第3ックス!
ウーアシュタッドの、『午前』の 7時の鐘が鳴り響く。連続で鼓膜を揺らすその音にハッと顔を上げたエドは、作業机の上に置いてある連結時計のすべての針に目を通した。三つの連なった時計のいずれも7時ちょうどを指し、秒針がゆったりと回っている。
「しまったぁ……徹夜しちゃったかぁ……」
自覚した途端に体をだるさが襲う。だらしなく伸びをすれば腕や腰の骨がポキポキとなった。トイレに数回立った以外座りっぱなしだった体は固まりきっている。
「あー……今日は学校なのに……あー」
猛烈に、めんどくさい。買ったノートのうち一冊を埋められるほどに研究が進んだのはいいが、このだるさは如何ともし難い。
一限目が始まるのは11時から。登校時間や食事のことも考えると仮眠はできて2時間半程度か。
「……仕方がないか。」
こうなればこのまま、起き続けるしかない。幸い急ぎ提出するレポートや終わらせる課題実験などはなかったはずだ。いつも優先してそれらを終わらせる己のクソ真面目っぷりはこういう時に報われる、とエドは思う。
授業が終わったら速攻で帰ろう、そして死ぬほど寝ようと心に決めて、エドは立ち上がり洗面台へ顔を洗いに……
「あー……そーだったなー……」
スヤスヤと幸せそうに眠るティタがいた。
主人より遅く起きるキキーモラなどいるだろうか……いた。このティタの親は凄まじい低血圧で目が覚めてから2時間は夫にナデナデしてもらえないと起きれなかった。本当にナデナデが必要なのかはエドは知らない。知ろうとも思わない。
「ねぼすけな部分は引き継いじゃったんだよなー……ティタ、おきなよ、ティタ」
ゆさゆさと体を揺すってやる。うへへ〜と笑いながらよだれを垂らす姿は世間一般のキキーモラとはかけ離れているが、エドにとっては昔から見慣れたものである。
しかし、仮にもサーバントに成るべくして生まれた魔物か、少しするとゆっくりと瞳を開き、エドの顔を見て、ぱちぱちと瞬き。
「あれ、えどくん……」
「おはよう、相変わらずすぐ潰れちゃうんだね」
「わあああああああーーーー!!!」
「うわぁ!」
突然叫びながら飛び起きたティタは辺りを見回し、時計を見てきゃーーと悲鳴を上げ、自分のメイド服のシワを見てひゃーーと絶叫を上げ、どこから取り出したか手鏡で自分の顔を見ていやーーーと顔を覆い隠しながら洗面所へと飛び込んでしまった。
「……元気いいなぁ」
突っ込みどころが違う気がするが、あんまりにも変わらないティタを見て、少しだけエドも眠気が覚めた。
「う〜〜……エドくんより起きるが遅いだなんて……お恥ずかしい限り……」
「気にしない気にしない」
ウーアシュタッド流の大量の朝食……というより、一日に唯一、食事と呼ばれるイベントなわけなので朝とつける必要はないが。
ともかく、この食事はバイトの朝とは量が断然違う。厚切りのトーストが三枚に固ゆで卵、厚切りベーコン、オニオンスープは寒いディーツ地方の冬に合わせて熱々だ。新鮮な野菜を惜しげもなく使ったサラダはシャキッと素晴らしい歯ごたえ、胡椒をかけたマッシュポテトは一日の活力源でもある。
それらをガツガツと胃に収めるエドを、ポカーンとティタは見つめていた。
「凄い……作りすぎたかと思ってたんだよ。でもこれだけ食べちゃうなら一日一回なのも納得……」
「でしょ?むしろ少ない方さ……でも、やっぱりティタの料理の方が僕より美味しいな」
「でしょ〜」
そう言いながら、いれたてのホットココアにドボドボとエドは大量の角砂糖を投入する。脳みその栄養はブドウ糖だ。そのため魔術師は人一倍糖分を摂取する。
「んくっんくっ……ふぅ、甘いっ」
「こんなに食べてるのに背は伸びないね〜」
「……しつこいよ」
ニコニコと笑うティタに辛辣に当たることもできず……そもそも当たる気もないが、むすっとしながら料理を胃に詰め込んだ。
「あ〜……ねむい……ねむい……」
フラフラと、粉雪の降り注ぐメインストリートを学校に向けてエドは歩む。
エドの家から学校までは徒歩で10分ほど、なかなか近い。玄関を出て正面に巨大な魔法学校が見えるほどだ。
ティタには町の地図を書き与え近場の家具屋を教え、2段ベッドを買ってくるように言ってある。
今日明日で運び込めればなんやかんやでティタと同衾(NotSex)せずに済む、やったね。まぁそんなものは昔腐る程やったわけだが。
……一緒のベッドで寝たことがあるわけであって、性交は行っていないことを記す。
しかし、ねむい。暖かい家から寒い屋外に出たせいで、体温が奪われ余計ねむい。結局あのあと仮眠をとる気にもならず本を読んで眠気をこらえていたが、素直に寝ておけばよかったと後悔する。
冷えた指先で目頭を揉むが、ほとんど、効果もない。
「しんどい……」
帰ったら、寝よう。心にそう誓う。学校終わるまでは耐えられるはずだと、僕は強い子元気な子だと、我慢強い子だと自分を奮起する。
やがて巨大な、それでいて品のある門が見えてきた。
コセンド魔法学校、ディーツ地方最大の魔法を学ぶ場であり、千幾年もの歴史の中、多くの偉大なる魔法使いを生み出してきたエドの学び舎である。
しかし、その偉大なる校舎や正門も見慣れたもので、通い始めの一ヶ月こそ校内に踏み入れるたびに場違い感に襲われたが、3年も通えば慣れる。
特に何の感慨もなく欠伸を噛み殺しながら第二校舎へと歩を……
「エードッ」
ぎゅーっと、むにゅーっと、後ろから誰かが抱きついてきた。振り向くまでもく正体はわかっている。
「……おはようございますキリアさん」
「ああおはよう、相変わらずエドは抱き心地がいいよ、ずっとこうしていたいね」
後ろから覆いかぶさるように抱かれ、頭の上に顎を乗っけられると、後頭部にキリアの程よく大きく、均等の取れたバストが押し当てられる。
もうすっかり慣れたがそれでも意識せざるを得ない魅惑的な感触だ。
こちらののそのそとした動きに合わせてゆったりと引っ付いたまま付いてくるのは持ち前の器用さか。
「あぁエド、きいてほしい、あの後帰ったら母がそれはもう激おこプンプン丸でね、こっちを視認した瞬間にゲンコツを食らわせてきやがった。ボクもムカついてリバーブローをかましてやって、そこから盛大な喧嘩になってしまって、疲れてるんだ、癒しておくれ、あぁエドの匂い……」
頭の上から降ってくる声に応える気力も無く、あーとかうーとか返事をしていると、不意にキリアの手が目元を撫でてきた。反射的に目を瞑る。
「……エド、君ってやつはまた徹夜かい?全く、肌が荒れるし髪の毛のツヤも落ちてしまうよ、脳みそにもよろしくないしなにより君に元気がないのはボクにとって最大の問題だ、やめてほしいね」
「気が付いたら朝だったのです」
「聞き飽きたよ」
なおさらぎゅーっと抱きしめてくる。心配してくれるのは嬉しいが、さすがに少し恥ずかしい。
「キリアさん、苦しい」
「心がかい?それはもう苦しみたまえ、ボクを心配させて心苦しいのは自分の体をいたわらない君への罰さ」
「ヴィンドロムさん離れてください」
「苗字呼びはやめろっつただろーに、頼むよ、下手すると泣きそうになるんだ」
そういいつつもキリアは離れた。キリアはよほど苗字呼びされるのがいやらしい、エドの切り札である。
はてさて、こんなやり取りを校舎へ向かう途中にしていると当然目立つ。それも、アプローチをかけているのが学校一の問題児兼天才、キリア・ヴィンドロム、そしてそれをあしらうのが片田舎から現れた田舎もん、エドガー・ウォンクであるのだから。
周りの生徒たちのやっかみやら妬みやら生暖かい視線やらにさらされながら、二人は校内へと踏み入れていった。
青色ローブの三年の教室は第二校舎の二階に配置されている。そして第二校舎で三、年四年が主に選択する授業は、錬金術及びメイクポーションの技術、そして魔法の鍛錬である。
一限目のメイクポーションの授業をなんとかそつ無くこなしたエドは、ふらついた足取りで外へ出た。次は魔法鍛錬。
エドが選択した土属性魔法の教室となるのは中庭にある小屋だ。
「あ、いらっしゃ〜い」
「……ようこそ」
既にその小屋には講師となる魔物、マンドラゴラのユーリア・アルシオン・アルルエル・アレサンドラ・アグドラシオン・アルデヒルド・アルスター・アンノウン・アンドラステ先生とその夫、アレーシャ・アルシオン・アルルエル・アレサンドラ・アグドラシオン・アルデヒルド・アルスター・アンノウン・アンドラステ先生がいた。
このアレーシャ・アルシオン・アルルエル・アレサンドラ・アグドラシオン・アルデヒルド・アルスター・アンノウン・アンドラステ先生はそれぞれの頭文字が全てAなため、生徒からはA先生と呼ばれている。アンノウンもAで始まる。摩訶不思議である。ユーリア・アルシオン・アルルエル・アレサンドラ・アグドラシオン・アルデヒルド・アルスター・アンノウン・アンドラステ先生はそのまんまユーリア先生だ。A先生は私もアレーシャ先生と呼んで欲しいと言っていたがガン無視されている。
「今日の生徒はエドくんだけだよ、さ、座って座って」
「はい」
この二人が担当する学科は、今日のように地味な座学と実践、そして人気の高いフィールドワークと両極端だ。
フィールドワークとの授業は選択者が多いが、この座学の方はこの小屋の中でひたすらに理論の追求と地味な魔法の精錬であり、今日のようにエドだけが受講者ということも少なくないほどだ。
複雑な魔法陣の書かれた黒板の前の椅子にエドが腰掛ける。
「うんうん、エドくんは毎回きてくれて嬉しいなぁ、先生張り切っちゃうよ」
「……」
「あはは、ユーリア、なんでそんな目で見るのかな?」
「大方、張り切るのは自分との夜の授業だけにして欲しいって言いたいのでは?」
パラパラと教科書を開くエドの発言にユーリアはこっくりと深く頷いた。
「まいったね〜、毎晩張り切ってるつもりなんだけど……まあいいや。さあエドくん、今日は前回言った通り大地との対話だ。ユーリアと僕が道を作るから、そこから大地の意思と接触し、深く通じ合う。課題はこの……砂場」
ピシリとA先生が指した先にはなだらかな砂場がある。
「小屋に開けた穴にあるこの砂場に、何か後を刻むこと、これさえできれば100点、もし意味のある単語なんかを刻めちゃったら、200点だ!」
なんとも、地味な課題だ。ようは魔法を使って砂に字を書け、ということだ。しかし、これは恐ろしく難しい難題である。
大地との対話ということは、広大な地面に広がる、希薄な、しかもどこにあるかわからない大地の意思を探し出さなければならない。土精霊のノームやその契約者なら容易いことだが、そうでもなければ高位の魔女でも時間がかかるものである。
しかも、仮に大地の意思を見つけ出しても、それと意思疎通ができるか、という問題が新たに浮かび上がる。
大地には言葉という概念はなく、ただただ思考があるのみだ。それとうまく意思を交えるには接触する魔法使いも言葉などの概念を忘れ去らなければならない。
……これが、この授業が不人気な理由のもう一つ。彼らの出す課題が難しすぎるのだ。
ドラゴンより強くバフォメットより魔法が上手いとかいう冗談を総動員したようなマンドラゴラ、ユーリアと、その夫を基準に作られているからそれも仕方がないのかもしれないが。
「……わかりました」
しかし、エドは臆さない。椅子の上で、膝の上に手を置いて、深呼吸。
ゆっくりと、深く、深く、己の内の心に魔力を繋いでゆく。
「……よし、始めよう」
A先生が言うと、ユーリアもこくりと頷く。そして二人が手をつないで目を閉じると、エドの前に柔らかな光の玉が現れた。
「……」
目を閉じたまま、エドはその光を知覚する。そして、己の心と、大地へと通じる道を、繊細な魔力の管を用いて、接続した。
「まいったね、どうも」
午後の授業も終わり、早速エドの教室へと足を運んだキリアはしかし、おめあてのエドが教室にいないと知ると途端に落ち込み、トボトボと校内をうろついていた。周りの生徒たちが物理的にキラキラと輝きかねない視線を向けてくるが知ったことではない、それよりもエドのうざったがるような視線の方がまだマシ……いや、やっぱ無理、と、思わず涙ぐみそうになった目頭を押さえた。
「……どこにいるのやら」
キリアが学校に通う理由などもうエドに会えるから、しか存在しない。なんたって大抵の講師よりもキリアの方が上なのだ。本当なら飛び級で卒業できているはずなのに、母がそれを認めないせいで、留年が積み重なっているのだ。
そのせいでよりキリアの放浪癖が悪化しているとは彼女の母は知る由もない。
ともかく、そんな唯一の理由のエドと会えないせいでキリアの機嫌は急降下だ。地面にめり込みかねない。
「……ん?」
ふと、下を見る。緑と茶色。気付いたら学校の中庭に来ていたようだ。
なんとなく知ったような魔力を感じ、その地面を見つめる。
「エドの、魔力かい?」
ともすれば、この自分が気づけないほどに希薄な魔力、なぜそれが地面から漂うのか……視線をあげて、あたり一帯にも気を配ると、そこら中からエドの魔力を感じることができる。
「なんだこれ……」
興味がわいて中庭を見て回ってみると、少しだけ濃い魔力を、丸太小屋から感じた。近づいて窓を覗いてみると、探していた人物、エドガーを見つけることができた……しかしなにやら様子がおかしい。
思い切ってキリアはその小屋の中に踏み入ってみると、どうやらエドだけではなくアレーシャ・アルシオン・アルルエル・アレサンドラ・アグドラシオン・アルデヒルド・アルスター・アンノウン・アンドラステ先生とユーリア・アルシオン・アルルエル・アレサンドラ・アグドラシオン・アルデヒルド・アルスター・アンノウン・アンドラステ先生もいる……頭の中がこんがらがった。
訂正、A先生と、ユーリア先生がいる。
「おやキリア君、どうしたのかな?」
「ええ、エドを探してたんですが……エド?おーい」
エドの前で手を振ってみても反応は無い。肩を揉む、反応は無い。頬をつつく、反応は無い。唇をムニムニする、反応は無い。胸板を……
「ストップ」
「む、残念」
ユーリアにガッチリと腕を掴まれてはキリアも抵抗できない。おとなしく引き下がるとユーリアの腕がパッと離れた。
「今、彼は大地の意思との対話中だ」
「精霊の補助もなしに?」
「うん」
「また無茶なことを……」
キリアは鈍痛が走ったような気がする側頭部を抑えた。明らかに三年生にやらせることでは無い。
「先生方はもう少し加減をですね」
「いや、それがさ」
A先生が指した先を見てみると、小屋の中の小さな砂場が目に移る。
砂の上では何かが縦横無尽に跳ね回っていた。
「……これは?」
「エドくんがやってるんだよ、これ」
「は?」
その言葉に固まり、慌てて再び砂場を凝視する。そこには自由自在に動き回る小さな石ころが砂場にガリガリとなにかしらの図形を描いている。キリアにはこれがなんなのかさっぱりわから無い。
「冗談でしょう。こんな自在に操作するなんて、精霊使いでも無いのに」
「その通りだよねぇ……まいったな、こりゃあエドくんに何点あげればいいのやら」
「400点」
「いやユーリア、最高200点なんだけどね」
キリアは改めて目をつぶったままのエドを見た。
彼の才能は改めて素晴らしいと感じる。自分の固定観点を捨て去ることができるのは、知識の探求を生業とする魔法使いには最も重要な要素だ。
自らの言葉という概念すら一時的に捨て去ることができるのは、それに恵まれているからだろう。
「……でも、先生方」
キリア、キリッと表情を変えて、2人に向き直る。
「もう下校時刻なので、エドを連れて行ってもよろしいですか?」
「ありゃ!もうそんな時間かい!」
A先生は慌てて、エドの目の前の光球を消した。それと同時に大地とつながっていた魔力のラインが断ち切られ、エドの体ががくんと項垂れる。
「やあ悪かったね、あんまりにすごかったからつい夢中になっちゃって」
「……反省」
「んーまぁいいですけども、ボクが怒ることじゃ無いですし……エド、エド」
ユサユサとキリアがエドを揺さぶるが、一向に顔を上げない。
「エド?」
キリアは心配そうにうなだれたエドの顔を、下から覗き込んだ。目を閉じたまま、反応が無い。
「エド!?」
慌ててキリアはエドの体を起こした。もしかしたら深く潜りすぎて何か障害が出たのかもしれない。ともかく体に異常はないかとまずは脈を取ろうとして……
「すー……すー……」
穏やかな寝息が、耳についた。
「……寝てる」
「あはは、人騒がせだねぇ。まぁ長く繋がりすぎて疲れちゃったのかなぁ」
「……0点」
「え?」
「授業中の居眠りは、0点」
「いやユーリア、これは僕らが授業時間外まで彼を拘束したせいだと」
「いや、彼今日徹夜してたらしいですから……多分予定通り終わっても……」
「……」
「……」
「……0点」
その後、A先生が頑張って説得(意味深)して、当初の予定通りエドは評価点200を手にした。
「しまったぁ……徹夜しちゃったかぁ……」
自覚した途端に体をだるさが襲う。だらしなく伸びをすれば腕や腰の骨がポキポキとなった。トイレに数回立った以外座りっぱなしだった体は固まりきっている。
「あー……今日は学校なのに……あー」
猛烈に、めんどくさい。買ったノートのうち一冊を埋められるほどに研究が進んだのはいいが、このだるさは如何ともし難い。
一限目が始まるのは11時から。登校時間や食事のことも考えると仮眠はできて2時間半程度か。
「……仕方がないか。」
こうなればこのまま、起き続けるしかない。幸い急ぎ提出するレポートや終わらせる課題実験などはなかったはずだ。いつも優先してそれらを終わらせる己のクソ真面目っぷりはこういう時に報われる、とエドは思う。
授業が終わったら速攻で帰ろう、そして死ぬほど寝ようと心に決めて、エドは立ち上がり洗面台へ顔を洗いに……
「あー……そーだったなー……」
スヤスヤと幸せそうに眠るティタがいた。
主人より遅く起きるキキーモラなどいるだろうか……いた。このティタの親は凄まじい低血圧で目が覚めてから2時間は夫にナデナデしてもらえないと起きれなかった。本当にナデナデが必要なのかはエドは知らない。知ろうとも思わない。
「ねぼすけな部分は引き継いじゃったんだよなー……ティタ、おきなよ、ティタ」
ゆさゆさと体を揺すってやる。うへへ〜と笑いながらよだれを垂らす姿は世間一般のキキーモラとはかけ離れているが、エドにとっては昔から見慣れたものである。
しかし、仮にもサーバントに成るべくして生まれた魔物か、少しするとゆっくりと瞳を開き、エドの顔を見て、ぱちぱちと瞬き。
「あれ、えどくん……」
「おはよう、相変わらずすぐ潰れちゃうんだね」
「わあああああああーーーー!!!」
「うわぁ!」
突然叫びながら飛び起きたティタは辺りを見回し、時計を見てきゃーーと悲鳴を上げ、自分のメイド服のシワを見てひゃーーと絶叫を上げ、どこから取り出したか手鏡で自分の顔を見ていやーーーと顔を覆い隠しながら洗面所へと飛び込んでしまった。
「……元気いいなぁ」
突っ込みどころが違う気がするが、あんまりにも変わらないティタを見て、少しだけエドも眠気が覚めた。
「う〜〜……エドくんより起きるが遅いだなんて……お恥ずかしい限り……」
「気にしない気にしない」
ウーアシュタッド流の大量の朝食……というより、一日に唯一、食事と呼ばれるイベントなわけなので朝とつける必要はないが。
ともかく、この食事はバイトの朝とは量が断然違う。厚切りのトーストが三枚に固ゆで卵、厚切りベーコン、オニオンスープは寒いディーツ地方の冬に合わせて熱々だ。新鮮な野菜を惜しげもなく使ったサラダはシャキッと素晴らしい歯ごたえ、胡椒をかけたマッシュポテトは一日の活力源でもある。
それらをガツガツと胃に収めるエドを、ポカーンとティタは見つめていた。
「凄い……作りすぎたかと思ってたんだよ。でもこれだけ食べちゃうなら一日一回なのも納得……」
「でしょ?むしろ少ない方さ……でも、やっぱりティタの料理の方が僕より美味しいな」
「でしょ〜」
そう言いながら、いれたてのホットココアにドボドボとエドは大量の角砂糖を投入する。脳みその栄養はブドウ糖だ。そのため魔術師は人一倍糖分を摂取する。
「んくっんくっ……ふぅ、甘いっ」
「こんなに食べてるのに背は伸びないね〜」
「……しつこいよ」
ニコニコと笑うティタに辛辣に当たることもできず……そもそも当たる気もないが、むすっとしながら料理を胃に詰め込んだ。
「あ〜……ねむい……ねむい……」
フラフラと、粉雪の降り注ぐメインストリートを学校に向けてエドは歩む。
エドの家から学校までは徒歩で10分ほど、なかなか近い。玄関を出て正面に巨大な魔法学校が見えるほどだ。
ティタには町の地図を書き与え近場の家具屋を教え、2段ベッドを買ってくるように言ってある。
今日明日で運び込めればなんやかんやでティタと同衾(NotSex)せずに済む、やったね。まぁそんなものは昔腐る程やったわけだが。
……一緒のベッドで寝たことがあるわけであって、性交は行っていないことを記す。
しかし、ねむい。暖かい家から寒い屋外に出たせいで、体温が奪われ余計ねむい。結局あのあと仮眠をとる気にもならず本を読んで眠気をこらえていたが、素直に寝ておけばよかったと後悔する。
冷えた指先で目頭を揉むが、ほとんど、効果もない。
「しんどい……」
帰ったら、寝よう。心にそう誓う。学校終わるまでは耐えられるはずだと、僕は強い子元気な子だと、我慢強い子だと自分を奮起する。
やがて巨大な、それでいて品のある門が見えてきた。
コセンド魔法学校、ディーツ地方最大の魔法を学ぶ場であり、千幾年もの歴史の中、多くの偉大なる魔法使いを生み出してきたエドの学び舎である。
しかし、その偉大なる校舎や正門も見慣れたもので、通い始めの一ヶ月こそ校内に踏み入れるたびに場違い感に襲われたが、3年も通えば慣れる。
特に何の感慨もなく欠伸を噛み殺しながら第二校舎へと歩を……
「エードッ」
ぎゅーっと、むにゅーっと、後ろから誰かが抱きついてきた。振り向くまでもく正体はわかっている。
「……おはようございますキリアさん」
「ああおはよう、相変わらずエドは抱き心地がいいよ、ずっとこうしていたいね」
後ろから覆いかぶさるように抱かれ、頭の上に顎を乗っけられると、後頭部にキリアの程よく大きく、均等の取れたバストが押し当てられる。
もうすっかり慣れたがそれでも意識せざるを得ない魅惑的な感触だ。
こちらののそのそとした動きに合わせてゆったりと引っ付いたまま付いてくるのは持ち前の器用さか。
「あぁエド、きいてほしい、あの後帰ったら母がそれはもう激おこプンプン丸でね、こっちを視認した瞬間にゲンコツを食らわせてきやがった。ボクもムカついてリバーブローをかましてやって、そこから盛大な喧嘩になってしまって、疲れてるんだ、癒しておくれ、あぁエドの匂い……」
頭の上から降ってくる声に応える気力も無く、あーとかうーとか返事をしていると、不意にキリアの手が目元を撫でてきた。反射的に目を瞑る。
「……エド、君ってやつはまた徹夜かい?全く、肌が荒れるし髪の毛のツヤも落ちてしまうよ、脳みそにもよろしくないしなにより君に元気がないのはボクにとって最大の問題だ、やめてほしいね」
「気が付いたら朝だったのです」
「聞き飽きたよ」
なおさらぎゅーっと抱きしめてくる。心配してくれるのは嬉しいが、さすがに少し恥ずかしい。
「キリアさん、苦しい」
「心がかい?それはもう苦しみたまえ、ボクを心配させて心苦しいのは自分の体をいたわらない君への罰さ」
「ヴィンドロムさん離れてください」
「苗字呼びはやめろっつただろーに、頼むよ、下手すると泣きそうになるんだ」
そういいつつもキリアは離れた。キリアはよほど苗字呼びされるのがいやらしい、エドの切り札である。
はてさて、こんなやり取りを校舎へ向かう途中にしていると当然目立つ。それも、アプローチをかけているのが学校一の問題児兼天才、キリア・ヴィンドロム、そしてそれをあしらうのが片田舎から現れた田舎もん、エドガー・ウォンクであるのだから。
周りの生徒たちのやっかみやら妬みやら生暖かい視線やらにさらされながら、二人は校内へと踏み入れていった。
青色ローブの三年の教室は第二校舎の二階に配置されている。そして第二校舎で三、年四年が主に選択する授業は、錬金術及びメイクポーションの技術、そして魔法の鍛錬である。
一限目のメイクポーションの授業をなんとかそつ無くこなしたエドは、ふらついた足取りで外へ出た。次は魔法鍛錬。
エドが選択した土属性魔法の教室となるのは中庭にある小屋だ。
「あ、いらっしゃ〜い」
「……ようこそ」
既にその小屋には講師となる魔物、マンドラゴラのユーリア・アルシオン・アルルエル・アレサンドラ・アグドラシオン・アルデヒルド・アルスター・アンノウン・アンドラステ先生とその夫、アレーシャ・アルシオン・アルルエル・アレサンドラ・アグドラシオン・アルデヒルド・アルスター・アンノウン・アンドラステ先生がいた。
このアレーシャ・アルシオン・アルルエル・アレサンドラ・アグドラシオン・アルデヒルド・アルスター・アンノウン・アンドラステ先生はそれぞれの頭文字が全てAなため、生徒からはA先生と呼ばれている。アンノウンもAで始まる。摩訶不思議である。ユーリア・アルシオン・アルルエル・アレサンドラ・アグドラシオン・アルデヒルド・アルスター・アンノウン・アンドラステ先生はそのまんまユーリア先生だ。A先生は私もアレーシャ先生と呼んで欲しいと言っていたがガン無視されている。
「今日の生徒はエドくんだけだよ、さ、座って座って」
「はい」
この二人が担当する学科は、今日のように地味な座学と実践、そして人気の高いフィールドワークと両極端だ。
フィールドワークとの授業は選択者が多いが、この座学の方はこの小屋の中でひたすらに理論の追求と地味な魔法の精錬であり、今日のようにエドだけが受講者ということも少なくないほどだ。
複雑な魔法陣の書かれた黒板の前の椅子にエドが腰掛ける。
「うんうん、エドくんは毎回きてくれて嬉しいなぁ、先生張り切っちゃうよ」
「……」
「あはは、ユーリア、なんでそんな目で見るのかな?」
「大方、張り切るのは自分との夜の授業だけにして欲しいって言いたいのでは?」
パラパラと教科書を開くエドの発言にユーリアはこっくりと深く頷いた。
「まいったね〜、毎晩張り切ってるつもりなんだけど……まあいいや。さあエドくん、今日は前回言った通り大地との対話だ。ユーリアと僕が道を作るから、そこから大地の意思と接触し、深く通じ合う。課題はこの……砂場」
ピシリとA先生が指した先にはなだらかな砂場がある。
「小屋に開けた穴にあるこの砂場に、何か後を刻むこと、これさえできれば100点、もし意味のある単語なんかを刻めちゃったら、200点だ!」
なんとも、地味な課題だ。ようは魔法を使って砂に字を書け、ということだ。しかし、これは恐ろしく難しい難題である。
大地との対話ということは、広大な地面に広がる、希薄な、しかもどこにあるかわからない大地の意思を探し出さなければならない。土精霊のノームやその契約者なら容易いことだが、そうでもなければ高位の魔女でも時間がかかるものである。
しかも、仮に大地の意思を見つけ出しても、それと意思疎通ができるか、という問題が新たに浮かび上がる。
大地には言葉という概念はなく、ただただ思考があるのみだ。それとうまく意思を交えるには接触する魔法使いも言葉などの概念を忘れ去らなければならない。
……これが、この授業が不人気な理由のもう一つ。彼らの出す課題が難しすぎるのだ。
ドラゴンより強くバフォメットより魔法が上手いとかいう冗談を総動員したようなマンドラゴラ、ユーリアと、その夫を基準に作られているからそれも仕方がないのかもしれないが。
「……わかりました」
しかし、エドは臆さない。椅子の上で、膝の上に手を置いて、深呼吸。
ゆっくりと、深く、深く、己の内の心に魔力を繋いでゆく。
「……よし、始めよう」
A先生が言うと、ユーリアもこくりと頷く。そして二人が手をつないで目を閉じると、エドの前に柔らかな光の玉が現れた。
「……」
目を閉じたまま、エドはその光を知覚する。そして、己の心と、大地へと通じる道を、繊細な魔力の管を用いて、接続した。
「まいったね、どうも」
午後の授業も終わり、早速エドの教室へと足を運んだキリアはしかし、おめあてのエドが教室にいないと知ると途端に落ち込み、トボトボと校内をうろついていた。周りの生徒たちが物理的にキラキラと輝きかねない視線を向けてくるが知ったことではない、それよりもエドのうざったがるような視線の方がまだマシ……いや、やっぱ無理、と、思わず涙ぐみそうになった目頭を押さえた。
「……どこにいるのやら」
キリアが学校に通う理由などもうエドに会えるから、しか存在しない。なんたって大抵の講師よりもキリアの方が上なのだ。本当なら飛び級で卒業できているはずなのに、母がそれを認めないせいで、留年が積み重なっているのだ。
そのせいでよりキリアの放浪癖が悪化しているとは彼女の母は知る由もない。
ともかく、そんな唯一の理由のエドと会えないせいでキリアの機嫌は急降下だ。地面にめり込みかねない。
「……ん?」
ふと、下を見る。緑と茶色。気付いたら学校の中庭に来ていたようだ。
なんとなく知ったような魔力を感じ、その地面を見つめる。
「エドの、魔力かい?」
ともすれば、この自分が気づけないほどに希薄な魔力、なぜそれが地面から漂うのか……視線をあげて、あたり一帯にも気を配ると、そこら中からエドの魔力を感じることができる。
「なんだこれ……」
興味がわいて中庭を見て回ってみると、少しだけ濃い魔力を、丸太小屋から感じた。近づいて窓を覗いてみると、探していた人物、エドガーを見つけることができた……しかしなにやら様子がおかしい。
思い切ってキリアはその小屋の中に踏み入ってみると、どうやらエドだけではなくアレーシャ・アルシオン・アルルエル・アレサンドラ・アグドラシオン・アルデヒルド・アルスター・アンノウン・アンドラステ先生とユーリア・アルシオン・アルルエル・アレサンドラ・アグドラシオン・アルデヒルド・アルスター・アンノウン・アンドラステ先生もいる……頭の中がこんがらがった。
訂正、A先生と、ユーリア先生がいる。
「おやキリア君、どうしたのかな?」
「ええ、エドを探してたんですが……エド?おーい」
エドの前で手を振ってみても反応は無い。肩を揉む、反応は無い。頬をつつく、反応は無い。唇をムニムニする、反応は無い。胸板を……
「ストップ」
「む、残念」
ユーリアにガッチリと腕を掴まれてはキリアも抵抗できない。おとなしく引き下がるとユーリアの腕がパッと離れた。
「今、彼は大地の意思との対話中だ」
「精霊の補助もなしに?」
「うん」
「また無茶なことを……」
キリアは鈍痛が走ったような気がする側頭部を抑えた。明らかに三年生にやらせることでは無い。
「先生方はもう少し加減をですね」
「いや、それがさ」
A先生が指した先を見てみると、小屋の中の小さな砂場が目に移る。
砂の上では何かが縦横無尽に跳ね回っていた。
「……これは?」
「エドくんがやってるんだよ、これ」
「は?」
その言葉に固まり、慌てて再び砂場を凝視する。そこには自由自在に動き回る小さな石ころが砂場にガリガリとなにかしらの図形を描いている。キリアにはこれがなんなのかさっぱりわから無い。
「冗談でしょう。こんな自在に操作するなんて、精霊使いでも無いのに」
「その通りだよねぇ……まいったな、こりゃあエドくんに何点あげればいいのやら」
「400点」
「いやユーリア、最高200点なんだけどね」
キリアは改めて目をつぶったままのエドを見た。
彼の才能は改めて素晴らしいと感じる。自分の固定観点を捨て去ることができるのは、知識の探求を生業とする魔法使いには最も重要な要素だ。
自らの言葉という概念すら一時的に捨て去ることができるのは、それに恵まれているからだろう。
「……でも、先生方」
キリア、キリッと表情を変えて、2人に向き直る。
「もう下校時刻なので、エドを連れて行ってもよろしいですか?」
「ありゃ!もうそんな時間かい!」
A先生は慌てて、エドの目の前の光球を消した。それと同時に大地とつながっていた魔力のラインが断ち切られ、エドの体ががくんと項垂れる。
「やあ悪かったね、あんまりにすごかったからつい夢中になっちゃって」
「……反省」
「んーまぁいいですけども、ボクが怒ることじゃ無いですし……エド、エド」
ユサユサとキリアがエドを揺さぶるが、一向に顔を上げない。
「エド?」
キリアは心配そうにうなだれたエドの顔を、下から覗き込んだ。目を閉じたまま、反応が無い。
「エド!?」
慌ててキリアはエドの体を起こした。もしかしたら深く潜りすぎて何か障害が出たのかもしれない。ともかく体に異常はないかとまずは脈を取ろうとして……
「すー……すー……」
穏やかな寝息が、耳についた。
「……寝てる」
「あはは、人騒がせだねぇ。まぁ長く繋がりすぎて疲れちゃったのかなぁ」
「……0点」
「え?」
「授業中の居眠りは、0点」
「いやユーリア、これは僕らが授業時間外まで彼を拘束したせいだと」
「いや、彼今日徹夜してたらしいですから……多分予定通り終わっても……」
「……」
「……」
「……0点」
その後、A先生が頑張って説得(意味深)して、当初の予定通りエドは評価点200を手にした。
15/09/30 22:50更新 / $べー
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