連載小説
[TOP][目次]
第六話
 実の母であるミラにクランの護衛を任せたのは、現女王陛下その人であった。彼女は夫の不義によって運命を狂わされた二人を憂い、またいらぬ誹りや実害から遠ざけるために、この親子を王宮内に隔離したのである。ミラに「母親」でなく「王の守護騎士」としてクランに接することを求めたのも、女王陛下の精一杯の心配りであった。
 なおクランの存在を知る者の中では、「彼を産み落とした不逞の輩」は既に死んだことになっていた。ミラがクランの実母であることを知っていたのは、本人達以外には国王と女王陛下だけであった。ミラに仮面を着けさせ、素顔を隠すよう命じたのもこの女王である。
 
「……そう言うわけですので、今日より私はあなたの盾。あなたの剣となります。色々不便とは存じますが、どうかご容赦を」

 これらすべてをクランが知ったのは、彼が六つになった時だった。六歳の誕生日を迎えたその日、ミラは全てをクランに打ち明けた。
 出生の理由。こうなった経緯。自分達の今の立場。それら全てを隔離された部屋で、クランの目の前で仮面を着けながら、滔々と話して聞かせたのである。
 ミラはクランを孕む前から、王族直属の親衛隊に属していた。守護者としては適任であった。母を捨てる覚悟もあった。
 後はクランの覚悟だけだった。
 
「……わかった。それが母さんを守るために必要なら、僕もそれに従うよ」

 クランは二つ返事で了承した。彼はミラが実の母であることは当に知っていたし、彼女が本心から自分を愛してくれていたことも知っていた。そして彼は、以前から自分を育ててくれた実の母に恩返しがしたいと思っていた。
 だからクランはそれを受け入れた。愛する母のために、彼は母を騎士として迎え入れた。ミラの心配は杞憂に終わった。
 そしてそんな息子を、ミラは誇りに思った。同時にクランに重荷を背負わせてしまったことを深く後悔した。溢れる感情のあまり彼を抱き締めたミラのその体は、喜びと悲しみで激しく震えていた。
 
「泣かないで、母さん」
「クラン……ッ」
 
 これが、「親子」としての最後の触れ合いだった。抱擁を終えた後、二人は「親子」から「主従」に代わった。
 
「……これからも僕を守ってね、ミラ」
「……はい。我が身命を賭して、あなたにお仕えいたします……」

 クランが立ち上がり、ミラが跪く。王子の差し出した手を取り、仮面の騎士が恭しく口づけをする。騎士の誓い。不可侵の領域。
 こうして母は死んだ。
 
 
 
 
 立場が変われば役割も変わる。その日を境に、ミラは家事をしなくなった。クランの世話は全て女王の寄越す使用人達が取り仕切り、ミラは部屋の隅でそれを見守る役に終始した。クランが食事をする時や、勉学に励む時も、ただそれを見守るだけ。かつてのようにあれこれ甲斐甲斐しく面倒を見ることは、もはや許されなかった。
 
「ねえミラ、ちょっとここ教えてほしいんだけど」
「そのようなことはお付きの先生に教わった方が早いのでは……?」
「いいの。僕はミラに教えてほしいんだ。さ、そこにいないで、横に座って」
「王子……」

 その代わり、今度はクランがミラに懐いてきた。王と騎士の立ち位置は守ったまま、寧ろ王の特権を利用して、ミラに自分の世話をすることを求めたのだ。一日中べったりすることは無かったが、それでも彼は何かにつけては、ミラを自分の傍に置いていた。
 そしてクランはそのやり取りと、使用人達の目の前で堂々とやってのけた。王が騎士に懐いて何が悪いのか。彼は本気でそう思っていた。
 
「あの、見られてるのですが……」
「いいじゃん別に。僕はミラについていてもらいたいんだ」
「まったく、王子はいつまでも甘えん坊なんですから……」

 ミラもまた、そんなクランの「おねだり」に悪感情は抱いていなかった。それどころか、自分を求めてくれる王子に喜びすら感じていた。もちろん公私を混同することも、主従の立場を乱すこともしなかった。あくまで王と騎士として、二人はほどほどのスキンシップを繰り返した。人の絆は簡単には断ち切れないものだ。
 こうしてクランは、騎士ミラと親交を深めていった。主従関係を貫き、親子関係を徹底して封殺した結果、仮面の騎士から母の面影は薄れていった。騎士は常に敬語で接し、王も常に尊大な態度で臨んだのも、それを助長した。
 仮面で顔を隠したのも原因かもしれない。仮面を着けた母などいない。目の前にいるのは、頼りになる大切な騎士だ。
 
「ミラって、綺麗だよね」
「いきなりどうされたのですか、クラン様?」
「ううん、別に。ただちょっと、綺麗だなって思っただけ。嫌だった?」
「いえ。私ごときには勿体ないお言葉でございます」
 
 やがてクランは目の前の女性を、「母」ではなく「大切な自分の配下」と認知するようになった。それはやがて「素敵な年上の女性」へと変わり、最後には「愛する女性」となった。
 クランが自分の恋心に気づいたのは、彼が十歳の誕生日を迎えた時だった。
 
 
 
 
 
「ご冗談を」

 本心に気づいた直後、クランは間髪入れずにその気持ちをミラにぶつけた。当然ミラは困惑した。しかし彼女を見据えるクランの顔は、真剣そのものだった。
 
「僕は本気だよ」

 戸惑うミラに、クランが畳みかける。
 
「僕は一人の女性として、あなたを恋い慕っています」

 真剣な眼差しで、騎士に言葉を告げる。
 
「僕の……妻になってください」
「――ッ」

 それが許されないことであることは、ミラは痛いほど理解していた。
 自分とクランはあくまで主従。それ以前に親子である。
 しかし同時に、ミラはその告白を、嬉しいと感じてもいた。そう思ってしまう自分が確かにいた。
 クランが仮面の騎士に向けて母の面影を感じなくなっていったのと同じように、彼女もまた騎士として接する内に、目の前の少年を「息子」でなく「王子」として認識するようになっていったのである。
 敬愛する王子から求められ、ミラの心は舞い上がっていた。
 
「……本当に、私でよろしいのですか?」

 震える声でミラが尋ねる。それは自分のような一介の騎士が、王の下に嫁いで良いのかという躊躇いから来ていた。
 クランはそんなミラの手を優しく包み込んだ。そしてなおも真面目な顔で、ミラに想いの丈をぶつけた。
 
「僕は、あなたがいいんだ。ずっと僕を守ってくれたあなたが。あなたがほしいんだ」
「……!」

 初めて恋を知った乙女にとって、その言葉はまさに致命の一撃だった。
 ミラの息が止まる。動悸が速まり、全身が熱く火照っていく。

「王子」

 目の前の少年が眩しく見える。王子の姿が直視できない。
 
「お願い」
「クラン様……」

 憑かれたように二人が歩み寄る。影が重なり、体が重なり合う。
 これ以上、言葉は不要だった。互いの熱が、二人の感情を如実に示していた。
 
 
 
 
 こうして、一つの愛が成就した。
 無論、彼らはそれを隠そうとした。二人は仮にも王と騎士。身分違いの恋など、到底容認できるものではない。
 だからクランとミラは人気のない所で、こっそりと愛を育んだ。これならバレることもないだろう。二人はそう思っていた。
 しかし、情報と言うのは得てして漏れるものである。
 
 
 
 
 クランの告白から一週間後、彼らの過ごしていた部屋に火の手が上がった。
 犯人は不明。動機も不明。出火元も不明。捜査自体はされたが、結果は何も出なかった。表向きには火の不始末から来たボヤということで片づけられ、それ以上の進展は見られなかった。
 そもそも燃やされたエリアは女王の管轄下にあり、その女王が踏み入った調査を許可しなかった。故に原因追及は全くなされず、調べようが無かったのである。




 事件当日、ミラとクランは同じベッドで眠っていた。服は着ていたが、仮面は外したままだった。使用人は全員元の持ち場に戻っており、部屋には彼ら二人しかいなかった。
 そこに火の手が上がってきた。火の勢いは苛烈で、あっという間に部屋中に燃え広がった。
 最初にそれに気づいたのはミラだった。彼女は異変に気づくや否や飛び上がり、隣で寝ていたクランを叩き起こした。
 無理矢理起こされたクランも、すぐに何が起きているのかを察知した。そしてミラと共にベッドから降り、二人で部屋を出ようとした。
 そして唯一の出口であるドアまで辿り着いたところで、不幸が起きた。ドアの横で燃えていた炎が唐突に噴き上がったのだ。赤い炎は一直線にクラン達に向かって伸び、その炎の先端が前にいたミラの顔を激しく舐めた。
 これによって、騎士の顔の上半分が焼け爛れた。逃げおおせはしたが、彼女の顔には一生消えない傷が残った。
 
「ミラ!」
「大丈夫です、このくらい……!」

 クランの肩を借り、よろめきつつ部屋を出ながら、ミラがクランの叫びに応える。見るからに大丈夫ではなかった。
 大丈夫で済まなかったのはクランも同様だった。彼の心には、ミラを傷つけてしまったという負い目が出来た。そしてその負い目はすぐに、自分がミラと通じ合ったことと繋がった。
 
「僕のせいだ。僕がミラと恋人同士になったから、こんなことになったんだ」

 誰かがミラとクランの密通に気づいた。そしてそれに憤慨したか、それを聞いて憤慨する誰かに情報を流した。そして不逞の行いを重ねる自分達に怒りをぶつけるために、部屋に火をつけた。それがクランの出した結論であった。
 当然、証拠などどこにもなかった。それがただの事故である可能性も否定できなかった。しかし幼く多感な王子は、この不審火は全て自分に原因があると思い込んだ。自分が身分違いの恋に走って、ミラをそれに巻き込んだから、バチが当たったのだ。彼はそう考えた。
 
「ミラ、顔の傷は……?」
「まだ疼きますが……これくらいで死んでしまう程、私はヤワではありませんよ」
「ミラ……」
 
 ミラの顔に火傷をさせてしまったのも、彼にその結論に至らせる原因の一つとなった。顔を火に焼かれた時に放ったミラの悲鳴は、クランの心に今も焼き付いている。彼女を苦しませてしまったのは自分のせいなのだ。
 自分の我が儘で、ミラが傷ついた。全部自分のせいだ。
 そこまで思いつめた彼は、この関係を終わらせることを決めた。
 
 
 
 
「もうこれ以上、君を苦しませることは出来ない。だから僕と君は、これからは昔のように、騎士と王の関係に戻るべきだと思っている」

 そうして新たな隔離先に移った数日後、傷の痛みが癒えてきたミラに対し、クランはそう切り出した。満月の浮かぶ夜、ミラは何も言わず、暗い部屋の中で王子の言葉に耳を傾けた。
 クランが続ける。
 
「恋人の関係は、今日で終わりにしよう……受け入れて、くれるだろうか」
 
 自分勝手な判断だとは重々承知している。しかしそれでも、これ以上クランにいらぬ害を被らせたくはない。幼い王子はその一心で、ミラに関係の終了を持ち掛けた。
 
「わかりました」
 
 傷を隠すために仮面を着けた守護騎士は、その王子の提案を二つ返事で受け入れた。クランはショックを顔に出すことはしなかった。
 
「それが王子の御意思ならば。私は喜んで従いましょう」

 仮面の騎士が小さく頭を下げる。ミラが即決したのには理由があった。彼女もまた、自分達の愛が件の悲劇を生んだのだと確信していたのだ。当然証拠は無いが、状況から鑑みて、そうとしか言いようがなかった。
 そしてミラはクランと同じように、今回の責任は全て自分にあると考えていた。求愛されたあの時、自分がしっかり拒絶せず、王の言葉に甘えてしまったから。クランからの告白に喜んでしまったから。不逞の恋に走ったから。
 だから罰が当たったのだ。この顔の傷も、罰の一つなのだ。
 
「私は王子の盾。そして剣であります。これからは、より厳とした態度で、そうあるよう努めましょう」
 
 何より許せないのが、王子の身を危険に晒してしまったことだ。自分の甘さが、王子の命を死の淵へ追いやった。守護騎士ミラは、それが我慢ならなかった。愛する王子――守るべき相手をみすみす危地に追いやってまで、この恋は貫く価値があるのだろうか?
 もし自分達の関係が原因で、今後も「不運」が続くと言うのなら、いっそこの気持ちを捨ててしまった方がいい。愛する王子が死んでしまうより、よっぽどいい。
 もとより許されぬ愛。捨ててしまうが道理だ。
 
「では、王子」
「うん」

 灯り一つない部屋の中で、騎士が王子の目の前で跪く。王子が片足を持ち上げ、騎士がそれを両手で恭しく支える。
 どちらも自分が悪いと言って憚らない。優しさ故の終末。
 
「……ッ」
 
 騎士の手が震える。王子が唇を噛む。
 それでも構わない。愛する人がこれ以上傷つかないのなら、それで構わない。
 悔しいなどと、思ってはいけない。
 
「……これよりは、私はあなたの忠実なしもべです」
 
 そう宣言して、靴先にキスをする。
 隷属の誓い。冷たく寂しいキス。
 
「なんなりと、ご命令を」
「……わかった」
 
 こうして、一組の男女の恋は終わりを告げた。
 以来、王子クランと騎士ミラは、模範的な主従関係を構築していった。
17/07/30 03:31更新 / 黒尻尾
戻る 次へ

TOP | 感想 | RSS | メール登録

まろやか投稿小説ぐれーと Ver2.33