医療と街の安全
《 医療と街の安全 : ユニコーン、リザードマン、ケンタウロスなどの活躍 》
各地の病院や診療所には、地震発生直後より数え切れない程の重軽傷者が運び込まれた。
従軍経験を持つとある医師は、当時の様子を「最前線の野戦病院よりも、なお酷い有様でした」と回想している。
しかしそれでも、現場の医師や看護師達は『命の守り手』としての誇りを胸に、その絶望的な状況下において、最善の仕事を行い続けた。
倒壊した家屋の柱や木片を骨折の添え木に利用する、女性が使用する月経布を裂傷の出血止めに転用する、地域の住人が運び込んだダイニングテーブルを即席の手術台として活用する……などなど、各種医療物資の不足をとっさの機転で乗り切ったという報告も数多く存在している。
そうして培って来た技能を正しく発揮する人間がいる一方……被災地には、己の欲を満たすために邪なる技を駆使しようとする者達も紛れ込んでいたのである。
人の心の、明と暗。
時に美しく、時に嘆かわしいその落差の中で、我々に力を貸してくれた魔物達がいた事を決して忘れてはならない。
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☆とあるユニコーンの証言
はい。
私は、医師である主人と共に、この診療所で怪我を負った皆様の治療にあたっておりました。
ここは、市街の中心部から少し離れた、森や田畑があるエリア……いわゆる、郊外と呼ばれる場所ですが、地震発生の直後より、数多くの患者さんが運び込まれて来たのです。
裂傷、打撲、骨折、火傷から、脳や内臓への深刻なダメージが疑われるものまで、その怪我の内容は様々……。
私達夫婦は、床いっぱいに散らばってしまった本やカルテを拾う事も忘れて、一人一人の患者さんと一生懸命に向き合いました。
重症と思われる患者さんへは、主人が冷静な診察と処置を。
軽症と判断出来る患者さんへは、私が素早く治癒魔術を。
そして、命の危機と認められる患者さんに対しては、躊躇うこと無く二人がかりで……。
血と汗と埃の匂いに満ちた診療所の中で、私達はそれぞれの医術と魔術を全力で駆使し続けました。
しかし……やはり、と言うべきなのでしょうか。
二人だけの努力では、全ての患者さんへ対応出来なくなってしまったのです。
時間の経過と共に、患者さんの数はどんどんと増え続けていきました。
これは後に知った事なのですが、市街の病院で受け入れを拒否されたり、順番待ちのリストから漏れたりした皆さんが、次第に郊外へと溢れて来ていたそうで……。
診察室や待合室はもちろん、診療所の外にも傷つき、苦しむ皆さんが列を成す状況に、私達夫婦は一瞬ですが、呆然と立ち尽くしてしまったのです。
当然の事ではありますが、診療所内の医薬品や医療品の数には限りがあります。
同じ様に、私の魔力も無限ではありません。
(これは、『決断』しなければいけない)
主人も私も、思う事は同じでした。
そして私達は視線を合わせて、深く頷き合ったのです。
「皆さん! お願いです、聞いてください!」
両足骨折の重症を負っていた患者さんへの処置を終えた直後、主人が順番を待つ皆さんへ大きな声で言いました。
「ご覧の通り、現在は大変な状況です! しばらくの後に、国内外の救援部隊や医療部隊が到着すると思いますが、それまではこの地に暮らす私達自身が頑張らなければいけません!」
そこで主人は一旦言葉を切り、ゴクリとつばを飲み込み、再び口を開きました。
「そこで、お願いです! 今は、重症を負った患者さんを優先させてください! 自力で動ける方、喋れる方は、申し訳ありませんが順番を譲ってください! お怒り、憤りのお気持ちはもっともです! ですが! ですがどうか、お願いいたします!」
主人の声は、だんだんと涙声に変わっていきました。
妻としての贔屓やノロケなどではなく……私の主人は、本当に心の優しい人物なのです。
幼い頃にお父様を亡くし、看護師として働くお母様と二人で生きて来た主人は、人の心と体の痛みを理解出来る、あたたかな男性へと成長したのです。
主人が医師への道を志したのも、「病や怪我に苦しみ、悲しんでいる人を、一人でも多く、一秒でも早く助けてあげたいんだ」という、その一心からだったのです。
そんな主人が、怪我を負った皆さんに優先順位をつける決断を下したということ。
「重症も軽症も、それが患者さんを悩ませるものである以上、全ての怪我や病気に対して等しく、真摯に対応しなきゃね」と言っていた主人が、理解と我慢を求める決断を下したということ。
あの時、主人の横でただ深く頭を下げる事しか出来なかった私は、妻失格だったのかも知れません……。
「ん〜……この状況じゃ、しょうがないかねぇ。先生と奥さんは、よくやってくれてるよ。アンタ! もうちょっと我慢出来るね!?」
「ぐぉっ……! お、お前、それは痛いって……腫れ上がってる所を叩くんじゃないよ!」
そんな風に声を上げてくださったのは、地域の世話役を務められているご夫婦でした。
そしてその声に続くように、他の患者さん達も次々と応えてくださったのです。
「街の方から来た人は知らんだろうが、ここのご夫婦は優しいお医者様だからよ。ワシらも、ちっとは協力しようじゃねぇかよ。な?」
「そうだな。命に別状無さそうな怪我人は、救援隊が来るまで辛抱してもらうしかないわな」
「うちの子供が熱を出した時に、先生は夜中でも応対してくれたからねぇ。文句なんか言わないし、言えないよ。私らにも、何か出来る事とかないかい?」
「よ〜し、そうと決まれば動け動けだ! 列を組み直すぞ! 洒落にならない怪我人を連れている人は、落ち着いて前へ! 余裕のある奴は後ろへ下がれ!」
そうして行動を開始してくださった皆さんの姿を……私達夫婦は、溢れる涙に遮られ、きちんと見る事が出来ませんでした。
主人の思いは、今日までの日々は、皆さんの心にしっかりと届いていた。根を下ろしていた。
痛みや苦しみを抱えた上で、それを我慢する、引き受けるという『決断』を、皆さんにも下していただけた。
私は、ユニコーンです。
強力な治癒の魔術を使う事が出来ます。
けれどあの時、人間の皆さんから教えていただいた支え合い、譲り合い、守り合う心の強さには、どんな魔術も決して敵わないと感じました。
その後、私達夫婦は皆さんの協力を得ながら、重症の患者さんの治療に取り組みました。
あの『決断』が無ければ、恐らくは救えなかっただろうという命が、幾つもありました。
同じ様に、地域の皆さんが「これを使って!」と持ち寄ってくださった様々な薬や品物が無ければ、状況はさらに深刻なものになっていたでしょう。
あの極限の状況の中で得たものを、学んだ事を、私は生涯忘れません。
そして、その日の夜……医療救援隊が応援に駆けつけるのと同時に精根尽き果て、倒れてしまった私達夫婦にかけられたあの毛布のぬくもりもまた、生涯忘れる事はないでしょう。
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☆とあるリザードマンの証言
こんな話を知っているか?
あの地震が発生してから二週間ほどの間、近隣の国々では窃盗犯や強盗犯の検挙率が、ガクンと大幅に低下したそうだ。
それが何故だかわかるか?
そう……地震の混乱に乗じて、そうした不埒な連中がこれ幸いとばかりにこの国へと、この街へと、侵入を図ったのだ。
民家や、避難所や、行政の施設や、その他にも様々な場所で盗みを働くためにな。
まったく、度し難い。
本当に、ハラワタが煮えくり返るほど、度し難い。
嘆きと苦しみの渦中にいる被災者の方々から、さらに何かを奪おうなどというその捻じ曲がり切った根性……間違いなく、万死に値する!
む……すまない。少し気持ちが昂ぶってしまったな。失礼。
ん? 私がこの街を訪れた理由、か?
それは、修行の旅の途中、この街に優れた剣の使い手がいるという話を聞いたからだ。
何でもその剣士は、二十代半ばにして免許皆伝の腕を持ち、現在では師匠から道場を引き継いでいる、とのこと……。
より強く、より深き剣の道を求めるリザードマンとして、これを無視する事など出来ない。
だから私は、道中様々な剣士を打ち倒しながら、この街へとやって来たのだ。
しかし、私が到着したのは夜だった。
見知らぬ街を夜歩くというのは、何かと不自由だ。それに、いくらか旅の疲れもある。
その道場と剣士を探すのは明日の早朝からと決め、私は宿屋のベッドに潜り込んだ。
そして翌朝……予定通りに事は運ばなかった。
宿の女主人が、井戸の滑車が壊れてしまったと難儀していてな。
修理の心得があった私がそれを直してやると、彼女は申し訳なさそうに、他にもあれやこれやが……と言い出して。
修理と引き換えに豪華な朝食をご馳走になった私は、不覚にもそれを断る事が出来なくなって、結局全部の願いに付き合う事になったのだ。
そして、ふぅやれやれと息をついたその時……あの地震がやって来た。
街の被害についてはそちらの方がよく知っているだろうから省略するが、とにかくとてつもない状況になっていたよ。
私は女主人と共に近所の人々を助け、怪我人に応急処置を施し、泣いている子供をあやした。子供の扱いなど全く知らないのだが、とにかくまぁ、頑張った。その辺りの苦労は察してくれ。
女主人の厚意で引き続き部屋に泊めてもらいつつ、そうして数日を過ごした頃……親類の家や避難所に退避していた近所の人達が、おかしな事を言い始めた。
「家の様子を見に戻って来たら、家財道具が全部壊されてたんだ!」
「部屋の中身が引っ掻き回されてる上に、大切な指輪が無くなってる!」
「あの時は取る物も取り合えずだったから仕方ないけど……家宝の絵画が消えちゃったぞ!」
地震によって、どの方々の家もメチャクチャな状態になっていた。
命からがら何とか逃げ出して、不安な思いと共に様子を見に戻って来てみれば、その大切な場所が更なる被害を受けている……。
確かに数多くの余震があったが、それだけでこんな事になるはずがない。
考えられる事は、一つ……火事場泥棒が出た。
それも、一人や二人ではなく、大量に。
私は、ふつふつと沸き上がって来る怒りの念を抑えられずにいた。
被災したこの人達には、何の罪も無い。皆等しく、突然の災いに襲われた被害者なのだ。
それなのに、そんな心と体の痛みを労わるどころか、さらなる嘲笑と打撃を与えるような所業が許されるというのだろうか。
いいや、絶対に許されるはずが無い! 許してはならない!!
「今晩から、私が見回りをしよう。これ以上、薄汚い泥棒に好きな事はさせない。本当ならば、発見次第斬り伏せてしまいたいところだが……きちんと捕獲して、人間の法の裁きを受けさせよう」
落胆する皆の方へ一歩進み出て、私はそう言った。
私には、皆の心を癒すような芸は無い。歌も、舞いも、知らない。
だが、私にはこの剣がある。これが皆のためになるのなら、喜んで振るおうと……そう思った。
「修行の旅の途中なのに、面倒をかけてしまうわね。ごめんなさいね」
「リザードマンが力になってくれるなら、頼もしい。どうかよろしくお願いします」
「だけど、無理はしないでね。あなたが怪我をしたら、私達はとっても悲しいわ」
私の言葉と気持ちを、皆は受け入れてくれた。
そして宣言通りに、私はその日の夜から行動を開始した。
……ところで、私が捕まえた泥棒の数は、自警団を経由してそちらに届いているか?
なるほど、きちんと報告書が入っていたのか。ならば、そういう事だ。
私はその後の四日間で、十九人の泥棒を捕まえた。ちなみに、その中の三人は女だったよ。
丸腰の者もいれば、剣やナイフで武装している者もいた。
私の警告を受け入れ、抵抗しなかった者もいれば、目を血走らせ、何事かを叫びながら飛び掛って来る者もいた。
一口に泥棒といっても、無駄に個性というものがあるらしい。もっとも、それらを尊重してやるつもりなど微塵も無かったがね。
そして五日目以降は、自警団や街の剣術道場の面々も加わり、二人一組のペアを複数作っての見回りが始まった。
その中には、私が手合わせしたいと願っていた、あの使い手も入っていたよ。
本当ならば、すぐにでも勝負を挑みたかったのだが……何せ、状況が状況だったからな。
魔法鉱石入りのランプを持って街を巡回しつつ、私達は剣に関する様々な事を語り合った。
やがて話の中身は、お互いの生い立ちや現在の生活、物事の好みや価値観へと変化していってな。
いつの間にか、彼と見回りをする事が、私の密かな楽しみになっていて……まったく、我ながらやれやれという話さ。
泥棒に対する最初の怒りはどこへ行ったのかと、当時の自分自身を小一時間問い詰めてやりたい思いだ。
む、無論、見回りとしての仕事も決して手を抜いたりはしなかったぞ?
報告書を見てもらえばわかると思うが、私達はその後も九人の泥棒を捕まえたのだからな?
あ、あと、彼との会話のみにうつつを抜かしていた訳ではなく、自警団員のケンタロウスとも友情を育んで、現在も共に稽古に励む仲になったのだからな? か、勘違いするなよ?
くっ……この程度の事で赤面してしまうとは、今の私もまだまだだ……。
とにかく、私はこの街の人々のために剣を振るいたいと思ったし、優れた使い手と出会う事が出来たし、かけがえのない友情を育む幸運に恵まれたという事だ!
たっ、確かに私と彼は現在、その……め、夫婦という間柄になっているが、それは今回の話とはまた別の事柄なのだから、省略しても、か、構わんだろう。う、うむ。
い、色々あったのだ。お願いだから察してくれ。
ふぅ……え? あぁ、それはもちろんだ。
次に何かがあった時も、私はこの街の人々のために剣を振るうと誓う。
愛する夫と共に。信頼する友と共に。
この街と人々を愛し、不埒を憎む。それが、今の私の剣のかたちなのだから。
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〈 ※レポート制作局補足説明 〉
今回、証言をいただいたご婦人以外にも、各地において複数のユニコーンが医療・救護活動に参加してくれた。
その強力な治癒魔術は抜群の効果を発揮し、多くの人々を死の淵から救い出したという。
かねてより【医術と治癒魔術の効果的な融合運用】を研究していた我が国や近隣の国々にとって、今回の出来事は非常に大きな意味を持つものとなった。
そうした事態を受け……近く、一つの催しが企画、実行される事となった。
題して、“ 未婚のユニコーンさんと若きお医者さんに捧ぐ、合同お見合い会 ”。
各国の医術協会が、『技能』・『人柄』・『童貞』・『結婚願望』を保証する若き医師を選び出し、その面々と良き伴侶を求めるユニコーンの皆さんとを引き合わせてみよう……という試みである。
既に双方から複数の参加希望が届いており、高い成功率が期待されている。
一方、その熱い心で街の治安維持に努めてくれたリザードマンに対しては、全国自警団協会より感謝状と記念の盾が贈呈された。
また、証言に応じてくれた彼女以外にも、我が国の危機を知り、駆けつけてくれた多くの剣士や魔術師達がいた。
彼ら彼女らの無償の働きは一冊の本にまとめられ、全国の剣術道場へ配布される予定である。
この国の未来を担う子供達がその本を通じ、『本当の強さ』の何たるかを学ぶ事が出来れば、不埒な企みを許さない健全な社会が構築されていく事だろう。
……また、未確認ではあるものの、街へ侵入した泥棒・盗賊団に対し、ゴーストやゾンビ、スケルトン達が攻撃を仕掛け、その多くを連れ去って行ったという噂が存在している。
夜の闇に紛れて行動した犯人達を、夜の住人である彼女達が処理する……。
何とも心強いような、恐ろしいような、不思議な話である。
各地の病院や診療所には、地震発生直後より数え切れない程の重軽傷者が運び込まれた。
従軍経験を持つとある医師は、当時の様子を「最前線の野戦病院よりも、なお酷い有様でした」と回想している。
しかしそれでも、現場の医師や看護師達は『命の守り手』としての誇りを胸に、その絶望的な状況下において、最善の仕事を行い続けた。
倒壊した家屋の柱や木片を骨折の添え木に利用する、女性が使用する月経布を裂傷の出血止めに転用する、地域の住人が運び込んだダイニングテーブルを即席の手術台として活用する……などなど、各種医療物資の不足をとっさの機転で乗り切ったという報告も数多く存在している。
そうして培って来た技能を正しく発揮する人間がいる一方……被災地には、己の欲を満たすために邪なる技を駆使しようとする者達も紛れ込んでいたのである。
人の心の、明と暗。
時に美しく、時に嘆かわしいその落差の中で、我々に力を貸してくれた魔物達がいた事を決して忘れてはならない。
┣━━━┫ ┣┳╋┳┫ ┣┻╋┻┫ ┣┳╋┳┫ ┣━━━┫
☆とあるユニコーンの証言
はい。
私は、医師である主人と共に、この診療所で怪我を負った皆様の治療にあたっておりました。
ここは、市街の中心部から少し離れた、森や田畑があるエリア……いわゆる、郊外と呼ばれる場所ですが、地震発生の直後より、数多くの患者さんが運び込まれて来たのです。
裂傷、打撲、骨折、火傷から、脳や内臓への深刻なダメージが疑われるものまで、その怪我の内容は様々……。
私達夫婦は、床いっぱいに散らばってしまった本やカルテを拾う事も忘れて、一人一人の患者さんと一生懸命に向き合いました。
重症と思われる患者さんへは、主人が冷静な診察と処置を。
軽症と判断出来る患者さんへは、私が素早く治癒魔術を。
そして、命の危機と認められる患者さんに対しては、躊躇うこと無く二人がかりで……。
血と汗と埃の匂いに満ちた診療所の中で、私達はそれぞれの医術と魔術を全力で駆使し続けました。
しかし……やはり、と言うべきなのでしょうか。
二人だけの努力では、全ての患者さんへ対応出来なくなってしまったのです。
時間の経過と共に、患者さんの数はどんどんと増え続けていきました。
これは後に知った事なのですが、市街の病院で受け入れを拒否されたり、順番待ちのリストから漏れたりした皆さんが、次第に郊外へと溢れて来ていたそうで……。
診察室や待合室はもちろん、診療所の外にも傷つき、苦しむ皆さんが列を成す状況に、私達夫婦は一瞬ですが、呆然と立ち尽くしてしまったのです。
当然の事ではありますが、診療所内の医薬品や医療品の数には限りがあります。
同じ様に、私の魔力も無限ではありません。
(これは、『決断』しなければいけない)
主人も私も、思う事は同じでした。
そして私達は視線を合わせて、深く頷き合ったのです。
「皆さん! お願いです、聞いてください!」
両足骨折の重症を負っていた患者さんへの処置を終えた直後、主人が順番を待つ皆さんへ大きな声で言いました。
「ご覧の通り、現在は大変な状況です! しばらくの後に、国内外の救援部隊や医療部隊が到着すると思いますが、それまではこの地に暮らす私達自身が頑張らなければいけません!」
そこで主人は一旦言葉を切り、ゴクリとつばを飲み込み、再び口を開きました。
「そこで、お願いです! 今は、重症を負った患者さんを優先させてください! 自力で動ける方、喋れる方は、申し訳ありませんが順番を譲ってください! お怒り、憤りのお気持ちはもっともです! ですが! ですがどうか、お願いいたします!」
主人の声は、だんだんと涙声に変わっていきました。
妻としての贔屓やノロケなどではなく……私の主人は、本当に心の優しい人物なのです。
幼い頃にお父様を亡くし、看護師として働くお母様と二人で生きて来た主人は、人の心と体の痛みを理解出来る、あたたかな男性へと成長したのです。
主人が医師への道を志したのも、「病や怪我に苦しみ、悲しんでいる人を、一人でも多く、一秒でも早く助けてあげたいんだ」という、その一心からだったのです。
そんな主人が、怪我を負った皆さんに優先順位をつける決断を下したということ。
「重症も軽症も、それが患者さんを悩ませるものである以上、全ての怪我や病気に対して等しく、真摯に対応しなきゃね」と言っていた主人が、理解と我慢を求める決断を下したということ。
あの時、主人の横でただ深く頭を下げる事しか出来なかった私は、妻失格だったのかも知れません……。
「ん〜……この状況じゃ、しょうがないかねぇ。先生と奥さんは、よくやってくれてるよ。アンタ! もうちょっと我慢出来るね!?」
「ぐぉっ……! お、お前、それは痛いって……腫れ上がってる所を叩くんじゃないよ!」
そんな風に声を上げてくださったのは、地域の世話役を務められているご夫婦でした。
そしてその声に続くように、他の患者さん達も次々と応えてくださったのです。
「街の方から来た人は知らんだろうが、ここのご夫婦は優しいお医者様だからよ。ワシらも、ちっとは協力しようじゃねぇかよ。な?」
「そうだな。命に別状無さそうな怪我人は、救援隊が来るまで辛抱してもらうしかないわな」
「うちの子供が熱を出した時に、先生は夜中でも応対してくれたからねぇ。文句なんか言わないし、言えないよ。私らにも、何か出来る事とかないかい?」
「よ〜し、そうと決まれば動け動けだ! 列を組み直すぞ! 洒落にならない怪我人を連れている人は、落ち着いて前へ! 余裕のある奴は後ろへ下がれ!」
そうして行動を開始してくださった皆さんの姿を……私達夫婦は、溢れる涙に遮られ、きちんと見る事が出来ませんでした。
主人の思いは、今日までの日々は、皆さんの心にしっかりと届いていた。根を下ろしていた。
痛みや苦しみを抱えた上で、それを我慢する、引き受けるという『決断』を、皆さんにも下していただけた。
私は、ユニコーンです。
強力な治癒の魔術を使う事が出来ます。
けれどあの時、人間の皆さんから教えていただいた支え合い、譲り合い、守り合う心の強さには、どんな魔術も決して敵わないと感じました。
その後、私達夫婦は皆さんの協力を得ながら、重症の患者さんの治療に取り組みました。
あの『決断』が無ければ、恐らくは救えなかっただろうという命が、幾つもありました。
同じ様に、地域の皆さんが「これを使って!」と持ち寄ってくださった様々な薬や品物が無ければ、状況はさらに深刻なものになっていたでしょう。
あの極限の状況の中で得たものを、学んだ事を、私は生涯忘れません。
そして、その日の夜……医療救援隊が応援に駆けつけるのと同時に精根尽き果て、倒れてしまった私達夫婦にかけられたあの毛布のぬくもりもまた、生涯忘れる事はないでしょう。
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☆とあるリザードマンの証言
こんな話を知っているか?
あの地震が発生してから二週間ほどの間、近隣の国々では窃盗犯や強盗犯の検挙率が、ガクンと大幅に低下したそうだ。
それが何故だかわかるか?
そう……地震の混乱に乗じて、そうした不埒な連中がこれ幸いとばかりにこの国へと、この街へと、侵入を図ったのだ。
民家や、避難所や、行政の施設や、その他にも様々な場所で盗みを働くためにな。
まったく、度し難い。
本当に、ハラワタが煮えくり返るほど、度し難い。
嘆きと苦しみの渦中にいる被災者の方々から、さらに何かを奪おうなどというその捻じ曲がり切った根性……間違いなく、万死に値する!
む……すまない。少し気持ちが昂ぶってしまったな。失礼。
ん? 私がこの街を訪れた理由、か?
それは、修行の旅の途中、この街に優れた剣の使い手がいるという話を聞いたからだ。
何でもその剣士は、二十代半ばにして免許皆伝の腕を持ち、現在では師匠から道場を引き継いでいる、とのこと……。
より強く、より深き剣の道を求めるリザードマンとして、これを無視する事など出来ない。
だから私は、道中様々な剣士を打ち倒しながら、この街へとやって来たのだ。
しかし、私が到着したのは夜だった。
見知らぬ街を夜歩くというのは、何かと不自由だ。それに、いくらか旅の疲れもある。
その道場と剣士を探すのは明日の早朝からと決め、私は宿屋のベッドに潜り込んだ。
そして翌朝……予定通りに事は運ばなかった。
宿の女主人が、井戸の滑車が壊れてしまったと難儀していてな。
修理の心得があった私がそれを直してやると、彼女は申し訳なさそうに、他にもあれやこれやが……と言い出して。
修理と引き換えに豪華な朝食をご馳走になった私は、不覚にもそれを断る事が出来なくなって、結局全部の願いに付き合う事になったのだ。
そして、ふぅやれやれと息をついたその時……あの地震がやって来た。
街の被害についてはそちらの方がよく知っているだろうから省略するが、とにかくとてつもない状況になっていたよ。
私は女主人と共に近所の人々を助け、怪我人に応急処置を施し、泣いている子供をあやした。子供の扱いなど全く知らないのだが、とにかくまぁ、頑張った。その辺りの苦労は察してくれ。
女主人の厚意で引き続き部屋に泊めてもらいつつ、そうして数日を過ごした頃……親類の家や避難所に退避していた近所の人達が、おかしな事を言い始めた。
「家の様子を見に戻って来たら、家財道具が全部壊されてたんだ!」
「部屋の中身が引っ掻き回されてる上に、大切な指輪が無くなってる!」
「あの時は取る物も取り合えずだったから仕方ないけど……家宝の絵画が消えちゃったぞ!」
地震によって、どの方々の家もメチャクチャな状態になっていた。
命からがら何とか逃げ出して、不安な思いと共に様子を見に戻って来てみれば、その大切な場所が更なる被害を受けている……。
確かに数多くの余震があったが、それだけでこんな事になるはずがない。
考えられる事は、一つ……火事場泥棒が出た。
それも、一人や二人ではなく、大量に。
私は、ふつふつと沸き上がって来る怒りの念を抑えられずにいた。
被災したこの人達には、何の罪も無い。皆等しく、突然の災いに襲われた被害者なのだ。
それなのに、そんな心と体の痛みを労わるどころか、さらなる嘲笑と打撃を与えるような所業が許されるというのだろうか。
いいや、絶対に許されるはずが無い! 許してはならない!!
「今晩から、私が見回りをしよう。これ以上、薄汚い泥棒に好きな事はさせない。本当ならば、発見次第斬り伏せてしまいたいところだが……きちんと捕獲して、人間の法の裁きを受けさせよう」
落胆する皆の方へ一歩進み出て、私はそう言った。
私には、皆の心を癒すような芸は無い。歌も、舞いも、知らない。
だが、私にはこの剣がある。これが皆のためになるのなら、喜んで振るおうと……そう思った。
「修行の旅の途中なのに、面倒をかけてしまうわね。ごめんなさいね」
「リザードマンが力になってくれるなら、頼もしい。どうかよろしくお願いします」
「だけど、無理はしないでね。あなたが怪我をしたら、私達はとっても悲しいわ」
私の言葉と気持ちを、皆は受け入れてくれた。
そして宣言通りに、私はその日の夜から行動を開始した。
……ところで、私が捕まえた泥棒の数は、自警団を経由してそちらに届いているか?
なるほど、きちんと報告書が入っていたのか。ならば、そういう事だ。
私はその後の四日間で、十九人の泥棒を捕まえた。ちなみに、その中の三人は女だったよ。
丸腰の者もいれば、剣やナイフで武装している者もいた。
私の警告を受け入れ、抵抗しなかった者もいれば、目を血走らせ、何事かを叫びながら飛び掛って来る者もいた。
一口に泥棒といっても、無駄に個性というものがあるらしい。もっとも、それらを尊重してやるつもりなど微塵も無かったがね。
そして五日目以降は、自警団や街の剣術道場の面々も加わり、二人一組のペアを複数作っての見回りが始まった。
その中には、私が手合わせしたいと願っていた、あの使い手も入っていたよ。
本当ならば、すぐにでも勝負を挑みたかったのだが……何せ、状況が状況だったからな。
魔法鉱石入りのランプを持って街を巡回しつつ、私達は剣に関する様々な事を語り合った。
やがて話の中身は、お互いの生い立ちや現在の生活、物事の好みや価値観へと変化していってな。
いつの間にか、彼と見回りをする事が、私の密かな楽しみになっていて……まったく、我ながらやれやれという話さ。
泥棒に対する最初の怒りはどこへ行ったのかと、当時の自分自身を小一時間問い詰めてやりたい思いだ。
む、無論、見回りとしての仕事も決して手を抜いたりはしなかったぞ?
報告書を見てもらえばわかると思うが、私達はその後も九人の泥棒を捕まえたのだからな?
あ、あと、彼との会話のみにうつつを抜かしていた訳ではなく、自警団員のケンタロウスとも友情を育んで、現在も共に稽古に励む仲になったのだからな? か、勘違いするなよ?
くっ……この程度の事で赤面してしまうとは、今の私もまだまだだ……。
とにかく、私はこの街の人々のために剣を振るいたいと思ったし、優れた使い手と出会う事が出来たし、かけがえのない友情を育む幸運に恵まれたという事だ!
たっ、確かに私と彼は現在、その……め、夫婦という間柄になっているが、それは今回の話とはまた別の事柄なのだから、省略しても、か、構わんだろう。う、うむ。
い、色々あったのだ。お願いだから察してくれ。
ふぅ……え? あぁ、それはもちろんだ。
次に何かがあった時も、私はこの街の人々のために剣を振るうと誓う。
愛する夫と共に。信頼する友と共に。
この街と人々を愛し、不埒を憎む。それが、今の私の剣のかたちなのだから。
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〈 ※レポート制作局補足説明 〉
今回、証言をいただいたご婦人以外にも、各地において複数のユニコーンが医療・救護活動に参加してくれた。
その強力な治癒魔術は抜群の効果を発揮し、多くの人々を死の淵から救い出したという。
かねてより【医術と治癒魔術の効果的な融合運用】を研究していた我が国や近隣の国々にとって、今回の出来事は非常に大きな意味を持つものとなった。
そうした事態を受け……近く、一つの催しが企画、実行される事となった。
題して、“ 未婚のユニコーンさんと若きお医者さんに捧ぐ、合同お見合い会 ”。
各国の医術協会が、『技能』・『人柄』・『童貞』・『結婚願望』を保証する若き医師を選び出し、その面々と良き伴侶を求めるユニコーンの皆さんとを引き合わせてみよう……という試みである。
既に双方から複数の参加希望が届いており、高い成功率が期待されている。
一方、その熱い心で街の治安維持に努めてくれたリザードマンに対しては、全国自警団協会より感謝状と記念の盾が贈呈された。
また、証言に応じてくれた彼女以外にも、我が国の危機を知り、駆けつけてくれた多くの剣士や魔術師達がいた。
彼ら彼女らの無償の働きは一冊の本にまとめられ、全国の剣術道場へ配布される予定である。
この国の未来を担う子供達がその本を通じ、『本当の強さ』の何たるかを学ぶ事が出来れば、不埒な企みを許さない健全な社会が構築されていく事だろう。
……また、未確認ではあるものの、街へ侵入した泥棒・盗賊団に対し、ゴーストやゾンビ、スケルトン達が攻撃を仕掛け、その多くを連れ去って行ったという噂が存在している。
夜の闇に紛れて行動した犯人達を、夜の住人である彼女達が処理する……。
何とも心強いような、恐ろしいような、不思議な話である。
10/07/27 10:37更新 / 蓮華
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