SKINSHIP
「あったかいね」
臙脂色の、柔らかなカーペットの上。窓からは、昼下がりの陽光が強すぎず弱すぎず照りつけている。ぼんやりと寝転がっていると、隣から微睡んだ声が聞こえる。魔物に床暖房というものはあまり馴染みの無いものなのだろう。彼女の説明はどうも要領を得なかったが、彼女たちの世界は僕たちの世界とは違ったものらしい。少なくとも、僕たちの世界よりは遅れている。
「……気持ちいい?」
「すっごく気持ちいいよ」
聞き返すと、弛緩した声が返ってきた。そう言うのも無理は無い。床暖房と陽光に挟まれて寝転がれば、誰だってそうなる。カーペットが干したばかりで、それも自分が慕っている者と手を繋いでいるなら尚更だ。
このまま、隣の彼女の手から伝わる体温を感じながら昼寝に興じるのも、それはそれで良い。俗に言うお日様の匂いと、彼女の匂いが混ざっているのなんて最高だ。ひどい幸福感を味わえるのはきっと確かだ。
けれど、僕は今一つそういう気分ではない。僕の気紛れに彼女を巻き込むのも何だか気が引けるが、ここで惰眠を選ぶのは愚行だと僕は判断してしまっている。巻き込むとは考えたものの、彼女は僕が求めれば先ず拒むことは無いだろう。いや、きっと僕が想定していた段階さえ飛ばそうとしてくるかもしれない。
なら、別に躊躇う必要なんて無い。どうなったっていい。どうせその先に待ってるのは底の見えない幸福でしかないのだから。
「……ねえ」
「なぁに?」
起き上がると、身を横たえる彼女の碧い目と合った。あと数分もこうしていれば眠ってしまいそうな、そんな目だった。
「ちょっと、起きてくれる?」
「どうしたの?」
不思議そうな顔で聞き返しながら、眠そうな目で彼女も身体を起こした。
「あの、さ」
「うん」
いざ、やろうと思って口に出そうとすると、これが中々どうして、結構気恥ずかしい。その行為自体は別段恥ずかしいものではないのだろうけれど、僕がその行為に大して過剰に意識してしまっているらしい。もうそんなに意識し合う様な間柄でもないのに、僕はどうにも目を伏せてしまう。
「……その……」
頭を掻いたり、目を泳がせたり、挙動不審。煮え切らない僕の態度を見ても、彼女は焦れる事もせず、僕の目を見ようとしている。しっかり躾けられた犬みたいだ。
「さわって、いい?」
閑古鳥が鳴いて少し後、つっかえがちな僕の声が部屋に透き通った。
「うん、いいよ」
散々右往左往した僕を嘲るかの様に、彼女は間も置かずに答えてくれた。声は弾んでさえ聞こえる。やっぱり、と僕は思った。
「背中、向いてくれる?」
「うん」
何の疑いも無く、彼女は僕の言う通りにしてくれる。振り向く直前に見えた彼女の顔は、僕でも何を考えているかは分かる。凄く、期待している顔だった。どこを、どんな風に触ってくれるのか。そういう、僅か程も曇りの無い顔だった。彼女を裏切るつもりは無い。彼女を我が儘にする傍ら、彼女の期待も満たそうと考えていた。
ちょこんと人形みたいに座っている彼女の背中。目線を上から下へ落としていけば、一対の角に尖った耳。金の髪。狭い肩。赤い羽。ハートの尻尾。選り取り見取り。
赤ワインで染めた様な一対の羽。外側から内側に、指を滑らせてみる。上部に付いている尖った部分を触ってみるが、痛みは無い。薄い羽を指で摘まむ。薄くて柔らかくて、力を込めれば、きっと簡単に引き裂けてしまう。脆くて、尊い。付け根。丸い縁に沿って指を滑らす。
「ふふ……」
彼女はここがあまり得意ではない。くすぐったそうに声を漏らしている。
髪も触ろう。空いた手で、彼女の金糸の様な髪を梳く。さらさら。指に全く引っかからない。感触は心地良くさえある。人形のそれと大して変わらない。髪の端を、指でくるくると弄んでも、全然癖は無い。その上、遊んだ髪がもっともっととせがむ様に甘い香りを醸し出す。悩ましい。
羽と同じ色をした尻尾は、彼女が身を捩らせるのと同期して、時折くねくねと動いている。羽に回していた手で、その動きを止めさせるように、ぴと、と人差し指を押しつけた。
「あ……」
彼女が小さく呻いて、尻尾の動きは硬直した。完全に固まってしまったわけではなく、僕の指の動きには素直に従う。スラロームしたり、ループを描いたり。
「はぅぅ……」
手で優しく扱いてみると、色の篭もった息が彼女の口から漏れた。少し先走り過ぎたかもしれない。扱くのはそこそこにして、髪を弄っていた手を、もう少し奥に入れ込む。すぐ傍に、温かくて柔らかい感触がある。肌。それは耳だ。
人間とは違う、尖った耳。けれどもその感触は、人間のそれと何ら変わらない。ぷにぷに、こりこりしていて、多分ずっと触っていられる。
「はぁぁぅ……」
それでいて、触られている方もそこまで不快にはならない。こんなに、さっき寝転がっていた時よりも緩んだ息を吐いている。縁に沿って撫でているだけでも、一々楽しい。
僕の指でゆるゆる躍る耳が、段々と甘酸っぱい果実の様に見えてくる。味わいたい。唇で挟んで吸えば、きっとどんな果物よりも美味しいだろう。でも、それはまだ先。しかし、何もしないというのも味気無い。
呼吸ですらも耳にかかるところまで口を近づける。食べたいのをぐっと堪えて、その欲を逃がすかの様に、静かに、ゆっくりと、息を吐き出していく。
「んっ、あ、はぁぁ……」
手で触れた彼女の背中からぞくぞくとした震えが伝わってくる。こんな些細な刺激でも震える彼女が可愛らしくて堪らない。
「……ねえ」
「っ……なに?」
耳元で囁くと、彼女が微かに跳ねる。
「背中に文字を書くからさ、何を書いたか当ててみてよ」
「わかった」
いつも程意気込んだ顔はしていない。多分、上気している所為だ。書く文字を当ててもらわないと困るのだが、最初にやっておくべきだっただろうか。少し不安に思いながらも、彼女の背中に人差し指を走らせる。
「……書いたのは四文字だよ。分かる?」
「す・き・だ・よ……でしょ?」
少しはにかんだ調子ながらも、彼女は見事に正解した。
「あ、うん……当たり」
「えへ」
こちらへ向いた彼女の顔は、的を射た時の様に得意気だった。頬の緩んだその表情を見て、思わず目を背けてしまった。やってみて分かったことがあるが、答えを口に出されると、思いの外恥ずかしい。頼む時よりも恥ずかしい。自滅してしまった気がする。
「キミは、どうなの?」
「わたしも、すき」
「良かった」
何とか気を取り直したが、ひどく甘ったるい雰囲気が流れている。そんなのは初めからだった様な気もするが、僕はそれに中てられてしまっているのを、この時初めて自覚した。だが、往々にして当事者は羞恥に苛まれるものらしい。
「もう一回、やっていい?」
「うん」
「今度は返事を言ってね」
またひどい目に遭ったりしないよう、今度は事前に予防線を張っておく。彼女の小さな背中。金糸の髪がかかって、肩甲骨や背骨の感触まで愛らしい。指を滑らす感覚も、服越しなのに癖になりそうだった。
「今度は八文字だけど……どう?」
「うん……いいよ」
それは、彼女がしっかりと読み取って、なおかつ許可してくれなければ出来ない。後者に関しては正直なところ、心配しなくてもよかったのだが、そうと解っていても緊張するものはする。そんな懸念も払拭されて、僕はやりたかった様にした。
後ろから、包み込む様にして抱きしめる。前に回した僕の腕に、彼女がそっと手を添えてきた。服越しに、背中の、彼女の体温が伝わってくる。それならばきっと、今は彼女も、僕の心臓の鼓動を感じているには違いない。それだけで、混ざり合って一体になったかの様な錯覚を覚える。これは僕の歪んだ感覚ではあるけども、こうしていると、彼女を独占している様な感じが強くなって、胸がいっぱいになって満たされる。
「前も、いい?」
「うん……もっと、さわって?」
彼女にも、火が灯ってきたらしい。僕はずっとこのままでも良いが、他方、もっと彼女に触れたいというのもある。今は後者を選んだ。離れる彼女の熱が名残惜しい。
彼女と正面から向き合う。何だか、どうしても伏し目がちになる。顔が見えているかどうかは、やっぱり重要らしい。恥ずかしくとも、自分の欲には従う。目線を下から上へ動かせば、白く長いタイツ。可憐なエプロンドレス。それに、吸い込まれてしまいそうな碧い瞳。
丈夫な厚手のタイツは、よく走り回る彼女を怪我から守る。それに包まれている脚は引き締まっているかと思えば、子供は子供。滑らかで柔かい肌がある。タイツ越しに、彼女のふくらはぎに触れる。
「ふっ、うぁ……」
指で押すと押しただけへこんで、離せば戻る弾力。手の平全体を使って揉み込めば、むにむにとした感触が伝わってくる。いつも元気に走り回っている彼女。子供は疲れ知らずだけど、だからといって、こういう事を怠けて良いというわけでもないと僕は思う。だから彼女を癒す様に、僕は指をぐにぐにする。内側、外側、下から上へ、ゆっくり、ぐーっと指で押しながら滑らせる。時折、手が言う事を聞かなくて、肌色がちらつく太腿にまで届いてしまう事があった。そこまで行くのはまだ早すぎる。何より、僕が耐えきれなくなる。その前に切り上げて、別な場所に移った。
青を基調としたエプロンドレスの手触りは、衣服に関して素人である僕でも、品質の高いものだと理解できる。フリルとリボンで彩られた、いかにも女の子らしい服飾。手はそのお腹に伸びた。するりと内側に手を入れれば、幼子の感触。無駄ではないが、弾力のある柔肌。それがまた絶妙で、からかい半分に摘まもうとしても、それは叶わない。
「は、はずかしいよぅ……」
声は弱々しく、尻すぼみになっている。これだけのものでも、女の子としてはやっぱり気にしてしまうところらしい。多少の無駄があっても、僕としては一向に構わないのだが。それでこのまま赤面する彼女を眺めているのもいいが、僕は相応の良心で手を上方に滑らせた。まだ発展途上ですらないそこ……は、後にとっておいて、僕の手は彼女の肌に直接触れた。下手な胸やお尻より余程柔らかい、彼女の頬。マシュマロみたいにすべすべでハリがあって、吸いつきたくなるくらい。冷えた僕の指先とは違って、そこはどこまでも温かい。つねるだなんてそんな真似、何を間違えてもできはしない。
「んぅ……」
時折、顎の下を指で撫でてやると、甘えた声で喉を鳴らしてくる。うっとりしたその表情も仕草も、まるで飼い主にぞっこんな猫だ。
「……猫みたい」
「にゃあん……」
僕が微笑のままにそう言うと、彼女はそれを意識して猫になりきった。
「本当にならなくてもいいってば」
思わず目尻が下がった。今度、そういうものでも買ってこようか。
「ね、もっと……甘えても、いい?」
そういう風に油断していると、僕はよく彼女に足を掬われる。僕が頼んで始めたことだったのに、いつの間にか彼女の方が頼む側になっていた。
きっと、段々と堪えきれなくなってきているのだろう。理性を焼く声で、彼女は腕を広げている。そんなの、どんな答えが返ってくるか分かっているくせに。反発する気も起きない。
「いいよ……おいで」
おいで、なんて、どの口が言っているのだろう。態々許可なんて下ろして、本当は僕の方がこうしたくてこうしたくて堪らないのに。
僕は彼女と同じ様に足を伸ばして座り、彼女を招く。彼女が身体を僕に預けてきた。細い腕が首に、脚が腰に回される。力を込められたので、僕も腕を彼女の背中に回して、同じ様にする。この上の無い抱擁だった。
「キミ、ぎゅーってするの、好きだよね」
「こうすると、とっても近いもん」
それはそうだ。僕達の距離はこれ以上無いくらいに近づいている。こうやってお互いに抱きしめてしまえば、寂しくもない。
彼女はまだ、本当は僕こそ、こうしているのが一番好きだということを知らない。この瞬間に感じる彼女の肌とか、匂いとか、鼓動とか、重みとか、そういうぬくもりに、僕が病みつきになっていることを知らない。何よりも彼女は、こういうことなら、忘れないでいてくれる。
お互いが、お互いの存在を確かめるかの様に、繰り返し、繰り返し愛撫する。
「いつも元気で、明るくて、少し怖がりだけど、とても可愛くて」
「まじめで、がんばりやさんで、ちょっといじわるだけど、とてもやさしくて」
背中を撫でたり、頬にキスしたり、そんなことを言ってみたり。僕がそうすれば、彼女もそのお返しにと、僕を精一杯に愛でてくれる。やがて、僕たちは何を言うでもなく、抱き合うだけになった。
ずっと、もっと、ぎゅっと。
そうやってどれくらいの時間が経ったのだろう。どうせなら永遠でもよかったのだけれど、気付くと僕たちは元の様に並んで寝転がっていた。僕の手に絡まっている指は、彼女のものだ。白く、柔らかな光を湛える、真珠の様な手指。
今は、彼女は眠っている。健やかであどけない寝顔。乱れの無い穏やかな寝息。混じりけも、穢れも無い。無垢で、純粋。それが失われることはこの先も無いのだろう。
僕は眠る彼女の唇を奪った。それを最後に、不思議な微睡みへ沈んでいった。
臙脂色の、柔らかなカーペットの上。窓からは、昼下がりの陽光が強すぎず弱すぎず照りつけている。ぼんやりと寝転がっていると、隣から微睡んだ声が聞こえる。魔物に床暖房というものはあまり馴染みの無いものなのだろう。彼女の説明はどうも要領を得なかったが、彼女たちの世界は僕たちの世界とは違ったものらしい。少なくとも、僕たちの世界よりは遅れている。
「……気持ちいい?」
「すっごく気持ちいいよ」
聞き返すと、弛緩した声が返ってきた。そう言うのも無理は無い。床暖房と陽光に挟まれて寝転がれば、誰だってそうなる。カーペットが干したばかりで、それも自分が慕っている者と手を繋いでいるなら尚更だ。
このまま、隣の彼女の手から伝わる体温を感じながら昼寝に興じるのも、それはそれで良い。俗に言うお日様の匂いと、彼女の匂いが混ざっているのなんて最高だ。ひどい幸福感を味わえるのはきっと確かだ。
けれど、僕は今一つそういう気分ではない。僕の気紛れに彼女を巻き込むのも何だか気が引けるが、ここで惰眠を選ぶのは愚行だと僕は判断してしまっている。巻き込むとは考えたものの、彼女は僕が求めれば先ず拒むことは無いだろう。いや、きっと僕が想定していた段階さえ飛ばそうとしてくるかもしれない。
なら、別に躊躇う必要なんて無い。どうなったっていい。どうせその先に待ってるのは底の見えない幸福でしかないのだから。
「……ねえ」
「なぁに?」
起き上がると、身を横たえる彼女の碧い目と合った。あと数分もこうしていれば眠ってしまいそうな、そんな目だった。
「ちょっと、起きてくれる?」
「どうしたの?」
不思議そうな顔で聞き返しながら、眠そうな目で彼女も身体を起こした。
「あの、さ」
「うん」
いざ、やろうと思って口に出そうとすると、これが中々どうして、結構気恥ずかしい。その行為自体は別段恥ずかしいものではないのだろうけれど、僕がその行為に大して過剰に意識してしまっているらしい。もうそんなに意識し合う様な間柄でもないのに、僕はどうにも目を伏せてしまう。
「……その……」
頭を掻いたり、目を泳がせたり、挙動不審。煮え切らない僕の態度を見ても、彼女は焦れる事もせず、僕の目を見ようとしている。しっかり躾けられた犬みたいだ。
「さわって、いい?」
閑古鳥が鳴いて少し後、つっかえがちな僕の声が部屋に透き通った。
「うん、いいよ」
散々右往左往した僕を嘲るかの様に、彼女は間も置かずに答えてくれた。声は弾んでさえ聞こえる。やっぱり、と僕は思った。
「背中、向いてくれる?」
「うん」
何の疑いも無く、彼女は僕の言う通りにしてくれる。振り向く直前に見えた彼女の顔は、僕でも何を考えているかは分かる。凄く、期待している顔だった。どこを、どんな風に触ってくれるのか。そういう、僅か程も曇りの無い顔だった。彼女を裏切るつもりは無い。彼女を我が儘にする傍ら、彼女の期待も満たそうと考えていた。
ちょこんと人形みたいに座っている彼女の背中。目線を上から下へ落としていけば、一対の角に尖った耳。金の髪。狭い肩。赤い羽。ハートの尻尾。選り取り見取り。
赤ワインで染めた様な一対の羽。外側から内側に、指を滑らせてみる。上部に付いている尖った部分を触ってみるが、痛みは無い。薄い羽を指で摘まむ。薄くて柔らかくて、力を込めれば、きっと簡単に引き裂けてしまう。脆くて、尊い。付け根。丸い縁に沿って指を滑らす。
「ふふ……」
彼女はここがあまり得意ではない。くすぐったそうに声を漏らしている。
髪も触ろう。空いた手で、彼女の金糸の様な髪を梳く。さらさら。指に全く引っかからない。感触は心地良くさえある。人形のそれと大して変わらない。髪の端を、指でくるくると弄んでも、全然癖は無い。その上、遊んだ髪がもっともっととせがむ様に甘い香りを醸し出す。悩ましい。
羽と同じ色をした尻尾は、彼女が身を捩らせるのと同期して、時折くねくねと動いている。羽に回していた手で、その動きを止めさせるように、ぴと、と人差し指を押しつけた。
「あ……」
彼女が小さく呻いて、尻尾の動きは硬直した。完全に固まってしまったわけではなく、僕の指の動きには素直に従う。スラロームしたり、ループを描いたり。
「はぅぅ……」
手で優しく扱いてみると、色の篭もった息が彼女の口から漏れた。少し先走り過ぎたかもしれない。扱くのはそこそこにして、髪を弄っていた手を、もう少し奥に入れ込む。すぐ傍に、温かくて柔らかい感触がある。肌。それは耳だ。
人間とは違う、尖った耳。けれどもその感触は、人間のそれと何ら変わらない。ぷにぷに、こりこりしていて、多分ずっと触っていられる。
「はぁぁぅ……」
それでいて、触られている方もそこまで不快にはならない。こんなに、さっき寝転がっていた時よりも緩んだ息を吐いている。縁に沿って撫でているだけでも、一々楽しい。
僕の指でゆるゆる躍る耳が、段々と甘酸っぱい果実の様に見えてくる。味わいたい。唇で挟んで吸えば、きっとどんな果物よりも美味しいだろう。でも、それはまだ先。しかし、何もしないというのも味気無い。
呼吸ですらも耳にかかるところまで口を近づける。食べたいのをぐっと堪えて、その欲を逃がすかの様に、静かに、ゆっくりと、息を吐き出していく。
「んっ、あ、はぁぁ……」
手で触れた彼女の背中からぞくぞくとした震えが伝わってくる。こんな些細な刺激でも震える彼女が可愛らしくて堪らない。
「……ねえ」
「っ……なに?」
耳元で囁くと、彼女が微かに跳ねる。
「背中に文字を書くからさ、何を書いたか当ててみてよ」
「わかった」
いつも程意気込んだ顔はしていない。多分、上気している所為だ。書く文字を当ててもらわないと困るのだが、最初にやっておくべきだっただろうか。少し不安に思いながらも、彼女の背中に人差し指を走らせる。
「……書いたのは四文字だよ。分かる?」
「す・き・だ・よ……でしょ?」
少しはにかんだ調子ながらも、彼女は見事に正解した。
「あ、うん……当たり」
「えへ」
こちらへ向いた彼女の顔は、的を射た時の様に得意気だった。頬の緩んだその表情を見て、思わず目を背けてしまった。やってみて分かったことがあるが、答えを口に出されると、思いの外恥ずかしい。頼む時よりも恥ずかしい。自滅してしまった気がする。
「キミは、どうなの?」
「わたしも、すき」
「良かった」
何とか気を取り直したが、ひどく甘ったるい雰囲気が流れている。そんなのは初めからだった様な気もするが、僕はそれに中てられてしまっているのを、この時初めて自覚した。だが、往々にして当事者は羞恥に苛まれるものらしい。
「もう一回、やっていい?」
「うん」
「今度は返事を言ってね」
またひどい目に遭ったりしないよう、今度は事前に予防線を張っておく。彼女の小さな背中。金糸の髪がかかって、肩甲骨や背骨の感触まで愛らしい。指を滑らす感覚も、服越しなのに癖になりそうだった。
「今度は八文字だけど……どう?」
「うん……いいよ」
それは、彼女がしっかりと読み取って、なおかつ許可してくれなければ出来ない。後者に関しては正直なところ、心配しなくてもよかったのだが、そうと解っていても緊張するものはする。そんな懸念も払拭されて、僕はやりたかった様にした。
後ろから、包み込む様にして抱きしめる。前に回した僕の腕に、彼女がそっと手を添えてきた。服越しに、背中の、彼女の体温が伝わってくる。それならばきっと、今は彼女も、僕の心臓の鼓動を感じているには違いない。それだけで、混ざり合って一体になったかの様な錯覚を覚える。これは僕の歪んだ感覚ではあるけども、こうしていると、彼女を独占している様な感じが強くなって、胸がいっぱいになって満たされる。
「前も、いい?」
「うん……もっと、さわって?」
彼女にも、火が灯ってきたらしい。僕はずっとこのままでも良いが、他方、もっと彼女に触れたいというのもある。今は後者を選んだ。離れる彼女の熱が名残惜しい。
彼女と正面から向き合う。何だか、どうしても伏し目がちになる。顔が見えているかどうかは、やっぱり重要らしい。恥ずかしくとも、自分の欲には従う。目線を下から上へ動かせば、白く長いタイツ。可憐なエプロンドレス。それに、吸い込まれてしまいそうな碧い瞳。
丈夫な厚手のタイツは、よく走り回る彼女を怪我から守る。それに包まれている脚は引き締まっているかと思えば、子供は子供。滑らかで柔かい肌がある。タイツ越しに、彼女のふくらはぎに触れる。
「ふっ、うぁ……」
指で押すと押しただけへこんで、離せば戻る弾力。手の平全体を使って揉み込めば、むにむにとした感触が伝わってくる。いつも元気に走り回っている彼女。子供は疲れ知らずだけど、だからといって、こういう事を怠けて良いというわけでもないと僕は思う。だから彼女を癒す様に、僕は指をぐにぐにする。内側、外側、下から上へ、ゆっくり、ぐーっと指で押しながら滑らせる。時折、手が言う事を聞かなくて、肌色がちらつく太腿にまで届いてしまう事があった。そこまで行くのはまだ早すぎる。何より、僕が耐えきれなくなる。その前に切り上げて、別な場所に移った。
青を基調としたエプロンドレスの手触りは、衣服に関して素人である僕でも、品質の高いものだと理解できる。フリルとリボンで彩られた、いかにも女の子らしい服飾。手はそのお腹に伸びた。するりと内側に手を入れれば、幼子の感触。無駄ではないが、弾力のある柔肌。それがまた絶妙で、からかい半分に摘まもうとしても、それは叶わない。
「は、はずかしいよぅ……」
声は弱々しく、尻すぼみになっている。これだけのものでも、女の子としてはやっぱり気にしてしまうところらしい。多少の無駄があっても、僕としては一向に構わないのだが。それでこのまま赤面する彼女を眺めているのもいいが、僕は相応の良心で手を上方に滑らせた。まだ発展途上ですらないそこ……は、後にとっておいて、僕の手は彼女の肌に直接触れた。下手な胸やお尻より余程柔らかい、彼女の頬。マシュマロみたいにすべすべでハリがあって、吸いつきたくなるくらい。冷えた僕の指先とは違って、そこはどこまでも温かい。つねるだなんてそんな真似、何を間違えてもできはしない。
「んぅ……」
時折、顎の下を指で撫でてやると、甘えた声で喉を鳴らしてくる。うっとりしたその表情も仕草も、まるで飼い主にぞっこんな猫だ。
「……猫みたい」
「にゃあん……」
僕が微笑のままにそう言うと、彼女はそれを意識して猫になりきった。
「本当にならなくてもいいってば」
思わず目尻が下がった。今度、そういうものでも買ってこようか。
「ね、もっと……甘えても、いい?」
そういう風に油断していると、僕はよく彼女に足を掬われる。僕が頼んで始めたことだったのに、いつの間にか彼女の方が頼む側になっていた。
きっと、段々と堪えきれなくなってきているのだろう。理性を焼く声で、彼女は腕を広げている。そんなの、どんな答えが返ってくるか分かっているくせに。反発する気も起きない。
「いいよ……おいで」
おいで、なんて、どの口が言っているのだろう。態々許可なんて下ろして、本当は僕の方がこうしたくてこうしたくて堪らないのに。
僕は彼女と同じ様に足を伸ばして座り、彼女を招く。彼女が身体を僕に預けてきた。細い腕が首に、脚が腰に回される。力を込められたので、僕も腕を彼女の背中に回して、同じ様にする。この上の無い抱擁だった。
「キミ、ぎゅーってするの、好きだよね」
「こうすると、とっても近いもん」
それはそうだ。僕達の距離はこれ以上無いくらいに近づいている。こうやってお互いに抱きしめてしまえば、寂しくもない。
彼女はまだ、本当は僕こそ、こうしているのが一番好きだということを知らない。この瞬間に感じる彼女の肌とか、匂いとか、鼓動とか、重みとか、そういうぬくもりに、僕が病みつきになっていることを知らない。何よりも彼女は、こういうことなら、忘れないでいてくれる。
お互いが、お互いの存在を確かめるかの様に、繰り返し、繰り返し愛撫する。
「いつも元気で、明るくて、少し怖がりだけど、とても可愛くて」
「まじめで、がんばりやさんで、ちょっといじわるだけど、とてもやさしくて」
背中を撫でたり、頬にキスしたり、そんなことを言ってみたり。僕がそうすれば、彼女もそのお返しにと、僕を精一杯に愛でてくれる。やがて、僕たちは何を言うでもなく、抱き合うだけになった。
ずっと、もっと、ぎゅっと。
そうやってどれくらいの時間が経ったのだろう。どうせなら永遠でもよかったのだけれど、気付くと僕たちは元の様に並んで寝転がっていた。僕の手に絡まっている指は、彼女のものだ。白く、柔らかな光を湛える、真珠の様な手指。
今は、彼女は眠っている。健やかであどけない寝顔。乱れの無い穏やかな寝息。混じりけも、穢れも無い。無垢で、純粋。それが失われることはこの先も無いのだろう。
僕は眠る彼女の唇を奪った。それを最後に、不思議な微睡みへ沈んでいった。
15/12/17 00:46更新 / 香橋