君の香り
「いつ空いてるの?」
夜中に突然SNSアプリにメッセージが届いた。
他愛もない親しみのこもった内容にも見えるが、僕にとってそれは複雑な感情を生み出すには十分すぎた。
なぜなら、そのメッセージの送り主が3年前に別れた元カノのものであったからだ。
別れた原因は今となってはあやふやになってしまったけれど、昔はよく二人で海に行っては良く写真を撮ったりしていた。
あの頃は、僕達は何でもできる気がして浮かれていたのかもしれない。
充実していた日々の反動からか、今の僕は何に対しても無気力で新しく出来た彼女に対しても元カノの姿を重ねてしまい傷つけて泣かせてしまうこともあって、うまく続かないこともあった。
別に今更元カノとヨリを戻したいとは思はないが、彼女のことを考えると彼女のつけていた香水の香りを思い出す。
もしこのまま彼女に会ったとしても、僕は何を話せばよいのだろうか。
きっと「可愛くなったね」なんて口先だけの言葉しか言えないだろう。
タバコなんか咥えてたりしたら勝手にがっかりするのだろうか。
彼女が変わっただけなのに。
今の僕を見たら彼女は何を思うのだろうか。
空っぽになってしまった僕を、人に軽蔑されても涙が出ない僕を見て何を思うのだろうか。
何もなくても楽しかった頃に戻りたいとは思はないけれど、君に会ったらまた一緒になりたいを思うだろう。
それだけ君が素敵な人だから。
でもまた同じことの繰り返しだって僕が振られるのだろう。
それでも僕は会わなかったことに後悔したくなくて
「週末なら」
と変にカッコつけて返信をした。
その後簡単に日程を決めて当日、待ち合わせ場所に予定よりも早く来てしまった僕の心は落ち着かなかった。
「ごめん、待った?」
背後から声を掛けられ、ウブな少年のように鼓動が激しくなる。
「お、俺が早く来すぎただけだから。」
振り向きざまに早口に答える。
同時に久しぶりの彼女の姿を視界に捉える。
「あっ...」
予想以上だった。
最後に会った時以上にきれいな美人さんに僕はたじろいてしまう。
「久しぶり、今日は予定合わせてくれてありがとう。」
「べ、別に...」
目を合わせての会話が厳しい。
昔デートした頃よりも気合の入った装いは何か決意じみたものを感じてしまい、もしかしたらと淡い期待を抱く。
「それじゃ、行こっか。」
そんな僕の気持ちをつゆ知らず、彼女に手を引かれ町に繰り出した。
結論から言えば夢のような時間だった。
ただ、所々で彼女に対して違和感のようなものを感じた。
月日が経ったことで変わっただけではない「何か」の正体を掴めずにいた。
目的もなく夜の街をただ二人でぶらぶらと散歩する。
「今日はたのしかったね。」
「そうだね...」
相変わらず彼女の容姿には慣れないが自然な受け答えこそはできるようになっていた。
「あのさ、少し話さない?」
彼女の提案に近くのベンチに腰を下ろす。
「さっきからずっと上の空だね、大丈夫?」
「あ、うん。」
どうやら彼女には筒抜けだったらしい。
彼女は僕の顔色を伺いながら、隣から覗き込むと長い髪が揺れ自然な香りが鼻孔をくすぐる。
自然な香り...?
柔軟剤や香水ではなく女性本来の甘い匂い。
「...昔と変わらない、いい香りだね。」
「ありがとう。別に香りにこだわっているわけではないけれど、あなたにそう言ってもらえると嬉しい。」
当たりだ。
彼女を騙すような罪悪感はあったが、鎌をかけて正解だった。
僕の知っている彼女は香水に対して強いこだわりを持っている。
じゃあ、目の前にいる彼女は...?
「あなたは...誰ですか?」
「!?」
「彼女は外出するときは必ず香水をつけていた。でもあなたは違う。」
「...ごめんなさい。」
彼女がそう呟くと彼女の周りに黒い靄が掛かる。
薄暗い街灯が照らす中、だんだんと靄が晴れる。
「ドッペルゲンガーだったのか...」
「騙すつもりはなかったんです。」
ベンチに腰掛けていた彼女の代わりにいたのは肩身を狭めた可愛らしいドッペルゲンガーの女の子だった。
「どうして俺を?」
できるだけ優しく、できるだけ怖がらせないように目線を合わせて語り掛ける。
「街中で見かけたとき、あなたがあまりにも寂しそうだったから...」
「...そうか...ありがとう。」
「えっ!」
「俺のためにしてくれたことだろう。感謝しかないよ。」
「でも私、本当の彼女さんみたいに美人じゃないし...」
先ほどまでとは打って変わり僕が会話をリードする。
彼女と過ごした時間は短いかもしれないけど、かつての心の温かさを取り戻せたような気がする。
「君のおかげで前を向けるようになれたよ。何かお礼をさせてくれないかな?」
「そんな!お礼だなんて!」
「気にしないで、これが俺なりのけじめのつけ方なんだ。」
「そ、そうなんですか...」
最初は遠慮こそはしていたけれど僕の説得で彼女も納得してくれたらしい。
「そ、それじゃあ、私と付き合ってください。これからのあなたの支えになりたいんです。」
あまりにも魅力的な要求に全身が歓喜に震える。
「もちろん。こちらこそよろしくね。」
二つ返事で答えると、うつむいていた彼女が顔を上げ笑顔を浮かべた。
その笑顔につられるように僕も自然と口角が上がるのを感じる。
「本当ですか?嬉しいです!」
「あぁ、本当だとも。」
こんな幸せな気持ちになれたのはいつ以来だろうか。
こうしてめでたく結ばれた僕たちは、互いの胸の内をさらけ出し清々しい気持ちで家路へと着くのであった。
夜空の星々も二人の門出を祝うかのように満点に輝いていた。
20/09/26 16:47更新 / 甘党大工さん