ノコギリソウの輪の中で

 バフォメットの仕事量は、密かに多い。

 例えば、人間の男性に対するサバトへの勧誘作業。
 人間社会の流行リサーチや、『勧誘時に着ておくべき、男心をくすぐる衣装』の選定。あるいは、『男のスケベ心・萌え心を刺激する仕草』の確認など、煮詰めておくべき項目はあれこれと数多く存在している。

 さらに、魔女候補となる人間の女性に対する勧誘作業には、もう一手間、二手間が必要になる。
 服の裾を掴み、「ねぇお兄ちゃん、わたしのお話を聞いて……?」と言えば一瞬で陥落するような奴もいる男性とは異なり、女性に対してはそれなりのキャッチコピーやセールストーク、さらにはここぞと言う場面でのオマケアピールや成功例の紹介などが欠かせないのだ。

 魅惑系や強制系の魔術で有無を言わさず仲間にしてしまう方法もあるが、そうした強引なやり口は、人間の警戒心を高めるなどの厄介な問題を生み出してしまう。
 それだけに、人間の心を正確に掴み、後々の展開をスムーズにするための様々な方策作りは、手抜きが出来ない重要な仕事なのである。

 またこの他にも、魔女となった者達に対する教育、管理。
 より良い精を放出するための、男どもに対する生活指導。
 そして、よりエキサイティングで、創造性に溢れた黒ミサ運営のための下準備。
 加えて、充実したエロス&魔術作りに欠かせない素敵なマジックアイテムの制作作業……などなど、やるべき事、やらねばならぬ事が目白押しなのである。

「バフォメットをただの快楽好きなお気楽種族だと思っている奴がいたら、この鎌で股間から上に向かって裂いてやる……」

 と、呪詛のような呟きを漏らしながら、日々の仕事に打ち込んでいるバフォメットなのであった。



 そして、時をさかのぼる事、数年前。
 そんなバフォメットの中の一人が、変わった仕組みを考え出した。

 その名も、【バフォネット】。

 戦闘、研究などの理由でバラバラの場所にいる、魔王軍の精鋭や幹部達。
 あるいは、各地に住む有能有力な一部の魔物達。
 そうした面々に特別な術を施した水晶玉を渡し、相互の意思伝達が可能な連絡システムを構築しようとしたのである。

 ただ、一口に魔物と言っても、その種類、特徴は様々だ。
 バフォメットのように多種多様な魔術を駆使する者がいる一方、ミノタウロスのように力でトコトン押し切る事を信条としている者もいる。

 そこで、バフォメットは考えた。

「高い魔力や難しい魔術が必要な動画・会話型通信ではなく、文字のみでやりとりする簡易型通信であれば、種族に関係なく使える便利な仕組みが出来上がるのではないか?」

 平たく言ってしまえば、上のレベルに合わせるのではなく、下のレベルに合わせたのである。
 とはいえ、この仕組みの効果は抜群のはずだ。
 魔術が苦手なパワータイプの魔物達も、この水晶玉に手を触れながら強く念じる事によって、文字や文章を送信する事が出来る。
 これまでは伝令役などが必要であった場面でも、水晶玉一つでその時々の状況把握や戦術展開を行う事が可能となるはずだ。

「『魔王軍:魔術部隊』なんて大そうな名を頂戴しておきながら、奴らは何もしていないじゃないか」
 ……などと自分達の存在を揶揄する小うるさい連中も、この計画が完成すれば一斉に沈黙することだろう。

 アイデアをまとめたバフォメットは、さっそく【バフォネット】の制作に取り掛かった。

 睡眠時間を削り、ストレスは男どもとの狂乱な夜で解消し、時々魔女達を可愛がり、黒ミサでフィーバーし、新型魔術の開発中に爆発事故を起こしながら、バフォメットは作業を進めていった。



 そうして月日が流れた、ある日の黒ミサ終盤。
 壇上のバフォメットは、「エッヘン!」と胸を張りながら口を開いた。

「よ〜し。各自、小型の水晶玉を持ったな。それと同様、あるいはそれよりも大型の物が、各地の同胞達にも行き渡っている。それでは……これより、【バフォネット】の試験運用を開始する!」

 高らかな宣言と、それを見上げる魔女達の「わ〜♪」という可愛い声援。
 そして、荒縄で括られ、猿轡をされた状態でその辺に転がっている男達。

 しかし、システムの完成と睡眠不足で若干おかしなテンションになっているバフォメットは、そんな混沌とした状況に頓着する事無く説明を始めた。

「本格運用に先立ち、まずは掲示板システムを立ち上げた! これは、人間の里にある『街からのお知らせ、相談受付掲示板』のようなものだ! 稼動し始めたばかりの仕組みゆえ、不具合や問題点が生じた場合は、諸君らも遠慮なくここに書き込んで欲しい!」

 その言葉に、魔女達から本日二回目の「わ〜♪」という歓声が上がる。
 ……ついでに、床に転がっている男達も、釣り上げられた直後のカツオよろしくビチビチと跳ね回っている。

「うむ! それでは、早速掲示板を覘いて見ようではないか!」

 そう言ってバフォメットは、手元の水晶玉に意識を集中させた。
 手に手に水晶玉を持った魔女達も、同様に視線をそれへと注いでいく。


『デュラハン : こちら感度良好である。貴君の働きと発想に敬意を表する』
『ミノタウロス : これならアタシでも扱えそうだ。礼を言うぜ!』
『ダークスライム : あ〜、テスト、テスト。これで書き込めたのかな?』
『ダークエルフ : これは面白いわね。しばらくは退屈せずに済みそうだわ』
『サキュバス : これ、どこかの良い男が書き込んだりはしないの?』


 水晶玉を通じて目に飛び込んで来る、文字の列。
 一部、主旨を理解していないような奴もいるが、バフォメットのひらめきが見事かたちになった瞬間だった。

「よおぉぉぉぉぉしっ! 諸君っ! 試験運用は問題なく始まったようだ! これで魔王様からお褒めをいただけば、私も、諸君も、さらに愉快な毎日を過ごせるようになるぞおぉぉっ!!」

 壇上で歓喜の雄たけびをあげるバフォメット。
 水晶玉を頭上に掲げ、「やった♪ やった♪」と歓喜のステップを踏む魔女達。
 その魔女達に踏まれ、蹴られ、その痛みに(我々の業界ではご褒美ですっ!)と心の中で叫んで軽く絶頂している男達。

 その日の黒ミサは、歓喜と狂乱の一夜として、彼女達の心に深く刻まれる事となった……。


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 ≪ 南部戦線掲示板 ≫

〔デュラハン(第九騎士団主任)〕
 今回の戦いに向け、人間達はそれなりの策を練って来ているようだ。
 手練れの武術者や魔術使い達が統率の取れた動きを見せている事はもちろん、罠や待ち伏せ攻撃など、戦術面においても厄介な企みが行われている。
 無論、その程度の抵抗に屈するような我々ではないが、この戦いを素早く、美しく、誇り高い勝利で終わらせるため、皆の意見を聞いてみたい。
 実名や所属を出しての具申、上申に抵抗があるならば、種族名のみの書き込みも許可する。


〔ミノタウロス(第七突撃班班長)〕
 何だい何だい。主任さんらしくもねぇ。ちょいと弱気の気配を感じる書き込みだなぁ?
 ま、アタイとしては、力に物を言わせて捻じ伏せちまうのが上策だと思うぜ?
 連中の小ざかしい抵抗に対してアタイ達が動きを変化させれば、奴さんは「この方法には効果があるんだ!」って調子に乗って勢いづいちまう。
 向こうとこっちの力の差ってもんをトコトン教えてやればいいのさ。


〔ダークエルフ(第一狙撃、遊撃隊隊長)〕
 はぁ〜……。
 相変わらず力押しな筋肉脳みそガールよねぇ、あんたって。スマートじゃないわ。
 ところで主任さん、私にとっておきのアイデアがあるんだけど、お一ついかがかしら?
 報酬は、主任さんが大切にしているあのお酒をグラスに三杯……ってところで、どう?


〔アラクネ〕
 ちょっと、どうでもいいんだけどさ、もうちょっとマシな戦闘糧食は出ないの?
 この前の北方戦線じゃ、それなりのモンが出てたわよ?
 こんな事だから、持ち場放棄や統率の不具合が出たりするんじゃないの?
 まったく、本当に……。


〔デュラハン(第九騎士団主任)〕
>>ミノタウロス
 もう少し、上官に対する口のきき方を……と言いたいところだが、今さら貴様にそんな事を言っても無駄だな。
 罠を罠と思わぬ貴様ら突撃班の働きは、私も評価している。しかしその一方で、貴様らの班は損耗率も高い。
 戦局を見渡して様々な決断を下す立場にある私としては、無意味な消費や消耗を一厘、一毛でも減らしたいのだ。

>>ダークエルフ
 策士として名高い貴公のアイデアならば、私もあの酒を持ち出す事にやぶさかではない。
 是非とも、書き込みを願う。

>>アラクネ
 今回、戦闘糧食の貧相さに関しては、私の周りからも不満の声が出ている。
 この戦闘終了後、中央にはきちんと意見書を提出するので安心して欲しい。
 なお、持ち場放棄、敵前逃亡に対しては、それなりの厳罰を持って遇する事を周囲の者にも伝えておいて欲しい……。


〔アラクネ〕
 おぉ、怖い怖い。まぁ、せいぜい頑張らせてもらいますよぉ〜だ。


〔ダークエルフ(第一狙撃、遊撃隊隊長)〕
 はいは〜い、それじゃあ書き込んじゃうわね。
 いちいち人間とぶつかり合うのなんて面倒だわ。私は、自分の血も汗も流したくないの。
 だ・か・ら……『空爆』を行うというのはどうかしら?
 適当にマタンゴを引っこ抜いてくる → ダークハーピーの部隊にそれを上空から投下させる → 人間、予想外の攻撃に大混乱 → 事態を把握した時には、時既に遅くマタンゴの胞子の餌食に
 ……って寸法よ♪ 人間の軍勢がマタンゴ化してしまえば、以後、そのルートやエリアは使用不可能になるわ。つまり、向こうの進軍経路を減少、限定化させる事にもつながるって訳。
 どう? 一石二鳥でしょ? 素敵なアイデアでしょ? お酒の約束、忘れないでね♪


〔ミノタウロス(第七突撃班班長)〕
 ……お前、よくそんなえげつない事を考えつくな。


〔デュラハン(第九騎士団主任)〕
>>ダークエルフ
 騎士としては非道な戦術のようにも感じるが、高い効果を見込めそうな作戦である事は認めざるを得ないな。
 早速、中央へこの作戦を上申し、許可を求める事としよう。また、投下部隊に万一の事が起こらぬよう、マタンゴの胞子対策マスクの制作も同時に依頼しようと思う。
 デュラハンに二言はない。この戦いが終わった後は、共に美味い酒を呑もう!


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「うんうん、良い感じに使われてるみたいだね」

 水晶玉に注いでいた視線を解き、美しい夕暮れの空を見上げながら、バフォメットは満足気に頷いた。
 試験運用を開始したあの黒ミサの日から幾度かの手直し、機能の追加を行い、【バフォネット】はついに本格運用され始めた。

 事前の予想通り、その効果は戦闘や研究の現場に立つ魔族達から大いに評価された。
 伝令役を必要とせず、無駄なタイムラグも生じない【バフォネット】は、新しい情報伝達の形として受け入れられたのである。

 また、当初は試験運用期間中にのみ設置予定だった各種の掲示板は、そのまま継続利用される事となった。
 様々なテーマに関して、それぞれが忌憚の無い意見を出し合える掲示板もまた、多くの好評を呼んだのである。
 ……まぁ、魔族や魔物の世界に『遠慮』なんて概念は、最初から存在しないものではあるのだけれど。

 とにかく、そうした様々なアイデアや働きに対しては、「久しぶりに『魔王奉公勲章』が授与されるのではないか」という、まことしやかな噂が流れるほどだった。
 もうはっきり言って、バフォメットは鼻高々である。
 魔女達は、自分にこれまで以上の惜しみない尊敬のまなざしを向けてくれるようになった。
 そして、サバトの存在自体を馬鹿にしていた鬱陶しい連中は、自分と顔を合わせないようにコソコソと逃げ回っている。

「どんなもんだい! バフォメットを、サバトを舐めるなよ!」
 バフォメットはそんな風に叫びながら、その辺をご機嫌に走り回りたい気分だった。



 ……だが、『好事魔多し』と言うべきか。
 はたまた、『禍福は糾える縄の如し』と言うべきか。

 その後、事態は予想外の、いや、ある意味においては至極予想通りの方向へと進んでいく事になるのである。



「……何じゃこりゃ!?」

 【バフォネット】の本格運用開始から一年と少しが経った頃。
 湖畔での野外黒ミサを終え、久しぶりに各種の掲示板を覗いてみようと思い立ったバフォメットは、そこに並んでいる文字に驚きの声を上げた。
 一部、トピックの内容を書き出してみよう。

≪ 架空の王子様を作って、マーメイドを釣り上げようぜ ≫
≪ 魔物一の巨乳種族は、一体何だ! ≫
≪ 「鮭を買って来る」と言って出て行ったきり、夫が帰って来ません ≫
≪ セイレーンの歌声が「ぼぇ〜」と聞こえる奴、ちょっと来い ≫
≪ くしゃみしたら、隣にいたスケルトンがバラバラになった ≫

 混沌、である。
 はっきり言って、意味がわからない。

「何これ!? 一体何がどうしちゃったっていうのよ!?」

 両手で水晶玉をガっと掴みながら、バフォメットは大きく叫んだ。
 確かに、この数ヶ月はサバトの活動などが忙しく、【バフォネット】のメンテナンスや稼動内容に注意を払ってはいなかった。
 しかし、この混沌具合は一体どうしたというのだろうか。
 この様子では、誰も【バフォネット】本来の存在意義など気にしていない……と言うよりも、ただの単なる遠距離通信可能なおもちゃ箱扱いをされているではないか。

 混乱する頭と荒れる呼吸を何とかコントロールしつつ、バフォメットは一つのトピックに目を通してみる事にした。

 そのトピック名は、≪ 魔物一の巨乳種族は、一体何だ! ≫。
 ……決して、自分自身の控えめな胸と対比させるためではない。
 決して無い。無いと思う。多分無いんじゃないかな。まぁ、ちょっと乳を寄せておけ。


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≪ 魔物一の巨乳種族は、一体何だ! ≫

〔ミノ子〕
 乳。それは女の武器であり、器量と愛嬌の象徴。
 まぁ、アタイとしては、「正直こんなモン邪魔なだけだぜ」って感じなんだがな。
 とは言え、無きゃ無いでそれなりに寂しいモンなのかもしれねぇが……。
 で。魔界の住人や人間の近くで暮らしている魔物の仲間達には、アタイ達ミノタウロスに負けず劣らずデカイ乳を誇ってる奴らがいる。
 そこで、だ。
 この際だから、《魔物一の乳を持つ種族》って奴をここで話し合って決めちまわねぇかい?
 アタイとしては、筋肉と乳のベストバランスって事で、我らミノタウロス種が断然トップだと思ってるんだけどねぇ……?


〔黒妖精ちゃん〕
 ちょっと、何寝ぼけたこと言ってんのよ、この脳ミソ筋肉女!
 体を鍛えすぎて乳の中身までオール筋肉になってるカチカチなあんた達が、断然トップですって? ハッ! ちゃんちゃらおかしすぎて、ケサランパサランを吸い込んだ時より笑えるわ!
 一位は、危険な妖艶さとエキゾチックな褐色肌のハーモニーが堪らない、ダークエルフに決まってるでしょ!


〔ダークスラスラ〕
 え〜っと……私達スライム種は、その気になれば数十メートルのお乳も作れるよ?
 これ、駄目かな? 反則? 結構、自信あるんだけど。


〔首無しさん〕
>>ダークスラスラ
 う〜む、さすがにそれは反則かも知れんなぁ。
 とは言え、控えめかつ誠実なその姿勢、私は評価するぞ!

 ……で、問題なのは他の連中だ。
 女の価値を乳だけで決定しようとするその浅はかな考え、まことに嘆かわしい。
 心技体、その全てを高い次元で結合させ、なおかつ豊かな乳を誇る者こそが最良最高であるに決まっているだろう。
 つまりは……これ以上、言わずとも理解できるな?


〔素敵なオークさん〕
 はいは〜い! オークをお忘れなく〜!
 ミノタウロスさんが筋肉質な胸なら、私達はフワフワでユラユラなお乳で参戦しま〜す!
 今、時代はムチムチな女の子に傾いているんですよ?


〔レッサーたん〕
 あの、以前に本で読んだ事があるんですけど、東方:ジパング地方には妖狐や稲荷、ジョロウグモっていう、とってもセクシーでナイスバディな魔物さん達がいるそうです。
 私も、そんな風に色気のある魔物になって、素敵な男性と色んな事をしたいなぁ……。


〔美味しいお乳に相談だ〕
 ミノタウロスさぁ〜ん。親戚の私達の事を忘れちゃイヤですぅ〜。
 私達はぁ〜、魔物のみんなからもぉ〜、人間のみんなからもぉ〜、褒められて愛されるお乳なんですよぉ〜? それにぃ〜、搾ると美味しいミルクも出せちゃいますぅ〜。
 みなさんもぉ〜、私達のお乳でぇ〜、元気になってくださいねぇ〜?


〔綺麗な花には棘がある〕
 あなた達、そもそもの発想が間違ってるわよ?
 本当に良い女、素敵な肉体の女っていうのはね、自分から仕掛けなくても、相手の方から勝手に寄って来るものなのよ。
 その点、あたし達アルラウネは最強よ? 私の中からは、どんな男も出て行きたがらないんだから。


〔サッキュン〕 
 はいはい、あなた達、せいぜいそうして潰し合ってなさいな。
 美巨乳の玉座に就いているのは、今も昔も私達サキュバスなのよ?
 お馬鹿なあなた達は、私に見下ろされている事に気付かず、子供のようなケンカをしているだけなの……可笑しいわね。
 でも、あなた達のそういう所、嫌いじゃないわよ?


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「ち、ち、ち……乳なんて飾りだ! 馬鹿には、ロリっ娘ワールドの素晴らしさも、貧乳に宿る気品も、つるぺったんが持つ資産価値も理解出来ないんだあぁっ!!」

 繰り広げられている乳話に耐え切れなくなったバフォメットが、夜空に向かって雄たけびをあげる。遠くの方で、その叫びに呼応するかのように狼が吼えている。

「ぜぇぜぇぜぇ……って、違う違う。問題は、そこじゃないんだ」

 肩で息をしながら、バフォメットは首を振った。
 そして、パンパンと二度手を叩き、側近の魔女を呼ぶ。

「誰か。誰かおらぬか!」
「はい、お呼びでございますか?」

 湖畔の闇の中から、音も無く一人の魔女が現れた。
 バフォメットとは長い付き合いになる、最古参の魔女の一人だ。
 他の魔女達とは明らかに異なるその雰囲気が、彼女の只者ではない中身を示している。

「これ! この【バフォネット】の掲示板の中身! 一体これはなんなの!? いつからこんな事になってたの!?」

 威厳も何もあったものではない口調で、バフォメットは魔女に問いかける。
 しかし魔女は、そんなバフォメットの態度に何ら動じる事無く答えを返した。

「【バフォネット】が本格運用され始めて一ヶ月ほどが経過した頃……からでしょうか。最初は、魔王軍の仕事に関する愚痴などが書き込まれ始め、その後は次々と取るに足りないようなトピックが乱立するようになりました」

 魔女の言葉に、バフォメットはめまいを覚えた。
 自分が目を離していた少しの間に、運用開始後間も無くに、そんな事が起こっていたなんて。
 魔女の説明は続く。

「もちろん、本来の個別文字通信や戦場掲示板、研究所掲示板などは問題なく機能しています。しかし、現在では【バフォネット】=【愉快なコミュニケーションの道具】という認識が定着しつつある……というのが、現実ではないでしょうか」

 魔女の言葉に、今度は頭痛を覚えた。
 淡々と的確に説明されるから、何だか余計に辛いのだ。
 しかし、バフォメットはそんな辛さをグッと堪えつつ、魔女に再びの問いを投げかけた。

「では……どうしてこんな状況になっている事を私に知らせなかったのだ? いくらなんでも、これは酷すぎるぞ……」

 その言葉に、魔女は少し首をかしげながら答えた。

「それは、あなた様が『これで【バフォネット】も軌道に乗った。しばらくは放置していても問題ないだろう。これからは私もお前も、サバトの活動強化に軸足を戻して行こう。忙しくなるだろうから、集中して事に当たれ!』と仰っていたので。ご報告せずとも、良いものかと」
「う……」

 そういえば、そんな事を言ってしまったような気がする。
 加えて、この魔女は自分の命令を忠実極まりなく遂行する、どちらかと言えば融通の利かないタイプの魔女だったのだ。思い返してみれば、人間だった頃も冗談を解さぬお堅いシスターだったっけなぁ……。

「いずれにしても、これは今後どうしたものか……」

 湖を吹き抜けて来る緩やかな風に髪を揺らされながら、バフォメットは呟く。

 書き込み規制を行い、馬鹿げたやり取りを禁止するか?
 否。そんな事をすれば、魔物達の反発は必至だ。

 各々に特定の識別番号などを配り、誰がどんな書き込みを行ったか管理するか?
 否。必要な労力が膨大過ぎる。そんな事をすれば、サバトの運営が不可能になってしまうだろう。

 いっそのこと、一時【バフォネット】の稼動を停止させ、一からシステムの見直しを行うか?

「それも、否……か。手間がかかりすぎる上に、個別通信や戦場掲示板などは機能しているのだからな。それまで止めてしまうのは、問題があるだろう」

 誰に告げる訳でもなく、ポツリと漏れ出た言葉。
 だが、魔女はその言葉に恐ろしい一言を返して来た。

「その戦場通信、および戦場掲示板に関してですが、大問題が発生しつつあるという噂を耳にしました」
「なっ……!? それは一体、どういう事だ!?」
「はい……」

 そうして始まった魔女の説明は、バフォメットを戦慄させるに十分な内容だった。



 いきなり結論を書いてしまおう。
 “【バフォネット】に使用する水晶玉が、人間の手に渡ってしまった” のだ。

 噂によれば、それは西方の戦場において起こった事だという。
 人間達の猛攻に一時退却を余儀なくされた部隊の指揮官が、混乱の中でポロリと水晶玉を谷底へ落としてしまった。さらに運の悪い事に、その谷底にはそれなりの深さがある川が流れていた。
 結果、水晶玉は地面や岩肌に叩きつけられて砕ける事無く川を下り、山間の小さな村へと流れ着き、そこから様々な人間の手を渡って、とある国の軍部へと到達したらしい。

 とはいえ、バフォメットもそうした事態を予測していなかった訳ではない。
 水晶玉に宿しておいた魔力と術式に、ある種の『鍵』と『壁』を仕組んでおいたのだ。
 万が一、水晶玉が人間の手に落ちてしまったとしても、通信の中身や掲示板の中身を覗かれてしまわないようにするための工夫である。

 ……が、そうしたバフォメットの予測には、大きな見落としがあった。
 それは、人間の諦めの悪さと粘り強い知恵の積み重ね。さらには、豊かな発想力と幅広い団結力の存在である。

 要するに……人間達は様々な分野の専門家をかき集め、互いに団結し合い、不眠不休で術式の解析と解除に取り組み、ついにそれを成し遂げてしまったのである。

 そうして、西方の戦線は混乱を極める事になってしまった。
 無理もない。
 魔王軍の情報や企みは、全て人間達に筒抜けになってしまったのだから……。



「何という事だ……」

 魔女の説明を聞き終えたバフォメットは頭を抱え、その場にうずくまってしまった。

「しかし、これはあくまでも噂の域を出ていない話です。西方の戦線が混沌としてしまったのは、純粋に互いの力が拮抗した結果かも知れません」
「あぁ……だが、そうした噂が流れてしまった時点で、【バフォネット】は意味を失ってしまうだろう」

 大きなため息と共に立ち上がったバフォメットが、辛そうな表情で夜空を見上げる。

「掲示板で馬鹿なやり取りを楽しんでいる連中は、構わないだろう。だが、実際の戦場に立ち、【バフォネット】を活用していた者達は、きっとこう言うさ。『自分達の考えを敵に知らせてしまうような道具は使えない!』とな」

 その時、夜空に流れ星が走った。
 あの光が消え去らぬ間に願い事を三度唱える事が出来れば、その思いは成就する……そんな人間達の間で信じられている行為を思い、バフォメットは苦笑した。

(どうか、人の手に渡った水晶玉が砕け散りますように……か? くだらない)

 何かにすがりつきたくなるほどの、大きな不安。
 そんなものに囚われかけていた自分自身に渇を入れるべく、バフォメットはパンパンと己の頬を強く叩いた。
 傍らに立っていた魔女が、その行為に目を丸くする。

「全ての魔女に通達! 私からの別命あるまで、【バフォネット】の使用を禁ずる!」
「……どうなさるおつもりですか?」

 動揺の気配を隠そうともしていなかったバフォメットが、いつもの威厳を取り戻す。
 その様子に何かを感じ取った魔女が、静かな声で訊ねた。

「【バフォネット】は、私が考え、私が生み出した仕組みだ。ならば、その不具合と危険性を直視し、皆に知らせ、全ての責任を取る事は、私に課せられた当然の責務なのだ」

 そうしてバフォメットは水晶玉を両手で包み、フッと優しげな笑みを浮かべた。

「発想は良かった。完成度もまずまず。だが、少々見落としと誤算が多すぎた」
「それは、人間達の力と存在、ですか?」
「あぁ。だが、もう一つあるな」

 バフォメットの言葉に、魔女が再び首をかしげる。

「それは、一体?」
「魔族、魔物……同胞達の自由すぎる発想と、取り留めのない愛すべき馬鹿さ加減さ!」

 そしてバフォメットは、水晶玉に意識を集中させた。


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≪≪ バフォメットより、全魔族、全魔物へ緊急連絡! ≫≫

〔バフォメット(【バフォネット】発案、構築者)〕
 全魔族、全魔物に告ぐ。

 西方の戦線において、この【バフォネット】に使用する水晶玉が人間の手に渡り、術式が解除・解析されてしまったという情報を手に入れた。
 ついては、今後【バフォネット】の使用を取り止め、旧来の連絡・伝令システムを用いられるよう願いたい。

 今回の不手際に関しては、【バフォネット】を考え、生み出した私に全ての責任があると痛感している。
 皆からの非難の言葉は、全て受け入れる覚悟である。
 また、今回の件により被害を受けた西方の戦線で奮闘している同胞達にも、心からの謝意を伝えたい。本当にすまなかった。

 そして非難の言葉と同様に、魔王様や魔王軍上層部による懲罰会議にかけられる覚悟も出来ている。
 ただ、一つだけ……私の最後のわがままを許していただきたい。
 私が無期限幽閉罪や死罪を言い渡される事は、仕方がない。
 しかし、私を信じ、今日までついて来た魔女をはじめとするサバトの面々に対しては、どうか寛大なご処置をお願いしたい。

 「貴様にそんな要望を出す権利などない」という指摘は、もっともである。
 だが、どうかこれだけは、私の命と引き換える形になったとしても、お願いしたいのだ。

 これより半時後、【バフォネット】の全てのシステムを停止させる。
 皆、本当にすまなかった。


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「……これで良し」

 ふぅと大きなため息をついて、バフォメットが顔を上げる。
 変わらず傍らに立ち、自分の水晶玉を見つめていた魔女が、静かに口を開く。

「これから……どうなるのでしょうか?」

 その声は、不安げに揺れていた。
 彼女が魔女になってから初めて見せる、不安という名の感情の揺れだった。

「なぁに、私が書き込んだ通りの事が起こるだけだ。皆は、【バフォネット】の使用を止める。私は、今回の不手際に関する罰を受ける。ただ、それだけだ」
「しかし、それでは……っ!」

 魔女が、大きな声を出した。
 その時、バフォメットは気付いた。
 魔女の後ろの茂みの中に、手に手に水晶玉を持った愛すべき大勢の魔女達が、今にも泣き出しそうな表情で立っている事に。

「やれやれ……修行不足の困った魔女達だ」

 バフォメットは、彼女達を安心させるかのようにおどけた調子で言った。

「お前達、何を怖がる事がある? 何を不安に思う事がある? お前達はサバトの魔女だ! 人間達に快楽の素晴らしさを、魔族の奥深さを、ロリっ娘の味わいを説いて回るサバトの魔女だ! そんなお前達が、瞳に涙を浮かべてどうする?」

 その言葉に、魔女達はわっと声を発しながら飛び出した。
 皆、口々に色々な事を言いながら、涙を流しながら、バフォメットのもとへと押し寄せた。
 その様子に、言葉に、思いに、さすがのバフォメットもこみ上げるものを感じた。
 だが、ここで涙をこぼす訳にはいかない。自分が泣いてしまう訳にはいかない。

 だから、こう言った。

「後を頼んだぞ。明日からこのサバトは、お前達の手で作り上げていくんだ。後を頼んだぞ……我が忠実なるしもべ達よ。そして、愛する娘達よ」

 静かな夜の湖畔に、魔女達の泣き声が響いていく。
 その輪の中心には、バフォメット。

 誇りと団結力、そして何よりも大きな愛情に満ちたサバトの夜は、こうして更けていった……。


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 光があれば、影がある。
 表があれば、裏がある。

 悪い事や悲しい事の後には、良い事や嬉しい事が待っている。

 そうした色々な出来事の末に【バフォネット】は生まれ、消えていった。
 その存在は正史に残る事は無く、飽きっぽい性格の魔物達からも忘れられていった。

 また、【バフォネット】を解析した人間達にとっても、その存在は不思議で厄介なものとして扱われ、消され、忘れられていく事となった。

「魔物たちは独自の情報伝達網を作り上げ、様々な問題に関するやり取りを行っていました!」
「ほぅ……例えば、どんな風に?」
「え〜、それはですね……どの種族の乳が一番大きいか、美しいかについて、活発な議論が行われていました」
「……君は一体何を言っているのかね?」

 せっかく【バフォネット】を発見、解析したのにもかかわらず、彼らの努力は報われなかった。
 各国の首脳が集まった軍事会議の場においても、教団や教会へ提出した報告書の扱いにおいても、意味のわからない与太話として笑われ、まともに理解してもらえなかったのだ。
 魔物達が自由奔放な議論をしていた事も、戦闘や研究に関する的確な意思疎通を重ねていた事も……。

 とはいえ、それも無理のない話しだと言えるだろう。
 何せ、同じ魔族であるバフォメットでさえ、仲間達のぶっ飛んだ頭の中身を予想出来なかったのだから。
 紋切り型に「魔物 = 禍々しく、汚らわしく、恐ろしき悪の存在」と信じて疑わない石頭の偉い人間達に、その中身が理解出来ようはずもなかったのだ。

 こうして、人間達の正史や書物にも【バフォネット】の名が刻まれる事は無く、ごくごく一部の人間のみが、「嘘じゃないのに……本当に見たのに……」と涙する結果に落ち着いたのであった。

 そして、あのバフォメットは……。


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「ねぇねぇ、演説台の飾りつけって、こんな感じで良かったのかなぁ?」
「う〜ん……もう少し華やかさが欲しいよねぇ」
「っていうかさ、今日の演説は誰がするの? 最近、入信する人減ってきてるよね?」

 小さな村の寂れた教会の中を、大勢の魔女達が忙しく駆け回っている。
 今夜行われる勧誘ミサ会場の設営に奮闘しているその姿は何とも言えず可愛らしいのだが、今ひとつまとまりに欠け、作業効率も上がっていない。

「はぁ……やっぱり、バフォ様がいないと……」

 一人の魔女が、ポツリと漏らす。

「それは言わない約束でしょ。私達は、バフォ様からこのサバトを託されたんだから。ほら、頑張って頑張って!」

 そんな彼女の背中を、別の魔女がポンポンと叩きながら励ました。

「……うん。そうだね。ゴメンね。私、頑張るよ!」

 笑顔を取り戻した魔女が、自分の持ち場へと戻って行く。

 あの夜が明けるのと同時に、バフォメットは魔界へと旅立って行った。
(これが、今生の別れになるのかも知れない……)
 旅立つ側、見送る側、双方の胸に湧いた、偽らざる思いだった。

 魔界においてどんな裁きが下されたのか……一ヶ月という時間が流れた今も、魔女達にそれを知る術は無かった。
 しかし、だからこそ、魔女達はサバトの運営に全力を注いで行こうと誓い合った。
 自分達を愛し、導いてくれたバフォメットのために。

 いつか、彼女が帰って来る、その日のために。



『パチ、パチ……パチ……パチ……』

 演説を終えた魔女へ、気の抜けた拍手が送られる。
 バフォメットの側近を務めていたあの魔女が、小さなため息をこぼしながら思った。

(回を追うごとに、ミサのクオリティーが下がっていく。これでは入信者を増やすどころか、このサバトの維持そのものにも問題が生じるかも知れない。一体どうすれば……)

 過去最悪のしらけ具合を呈している、今日の勧誘ミサ。
 これでは、苦労して会場に招き入れた人間達を入信させる事など、絶対に不可能だろう。

 魔女は思う。

 神に仕えていた自分の価値観を根底から覆し、粉砕し、その粉々になった心の上でいたずらっぽく笑っていたあのバフォメットの事を。
 初めて男性と肉の交わりを持ったあの時の興奮と、そんな自分を楽しそうに見つめていたあのバフォメットの事を。
 熱すぎるほどの口調でロリっ娘の素晴らしさを説き、痛いくらいの勢いで自分の肩をバシバシと叩きまくっていたあのバフォメットの事を。

 あぁ……バフォメット様。
 私達は、あなたとの約束を守れないかも知れません。
 私達には、やっぱり、あなたが必要なのです……。

 そうして、魔女がポトリと一粒の涙を落とした、その瞬間だった。


「おいおいおいおい。噂に名高いサバトのミサっていうのは、こんなにもツマラナイものなのかねぇ? お前さん達は、今まで一体何を学んで来たんだい?」


 盛り上がりの熱を持たない教会に、可愛らしくも力強い少女の声が響き渡る。
 あぁ、あぁ。
 これは、この声こそは、彼女達が待ち望んでいたあのお方の声……!

「とうっ……!」

 そんな叫び声と共に一つの影が飛び上がり、綺麗な輪を描いて着地する。
 その場所は、演説台。
 そこに立っているのは、見紛う事なきあのバフォメット。

 人間達は、驚きのあまり声を失う。
 魔女達は、歓喜のあまり声を失う。

 パンと一つ手を叩いて、バフォメットが叫ぶ。

「さぁさぁ、待たせたね皆の衆! 今宵このミサは、これより本番! あなたも私もサバトの仲間! この教会の敷居を跨いだからにゃ、損はさせないさせられない! お代は見てのお帰りだ! もっとも、女は魔女に、男は私の下僕に、それぞれ素敵に変身しちゃってるだろうけどねっ!!」

 ミサの演説、説法ではなく、屋台の叩き売りのような口上が響き渡る。

 しかし、どうだろうか。
 人間達は皆目を輝かせて立ち上がり、バフォメットの一挙手一投足に熱狂している。
 魔女達は皆喜びの涙を流し、バフォメットへ熱い熱い歓声を送っている。
 ……ついでに、今日も荒縄で括られている男達もまた、やっぱり釣り上げられた直後のカツオのようにビチビチ、ビチビチと跳ねに跳ね回っている。

 これが、バフォメットの力。
 これが、ミサの熱。
 これが、サバトの団結。

 この日、会場に足を運んだ人間達は、見事に一人残らず入信する事になったのである……。



「いや、待たせたな。心配をかけたな。ご覧の通り、戻って来たぞ!」

 勧誘ミサを終えた後の教会。
 胡坐をかいたバフォメットを中心にして、魔女達は車座に腰を下ろしている。

「あの……魔界では、どのよう事があったのですか?」

 側近の魔女が、頬に涙の線を残したまま問いかける。
 その言葉に、バフォメットは優しく微笑みながら応えた。

「私も、驚いたのだがな……魔王様から、勲章を賜ったよ。ほら、これだ」

 そう言ってバフォメットは、自分の胸を指差した。
 そこには、魔界に咲く花を模した、おどろおどろしくも美しい勲章が輝いていた。

「結局、魔王様は全てを見通しておられたのだ。【バフォネット】の長所短所、魔物達の性質、人間達の侮れない力……その全てをな。いやはや、凄まじいお方だ」



 魔界に戻ったバフォメットは、即座に魔王軍上層部に呼び出された。
 既にあらゆる非難も罰も受け入れる覚悟だったバフォメットは、素直にそれに従い……何故かその席で、勲章を授与された。

 全く予想外の展開に面食らうバフォメットに、幹部の一人はこう言った。

「今回の貴様の奮闘には、褒められるべき点も、責められるべき点も存在している。しかし、魔王様はこう仰られていた。『変化を捨て、ひらめきを放棄し、前進を忘れた集団には死のみが待つ。だが、あのバフォメットは考え、作り、喜び、驚き、責任を取った』とな」

 別の幹部が、その言葉を引き継ぐように口を開いた。

「つまりは、貴様の七転八倒を魔王様は評価しておられるのだ。そして……我らにすら中身を確認する事を禁じた、この手紙を託された」

 極めて高度な魔術的処理が施された、一つの封筒。
 バフォメットがそれを受け取ると独りでに封が開き、中からゆらりと便箋が流れ出た。

 それは、魔王直筆の手紙だった。

 バフォメットは、二つの意味で体を震わせた。
 一つは、魔王直筆の手紙を受け取ったというその事実に対して。
 そしてもう一つは、手紙に綴られていた内容に対して……。

「これは……う〜む……」

 その内容と意図を理解したバフォメットは、無意識のうちに唸り声を発していた。

「……何と書いてあったのだ?」
「え〜……『手紙の内容をしつこく訊ねる者には、我よりの裁きが下ると思え……と通告せよ』とあります」

 バフォメットの返答に、中身が気になって仕方がない幹部達が「うっ」と戦慄する。

「あとは……『特級魔術研究棟の一室を、自由に使わせること』と『研究内容を詮索した者は、即座に死罪とする』とも、あります」
「そ……それだけ、か?」

 恐らく、今、魔界で一番緊張度の高い空間となっているであろう、この会議室。
 その中で、恥も外聞もなく体をブルブルと震わせている幹部達。
 バフォメットはその様子を見て(正直、これは楽しい光景だなぁ)という思いを抱いていた。

「この手紙は、まもなく消滅する模様です」
「む……!?」

 バフォメットがそう言い終わるのと同時に、手紙は音もなく崩れ、霧散していった。

(お咎め無しの上に、この勲章。魔王様もお人が悪い。あぁ、やれやれ……墓場まで持って行かなければいけない秘密が出来てしまったなぁ)

 手紙の内容を全て聞き出したい。だけど、流石に死にたくは無い。
 ……と、冷や汗やら、脂汗やらを流している幹部の面々を眺めつつ、バフォメットはそんな事を考え、小さな小さな笑みを浮かべるのだった。



「そんな事があったのですか……」
「あぁ。だから、戻って来るのに一ヶ月かかったのさ」

 魔女の言葉に、バフォメットが明るい調子で答える。

「では当然の事として、私達もこの一ヶ月間の詳細については質問禁止……なのですね?」
「あぁ、そういう事になるな。私も、お前達の首が飛ぶ瞬間など見たくはない。だから、頼んだぞ?」

 そんなバフォメットの言葉に、魔女達は緊張の面持ちで頷いた。

「さぁて……それでは、話を今日の勧誘ミサ反省会に戻そうか。一体、あの面白くも痒くも無い内容は、何なのかなぁ〜? お前達は、私の傍で何を学んで来たのかなぁ〜?」

 ジト目で一人一人の顔を眺めて行くバフォメット。
 視線を合わさないようにシュンとうつむき、体を縮み込ませて行く魔女達。

「ふふふ……まぁ、そう落ち込むな。何も、つまらないお説教をするつもりなどないさ」

 バフォメットは、慈愛に満ちた穏やかな表情で言った。

「今回は、お前達にも大きな心配と迷惑をかけたな。許して欲しい。こんな頼りない私だが、これからも……ついて来てくれるか?」

 その言葉に弾かれたように、魔女達は次々と立ち上がり、口々に言った。

「もちろんです! 私達を導いて下さるのは、あなたを置いていません!」
「私達、もっともっと頑張ります! だから、ずっと一緒にいてください!」
「サバトの事を、もっとたくさん教えてください! お願いしますっ!」

 バフォメットは瞳を閉じ、その声を聞いていた。
 そして、静かに一筋の涙を流して、こう告げた。

「ありがとう……私は、お前達と共に歩めて、幸せだ……」

 それは、バフォメットが魔女達に見せる初めての涙だった。

 魔女達は、その瞬間に理解した。
 あぁ、このお方も不安だったのだ。悲しかったのだ、と。
 このお方も、自分達と同じだけの時間を、同じだけの寂しさや心細さと共に過ごしていたのだ、と。

 座したまま動かないバフォメットに、魔女達がわっと押し寄せ、抱きついて行く。
 その痛いほどの抱擁と声の中で、バフォメットは心に誓った。

 これからも、自らが果たすべき責務をきちんと遂行していこう。
 これからも、自らが信じる教義を広め、伝え続けていこう。

 そして……これからも、この愛する娘達と共に歩み、彼女達を幸せにしてやろう。


 この集団は、サバト。
 来る者を拒まず、去る者など一人もいない。
 快楽の教義と、ロリっ娘の艶、そして大きな愛に満ちた集団である……。



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 腰に結びつけた小さな水晶玉が、ぼんやりと怪しげに光る。
 持ち主の男性が、手に取ったそれを目線の高さにまで持ち上げる。

 すると……水晶玉からサッと一筋の光が指し、前方の虚空に彼の妻の姿と何行かの文章を浮かび上がらせた。

 彼はその内容を確認すると、プッと小さく吹き出して返信用のメッセージを作り始める。
 数分の後、返信を済ませた彼は水晶玉を眺めながら、小さくこう呟いた。

「『もうすぐ良い物が出来上がって来るからね』って言うから、何かと思えば……やれやれ。でもまぁ、仲直りのきっかけには、丁度良いのかな? 文章なら、お互い素直になれるしね」

 そして彼は踵を返し、家へと戻る道を歩む。
 ちょっぴり意地っ張りで素直になる事が苦手な、愛する妻が待つ家へ。

一ヶ月以上ぶりの投稿です。
『ゆきおんな』をテーマにしたSSを書こうとしたのですが、
四回ほど失敗いたしまして……絶不調でした。

そして、煮詰まって「あぁ、もぅ……」と腐っていた所に、
今回のアイデアが降って来ました。いかがでしたでしょうか?


ちなみに、『ゆきおんな』のお話は、
〔夏場になると、大人のゆきおんなさんが縮んで少女になっちゃう〕
……という話にする予定だったんですけどね(^_^;)。

10/01/14 09:12 蓮華

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