読切小説
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ないたけもの
 十二月二十五日。クリスマス。
 その男は一人、自宅のリビングで悩んでいた。
 
「うーむ……」

 男は窓ガラスを背にしてテーブルの前で胡坐をかき、腕を組んでいた。そしてその態勢で十分以上唸り続ける彼の目の前には、一個の携帯電話が置かれていた。所謂スマートフォンと呼ばれるそれの液晶画面は真っ暗で、うんともすんとも言わなかった。
 それを手に取るべきか、取らざるべきか。男はこの十数分、そればかり考えていた。
 
「ちゃんと言うべか……だがしかし……」

 煮え切らない態度のまま、男がこれまで何十回と繰り返し吐いて来た言葉を再び放つ。当然ながら、彼がここまで悩むのには理由があった。
 彼には一人の恋人がいた。そして今日、彼はその恋人にクリスマスプレゼントを渡すつもりでいた。
 そして今になって、その踏ん切りがつかずにいたのだ。
 
「ちゃんと渡さないとなあ……でもあんなの、どんな顔して渡せばいいんだよ……」

 自分の恋人にクリスマスプレゼントを渡す。これがここまで勇気のいることだとは思わなかった。気に入ってくれるだろうか。喜んでくれるだろうか。そもそも今の自分に、あれを渡す資格があるのか? 
 男はこれから初めて行う「恋人へのプレゼント」という行為に、恐怖すら覚えていた。つい四ヶ月前に恋を知ったばかりの男にとって、それはまさに命懸けの大勝負であった。
 
「……でも」

 しかし男は甲斐性なしではなかった。自分がこれから何をすべきか、しっかり弁えることが出来る人間だった。
 目の前の困難から逃げるような臆病者でもなかった。
 
「渡さないと、駄目だよな」

 腕組を解き、ズボンの右ポケットに右手をっつ込み、中にしまい込んでいたそれを指で触れる。それの堅い感触を指先で感じ、それを彼女に渡す姿を頭の中で想像する。
 ネガティブな姿はいらない。喜ぶ様だけを妄想する。そうしてなけなしの勇気を集め、覚悟を決める。
 
「――よし」

 覚悟完了。顔を引き締め、男が立ち上がる。ポケットから手を抜き、代わりにスマートフォンを手に取る。
 慣れた手つきでパスワードを入力し、ロックを外す。画面に並ぶアプリの群れから電話マークのそれをタッチし、表示された数字を順番に押す。愛する彼女に繋がる電話番号だ。
 
「頼むから出てくれよ」
 
 直後、画面が暗転し、通信中の文字が表示される。心臓が早鐘のように鳴り出し、息が自然と荒くなる。
 まだか。まだか。脂汗が額から流れ落ちる。決戦を間近に控え、全身がカタカタ震え始める。
 早く出てくれ。緊張と不安に縛られた男が心の中で叫ぶ。早く腹を括らせてくれ。
 生殺しはきついんだ。本当に早く出て来てくれ。
 
「ヒャッハー!」

 直後、背後の窓ガラスが音もなく開かれ、リビングに幼い女の絶叫がこだました。
 
 
 
 
「ウィーウィッシュアメリクリスマス!」

 闖入者が男の頭にずだ袋を被せる。
 
「ウィーウィッシュアメリクリスマス!」

 闖入者が素早い手つきで男の両手を背中に回し、縛り上げる。
 
「ウィーウィッシュアメリクリスマス!」

 闖入者が男の腰に手をかけ、易々と担ぎ上げる。
 
「ハバハッピーニューイェー!」

 闖入者が男を抱えたままベランダに飛び出し、そのまま奇声を発しながら夜の街を駆け抜けていく。
 
「……」

 後には静寂だけが残された。
 
 
 
 
 数分後、男の頭に被せられていたずだ袋が勢いよく外された。そして袋を外された男はその場で首を振り、そこに満ちているであろう光を警戒するようにゆっくり目を開けていく。
 開けた視界に映ったのは、知らない空間だった。温かみを感じさせるクリーム色の灯りが室内を満たし、その中に小さなソファとテーブルが置かれていた。ここにあった家具はそれら二つと、今自分が腰を降ろしているベッドだけであり、良く言って簡素な造りをしていた。
 
「よう。着いたぜ」

 その室内にあるソファの方から、不意に声が聞こえてくる。それに気づいた男が再びソファに目を向けると、そこには彼の「恋人」がケタケタ笑いながら深く腰を降ろしていた。
 真っ赤な帽子。赤く濡れた衣。赤染の大鉈。
 
「なにアホ面晒してんだよ? お前のカノジョ様が来てるんだぜ? ちっとは喜びやがれ」

 レッドキャップ――小柄ながら狂暴な魔物娘が、確かにそこにいた。そしてソファに座って脅迫的な物言いをする「それ」を視認した男は、まず呆れたようにため息を吐いた。
 
「……今日はなんでこんなことしたんだよ」
「ああ? なんだよその反応はよ? もっと驚きやがれよ。つまんねーな」

 淡白な反応を見せる彼氏に対し、レッドキャップが不貞腐れた態度を取る。しかし今回のようにレッドキャップが拉致まがいの方法で彼を何処かに連れていくのは「良くあること」だったので、男からすれば今更驚くことでも無かったのだった。
 故の淡々とした態度であったが、それがレッドキャップには面白くなかった。
 
「もっとびっくりしろよ! 家から連れ去られたんだぞ! 暴れん坊のレッドキャップにラブホまで連れてこられたんだぞ! 逆レイプされるかもしれねえんだぞ!」

 そしてレッドキャップが今二人のいる場所と自身の目的を自ら暴露する。男はそれを聞いて今回の「恋人」の行動目的を理解したが、すぐにそれを指摘したりはしなかった。
 計画通りに行かず暴れまわる恋人の姿がとても愛おしかったからだ。
 
「なんだよー! もー! もっと怖がれよー! サプライズになんねーだろー!」

 レッドキャップがソファから飛び降り、磨かれた床の上でごろごろ転がりながら駄々をこねる。可愛い。
 しかしいつまでも観賞しているわけにもいかない。男はなおもそうやって転がるレッドキャップに向けて、ベッドに座ったまま声をかけた。
 
「それで? 今日はなんでこんなことしたんだ?」

 男の声が室内に響く。直後、レッドキャップが動きを止めて起き上がる。両足で立ち、体の埃を払いながら、バツの悪い顔でレッドキャップが答える。
 
「……今日、クリスマスだろ」
「うん」
「クリスマスって言ったら、プレゼントだろ」
「うん」
「……」

 言葉が途切れる。男は催促せず、レッドキャップのペースに任せる。
 数秒空いて、レッドキャップが口を開く。
 
「だから、その、私がお前のプレゼントになってやろうかなって、思ってよ……」

 体の前で両手を合わせ、もじもじと身をくねらせながらレッドキャップが告げる。可愛い。
 そしてそれを聞いた男は、彼女の目的を理解した。そのいじらしい所がまた可愛いとも思った。
 
「それでラブホテルに来たってわけか」
「ああそうだよ。いつもはどっちかの家でやってたけど、せっかくのクリスマスなんだからな。いつもとちょっと違う所でやってみようって思ったんだよ。ほら、あれだよ。趣向を凝らして、ってやつだよ」
「そういうことか」
「……幻滅したかよ?」
「そんなわけないだろ。お前から誘われたってだけで、俺はすげー嬉しいよ」

 不安げに表情を曇らせるレッドキャップに対し、男が穏やかな笑みを浮かべながら返す。直後、レッドキャップの顔が一転して明るくなる。
 
「本当か!? 本当に嬉しいのか!?」
「本当だよ。そもそもお前にされて、嫌だって思うことがある訳ないだろ」

 男が自然に惚気る。それがレッドキャップの心に火をつけた。
 
「よっしゃ! じゃあヤるぞ! そっちがその気ならもうヤるしかないよな!」

 そう言うなり、レッドキャップが室内を跳躍し、一足飛びで男の上にのしかかる。それは放たれた矢の如き速さであり、男がそれを回避することは不可能だった。
 
「へへっ、いっぺんこんな所でしてみたかったんだ!」

 そうして男の上で馬乗りになりながら、レッドキャップが満面の笑みを浮かべて言い放つ。言葉通り、心の底から今の状況を楽しんでいるようだった。
 
「今日はクリスマスだからな。いつもより大量に搾り取ってやる。覚悟しろよ?」
「はは……お手柔らかにな」
 
 一方、のしかかられた男もまた、そんな彼女の笑顔を見て心が温かくなっていくのを感じた。どんな形であれ、自分の恋人が笑っている姿を見るのは、彼氏としては嬉しいものなのだ。
 
「――あっ、でもちょっと待って」

 しかし、いつまでもそれを観賞しているわけにはいかない。レッドキャップのペースに任せっぱなしでは、こちらの目的が達成できない。
 そのことを思い出した男は、咄嗟にそう言った。これからノンストップで本番を始めようとしていたレッドキャップは、そんな不意の男からの制止を受けて、見るからに不機嫌になった。
 
「なんだよ。今更怖気づいたのかよ?」
「違うよ。俺だってお前とはしたいけど、その前にやっておきたいことがあってさ」
「やっておきたいこと?」

 レッドキャップが首を傾げる。
 
「なんだよ? 何したいんだよ?」
 
 そして怪訝な顔つきで、じっとこちらを見下ろしてくる。
 そんな彼女の視線を浴びながら、男がおもむろにポケットに手を突っ込む。
 
「これだよ」

 ポケットから手を抜き、男が取り出したそれをレッドキャップに見せる。
 手の中にあったそれは、群青色の小さな箱だった。手のひらにすっぽり収まるほどの、小さな箱。
 
「俺からのクリスマスプレゼントだ。もらってくれないか」

 のしかかられた格好のまま、男が笑顔で告げる。その笑みはどこか緊張で引きつっていた。
 一方でそう言われたレッドキャップは、なおも疑わしげな視線を男に向けながら彼に問うた。
 
「これが? プレゼントなのか?」
「ああ」
「中身はなんだよ」
「それはその、開けてからのお楽しみだよ」

 どこか焦るような調子ではぐらかす男に対し、レッドキャップが顔をしかめる。しかしレッドキャップは素直に箱を受け取り、両手でもって慎重にその箱を開ける。
 鍵はかかっていなかった。それはすぐに開け放たれ、そして中身を見たレッドキャップは言葉を失った。
 
「これって……」

 箱の中にあったのは、一個の指輪だった。銀色に輝く、飾り気のない凡庸なリング。
 しかしそれを一目見たレッドキャップは、これが何を意味するのかを即座に察した。そして察すると同時に顔を上げ、こんなものを渡してきた男の方へ驚愕の視線を向けた。
 
「お前、まさか」
「……」

 レッドキャップからの追及に対し、男は何も答えなかった。ただ顔を真っ赤にし、視線を逸らすだけだった。
 それが何よりの答えだった。再び男の意図を察したレッドキャップは、次の瞬間、眼前の恋人と同じようにその顔を帽子よりも真っ赤に染め上げた。
 
「……その、ベタかもしれないけどさ」

 そんなレッドキャップの前で、男が控え目な口調で言葉を紡ぐ。レッドキャップは何も言わず、ただじっと男を見つめる。
 
「本当は、もっと前からこうしたいって、思ってたんだ。でもやっぱりこういうのってさ、こういう特別な日にやった方がいいと思ってさ」

 勇気を総動員し、矢継ぎ早にぶつ切りの台詞を吐く。そんな男の一言一句を聞くごとに、レッドキャップは自分の心臓の拍動が速まり、体温が急上昇していくのを自覚する。
 目の前のこいつも同じなのだろうか? ふとレッドキャップがそんなことを考える。
 直後、その心の呟きに反応するかのように、男がレッドキャップの方へ視線を向ける。
 
「だから」

 不意打ちを食らったレッドキャップが、馬乗りの姿勢のまま一歩後ずさる。それが男の言葉に勢いをつけさせる。
 
「だから今日、言いたいんだ。俺と、俺と――」

 結婚してください。
 まっすぐレッドキャップを見上げながら、男が迷いのない言葉で宣言する。
 レッドキャップの息が一瞬止まる。無意識の内に下がった視線が指輪を捉え、そしてすぐさま男に視線を戻す。
 
「……」

 レッドキャップは即答しなかった。男も催促しなかった。
 沈黙が室内を支配した。空気が張り詰め、喉がカサカサに乾いていく。
 緊張で鋭敏になった聴覚に届くのは、相手の息遣いと自分の心音だけ。それ以外の物音は聞こえない。気まずい事この上ない。
 それでも男はただ待った。
 
「――ッ」

 そこにやがて別の音が混じる。女のすすり泣くか細い声が、その部屋の中に漂い始める。
 男はそれの音源を知っていた。そしてそれを止めようともしなかった。

「うッ……ひくっ……ぐすっ……」

 男の目の前で、彼に馬乗りになっていたレッドキャップが、顔を手で覆いながら泣いていた。渡された箱はしっかり握ったまま、顔を隠して声だけを外に漏らしていた。
 
「あっ……うああ、あああっ……!」
 
 声が大きくなる。
 手首を伝って涙が漏れ出す。
 滂沱の涙だった。
 
「ちくしょう、ちくしょう……! とまれよぉっ、とまれ……っ!」

 強がる声が途中で上ずり、また泣き声に変わる。レッドキャップは感情の制御を完全に手放していた。子供のように、ただ泣きじゃくっていた。
 そんなレッドキャップを見た男が、おもむろに上体を起こす。そして男は何も言わず、指輪入りの箱を持ったまま泣くレッドキャップを静かに抱きしめた。
 
「……ばーか」

 直後、鳴き声が止み、レッドキャップの悪態が聞こえてくる。
 男は無言で腕に力を込め、より強く恋人を抱き締める。
 
「ばーか! ばーか!」
 
 男の胸元に顔を埋め、レッドキャップが連呼する。負け惜しみのように、赤い帽子を被った魔物が続けて言い放つ。
 
「こんなことされたって、ぜ、全然、嬉しくなんかないんだからなっ!」

 言われた男がレッドキャップの後頭部に手を添え、あやすように優しく叩く。レッドキャップはそれを受け、愛する男の胸でまた泣き始める。
 
「一生泣かしてやる! 結婚しても子供が出来ても許してやんねえ! 私が一生、お前をヒイヒイ言わしてやるんだからな!」

 泣きながらレッドキャップが宣告する。男はそれすらも愛おしく思いつつ、ただ目の前の伴侶を抱き締め続けた。
 
 
 
 
 赤い魔物が白無垢に身を包んだのは、それから一週間後のことであった。
17/10/20 02:45更新 / 黒尻尾

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