タイムリープ・ドラッグ
俺、伊勢原紘一は魔術師を目指す24歳男性だ。ジパング地方のとある国。この国では魔術師は非常に重宝される、エリートかつ魅力のある仕事だ。
俺はジパング地方の下町の育ちで、両親は花屋を経営していた。生活は貧しかったがそれが苦痛だと感じることはなかった。高校までは・・・。
地元の公立中学を卒業後、俺は都内の名門魔術学校に進学した。しかし、魔術師になるのにはお金がかかる。学費もかかるし、その他魔法道具を揃えるのだけでも大変だ。
俺が魔術師になりたいと思ったのは、小学校のときの大ヒット作小説、「7人の賢者達」という魔術師の小説を読んだことだった。この小説はページ数が多く、話も長く、文字だらけの本だったが楽しむことができた。生まれて初めて本を読むことが楽しいと思えた瞬間だったかもしれない。
進路相談の際、担任は俺が魔術師になりたいと言ったら猛反対した。担任は頭が固く、頑固で魔法や魔術といった類のものが嫌いな人だった。しかし、両親は応援してくれて、担任も「スカラシップ(返さなくてもよい奨学金)を取ることができたら推薦状を書く」と言ってくれた。
その後俺は必死に勉強して、西欧の名門魔術学校を受験し、点数100位以内(毎年3000人ほどの受験生が集まる)に与えられるスカラシップをギリギリの順位で獲得し、夢に向けての第一歩を歩みだすことができた。
だが、人生で順調だったのはここまでで、進学後は多くの壁にぶつかり、挫折と失敗を何度も経験した。
魔術がはるかに発達し、魔物娘も多くいる西欧の、それも名門魔術学校となれば、世界中から選び抜かれたエリート達が集まる。人間も魔物娘も、伝統ある名家出身の者が多く、平凡な家の出身の自分は見下された。実際、自分の成績はギリギリで、落第点をギリギリで上回るのがやっとだった。
俺は学校生活の中で、優れた血統。優れた魔物娘。特にエルフやヴァルキリー、エンジェルと言ったものに憧れを抱くようになった。しかし、反対に邪悪なイメージのある魔物娘を見下していた。今思うと、「自分は平凡な家の出身で育ちのいい皆よりも劣っている。しかし、自分よりも下には邪悪な魔物娘がいる」と勝手に自分の尊厳を保つために思い込みをしていただけだったと気づいたのは卒業間近になってからのことだった。
魔術学校の多くは5年生で、優秀な者は3年生で、大抵の人は4年生で魔術師の資格を取得する。しかし、国家資格である魔術師の資格は、そうたやすく取れるものではない。
魔術師の資格を取れないまま卒業し(魔術師資格取得はあくまで目標であって受験する義務はない)、魔術の道から脱落する者も多い。
結局、俺は在学中4度受験したが(資格試験は年に春と冬に二度ある)合格することはできず、進路先が決まらないまま卒業し、帰国した。
「なぁ、伊勢原。おまえはよく頑張ったよ。確かに何度も赤点を取って、追試を受けて、成績も下から数えた方が早かったけど、平凡な家庭のおまえが卒業までこぎ着けたのは立派なことだ。だから、どうだ? 他の進路を考えて、別の道で就職先を探さないか?」
「いえ。私は魔術師になるためにこの学校に入学したのです。まだ、あと1回卒業までに試験があります。それに全てをかけるつもりです。」
「そうか・・・。」
進路相談のときの進路担当の先生とのやり取りはこんな感じだった。結局、試験には落ちたのだが・・・。一応、先生からは「資格がない以上魔術師として進路を探すのは厳しいが、他の分野なら、多少妥協すれば中より上の企業はいくらでもある」と言われていたが、俺は全て断っていた。
(魔術師に関連した仕事は資格がなくてもなれる。しかし、採用される確率は皆無に近い)。
そして今、俺は都心から30分ほど離れた2DKのアパートでアルバイトをしながら浪人生活を送っている・・・愛すべき彼女と一緒に。
「夕飯できたわ。ここ、置いておくわね。」
「ああ。ありがとう。」
「あの・・・紘一さん。私はあなたが他の仕事に就いていてもいいと思っているわ。私はあなたと一緒ならそれでいい。」
「ありがとう。でも心配するな。今年の春こそは合格してみせる。」
彼女の名はアイリス。エルフだ。金髪のロングヘアーに青い瞳。そして透き通るように白い肌。いかにも名家の育ちのよいお嬢様という雰囲気だが、彼女もまた地元では平凡な家庭の育ちだったらしい。
彼女の出身は西欧の森で、実家は花屋らしい。
俺は思春期の頃にはエルフやヴァルキリー、エンジェルに対する憧れと自身の平凡な家系に生まれたことによる劣等感、そしてサキュバスやデーモンに対する嫌悪感の中で過ごしていた。
少しでも印象をよくするために努力もした。おしゃれをしてみたり、エルフやヴァルキリーの同級生を食事に誘ったりもしてみた。
しかし、自分は劣等生で育ちもよくないことから周囲からは見下されており、ましてや女子生徒やエルフやヴァルキリーからは眼中にすら置かれていなかったため、当然断られた。
一方で親切に勉強会や食事に誘ってくれたサキュバスを、「俺はお前らのような下劣な魔物とは違うんだ」と言って断った。・・・今にして思うと恥ずかしい。何ともバカげている。
そんな中、ダメもとで偶然図書室で隣で勉強していたアイリスを食事に誘ったことがあった。
「あの、よかったら夕食。一緒に食べませんか?」
「ええ。いいですよ。」
「え!? ほ、本当ですか!?」
図書室で大声を出したことで冷たい目線が自分に集中する。
「す、すいません・・・」
「ふふっ 行きましょう。」
その瞬間は、奇跡が起きたとしか言い用がなかった。しかし、平凡な家庭生まれの発想というのは低俗だ。こういうとき、名家の同級生なら一流の高級レストランで夜景を見ながら食事をするのだろう。
しかし、自分にはそんなお金はなく、両親からの仕送りも十分にはなく、いつも学食だった(学食は無料)。
結局、自分がエスコートした店は安いイタリアンのレストランだった。
「あなたの家も花屋なのね! 私もそうなのよ。」
「そうなんだ。でも、自分の家の花屋は大した店じゃないよ。ほんとに、小さなジパングの下町の花屋なんだ。」
「私の家の花屋も、森の田舎よ。でも、空気が美味しくていいところだわ。」
「自分の家は、ごみごみした商店街にある。でも、夏になるとお祭りとかがあって、楽しいかな。」
「ねぇ。あなたはどうして魔術師になろうと思ったの?」
「そうだなぁ・・・。小学校のとき、7人の賢者達という本を読んだことかな。」
「私もその本好きなのよ! 小さいときはよく夜更かしして読んでいたわ。そしたら、次の日よく寝坊してお母さんに怒られちゃった。」
「ハハハ・・・」
当時は緊張していて、おぼろけにしか話したことは覚えていないが、大体こんな感じだったと思う。
俺は心に固く誓っている。魔術師の国家資格を取って、魔術研究所か魔法庁に勤めて、アイリスを幸せにしてみせる・・・と。
それから月日は流れ、俺は25歳になっていた。
結局、春の試験は駄目だった。だが、冬の試験は万全の状態で臨んだ。今度こそ・・・。
「どうだった?」
「・・・結果・・・不合格。」
「・・・そう・・・。」
俺は封筒と結果通知書を丸めてゴミ箱に投げ捨て、何も言わずに自室に戻った。
「ねぇ、紘一さん。前から思っていたんだけど・・・ちょっと!」
「来年の春にまた受ける。大丈夫さ。国家試験は30歳まで受けられる。」
「ちょっと! 私の話を聞いて!」
「大丈夫!必ず、次こそは合格してみせるから・・・そしたら、魔術研究所の研究員になって、君を助手にして・・・新しい花を研究しよう・・・」
「紘一さん・・・私たち、もう25なのよ? そろそろ将来のことも考えないと・・・いつまでも紘一さんのご両親にお世話になっているのは申し訳ないわ。」
「大丈夫だから・・・俺を信じて待っていてくれ・・・」
「紘一さん・・・」
気が付いたら、2人の仲は次第に冷え切ってしまった。俺は現実から逃れるように勉強にはげみ、アイリスは将来のことを心配し始めていた。そして将来の話になるといつも喧嘩になってしまう。
この日も、俺は牛丼店でバイトしていた。家の家賃や生活費は両親に一部負担してもらっているが、それだけでは生活できないので自分もこうして働いて生活費を稼いでいる。
自分の先輩たちは皆新しい就職先を探したり、夢を叶えたりして辞めていった。今では俺が最年長になってしまった。後輩たちは夢を叶えるために、将来のために働いている。
「なぁ、伊勢原さんだけど、魔術学校出てるらしいぜ。」
「マジかよ! でも、なんで魔術学校まで出てこんなところでバイトしてるんだ?
「さぁ・・・ま、でもエリートの中にも落ちこぼれっているんだな。あ、先輩お疲れ様です!」
「お疲れ・・・」
俺は休憩時間になったので休憩室に入った。部屋にはすでに2人の後輩が休憩を取っていた。
「先輩。なんか顔色悪いですよ。」
「そうか?」
「なんか、顔が青白いというか・・・くまも出来ていますよ?」
「まぁ、夜遅くまで勉強しているからな。」
「でも、それにしては・・・(どうせ万年浪人生なんだから、いい加減将来のこと考えて就活した方がいいんじゃないか?)」
その後、俺は店長から許可をもらい1時間早くあがらせてもらい、病院へ行った。
この街の病院というと・・・裏通りのここしかない。裏通りのテナントの2F。ここには刑部狸が医者をやっている病院がある。刑部狸がやっているだけあって怪しさは満載で、外科から内科から心療内科から何から何まで網羅しているにも関わらず、診察費や治療費、薬代も安い。噂ではやばい薬を扱っているという噂もあるが・・・。
俺は受付で手続きを済ませ、名前が呼ばれると診察室へ向かった。
「寝不足、過労、及びストレスから来る貧血ですね。もう少し放っておいたら倒れていましたよ。」
「は、はぁ・・・」
「特に、ストレスが強いですね。あなたは国家資格を受験しようとしている。ですが、他にも不安なことはあるのではないですか? 話してみてください。」
「実は・・・」
自分は全て打ち明けた。何度も受験しては不合格になっていること。彼女との関係も冷え切っていること。そして、同級生が次々と出世していくのに対して自分は国家資格すら取れていないことに焦りを感じていること話した。
「まぁ、不安がないと言ったら嘘になりますね。もう、何もかもが嫌ですよ・・どうして上手くいかないんだろう・・・」
「実は、今のストレスを軽減するのに良い薬があります。この薬は今実験の実用試験段階ということで、効果は保証することはできませんが、今までの実験では優秀な結果が出ています。」
「実験中の薬ですか!? それって、危ないんじゃなぁ・・・(やっぱりこの刑部狸。ヤバい薬を扱っているんじゃないのか?)」
「いえ。今までの実験では死者を出したり、発狂したりした者は居ません。」
そして、刑部狸の医者は薬について説明を始めた。要点をまとめるとこうだ。
・この薬は元々戦場で戦う軍人のストレスを軽減するために開発された。
・この薬を飲むと昨日の記憶を完全に忘れることができる。
・この薬を飲むと嫌な記憶を忘れることができて、ストレスを大幅に軽減することが期待される。
・この薬はタイムリープのようなもので、この薬を一錠飲めば一日未来へ行くことができるような感覚だ。
・くれぐれも過剰摂取は厳禁。
「つまり、この薬はタイムリープの薬なのですよ。」
「でも、実際の自分は嫌なことを経験するわけですよね? それじゃあ意味ないんじゃあ・・・」
「皆さま最初はそうおっしゃいます。しかし、被験者たちは皆、タイムマシンで未来にワープしたような感覚だったと言っています。どうですか? 勿論、実験中のお薬ですので、薬代はいただきません。」
「まぁ、薬代が不要ということなら・・・」
「分かりました。くれぐれも、"過剰摂取だけはしないでくださいね。"」
こうして俺は、タイムリープできるという薬をもらい、受付で支払いを済ませて帰宅した。
嫌なことがある前にこれを飲めば忘れられるのか・・・、まぁ、試してみるか。
そして、薬を使うタイミングは早くも来た。
同級生の結婚式の招待状が送られてきたのだ。
「ねぇ、せっかく招待状を送ってくれたんだもの。行きましょう!」
「いや・・・でも・・・」
「たまには息抜きしましょう。 ね?」
「う・・うん・・・」
内心、俺は同級生に対して劣等感を感じていた。正直、学生時代にはアイリスとの出会い以外、あまりいい思い出はない。
同級生が出世したり結婚したという話は何故か嫌でも耳に入って来る。そのたびに俺は劣等感を募らせていった。
結局俺はアイリスに勧められて一緒に行くことにした。
(どうせ、おまえ今どうしているんだとか・・・いろいろ嫌なこと聞かれるんだよな・・・25にもなってまだ資格取ってないなんてバレたら・・・惨めなだけだよ・・・ そうだ! この薬・・・試してみるか!)
俺はタイムリープの薬を一錠飲んでみた。
次の瞬間、俺は意識を一瞬失い、気づいたら俺は昨日の私服ではなくスーツを着て立っており、アイリスはドレスを着ていた。
「楽しかったわね! それに2人とも幸せそうだったわね! ・・・どうしたの?」
「いや、別に・・・。」
目の前にはバームクーヘンが入った紙袋が置かれており、電波時計の日付は明日(タイムリープする前から見て)になっていた。
(本当にタイムリープしたのか!? でも、結婚式の記憶が全然ないぞ!?)
「あ、あのさアイリス! 俺、なんか変なことしなかったか!?」
「え!? どうしたのいきなり?」
「いや・・・その・・・俺、結構酔っちゃったからさ・・・記憶がないんだよね。酔って変なことしてなきゃよかったんだけど・・・」
「そんなに飲んだかしら? ワイン一杯しか飲んでないのに?」
「ほら! 俺、酒弱いから・・・すぐ酔っちゃうんだよね。」
「そうだったっけ? まぁ、特に変なことはなかったし、あなたも楽しそうにしていたから大丈夫よ。」
「そ、そっか! よかった・・・」
(これはすごいクスリだ! これなら嫌なことを何も経験しないで済む! いや、それどころか試験の前日にタイムリープすればすぐに試験を受けられるじゃないか!)
こうして俺は、十分に勉強して大丈夫だと思ったとき、この薬を使って試験前日にワープし、試験を受けた。
「どうだった?」
「やるだけやった。今度こそ、大丈夫さ・・・」
「そう。よかった。あのね・・・」
アイリスが話そうとしたとき、突然スマホに電話がかかってきた。
「ごめん! 店長から連絡があって、今人手が足りないから来てくれって。ごめん! 行って来る!」
「ちょっと!紘一さん!」
俺は制止するアイリスに背を向けて、バイト先の牛丼屋に向かった。
(ああ、でもこんな仕事も思えば嫌だな・・・周りは俺よりも年下の奴ばかりになっちゃったし、先輩たちはみんな卒業して辞めて行ったし・・・。それに、後輩たちはなんだか自分を見下してるような気がするんだよな・・・それに、仕事も退屈か忙しいかのどちらかで辛いだけだ。)
俺はまたタイムリープ薬を飲んだ。
意識が戻ったときには既に夜になっており、俺はカウンターに立っていた。
「おい伊勢原。今日はもうあがっていいぞ。」
「はい。お疲れさまでした!」
「おい、伊勢原。おまえも、もう25だろ? 彼女だって居るんだし、そろそろちゃんとこの先のことを考えなきゃいけないんじゃないか?」
「大丈夫ですよ。それじゃ!」
店長までアイリスと同じことを・・・まぁ、魔術師資格さえ取れれば、いくらでも魔術関係の企業から引き手がある。そうすればここともおさらばだ。
タイムリープ薬を使い果たしたその日。俺は再び刑部狸の病院に向かった。
「伊勢原さん。その後、どうですか?」
「ええ。少し、気持ちは楽になりました。」
「そうですか。それはよかった。引き続き、この薬の処方を希望されますか?」
刑部狸はタイムリープ薬を机の引き出しから取り出した。
「え? い、いや・・・どうしよっかな・・・」
「実は、この薬は正式に製品化されることになりました。なので、この薬の処方は次回からジェネリック薬品としての処方となるので、薬代は発生します。それも、まだ生産数も少ないので、少々価格はお高くなります。」
「い、今は、もういいです!」
「そうですか! よかった・・・実は、この薬を服用した被験者の多くが、この薬に強い依存性を出してしまったので、心配していました。一応、製品化されたこの薬は、効果を弱めて半日になっているのですが・・・」
「そ、そうなんですか・・・」
「とにかく、依存していないならよかったです。あ、すみません!」
刑部狸は電話を取りに奥の部屋に消え、通話を始めた。
次の瞬間、俺は理性よりも先に本能が勝り、気づいたら机の引き出しから大量のタイムリープ薬を盗み出し、病院を後にしていた。
家に帰ると、俺はカレンダーを見つめていた。アイリスは外出している。
(早く試験の結果が知りたい・・・)
俺は合格通知書が届く日までの日数分のタイムリープ薬を飲んだ。
意識が戻ると、俺は暗い部屋の中でベッドに寝ていた。
(あれ、通知書は・・・)
俺は通知書を探す。そして、ゴミ箱の中に通知書を見つけた。それを見て、俺は結果を悟った。しかし、わずかな望みをかけて、ゴミ箱から通知書を取り出し、結果を確認する。
不合格・・・その文字を見た途端、俺は現実に引き戻された。
次の日、仕事が終わり、帰宅の準備をしていたとき、店長に声をかけられた。
「伊勢原。悪いんだけど、今日限りで解雇だ。」
「えっ!? く、クビですか!?」
「まぁ、な。うちも、若い子をどんどん入れないと、その、な。上がうるさいんだ。」
「そんな・・・」
「悪いな。まぁ、でも、お前ももう26だろ? 今からでも遅くはない。必死に就職活動すれば正社員になれるさ。じゃっ(ま、本当は単に若い奴を入れたいから俺が辞めさせたんだけどな)」
クソッ! クソッ! クソッ!
なんで何もかも・・・こんなに悪いことばかり続くんだよ!!
次の瞬間、俺はタイムリープ薬を飲んでいた。
バイトをクビになったあと、勉強にも身が入らず、アイリスとも話をすれば喧嘩になってしまい、そのたびに俺を家を飛び出して近くをブラブラして帰るという日々を送っていた。
そんなある日。俺は日用品の買い出しからアパートへ戻るとき、キャリーバッグと荷物を持ったアイリスが目に入った。
「おい、アイリス! なんだよその格好・・・」
「・・・前からお母さんに言われていたの。26にもなって何もしていないなら、実家に帰って花屋を継ぎなさいって。私もその方がまだちゃんとした生活を送れると思うから、実家に戻ることにしたわ。」
「そ、そんな! 何で一言も相談もなしに!」
「紘一さん、いつも聞いてくれなかったし、聞こうともしていなかったでしょ!?」
図星だ・・・俺は最近、アイリスとまともに向き合っていなかった。全ては俺の招いた結果だ・・・。
「ごめんなさい。さようなら・・・試験。頑張ってね・・・」
そう言い残して、アイリスは俺の元から去って言った。
アパートの中は、アイリスの所持品が全て消えていた。
その後、俺は勉強に身が入らず、ただアイリスを失った虚無感の中、無気力にベッドで横になる日々が続いた。
(失って初めて気づいた・・・アイリスが居ることは、当たり前のことではなく、素晴らしいことだったこと。そして、今まで自分の勝手な夢で、アイリスを振り回し、20代という貴重な時間の大半を失わせてしまったこと。)
俺がもし、あのときアイリスに声をかけて居なければ、アイリスは魔術師になって、俺なんかよりももっといい家で育ったいい男と結婚して・・・俺がアイリスの人生を・・・狂わせてしまったんだ・・・
さらに悪いことは続いた。
「もしもし。お母さん? また、今月少し苦しくて・・・」
「紘一!? お父さんが倒れたの! 今病院に運ばれて・・・」
数日前、父親が倒れたという知らせを母親から聞いた。急性の脳梗塞だということだ。助かる可能性はあるが、助かっても身体麻痺の後遺症が残ること医者から告げられたという。
もう、到底親に資金援助を頼む気にはなれなくなった。
(俺は・・・自分の勝手な夢のために、どれだけの人に迷惑をかけて来たのだろう・・・これだけ迷惑をかけても、俺は何一つ結果を出せず、ただ周囲を振り回しただけだった・・・もう嫌だ・・・俺なんて・・・この世から居なくなった方がいい・・・)
そう思い、俺はロープを買ってきたが、いざ首を吊ろうとしたときに怖気づき、死ぬことさえも満足にできない自分にただ腹を立てるしかできなかった。
俺は今の2DKのアパートを引き払い、ワンルームの安い賃貸に引っ越した。
その後、無職となり収入もないまま、国家試験など受けられなくなった俺は、魔術師の道を諦め、身の丈に合った道を歩むことを決意した。
しかし、既に何もかもが遅すぎた・・・
俺は26歳。今から正社員になろうにも、年齢というハンデ。そして職歴なしというハンデは想像以上に大きかった。
確かに俺は名門の魔術学校を出た。しかし、学歴など、新卒をとっくに過ぎた今となっては全くアテにならないことに気づかされた。
「君、魔術学校を出て居るんだ。すごいね。でも、こんな年齢になるまで、何をやっていたの?」
「魔術学校を出ているのに、何で魔術師にならなかったの?」
「魔術学校を出ていても、資格が無いんじゃ、うちではちょっとねぇ・・・」
「君、なんでこの業界を選んだの?」
「君、卒業してから26歳になるまで、何をしていたの?」
「ようやく現実を見るようになったんだ。それは立派なことですけど、現実を見るなら、もう少し段階を踏んで・・・ね?」
「これだけの学歴なんだから、うちのような中小企業に何て来ない方がいいよ。君はうちには勿体ない(職歴なしの26歳なんて人間のクズだろう。全く、これだから最近の若いモンは)」
「うち、今はもう定員なんだ。ごめんね(大嘘)」
「君、運転免許持ってないの? ああ、採用条件には書き忘れちゃってね! ハハハ・・・(とっとと帰れよ。こっちだって社会の廃棄物を相手しているほど暇じゃないんだから)」
「英語ができる? でも、ちゃんとTOEICでいい点を取って、結果を残してもらえないとねぇ・・・」
「あのさぁ・・・君、社会をナメてない?」
「君、26歳になるまで何をしていたの?」
「君、27歳になるまで何をしていたの?」
「君、28歳になるまで何をしていたの?」
俺は、ただただ苦痛な日々を送っていた。いくつも面接を受けては落とされ、受けては落とされ続ける。どの面接官も俺のことを社会のクズ。カス。廃棄物。と罵った。
俺は嫌なことがあるたびにタイムリープ薬を飲んだ。でも、そんなことをしたって現実は変わらない。
今の問題を未来の俺に押し付けたとこで、結局現実と向き合うのは自分なのだから、自分が解決するしかない。そんな当たり前のことにはとっくに気づいている。それでも、嫌な現実から逃れたくて・・・
残っているタイムリープ薬を
全て飲んだ
俺は目が覚めると、全く見慣れない白い部屋で目を覚ました。
「ここはどこだ・・・?」
場所はどうやらどこかの家の2階らしい。だが、全く身に覚えのない場所だ。
「今は・・・20年後!? そっか・・・俺は・・・」
俺は大量のタイムリープ薬を飲んだ。気づいたら俺は20年も先にタイムリープしてしまったのだ。つまり、今の俺の年齢は48歳。
俺は何か手掛かりがないか、机の引き出しや押し入れを探してみた。すると、一つの白い箱が見つかった。
中には、国家魔術師試験合格通知書。そして何かの魔術の論文。そして俺の論文が掲載された魔術雑誌が入っていた。
「こ、これは・・・合格通知書!? いつ受かったんだ!? ・・・俺が30歳のとき・・・受かっていたのか!?」
そして、俺が書いたと思われた論文を読んでみる。
「本当に俺が書いたのか!? そして・・・極東魔術研究所・・・伊勢原紘一博士!? 博士号まで取っていたのか!?」
その後、押し入れの中から黒い日記帳を見つけた。しかし、書かれている日付は飛び飛びで、書いては忘れて、また書いてを繰り返していたらしい。
それによると、今の俺はフリーのWebデザイナーをやっていることが分かった。どうやら収入は低いが、安定した仕事も得られており、田舎のこの家は持ち家で、交通の便が悪い分安く買うことができ、生活にも困っていないことが書かれていた。
(俺は・・・他に今の俺の手掛かりは・・・)
そのとき、部屋の扉が開けられた。
「どうしたの? 凄い音がしたけど・・・」
「お、お前は誰だ!?」
「ど、どうしたの?」
そこには、俺がかつて忌み嫌っていた、デーモンが立っていた。紫の肌に、セミロングで前髪で片目を隠し、顔立ちのよい顔をしている。胸も大きく、スタイルもよく見れば魅力的だ。
「おい! お前は誰なんだ!? ここはどこだ!?」
「あなた・・・寝ぼけてるの? それともまだ昨日のお酒が抜けていないの?」
「き、昨日のお酒?」
「依頼されていた仕事が完成したからってビール10本もいっぺんに飲むからよ。・・・ここはあなたの家。そして私は妻のレナでしょ。」
レナと名乗るデーモンは薬指にはめられた結婚指輪を見せる。そして俺も自分の薬指を確認する。
(レナ・・・そして・・・俺の名前?)
どうやらこのデーモンの言っていることは本当らしい。だけど、何でデーモンと結婚したんだ? 確かに卒業してからの俺は、デーモンやサキュバスを特別忌み嫌ったりはしなかった。そんな感情はとっくの昔に消えた。それに、アイリスは? やっぱり、あのあと別れて・・・よりを戻せなかったんだな・・・。
すると、今まで笑顔をしていたレナは、片目隠れでも分かるぐらい、真剣な眼差しをして語りだした。
「いつか、こういう日が来るんじゃないかと思っていたわ・・・」
私は知っていた。彼が心を病み、現実から逃避する薬に手を出していたことを。私は何度も紘一にやめてと言った。でも、彼は聞き入れなかった。薬が彼を蝕んでいた。それと同時に、現実から目を背け、苦しみから逃れるために逃避し、そしてより大きな苦しみから逃れるためにまた逃避をする・・・そんな悪循環から彼を救いたかった。
それならばと彼に日記をつけさせた。しかし、彼はたびたび日記を書くことをサボり、私がよく無理やり書かせていた。
しかし、彼の仕事が決まると、彼は仕事に情熱を燃やすようになり日記を書かなくなり、私もそんな紘一を見て安心し、気づいたら日記はどこかへいってしまったが、まさかこんなところにあったなんて・・・。
「そ、そうだ! アイリスは! アイリスは今どうしているんだ!?」
「安心して。彼女は今は幸せに暮らしているわ。・・・紘一。全てを知りたい? 失った空白の時間を。」
「あ、ああ! 勿論だ!」
「・・・あなたの人生は、多くの苦痛もあった。それに今、向き合う覚悟はあるの?」
「・・・ああ。」
「わかったわ・・・(アイリスね・・・紘一の初恋の人。ま、でも紘一の童貞はあたしが頂いちゃったケド)」
レナは片目を隠している髪を指でのけた。隠れていた眼は緑色の瞳をしていた。
「私のこの眼は強大な魔力を持っているわ。でも、人間の記憶。それも薬によって弄られた記憶を呼び起こすことは並大抵のことではないわ。私にも完璧に呼び起こせるかは分からない。それでもよければ、私の眼を見なさい。」
俺はレナの緑色の片目を見る。すると、意識が少しずつ遠のいていった。
白い靄に包まれたおぼろげな景色。しかし、少しずつはっきりとした景色を映し始めた。
(俺は・・・タイムリープ薬を飲んだあとも・・・いくつも面接を受けて・・・そして落とされて・・・)
(家賃も払えなくなって・・・家を追い出されて・・・実家に戻って・・・)
(お父さんが亡くなって・・・実家の花屋を手伝うけど、経営が悪化して・・・店を閉めて手放して・・・田舎の市営住宅に入居して・・・俺は心を病んで・・・何度も自殺未遂を図って・・・母親を泣かせて・・・)
(俺は精神病院に入れられて・・・30歳で退院して・・・)
(これは・・・アイリス!? アイリスなのか!? 隣の男は誰だ? これは・・・結婚式場!? 俺は・・・2人と握手して・・・)
(レナ!? ・・・一体いつ・・・どこでレナと・・・ それに、これってレナとセックス・・・)
(これは・・・魔術師国家試験の合格通知書!? レナも喜んでる・・・)
(これは・・・どこだ・・・? 大勢の前で、俺はスクリーンの前に立って・・・何の発表をしているんだ? 何の研究をしていたんだ!?)
(これは・・・パソコンで・・・Webサイトを作っているのか? でも、なんで・・・Webデザイナーになろうと思ったんだ・・・)
気が付いたら、俺は1階のリビングらしき部屋のソファーに寝かされていた。
「どうだった?」
「・・・辛いことも・・・一杯あった・・・だけど・・・全てが・・・俺の空白の時間が・・・分からないことがもっと辛い。」
「・・・ごめんなさい・・・私の魔力でもこれが限界なの。」
レナからいくつか、俺の今までの人生のことを聞いた。
俺は30歳のときにレナと出会い、交際を始めた。プロポーズしたのはレナからで、俺は「学生時代、俺はデーモンやサキュバスを勝手なプライドのために見下した人間だ」と答えたが、レナは「そんな昔のことはどうでもいい」と笑って返したこと。
レナと一緒に住み始める頃になっても、家族の死や就職活動が上手く行かないストレスから心を病んでいたこと。
レナは自分が俺の傍に居なければ駄目だという思いから、田舎の安い家を購入し、自然豊かな地域に身を置くことで精神状態を安定させようとしたこと。
しかし、それでも俺の勝手な脅迫概念で、俺は働かなければ駄目だと、勝手に自分で自分を追い込んでしまったこと。
そんな中、レナに自宅でできる仕事を探しなさいと言われ、俺はたまたま手に取った求人雑誌の中にWebデザインの委託の仕事を見つけ、慣れないながらも少しずつスキルを上げ、気が付いたらフリーのWebデザイナーになったこと。
そして、アイリスは今は名家の男性と結婚しており、結婚式にはレナと俺、2人で行ったこと。アイリスは俺の手掛けたホームページから今の俺を知り、俺が作っていたプロフィールサイトから今の俺を見つけ出し、結婚式の招待状を送ったこと。
俺はアイリスに「今までごめん。俺の勝手な夢のせいで、君の大切な人生を狂わせてしまった」と謝罪した。アイリスは「あなたとの時間も楽しかった。あなたが居てくれたから今の私がある。だから泣かないで」と。そして結婚相手の男性も「アイリスを大切にしてくれてありがとうございます。」と感謝したこと。
俺は心の奥底で、まだ魔術師の夢を諦め切れていないことをレナは悟り、30歳。最後にもう1回だけ試験を受けられるから受けてみたら? と言ってくれたこと。
俺は初めは拒否したが、レナが説得したことで試験を受けることにして、30歳にして試験に合格したこと。
その後、俺は一時一人でジパング地方の離れ島にある極東魔術研究所に単身赴任し、週末はレナの元へ帰省しながら薬草の研究をして、論文が権威ある雑誌に掲載され、学会で発表し、晴れて博士号を取ることができたが、レナとの時間を大切にしたいという想いから研究所を退職し、レナの元へ戻ったこと。
そして、Webデザイナーという元鞘に収まり、今こうして生きていることを教えられた。
だが、どうしてもレナとの出会い、何を話して、どんな初体験をして、どんな形で結婚したのかだけはどうしても思い出すことができず、気づいたら涙が溢れている自分に気が付いた。
(俺は馬鹿だった・・・10代や20代の苦しみや・・・見栄やプライドや・・・悪い出来事なんて、40代になる頃にはどうでもよくなってしまうのに・・・。それよりも、人生の中で辛いこと、苦しいこと、悲しいこと、楽しいこと・・・それらを積み重ねていくことこそが人間の一番の財産になるのに、今の自分には20代の苦しかった頃の記憶しかなく、20年間の記憶が空白になってしまった・・・その結果、俺は人生で一番大切な記憶すらも失うことになったのだ・・・)
レナはそっと俺を抱きしめた。レナの2つの果実が俺の顔を包み込む。それは心地よい感覚と同時に、心が落ち着き、心の雲が晴れていくような気がした。
「失った記憶は戻らない。でも、これからの記憶は、あなたにとって大切な宝物になるはずよ。」
「・・・これからの・・・」
「そう。これから・・・キャッ!」
俺はレナを両腕を掴み、ソファに押し倒した。
「そうだ! これからだ! 俺はもうすぐ50になる・・・あと30年もすれば死ぬ! だったら、これからはやりたいことをやって!」
「あんっ! ちょっと!!」
俺はレナの胸をわしづかみにして揉みしだく。
「たくさんの宝物を作っていく!」
俺は服を脱ぎ捨て、レナに大かぶさった。
(30年・・・? フフフ・・・何を言っているの? 気づいていないみたいね・・・あなたはもう私と何度も交わっているのよ。あなたの体はインキュバスになり始めている。そうなればあと100年は生きられるわ。先はまだまだ長いのよ。そして、これからの100年はあなたにとって最高の宝物にしてあげるわ。)
俺はジパング地方の下町の育ちで、両親は花屋を経営していた。生活は貧しかったがそれが苦痛だと感じることはなかった。高校までは・・・。
地元の公立中学を卒業後、俺は都内の名門魔術学校に進学した。しかし、魔術師になるのにはお金がかかる。学費もかかるし、その他魔法道具を揃えるのだけでも大変だ。
俺が魔術師になりたいと思ったのは、小学校のときの大ヒット作小説、「7人の賢者達」という魔術師の小説を読んだことだった。この小説はページ数が多く、話も長く、文字だらけの本だったが楽しむことができた。生まれて初めて本を読むことが楽しいと思えた瞬間だったかもしれない。
進路相談の際、担任は俺が魔術師になりたいと言ったら猛反対した。担任は頭が固く、頑固で魔法や魔術といった類のものが嫌いな人だった。しかし、両親は応援してくれて、担任も「スカラシップ(返さなくてもよい奨学金)を取ることができたら推薦状を書く」と言ってくれた。
その後俺は必死に勉強して、西欧の名門魔術学校を受験し、点数100位以内(毎年3000人ほどの受験生が集まる)に与えられるスカラシップをギリギリの順位で獲得し、夢に向けての第一歩を歩みだすことができた。
だが、人生で順調だったのはここまでで、進学後は多くの壁にぶつかり、挫折と失敗を何度も経験した。
魔術がはるかに発達し、魔物娘も多くいる西欧の、それも名門魔術学校となれば、世界中から選び抜かれたエリート達が集まる。人間も魔物娘も、伝統ある名家出身の者が多く、平凡な家の出身の自分は見下された。実際、自分の成績はギリギリで、落第点をギリギリで上回るのがやっとだった。
俺は学校生活の中で、優れた血統。優れた魔物娘。特にエルフやヴァルキリー、エンジェルと言ったものに憧れを抱くようになった。しかし、反対に邪悪なイメージのある魔物娘を見下していた。今思うと、「自分は平凡な家の出身で育ちのいい皆よりも劣っている。しかし、自分よりも下には邪悪な魔物娘がいる」と勝手に自分の尊厳を保つために思い込みをしていただけだったと気づいたのは卒業間近になってからのことだった。
魔術学校の多くは5年生で、優秀な者は3年生で、大抵の人は4年生で魔術師の資格を取得する。しかし、国家資格である魔術師の資格は、そうたやすく取れるものではない。
魔術師の資格を取れないまま卒業し(魔術師資格取得はあくまで目標であって受験する義務はない)、魔術の道から脱落する者も多い。
結局、俺は在学中4度受験したが(資格試験は年に春と冬に二度ある)合格することはできず、進路先が決まらないまま卒業し、帰国した。
「なぁ、伊勢原。おまえはよく頑張ったよ。確かに何度も赤点を取って、追試を受けて、成績も下から数えた方が早かったけど、平凡な家庭のおまえが卒業までこぎ着けたのは立派なことだ。だから、どうだ? 他の進路を考えて、別の道で就職先を探さないか?」
「いえ。私は魔術師になるためにこの学校に入学したのです。まだ、あと1回卒業までに試験があります。それに全てをかけるつもりです。」
「そうか・・・。」
進路相談のときの進路担当の先生とのやり取りはこんな感じだった。結局、試験には落ちたのだが・・・。一応、先生からは「資格がない以上魔術師として進路を探すのは厳しいが、他の分野なら、多少妥協すれば中より上の企業はいくらでもある」と言われていたが、俺は全て断っていた。
(魔術師に関連した仕事は資格がなくてもなれる。しかし、採用される確率は皆無に近い)。
そして今、俺は都心から30分ほど離れた2DKのアパートでアルバイトをしながら浪人生活を送っている・・・愛すべき彼女と一緒に。
「夕飯できたわ。ここ、置いておくわね。」
「ああ。ありがとう。」
「あの・・・紘一さん。私はあなたが他の仕事に就いていてもいいと思っているわ。私はあなたと一緒ならそれでいい。」
「ありがとう。でも心配するな。今年の春こそは合格してみせる。」
彼女の名はアイリス。エルフだ。金髪のロングヘアーに青い瞳。そして透き通るように白い肌。いかにも名家の育ちのよいお嬢様という雰囲気だが、彼女もまた地元では平凡な家庭の育ちだったらしい。
彼女の出身は西欧の森で、実家は花屋らしい。
俺は思春期の頃にはエルフやヴァルキリー、エンジェルに対する憧れと自身の平凡な家系に生まれたことによる劣等感、そしてサキュバスやデーモンに対する嫌悪感の中で過ごしていた。
少しでも印象をよくするために努力もした。おしゃれをしてみたり、エルフやヴァルキリーの同級生を食事に誘ったりもしてみた。
しかし、自分は劣等生で育ちもよくないことから周囲からは見下されており、ましてや女子生徒やエルフやヴァルキリーからは眼中にすら置かれていなかったため、当然断られた。
一方で親切に勉強会や食事に誘ってくれたサキュバスを、「俺はお前らのような下劣な魔物とは違うんだ」と言って断った。・・・今にして思うと恥ずかしい。何ともバカげている。
そんな中、ダメもとで偶然図書室で隣で勉強していたアイリスを食事に誘ったことがあった。
「あの、よかったら夕食。一緒に食べませんか?」
「ええ。いいですよ。」
「え!? ほ、本当ですか!?」
図書室で大声を出したことで冷たい目線が自分に集中する。
「す、すいません・・・」
「ふふっ 行きましょう。」
その瞬間は、奇跡が起きたとしか言い用がなかった。しかし、平凡な家庭生まれの発想というのは低俗だ。こういうとき、名家の同級生なら一流の高級レストランで夜景を見ながら食事をするのだろう。
しかし、自分にはそんなお金はなく、両親からの仕送りも十分にはなく、いつも学食だった(学食は無料)。
結局、自分がエスコートした店は安いイタリアンのレストランだった。
「あなたの家も花屋なのね! 私もそうなのよ。」
「そうなんだ。でも、自分の家の花屋は大した店じゃないよ。ほんとに、小さなジパングの下町の花屋なんだ。」
「私の家の花屋も、森の田舎よ。でも、空気が美味しくていいところだわ。」
「自分の家は、ごみごみした商店街にある。でも、夏になるとお祭りとかがあって、楽しいかな。」
「ねぇ。あなたはどうして魔術師になろうと思ったの?」
「そうだなぁ・・・。小学校のとき、7人の賢者達という本を読んだことかな。」
「私もその本好きなのよ! 小さいときはよく夜更かしして読んでいたわ。そしたら、次の日よく寝坊してお母さんに怒られちゃった。」
「ハハハ・・・」
当時は緊張していて、おぼろけにしか話したことは覚えていないが、大体こんな感じだったと思う。
俺は心に固く誓っている。魔術師の国家資格を取って、魔術研究所か魔法庁に勤めて、アイリスを幸せにしてみせる・・・と。
それから月日は流れ、俺は25歳になっていた。
結局、春の試験は駄目だった。だが、冬の試験は万全の状態で臨んだ。今度こそ・・・。
「どうだった?」
「・・・結果・・・不合格。」
「・・・そう・・・。」
俺は封筒と結果通知書を丸めてゴミ箱に投げ捨て、何も言わずに自室に戻った。
「ねぇ、紘一さん。前から思っていたんだけど・・・ちょっと!」
「来年の春にまた受ける。大丈夫さ。国家試験は30歳まで受けられる。」
「ちょっと! 私の話を聞いて!」
「大丈夫!必ず、次こそは合格してみせるから・・・そしたら、魔術研究所の研究員になって、君を助手にして・・・新しい花を研究しよう・・・」
「紘一さん・・・私たち、もう25なのよ? そろそろ将来のことも考えないと・・・いつまでも紘一さんのご両親にお世話になっているのは申し訳ないわ。」
「大丈夫だから・・・俺を信じて待っていてくれ・・・」
「紘一さん・・・」
気が付いたら、2人の仲は次第に冷え切ってしまった。俺は現実から逃れるように勉強にはげみ、アイリスは将来のことを心配し始めていた。そして将来の話になるといつも喧嘩になってしまう。
この日も、俺は牛丼店でバイトしていた。家の家賃や生活費は両親に一部負担してもらっているが、それだけでは生活できないので自分もこうして働いて生活費を稼いでいる。
自分の先輩たちは皆新しい就職先を探したり、夢を叶えたりして辞めていった。今では俺が最年長になってしまった。後輩たちは夢を叶えるために、将来のために働いている。
「なぁ、伊勢原さんだけど、魔術学校出てるらしいぜ。」
「マジかよ! でも、なんで魔術学校まで出てこんなところでバイトしてるんだ?
「さぁ・・・ま、でもエリートの中にも落ちこぼれっているんだな。あ、先輩お疲れ様です!」
「お疲れ・・・」
俺は休憩時間になったので休憩室に入った。部屋にはすでに2人の後輩が休憩を取っていた。
「先輩。なんか顔色悪いですよ。」
「そうか?」
「なんか、顔が青白いというか・・・くまも出来ていますよ?」
「まぁ、夜遅くまで勉強しているからな。」
「でも、それにしては・・・(どうせ万年浪人生なんだから、いい加減将来のこと考えて就活した方がいいんじゃないか?)」
その後、俺は店長から許可をもらい1時間早くあがらせてもらい、病院へ行った。
この街の病院というと・・・裏通りのここしかない。裏通りのテナントの2F。ここには刑部狸が医者をやっている病院がある。刑部狸がやっているだけあって怪しさは満載で、外科から内科から心療内科から何から何まで網羅しているにも関わらず、診察費や治療費、薬代も安い。噂ではやばい薬を扱っているという噂もあるが・・・。
俺は受付で手続きを済ませ、名前が呼ばれると診察室へ向かった。
「寝不足、過労、及びストレスから来る貧血ですね。もう少し放っておいたら倒れていましたよ。」
「は、はぁ・・・」
「特に、ストレスが強いですね。あなたは国家資格を受験しようとしている。ですが、他にも不安なことはあるのではないですか? 話してみてください。」
「実は・・・」
自分は全て打ち明けた。何度も受験しては不合格になっていること。彼女との関係も冷え切っていること。そして、同級生が次々と出世していくのに対して自分は国家資格すら取れていないことに焦りを感じていること話した。
「まぁ、不安がないと言ったら嘘になりますね。もう、何もかもが嫌ですよ・・どうして上手くいかないんだろう・・・」
「実は、今のストレスを軽減するのに良い薬があります。この薬は今実験の実用試験段階ということで、効果は保証することはできませんが、今までの実験では優秀な結果が出ています。」
「実験中の薬ですか!? それって、危ないんじゃなぁ・・・(やっぱりこの刑部狸。ヤバい薬を扱っているんじゃないのか?)」
「いえ。今までの実験では死者を出したり、発狂したりした者は居ません。」
そして、刑部狸の医者は薬について説明を始めた。要点をまとめるとこうだ。
・この薬は元々戦場で戦う軍人のストレスを軽減するために開発された。
・この薬を飲むと昨日の記憶を完全に忘れることができる。
・この薬を飲むと嫌な記憶を忘れることができて、ストレスを大幅に軽減することが期待される。
・この薬はタイムリープのようなもので、この薬を一錠飲めば一日未来へ行くことができるような感覚だ。
・くれぐれも過剰摂取は厳禁。
「つまり、この薬はタイムリープの薬なのですよ。」
「でも、実際の自分は嫌なことを経験するわけですよね? それじゃあ意味ないんじゃあ・・・」
「皆さま最初はそうおっしゃいます。しかし、被験者たちは皆、タイムマシンで未来にワープしたような感覚だったと言っています。どうですか? 勿論、実験中のお薬ですので、薬代はいただきません。」
「まぁ、薬代が不要ということなら・・・」
「分かりました。くれぐれも、"過剰摂取だけはしないでくださいね。"」
こうして俺は、タイムリープできるという薬をもらい、受付で支払いを済ませて帰宅した。
嫌なことがある前にこれを飲めば忘れられるのか・・・、まぁ、試してみるか。
そして、薬を使うタイミングは早くも来た。
同級生の結婚式の招待状が送られてきたのだ。
「ねぇ、せっかく招待状を送ってくれたんだもの。行きましょう!」
「いや・・・でも・・・」
「たまには息抜きしましょう。 ね?」
「う・・うん・・・」
内心、俺は同級生に対して劣等感を感じていた。正直、学生時代にはアイリスとの出会い以外、あまりいい思い出はない。
同級生が出世したり結婚したという話は何故か嫌でも耳に入って来る。そのたびに俺は劣等感を募らせていった。
結局俺はアイリスに勧められて一緒に行くことにした。
(どうせ、おまえ今どうしているんだとか・・・いろいろ嫌なこと聞かれるんだよな・・・25にもなってまだ資格取ってないなんてバレたら・・・惨めなだけだよ・・・ そうだ! この薬・・・試してみるか!)
俺はタイムリープの薬を一錠飲んでみた。
次の瞬間、俺は意識を一瞬失い、気づいたら俺は昨日の私服ではなくスーツを着て立っており、アイリスはドレスを着ていた。
「楽しかったわね! それに2人とも幸せそうだったわね! ・・・どうしたの?」
「いや、別に・・・。」
目の前にはバームクーヘンが入った紙袋が置かれており、電波時計の日付は明日(タイムリープする前から見て)になっていた。
(本当にタイムリープしたのか!? でも、結婚式の記憶が全然ないぞ!?)
「あ、あのさアイリス! 俺、なんか変なことしなかったか!?」
「え!? どうしたのいきなり?」
「いや・・・その・・・俺、結構酔っちゃったからさ・・・記憶がないんだよね。酔って変なことしてなきゃよかったんだけど・・・」
「そんなに飲んだかしら? ワイン一杯しか飲んでないのに?」
「ほら! 俺、酒弱いから・・・すぐ酔っちゃうんだよね。」
「そうだったっけ? まぁ、特に変なことはなかったし、あなたも楽しそうにしていたから大丈夫よ。」
「そ、そっか! よかった・・・」
(これはすごいクスリだ! これなら嫌なことを何も経験しないで済む! いや、それどころか試験の前日にタイムリープすればすぐに試験を受けられるじゃないか!)
こうして俺は、十分に勉強して大丈夫だと思ったとき、この薬を使って試験前日にワープし、試験を受けた。
「どうだった?」
「やるだけやった。今度こそ、大丈夫さ・・・」
「そう。よかった。あのね・・・」
アイリスが話そうとしたとき、突然スマホに電話がかかってきた。
「ごめん! 店長から連絡があって、今人手が足りないから来てくれって。ごめん! 行って来る!」
「ちょっと!紘一さん!」
俺は制止するアイリスに背を向けて、バイト先の牛丼屋に向かった。
(ああ、でもこんな仕事も思えば嫌だな・・・周りは俺よりも年下の奴ばかりになっちゃったし、先輩たちはみんな卒業して辞めて行ったし・・・。それに、後輩たちはなんだか自分を見下してるような気がするんだよな・・・それに、仕事も退屈か忙しいかのどちらかで辛いだけだ。)
俺はまたタイムリープ薬を飲んだ。
意識が戻ったときには既に夜になっており、俺はカウンターに立っていた。
「おい伊勢原。今日はもうあがっていいぞ。」
「はい。お疲れさまでした!」
「おい、伊勢原。おまえも、もう25だろ? 彼女だって居るんだし、そろそろちゃんとこの先のことを考えなきゃいけないんじゃないか?」
「大丈夫ですよ。それじゃ!」
店長までアイリスと同じことを・・・まぁ、魔術師資格さえ取れれば、いくらでも魔術関係の企業から引き手がある。そうすればここともおさらばだ。
タイムリープ薬を使い果たしたその日。俺は再び刑部狸の病院に向かった。
「伊勢原さん。その後、どうですか?」
「ええ。少し、気持ちは楽になりました。」
「そうですか。それはよかった。引き続き、この薬の処方を希望されますか?」
刑部狸はタイムリープ薬を机の引き出しから取り出した。
「え? い、いや・・・どうしよっかな・・・」
「実は、この薬は正式に製品化されることになりました。なので、この薬の処方は次回からジェネリック薬品としての処方となるので、薬代は発生します。それも、まだ生産数も少ないので、少々価格はお高くなります。」
「い、今は、もういいです!」
「そうですか! よかった・・・実は、この薬を服用した被験者の多くが、この薬に強い依存性を出してしまったので、心配していました。一応、製品化されたこの薬は、効果を弱めて半日になっているのですが・・・」
「そ、そうなんですか・・・」
「とにかく、依存していないならよかったです。あ、すみません!」
刑部狸は電話を取りに奥の部屋に消え、通話を始めた。
次の瞬間、俺は理性よりも先に本能が勝り、気づいたら机の引き出しから大量のタイムリープ薬を盗み出し、病院を後にしていた。
家に帰ると、俺はカレンダーを見つめていた。アイリスは外出している。
(早く試験の結果が知りたい・・・)
俺は合格通知書が届く日までの日数分のタイムリープ薬を飲んだ。
意識が戻ると、俺は暗い部屋の中でベッドに寝ていた。
(あれ、通知書は・・・)
俺は通知書を探す。そして、ゴミ箱の中に通知書を見つけた。それを見て、俺は結果を悟った。しかし、わずかな望みをかけて、ゴミ箱から通知書を取り出し、結果を確認する。
不合格・・・その文字を見た途端、俺は現実に引き戻された。
次の日、仕事が終わり、帰宅の準備をしていたとき、店長に声をかけられた。
「伊勢原。悪いんだけど、今日限りで解雇だ。」
「えっ!? く、クビですか!?」
「まぁ、な。うちも、若い子をどんどん入れないと、その、な。上がうるさいんだ。」
「そんな・・・」
「悪いな。まぁ、でも、お前ももう26だろ? 今からでも遅くはない。必死に就職活動すれば正社員になれるさ。じゃっ(ま、本当は単に若い奴を入れたいから俺が辞めさせたんだけどな)」
クソッ! クソッ! クソッ!
なんで何もかも・・・こんなに悪いことばかり続くんだよ!!
次の瞬間、俺はタイムリープ薬を飲んでいた。
バイトをクビになったあと、勉強にも身が入らず、アイリスとも話をすれば喧嘩になってしまい、そのたびに俺を家を飛び出して近くをブラブラして帰るという日々を送っていた。
そんなある日。俺は日用品の買い出しからアパートへ戻るとき、キャリーバッグと荷物を持ったアイリスが目に入った。
「おい、アイリス! なんだよその格好・・・」
「・・・前からお母さんに言われていたの。26にもなって何もしていないなら、実家に帰って花屋を継ぎなさいって。私もその方がまだちゃんとした生活を送れると思うから、実家に戻ることにしたわ。」
「そ、そんな! 何で一言も相談もなしに!」
「紘一さん、いつも聞いてくれなかったし、聞こうともしていなかったでしょ!?」
図星だ・・・俺は最近、アイリスとまともに向き合っていなかった。全ては俺の招いた結果だ・・・。
「ごめんなさい。さようなら・・・試験。頑張ってね・・・」
そう言い残して、アイリスは俺の元から去って言った。
アパートの中は、アイリスの所持品が全て消えていた。
その後、俺は勉強に身が入らず、ただアイリスを失った虚無感の中、無気力にベッドで横になる日々が続いた。
(失って初めて気づいた・・・アイリスが居ることは、当たり前のことではなく、素晴らしいことだったこと。そして、今まで自分の勝手な夢で、アイリスを振り回し、20代という貴重な時間の大半を失わせてしまったこと。)
俺がもし、あのときアイリスに声をかけて居なければ、アイリスは魔術師になって、俺なんかよりももっといい家で育ったいい男と結婚して・・・俺がアイリスの人生を・・・狂わせてしまったんだ・・・
さらに悪いことは続いた。
「もしもし。お母さん? また、今月少し苦しくて・・・」
「紘一!? お父さんが倒れたの! 今病院に運ばれて・・・」
数日前、父親が倒れたという知らせを母親から聞いた。急性の脳梗塞だということだ。助かる可能性はあるが、助かっても身体麻痺の後遺症が残ること医者から告げられたという。
もう、到底親に資金援助を頼む気にはなれなくなった。
(俺は・・・自分の勝手な夢のために、どれだけの人に迷惑をかけて来たのだろう・・・これだけ迷惑をかけても、俺は何一つ結果を出せず、ただ周囲を振り回しただけだった・・・もう嫌だ・・・俺なんて・・・この世から居なくなった方がいい・・・)
そう思い、俺はロープを買ってきたが、いざ首を吊ろうとしたときに怖気づき、死ぬことさえも満足にできない自分にただ腹を立てるしかできなかった。
俺は今の2DKのアパートを引き払い、ワンルームの安い賃貸に引っ越した。
その後、無職となり収入もないまま、国家試験など受けられなくなった俺は、魔術師の道を諦め、身の丈に合った道を歩むことを決意した。
しかし、既に何もかもが遅すぎた・・・
俺は26歳。今から正社員になろうにも、年齢というハンデ。そして職歴なしというハンデは想像以上に大きかった。
確かに俺は名門の魔術学校を出た。しかし、学歴など、新卒をとっくに過ぎた今となっては全くアテにならないことに気づかされた。
「君、魔術学校を出て居るんだ。すごいね。でも、こんな年齢になるまで、何をやっていたの?」
「魔術学校を出ているのに、何で魔術師にならなかったの?」
「魔術学校を出ていても、資格が無いんじゃ、うちではちょっとねぇ・・・」
「君、なんでこの業界を選んだの?」
「君、卒業してから26歳になるまで、何をしていたの?」
「ようやく現実を見るようになったんだ。それは立派なことですけど、現実を見るなら、もう少し段階を踏んで・・・ね?」
「これだけの学歴なんだから、うちのような中小企業に何て来ない方がいいよ。君はうちには勿体ない(職歴なしの26歳なんて人間のクズだろう。全く、これだから最近の若いモンは)」
「うち、今はもう定員なんだ。ごめんね(大嘘)」
「君、運転免許持ってないの? ああ、採用条件には書き忘れちゃってね! ハハハ・・・(とっとと帰れよ。こっちだって社会の廃棄物を相手しているほど暇じゃないんだから)」
「英語ができる? でも、ちゃんとTOEICでいい点を取って、結果を残してもらえないとねぇ・・・」
「あのさぁ・・・君、社会をナメてない?」
「君、26歳になるまで何をしていたの?」
「君、27歳になるまで何をしていたの?」
「君、28歳になるまで何をしていたの?」
俺は、ただただ苦痛な日々を送っていた。いくつも面接を受けては落とされ、受けては落とされ続ける。どの面接官も俺のことを社会のクズ。カス。廃棄物。と罵った。
俺は嫌なことがあるたびにタイムリープ薬を飲んだ。でも、そんなことをしたって現実は変わらない。
今の問題を未来の俺に押し付けたとこで、結局現実と向き合うのは自分なのだから、自分が解決するしかない。そんな当たり前のことにはとっくに気づいている。それでも、嫌な現実から逃れたくて・・・
残っているタイムリープ薬を
全て飲んだ
俺は目が覚めると、全く見慣れない白い部屋で目を覚ました。
「ここはどこだ・・・?」
場所はどうやらどこかの家の2階らしい。だが、全く身に覚えのない場所だ。
「今は・・・20年後!? そっか・・・俺は・・・」
俺は大量のタイムリープ薬を飲んだ。気づいたら俺は20年も先にタイムリープしてしまったのだ。つまり、今の俺の年齢は48歳。
俺は何か手掛かりがないか、机の引き出しや押し入れを探してみた。すると、一つの白い箱が見つかった。
中には、国家魔術師試験合格通知書。そして何かの魔術の論文。そして俺の論文が掲載された魔術雑誌が入っていた。
「こ、これは・・・合格通知書!? いつ受かったんだ!? ・・・俺が30歳のとき・・・受かっていたのか!?」
そして、俺が書いたと思われた論文を読んでみる。
「本当に俺が書いたのか!? そして・・・極東魔術研究所・・・伊勢原紘一博士!? 博士号まで取っていたのか!?」
その後、押し入れの中から黒い日記帳を見つけた。しかし、書かれている日付は飛び飛びで、書いては忘れて、また書いてを繰り返していたらしい。
それによると、今の俺はフリーのWebデザイナーをやっていることが分かった。どうやら収入は低いが、安定した仕事も得られており、田舎のこの家は持ち家で、交通の便が悪い分安く買うことができ、生活にも困っていないことが書かれていた。
(俺は・・・他に今の俺の手掛かりは・・・)
そのとき、部屋の扉が開けられた。
「どうしたの? 凄い音がしたけど・・・」
「お、お前は誰だ!?」
「ど、どうしたの?」
そこには、俺がかつて忌み嫌っていた、デーモンが立っていた。紫の肌に、セミロングで前髪で片目を隠し、顔立ちのよい顔をしている。胸も大きく、スタイルもよく見れば魅力的だ。
「おい! お前は誰なんだ!? ここはどこだ!?」
「あなた・・・寝ぼけてるの? それともまだ昨日のお酒が抜けていないの?」
「き、昨日のお酒?」
「依頼されていた仕事が完成したからってビール10本もいっぺんに飲むからよ。・・・ここはあなたの家。そして私は妻のレナでしょ。」
レナと名乗るデーモンは薬指にはめられた結婚指輪を見せる。そして俺も自分の薬指を確認する。
(レナ・・・そして・・・俺の名前?)
どうやらこのデーモンの言っていることは本当らしい。だけど、何でデーモンと結婚したんだ? 確かに卒業してからの俺は、デーモンやサキュバスを特別忌み嫌ったりはしなかった。そんな感情はとっくの昔に消えた。それに、アイリスは? やっぱり、あのあと別れて・・・よりを戻せなかったんだな・・・。
すると、今まで笑顔をしていたレナは、片目隠れでも分かるぐらい、真剣な眼差しをして語りだした。
「いつか、こういう日が来るんじゃないかと思っていたわ・・・」
私は知っていた。彼が心を病み、現実から逃避する薬に手を出していたことを。私は何度も紘一にやめてと言った。でも、彼は聞き入れなかった。薬が彼を蝕んでいた。それと同時に、現実から目を背け、苦しみから逃れるために逃避し、そしてより大きな苦しみから逃れるためにまた逃避をする・・・そんな悪循環から彼を救いたかった。
それならばと彼に日記をつけさせた。しかし、彼はたびたび日記を書くことをサボり、私がよく無理やり書かせていた。
しかし、彼の仕事が決まると、彼は仕事に情熱を燃やすようになり日記を書かなくなり、私もそんな紘一を見て安心し、気づいたら日記はどこかへいってしまったが、まさかこんなところにあったなんて・・・。
「そ、そうだ! アイリスは! アイリスは今どうしているんだ!?」
「安心して。彼女は今は幸せに暮らしているわ。・・・紘一。全てを知りたい? 失った空白の時間を。」
「あ、ああ! 勿論だ!」
「・・・あなたの人生は、多くの苦痛もあった。それに今、向き合う覚悟はあるの?」
「・・・ああ。」
「わかったわ・・・(アイリスね・・・紘一の初恋の人。ま、でも紘一の童貞はあたしが頂いちゃったケド)」
レナは片目を隠している髪を指でのけた。隠れていた眼は緑色の瞳をしていた。
「私のこの眼は強大な魔力を持っているわ。でも、人間の記憶。それも薬によって弄られた記憶を呼び起こすことは並大抵のことではないわ。私にも完璧に呼び起こせるかは分からない。それでもよければ、私の眼を見なさい。」
俺はレナの緑色の片目を見る。すると、意識が少しずつ遠のいていった。
白い靄に包まれたおぼろげな景色。しかし、少しずつはっきりとした景色を映し始めた。
(俺は・・・タイムリープ薬を飲んだあとも・・・いくつも面接を受けて・・・そして落とされて・・・)
(家賃も払えなくなって・・・家を追い出されて・・・実家に戻って・・・)
(お父さんが亡くなって・・・実家の花屋を手伝うけど、経営が悪化して・・・店を閉めて手放して・・・田舎の市営住宅に入居して・・・俺は心を病んで・・・何度も自殺未遂を図って・・・母親を泣かせて・・・)
(俺は精神病院に入れられて・・・30歳で退院して・・・)
(これは・・・アイリス!? アイリスなのか!? 隣の男は誰だ? これは・・・結婚式場!? 俺は・・・2人と握手して・・・)
(レナ!? ・・・一体いつ・・・どこでレナと・・・ それに、これってレナとセックス・・・)
(これは・・・魔術師国家試験の合格通知書!? レナも喜んでる・・・)
(これは・・・どこだ・・・? 大勢の前で、俺はスクリーンの前に立って・・・何の発表をしているんだ? 何の研究をしていたんだ!?)
(これは・・・パソコンで・・・Webサイトを作っているのか? でも、なんで・・・Webデザイナーになろうと思ったんだ・・・)
気が付いたら、俺は1階のリビングらしき部屋のソファーに寝かされていた。
「どうだった?」
「・・・辛いことも・・・一杯あった・・・だけど・・・全てが・・・俺の空白の時間が・・・分からないことがもっと辛い。」
「・・・ごめんなさい・・・私の魔力でもこれが限界なの。」
レナからいくつか、俺の今までの人生のことを聞いた。
俺は30歳のときにレナと出会い、交際を始めた。プロポーズしたのはレナからで、俺は「学生時代、俺はデーモンやサキュバスを勝手なプライドのために見下した人間だ」と答えたが、レナは「そんな昔のことはどうでもいい」と笑って返したこと。
レナと一緒に住み始める頃になっても、家族の死や就職活動が上手く行かないストレスから心を病んでいたこと。
レナは自分が俺の傍に居なければ駄目だという思いから、田舎の安い家を購入し、自然豊かな地域に身を置くことで精神状態を安定させようとしたこと。
しかし、それでも俺の勝手な脅迫概念で、俺は働かなければ駄目だと、勝手に自分で自分を追い込んでしまったこと。
そんな中、レナに自宅でできる仕事を探しなさいと言われ、俺はたまたま手に取った求人雑誌の中にWebデザインの委託の仕事を見つけ、慣れないながらも少しずつスキルを上げ、気が付いたらフリーのWebデザイナーになったこと。
そして、アイリスは今は名家の男性と結婚しており、結婚式にはレナと俺、2人で行ったこと。アイリスは俺の手掛けたホームページから今の俺を知り、俺が作っていたプロフィールサイトから今の俺を見つけ出し、結婚式の招待状を送ったこと。
俺はアイリスに「今までごめん。俺の勝手な夢のせいで、君の大切な人生を狂わせてしまった」と謝罪した。アイリスは「あなたとの時間も楽しかった。あなたが居てくれたから今の私がある。だから泣かないで」と。そして結婚相手の男性も「アイリスを大切にしてくれてありがとうございます。」と感謝したこと。
俺は心の奥底で、まだ魔術師の夢を諦め切れていないことをレナは悟り、30歳。最後にもう1回だけ試験を受けられるから受けてみたら? と言ってくれたこと。
俺は初めは拒否したが、レナが説得したことで試験を受けることにして、30歳にして試験に合格したこと。
その後、俺は一時一人でジパング地方の離れ島にある極東魔術研究所に単身赴任し、週末はレナの元へ帰省しながら薬草の研究をして、論文が権威ある雑誌に掲載され、学会で発表し、晴れて博士号を取ることができたが、レナとの時間を大切にしたいという想いから研究所を退職し、レナの元へ戻ったこと。
そして、Webデザイナーという元鞘に収まり、今こうして生きていることを教えられた。
だが、どうしてもレナとの出会い、何を話して、どんな初体験をして、どんな形で結婚したのかだけはどうしても思い出すことができず、気づいたら涙が溢れている自分に気が付いた。
(俺は馬鹿だった・・・10代や20代の苦しみや・・・見栄やプライドや・・・悪い出来事なんて、40代になる頃にはどうでもよくなってしまうのに・・・。それよりも、人生の中で辛いこと、苦しいこと、悲しいこと、楽しいこと・・・それらを積み重ねていくことこそが人間の一番の財産になるのに、今の自分には20代の苦しかった頃の記憶しかなく、20年間の記憶が空白になってしまった・・・その結果、俺は人生で一番大切な記憶すらも失うことになったのだ・・・)
レナはそっと俺を抱きしめた。レナの2つの果実が俺の顔を包み込む。それは心地よい感覚と同時に、心が落ち着き、心の雲が晴れていくような気がした。
「失った記憶は戻らない。でも、これからの記憶は、あなたにとって大切な宝物になるはずよ。」
「・・・これからの・・・」
「そう。これから・・・キャッ!」
俺はレナを両腕を掴み、ソファに押し倒した。
「そうだ! これからだ! 俺はもうすぐ50になる・・・あと30年もすれば死ぬ! だったら、これからはやりたいことをやって!」
「あんっ! ちょっと!!」
俺はレナの胸をわしづかみにして揉みしだく。
「たくさんの宝物を作っていく!」
俺は服を脱ぎ捨て、レナに大かぶさった。
(30年・・・? フフフ・・・何を言っているの? 気づいていないみたいね・・・あなたはもう私と何度も交わっているのよ。あなたの体はインキュバスになり始めている。そうなればあと100年は生きられるわ。先はまだまだ長いのよ。そして、これからの100年はあなたにとって最高の宝物にしてあげるわ。)
18/08/04 21:35更新 / 幻夢零神