ケンタウロスさんと歩こう
私の名はマルタ。
上半身は人間の女性、下半身は馬の姿をしているケンタウロスという魔物だ。
世界中を廻る旅をしていて、今はサントーズという街へ向かう道を歩いている。
その道の途中で、私は前方に一人の男が片手を挙げて立っているのに気づいた。
よく見てみると、その男が挙げている手の親指が立っている。
それが一体何を意味するのか。
少し気にはなったが、気にせず無視することにした。
そう考えた私が歩いていき、男の前を素通りしようとした時だった。
その男が私に向けて言ったのだ。
「サントーズまで乗せてってくれ」
私は、その言葉を聞かなかったことにして素通りした。
「なあ」
私の名はマルタ。
上半身は人間の女性、下半身は馬の姿をしているケンタウロスという魔物だ。
世界中を廻る旅をしていて、今はサントーズという街へ向かう道を歩いている。
「なあってば」
もちろん一人でだ。
初対面のケンタウロスに「乗せてけ」などと、失礼極まりない頼み事をする奴に会ってないし、そいつがさっきからついてきてうるさく私に話し掛けてもいない。
「なあ、待てって」
そう。歩いているのは私一人。
だから、何が聞こえてもそれは幻聴、錯覚、気のせい……。
「なあケンタ」
「誰がケンタだ!」
はっ、つい反応してしまった。
せっかく無かったことにしようとしてたのに。
いかんいかん。
気を取り直して今度こそ無視だ。無視無視……
「じゃあもう一文字削ってケンなら」
「もっと悪いわ!」
無視しようと思ったが、そんなバカにしたような名で呼ばれては黙っていられん。
男は私の返答が不満なのか、首を傾げている。
「じゃあ、何て呼べばいいんだ?
お前の名前知らないし、種族名で呼ぶしかないだろ。
でもケンタウロスじゃ長いから、略してケンタ。もしくはケン」
こいつ、私が名を教えない限り、そう呼ぶ気か?
だが、名をこいつに教えるのは気が進まんし……。
だがこのままケンタやらケン呼ばわりされるのは絶対嫌だ。
それなら名を教えた方がまだマシか?
うーむ。
仕方ない、教えるか。
「私の名はマルタだ」
「ふーん。マルタ、マルタか」
普通ならこっちからも男の名を聞くところなのだろうが、そんなことはしない。
ぶつぶつと私の名を何度も呟いている男を放っておいて、私は先を急いだ。
後ろからは、男が呟いているマルタ、マルタという声が聞こえてくる。
何をしているんだ、この男。
まあ、どうでもいいが。
などと私が思った時だった。
「マルタか、良い名前だな」
「えっ」
後ろから、そんな声が聞こえてきた。
私は思わず立ち止まる。
……今、あいつ、なんて言った?
良い名前?
誉めたのか?
私の名を?
私はこの名が好きだ。
この母がつけてくれた大事な名が。
だからそれを誉められることは、とても嬉しい。
だからって、最初の失礼な発言が帳消しになるわけではいが……。
まあ、無視するのはやめて、相手くらいはしてやってもいいか。
後ろにいる男に、私は振り向く。
「お前、名は?」
「エドソン」
エドソン、エドソンか。
なかなか、悪くない名じゃないか。
「エドソン、乗せるのは悪いが無理だ。
だがその、何だ。サントーズまでついて来てもいいぞ」
この私の提案にエドソンは頷いた。
「分かった。一緒に行こう。マルタ」
こうして、私はエドソンと旅をすることになった。
サントーズまで一緒に旅をすることになった私とエドソンは、お互いのことを話し合った。
といっても、二人ともしがない旅人だし、話が弾むほど仲良くもないので話はすぐに尽きる。
お互いとくに話すこともなくなり、無言で歩いていた時だった。
「なあ、ケンタウロスって」
「なんだ」
私はエドソンの方を向かずに道の先を見たまま、相槌を打つ。
それを受けて、エドソンが言う。
「尻丸出しだよな」
「は?」
思わず足を止め、立ち止まる。
私が急に立ち止まったことに気づいたエドソンも、その場で立ち止まりこっちを振り向く。
「こうやって見られて恥ずかしくないのか?」
エドソンが私の馬の下半身を見て聞いてきた。
それに私は呆れながら答える。
「恥ずかしいわけがないだろう。だって馬の体だぞ?
お前は馬が尻見られて恥ずかしいと思うのか?」
「ふーん。そうか」
エドソンは顎に手を当て、いかにも『考え中』というポーズをとった。
なんなんだ、こいつは。
わけがわからん。
私がエドソンの言動に首をかしげているときだった。
エドソンは先ほどの発言を軽く上回る、衝撃の一言を発したのだ。
「じゃあ、今ここで裸になれるか?」
………。
こいつ、今、何て言った?
ここで裸になれるか、だと?
「なっ、なななな何を言っているのだお前は!
バカなのか!? 変態なのか!? それとも両方か!?」
私は後ずさる。
体をこの変態から隠しながらだ。
その変態はというと、難しい顔をしながら首を傾げている。
「裸になるのが恥ずかしいのか?」
「当たり前だ!」
こんなところで裸になるなど、まるで露出狂で変態ではないか!
由緒正しいケンタウロスがそんな真似できるか!
まったく、何なんだ、さっきから……。
こいつは一体、何を考えている……?
私はエドソンを警戒し睨みつけるが、それに気づかずエドソンは平然とした態度で言った。
「それっておかしくないか?
馬が裸を恥ずかしいとは思わない。
でもマルタは裸になるのが恥ずかしいと言った。
ってことはケンタウロスは裸に対する羞恥心がある。
だったら馬の尻だって、ケンタウロスにとっては裸なわけだから、恥ずかしいはずじゃ?」
エドソンのこの言葉に、私は先ほどとは別の意味で驚いていた。
意外とまともな考えだったからだ。
それならさっきの質問の意図もわかる。
たしかにわかるが……だからっていきなり裸になれるか、なんて聞くか普通?
でもまあ、この問い自体は真面目なものみたいだし、こっちも真面目に答えてやるか。
「それはどうかな。
人間だって手や足の部分が裸でも平気だろう。
それと同じじゃないか?」
「あ、そうか、なるほど」
私の答えを聞いたエドソンは、また『考え中』のポーズをし、ぶつぶつと呟いている。
「羞恥の感覚が人間と違うのか。
胸はダメだけど尻はオッケー……ということは」
こいつ、けっこう真面目なことも考えるんだな。
そんなことを思っていた私に、エドソンは今日3度目の爆弾を投下した。
「だったらお前の尻を触っても構わないよな」
私は再び後ずさる。
さっきより距離を多めに。
……何だこいつ、馬フェチか?
そういう変態だったのか?
警戒を強めている私に、エドソンは手をわきわきと動かしながら、じりじりと近づいてくる。
「手や足と同じなんだったら、いいだろ?」
「いや、だがな」
エドソンがさらに近づく。
私は後ずさる。
「何で逃げる。触られるの嫌なのか?」
その問いに私は頷く。
べつに馬体を触られること自体は問題ないのだが……。
私が触られるのを拒否するのは、別の理由があるからだ。
その理由は知られたくない。
悟られるわけにもいかない。
「なんで触っちゃダメなんだ?」
「なんでって……それはだな」
言葉を濁す私に、エドソンはとんでもない台詞を言った。
「教えてくれないと、ケンタウロスは露出狂の種族ってことになるけど」
「ろ、露出狂!? なんでそうなる!?」
「だって、教えてくれないなら理由は想像するしかないし。
で、考えてみると尻を触られるのが嫌な理由なんて、俺には恥ずかしいからくらいしか思いつかない。
当然、触られるのが恥ずかしいなら、見られるのも恥ずかしいはず。
そうなると、ケンタウロスは恥ずかしい部分を常に見せている種族ってことになる。
つまり露出狂と」
な、なんだそれ。
ケンタウロスが露出狂などと、いくら何でも飛躍しすぎだろう!
「違うっていうなら、ちゃんと理由を教えてくれ」
「い、いやしかしだな」
「ちなみに、教えてくれないなら、これを世界中で言いふらしまくる。
もしこれが噂として広まれば、全てのケンタウロスたちがそういう目で見られることになるだろうな」
「バカな、そんなの明確な証拠もない憶測ではないか!」
「噂を広めるのに証拠や根拠はいらない。
重要なのは話題性だ。それなら十分ある」
「うぐ……」
確かにその通りだ。
人間は噂話をするとき、それが真実かなんてあまり考えない。
重要なのはその話が面白いかどうかだ。
そして、この話はその基準をクリアしていると言える。
これが世界中に噂として広まる可能性はあるだろう。
そうなれば、こいつの言う通り人々のケンタウロスを見る目は変わるかもしれない。
つまり、私が本当の理由を言わなかっただけで、ケンタウロスという種族全体が貶められることに……。
いや待て、それどころじゃないぞ。
この話はケンタウロスだけでなく、同じ下半身が馬のナイトメアやユニコーンにも当てはまる。
ということは、全ての馬系魔物たちの命運が私に懸かっているのか……?
な、なんということだ……。
あまりのプレッシャーに、私は地面に膝をついた。
自分一人か、種族全体か。
どちらを取るべきか、天秤にかけるまでもない。種族全体に決まっている。
だが、理由を口にしたくないのも事実。
うう、どうしよう。どうしたら……。
「あ、あんなところに人がいるぞ。早速、話してみよう。おーい!」
エドソンが手を振り、前方へ駆け出そうとする。
ま、まずい……!
「わ、わかった! 言う! 理由言うから!」
私の叫びを聞いて、エドソンが振り向く。
「じゃ。教えてくれ。なんで、触れられたくないんだ?」
「ちょ、ちょっと、待て」
私は立ち上がり、大きく息を吸って何度か深呼吸をする。
…………よし、少しは落ち着いてきた。
そうだ、その前に一つ確認しておくことがあるな。
「言う前に約束しろ。理由を聞いても絶対に私に触れない、と」
「ああ、約束する。絶対にお前に触らない」
こいつがちゃんと約束を守るかわからんが、今は信じるしかない。
「じゃあ、言うぞ。私が触れられたくない理由はな……」
「理由は?」
うっ……いざその時となると、やっぱり恥ずかしい。
顔は火が出てるんじゃないかってくらい熱いし、心臓は狂ったみたいに鼓動が早くなってるし……。
せっかく深呼吸して冷静になれたと思ったのに……。
だがもうやるしかない! やるしかないんだ!
「わ、私はだな……その……お、男に触られただけでだな……その、は、ははは」
「はは?」
……ええい、ままよ!
私は顔を俯け、目をつぶり、思い切って言った!
「は、発情してしまうんだ! だからお前に触られたくないんだ! わかったか!」
……言った。
ついに言ってしまった。
こんな、自分が破廉恥で淫乱だと告白させられるなんて……。
なんて屈辱……!
恥ずかしすぎて、もう死にそう……。
「ああ。わかった」
エドソンの声が耳に届く。
なんだか真面目な声だ。
もっとバカにされたり、からかわれたりするかとも思ったが……。
「……笑わないのか?」
「笑わない」
「え?」
意外な言葉が返ってきて、思わず私は顔を上げる。
と、同時にエドソンの言葉が投げかけられる。
「っていうか、知っていたしな」
…………。
………え?
「前に会った魔物が言ってたからな。
ケンタウロスの中には男に触れられただけで発情してしまう奴もいるって。
だからお前が触られたくないのは、そういうことなんだろうって気づいていた」
知っていた……?
気づいただと……?
「それなのに、私にあんなことを言わせたと?」
「ああ」
「なぜわざわざそんなことを!」
「お前が恥ずかしがる姿を見たかったから」
奴の言葉に私は唖然とする。
そんなことのために、この私にあんな辱めを与えたというのか!
こ、この男……バカにしてぇぇぇ…………!
私の怒りが炎のように燃え上がっていく!
だがその時。
エドソンが表情一つ変えずに私に言ったのだ。
「お前の思い詰めた顔も、恥ずかしがる顔も、なかなか可愛くて良かった」
……え?
か、可愛い? 私が?
でも、今までそんなこと言われたことないし……。
いきなりそんなこと言われても……。
燃え盛っていた私の怒りが、こいつの言った可愛いという言葉によって消されていく……。
「……なわけあるかぁぁぁーーーーー!」
そんな言葉だけで、この怒りを消せると思うな!
私は背負っていた弓に矢をつがえる。
「ちっ、2度はデレないか」
それに気づいたエドソンは素早く逃げ出す。
なかなかの運動神経と言いたい!
だが!
「逃がすかぁぁぁーーーーーー!」
私は弓矢を構えたまま、エドソンを追って駆け出した。
10/11/02 02:00更新 / ぞろ