読切小説
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鶏皮
「ううー! さむさむ!」
 日もとっぷり暮れ、寒風と夜闇が上着越しにも身を苛む頃。階段を駆け上った彼女が玄関の鍵を開け、身を震わせながら中へと滑り込んでいく。魔物娘は人間に比べて頑丈なはずだが、とりわけ寒暖差に弱い種も存在はしているらしい。……彼女の場合は単に寒がりなだけなのだろうが。
 とはいえ最近は普段以上に冷え込んできたのも事実だ。彼女に続いて外の冷気から逃げるように屋内へ体を運ぶ。玄関口をくぐると眼下には彼女が脱ぎ散らかしたであろう履物が転がっている。彼女は既に一続きになった廊下とキッチンを通り抜け、リビングへ向かったらしい。
「ちゃんと手ぇ洗っとけよー?」
 両手のレジ袋をその場に下ろし、脱いだ履物を整えながら彼女に呼びかける。
「判ってるよー!」と向こうから威勢のいい言葉が返ってきた。
 本当に判っているのかいないのか。そう広くない部屋なのだから、体調を崩されても困るのだが。年の瀬も近いのだから猶更だ。
 置いた袋を冷蔵庫の前まで運び、戸を開けて袋の中のものを一つずつしまい込んでいく。買い出し前で空に近かった冷蔵庫だ、物の置き場所に困ることはない。困るほど買う余裕もないが。
 粗方入れ終えてリビングに向かうと、猫のようにファンヒーターの前でうずくまっている彼女がいた。触手も心なしか元気がないように見える。
「お前の寒がりも筋金入りだな……」
 溜息を吐きながら、無造作に放り出された彼女のコートをハンガーにかける。
「しょうがないだろ。寒いものは寒いんだっ」
 未だ震えながら彼女が唇を尖らせ、真っ赤な単眼でこちらを睨んだ。ゲイザーという種族は普通日の当たらない所を好むのだろうに、彼女に関しては真逆の性質をもつらしい。難儀なものだ。
「こたつのスイッチは?」
「入れた。けどまだあったまってない」
「タイマー入れ忘れたもんなぁ」
「オマエが急かすから……」
「お前がのんびりしすぎてるんだよ。ほれ、準備手伝ってくれ。飲むんだろ?」
「しょうがないなぁ……」
 促すと、彼女は渋々重い腰を上げた。夕食の準備とは言っても、今日はそう凝ったものではない。むしろいつも以上に簡素なものである。
 向かい合い、二人揃って食卓につくのには十分もかからないほどだった。彼女の希望とあって買ったものだったが、準備が手早く済む分にはありがたいのは確かだ。確かだが。
「……にしても、こんな日にこんなものを食べるとはな」
「いーじゃん、チキンだろ? 酒にも合うし」
 食卓に並ぶのは二人分のグラスと缶チューハイ(度数9%)。中央に据えられた大皿には湯気の立つ無数の焼き鳥。断じて七面鳥などではない。今しがた最寄りのスーパーマーケットで買ってきた出来合いの鶏の串焼きである。
 決して自分がミーハーだとは思わないが、それを差し引いても今日という日に年若い男女二人が囲む食卓とは到底思えない。
「まぁいいけどさ」
「そうだろ? こたつに入りながらチキンを食べて酒を飲む。いいじゃないか」
 何もそこまでせんでも、と口を突いて出そうになる。彼女がそういう奴だというのは前々から判っていたことだが。
 とはいえ、これは彼女が家の財布をある程度は慮ってのことだとも察せる。彼女もねだろうと思えばシャンパンだの骨の付いた鳥だのをねだれただろうに、我が家がそれほど裕福とは言えないのを承知しているからこそ提案したのだろう。
 甲斐性のない自分が情けなくなってもくるが、ここは素直に彼女の気遣いに甘えておくべきなのだろう。
「えー、それではご唱和ください……」
 缶の栓を開け、互いのグラスを満たす。彼女がこほん、と少し大袈裟な咳払いをした。
「メリークリスマス!」
 ならばと彼女に合わせ、大袈裟なほど高らかに告げて互いの杯を合わせた。かちん、と小気味良い音が鳴ると、二人の飲兵衛は一息にしてグラスを空にする。酒を飲み干し喉を鳴らす度、日中の疲れが酒の中へ消えていくようだった。
「ぷはあーっ! 最高っ!」
 彼女も同じ気分らしい。親父くさいぞ、と咎める間もなく彼女は大皿へ手を伸ばして焼き鳥を頬張り始めた。仕方ないので再び彼女のグラスを満たしてやる。
 ……皮ばっかり取りやがって。しかし、よくよく見ると取られているのはタレのものばかりで、塩のは残してある。そう焦る必要もないだろうと、自分も適当に手を伸ばして舌鼓を打つことにした。
「もぐもぐ……美味いなぁ……」
 さっきとは打って変わって彼女はしみじみと噛み締めるように呟いている。確かに、何の変哲もない安価な焼き鳥だが、不思議なほどに美味と感じる。
 結局、食べるものも気の持ち様なのだろう。誰と、どういう気分で食べるか。そんなことで、これは七面鳥よりもよほど価値のある鳥になるのだ。
 ……正直なところ、肴は幸せな顔をしながら杯と串とを行ったり来たりする彼女だけでも充分なのだが。
「なんだよ、ニヤニヤして」
「えっ? ああいや、焼き鳥美味いなぁって」
「……ふーん」
 顔に出ていたらしい。酒が入ると顔が緩みやすくなって困る。
「別にいーんだぞ? 素直に言ったってー」
 彼女ももう酔いが回ってきたのか、言葉の端々が間延びしてきている。
「……何をだよ」
「かわいいカノジョの顔にみとれてました、ってさー」
「はっ、どの面下げて……」
「顔赤くなってるぞー?」
「酒のせいだっての!」
「へっへっへー」
「笑うな!」
 取るに足らないことの言い合いをしながら酒と肴を流し込んでいく。この時間の何と幸せなことだろう。こんなことが一日の終わりに待ってくれているからこそ、明日の憂鬱さに挫けず立ち向かっていけるのだ。
 チューハイの缶を二つか三つ空ける頃にもなると普段は睡魔に襲われて、そのまま就寝の準備に入るのだが。今日は彼女も羽目を外しすぎたか、いつもよりも酔いが早く回ったらしい。三本目の缶が半分減ったかという頃には、既にかなりおぼろげな瞳をしていた。
 彼女がグラスを持ち、おもむろに立ち上がる。
「そっちに行くぞ」
 こちらの答えを聞くこともなく、覚束ない足取りでこちらへ歩み寄ってくると、自分のすぐ隣へ腰を下ろした。四人がけのそう大きくないこたつだ、一方向から二人が入ろうとすると窮屈で、自然と密着して座る格好になる。
 服越しに彼女の柔らかさが、温かさが伝わる。拍動が不意に加速する。
「ちゃんとペースを考えて飲めっていつも言ってるだろ」
 気取られないよう、気怠げに。
「いーんだよ、飲みすぎちゃってもオマエが介抱してくれるし」
「介抱する側のことはお構いなしかい」
「それに」
「それに?」
「……こうして飲む方が、好きだし」
 次の言葉を失っていると、彼女は続ける。
「なぁオマエ、さっき私のこと『どの面下げて』って、言ったよな?」
「……あぁ」
「じゃあ、なーんでオマエは“この面”にこんなドキドキしてるんだ? あぁ?」
 胸元を指でぐりぐり押しながら、彼女が覗き込んでくる。赤く、大きな単眼は酔って揺れていようとも、ぶれることなくこちらの瞳を捉えてくる。酒で上気した頬が、微かに荒くなった息が、それをより蠱惑に見せる。
「いや、それは……参った、参ったよ。これ以上は勘弁してくれ」
「よろしい」
 たまらず音を上げて目を逸らすと、彼女は得意げに鼻を鳴らして視線をグラスに戻した。
 どうにもこうにも、気付くと主導権を握られている気がしてならない。何かと世話を焼くのはこちらの方なのだが、どうしてか彼女の頼みや願いはつい多少無理をしてでも叶えたくなってしまう。それもこれも惚れた弱みというやつなのだろうか。
 ふと、傍らでちびちび酒を飲んでいる彼女が急に愛おしくなってきて、横から抱きついてみた。
「なんだよ、飲みにくいぞ?」
「我慢してくれ」
「しょうがないなぁ……」
 抱き寄せた体は酒のせいか程よく火照って湯たんぽのようだった。彼女も表面上は邪険にしているようでいて、拒絶する意思はないようだ。
 彼女の言葉に甘えて、彼女の少しくせのある長髪を撫でると、家で使っている石鹸と同じ香りがした。首元に顔を近づけると、少し汗の混じった甘い香りに変わる。
「あんまり嗅ぐなよ……結構歩き回ったし」
「良い香りなんだけどなぁ」
「私がダメなんだ」
「はいはい」
 彼女の匂いもそこそこに前へ向き直ると、今度は彼女の方が自分へ抱きついてくる。
「お返しだ」
 体は両腕でしっかりと抱きしめられ、今しがた堪能したばかりの温もりが返ってきた。丁度わき腹の辺りに顔をうずめてぐりぐりしている。自分の匂いでもマーキングしているのかと思えば、今度はそのまま深呼吸して自分の臭いを嗅ぎだした。
「すぅー……はぁー……あー、癒される」
「お前も嗅ぐなよ」
「私はいいんだよ」
 何がいいのか判らないが、無理に引き剥がしたところで彼女が不機嫌になるだけなので、結局されるがままになるしかなかった。
 ひとしきり堪能し終えたのか、彼女がぽつりと話し出す。
「オマエさ……」
「ん?」
「今日は……これで終わりじゃないよな?」
 その言葉に、どっ、と心臓を掌で押されるような感覚がした。
 実際のところそんな日ではないのだが、世俗の、とりわけ魔物娘にとって今日の本命が何であるかは自分もはぐらかすわけにはいかないだろう。
 自分も全く想定していなかったわけではない。至って予想の範囲内である。けれどもいざそうとなると途端にどぎまぎしてしまうのはどうしてだろう。そんなことなどもう数えきれないほどしているのに。
「まぁ、な。それじゃ、準備するから……」
「やだ。今すぐがいい」
「そんな」
 そんな子供みたいなこと言うなよ、と言おうとしたが叶わなかった。言い終えるよりも前に、彼女が唇で自分の口を塞いできたのだ。その口づけは断じて子供のようではなく、一対の男女が行うそれであった。
 彼女に押し倒されながら思い出していた。彼女が最初から舌を入れてくる時は決まって相当に焦れていて、特にこちらの歯を念入りに撫でてくるのだ。
「ぷぁ、はぁ、はぁ……いいよな?」
 唇を放し、彼女は獲物を見下ろす。酸欠気味になった脳には彼女の声がよく響く。歪んだ視界には彼女の瞳の赤だけが妖しく揺らめいていた。

 結局、塩味の鶏皮は翌日の昼に温め直して食べた。
19/12/25 16:16更新 / 香橋

■作者メッセージ
お読みいただきありがとうございました。

談話室の方に落とそうかとも思っていたのですが思っていたより進んでしまったのでこちらに。

焼き鳥がねぎまが好きです。

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