第2章
「どうぞ」
「……うん」
静かに、音も立てず、コーヒーを満たしたカップがキリアの前に置かれた。
湯気を立てるそれは寒い季節にはありがたい。
「はい、エドくん」
「あ、うん」
次にエドの前に、同じく。テーブルの中央に置いてある角砂糖の入った器とミルクの入ったピッチャー。家にもともとあったものだ。
「うんうん。エドくんがお客さんに出す食器とか持ってて、安心したよー」
「は、恥ずかしいからやめてよ」
椅子に腰掛けたエドの頭をポンポンっとキキーモラが撫でるように叩く。思わず最近開発した教団幹部と母親へのおしおき魔法『エンドオブアポカリプスザデッド』の詠唱を口の中で唱えそうになったが、鋼の精神でそれを抑え、コーヒーとともに胃の腑に流し込む。苦い。
コーヒーはブラックなどとだれが言い出したか、コーヒーは角砂糖3つ、これは譲れない。
「あー、エド、ボクはこちらのキキーモラの方を知らないな、是非ともご紹介してほしい」
耐えきれず、キリアはずっと疑問に思っていたことを口にした。
手首にフサフサとした柔らかそうな羽毛、尻尾も同じく、そして硬質の、ブーツのような形の蹄の足。
このウーアシュタッドでは案外見かけることの多いキキーモラと呼ばれる魔物だ。
「なにやら随分と親しそうだけども、キキーモラっていうのは突然家にやってくるのではないかな。それなのに、愛称で呼び合うとは一体どういうことだい?」
スラスラと、なるべくいつも通りのクールな微笑みを浮かべながらキリアは質問を次々と吐き出す。しかしその顔は、時折ひくりと痙攣しており動揺を隠しきれていない。
「あぁ、申し訳ありません。ぼくはキキーモラのフェリーティタス・マキシメドミーです。呼びにくいようでしたか、お気軽にティタとお呼びください」
「あ、どうもご丁寧に……」
毒気のない笑顔で、お盆を抱えたままぺこりと頭を下げられる。思わずキリアもお辞儀を返した。
「えーとですね、キリアさん。先ほどリリーミードが好物の保護者という話をしましたね」
「あぁ、それが?」
「その保護者というのが彼女の、えー、ティタのご両親でして。で、そのご両親は僕の、まぁ保護者でありまして、つまり、まぁ故郷で一緒に暮らしてた、幼馴染なんです」
「はいっ!」
「……」
ピコピコと、キキーモラにしてははしたなく、おさげの横に垂れた耳のようなフサフサと尻尾をフリフリと振りながらご機嫌よく同意する。大してキリアは顎に手を添え、顔を伏せ、深く思考を巡らせる。
「……同棲してた幼馴染だと?」
「まぁ、はい。ぼくは拾われた子でした」
「あぁ、それは知ってた、君がいつかポロリと言ってたけど……まさかな……そんなな……てっきり教会の孤児院とかで育ったとばかりおもってた……そうか……」
額に手を当てて首を振るキリア。今や頭の中はかつてないほどの速度で思考を巡らせている。エンドルフィンが猛烈に分泌され1秒が10秒にも伸びているだろう。しかしその脳内は『ヤバイ』の三文字で埋め尽くされている。
「でも、ティタ、どうして突然こっちに訪ねてきたの?」
「そうだねすごく気になるねそれ」
エドのこぼした疑問に思考の海から飛び出したキリアが食いついた。幼馴染のキキーモラがどうして突然、ウーアシュタッドのエドを訪ねてきたのか。
「それがね!ぼく、お母さんに認められて、使えるご主人様を探していいって言われたの!で、ぼくは昔っからずっと、エドをご主人様にしたいって思ってたし、だからきちゃった!」
「そ、そう」
「お、おう」
ありふれたよくあるキキーモラの思考回路である。ケチの付けどころもないだろう。エドは照れくさいのか頬を染め、キリアは純度100%の、RGBにしてオールゼロの真っ黒い影を背負っている。
「ライバルが手ごわすぎるだろう……なんだよそれ、幼い頃からともに過ごしたキキーモラとか、ヤバイだろ、つよすぎるだろ、どうするボク、まずいぞボク」
ぶつぶつとつぶやいて再び思考の海に沈んでいったキリアを尻目に、エドとティタは話を弾ませる。
「ふふ、エドくんがブリュームヘンをでて三年も経ったね……背は、ますます離れちゃったねー」
「う……ぼ、僕だって背を伸ばそうと頑張ったけどそれだけは……」
「でも、エドくんは偉いね。コセンド魔法学校って、すごく授業が厳しいんでしょ?それなのに、お部屋はしっかり片付いてるし、ご飯も栄養のあるものを自炊してるし……ぼく、すごく嬉しいよ」
「ティ、ティタにいろいろ教えられたからね……」
「うんうん、えらいえらい」
「子供扱いしないでよ……」
ポフポフとまたもや頭を撫でられるエド。なにやらまんざらでもなさそうだ。これはヤバイ。ものすごくヤバイ。恋敵に遠慮はいらぬとキリアは目を鋭く研ぎ澄まし、『ジョーカー』を鞄から取り出した。
「あー、コホンっ。エド、幼馴染との再会に水を差して大変申し訳ない、このマナジェムのことなんだがね」
「は、はい!」
即座にそちらに顔を向けるエド、ティタが若干しゅんとした。
「多分まぁボクが街に戻ったことは学校にも、あと母上にも知られていると思う。なるべくはやく期間報告と、このジェムを提出したくてね、そうなると、そろそろ分析を開始しないと時間がね。ほら、今はもう15時26分31秒21だ」
「わかりました!」
即座にテーブルを離れ、機材が置いてある棚を漁りだすエド。してやったり、という顔でキリアはティタを見るが、ティタの方はなぜか頬を緩ませていた。
「ふふ、魔法のことになるとそれしか考えられないのも変わってないなぁ……」
「……あー、その、ティタ、さん?」
「はい、キリアさんなんですか?」
くるりとこちらを向いたティタ。なるほどキキーモラらしく当たり障りのない笑みを浮かべているが、その瞳の奥に激しく炎が灯っている。
「……負けるつもりはさらさらないよ。彼と出会ってまだ一年と少しだが、この時間が大切な街でも、愛は時間じゃないことは証明されているからね」
「はい!愛に大切なのは思いですよね!」
「うん、ボクはこれからエドの家にコーヒーを飲みに来ることも多くなるけど、仲良くしてくれると嬉しいな」
「ぼくのほうこそ、よろしくお願いします!」
互いにニッコリと微笑みあう。仲良くするのは嘘ではないが、この恋を互いに譲る気はない。エドを尻目に、女の戦いの火蓋がこの瞬間切って落とされた。
「ふぅ……」
「お疲れ様、エドくん」
ふう、と一息ついたエドに、冷たい水を置いたグラスをティタが差し出す。ありがとうと礼を言い、喉に流し込めば回転させすぎた頭を冷たい水が冷却していく。
「ふはっ……」
「いい飲みっぷり」
「水だよ?これ」
苦笑して、グラスを台所に運ぼうと立ち上がろうとすると、ティタがそれをやんわりと制して、サッとグラスを取り上げた。
「ぼくがやるよ」
「ダメ人間になっちゃうよ」
「それがキキーモラのお仕事。エドくんは、魔法の研究とかに専念して、家事はぼくに任せればいいの」
またもやぽふっと頭を撫でられる。ふわふわとしたティタの手は心地よいが、子供扱いはいただけない。
「くすぐったいよ」
「えー、昔は喜んでくれてたのになー」
クスクスと笑うティタとエド。キリアが見たら無言の爆発魔法をかます光景であるが、今この家にキリアはいない。
ジェムを堪能したエドに別れを告げたあと、ちょっとばかし早足で出て行ったからだ。言った通り、学校と母親に今回の不在の説明をしに行ったのだろう。あのジェムさえあれば学校はどうにかなるだろうが、ウーアシュタッド一時間に厳しい母親にはこってりと叱られるだろう。
「そういえば、ティタはどうやって家の中に入ったの?この街の鍵は相当に厳重な施錠魔法がかかってるはずだけど」
「鍵、かかってなかったよ?」
「……」
キリアさんごめんなさいとエドは頭の中で謝った。凡ミスでしたと、あなたの評価は改めたほうが良さそうだ、と進言したかった。
「たまーに、こーゆーミスしちゃうのも変わってない。んー、エドくんはかわいいよ」
「ちょっ……」
いよいよ撫でるだけにとどまらず頭を抱えて頬ずりまでする始末。流石に恥ずかしてくさっと拘束から抜け出すとやっぱりティタの尻尾がしゅんと垂れ下がった。
「ま、まぁそれよりさ……ティタは、やっぱりここで暮らすことになるよね?」
「うん!エドくんと一緒にここで暮らして、お手伝いをしてあげたいな!」
「うーん、気持ちは嬉しいけど……参ったなぁ」
エドは部屋を見渡した。この家は、ウーアシュタッドにありふれた貸し住宅である。
エドの通うコセンド魔法学校には多くの人魔が入学するが、そうなると当然遠い地に住む者たちの住まいが問題になる。
そこでこの小型一軒家が開発された。アパートやマンションのような形ではなく、通常の一軒家をそのまま小型にしたような家がウーアシュタッドにはそこらじゅうに、とりわけこの7時街には多い。
この家は五時街のギルドから見習いのジャイアントアントや大工候補生たちが修行の一環として建設した者で、住み心地のレポートを4ヶ月に一回提出することを条件に格安で貸し出しされている。
一人暮らしとなる者たちには大変ありがたいが、本当に小型なので二人で済むとなると問題が生じてくるのだ。
「ティタ、見ての通りさ、この家はさ、足の踏み場は問題ないけどもう一つベッドを運び込む余裕はとてもないんだ。ティタの寝床の確保が難しい」
「大丈夫!エドくんと一緒のベッドで寝ればいいんだよ!」
「はいぃ?」
思わず水谷何某のような返事をしてしまった。いったいなにをいっているのだこのわんこ系キキーモラは尻尾を左右に振りおってからにと、エドがティタを見つめる。
「だって、ベッドが運び込めないならしょうがないよ。あ、エドくんがダメなら私は……ほら、そこの倉庫の隙間に」
「露骨に尻尾を垂れ下がらせないでよ、そんなとこに寝かせられるわけないじゃないか……」
それこそもっとダメだ。あの倉庫には触手の森から色々と危ない思いをして手に入れたタネや、ミューカストードの池に飛び込んで命からがら(人生的な意味で)ゲットした粘液塊やらが詰まっている。そもそも狭い。そこに押し込めるほど良識がないわけではなかった。
「……うん、二段ベッドを買おう。ま、まぁ、それまでは、しょうがないか」
「ありがとうエドくん!」
ふたたび尻尾ブンブン。この邪気のない笑顔には昔からエドは弱い。邪気はなくとも性欲はあるがそれをエドは知らない。
「……あと、二人分の食費か……小物も揃えないとなぁ」
「それは大丈夫!ぼくもお仕事するから!」
エドのあげた他の問題点に即座にこたえるティタ。
「仕事って……なに?」
「特技はお料理掃除その他諸々家事全般!ほんのかじった程度の魔法にナイフ投げ!これだけあればお仕事は見つけられるよ!」
「あー、確かにそれだけあれば……ん?ナイフ……?」
「あ、エドくんは知らないか。ぼく、お父さんに教えてもらって今じゃ500メートル離れたところに立ってる人の頭の上のリンゴに投げ当てられるくらいにナイフ投げが得意なの!じゃんじゃじゃーん!今明かされる衝撃の真実!」
そういってティタはシャキーンと両手に一本ずつナイフを取り出した。刃はなく刺すことに特化したものだ。
「……それは役に立つのかな」
「虫だってイチコロだよ!」
「そうじゃなくて……うん、なんかもういいや。そろそろ僕は魔法の研究を始めるよ」
相変わらずだ、三年前とまるで変わらず、妙なところで、ものすごくずれている。
「ん、そう?じゃあぼくは、晩御飯作ってるね」
「ばんごはん?」
「え?うん」
「……あ〜、そっか。晩御飯ね〜……ティタ、ウーアシュタッドでは晩御飯は無いよ」
「え?」
そう、ウーアシュタッドでは、昼ごはん、晩御飯は、そういうのは文化として存在しない。
ウーアシュタッドにおける食事というのは基本的に午前中に済ませるもので、午後に入って寝るまでは適当な軽食をつまむ程度で済ませるのだ。
もちろん今日のバイトのようになかなか食事が取れない場合は午後にもつれ込むことも良くあるが、それも休日のバイトの日くらいで、学校に行く日は登校前にがっつり食べる、そういう街なのだ。
「というわけで、晩御飯はいらないよ、たぶん作られても食べれない。僕もすっかりそういう体になっちゃったからね」
「そ、そんな〜、ぼくここに来るまでにお腹減っちゃったよぉ……」
エドも気持ちはわかる。ここに来て慣れるまで随分苦労したものだ。
「いや、ティタは食べていいんだよ、食べちゃいけないってわけでも無いし」
「うーん、でもエドくんが食べないのにぼくだけってちょっと……うーん……」
頭を抱え込んでしまうティタ。昔からなんでもエドと一緒にやりたがるところも変わっていない。懐かしさを味わいながら、エドはふと今日買ったものを思い出した。
「……うん、そうだ。ティタ、シュニットでも作ろう」
「え?うん……いいの?」
「間食をつまむ程度ならよくやるからね」
そう言って、エドはキッチンに積んであるブレッドを薄切りにし始めた。あー、と声をあげてティタもそれに参加する。
「もう、ぼくがやるからエドくんは座ってて」
「あはは、わかったよティタ」
素直に引っ込むとティタは気を良くしたようで、早速シュニットを手早く作り始めた。ちょうどいい大きさにカットしたブレッド、そこへ保存魔法のかけられた木箱から取り出したハムや作り置きしてあったマッシュポテトを乗せ、マスタードを少量、胡椒をかける。
新鮮なレタスをその上に乗せて、さらに、もう一つのブレッドに挟む。
ティタがシュニットを作っている間にエドはカバンの中から黄金色の瓶を取り出し、二つのグラスと一緒にテーブルに置いた。
しばらくするとシュニットを適度な大きさにカットしたティタがキッチンから皿を持って出てきた。
「はい、できたよーぼくの特性シュニ……あ!」
と、目ざとくそれを見つけた途端にずいっとその瓶に顔を近づけ、穴が空くほど見つめる。そして、エドの方を少し興奮した様子で振り返る。
「エドくんこれ……ミード!それもリリーミード!なんで!」
「今思えば虫の知らせだったのかもね。今日市場で見つけてつい、ね」
そう、エドの保護者の大好物リリーミードはティタもまた目が無いのだ。10歳になって飲めるようになってから、まだ飲めないエドにまで進めてきて大変だったものだ。
「久しぶりの再会を祝うのに、ちょうどいいと思うんだ。さ、グラス出して」
「エドくん……」
感激のあまり、椅子に座っても尻尾をちぎれるほど振り回しながら、グラスを差し出すティタ。透明なグラスの中に、とくとくと柔らかな黄金の蜜酒が注がれてゆく。
「ミルクは自分で好きなだけ入れて」
「うん!じゃあ……エドくんも、ほら!」
「ん」
お返しとばかりに、ティタもエドのグラスにミードを注ぐ。ティタが自分の好みの量でミルク割りを作り終えると、二人は改めてグラスを掲げた。
「じゃあ、久しぶりの僕たちの再会を祝って」
「うん、ぼくたちの再会を祝って」
「乾杯」
カチィンと、グラスが鳴らされた。
「飲み過ぎだよティタ……ミルク割りは口当たりがいいから仕方ないけどさ……」
「ふにぃ〜……」
ボトルを5/4ほど空けてしまった目の前のキキーモラは、すっかり目を回してベッドを独占してしまっている。
「やれやれ、本当に許可出されたのかな……僕が相手だからって、油断しすぎだよ」
呆れながらも、布団をかけてやる。スヤスヤと眠る顔は三年前と比べてもまるで成長を感じさせ無いあどけなさだ。
クスリと笑った後、エドは厚手のローブを羽織って作業机の上の研究器具をいじり始めた。街の巨大な時計の針が、7時街の真上を覆い尽くし、鐘が鳴る。
多くの魔物夫婦がまぐわいを始める時間帯であり、魔法使いたちの研究が開始される時間帯でもあった。
「……うん」
静かに、音も立てず、コーヒーを満たしたカップがキリアの前に置かれた。
湯気を立てるそれは寒い季節にはありがたい。
「はい、エドくん」
「あ、うん」
次にエドの前に、同じく。テーブルの中央に置いてある角砂糖の入った器とミルクの入ったピッチャー。家にもともとあったものだ。
「うんうん。エドくんがお客さんに出す食器とか持ってて、安心したよー」
「は、恥ずかしいからやめてよ」
椅子に腰掛けたエドの頭をポンポンっとキキーモラが撫でるように叩く。思わず最近開発した教団幹部と母親へのおしおき魔法『エンドオブアポカリプスザデッド』の詠唱を口の中で唱えそうになったが、鋼の精神でそれを抑え、コーヒーとともに胃の腑に流し込む。苦い。
コーヒーはブラックなどとだれが言い出したか、コーヒーは角砂糖3つ、これは譲れない。
「あー、エド、ボクはこちらのキキーモラの方を知らないな、是非ともご紹介してほしい」
耐えきれず、キリアはずっと疑問に思っていたことを口にした。
手首にフサフサとした柔らかそうな羽毛、尻尾も同じく、そして硬質の、ブーツのような形の蹄の足。
このウーアシュタッドでは案外見かけることの多いキキーモラと呼ばれる魔物だ。
「なにやら随分と親しそうだけども、キキーモラっていうのは突然家にやってくるのではないかな。それなのに、愛称で呼び合うとは一体どういうことだい?」
スラスラと、なるべくいつも通りのクールな微笑みを浮かべながらキリアは質問を次々と吐き出す。しかしその顔は、時折ひくりと痙攣しており動揺を隠しきれていない。
「あぁ、申し訳ありません。ぼくはキキーモラのフェリーティタス・マキシメドミーです。呼びにくいようでしたか、お気軽にティタとお呼びください」
「あ、どうもご丁寧に……」
毒気のない笑顔で、お盆を抱えたままぺこりと頭を下げられる。思わずキリアもお辞儀を返した。
「えーとですね、キリアさん。先ほどリリーミードが好物の保護者という話をしましたね」
「あぁ、それが?」
「その保護者というのが彼女の、えー、ティタのご両親でして。で、そのご両親は僕の、まぁ保護者でありまして、つまり、まぁ故郷で一緒に暮らしてた、幼馴染なんです」
「はいっ!」
「……」
ピコピコと、キキーモラにしてははしたなく、おさげの横に垂れた耳のようなフサフサと尻尾をフリフリと振りながらご機嫌よく同意する。大してキリアは顎に手を添え、顔を伏せ、深く思考を巡らせる。
「……同棲してた幼馴染だと?」
「まぁ、はい。ぼくは拾われた子でした」
「あぁ、それは知ってた、君がいつかポロリと言ってたけど……まさかな……そんなな……てっきり教会の孤児院とかで育ったとばかりおもってた……そうか……」
額に手を当てて首を振るキリア。今や頭の中はかつてないほどの速度で思考を巡らせている。エンドルフィンが猛烈に分泌され1秒が10秒にも伸びているだろう。しかしその脳内は『ヤバイ』の三文字で埋め尽くされている。
「でも、ティタ、どうして突然こっちに訪ねてきたの?」
「そうだねすごく気になるねそれ」
エドのこぼした疑問に思考の海から飛び出したキリアが食いついた。幼馴染のキキーモラがどうして突然、ウーアシュタッドのエドを訪ねてきたのか。
「それがね!ぼく、お母さんに認められて、使えるご主人様を探していいって言われたの!で、ぼくは昔っからずっと、エドをご主人様にしたいって思ってたし、だからきちゃった!」
「そ、そう」
「お、おう」
ありふれたよくあるキキーモラの思考回路である。ケチの付けどころもないだろう。エドは照れくさいのか頬を染め、キリアは純度100%の、RGBにしてオールゼロの真っ黒い影を背負っている。
「ライバルが手ごわすぎるだろう……なんだよそれ、幼い頃からともに過ごしたキキーモラとか、ヤバイだろ、つよすぎるだろ、どうするボク、まずいぞボク」
ぶつぶつとつぶやいて再び思考の海に沈んでいったキリアを尻目に、エドとティタは話を弾ませる。
「ふふ、エドくんがブリュームヘンをでて三年も経ったね……背は、ますます離れちゃったねー」
「う……ぼ、僕だって背を伸ばそうと頑張ったけどそれだけは……」
「でも、エドくんは偉いね。コセンド魔法学校って、すごく授業が厳しいんでしょ?それなのに、お部屋はしっかり片付いてるし、ご飯も栄養のあるものを自炊してるし……ぼく、すごく嬉しいよ」
「ティ、ティタにいろいろ教えられたからね……」
「うんうん、えらいえらい」
「子供扱いしないでよ……」
ポフポフとまたもや頭を撫でられるエド。なにやらまんざらでもなさそうだ。これはヤバイ。ものすごくヤバイ。恋敵に遠慮はいらぬとキリアは目を鋭く研ぎ澄まし、『ジョーカー』を鞄から取り出した。
「あー、コホンっ。エド、幼馴染との再会に水を差して大変申し訳ない、このマナジェムのことなんだがね」
「は、はい!」
即座にそちらに顔を向けるエド、ティタが若干しゅんとした。
「多分まぁボクが街に戻ったことは学校にも、あと母上にも知られていると思う。なるべくはやく期間報告と、このジェムを提出したくてね、そうなると、そろそろ分析を開始しないと時間がね。ほら、今はもう15時26分31秒21だ」
「わかりました!」
即座にテーブルを離れ、機材が置いてある棚を漁りだすエド。してやったり、という顔でキリアはティタを見るが、ティタの方はなぜか頬を緩ませていた。
「ふふ、魔法のことになるとそれしか考えられないのも変わってないなぁ……」
「……あー、その、ティタ、さん?」
「はい、キリアさんなんですか?」
くるりとこちらを向いたティタ。なるほどキキーモラらしく当たり障りのない笑みを浮かべているが、その瞳の奥に激しく炎が灯っている。
「……負けるつもりはさらさらないよ。彼と出会ってまだ一年と少しだが、この時間が大切な街でも、愛は時間じゃないことは証明されているからね」
「はい!愛に大切なのは思いですよね!」
「うん、ボクはこれからエドの家にコーヒーを飲みに来ることも多くなるけど、仲良くしてくれると嬉しいな」
「ぼくのほうこそ、よろしくお願いします!」
互いにニッコリと微笑みあう。仲良くするのは嘘ではないが、この恋を互いに譲る気はない。エドを尻目に、女の戦いの火蓋がこの瞬間切って落とされた。
「ふぅ……」
「お疲れ様、エドくん」
ふう、と一息ついたエドに、冷たい水を置いたグラスをティタが差し出す。ありがとうと礼を言い、喉に流し込めば回転させすぎた頭を冷たい水が冷却していく。
「ふはっ……」
「いい飲みっぷり」
「水だよ?これ」
苦笑して、グラスを台所に運ぼうと立ち上がろうとすると、ティタがそれをやんわりと制して、サッとグラスを取り上げた。
「ぼくがやるよ」
「ダメ人間になっちゃうよ」
「それがキキーモラのお仕事。エドくんは、魔法の研究とかに専念して、家事はぼくに任せればいいの」
またもやぽふっと頭を撫でられる。ふわふわとしたティタの手は心地よいが、子供扱いはいただけない。
「くすぐったいよ」
「えー、昔は喜んでくれてたのになー」
クスクスと笑うティタとエド。キリアが見たら無言の爆発魔法をかます光景であるが、今この家にキリアはいない。
ジェムを堪能したエドに別れを告げたあと、ちょっとばかし早足で出て行ったからだ。言った通り、学校と母親に今回の不在の説明をしに行ったのだろう。あのジェムさえあれば学校はどうにかなるだろうが、ウーアシュタッド一時間に厳しい母親にはこってりと叱られるだろう。
「そういえば、ティタはどうやって家の中に入ったの?この街の鍵は相当に厳重な施錠魔法がかかってるはずだけど」
「鍵、かかってなかったよ?」
「……」
キリアさんごめんなさいとエドは頭の中で謝った。凡ミスでしたと、あなたの評価は改めたほうが良さそうだ、と進言したかった。
「たまーに、こーゆーミスしちゃうのも変わってない。んー、エドくんはかわいいよ」
「ちょっ……」
いよいよ撫でるだけにとどまらず頭を抱えて頬ずりまでする始末。流石に恥ずかしてくさっと拘束から抜け出すとやっぱりティタの尻尾がしゅんと垂れ下がった。
「ま、まぁそれよりさ……ティタは、やっぱりここで暮らすことになるよね?」
「うん!エドくんと一緒にここで暮らして、お手伝いをしてあげたいな!」
「うーん、気持ちは嬉しいけど……参ったなぁ」
エドは部屋を見渡した。この家は、ウーアシュタッドにありふれた貸し住宅である。
エドの通うコセンド魔法学校には多くの人魔が入学するが、そうなると当然遠い地に住む者たちの住まいが問題になる。
そこでこの小型一軒家が開発された。アパートやマンションのような形ではなく、通常の一軒家をそのまま小型にしたような家がウーアシュタッドにはそこらじゅうに、とりわけこの7時街には多い。
この家は五時街のギルドから見習いのジャイアントアントや大工候補生たちが修行の一環として建設した者で、住み心地のレポートを4ヶ月に一回提出することを条件に格安で貸し出しされている。
一人暮らしとなる者たちには大変ありがたいが、本当に小型なので二人で済むとなると問題が生じてくるのだ。
「ティタ、見ての通りさ、この家はさ、足の踏み場は問題ないけどもう一つベッドを運び込む余裕はとてもないんだ。ティタの寝床の確保が難しい」
「大丈夫!エドくんと一緒のベッドで寝ればいいんだよ!」
「はいぃ?」
思わず水谷何某のような返事をしてしまった。いったいなにをいっているのだこのわんこ系キキーモラは尻尾を左右に振りおってからにと、エドがティタを見つめる。
「だって、ベッドが運び込めないならしょうがないよ。あ、エドくんがダメなら私は……ほら、そこの倉庫の隙間に」
「露骨に尻尾を垂れ下がらせないでよ、そんなとこに寝かせられるわけないじゃないか……」
それこそもっとダメだ。あの倉庫には触手の森から色々と危ない思いをして手に入れたタネや、ミューカストードの池に飛び込んで命からがら(人生的な意味で)ゲットした粘液塊やらが詰まっている。そもそも狭い。そこに押し込めるほど良識がないわけではなかった。
「……うん、二段ベッドを買おう。ま、まぁ、それまでは、しょうがないか」
「ありがとうエドくん!」
ふたたび尻尾ブンブン。この邪気のない笑顔には昔からエドは弱い。邪気はなくとも性欲はあるがそれをエドは知らない。
「……あと、二人分の食費か……小物も揃えないとなぁ」
「それは大丈夫!ぼくもお仕事するから!」
エドのあげた他の問題点に即座にこたえるティタ。
「仕事って……なに?」
「特技はお料理掃除その他諸々家事全般!ほんのかじった程度の魔法にナイフ投げ!これだけあればお仕事は見つけられるよ!」
「あー、確かにそれだけあれば……ん?ナイフ……?」
「あ、エドくんは知らないか。ぼく、お父さんに教えてもらって今じゃ500メートル離れたところに立ってる人の頭の上のリンゴに投げ当てられるくらいにナイフ投げが得意なの!じゃんじゃじゃーん!今明かされる衝撃の真実!」
そういってティタはシャキーンと両手に一本ずつナイフを取り出した。刃はなく刺すことに特化したものだ。
「……それは役に立つのかな」
「虫だってイチコロだよ!」
「そうじゃなくて……うん、なんかもういいや。そろそろ僕は魔法の研究を始めるよ」
相変わらずだ、三年前とまるで変わらず、妙なところで、ものすごくずれている。
「ん、そう?じゃあぼくは、晩御飯作ってるね」
「ばんごはん?」
「え?うん」
「……あ〜、そっか。晩御飯ね〜……ティタ、ウーアシュタッドでは晩御飯は無いよ」
「え?」
そう、ウーアシュタッドでは、昼ごはん、晩御飯は、そういうのは文化として存在しない。
ウーアシュタッドにおける食事というのは基本的に午前中に済ませるもので、午後に入って寝るまでは適当な軽食をつまむ程度で済ませるのだ。
もちろん今日のバイトのようになかなか食事が取れない場合は午後にもつれ込むことも良くあるが、それも休日のバイトの日くらいで、学校に行く日は登校前にがっつり食べる、そういう街なのだ。
「というわけで、晩御飯はいらないよ、たぶん作られても食べれない。僕もすっかりそういう体になっちゃったからね」
「そ、そんな〜、ぼくここに来るまでにお腹減っちゃったよぉ……」
エドも気持ちはわかる。ここに来て慣れるまで随分苦労したものだ。
「いや、ティタは食べていいんだよ、食べちゃいけないってわけでも無いし」
「うーん、でもエドくんが食べないのにぼくだけってちょっと……うーん……」
頭を抱え込んでしまうティタ。昔からなんでもエドと一緒にやりたがるところも変わっていない。懐かしさを味わいながら、エドはふと今日買ったものを思い出した。
「……うん、そうだ。ティタ、シュニットでも作ろう」
「え?うん……いいの?」
「間食をつまむ程度ならよくやるからね」
そう言って、エドはキッチンに積んであるブレッドを薄切りにし始めた。あー、と声をあげてティタもそれに参加する。
「もう、ぼくがやるからエドくんは座ってて」
「あはは、わかったよティタ」
素直に引っ込むとティタは気を良くしたようで、早速シュニットを手早く作り始めた。ちょうどいい大きさにカットしたブレッド、そこへ保存魔法のかけられた木箱から取り出したハムや作り置きしてあったマッシュポテトを乗せ、マスタードを少量、胡椒をかける。
新鮮なレタスをその上に乗せて、さらに、もう一つのブレッドに挟む。
ティタがシュニットを作っている間にエドはカバンの中から黄金色の瓶を取り出し、二つのグラスと一緒にテーブルに置いた。
しばらくするとシュニットを適度な大きさにカットしたティタがキッチンから皿を持って出てきた。
「はい、できたよーぼくの特性シュニ……あ!」
と、目ざとくそれを見つけた途端にずいっとその瓶に顔を近づけ、穴が空くほど見つめる。そして、エドの方を少し興奮した様子で振り返る。
「エドくんこれ……ミード!それもリリーミード!なんで!」
「今思えば虫の知らせだったのかもね。今日市場で見つけてつい、ね」
そう、エドの保護者の大好物リリーミードはティタもまた目が無いのだ。10歳になって飲めるようになってから、まだ飲めないエドにまで進めてきて大変だったものだ。
「久しぶりの再会を祝うのに、ちょうどいいと思うんだ。さ、グラス出して」
「エドくん……」
感激のあまり、椅子に座っても尻尾をちぎれるほど振り回しながら、グラスを差し出すティタ。透明なグラスの中に、とくとくと柔らかな黄金の蜜酒が注がれてゆく。
「ミルクは自分で好きなだけ入れて」
「うん!じゃあ……エドくんも、ほら!」
「ん」
お返しとばかりに、ティタもエドのグラスにミードを注ぐ。ティタが自分の好みの量でミルク割りを作り終えると、二人は改めてグラスを掲げた。
「じゃあ、久しぶりの僕たちの再会を祝って」
「うん、ぼくたちの再会を祝って」
「乾杯」
カチィンと、グラスが鳴らされた。
「飲み過ぎだよティタ……ミルク割りは口当たりがいいから仕方ないけどさ……」
「ふにぃ〜……」
ボトルを5/4ほど空けてしまった目の前のキキーモラは、すっかり目を回してベッドを独占してしまっている。
「やれやれ、本当に許可出されたのかな……僕が相手だからって、油断しすぎだよ」
呆れながらも、布団をかけてやる。スヤスヤと眠る顔は三年前と比べてもまるで成長を感じさせ無いあどけなさだ。
クスリと笑った後、エドは厚手のローブを羽織って作業机の上の研究器具をいじり始めた。街の巨大な時計の針が、7時街の真上を覆い尽くし、鐘が鳴る。
多くの魔物夫婦がまぐわいを始める時間帯であり、魔法使いたちの研究が開始される時間帯でもあった。
15/08/23 22:08更新 / $べー
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