名前と案内と夕焼けの町並み
「マ、ン、ド、ラ、ゴ、ラ。マ、ン、ド、ラ、ゴ、ラ。……。」
それからしばらく、アーシェスさんはずっとそればっかり呟いていました。私の名前を決めないと、と言って。
「ここに住むのは構わないけれど。名前がないでは呼びづらいからねえ。」
わざわざ小さな紙を6枚持ってきて、マンドラゴラと書いて並べ替えたりしながら、
「マンドラ。…ありきたりな上に女の子の名前じゃない。ドーラ。…空賊になる。ドラゴン。……論外。」
ぶつぶつ呟きっぱなしです。ところでくーぞくって何ですか?
「ララ。……うん、これならどうだろう」
ラが2回あるから、ララ。呼びやすくて、女の子らしくて、それにきちんとあなたからとっている。
どうだい、とアーシェスさんは首を小さくかしげてこちらを見ました。私にももちろん否やはありません。
それじゃあ、と言いながらアーシェスさんが手を差し出してきます。あの唇だけで作った笑みと一緒に。
握った手は、少しひんやりしていました。
「あなたは今日からマンドラゴラのララだ。よろしく、ララ。」
「あなたは今日からマンドラゴラのララだ。よろしく、ララ。」
手を差し出すと、彼女も笑いながら握り返してくれたよ。
植物型とはいえ暖かい手だった。恥ずかしがりながらも明るい笑みだった。
どちらもあの時の私が失っていたものだから、少しだけ胸がちりっとした。
そのときは、そういうことにした。
「……屋敷の案内をしよう。家事とか、仕事の手伝いをしてもらうことになる。しっかり覚えて。」
「……屋敷の案内をしよう。家事とか、仕事の手伝いをしてもらうことになる。しっかり覚えて。」
そう言って席を立ったアーシェスさんは、何か様子がおかしいような気がしましたけど……気のせいだと思い直しました。
ほら、会ってまだほんの少ししか経ちませんし……それに、今まで会った人の中でも、すごく表情が動かない人だったから。
私がご飯をご馳走になったのは、本来は使用人さんが使うサブのダイニングキッチン。
その隣に40人くらい入れそうな食堂と、そこにつながる厨房があります。
北の隅には書斎と、廊下を挟んで向かい側に一回の半分くらいを占める大きな書庫。
アーシェスさんの部屋は書斎の隣にあるみたいでした。
南側には応接間がふたつと、空き部屋がいくつか。
西側には大浴場と小浴場、それに洗濯場や物置などがあります。
2階はお客さん用の泊まり部屋がたくさん並んでいるのですが……この屋敷に引っ越してから誰も使ったことがないんだとか。
簡単な案内が終わって、元の部屋に戻ってきて。これからのためにと1階と2階の見取り図を書いた羊皮紙をもらって……その間も、私は誰にも会いませんでした。
こんなに大きなお屋敷なのに、アーシェスさんのほかには誰もいないんでしょうか。
「一応魔術師ギルドのナンバーツーだから、集合住宅の一室住まいじゃ格好がつかないそうだよ。
身寄りもない、使用人を雇うようなガラでもない。」
答えはちょっとずれてましたけど、アーシェスさんはこんなお屋敷にひとりぼっちで住んでいるみたいで。
寂しくないのかな……。
いつの間にか考えこんでしまっていて……そんな私の頭を、ぽふっとたたかれる感触。
見上げると、アーシェスさんが右側だけの、細い紫の目でじっとこちらを見ていました。
「一人というのは、寂しいものなのかい。」
どう返せばいいのかわからなくって。「私もでしたし、きっと、多分」ってあいまいな答えしか出せなくて。
でもその答えにも、彼は表情を変えないまま頷いただけ。そしてそのまま玄関へ……お屋敷の外へ歩いていきます。
慌ててついていくと……もう外は夕方でした。
お屋敷は街の高台にあって、色々な建物が、本当にランダムに――たとえば、尖塔のある教会のすぐ横にジパングみたいなお寺があるんです――所狭しと立ち並んでいて……夕日に染まって全部鮮やかなオレンジ色に染まっています。
言葉を忘れて見惚れる私の耳に、アーシェスさんの声が聞こえました。
「屋敷は持て余しているけれど、この景色は気に入っている。
今度は街の案内をしないと。ララにはお使いにも行ってもらうことになるから。
……そうだな、ついでに街で夕食にしよう」
そうやって、私の人生で一番長い一日は終わりました。
……いいえ、まだ終わりませんでした。
それからしばらく、アーシェスさんはずっとそればっかり呟いていました。私の名前を決めないと、と言って。
「ここに住むのは構わないけれど。名前がないでは呼びづらいからねえ。」
わざわざ小さな紙を6枚持ってきて、マンドラゴラと書いて並べ替えたりしながら、
「マンドラ。…ありきたりな上に女の子の名前じゃない。ドーラ。…空賊になる。ドラゴン。……論外。」
ぶつぶつ呟きっぱなしです。ところでくーぞくって何ですか?
「ララ。……うん、これならどうだろう」
ラが2回あるから、ララ。呼びやすくて、女の子らしくて、それにきちんとあなたからとっている。
どうだい、とアーシェスさんは首を小さくかしげてこちらを見ました。私にももちろん否やはありません。
それじゃあ、と言いながらアーシェスさんが手を差し出してきます。あの唇だけで作った笑みと一緒に。
握った手は、少しひんやりしていました。
「あなたは今日からマンドラゴラのララだ。よろしく、ララ。」
「あなたは今日からマンドラゴラのララだ。よろしく、ララ。」
手を差し出すと、彼女も笑いながら握り返してくれたよ。
植物型とはいえ暖かい手だった。恥ずかしがりながらも明るい笑みだった。
どちらもあの時の私が失っていたものだから、少しだけ胸がちりっとした。
そのときは、そういうことにした。
「……屋敷の案内をしよう。家事とか、仕事の手伝いをしてもらうことになる。しっかり覚えて。」
「……屋敷の案内をしよう。家事とか、仕事の手伝いをしてもらうことになる。しっかり覚えて。」
そう言って席を立ったアーシェスさんは、何か様子がおかしいような気がしましたけど……気のせいだと思い直しました。
ほら、会ってまだほんの少ししか経ちませんし……それに、今まで会った人の中でも、すごく表情が動かない人だったから。
私がご飯をご馳走になったのは、本来は使用人さんが使うサブのダイニングキッチン。
その隣に40人くらい入れそうな食堂と、そこにつながる厨房があります。
北の隅には書斎と、廊下を挟んで向かい側に一回の半分くらいを占める大きな書庫。
アーシェスさんの部屋は書斎の隣にあるみたいでした。
南側には応接間がふたつと、空き部屋がいくつか。
西側には大浴場と小浴場、それに洗濯場や物置などがあります。
2階はお客さん用の泊まり部屋がたくさん並んでいるのですが……この屋敷に引っ越してから誰も使ったことがないんだとか。
簡単な案内が終わって、元の部屋に戻ってきて。これからのためにと1階と2階の見取り図を書いた羊皮紙をもらって……その間も、私は誰にも会いませんでした。
こんなに大きなお屋敷なのに、アーシェスさんのほかには誰もいないんでしょうか。
「一応魔術師ギルドのナンバーツーだから、集合住宅の一室住まいじゃ格好がつかないそうだよ。
身寄りもない、使用人を雇うようなガラでもない。」
答えはちょっとずれてましたけど、アーシェスさんはこんなお屋敷にひとりぼっちで住んでいるみたいで。
寂しくないのかな……。
いつの間にか考えこんでしまっていて……そんな私の頭を、ぽふっとたたかれる感触。
見上げると、アーシェスさんが右側だけの、細い紫の目でじっとこちらを見ていました。
「一人というのは、寂しいものなのかい。」
どう返せばいいのかわからなくって。「私もでしたし、きっと、多分」ってあいまいな答えしか出せなくて。
でもその答えにも、彼は表情を変えないまま頷いただけ。そしてそのまま玄関へ……お屋敷の外へ歩いていきます。
慌ててついていくと……もう外は夕方でした。
お屋敷は街の高台にあって、色々な建物が、本当にランダムに――たとえば、尖塔のある教会のすぐ横にジパングみたいなお寺があるんです――所狭しと立ち並んでいて……夕日に染まって全部鮮やかなオレンジ色に染まっています。
言葉を忘れて見惚れる私の耳に、アーシェスさんの声が聞こえました。
「屋敷は持て余しているけれど、この景色は気に入っている。
今度は街の案内をしないと。ララにはお使いにも行ってもらうことになるから。
……そうだな、ついでに街で夕食にしよう」
そうやって、私の人生で一番長い一日は終わりました。
……いいえ、まだ終わりませんでした。
11/04/21 00:26更新 / 霧谷 来蓮
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