読切小説
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ハロウィンの夜に
 男は、汚い部屋で酒を飲んでいた。三段ボックスやちゃぶ台には埃がたまり、床にはスーパーの弁当の容器が放ってある。男は、ペットボトルに入っている安焼酎をコップに注ぎ、瓶入りで売っているレモン果汁を注ぐ。そして水を飲むように飲み干していく。つまみは、スーパーで買った半額セールの鳥のから揚げだ。
 テレビは、ハロウィンの模様を映し出している。商店の華やかな飾りつけや、悪魔や魔女の仮装をした女たちが映し出される。中には、露出度の高い恰好をした女もいる。女たちは楽しそうに笑っていた。
「下らねえ」
 男は、つぶやいてテレビを消した。

 男にとっては、ハロウィンは不快な行事だ。クリスマスや正月も不快だ。貧しい者にとっては、華やかな行事は心身を責めさいなむものだ。男は、子供のころからそのことを思い知らされてきた。
 稼ぎの少ない両親の下で育った男は、クリスマスを祝ったことは無い。小学生の時にクリスマスプレゼントをせがんだら、母親に握りこぶしで殴られた。父親は、泣き出す子供をゴミでも見るような目で見ていた。
 男が仕事帰りに街を歩くと、ハロウィンで盛り上がっていた。男にとっては反吐の出そうな光景だ。さっさとスーパーに入ったが、こちらもハロウィンの売り出しをしている。険しい表情で歩く男を、主婦らしい女は不審そうに見ていた。
 家に帰ると、さっそく飯を食いながら酒を飲みだした。汚いアパート内は、ハロウィンを締め出してくれる。だが、テレビはハロウィンを押し付けてくる。男は、テレビを乱暴に消して締め出す。
 そうして酒を飲み続けた。

 チャイムが鳴った。男は舌打ちをすると立ち上がる。インターホン越しに、何の用だと吐き捨てる。
「トリック・オア・トリート!」
 複数の子供の声が響いてきた。ハロウィンの仮装をした子供が、お菓子をもらいに来たらしい。
 待っていろと言い放つと、スーパーで買った袋詰めのクッキーを手に取った。乱暴に歩き、出入り口のドアを開ける。
 4人の子供がアパートの外にいた。魔女や小悪魔、吸血鬼の格好をした子供、そして黒い犬のような格好をした子供がいた。
 男はため息をつくと、子供たちにクッキーを配った。そして何も言わずに背を向ける。男のスウェットの裾がつかまれた。振り返ると、黒犬の格好をした女の子がつかんでいる。
「何だ?菓子はこれで終わりだ」
 男はそう吐き捨てるが、犬の子は離さない。
「ねえ、いっしょに外に行こうよ。ハロウィンのお祭りだよ」
 男は、鼻を鳴らして引き離そうとした。だが犬の子は、しっかりとしがみついている。振り放すことは出来ない。男はため息をつく。
「だったら、ちょっと待っていろ。着替えてくる」
 そう言って引き離し、男は部屋の中に入った。このまま女の子たちを放っておこうかと思ったが、いつまでも待っていそうな気がする。男は舌打ちをしながら、部屋着のスウェットを脱ぐ。そしてパーカーにチノパンを着て、ブルゾンをはおる。どれも安売りで知られる衣料品販売店で買ったものだ。しかも着古している。
 男がアパートから出ると、女の子たちが待っていた。犬の子は、待ってましたとばかりに男の手を引く。男は、ため息をつきながら歩き出した。

 夜の街は、ハロウィンでにぎわっていた。商店は、カボチャを始めとする様々な飾りつけがされており、ランプが数多く灯っている。子供だけではなく大人たちの中にも仮装している人たちがいる。カボチャの被り物をする人、先のとがった帽子をかぶってローブをひるがえしている人たちが歩いている。
 男は、白けた顔で眺めていた。他人が楽しむのは勝手だが、自分まで楽しむ必要は無い。すぐそばにおいしそうな物があるのに、決して食べることが出来ない子供時代を過ごした者にとっては、他人が楽しむ姿は不快だ。嫌悪を通り越して憎悪さえ感じる。
「おじさん、楽しもうよ」
 犬の子は朗らかに笑った。
 男は、犬の子を見た。黒髪の生えた頭に黒い犬の耳を付けている。肌は黒かそれに近い色だ。毛皮のような服からは手が出ており、紫色の爪が生えている。よく見ると、目は真っ赤だ。
 ずいぶん凝った仮装だなと、男は感心する。可愛らしい顔は表情が良く動き、動作は犬のように活発だ。犬の仮装が似合う少女だ。
 男は、今の自分の立場を考えた。見るからに酔っぱらった不審な男が、少女たちと歩いている。警察官に職務質問されるかもしれない。仕事熱心な警察官の場合は、職場に問い合わせるかもしれない。職場では、話が拡大解釈されて広められるだろう。そして男は職場から叩き出されるかもしれない。
 男は笑った。別にかまわない。どうせクソみたいな人生だ。いつ終わってもかまわない。警察に捕まった方がいいかもしれない。男は笑う。
 すれ違った女は狂人を見る目で男を見たが、男は気にしなかった。そんな男を、犬の子は手を引いて歩く。犬の子の手は暖かい。
 男は、少しだが楽しい気分になっていた。

 通りには広場があり、そこのベンチに少女たちは座った。男もいっしょに座る。少女たちは、家々からもらったお菓子を男に分ける。そしてお菓子を食べ始めた。犬の子はマフィンにかぶりついている。男もチョコレートを口に含む。チョコの中のナッツの歯ごたえが心地良い。
 男は少女たちを見て、そして道歩く人々を見た。ハロウィンの只中にある街を見た。誰かといっしょにお菓子を食べるハロウィンは、男にとっては初めてだ。馬鹿馬鹿しいとは思っているが、悪い気はしない。
 男は、携帯電話で時刻を見た。すでに夜の9時を過ぎている。
「もう、そろそろ家に帰った方がいいぞ」
 男は、少女たちにそう言った。少女たちは朗らかな態度で立ちあがると、元気な声であいさつをして走り去っていった。だが、犬の子は残っている。
「お前も、もう帰れ」
 男はそう言ったが、犬の子は腕をつかんだままだ。
「ねえ、おじさんは魔物娘を知っている?」
 男は首を傾げた。聞いたことが無い。
「私は魔物娘なんだよ。ヘルハウンドという魔物なんだ」
 男はふき出した。ハロウィンだから、そういう設定なのだろう。
「ああ、そうか。お前は魔物か」
「うん、魔物娘は1度決めた相手は逃がさないんだよ。おじさんにいたずらしようとしたけど、お菓子もらっちゃった。でも、あきらめないよ。おじさんはあたしのものだ。あたしのお婿さんになるんだ」
 男は、またふき出した。犬の子は頬を膨らませている。
「ああ、わかった、わかった。だが、まだ早すぎる。10年後に来いよ」
 男はなだめるように言った。犬の子は、ウ〜ンとうなる。そして、仕方がないやとつぶやく。
「うん!10年後に行くよ!言っとくけれど、あたしからは逃げられないからね!」
 わかった、わかったと、男は笑う。
「私の名前はマルティナ。おじさんの名前は?」
 男は名前を名乗る。
 マルティナと名乗った犬の子は、じっと男を見た。そして男の膝に飛び乗る。止める間もなく男の頬を舐める」
「へへっ、マーキングしちゃった。これでおじさんは私のものだ」
 そう言うと、マルティナは膝から飛び降りる。
「じゃあ、約束だよ!絶対に行くからね!」
 そう言うと、犬の子はかけ出した。尻尾を振りながら元気にかけていく。そしてあっという間に人ごみの中に消えた。

 男は、ベンチに座っていた。頬に手を当てると、濡れた感触がある。男は、犬の子が消えた方を見ながら苦笑する。
 男は立ち上がった。広場を後にして雑踏の中を歩き出す。先ほどまでは不快だった店の装飾や仮装している人々は、かれを苛立たせない。むしろ楽しいものに見える。
 男は、ハロウィンを楽しむ人々の中に軽い足取りで消えていった。

18/10/31 23:44更新 / 鬼畜軍曹

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