牛鬼の虜
男は、暗い木々の間を走っていた。男の右手には黒ずんだ物が握られている。木の間から微かな月の光がさす。男の握っている物は、血で汚れた鉈だ。男の体の所々が、血で汚れている。明るければ、肉片がついている事も分かるだろう。
男の背後からは、幾つもの松明の灯りが追って来ている。手には竹槍や鉈を持っている。男を嬲り殺しにしようとしているのだ。追って来る男達の声からは、暴力への期待から発情した様子が聞き取れる。
男は笑った。追手が男を追い立てようとしている所は分かっている。この先に魔物が住むと言われる魔の境界がある。そこから先には男は行けないと踏んでいるのだ。だが、魔の境界付近については、男はよく知っている。そこで待ち伏せをするつもりだ。一人か二人は殺せるだろう。
男には後悔は無い。今まで散々虐げられてきたのだ。村の連中を殺す事ができれば、自分は殺されてもよい。どうせ自分には先など無い。だが、ただでは殺されない。まだ殺し足り無い。奴らを待ち伏せして殺してやる。男は低く笑った。
東太は、村の最も下にいる者だ。村でもっとも貧しく、虐げられている。村はずれの痩せて狭い田畑を耕し、辛うじて生きて来た。他の村人からは、雑用や汚れ仕事を強要されている。例えば動物の腐った屍の始末は、東太に押し付けられる。人の屍の始末も押し付けられる事もある。病が流行った時には、後始末をやらせられる。
東太は、村人に尽くすことを強要されていた。お前のような屑はここ以外では生きて行けない、村がお前を生かしてやっているのだ、村へ尽くす事は当然だ。そう、村人達は東太を殴りながら凄んだ。
東太が苦難にあった時に助けてくれる者はいない。嵐で東太の住む掘立て小屋が壊れた時、直す事を手伝う者はいなかった。馬鹿にした顔で眺めた挙句、他の村人の家の壊れた所を直す事を強要した。
生まれた時から、東太はまともに取り扱われた事は無い。東太同様に蔑まれていた父は、東太と母を憂さ晴らしに殴った。母は、東太を殴って憂さ晴らしをした。二人とも東太が十六の時に、流行り病で死んだ。屍は村の外に埋める事を強要された。
東太がこの村で生きても、ろくな先は無い。だが、村から出て生きる術も無い。東太の先には絶望しか無い。
何度目になるか分からない自死を考えた時、村人に復讐する事を決意した。どうせ自分で死ぬのなら、村の奴らを殺して死んだほうがいい。
東太は、鉈を研ぎ始めた。
東太は、夜陰にまぎれて家に火を付けた。大気は乾燥し、強い風が吹いている。火を付けるには丁度いい日だ。懐から藁と火打石を取り出す。
火を付けたのは、東太を虐げてきた男の家だ。その男は、常に村の強い物に付き従い、弱い物を虐げていた。犬として生きて来た男であり、村の最底辺にいる東太を執拗に虐げて喜んでいた。他の村人に殴られて倒れている東太の股間を繰り返し蹴り上げるのが趣味の男だ。
火の付いた藁を木で出来た家の壁に付け、物陰に隠れて鉈を握り締めてじっと待つ。火が燃え広がると、燻りだされて来た男とその妻が現れる。火を消そうとする男を背後から近寄り、首に鉈を振り下ろす。男の首からは鮮血が吹き上がり、東太の体に降りかかる。
再び物陰に隠れ、物音に気付いた男の妻が現れるのを待つ。妻が血で染まった男に気が付き、悲鳴を上げる直前に背後から頭に鉈を振り下ろす。東太は、倒れた男女に繰り返し鉈を振り下ろし、血と肉片を浴びていく。
東太は、男からだけでなくその妻からも虐げられて来た。男の妻は噂好きで、東太の事を繰り返し悪意をこめて噂を流した。その為に東太は、何度も村の男に叩きのめされた。東太は、男と妻に繰り返し鉈を振り下ろし、血と肉を弾けさせる。
二人を血と肉の塊に変えると、東太は次の標的へと向かう。標的の家に着くと、前と同じようにして家に火をつける。その家に住むのは父と息子の親子だ。息子のほうは、東太に汚れ仕事を押し付ける事を繰り返し村人の集まりで言い出した。父親が息子をそそのかしていた事を、東太は知っている。二人は、蛆の湧いた馬の屍を片づける東太を塵を見る目で見ていた。
息子は家から飛び出して来て、火を消し始める。東太は、背後から近づき鉈を首に叩き込む。血を吹き上がらせて、息子は倒れる。東太は、父の方の様子を伺うがこちらに来る様子は無い。
離れた所から喚き声が上がる。血まみれで倒れている男の父が、家の向こう側で逃げながら喚いていた。父の方は状況を不審に思い、息子に火を消しに行かせて様子を見ていたのだろう。東太の名を喚きながら、父は走り去っていく。
東太が殺戮をやっている事がばれた。まだ二人しか殺していない。東太は歯軋りを抑えられない。目の前で悶えながら呻いている男に、繰り返し鉈を振り下ろす。
東太は逃げ出す。まだ三人しか殺しておらず、これだけでは恨みは晴れない。だが、村人達が東太の凶行に気づき、東太を狩り出そうとしている。東太は逃げるしかない。捕まったら、嬲り殺しにされる。
東太は、山のふもとに生い茂る木々の中に逃げ込んだ。
東太は、山の中へと入っていく。子供の頃から繰り返し歩き回った山だが、夜に灯りもなく入るのは危険な事だ。東太は注意しながら進むが、何度も転げそうになる。だが、ゆっくりと進む事はできない。東太を狩る村人のかがり火が後ろから迫る。山の中を進む道は限られる。特に夜の場合はそうだ。村人達は、確実に東太を追い詰めていた。
この先にあるのは魔との境界だ。この山には魔物が住むと昔から伝えられている。山の奥地は山の神の住む場所であり、魔物は山の神の領域を侵す者を喰らうとされている。村人は、東太は境界を越える事はできないと踏み、そこで東太を狩るつもりだ。
だが、東太にとっては待ち伏せできる場所だ。東太は虐げられていた事から、村から離れた忌み山の中に入る事が多い。境界付近についてもよく知っている。そこで待ち伏せして村人を殺そうと考えていた。
境界近辺まで来ると、強い緊張感を東太は感じる。雰囲気が普通ではないのだ。闇の中から刺す様な気配を感じる。何度来ても緊張を抑える事はできない。
東太は、くぼみの中に身を潜める。くぼみの周りは茂みが覆っていて、待ち伏せのために隠れる場所としては都合がよい。くぼみの中で鉈を構え、じっと狩人たちを待ち受ける。来る途中の泉で服ごと体を手早く洗い、血の臭いを落としている。
話し声と共にかがり火が現れる。かがり火は境界の前で散開し、周囲を探し回る。狩人の声と動作は威嚇的であり、東太は恐怖を感じる。東太は恨みが積もってやっと行動したのであり、勇敢な男ではない。全力で恐怖を抑えながら、手が白くなるほど鉈を握り締めながら待ち受ける。
一つのかがり火が、すぐ前を通り過ぎる。東太は、後ろから無言で鉈を振りかざす。茂みに東太が触れる音で男は振り返り、後ろをねめつける。東太の鉈が、男の首に叩き込まれる。男は、血を噴出しながら不明瞭な声と共にその場に倒れた。その男は、東太への暴力の先頭に立っていた男だ。この男に腹を蹴られて、東太は苦痛のあまり人前で糞を漏らした事がある。東太は、倒れた男の顔と首に繰り返し鉈を叩き込んだ。
物音を聞いて、数個のかがり火が迫って来た。東太は、木々の間を走り抜ける。危険な行為だが、闇の中を走るしかない。怒号と罵声が迫る中、茂みや枝に引っかかりながら東太は走り続ける。
東太の左前には境界を示す石碑が見えたが、構わずに走り続ける。東太は殺戮の期待に震える狩人から逃れるために、魔の境界を越える。闇の中からは刺すような視線を感じ、東太の肌を泡立たせる。それでも魔の領域の中へと走り続けた。
かがり火と怒号は、東太を追って来なかった。境界付近でかがり火は留まっている。だが、東太の恐怖はまだ終わっていない。東太は、闇の中の魔の気配に震えていた。
東太は、闇の中をそろそろと動き出す。魔の領域に永くはいられない。現に、魔が自分をじっと見ている事が分かる。狩人たちを迂回しながら、魔の領域から出なくてはいけない。東太は、かがり火の右側へと歩き出した。
遠くから夜鳥の声が聞こえる。だが、この付近からは虫の声すらしない。ただ、張り詰めた雰囲気が支配している。緊張が高まるにつれて、東太の頭に覆いを掛けられた様な感触が広がって来る。俺は狂ってしまうのだろうかと、東太は馬鹿になりつつある頭で思う。
恨みを晴らすんだ!東太は心の中で唱える。俺を狩りに来た奴らを迂回して、村に入って村の連中を殺すんだ。恨みを晴らすんだ!そう唱えなければ、東太は恐れに押しつぶされそうだ。
風を切る音と共に、右手に衝撃が走る。東太の鉈が弾き飛ばされる。東太は叫び声を上げようとしたが、声が出ない。東太は、右側の闇の中を見た。
闇の中に濃い闇が凝縮している。それは、単なる闇ではない。動物のような生々しい存在感がある。七尺、いや八尺の高さはあるものが東太を見下ろしている。高さだけではなく、背後に巨大な体を闇は持っていた。闇の上部に二つの金色の眼がある。
「それ以上進ませるわけにはいかんな」
闇は、低い女の声で東太に話しかける。金の眼は東太を見据え、闇が覆いかぶさる。東太は絶叫と共に意識を失った。
火の爆ぜる音で東太は目を覚ます。東太は横たわりながら辺りを見回す。
そこは洞窟の中であり、大きな穴が広がっている。東太は、洞窟の中に敷かれた布団で寝ていた。入り口のすぐ外で火が焚かれており、その傍らに巨大なものがいた。
「気が付いたようだな」
その魔物は東太に声を掛ける。闇の中で聞いた女の声だ。
それは魔物としか言いようの無いものだ。上半身は人間の女の体だが、下半身は巨大な蜘蛛の体だ。蜘蛛の下半身は、十五尺の長さはあるだろう。人間の女の体の部分は緑色をしており、蜘蛛の部分は黒々としている。魔物は乱れた黒髪をたらし、頭には白い角を二本生やしている。胸の部分を少しばかりの黒布で覆っており、むき出しの体の所々に黒い刺青のような模様がある。人間と蜘蛛の体の境界には、牛の頭蓋骨を付けている。魔物は、金色の目で東太を見つめた。
「お漏らしをするのは勘弁してくれよ。洗うのには苦労したんだからな」
魔物は低く笑う。
東太は布団を跳ね除ける。東太は裸であり、褌すらしていない。
「お前は何者だ?」
東太は震えながら尋ねる。
「まずは自分から名乗るのが礼儀だろ。まあ、よい」
魔物は微笑を浮かべる。
「私は豪花。見ての通り牛鬼だ。この山の守護を勤めている」
ウシオニ…。東太は頭をめぐらす。そんな魔物の話は聞いた事がある。蜘蛛の体を持った鬼であり、凶暴で残虐な魔物だと聞いている。ただ、この山に住んでいるとは思わなかった。この山の魔物は、山の神の手下だとしか分からない。
「そろそろお前も名乗ったらどうだ」
牛鬼は低い声で促す。
「東太だ。ふもとの村で暮らしている」
東太の震えは止まらない。
「そう怖がるな。話にならんだろう。頻繁に境界付近でうろつきながら、いまさら怯えるんじゃない」
豪花と名乗った牛鬼は、呆れたように言う。
「俺をどうするつもりだ」
東太は震えを止めようとしたが、体は痙攣し続ける。
「喰らうのさ」
豪花は楽しげに言いながら、あわてて付け加える。
「勘違いするなよ、血肉を喰らうわけじゃない。だから布団にお漏らしをするなよ。後始末が面倒だ」
豪花はゆっくりと近づいてくる。洞窟の入り口は豪花がふさいでおり、洞窟の中は行き止まりだ。東太は逃げる事が出来ず、豪花に手で押さえ付けられる。豪花の手は黒い毛で覆われ、巨大な白い爪が突き出ている。
豪花は、東太の口に自分の口を押し付ける。口を吸いながら、東太の股間を撫で回す。豪花からは、肉と汗の匂いが強く漂って来る。豪花が口を離すと、二人の間に唾液の橋が出来た。
「ここまでやればいくら鈍くても『喰う』の意味は分かるよな?」
豪花は、笑いながら東太を布団に押し倒した。
東太は、豪花と名乗る牛鬼に囚われている。豪花は体がうずいており、東太と交わりたいそうだ。豪花の言うとおりにすれば殺さないそうだ。
東太の日々は、昼は豪花の仕事の手伝いをさせられ、夜は肉の交わりを強要される。逃げ出そうにも、豪花に見張られている。この山には豪花以外の魔物も居り、彼女達の目も光っている。
この山は忌み山であり、人を入れるわけにはいかない。一度入ったならば、外へ出すわけにはいかないそうだ。
この山は、元々は忌み山ではなかった。魔物の生活を犯さなければ、魔物は人に手出しをしなかった。だが、百五十年前に金が発掘されたために状況が変わった。八人の山師が山に来て、金を掘り出したのだ。
東太は、豪花の話を聞いて一つの事を思い出す。村の脇を流れる川から金の混じった石が見つかった事があるという話しだ。東太は戯言とみなして信じなかったが、豪花の話を聞けば本当だったのかもしれないと思う。
八人の山師は、始めは協力して金を掘り出していた。だが、次第に金の取り分をめぐって争い始めた。その挙句、刀や鉈で互いを切り刻みあった。最後に一人残った山師は、他の山師の体を切り刻み、掘り出した穴の中へ放り込んだ。その時に穴が崩れて、山師は切り刻んだ屍と共に穴の中に閉じ込められた。
魔物達は自業自得だとは思ったが、山師を助ける事にした。殺し合いを止められなかった事で、忸怩たるものもあった。穴から助け出した時には、山師は狂っていた。髪を振り乱しよだれを垂れ流しながら、痙攣するように震えていた。意味の分からぬ事をつぶやき続けたかと思うと、突然喚きながら暴れだした。
魔物の中には人と同じような姿を持っている者もおり、彼女が面倒を見る事にした。その山師は二十年程生きたが、最後まで正気を失ったままだった。
この事から、魔物達は山を封印することに決めた。金を求めた人々が、殺し合いを始める事が明瞭だからだ。それに魔物の生活も犯される。
境界を設けて、そのあたりに魔力をこもらせて人を追い払う。それでも入ってくる者は、力づくで追い払う。あるいは、魔の領域に引き込んで外へは出さない。こうして山は忌み山へと変貌した。
「つまりお前は二度と山からは出られないわけだ」
そう豪花は、東太に言い放った。
東太は、豪花と洞窟の中で互いの口の中を貪り合っている。二人の体は汗で濡れ、下腹部は汗以外の液でも濡れそぼっている。既に繰り返し交じり合っているのだ。辺りには、汗、唾液、精、女蜜などの様々な液に塗れた肉の臭いが充満している。二人以外の者が嗅いだらむせ返るだろう。
「お前はいい臭いがするな」
豪花は、東太の顔を舐め回しながら言う。
「いい臭い?」
東太は、豪花の顔を舐め返しながら聞く。
「血の臭いさ。お前の体には、血の臭いが染み付いている。私は、血の臭いのする男が好きなのさ」
豪花はくつくつと笑う。
「体は洗っている」
東太は、馬鹿馬鹿しいと思いながら答える。
「そのぐらいでは血の臭いは取れないのさ」
豪花は顔を下げ、首に胸に舌を這わせる。笑いながら東太の右腋を舐め回す。
「いいねえ、男のきつい臭いがするよ。濡れるじゃないか」
豪花は顔を離し、東太の下腹部に顔をうずめる。東太の男根は、精と女蜜で濡れ光っている。豪花は、ためらいも無く汚れた男根にむしゃぶりつく。
「すごい臭いと味だよ。狂ってしまいそうだよ」
豪花は、激しい音を立ててしゃぶりたてる。洞窟の中に、濁った音が響き渡る。
豪花は口を離し、豊かな胸の谷間に回復しかけた男根を挟み込む。そのまま胸でしごき上げ、口でしゃぶる。汗と唾液と先走り汁で濡らしながら、胸と口で濁った音を響かせる。
男根がそそり立つと、豪花は口と胸を離して自分の女陰に引き寄せる。女陰は、精と女蜜が交じり合った物で汚れている。ひくひくと蠢く女陰に、濡れ光りながら痙攣をする男根を飲み込んでいく。
東太は、豪花の顔を見上げた。彫りの深い整った顔が、汗で濡れ光っている。やや肉の厚い唇が、唾液をとめどなく垂らして濡れ光っている。淫楽にゆがんだ顔は、蜘蛛の魔物であるにも関わらず東太をたぎらせる。
東太には、豪花以外に女の経験は無い。村で蔑まれていた東太を相手にする女などいない。村では若い男女が一堂に集まり交わり合う事があるが、東太は弾き出されていた。村の男女の中には、わざと東太の前で戯れる者もいた。男は女の胸を揉みながら、あばら家に帰ってせんずりでも扱いてろと東太を嘲り笑った。
東太は、激しく豪花の中へ腰を打ち付ける。豪花は、笑いながら東太の顔を胸に抱きしめる。豪花の胸は、豪花の匂いと東太の臭いが混ざり合い、東太の鼻と頭を犯す。豪花は東太の頭をつかみ、自分の右腋に東太の顔を挟み込む。東太の顔を酸い臭いが覆う。
「さあ、私の臭いを嗅ぐんだよ。味を楽しむんだよ。そして腰を打ち付けるんだよ!」
豪花は、獣じみた哄笑を上げた。
交わりの後、東太と豪花は身を横たえていた。東太は布団に仰向けに横たわり、豪花は横に藁を敷いてうつぶせになっている。豪花は体が大きいため布団には入る事ができない。豪花は東太の左腕の上に頭を乗せ、自分の左腕を東太の体に回している。
東太と豪花の腋からは、激しい動きの後の濃厚な臭いがする。二人の股からは、腋の臭いに劣らない強い臭いが漂ってくる。東太は、豪花の臭いと感触に包まれていた。情交後のけだるさに、東太は身を浸していた。
「お前は、村の連中をもっと殺したいのか?」
豪花は、沈んだ声で尋ねる。
東太は答えない。
「私は、お前の村を探った事がある。お前がどういう扱いを受けていたのか分かっている」
豪花は、沈んだ声で話し続ける。
「だが、それでも殺すな。殺しは癖になる」
東太は、豪花を見ずに天井を見つめ続ける。沈黙の後、やっと口を開く。
「お前は血の臭いがする男が好きだと言った。それなのに殺すなと言う。つじつまが合わないじゃないか」
東太の責める言葉に、豪花は苦笑する。
「そうだな。だが、血の臭いがする男がそそる事も、殺しが割に合わない事も、私にとってはどちらも確かな事だ」
豪花は、東太の股間を撫で回す。
「ここにいれば、仕事は有るし飯も食える。私が面倒を見てやる。出ようなどと考えない事だ」
豪花の愛撫は続く。
「お前は人を殺した事があるのか?」
東太は、豪花に目を据えて尋ねる。
豪花は、目をそらして何も答えない。
「明日も早い。もう寝ろ」
しばらくの沈黙の後、豪花はそう言って目をつぶる。
東太は豪花から天井へと目を移し、闇を見据え続けた。
東太は、夜陰にまぎれて山を降りていた。向かう先は、東太を虐げていた村だ。手には豪花の物である刀を持っている。これで村人を切り殺すのだ。
今日は、山の魔物達の会合があった。それで酒をもらった豪花が、酔いつぶれている。東太は眠れないと言って、ある魔物から眠り薬をもらっていた。それを酒に混ぜて豪花に飲ませた。他の魔物達も会合後の酒宴で酒を飲んでおり、起きて来ないだろう。
今頃村の連中は寝静まっている。俺は魔物に殺されたと思っているから、警戒はしていないだろう。家々に火をつけ、出て来たやつらを切り殺してやる!男も女も皆殺しだ!
東太は低く笑い、殺戮を心に思い浮かべる。鉈で村の糞どもを殺した快楽がよみがえってくる。東太の男根は、凶暴なほど反り返っている。両手で持つ刀の感触が心地よい。
村が見えてきた。苦痛の記憶、湧き上る憎悪、殺戮の興奮で東太の目がくらむ。皆殺しだ、皆殺しにしてやる!
東太は、村へと足を踏み出そうとする。その瞬間、東太の手に衝撃が走る。刀が弾き飛ばされる。
「やはり殺しが癖になっていたんだな」
聴き慣れた低い女の声がした。闇の中から蜘蛛の形をした黒い影が出て来る。
「お前は閉じ込め続けなくてはならない。それがお前のためでもあるんだ。今のお前には分からないだろうがな」
豪花は、東太を押し倒して服を引き剥がす。東太の体を舌で舐め回し、毛で覆われた手で撫で回す。
「体に快楽を叩き込んでやろう。殺しが下らなく思う様になるまで犯し続けてやる。時間はたっぷりと有るんだ。たっぷりとな」
豪花は、東太に覆いかぶさって低く笑った。
東太を山に閉じ込めておいてから、豪花は東太に変わってしばらくの間、村に嫌がらせを続けた。夜な夜な鉈を持って村を歩き回り、家の戸口や壁を叩く。その後で、窓を覆う板を破って鉈を投げ込む。枕元に突き刺さる鉈を見て、村人は小便を漏らした。村人が東太を供養する祠を建てたのを見届けて、豪花は嫌がらせを止めた。
東太は、豪花に山に閉じ込められ続けた。東太は、豪花と数え切れないほど交わり続けた。夏が過ぎ、秋へと変わり、冬に閉ざされ、春を迎える。そしてまた夏が訪れる。年月が過ぎていった。
既にふもとの村には、東太を虐げた者はほとんど残っていない。既に墓の中だ。生き残っている者も老いさらばえ、若い村人達から邪険に扱われている。死を待つばかりの身に成り果てている。
東太は若いままだ。豪花と交わり続けたおかげで、魔物となった。老いるのは遠い先の話だ。
あれから東太は、豪花と暮らし続けている。既に東太は、豪花に逆らう気はない。
長い年月豪花と暮らしているうちに、村人への復讐はどうでも良くなった。いまさら生き残った老いぼれどもを殺しても仕方が無い。せいぜい村の若い衆に虐げられていればよい。
ある時、東太は豪花から村の話を聞いた。それによると、東太は鬼として村の中で伝えられているそうだ。鉈を持って、夜な夜な村人を切り刻む鬼。そう伝えられているそうだ。
東太としては笑うしかない。散々虐げた挙句、復讐されたら鬼呼ばわりするわけか。東太にとっては、笑い話でしかない。
豪花も、くだらねえなと苦く笑っていた。
東太は、茜色の空を見ていた。豪花が狩った猪の肉をばらし、塩に漬け込み終わった。飯の準備も下ごしらえは出来ており、少し休んでいるのだ。夏の暑さが和らぎ、涼しい風が吹いてくる。
後ろから柔らかい感触がした。若い娘が後ろから抱き着いている。艶やかな黒髪から白い角を生やし、緑色の肌をした娘だ。下半身は巨大な蜘蛛の体をしている。人間に近い上半身に、紺地に紫の花の模様が縫いこまれた着物を着ている。異形だが美しい容貌の娘だ。
「父様、何をしているの?」
娘は面白そうに聞く。この娘は、東太と豪花の娘だ。既に婚姻を結べる年なのに、父に対して子供のような態度を取る。
「何もしていないさ、鏡花」
東太は、笑いながら答える。
「変なの」
鏡花という名の娘は、くすくすと笑って東太に身を寄せる。鏡花からは穏やかさを感じさせる匂いがする。豪花の生々しい肉の匂いとは違う。
この子に血の臭いはさせたくないな。東太は、娘の柔らかい感触と匂いを感じながらそう思う。別に、東太は改心したわけではない。ただ、娘から血の臭いがする事を思い浮かべると嫌悪感が起こる。俺からは、血の臭いは取れないだろう。それは仕方が無い事だ。豪花からも血の臭いは取れない。二人ともそういう事をしてしまったのだ。だが、娘にはまだ血の臭いは付いていない。
「さあ、母様の所に戻ろうか」
東太は、鏡花を促して歩き始める。鏡花は、踊る様に楽しげに父についていく。二人の後姿を残照が照らしていた。
男の背後からは、幾つもの松明の灯りが追って来ている。手には竹槍や鉈を持っている。男を嬲り殺しにしようとしているのだ。追って来る男達の声からは、暴力への期待から発情した様子が聞き取れる。
男は笑った。追手が男を追い立てようとしている所は分かっている。この先に魔物が住むと言われる魔の境界がある。そこから先には男は行けないと踏んでいるのだ。だが、魔の境界付近については、男はよく知っている。そこで待ち伏せをするつもりだ。一人か二人は殺せるだろう。
男には後悔は無い。今まで散々虐げられてきたのだ。村の連中を殺す事ができれば、自分は殺されてもよい。どうせ自分には先など無い。だが、ただでは殺されない。まだ殺し足り無い。奴らを待ち伏せして殺してやる。男は低く笑った。
東太は、村の最も下にいる者だ。村でもっとも貧しく、虐げられている。村はずれの痩せて狭い田畑を耕し、辛うじて生きて来た。他の村人からは、雑用や汚れ仕事を強要されている。例えば動物の腐った屍の始末は、東太に押し付けられる。人の屍の始末も押し付けられる事もある。病が流行った時には、後始末をやらせられる。
東太は、村人に尽くすことを強要されていた。お前のような屑はここ以外では生きて行けない、村がお前を生かしてやっているのだ、村へ尽くす事は当然だ。そう、村人達は東太を殴りながら凄んだ。
東太が苦難にあった時に助けてくれる者はいない。嵐で東太の住む掘立て小屋が壊れた時、直す事を手伝う者はいなかった。馬鹿にした顔で眺めた挙句、他の村人の家の壊れた所を直す事を強要した。
生まれた時から、東太はまともに取り扱われた事は無い。東太同様に蔑まれていた父は、東太と母を憂さ晴らしに殴った。母は、東太を殴って憂さ晴らしをした。二人とも東太が十六の時に、流行り病で死んだ。屍は村の外に埋める事を強要された。
東太がこの村で生きても、ろくな先は無い。だが、村から出て生きる術も無い。東太の先には絶望しか無い。
何度目になるか分からない自死を考えた時、村人に復讐する事を決意した。どうせ自分で死ぬのなら、村の奴らを殺して死んだほうがいい。
東太は、鉈を研ぎ始めた。
東太は、夜陰にまぎれて家に火を付けた。大気は乾燥し、強い風が吹いている。火を付けるには丁度いい日だ。懐から藁と火打石を取り出す。
火を付けたのは、東太を虐げてきた男の家だ。その男は、常に村の強い物に付き従い、弱い物を虐げていた。犬として生きて来た男であり、村の最底辺にいる東太を執拗に虐げて喜んでいた。他の村人に殴られて倒れている東太の股間を繰り返し蹴り上げるのが趣味の男だ。
火の付いた藁を木で出来た家の壁に付け、物陰に隠れて鉈を握り締めてじっと待つ。火が燃え広がると、燻りだされて来た男とその妻が現れる。火を消そうとする男を背後から近寄り、首に鉈を振り下ろす。男の首からは鮮血が吹き上がり、東太の体に降りかかる。
再び物陰に隠れ、物音に気付いた男の妻が現れるのを待つ。妻が血で染まった男に気が付き、悲鳴を上げる直前に背後から頭に鉈を振り下ろす。東太は、倒れた男女に繰り返し鉈を振り下ろし、血と肉片を浴びていく。
東太は、男からだけでなくその妻からも虐げられて来た。男の妻は噂好きで、東太の事を繰り返し悪意をこめて噂を流した。その為に東太は、何度も村の男に叩きのめされた。東太は、男と妻に繰り返し鉈を振り下ろし、血と肉を弾けさせる。
二人を血と肉の塊に変えると、東太は次の標的へと向かう。標的の家に着くと、前と同じようにして家に火をつける。その家に住むのは父と息子の親子だ。息子のほうは、東太に汚れ仕事を押し付ける事を繰り返し村人の集まりで言い出した。父親が息子をそそのかしていた事を、東太は知っている。二人は、蛆の湧いた馬の屍を片づける東太を塵を見る目で見ていた。
息子は家から飛び出して来て、火を消し始める。東太は、背後から近づき鉈を首に叩き込む。血を吹き上がらせて、息子は倒れる。東太は、父の方の様子を伺うがこちらに来る様子は無い。
離れた所から喚き声が上がる。血まみれで倒れている男の父が、家の向こう側で逃げながら喚いていた。父の方は状況を不審に思い、息子に火を消しに行かせて様子を見ていたのだろう。東太の名を喚きながら、父は走り去っていく。
東太が殺戮をやっている事がばれた。まだ二人しか殺していない。東太は歯軋りを抑えられない。目の前で悶えながら呻いている男に、繰り返し鉈を振り下ろす。
東太は逃げ出す。まだ三人しか殺しておらず、これだけでは恨みは晴れない。だが、村人達が東太の凶行に気づき、東太を狩り出そうとしている。東太は逃げるしかない。捕まったら、嬲り殺しにされる。
東太は、山のふもとに生い茂る木々の中に逃げ込んだ。
東太は、山の中へと入っていく。子供の頃から繰り返し歩き回った山だが、夜に灯りもなく入るのは危険な事だ。東太は注意しながら進むが、何度も転げそうになる。だが、ゆっくりと進む事はできない。東太を狩る村人のかがり火が後ろから迫る。山の中を進む道は限られる。特に夜の場合はそうだ。村人達は、確実に東太を追い詰めていた。
この先にあるのは魔との境界だ。この山には魔物が住むと昔から伝えられている。山の奥地は山の神の住む場所であり、魔物は山の神の領域を侵す者を喰らうとされている。村人は、東太は境界を越える事はできないと踏み、そこで東太を狩るつもりだ。
だが、東太にとっては待ち伏せできる場所だ。東太は虐げられていた事から、村から離れた忌み山の中に入る事が多い。境界付近についてもよく知っている。そこで待ち伏せして村人を殺そうと考えていた。
境界近辺まで来ると、強い緊張感を東太は感じる。雰囲気が普通ではないのだ。闇の中から刺す様な気配を感じる。何度来ても緊張を抑える事はできない。
東太は、くぼみの中に身を潜める。くぼみの周りは茂みが覆っていて、待ち伏せのために隠れる場所としては都合がよい。くぼみの中で鉈を構え、じっと狩人たちを待ち受ける。来る途中の泉で服ごと体を手早く洗い、血の臭いを落としている。
話し声と共にかがり火が現れる。かがり火は境界の前で散開し、周囲を探し回る。狩人の声と動作は威嚇的であり、東太は恐怖を感じる。東太は恨みが積もってやっと行動したのであり、勇敢な男ではない。全力で恐怖を抑えながら、手が白くなるほど鉈を握り締めながら待ち受ける。
一つのかがり火が、すぐ前を通り過ぎる。東太は、後ろから無言で鉈を振りかざす。茂みに東太が触れる音で男は振り返り、後ろをねめつける。東太の鉈が、男の首に叩き込まれる。男は、血を噴出しながら不明瞭な声と共にその場に倒れた。その男は、東太への暴力の先頭に立っていた男だ。この男に腹を蹴られて、東太は苦痛のあまり人前で糞を漏らした事がある。東太は、倒れた男の顔と首に繰り返し鉈を叩き込んだ。
物音を聞いて、数個のかがり火が迫って来た。東太は、木々の間を走り抜ける。危険な行為だが、闇の中を走るしかない。怒号と罵声が迫る中、茂みや枝に引っかかりながら東太は走り続ける。
東太の左前には境界を示す石碑が見えたが、構わずに走り続ける。東太は殺戮の期待に震える狩人から逃れるために、魔の境界を越える。闇の中からは刺すような視線を感じ、東太の肌を泡立たせる。それでも魔の領域の中へと走り続けた。
かがり火と怒号は、東太を追って来なかった。境界付近でかがり火は留まっている。だが、東太の恐怖はまだ終わっていない。東太は、闇の中の魔の気配に震えていた。
東太は、闇の中をそろそろと動き出す。魔の領域に永くはいられない。現に、魔が自分をじっと見ている事が分かる。狩人たちを迂回しながら、魔の領域から出なくてはいけない。東太は、かがり火の右側へと歩き出した。
遠くから夜鳥の声が聞こえる。だが、この付近からは虫の声すらしない。ただ、張り詰めた雰囲気が支配している。緊張が高まるにつれて、東太の頭に覆いを掛けられた様な感触が広がって来る。俺は狂ってしまうのだろうかと、東太は馬鹿になりつつある頭で思う。
恨みを晴らすんだ!東太は心の中で唱える。俺を狩りに来た奴らを迂回して、村に入って村の連中を殺すんだ。恨みを晴らすんだ!そう唱えなければ、東太は恐れに押しつぶされそうだ。
風を切る音と共に、右手に衝撃が走る。東太の鉈が弾き飛ばされる。東太は叫び声を上げようとしたが、声が出ない。東太は、右側の闇の中を見た。
闇の中に濃い闇が凝縮している。それは、単なる闇ではない。動物のような生々しい存在感がある。七尺、いや八尺の高さはあるものが東太を見下ろしている。高さだけではなく、背後に巨大な体を闇は持っていた。闇の上部に二つの金色の眼がある。
「それ以上進ませるわけにはいかんな」
闇は、低い女の声で東太に話しかける。金の眼は東太を見据え、闇が覆いかぶさる。東太は絶叫と共に意識を失った。
火の爆ぜる音で東太は目を覚ます。東太は横たわりながら辺りを見回す。
そこは洞窟の中であり、大きな穴が広がっている。東太は、洞窟の中に敷かれた布団で寝ていた。入り口のすぐ外で火が焚かれており、その傍らに巨大なものがいた。
「気が付いたようだな」
その魔物は東太に声を掛ける。闇の中で聞いた女の声だ。
それは魔物としか言いようの無いものだ。上半身は人間の女の体だが、下半身は巨大な蜘蛛の体だ。蜘蛛の下半身は、十五尺の長さはあるだろう。人間の女の体の部分は緑色をしており、蜘蛛の部分は黒々としている。魔物は乱れた黒髪をたらし、頭には白い角を二本生やしている。胸の部分を少しばかりの黒布で覆っており、むき出しの体の所々に黒い刺青のような模様がある。人間と蜘蛛の体の境界には、牛の頭蓋骨を付けている。魔物は、金色の目で東太を見つめた。
「お漏らしをするのは勘弁してくれよ。洗うのには苦労したんだからな」
魔物は低く笑う。
東太は布団を跳ね除ける。東太は裸であり、褌すらしていない。
「お前は何者だ?」
東太は震えながら尋ねる。
「まずは自分から名乗るのが礼儀だろ。まあ、よい」
魔物は微笑を浮かべる。
「私は豪花。見ての通り牛鬼だ。この山の守護を勤めている」
ウシオニ…。東太は頭をめぐらす。そんな魔物の話は聞いた事がある。蜘蛛の体を持った鬼であり、凶暴で残虐な魔物だと聞いている。ただ、この山に住んでいるとは思わなかった。この山の魔物は、山の神の手下だとしか分からない。
「そろそろお前も名乗ったらどうだ」
牛鬼は低い声で促す。
「東太だ。ふもとの村で暮らしている」
東太の震えは止まらない。
「そう怖がるな。話にならんだろう。頻繁に境界付近でうろつきながら、いまさら怯えるんじゃない」
豪花と名乗った牛鬼は、呆れたように言う。
「俺をどうするつもりだ」
東太は震えを止めようとしたが、体は痙攣し続ける。
「喰らうのさ」
豪花は楽しげに言いながら、あわてて付け加える。
「勘違いするなよ、血肉を喰らうわけじゃない。だから布団にお漏らしをするなよ。後始末が面倒だ」
豪花はゆっくりと近づいてくる。洞窟の入り口は豪花がふさいでおり、洞窟の中は行き止まりだ。東太は逃げる事が出来ず、豪花に手で押さえ付けられる。豪花の手は黒い毛で覆われ、巨大な白い爪が突き出ている。
豪花は、東太の口に自分の口を押し付ける。口を吸いながら、東太の股間を撫で回す。豪花からは、肉と汗の匂いが強く漂って来る。豪花が口を離すと、二人の間に唾液の橋が出来た。
「ここまでやればいくら鈍くても『喰う』の意味は分かるよな?」
豪花は、笑いながら東太を布団に押し倒した。
東太は、豪花と名乗る牛鬼に囚われている。豪花は体がうずいており、東太と交わりたいそうだ。豪花の言うとおりにすれば殺さないそうだ。
東太の日々は、昼は豪花の仕事の手伝いをさせられ、夜は肉の交わりを強要される。逃げ出そうにも、豪花に見張られている。この山には豪花以外の魔物も居り、彼女達の目も光っている。
この山は忌み山であり、人を入れるわけにはいかない。一度入ったならば、外へ出すわけにはいかないそうだ。
この山は、元々は忌み山ではなかった。魔物の生活を犯さなければ、魔物は人に手出しをしなかった。だが、百五十年前に金が発掘されたために状況が変わった。八人の山師が山に来て、金を掘り出したのだ。
東太は、豪花の話を聞いて一つの事を思い出す。村の脇を流れる川から金の混じった石が見つかった事があるという話しだ。東太は戯言とみなして信じなかったが、豪花の話を聞けば本当だったのかもしれないと思う。
八人の山師は、始めは協力して金を掘り出していた。だが、次第に金の取り分をめぐって争い始めた。その挙句、刀や鉈で互いを切り刻みあった。最後に一人残った山師は、他の山師の体を切り刻み、掘り出した穴の中へ放り込んだ。その時に穴が崩れて、山師は切り刻んだ屍と共に穴の中に閉じ込められた。
魔物達は自業自得だとは思ったが、山師を助ける事にした。殺し合いを止められなかった事で、忸怩たるものもあった。穴から助け出した時には、山師は狂っていた。髪を振り乱しよだれを垂れ流しながら、痙攣するように震えていた。意味の分からぬ事をつぶやき続けたかと思うと、突然喚きながら暴れだした。
魔物の中には人と同じような姿を持っている者もおり、彼女が面倒を見る事にした。その山師は二十年程生きたが、最後まで正気を失ったままだった。
この事から、魔物達は山を封印することに決めた。金を求めた人々が、殺し合いを始める事が明瞭だからだ。それに魔物の生活も犯される。
境界を設けて、そのあたりに魔力をこもらせて人を追い払う。それでも入ってくる者は、力づくで追い払う。あるいは、魔の領域に引き込んで外へは出さない。こうして山は忌み山へと変貌した。
「つまりお前は二度と山からは出られないわけだ」
そう豪花は、東太に言い放った。
東太は、豪花と洞窟の中で互いの口の中を貪り合っている。二人の体は汗で濡れ、下腹部は汗以外の液でも濡れそぼっている。既に繰り返し交じり合っているのだ。辺りには、汗、唾液、精、女蜜などの様々な液に塗れた肉の臭いが充満している。二人以外の者が嗅いだらむせ返るだろう。
「お前はいい臭いがするな」
豪花は、東太の顔を舐め回しながら言う。
「いい臭い?」
東太は、豪花の顔を舐め返しながら聞く。
「血の臭いさ。お前の体には、血の臭いが染み付いている。私は、血の臭いのする男が好きなのさ」
豪花はくつくつと笑う。
「体は洗っている」
東太は、馬鹿馬鹿しいと思いながら答える。
「そのぐらいでは血の臭いは取れないのさ」
豪花は顔を下げ、首に胸に舌を這わせる。笑いながら東太の右腋を舐め回す。
「いいねえ、男のきつい臭いがするよ。濡れるじゃないか」
豪花は顔を離し、東太の下腹部に顔をうずめる。東太の男根は、精と女蜜で濡れ光っている。豪花は、ためらいも無く汚れた男根にむしゃぶりつく。
「すごい臭いと味だよ。狂ってしまいそうだよ」
豪花は、激しい音を立ててしゃぶりたてる。洞窟の中に、濁った音が響き渡る。
豪花は口を離し、豊かな胸の谷間に回復しかけた男根を挟み込む。そのまま胸でしごき上げ、口でしゃぶる。汗と唾液と先走り汁で濡らしながら、胸と口で濁った音を響かせる。
男根がそそり立つと、豪花は口と胸を離して自分の女陰に引き寄せる。女陰は、精と女蜜が交じり合った物で汚れている。ひくひくと蠢く女陰に、濡れ光りながら痙攣をする男根を飲み込んでいく。
東太は、豪花の顔を見上げた。彫りの深い整った顔が、汗で濡れ光っている。やや肉の厚い唇が、唾液をとめどなく垂らして濡れ光っている。淫楽にゆがんだ顔は、蜘蛛の魔物であるにも関わらず東太をたぎらせる。
東太には、豪花以外に女の経験は無い。村で蔑まれていた東太を相手にする女などいない。村では若い男女が一堂に集まり交わり合う事があるが、東太は弾き出されていた。村の男女の中には、わざと東太の前で戯れる者もいた。男は女の胸を揉みながら、あばら家に帰ってせんずりでも扱いてろと東太を嘲り笑った。
東太は、激しく豪花の中へ腰を打ち付ける。豪花は、笑いながら東太の顔を胸に抱きしめる。豪花の胸は、豪花の匂いと東太の臭いが混ざり合い、東太の鼻と頭を犯す。豪花は東太の頭をつかみ、自分の右腋に東太の顔を挟み込む。東太の顔を酸い臭いが覆う。
「さあ、私の臭いを嗅ぐんだよ。味を楽しむんだよ。そして腰を打ち付けるんだよ!」
豪花は、獣じみた哄笑を上げた。
交わりの後、東太と豪花は身を横たえていた。東太は布団に仰向けに横たわり、豪花は横に藁を敷いてうつぶせになっている。豪花は体が大きいため布団には入る事ができない。豪花は東太の左腕の上に頭を乗せ、自分の左腕を東太の体に回している。
東太と豪花の腋からは、激しい動きの後の濃厚な臭いがする。二人の股からは、腋の臭いに劣らない強い臭いが漂ってくる。東太は、豪花の臭いと感触に包まれていた。情交後のけだるさに、東太は身を浸していた。
「お前は、村の連中をもっと殺したいのか?」
豪花は、沈んだ声で尋ねる。
東太は答えない。
「私は、お前の村を探った事がある。お前がどういう扱いを受けていたのか分かっている」
豪花は、沈んだ声で話し続ける。
「だが、それでも殺すな。殺しは癖になる」
東太は、豪花を見ずに天井を見つめ続ける。沈黙の後、やっと口を開く。
「お前は血の臭いがする男が好きだと言った。それなのに殺すなと言う。つじつまが合わないじゃないか」
東太の責める言葉に、豪花は苦笑する。
「そうだな。だが、血の臭いがする男がそそる事も、殺しが割に合わない事も、私にとってはどちらも確かな事だ」
豪花は、東太の股間を撫で回す。
「ここにいれば、仕事は有るし飯も食える。私が面倒を見てやる。出ようなどと考えない事だ」
豪花の愛撫は続く。
「お前は人を殺した事があるのか?」
東太は、豪花に目を据えて尋ねる。
豪花は、目をそらして何も答えない。
「明日も早い。もう寝ろ」
しばらくの沈黙の後、豪花はそう言って目をつぶる。
東太は豪花から天井へと目を移し、闇を見据え続けた。
東太は、夜陰にまぎれて山を降りていた。向かう先は、東太を虐げていた村だ。手には豪花の物である刀を持っている。これで村人を切り殺すのだ。
今日は、山の魔物達の会合があった。それで酒をもらった豪花が、酔いつぶれている。東太は眠れないと言って、ある魔物から眠り薬をもらっていた。それを酒に混ぜて豪花に飲ませた。他の魔物達も会合後の酒宴で酒を飲んでおり、起きて来ないだろう。
今頃村の連中は寝静まっている。俺は魔物に殺されたと思っているから、警戒はしていないだろう。家々に火をつけ、出て来たやつらを切り殺してやる!男も女も皆殺しだ!
東太は低く笑い、殺戮を心に思い浮かべる。鉈で村の糞どもを殺した快楽がよみがえってくる。東太の男根は、凶暴なほど反り返っている。両手で持つ刀の感触が心地よい。
村が見えてきた。苦痛の記憶、湧き上る憎悪、殺戮の興奮で東太の目がくらむ。皆殺しだ、皆殺しにしてやる!
東太は、村へと足を踏み出そうとする。その瞬間、東太の手に衝撃が走る。刀が弾き飛ばされる。
「やはり殺しが癖になっていたんだな」
聴き慣れた低い女の声がした。闇の中から蜘蛛の形をした黒い影が出て来る。
「お前は閉じ込め続けなくてはならない。それがお前のためでもあるんだ。今のお前には分からないだろうがな」
豪花は、東太を押し倒して服を引き剥がす。東太の体を舌で舐め回し、毛で覆われた手で撫で回す。
「体に快楽を叩き込んでやろう。殺しが下らなく思う様になるまで犯し続けてやる。時間はたっぷりと有るんだ。たっぷりとな」
豪花は、東太に覆いかぶさって低く笑った。
東太を山に閉じ込めておいてから、豪花は東太に変わってしばらくの間、村に嫌がらせを続けた。夜な夜な鉈を持って村を歩き回り、家の戸口や壁を叩く。その後で、窓を覆う板を破って鉈を投げ込む。枕元に突き刺さる鉈を見て、村人は小便を漏らした。村人が東太を供養する祠を建てたのを見届けて、豪花は嫌がらせを止めた。
東太は、豪花に山に閉じ込められ続けた。東太は、豪花と数え切れないほど交わり続けた。夏が過ぎ、秋へと変わり、冬に閉ざされ、春を迎える。そしてまた夏が訪れる。年月が過ぎていった。
既にふもとの村には、東太を虐げた者はほとんど残っていない。既に墓の中だ。生き残っている者も老いさらばえ、若い村人達から邪険に扱われている。死を待つばかりの身に成り果てている。
東太は若いままだ。豪花と交わり続けたおかげで、魔物となった。老いるのは遠い先の話だ。
あれから東太は、豪花と暮らし続けている。既に東太は、豪花に逆らう気はない。
長い年月豪花と暮らしているうちに、村人への復讐はどうでも良くなった。いまさら生き残った老いぼれどもを殺しても仕方が無い。せいぜい村の若い衆に虐げられていればよい。
ある時、東太は豪花から村の話を聞いた。それによると、東太は鬼として村の中で伝えられているそうだ。鉈を持って、夜な夜な村人を切り刻む鬼。そう伝えられているそうだ。
東太としては笑うしかない。散々虐げた挙句、復讐されたら鬼呼ばわりするわけか。東太にとっては、笑い話でしかない。
豪花も、くだらねえなと苦く笑っていた。
東太は、茜色の空を見ていた。豪花が狩った猪の肉をばらし、塩に漬け込み終わった。飯の準備も下ごしらえは出来ており、少し休んでいるのだ。夏の暑さが和らぎ、涼しい風が吹いてくる。
後ろから柔らかい感触がした。若い娘が後ろから抱き着いている。艶やかな黒髪から白い角を生やし、緑色の肌をした娘だ。下半身は巨大な蜘蛛の体をしている。人間に近い上半身に、紺地に紫の花の模様が縫いこまれた着物を着ている。異形だが美しい容貌の娘だ。
「父様、何をしているの?」
娘は面白そうに聞く。この娘は、東太と豪花の娘だ。既に婚姻を結べる年なのに、父に対して子供のような態度を取る。
「何もしていないさ、鏡花」
東太は、笑いながら答える。
「変なの」
鏡花という名の娘は、くすくすと笑って東太に身を寄せる。鏡花からは穏やかさを感じさせる匂いがする。豪花の生々しい肉の匂いとは違う。
この子に血の臭いはさせたくないな。東太は、娘の柔らかい感触と匂いを感じながらそう思う。別に、東太は改心したわけではない。ただ、娘から血の臭いがする事を思い浮かべると嫌悪感が起こる。俺からは、血の臭いは取れないだろう。それは仕方が無い事だ。豪花からも血の臭いは取れない。二人ともそういう事をしてしまったのだ。だが、娘にはまだ血の臭いは付いていない。
「さあ、母様の所に戻ろうか」
東太は、鏡花を促して歩き始める。鏡花は、踊る様に楽しげに父についていく。二人の後姿を残照が照らしていた。
14/07/25 22:20更新 / 鬼畜軍曹