から二人の男が転がり出て来る。ヴァーツェルとアレティナは、男達に当て身をくらわして縛り上げる。一人は研究員で、もう一人は警備兵だ。アレティナは、煙幕の魔術を晴らして室内に入り込む。室内は、瓶や壺、書類などが置かれている。
「目当ての物が見つかった。これから資料の確保に入るぞ」
ヴァーツェルは、喋り方と表情からアレティナからイスメネに人格が切り替わった事を知る。資料の判断ならば、知性を武器とするイスメネが相応しい。イスメネは、必要な書類を見つけて収納袋に入れていく。ヴァーツェルは、イスメネの指示に従って魔水晶に瓶や壺の中身の映像を収めていく。
二人は資料の確保を終わると、待ち合わせの集合場所へと急いだ。
集合場所には工作員達が集まっていた。収集した資料や捕えた者達を連れて来ている。保護した実験体は別室にいる。
捕虜の中には、実験の責任者である城主がいた。だが、実験に出資して戦争を起こそうとしている大商人の姿は無い。集合場所に集まっていない工作員が多いのは、この死の商人を探しているためだ。
中央には工作員の隊長と副隊長がいるが、二人の間には冷ややかな空気が流れている。隊長は人間であり、この作戦を強行した責任者だ。副隊長であるサキュバスは、この作戦に反対だったが事後承諾せざるを得なかったのだ。
ヴァーツェルとイスメネは、確保した資料について隊長と副隊長に報告をした。隊長と副隊長は、手短に質問をして確認してくる。質問には主にイスメネが応える。
不意に、質問に答えていたイスメネの表情が歪む。ヴァーツェルがイスメネの顔を覗き込むと、表情を次々と変えながら意味の分からない事を呟き始める。表情や話し方から人格の変化が起こっていると分かるが、それにしても唐突な上にいつも以上に安定しない。
キマイラは、大きく腕を振りかぶった。ヴァーツェルは、腕をかわして後ろへと飛ぶ。キマイラは、腕を振り回しながら魔術の詠唱を始める。光りの球が無数に飛び散り、辺りに炸裂音が響き渡る。左肩の龍が炎を吐き出す。工作員達はある者は逃げ回り、ある者は防御の魔術を唱える。捕虜の一人が弾き飛ばされる。
ヴァーツェルは、隊長の顔を見た。副隊長が驚愕の表情をしているのに対して、隊長の表情は落ち着いており冷やかに状況を観察している。他の者を観察すると、魔物の工作員は驚いているのに対して人間の工作員は無感情な態度を取っている。
奴ら、何をしやがった?ヴァーツェルは心中で毒づきながら、キマイラを取り押さえようとする。ヴァーツェルは炎を掻い潜り、キマイラの懐に潜り込む。ヴァーツェルはキマイラに当て身をしようとするがかわされ、龍の爪に左腕をえぐられる。
キマイラの動きが鈍くなった。夢魔である副隊長が、キマイラに眠りの魔術を掛けているのが見える。ヴァーツェルは、キマイラに飛びつき地に押し倒す。魔物の工作員達も、キマイラに飛びついて取り押さえる。副隊長はキマイラに眠りの魔術をかけ続け、キマイラの動きを止める事に成功した。
ヴァーツェルは、左腕の痛みに顔をしかめながらも安堵の息をつく。そのヴァーツェルの背に、冷ややかな声が掛けられた。
「無様な失態だ、責任問題になるな」
隊長は、キマイラを冷めた表情で眺めていた。
ヴァーツェルは、副隊長達魔物の工作員と共に城内を走り回っていた。キマイラは、魔物の工作員に任せている。現在は、眠りの魔術が効いており暴れ出す事は無い。ヴァーツェルは左腕の応急処置を済ませた後、副隊長と共に死の商人の行方を追っていた。ヴァーツェルは負傷しているが、人員が少ないために副隊長と行動せざるを得ない。副隊長にしてみれば、ヴァーツェルは人間の工作員の中では数少ない信用できる者だ。
ヴァーツェルは、副隊長に積極的に協力している。キマイラの件で、隊長はもはや敵となった。おそらくキマイラの人格の不安定を抑制する薬をすり替えたのだろう。キマイラに騒ぎを起こさせ、それを口実に特務機関から魔物を追放するつもりなのだろう。隊長は、ヴァーツェルを騒動の巻き添えにしたのだ。
ヴァーツェルは、今いる区画について考える。この区画にも資料を収納している部屋がある可能性が高い。死の商人を捕えた後で、時間が許す限り調査する必要がある。
角を曲がると、警備兵姿の者が五人いた。部屋から出て来た所で、手には資料らしき物を持っている。ヴァーツェルは、無言で警備兵達に襲い掛かる。ヴァーツェルの周囲で光が弾ける。警備兵たちは魔術の使い手だ。ヴァーツェルは、魔術をかわしながら警備兵達に迫る。不意にヴァーツェルは足を止め、そのまま後ろへ飛び下がる。ヴァーツェルの目の前に炎の壁が出現した。
「邪魔をしないで下さい。あなた達の上とは話が付いています」
指揮官らしい男が炎の向こうから言い放つ。
ヴァーツェルは炎を越えて飛びかかろうとするが、副隊長に肩を抑えられる。
「止めなさい!奴の言うとおりよ」
ヴァーツェルは副隊長を睨み付ける。
「それでは失礼します。皆様のご多幸をお祈りしますよ」
相手の指揮官はわざとらしく優雅に一礼し、冷笑を残して去っていく。
ヴァーツェルは顔を赤黒く染めて飛びかかろうとするが、副隊長はヴァーツェルを離さない。
警備兵姿の者達が去ると、副隊長は溜息をついた。
「奴らは主神教団の工作員よ。これは政治なの。私達が深入りする事ではないわ」
刺すような目で見るヴァーツェルを、副隊長は陰鬱な目で見返していた。
ヴァーツェル達特務機関は、人体実験施設の襲撃に「成功」した。ただ、誰にとっての成功かはよく分からない。この後の展開が「政治的」だからだ。
ヴァーツェルの所属する国は、帝国皇帝による人体実験の実態を大陸全土に暴露した。魔王軍、親魔物国では帝国への宣戦布告を求める声が高まった。同時に戦争に慎重な勢力もあり、戦争賛成派と反対派の間で勢力争いが行われている。
反魔物国の中で帝国と領土を接する国々は、帝国を非難していた。帝国内部でも、選帝侯を初めとする諸侯は皇帝を非難している。皇帝は、人体実験を理由に選帝侯の一人を葬ったのにもかかわらず、自分も人体実験をしていたのだから当然だと言える。
ただ、帝国非難の合唱の中で主神教団は沈黙していた。その沈黙が破られた時に、大陸の緊張は一気に高まった。主神教団は、皇帝の人体実験の証拠を新魔物国とは別に発表したのだ。さらに主神教団の教皇は皇帝を破門して、帝国周辺諸国や帝国諸侯に対して皇帝を亡ぼす事を扇動し始めた。反魔物国は、親魔物国の提示した人体実験の証拠では動きは鈍い。だが、主神教団の示す証拠ならば動きは全然違う。帝国周辺の反魔物国、帝国内の諸侯は軍を動かし始めた。
邪魔な皇帝を葬り去ろうとする主神教団の謀略は、成功しつつある。同時に、反魔物国間を争わせようとする魔王軍や親魔物国の策謀家達の謀略も成功しつつある。大陸は、帝国を中心にして戦乱の渦が巻き起こり始めた。
争いは、ヴァーツェル達の特務機関内でも起こっていた。人体実験に出資していた大商人を捕える事に失敗し、その失敗をキマイラの暴走のせいだとしたからだ。これを機会に、王弟派は特務機関から魔物を追放しようとした。
だが王妃派の魔物達は、人間の予想以上に調査能力があった。キマイラの飲む薬がすり替えられ、そのすり替えは人間の特務機関員の手によると魔物達は調べ上げた。特務機関内の実行者達は逮捕され、その中には実験施設襲撃時の隊長も含まれている。
もっとも彼らはトカゲの尻尾に過ぎない。上の者達は無傷である。王弟や軍上層部と実行者を結ぶ者は、行方不明となった。王都南西にある町で発見された身元不明の焼死体がその者だと言われているが、証拠は無い。
結局、王弟と王妃の暗闘は終わる事なく続けられていた。
ヴァーツェルとエウリュディケは、寝台の上に共に横たわっていた。先ほどまで激しく交わり合い、欲望をぶつけ合っていた。二人の体には、情交後の痕跡が至る所に残っている。部屋の中には、男女の濃密な臭いが漂っている。
ヴァーツェルの右半身には、うつ伏せになったエウリュディケが寄りかかっている。山羊の頭がヴァーツェルの胸に頬を寄せ、獅子の耳の付いた人間の頭がヴァーツェルの右腕に頬を擦り付ける。ヴァーツェルは、エウリュディケの柔らかい毛並みを感じながら、交わりの後の女体から放たれる濃密な臭いを嗅いでいた。
二人の傷は、今では大した痕跡を残していない。ヴァーツェルの抉られた左腕は、人間離れした強靭さと回復力を持つためにかすかな傷痕が付いているだけだ。エウリュディケは、薬のすり替え後はしばらくの間不安定だったが、現在は治療により安定している。
ヴァーツェルは、体を疲労が蝕んでいる事を感じていた。結局、俺は捨て駒に過ぎないのだ。政治に翻弄され、駒として使い捨てにされる、ただそれだけの存在だ。ヴァーツェルは、苦い思いで再確認する。復讐さえ出来れば捨て駒にされても構わないと割り切っていたはずだ。だが、それでも疲労は重なっていく。捨て駒にされるたびに、自分の内部で何かが壊れていく事を感じる。
俺の復讐はいつ終わるのだ?ヴァーツェルは、今回の任務の結果について考える。かつて自分を人体実験にかけた施設の関係者は、その一部の者が皇帝に資料を差し出す事で生きながらえていた。今回の皇帝の施設にその者達が居た。彼らは、現在裁きを受けている。俺のやった事には意味がある。ヴァーツェルはそう納得させようとするが、疲労を払う事は出来ない。
エウリュディケは、ヴァーツェルの手を取ると自分の腹に当てた。訝しげに自分を見るヴァーツェルを、エウリュディケは正面から見ながら言った。
「腹の中にお前の子がいる」
ヴァーツェルの体が動きを止める。
「そうか、うれしいよ」
ヴァーツェルはそれだけを口にする。何時かは出来るとは思っていたし、覚悟もしていた。だが、自分を捨てた父の事が頭を侵食する。
俺は父になるのか?俺を捨てた男と同じ存在になるのか?
ヴァーツェルは笑いたくなった。
「あたしは工作員を辞めるつもりだ。お前は工作員を続けるつもりか?」
「工作員は簡単に辞める事は出来ない。知り過ぎているからな」
「あたしには、王妃様の伝手がある。それを使えばお前もあたしも辞める事が出来る」
エウリュディケは、自分の腹にヴァーツェルの手を当て続ける。
「お前は、自分の子供に殺し合いをする姿を見せるつもりか?戦いの果てに死んだら、父さんは殺されたとあたしに言わせるのか?」
ヴァーツェルは、無言のまま思念に浸る。
俺は父と同じなのか?俺は父以下なのか?
「考えさせてくれ」
それだけをエウリュディケに言う。
「考えてくれ、あたし達は答えを待っている」
エウリュディケは、苦笑しながら言う。
「本来こういう事を言うのは、エウジェニアの役割だ。段取りを整えたくせに、いざとなったらあたしに言わせるのだからな」
エウリュディケは、ヴァーツェルに笑いながら頭を摺り寄せる。ヴァーツェルは、柔らかさと匂いを感じる。
エウリュディケを感じているうちに、疲れが和らいだ感じがした。
ヴァーツェルとエウジェニアは、荷馬車に乗っていた。二人は国の北西部にある開拓地に向かっており、そこで開拓に参加するのだ。
二人は、王妃の庇護を求めて工作員から足を洗った。王妃の臣下の者は、二人に王妃の支配下にある開拓地で働く事を勧めた。汚れ仕事をしていた二人には、安住できる場所は限られる。その王妃の支配地は、数少ない安全な場所だ。
工作員を辞めると言うヴァーツェルに、復讐はどうしたとイスメネは尋ねた。厭きたとヴァーツェルが答えると、イスメネは苦笑していた。
そう、厭きたのだ。疲労ばかりが重なり、いずれゴミの様に死んでいく復讐生活に厭きたのだ。
人間離れした力を持つヴァーツェルは、開拓地では必要とされるだろう。生産的な仕事で必要とされる事は、復讐生活ほど疲労はもたらさないかもしれない。キマイラは、ヴァーツェル以上に開拓地で役に立つだろう。二人は、仕事と生活を楽しむ事が出来るかもしれない。
もっとも王妃は、二人を駒として使うつもりで庇護しているのかもしれない。二人の安らぎは仮初めのものかもしれない。それでも二人には安らぎは必要だ。
エウジェニアは、ヴァーツェルに身を寄せて来た。ヴァーツェルは、柔らかさと匂いを楽しむ。目を下ろすと、少し膨らんできたエウジェニアの腹が見えた。
俺は、父の様に子供を捨てる事はしない。俺は無様にひねり潰されるかもしれないが、それでも抗ってみよう。
ヴァーツェルは、妻の腹に手を当てながら思った。
城は見たところは何の変哲もない、ただの地方領主の城にしか見えない。城壁を行き来する兵の姿も穏やかな物腰だ。だが、この城の内実は帝国の重要な実験施設だ。
「潜入しにくいな。城からの見晴らしが良い」
「内部の防御もある。奇襲しにくい城だ」
声は二か所から聞こえる。一つは荷馬車の御者から、もう一つは荷馬車の上の藁の中から聞こえる。
「簡単に見えて難しい、よくある話だ」
「荷馬車に紛れて城に潜り込むことは可能か?」
「ダメだ。城の中に入り込んでいる奴の話だと、外からの物資は厳しく検査するそうだ」
「農民や城の使用人に化ける事は?」
「一人一人が監視されているそうだ」
御者は薄く笑う。
「つまり強襲するしかないわけだ」
「そう決めつけるのはまだ早い。調査は終わっていない」
「結論は出ていると思うが」
「お前は、殺す事しか頭にはないのか?」
藁の中から押し殺した非難の言葉が放たれる。
「必要なら殺すだけだ」
御者は、口の端を釣り上げて笑う。結論は出ている。城を強襲し、中にいる連中を殺して資料を奪う。それで終わりだ。御者は笑い続ける。
殺戮への期待に震えながら、御者に扮している男は城を見据えていた。
ヴァーツェルとキマイラは、帝国内にある施設の破壊を命じられた。二人は親魔物国軍の破壊工作員であり、主神教団や反魔物国の施設の破壊を任務とする。施設は帝国東南部にある城であり、そこでは人体実験が行われているという情報が入っていた。
主神教団の一部や反魔物国の一部は、強靭な兵士を作るために人体実験を行っている。魔術や薬物投与、洗脳などによって魔物を初めとする敵に対抗するための兵を作り出す事が目的だ。
親魔物国であるヴァーツェルの国にとっては、人体実験施設は破壊しなくてはならない物だ。ヴァーツェルとキマイラは、所属する軍の特務機関の命を受けて施設について調べ、施設のある帝国領に侵入した。現在、施設のすぐそばで襲撃のための準備を行っていた。
二人は、夜になると農家の一つへと引き上げた。あらかじめ施設周辺の農家のいくつかを買収してある。そこを根拠地にして活動しているのだ。帝国領内の大半の農民は農奴であり、施設周辺で働く農民もほとんどが農奴だ。彼らは激しく収奪されており、飢えているため領主を憎んでいる。のどかな田園に見えても、よく観察すれば粗末な服を着て痩せこけた農奴が酷使されている事が分かる。彼らにいくらかの食糧を渡したら、ヴァーツェル達に協力してくれた。目の前に差し出された食料が、領主への恐怖に勝ったわけだ。
ヴァーツェル達がいる家は、粗末な木造の建物だ。石造りの家は、裕福な者でなければ建てる事は出来ない。農奴の家は、隙間風が入る上に薪が乏しいために夜は冷える。二人は、あらかじめ用意してきた厚手の衣服に感謝しながら身を震わせた。
「あの施設が暴露されれば、帝国侵攻の口実に使われるな」
イスメネは、薄笑いを浮かべながら言った。イスメネは、キマイラの四つの人格の一つだ。山羊の人格であり、知性に恵まれている。
「結構な事じゃないか。帝国が滅びれば喜ぶ奴は多い」
ヴァーツェルの返答に、イスメネは薄く笑う。
ヴァーツェルは、目の前のキマイラを見る。四つの存在が人間に混ざり合った姿だ。獅子、龍、山羊、蛇、これらの存在が若く美しい女性の体に合わさっていた。頭からは龍と山羊の角を生やし、獅子の耳が付いている。右肩には山羊の頭が付き、右手は山羊の獣毛に覆われている。左肩には龍の頭が付き、左手は爬虫類の鱗で覆われている。背には龍の翼が広がり、尾は蛇だ。足は獅子の毛で覆われている。これらが、人間の女性の麗貌と肉感的な肢体に混ざり合っているのだ。
かつてキマイラは、魔物と人間双方の実験により殺戮兵器として作り出されていた。キマイラはおびただしい数の人間と魔物の犠牲を払って作り出され、大量の人間と魔物を殺戮してきた。新魔王の命により、キマイラを作り出すための実験は魔物側では禁じられた。だが、人間側はキマイラ製造を続けている。襲撃しようとしている施設は、キマイラ製造にも関わっているという情報が入っている。
「帝国はそう簡単に滅びはせんよ。帝国を舞台とした泥沼の戦いに、我が国が引きずり込まれるだけだ」
「大きいばかりで、分裂している上に腐っている帝国が?」
「分裂していても、帝国内には強力な勢力が存在する。それに周辺諸国も問題を抱えている所ばかりだ」
諭すように言うイスメネを、ヴァーツェルは刺す様に見る。帝国を破滅のるつぼに叩き込みたいヴァーツェルにとっては、イスメネの意見は苛立ちを感じるものだ。
「王弟殿下も軽率すぎる。困ったものだな」
「不敬だぞ!」
怒声を上げるヴァーツェルを、イスメネは軽く笑いながら応える。
ヴァーツェル達の国は、国王派と王弟派に分かれている。対外侵略に消極的な国王に対して、軍に影響のある王弟は侵略に積極的だ。ヴァーツェル達の所属する軍の特務機関は、王弟派に属する。王弟は、主神教団や反魔物国に対する攻撃を主張している。侵略に成功すれば、他の親魔物国に比べて有利な立場となる事が出来ると考えているのだ。侵略を行うために、王弟は特務機関を使っているのだ。
「人体実験を行う施設を襲撃する事は良い事さ。連中のやっている事を明るみに出し、裁く必要はある」
イスメネの強い口調に、ヴァーツェルは怒りを収める。施設の破壊に積極的なら、ヴァーツェルと目的は合致する。
イスメネは微笑みながら立ち上がり、ヴァーツェルの方へと歩いてくる。ヴァーツェルの体に手を掛け、宥める様に愛撫する。
「そろそろ休みましょう。休めるうちに楽しまないとね」
キマイラは、嫣然とした微笑みを浮かべながら柔らかい声を出す。このような態度を取るのは、蛇の人格であるエウジェニアだ。エウジェニアは擦り寄って来て、ヴァーツェルを抱きしめる。
ヴァーツェルは下半身に血が集まるのを自覚しながら、エウジェニアの柔らかさと温かさを感じ、匂いを嗅いだ。
ヴァーツェルとエウジェニアは、お互いの口を貪りあいながら服を脱がし合った。ヴァーツェルは、むき出しになったエウジェニアの胸を愛撫する。エウジェニアは、引き締まった筋肉質の体だが胸は大きくて柔らかい。ヴァーツェルは、弾力のある胸と硬い突起を掌で楽しむ。
エウジェニアはひざまずき、さらけ出されているヴァーツェルのペニスに顔を寄せる。わざとらしく音を立てて臭いを嗅ぎ、いたずらっぽい調子で口付ける。繰り返し口付けると、愛おしげにペニスに頬ずりをした。
「口付けの跡を付けてあげるからね。私の物だと言う証に」
エウジェニアは、音を立てて吸い付くようにペニスに口付ける。
ヴァーツェルは、呻き声を抑えられない。繰り返しエウジェニアと交わってきたが、彼女の性技には翻弄されてしまう。
エウジェニアは、陰嚢に口付けたり袋の皮を唇で引っ張ったりし始める。陰嚢の皺に舌を這わせながら、形の良い鼻を竿に擦り付ける。エウジェニアは、ヴァーツェルの陰茎越しに見上げながら微笑みかけた。
ヴァーツェルは耐えられなくなり、エウジェニアの顔にペニスを押し付けて嬲る。エウジェニアの彫りの深い整った顔を、赤黒い肉の塊で蹂躙する。
エウジェニアは、自分からペニスに顔を押し付けていた。やがてペニスから顔を離すと、豊かな胸でペニスを挟み込む。ペニスを白い膨らみに埋め込みながら、ピンク色の堅い突起で嬲る。そのまま揉み込んだ後、ペニスの先端を谷間から解放して舌で愛撫する。エウジェニアの透明な唾液が、赤く充血したペニスと白から薄赤に染まりつつある胸を光らせた。
ヴァーツェルは、エウジェニアに射精を告げる。エウジェニアの許しを得て、ペニスから白濁液を放出した。亀頭はエウジェニアの口に含まれており、ヴァーツェルは舌の蠢く口の中に精液を流し込む。激しい奔流は、射精している本人にも制御できない。ヴァーツェルは、痙攣しながら繰り返し精を放ち続けた。
エウジェニアは、射精が終わってもペニスの中にある精を執拗に吸い上げ続けた。長い吸精が終わると、エウジェニアは顔を上げて濡れた口に笑みを浮かべる。両腕を見せ付ける様に上げると、楽しげに笑う。
「さあ、今度はこっちでやりましょう。あなたはここが好きでしょ」
エウジェニアは、自分の右腋に顔を寄せながら微笑みかける。
ヴァーツェルは立ち上がり、エウジェニアの後ろに回り込む。エウジェニアの翼に引っ掛からないように注意しながら、エウジェニアの唾液で濡れたペニスを右腋に擦り付けた。
エウジェニアは右腋でペニスを挟み込み、ヴァーツェルに動かすように誘う。エウジェニアの右肩に付いている山羊の頭は、目を細めながら右腋から突き出されるペニスに頬ずりをする。山羊の白い獣毛が、ペニスの先端からあふれ出る液で濡れていく。
エウジェニアは腋からペニスを開放し、自分の股を広げる。毛で覆われた右手でヴァギナを広げて、ピンク色に滑り光りながら蠢く肉を見せ付けた。
「もう待ちきれないわ。早く入れて頂戴」
ヴァーツェルはエウジェニアの正面にまわり、座り込んでヴァギナにペニスを擦り付ける。そのままエウジェニアの体を抱きしめながら、ペニスを中へと押し入れていく。エウジェニアの汗で濡れた肉の匂いとペニスを温かく包む肉の感触で、ヴァーツェルは自制を失う。
エウジェニアは、ヴァーツェルを抱きしめ返しながら喜びに身を震わせた。共に座りながら抱きしめ合って交わる座位は、エウジェニアの好きな体位だ。ヴァーツェルを見て、感じられる体位だからだ。
ヴァーツェルは、エウジェニアによって腰を上げさせられた。ヴァーツェルの尻の割れ目に冷たいものが滑り込む。ヴァーツェルの尻の穴にねっとりとした快感が走る。エウジェニアの尾である蛇が、ヴァーツェルの尻の穴を舐め回しているのだ。
エウジェニアは、渦を巻くようにしてヴァーツェルのペニスを締め付ける。締め付けるだけ締め付けると、揉みほぐす様にペニスを愛撫する。蛇は、膣の締め付けに合わせて舌を蠢かせて尻の穴をほぐす。
ペニスと尻の穴に連携して与えられる快楽に、ヴァーツェルは背を震わせる。耐えられなくなったヴァーツェルは、出そうになった事をエウジェニアに告げる。
エウジェニアは獅子の毛に覆われた足でヴァーツェルの腰を締め付け、同時に膣肉でペニスを締め付けた。
「中で出すのよ。私の子宮をあなたの精で染めて」
エウジェニアの熱い息を耳元で感じ、ヴァーツェルは中へ精を放出した。一度目に劣らぬ激しい射精を、腰と背を震わせながら行う。涎を垂らしながら震えるエウジェニアの顔を見ながら、ヴァーツェルは腰を押し付けて精を流し込み続けた。
精を出し切ったヴァーツェルは、エウジェニアを抱きしめながら荒い息をつく。エウジェニアの弾力のある感触を味わい、濃厚な体臭を楽しむ。頬に擦り付けられるエウジェニアの髪が心地よい。
ヴァーツェルのペニスが再び締め付けられた。エウジェニアの顔を覗き込むと、獰猛な笑いを浮かべている。
「分かっているとは思うが、あたしの相手もしてもらうぞ。エウジェニアに先を取られたせいで我慢出来なくなったのだからな」
この表情と物言いは、獅子の人格であるエウリュディケだ。四つの人格の中でも最も獣性に従っている人格だ。龍の人格であるアレティナや山羊の人格であるイスメネも舌なめずりをしているだろう。
まだ快楽の交わりは始まったばかりだ。
エウジェニアとの交わりの後、ヴァーツェルはキマイラの三つの人格と交わりあった。
エウリュディケは、ヴァーツェルの上に伸し掛かりながら腰を揺すり動かした。膣で締め付けている間に、ヴァーツェルの体をむしゃぶりつく様に舐め回す。そうして強引にペニスを回復させると、床に四つん這いになって尻を向けた。エウリュディケは、獅子そのものの様に後背位で交わる事を好むのだ。
エウリュディケの次は、アレティナの番だ。アレティナは、ヴァーツェルを寝かせてその上に覆いかぶさった。三回精を放って萎えているペニスを胸で挟み、強くしごいて回復させる。アレティナは、エウリュディケに比べると落ち着いているが支配欲は誰よりも強い。ヴァーツェルの腰の上にまたがり、回復させた彼を騎乗位で攻め立てた。
最後はイスメネだ。イスメネは、四つの人格の中では最も温厚な性格だ。疲れているヴァーツェルを、山羊の毛の生えている右手で優しく撫でまわす。固くなった筋肉をゆっくりと揉み解し、ヴァーツェルの疲労を癒していく。だが、彼女は好色で計算高い人格でもある。ヴァーツェルの汚れたペニスを口に含み、唇と舌で弱い所を巧みに攻め立てていく。ペニスを回復させると、床に寝てヴァーツェルを誘う。ヴァーツェルにとって楽な姿勢である正常位で快楽を貪るのだ。
交わりの後、二人は湯で体の汚れを落とす。工作員として活動する為には、臭いが付いたままではいられない。体を洗い終わった二人は、藁を敷いた床にマントにくるまって寝る。農奴に余分な寝台は無いからだ。
ヴァーツェルは、自分に寄り添いながら寝息を立てるキマイラを見つめていた。キマイラは時折眉をしかめる。彼女には四つの人格が有り、不完全な状態で同居している。その為に情緒不安定な所が有るのだ。
彼女は、旧魔王時代に殺人兵器として作られた存在だ。人間の女に獅子、龍、山羊、蛇の魔物を合わせて作られた。実験の段階で、多くの人間と魔物が犠牲となった。彼女は、屍の山の上に作られた成功例だ。新魔王の政策により解放されて治療を受けたが、不安定さを克服する事は出来なかった。
彼女が特務機関に入ったのは、実験体であった事への復讐かも知れないとヴァーツェルは思う。そう思うのは、ヴァーツェル自身が実験体だったからだ。
ヴァーツェルは、帝国東北部に住む農奴だった。その地では、帝国の他の場所同様に農奴は激しく収奪されていた。豊作の時でも辛うじて生きる事しか出来ない。不作の時は、餓死者があふれる事になる。
ヴァーツェルは、税を払う事が出来ない為に主神教団の施設で働かされる事となった。領主と教団は、不作であるにもかかわらず重税を課したのだ。ヴァーツェルの一家には、税を払う事など不可能だ。
ヴァーツェルは、教団兵に連行された時の事を良く覚えている。父と母は、ヴァーツェルの顔を見ようともしなかった。引きずられていくヴァーツェルを見向きもせずに、薪を運んでいた。
ヴァーツェルの連行された所は、領内にある主神教団管轄の城だ。そこでは人体実験が行われており、ヴァーツェルは実験材料とされた。ヴァーツェルは、肉体強化のための実験材料とされた。魔族と戦うためには、強靭な肉体を持つ兵士が必要となる。その兵士作りの為に、ヴァーツェルは薬物投与や魔法の施術をされた。さらに、異端審問の際の拷問時に開発された洗脳技術の実験もされた。
ヴァーツェルと共に実験にかけられた者の多くが、惨たらしい死をとげた。助かっても廃人になったり、発狂したり、重度の障害を持つ身となる。彼らは速やかに処分された。ごくわずかな者が自殺に成功したが、彼らは幸運な例外に過ぎなかった。
ヴァーツェルは、度重なる実験により心身とも蝕まれていた。極めてまれな幸運とヴァーツェルの機転が無ければ、ヴァーツェルは廃人となり処分されていただろう。
ヴァーツェルがいつものように実験にかけられていると、隣の部屋で尋常ではない騒ぎが起こった。製造途中のキマイラが暴れ出したのだ。動揺して隙を見せた研究員と警備兵を殺し、ヴァーツェルは城から逃げ出した。
ヴァーツェルに対して、城はすぐに追手を差し向けた。城から少し離れた断崖でヴァーツェルは追い詰められ、絶壁から落ちた。
ヴァーツェルには幸運が重なり、絶壁の底に叩き付けられる事は無かった。途中で、蝙蝠の翼を持つサキュバスと鳥の翼を持つハーピーが受け止めてくれたのだ。彼女達は、魔王軍の工作員だった。実験施設である城を調査している所で、偶然にヴァーツェルを助ける事が出来たのだ。
ヴァーツェルは、彼女達魔物の諜報機関の手により魔王領へと運ばれた。ヴァーツェルは、人体実験の生きた証拠であるからだ。魔物が自分を助けた理由は、ヴァーツェルには他に思い当たらない。
ヴァーツェルは、魔王領で治療を受けた。だが、それがヴァーツェルにとって良い事だったのかは分からない。ヴァーツェルの心身は激しく破壊され、廃人よりはマシと言う状態だった。ヴァーツェルは、反吐を吐き散らし糞尿をまき散らしながら、壁に頭を打ち付け床を転がりまわった。魔物達は根気よく治療を続けたが、もしかしたら楽に殺してやった方が親切だったかもしれない。
魔物達の努力により回復したヴァーツェルは、魔王軍に参加する事を望んだ。自分を虐げた主神教団と帝国に復讐するためだ。実験によって肉体は強化されており、軍人として役に立つはずだから軍に入る事が出来ると考えた。
だが、魔王軍はヴァーツェルの入軍を拒否した。ヴァーツェルが憎悪から不必要な殺戮を行う事を危惧したからだ。彼女らは、ヴァーツェルに開拓地での仕事を紹介した。
魔王軍に失望したヴァーツェルは、魔王領を出て親魔物国の一つに移住した。新魔物国なら自分を軍人として雇ってくれると考えたからだ。望みは叶えられ、ヴァーツェルは軍人となった。さらに、彼の特殊な力に目を付けた軍により、ヴァーツェルは特務機関の一員となる事が出来た。
その国には、人間だけが構成員の特務機関が存在する。魔物と違って殺戮をためらわない人間達による、汚れ仕事専門の機関だ。ヴァーツェルはその機関に入る事が出来たのだ。特務機関に入ったヴァーツェルには、訓練と言う名の暴力が叩き付けられた。だがヴァーツェルは耐え抜き、工作員としての実務に参加する事が出来るようになった。
それからは殺戮の日々だ。主神教団や反魔物国の人間を、血と肉の塊に変え続ける日々だ。その日々は、ヴァーツェルに生きる喜びすら与えた。虐げられて生き続けたヴァーツェルにとって、復讐とは生きる目的であり意味となったからだ。
弱者には二つの道がある。弱者のまま死ぬか、強者に這い上がるかだ。ヴァーツェルは、自分が後者になったと信じた。敵を殺せば殺すほどそう信じる事が出来た。完全な勝利とは、敵を殺す事だ。殺戮を繰り返す事が強者であることの証だと、ヴァーツェルは信じた。
だが、その殺戮と「勝利」の日々は、魔物娘の登場により変わった。
ヴァーツェルの所属する特務機関に、魔物娘達が参加するようになった。その為、従来の方針を変えざるを得なくなってきた。これは王妃の差し金による。
王妃は、魔王の娘であるリリムの一人だ。彼女は、戦争を引き起こす事により自己の権限を拡大しようとする王弟を危険視した。その為、王弟の支持基盤である軍に魔物娘達を次々と参加させた。魔物娘を軍にとって無くてはならないものとし、そして人間の兵士を魔物娘と交わらせる事により自分の側に引き込もうとしているのだ。その王妃の手は、ついに特務機関にまで及んだ。
今までの特務機関は、殺戮を繰り返す事が常態だった。だが魔物娘達は殺戮に反対し、より穏健のやり方で工作を行う。そして目に見える成果を出した。さらに魔物娘達は、特務機関の人間達と交わる事により彼らをインキュバス、つまり魔物へと変えていった。その結果、彼らは殺戮に対して強い嫌悪感を持つようになったのだ。
この王妃の手に対して、王弟と軍は特務機関にキマイラを入れる策を用いた。キマイラは、他の魔物娘よりも強力な力を持つが不安定な存在だ。彼女に任務を失敗させ、それを口実に魔物娘を特務機関から排除する。さらに軍の中枢に、魔物娘とインキュバス化した者を入れないようにしようという訳だ。
この策謀の駒であるキマイラは、不安定ながらも自制して任務を行っていた。現在の時点では、成果は失態をはるかに上回る。王弟派は、彼女を口実にする事は出来ない。
ヴァーツェルは、キマイラと共に任務を行う事が多い。キマイラによってヴァーツェルの行う殺戮は妨げられている。だがキマイラは有能であるため、ヴァーツェルは逆らう事が難しい。その上、共に任務を重ねるうちに、二人は関係を結ぶようになってきた。ヴァーツェルはキマイラを警戒していたのだが、それでも魔物娘の、キマイラの魅力にはかなわなかった。
ヴァーツェルのせめてもの抵抗は、自分のインキュバス化を阻止する事だ。軍は、インキュバス化を妨害する薬を開発している。この薬は、インキュバス化を完全に阻止する事は出来ないが、ある程度は妨げる事は出来る。その薬をヴァーツェルは服用していた。
ヴァーツェルは、キマイラの寝顔を見ながら考えに沈み続けた。ヴァーツェルの考える事は、このままではキマイラが妊娠する事だ。人間と魔物娘との間では子供は出来にくいが、繰り返し交わり続ければ子供は生まれる。ヴァーツェルとキマイラは、すでに数えきれないほど交わり続けている。
子供が出来たら、危険な任務から足を洗って普通の生活をする事になるのだろうか?親子三人で日常に埋没するのだろうか?
ヴァーツェルは低く笑う。特務機関に所属している者が、簡単に足を洗う事が出来るはずがない。既にヴァーツェルは、裏の事を知りすぎている。足を洗おうとすれば始末されるだろう。
それにヴァーツェルもキマイラも、普通の生活が出来ない者だ。ヴァーツェルは、人体実験の後遺症を抑えるために薬を常用している。薬が無ければまともに体を動かす事すら出来ない。キマイラも、人格の分裂による混乱を抑制するために薬を常用している。薬のおかげで辛うじて暴走を抑えているのだ。二人とも使い捨ての兵器として辛うじて存在を許されているのだ。普通の者の日常を送る事は出来ない。
ヴァーツェルの表情が憎悪に歪む。日常だと?日常は糞だと嫌と言うほど知っているさ、体でな!ヴァーツェルは、農奴だった頃の虐げられ続けた日々を思い出す。汚れて痩せこけた体で酷使され続ける日々、嘲罵と殴打が日常の日々。日常は、ヴァーツェルに苦痛と恐怖と憎悪しかもたらさない。
ヴァーツェルは、父の事を思い出す。領主の兵や使用人の前に跪いていた父、他の農奴に馬鹿にされていた父、憂さ晴らしに自分と母を殴っていた父、領主の兵に引きずられていく自分を見向きもしなかった父。俺は父となるのか?自分を捨てた奴と同じになるのか?ヴァーツェルは、唇を歪めて嗤う。
俺の望むことは復讐だ!俺を動かすものは憎悪だ!日常も家族も糞だ!ヴァーツェルは嗤い続ける。
だが、俺の復讐すべき相手は何だ?ヴァーツェルは、陰鬱な淵に沈み込みながら考える。ヴァーツェルを人体実験した施設は破壊され、関係者のほとんどは殺された。ヴァーツェルがやったのでは無くて、帝国皇帝が破壊し、殺戮した。
皇帝は、人体実験を行った領主と主神教団を非難し、軍を派遣して領主を亡ぼした。人体実験を行った施設は破壊され、関係者は取り調べの際の拷問とその後の火刑によりほとんどの者が殺された。
皇帝は、表向きは正義を口にしていたが本当の目的は別にある。人体実験を行っていた領主は選帝侯の一人であり、選帝侯を亡ぼす口実として人体実験を非難したのだ。皇帝は選帝侯の選挙によって皇帝になれるのであり、皇帝の権限強化のためには選帝侯は邪魔である。皇帝は、正義の名のもとに邪魔者を始末出来た。
また、主神教団を攻撃する口実にもなった。皇帝は、大陸の世俗権力の頂点である事を自称している。皇帝は、世俗権力の代表として宗教勢力の上に立とうとしていた。選帝侯と組んで人体実験を行っていた事を口実として、主神教団領に攻め込み教皇を退位させ、自分の傀儡を教皇に仕立て上げようと企んだのだ。
この企みは、教団によってかわされた。教皇は、実験に関わった主神教団の者と選帝侯を破門したのだ。教団には、穏健派と急進派、そして急進派の中の跳ね上がりである過激派が存在する。人体実験を行ったのは過激派だ。穏健派である教皇は、何かと問題を起こす過激派をこの機会に始末し、さらに急進派と過激派を意図的に混同して急進派を粛清しようとしていた。
結局、ヴァーツェルを人体実験した者達は、ヴァーツェルとは関係のない者達に抹殺されたのだ。ヴァーツェルは復讐の対象を失った。そしてヴァーツェルは、政治の駒として使われている。
俺の復讐すべき相手は何だ?主神教団を亡ぼせばよいのか?帝国を亡ぼせばよいのか?反魔物国を全て滅ぼせばよいのか?俺の復讐はいつ終わるのだ?
ヴァーツェルは、疲労が自分に伸し掛かっている事を感じた。推し掛かるだけではなく、自分の中を蝕んでいる事を分かっている。殺戮を行えばかつて味わった苦しみを紛らわす事が出来る。だが、そのたびに疲労がヴァーツェルを蝕んでいく。
キマイラは、寝苦しそうに呻きだした。ヴァーツェルは、キマイラの背を撫でてやる。キマイラは、気持ち良さそうな声を上げながら人間の頭と山羊の頭を摺り寄せて来た。この頭を摺り寄せてくる癖は、四つの人格とも共通している。
今は考えるのを止めよう。ヴァーツェルは考えを放棄して、キマイラに体を寄せる。キマイラからは、温かな感触と安心させるような匂いがした。ヴァーツェルは、心地良さを感じながら眠りへと落ちて行った。
城を襲撃するために、城の外と中で騒動を起こす事となった。まず城の外で農奴達に騒ぎを起こさせるのだ。農奴達は、城の者によって互いに対立するように仕向けられていた。農奴の一部は、他の農奴を監督する役に付けられて少しばかり利益を与えられている。さらに農奴の間には密告が奨励され、農奴の間には密偵が潜り込んでいる。その為に農奴達は互いに憎み合っていた。この農奴同士の憎み合いを利用するのだ。
まず、農奴達の一部に金や食料をばらまいて領主達への反抗へと誘う。次に、わざと農奴達の反抗のたくらみを露見させ、領主の部下に摘発させる。その摘発の最中に、別の農奴に他の農奴を告発させて騒ぎを拡大させる。工作員達は、騒ぎをあおるために領主の部下を襲撃したり倉庫の物を盗んだりする。かつ、反乱の「証拠」をねつ造してばら撒き、領主の部下による摘発を促進させる。混乱が大きくなったところで、工作員達は夜陰に紛れて倉庫や住宅を放火するのだ。
城としては実験を行うのは裏の任務であり、表の任務はこの地の管理だ。城の外で騒ぎが起これば、兵を出さざるを得ない。城の外で騒ぎが起こったところで、城の中に潜り込んでいる工作員は城の中で放火や破壊を行う。こうして城の中も混乱させた上で城を襲撃するのだ。
この計画は、人間の工作員が立てた。魔物の工作員は、農奴を犠牲にすることに難色を示し反対した。だが代替案を出す事が出来ない上に、時間が経つと実験の犠牲者が増えるために強くは反対できない。かつ、実験の出資者である大商人が城を訪れており、これも捕えなくてはならない。迷っている魔物の工作員の隙をついて、人間の工作員達は計画を実行に移してしまった。いったん計画が実行されると、魔物の工作員も協力せざるを得ない。こうして農奴達を犠牲にした破壊と混乱の中で、城への襲撃が行われた。
城の外では、闇の中に火の手が上がっている。農奴と領主の部下、そして農奴同士が激しく戦っている音が響き渡っていた。
アレティナは、夜闇にまぎれてヴァーツェルを抱えて飛んでいた。潜入工作の場合、龍の人格であるアレティナが担当する。アレティナは、キマイラの四つの人格の内で最も工作時において冷静に対処できる。
城に近づくと、窓の一つへ入り込む。事前に、城の中の工作員から侵入に適した場所の報告を受けている。窓から城の中へ入り込むと、資料保管室を目指す。彼らの任務は、実験の資料を抑える事だ。城の中の図面は城の中の工作員から渡されており、ヴァーツェル達は城の中の経路について頭に叩き込んでいた。
走り回り怒号を上げる城の警備兵を避け、ヴァーツェル達は資料室へと急ぐ。一見すると何の変哲もない城だが、頑丈で守りに適した造りをしている。秘密の実験をするにはふさわしい城だ。混乱を起こさなければ襲撃する事は難しいと二人は再確認する。
経路を確認しながら先を急ぐ二人の前に、二つの影が現れた。とっさに身構えた二人は、相手を確認して構えを解く。一人は人間の男、もう一人は蜘蛛の魔物娘アラクネだ。二人とも工作員だ。アラクネは城の壁をよじ登る事が出来るため、男を背負って城の中へ侵入した。彼らの任務は、実験体の確保だ。
「実験体は確保できたか?」
「三人確保できた。他は殺された。俺達は、実験体の処分の最中に入り込んだ」
「殺していた連中は?」
「五人捕獲した。縛って実験室に転がしている。見張りに二人置いた」
男は吐き捨てる。
「五人も残す必要は無いと言うのに」
男の体を見ると、返り血を浴びている。研究員や警備兵を殺している所をアラクネに止められたのだろう。
「資料は確保できたの?」
アラクネは無感情な声で聞く。
「いや、まだだ。これから奥へ行く」
「今頃、資料の始末をしているかもしれないわ」
「分かっている、急ぐ」
ヴァーツェルとアレティナは、話を切り上げて走り出す。資料を持ち出して逃げられたり燃やされたりしたら、実験を告発する事が難しくなる。
通路の途中で警備兵が一人いた。二人は物陰に隠れて様子を見るが、警備兵は動きそうにない。アレティナは黒い球を放ち、警備兵の顔に当てる。警備兵は、くぐもった声を上げながら顔を抑える。アレティナは素早く飛び出し、警備兵に拳を放つ。警備兵は、呻き声と共に床に崩れ落ちた。
アレティナは、警備兵の鼻と口から黒い粘液を落とした。アレティナの放った玉には黒い粘液が入っており、相手の視力を一時的に奪う。口や鼻を覆うと窒息する事もある。わざわざ粘液を取るあたり、アレティナも殺人を嫌う魔物娘らしい行動を取る。アレティナが先に出た理由も、ヴァーツェルにやらせると警備兵を殺す可能性があるからだ。
そのまま二人は奥へと急ぐ。城の中の工作員の話だと、そろそろ資料が収納されている可能性が高い区画に入るはずだ。前方の一室で、人の動く気配がある。二人は、その部屋のドアの前に立つ。
アレティナの手の中に、煙を凝縮したような球が現れる。ヴァーツェルはドアを乱暴にあけ、その瞬間にアレティナは煙の球を室内に放つ。一瞬のうちに煙が部屋の中に充満し、中から男の咳き込む声が響く。煙の中から二人の男が転がり出て来る。ヴァーツェルとアレティナは、男達に当て身をくらわして縛り上げる。一人は研究員で、もう一人は警備兵だ。アレティナは、煙幕の魔術を晴らして室内に入り込む。室内は、瓶や壺、書類などが置かれている。
「目当ての物が見つかった。これから資料の確保に入るぞ」
ヴァーツェルは、喋り方と表情からアレティナからイスメネに人格が切り替わった事を知る。資料の判断ならば、知性を武器とするイスメネが相応しい。イスメネは、必要な書類を見つけて収納袋に入れていく。ヴァーツェルは、イスメネの指示に従って魔水晶に瓶や壺の中身の映像を収めていく。
二人は資料の確保を終わると、待ち合わせの集合場所へと急いだ。
集合場所には工作員達が集まっていた。収集した資料や捕えた者達を連れて来ている。保護した実験体は別室にいる。
捕虜の中には、実験の責任者である城主がいた。だが、実験に出資して戦争を起こそうとしている大商人の姿は無い。集合場所に集まっていない工作員が多いのは、この死の商人を探しているためだ。
中央には工作員の隊長と副隊長がいるが、二人の間には冷ややかな空気が流れている。隊長は人間であり、この作戦を強行した責任者だ。副隊長であるサキュバスは、この作戦に反対だったが事後承諾せざるを得なかったのだ。
ヴァーツェルとイスメネは、確保した資料について隊長と副隊長に報告をした。隊長と副隊長は、手短に質問をして確認してくる。質問には主にイスメネが応える。
不意に、質問に答えていたイスメネの表情が歪む。ヴァーツェルがイスメネの顔を覗き込むと、表情を次々と変えながら意味の分からない事を呟き始める。表情や話し方から人格の変化が起こっていると分かるが、それにしても唐突な上にいつも以上に安定しない。
キマイラは、大きく腕を振りかぶった。ヴァーツェルは、腕をかわして後ろへと飛ぶ。キマイラは、腕を振り回しながら魔術の詠唱を始める。光りの球が無数に飛び散り、辺りに炸裂音が響き渡る。左肩の龍が炎を吐き出す。工作員達はある者は逃げ回り、ある者は防御の魔術を唱える。捕虜の一人が弾き飛ばされる。
ヴァーツェルは、隊長の顔を見た。副隊長が驚愕の表情をしているのに対して、隊長の表情は落ち着いており冷やかに状況を観察している。他の者を観察すると、魔物の工作員は驚いているのに対して人間の工作員は無感情な態度を取っている。
奴ら、何をしやがった?ヴァーツェルは心中で毒づきながら、キマイラを取り押さえようとする。ヴァーツェルは炎を掻い潜り、キマイラの懐に潜り込む。ヴァーツェルはキマイラに当て身をしようとするがかわされ、龍の爪に左腕をえぐられる。
キマイラの動きが鈍くなった。夢魔である副隊長が、キマイラに眠りの魔術を掛けているのが見える。ヴァーツェルは、キマイラに飛びつき地に押し倒す。魔物の工作員達も、キマイラに飛びついて取り押さえる。副隊長はキマイラに眠りの魔術をかけ続け、キマイラの動きを止める事に成功した。
ヴァーツェルは、左腕の痛みに顔をしかめながらも安堵の息をつく。そのヴァーツェルの背に、冷ややかな声が掛けられた。
「無様な失態だ、責任問題になるな」
隊長は、キマイラを冷めた表情で眺めていた。
ヴァーツェルは、副隊長達魔物の工作員と共に城内を走り回っていた。キマイラは、魔物の工作員に任せている。現在は、眠りの魔術が効いており暴れ出す事は無い。ヴァーツェルは左腕の応急処置を済ませた後、副隊長と共に死の商人の行方を追っていた。ヴァーツェルは負傷しているが、人員が少ないために副隊長と行動せざるを得ない。副隊長にしてみれば、ヴァーツェルは人間の工作員の中では数少ない信用できる者だ。
ヴァーツェルは、副隊長に積極的に協力している。キマイラの件で、隊長はもはや敵となった。おそらくキマイラの人格の不安定を抑制する薬をすり替えたのだろう。キマイラに騒ぎを起こさせ、それを口実に特務機関から魔物を追放するつもりなのだろう。隊長は、ヴァーツェルを騒動の巻き添えにしたのだ。
ヴァーツェルは、今いる区画について考える。この区画にも資料を収納している部屋がある可能性が高い。死の商人を捕えた後で、時間が許す限り調査する必要がある。
角を曲がると、警備兵姿の者が五人いた。部屋から出て来た所で、手には資料らしき物を持っている。ヴァーツェルは、無言で警備兵達に襲い掛かる。ヴァーツェルの周囲で光が弾ける。警備兵たちは魔術の使い手だ。ヴァーツェルは、魔術をかわしながら警備兵達に迫る。不意にヴァーツェルは足を止め、そのまま後ろへ飛び下がる。ヴァーツェルの目の前に炎の壁が出現した。
「邪魔をしないで下さい。あなた達の上とは話が付いています」
指揮官らしい男が炎の向こうから言い放つ。
ヴァーツェルは炎を越えて飛びかかろうとするが、副隊長に肩を抑えられる。
「止めなさい!奴の言うとおりよ」
ヴァーツェルは副隊長を睨み付ける。
「それでは失礼します。皆様のご多幸をお祈りしますよ」
相手の指揮官はわざとらしく優雅に一礼し、冷笑を残して去っていく。
ヴァーツェルは顔を赤黒く染めて飛びかかろうとするが、副隊長はヴァーツェルを離さない。
警備兵姿の者達が去ると、副隊長は溜息をついた。
「奴らは主神教団の工作員よ。これは政治なの。私達が深入りする事ではないわ」
刺すような目で見るヴァーツェルを、副隊長は陰鬱な目で見返していた。
ヴァーツェル達特務機関は、人体実験施設の襲撃に「成功」した。ただ、誰にとっての成功かはよく分からない。この後の展開が「政治的」だからだ。
ヴァーツェルの所属する国は、帝国皇帝による人体実験の実態を大陸全土に暴露した。魔王軍、親魔物国では帝国への宣戦布告を求める声が高まった。同時に戦争に慎重な勢力もあり、戦争賛成派と反対派の間で勢力争いが行われている。
反魔物国の中で帝国と領土を接する国々は、帝国を非難していた。帝国内部でも、選帝侯を初めとする諸侯は皇帝を非難している。皇帝は、人体実験を理由に選帝侯の一人を葬ったのにもかかわらず、自分も人体実験をしていたのだから当然だと言える。
ただ、帝国非難の合唱の中で主神教団は沈黙していた。その沈黙が破られた時に、大陸の緊張は一気に高まった。主神教団は、皇帝の人体実験の証拠を新魔物国とは別に発表したのだ。さらに主神教団の教皇は皇帝を破門して、帝国周辺諸国や帝国諸侯に対して皇帝を亡ぼす事を扇動し始めた。反魔物国は、親魔物国の提示した人体実験の証拠では動きは鈍い。だが、主神教団の示す証拠ならば動きは全然違う。帝国周辺の反魔物国、帝国内の諸侯は軍を動かし始めた。
邪魔な皇帝を葬り去ろうとする主神教団の謀略は、成功しつつある。同時に、反魔物国間を争わせようとする魔王軍や親魔物国の策謀家達の謀略も成功しつつある。大陸は、帝国を中心にして戦乱の渦が巻き起こり始めた。
争いは、ヴァーツェル達の特務機関内でも起こっていた。人体実験に出資していた大商人を捕える事に失敗し、その失敗をキマイラの暴走のせいだとしたからだ。これを機会に、王弟派は特務機関から魔物を追放しようとした。
だが王妃派の魔物達は、人間の予想以上に調査能力があった。キマイラの飲む薬がすり替えられ、そのすり替えは人間の特務機関員の手によると魔物達は調べ上げた。特務機関内の実行者達は逮捕され、その中には実験施設襲撃時の隊長も含まれている。
もっとも彼らはトカゲの尻尾に過ぎない。上の者達は無傷である。王弟や軍上層部と実行者を結ぶ者は、行方不明となった。王都南西にある町で発見された身元不明の焼死体がその者だと言われているが、証拠は無い。
結局、王弟と王妃の暗闘は終わる事なく続けられていた。
ヴァーツェルとエウリュディケは、寝台の上に共に横たわっていた。先ほどまで激しく交わり合い、欲望をぶつけ合っていた。二人の体には、情交後の痕跡が至る所に残っている。部屋の中には、男女の濃密な臭いが漂っている。
ヴァーツェルの右半身には、うつ伏せになったエウリュディケが寄りかかっている。山羊の頭がヴァーツェルの胸に頬を寄せ、獅子の耳の付いた人間の頭がヴァーツェルの右腕に頬を擦り付ける。ヴァーツェルは、エウリュディケの柔らかい毛並みを感じながら、交わりの後の女体から放たれる濃密な臭いを嗅いでいた。
二人の傷は、今では大した痕跡を残していない。ヴァーツェルの抉られた左腕は、人間離れした強靭さと回復力を持つためにかすかな傷痕が付いているだけだ。エウリュディケは、薬のすり替え後はしばらくの間不安定だったが、現在は治療により安定している。
ヴァーツェルは、体を疲労が蝕んでいる事を感じていた。結局、俺は捨て駒に過ぎないのだ。政治に翻弄され、駒として使い捨てにされる、ただそれだけの存在だ。ヴァーツェルは、苦い思いで再確認する。復讐さえ出来れば捨て駒にされても構わないと割り切っていたはずだ。だが、それでも疲労は重なっていく。捨て駒にされるたびに、自分の内部で何かが壊れていく事を感じる。
俺の復讐はいつ終わるのだ?ヴァーツェルは、今回の任務の結果について考える。かつて自分を人体実験にかけた施設の関係者は、その一部の者が皇帝に資料を差し出す事で生きながらえていた。今回の皇帝の施設にその者達が居た。彼らは、現在裁きを受けている。俺のやった事には意味がある。ヴァーツェルはそう納得させようとするが、疲労を払う事は出来ない。
エウリュディケは、ヴァーツェルの手を取ると自分の腹に当てた。訝しげに自分を見るヴァーツェルを、エウリュディケは正面から見ながら言った。
「腹の中にお前の子がいる」
ヴァーツェルの体が動きを止める。
「そうか、うれしいよ」
ヴァーツェルはそれだけを口にする。何時かは出来るとは思っていたし、覚悟もしていた。だが、自分を捨てた父の事が頭を侵食する。
俺は父になるのか?俺を捨てた男と同じ存在になるのか?
ヴァーツェルは笑いたくなった。
「あたしは工作員を辞めるつもりだ。お前は工作員を続けるつもりか?」
「工作員は簡単に辞める事は出来ない。知り過ぎているからな」
「あたしには、王妃様の伝手がある。それを使えばお前もあたしも辞める事が出来る」
エウリュディケは、自分の腹にヴァーツェルの手を当て続ける。
「お前は、自分の子供に殺し合いをする姿を見せるつもりか?戦いの果てに死んだら、父さんは殺されたとあたしに言わせるのか?」
ヴァーツェルは、無言のまま思念に浸る。
俺は父と同じなのか?俺は父以下なのか?
「考えさせてくれ」
それだけをエウリュディケに言う。
「考えてくれ、あたし達は答えを待っている」
エウリュディケは、苦笑しながら言う。
「本来こういう事を言うのは、エウジェニアの役割だ。段取りを整えたくせに、いざとなったらあたしに言わせるのだからな」
エウリュディケは、ヴァーツェルに笑いながら頭を摺り寄せる。ヴァーツェルは、柔らかさと匂いを感じる。
エウリュディケを感じているうちに、疲れが和らいだ感じがした。
ヴァーツェルとエウジェニアは、荷馬車に乗っていた。二人は国の北西部にある開拓地に向かっており、そこで開拓に参加するのだ。
二人は、王妃の庇護を求めて工作員から足を洗った。王妃の臣下の者は、二人に王妃の支配下にある開拓地で働く事を勧めた。汚れ仕事をしていた二人には、安住できる場所は限られる。その王妃の支配地は、数少ない安全な場所だ。
工作員を辞めると言うヴァーツェルに、復讐はどうしたとイスメネは尋ねた。厭きたとヴァーツェルが答えると、イスメネは苦笑していた。
そう、厭きたのだ。疲労ばかりが重なり、いずれゴミの様に死んでいく復讐生活に厭きたのだ。
人間離れした力を持つヴァーツェルは、開拓地では必要とされるだろう。生産的な仕事で必要とされる事は、復讐生活ほど疲労はもたらさないかもしれない。キマイラは、ヴァーツェル以上に開拓地で役に立つだろう。二人は、仕事と生活を楽しむ事が出来るかもしれない。
もっとも王妃は、二人を駒として使うつもりで庇護しているのかもしれない。二人の安らぎは仮初めのものかもしれない。それでも二人には安らぎは必要だ。
エウジェニアは、ヴァーツェルに身を寄せて来た。ヴァーツェルは、柔らかさと匂いを楽しむ。目を下ろすと、少し膨らんできたエウジェニアの腹が見えた。
俺は、父の様に子供を捨てる事はしない。俺は無様にひねり潰されるかもしれないが、それでも抗ってみよう。
ヴァーツェルは、妻の腹に手を当てながら思った。
14/10/30 20:48更新 / 鬼畜軍曹