ダークヒーロー・ライジング
西暦200X年。大陸南西部に位置する大都市「エビルシティ」は、一人の犯罪者の影に脅かされていた。
彼女の名はMs.ダンテ。自ら開発したハイテクマシーン軍団を引き連れ、悪事の限りを尽くす極悪非道のグレムリンである。
「ヒャッハー! 今日もいただきに来たぜえ!」
そしてこの日も、Ms.ダンテによる犯罪が勃発していた。時刻は午前十一時。今日の獲物は町一番の巨大スーパーマーケット。
彼女は白昼堂々トラックをきちんと駐車場に停め、自動ドアのガラスを割らずに開くのを待ってから、手製のロボット軍団を引き連れずかずか店内に乱入してきたのである。
二本足で動くロボットに蜘蛛型ロボット。キャタピラ駆動のロボットや八本腕のロボット。そういった多種多様なロボット達が、一人のグレムリンに引き連れられて店内へ侵入する。その大軍団を前に、それまで呑気に買い物を楽しんでいた客達が驚いたのは言うまでもない。
「動くな! お前ら全員人質だかんな!」
一斉に悲鳴を上げ、逃げ惑う客――人と魔物娘が半々ずつ混ざり合っていた――とスタッフをMs.ダンテが一喝する。さらに追撃するかのように、腰に提げていた銃を引き抜き天井に向かって発砲する。なお空砲であるため、実際に天井に穴が開いたりはしなかった。器物損壊で弁償する羽目になるのは勘弁である。
それはともかく、発砲の効果は覿面であった。それまで慌てふためていた面々が一瞬で黙り込み、動きすらも止めてその場に静止する。Ms.ダンテはそんな彼らに座るよう手振りで指示を出し、人質と化した者達も素直にそれに従っていく。
「いいねえ。中々素直じゃねえか。素直なのはいいことだぜ?」
その様を見たMs.ダンテが嬉しそうに声を放つ。その後彼女は銃をしまい、仁王立ちの体勢を取りながら声高に言い放つ。
「さてお前ら。さっきも言ったが、お前らは人質だ。一人たりともここから出ることは許さない。私の用事が済むまでここから出るんじゃねえぞ。もし一人でも逃げ出そうものなら……」
にやけ面のグレムリンがそこまで言って、おもむろに指を鳴らす。すると後ろに控えていたロボットの一体が移動を始め、Ms.ダンテの横まで来たところで停止する。
そのロボットは、簡単に言うとキャタピラのついた白い円柱だった。真っ白に染められた円柱の側面部分にはモニターやカメラアイが不規則についており、そしてそれらに混じって無骨なロボットアームが左右一対ワンセットで側面から生え伸びていた。
なおそのロボットアームの先端には、「手」の代わりに大量の猫じゃらしが装着されていた。
「くすぐりの刑を受けてもらう。もちろん私の気の済むまでな。泣いて許しを請おうが無駄だ。ヒイヒイ泣きながら、自分のしたことの罰をしっかり受けてもらうぜ?」
Ms.ダンテが不敵な笑みで言ってのける。それに呼応して円柱ロボットがロボットアームを駆動させ、猫じゃらし部分を激しく揺らめかせる。
直後、人質達がやにわにざわめき始める。
「猫じゃらしで笑えるのか?」
「鼻に突っ込むのかな」
「おっぱいくすぐるとかじゃないか」
「やだもー、ダーリンのえっち!」
純粋な疑問と思案がどよめきの核だった。中には冗談や笑い声も混じっていた。緊張とは無縁の情景であった。
町の住民にとってはもうお馴染みの光景だ。
「ねーねードミニク! サインちょうだい!」
「馬鹿! 本名で呼ぶんじゃねえよ! ヴィランネームで呼べ!」
買い物客の子供たちが集まってくる。Ms.ダンテが鬱陶しげに言い返しながらも、彼らの差し出してきた色紙にサインを書いていく。
殺到した子供は五人。色紙も五枚。彼女はその全てに名前を書いた。書くのは当然「悪役の名前」だ。そうしてサインをもらって喜ぶ子供たち追い払った後、指を鳴らして他のロボットたちに指示を出す。
「まあそう言うわけだから、お前らにはじっとしててもらうぜ。なに、ほんの数分だ。すぐに帰れるぜ」
数十ものロボット達が人質を取り囲み、その包囲を狭めていく。彼らは人質を一か所に纏めようとしていた。そして人質達も恐怖のままに――大半は面倒くさそうに――ロボットの無言の要求に従っていった。
彼らが集められたのはレジ前の一角だった。入口からは丸見えとなる位置である。そこにMs.ダンテが悠然とした歩調で近づいていく。人質の二割がそれを目で追い、残りがスマートフォンなり携帯ゲーム機なりをいじって暇を潰す。行き過ぎた迷惑行為は訴訟沙汰になりかねないので、妨害電波の類は使っていない。
やがてMs.ダンテが一人の男の前で立ち止まる。このスーパーの責任者であるその男を見下ろしながら、Ms.ダンテが口を開く。
「ここってカード使える?」
「現金だけだよ」
男が平然と答える。Ms.ダンテはため息を一つつき、その後腰のポケットから財布を抜き出し中身を確認する。そして中身がすっからかんなことに気づく。
小さく舌打ち。グレムリンが改めて男に話しかける。
「ツケで売ってくれ」
「やだよ」
男は犯罪者の脅迫には屈しなかった。責任者の鑑だった。
「それ」が件のスーパーマーケットの前までやってきたのは、Ms.ダンテがそこを占拠して数分後のことだった。この時、店の前には既に数台のパトカーが集まり、警官たちが厳めしい表情で静まり返ったスーパーを睨みつけていた。全員拳銃を携帯していたが、それを抜き出していた者は一人もいなかった。抜くほどの緊急事態では無かったからだ。
「それ」はそんな警官たちに軽く挨拶した後、一人でスーパーへ向かった。警官たちは止めもしなかった。マスクを身に着け、青いバトルスーツに身を包んだその男は、堂々とした足取りでスーパーマーケットへひた進み、やがて自動ドアの前で立ち止まった。
唸るような機械音と共に、ガラス戸が左右に開く。躊躇うことなく男が中へ入りこむ。
「ダンテ! またお前か!」
進入するなり、男が声高に言い放つ。彼の視界には既に人質とダンテの姿が映っていた。そしてダンテはこの時、彼に背を向ける格好を取っていた。
その魔物娘――グレムリンの後姿を見ながら、男はため息を一つつきながら歩みを再開した。どんどん距離を詰めつつ、口を開いて話し始める。
「いつもいつもこんなことをして……他の人の迷惑になるからやめろとあれほど言ってるだろうに!」
「ああクソ、まだ心の準備が……!」
Ms.ダンテもまた男の存在に気づく。名前を呼ばれた彼女は一瞬肩を強張らせ、すぐに体の力を抜く。それから大股で近づいてくる男に気づかれないよう、素早く前髪をいじって襟元を整える。
中々にいじらしい所作であった。
「いい加減告っちまえよ」
「うるせえ」
それを見た男性店員の一人が小声で発破をかける。Ms.ダンテが歯を剥き出しにしながら反論し、すぐに息を整えてから大仰な動きで百八十度ターンする。
「よう、ストロング! いつも気づくのが早いな!」
不敵な笑みを浮かべ、わざとらしく両手を広げて男を迎え入れる。
心臓が飛び跳ねそうになっていたのは秘密である。
「しかしお前も鼻の利く奴だな。町の英雄様は一味違うってことか?」
そんな己の内面をひた隠しにしながら、Ms.ダンテが茶化すように問いかける。ストロングと呼ばれた男は「やれやれ」と言わんばかりに首を縦に振り、両手を腰に当てつつそれに答えた。
「お前達が来るずっと前から町の平和を守ってきたんだ。悪党の気配を読み取ることくらい、朝飯前なのさ」
「さすが。ベテラン様は一味違うね」
煽るようにMs.ダンテが口笛交じりに言い返す。バトルスーツ姿の男は仁王立ちのまま動じない。Ms.ダンテはその堂々たる立ち姿にときめきを覚え、そして気恥ずかしさからそれを封殺しようと内心必死になった。やがて彼女は気持ちを別の方向に逸らし、心を落ち着かせるために、彼の経歴を脳内で反芻――対面する度に何度も行ってきたことである――し始めた。
人間の世界に魔物娘が出現し始めて既に五年が経つ。男――「ストロングマン」と呼ばれているこの男は、魔物娘が世界の境界を越えてこちら側に進出する前から、この町でヒーロー活動を行っていた。そして彼は魔物娘の存在が一般的になった後も、変わらず町の治安を守り続けているのである、
「でもいい加減、引退した方がいいんじゃねえの? そろそろ体にガタが来ててもおかしくないだろうしよ。引き際を見極めるってのも大事だぜ」
そんなまっすぐな姿勢に、グレムリンのドミニク・ジョーは惹かれたのであった。彼女がエビルシティにやって来たのは一年前。そこでドミニクは偶然ヒーロー活動をしていたストロングマンに出会い、運命を感じた。
一目惚れである。
「それにお前みたいなロートルが、魔物娘サマに勝てるねえだろうが。いい加減若い世代にヒーローの座を譲って、自分は新しい人生見つけた方がいいんじゃねえか? 一生ヒーローなんて出来るわけねえんだしさ」
しかしドミニクはストロングマンの住所を知らなかった。町の住民全員が彼の所在を知らなかった。それでもドミニクは彼に会いたかった。
そこで彼女は閃いた。自分から会いに行けないのなら、向こうからこちらに会いに来るようにすればいいのだ。
「た、例えばその、隠居……とかさ。け、結婚? とかしてよ、平穏な余生送るってのも、いいんじゃねえのか?」
だから彼女はヴィランになった。自らMs.ダンテを名乗り、治安を乱す行為を始めたのである。
目つきが悪く、言葉遣いが荒いのも手伝い、彼女は一躍時の人となった。しかし彼女の「悪事」が他者に実害を及ぼさないものであり、そして悪事の根底にあるものを一般市民の大半が察していたこともあり、彼女を根っからの極悪人と見做す者は殆どいなかった。凶悪犯罪者の通り名もほぼ自称である。
「結婚てのもいいもんだぜ? 私はまだしたことないからわかんないけど、まあ結婚はありじゃねえのか?」
そんな自称凶悪犯罪者は、偉そうに腕を組み、歴戦のヒーローを前にして一丁前に説教を続けていた。顔を真っ赤にしながら、それでも虚勢は張り続けながら、「結婚」の大切さを滔々と説いてみせた。ドミニクとストロングマンが出会う度に行われる恒例行事なので、住民たちは今更驚くこともしなかった。
驚く代わりに、彼らは好奇と応援の視線をヴィランに向けた。握り拳を作り、我が事のように必死の面持ちで二人を見守る者もいた。
いつもの光景である。中にはこの後の展開を既に予想している者もいた。
「だからその、どうだ? 結婚してみるってのは? きっと新しい物の見方とかも出来るんじゃねえか? あ、新しいお嫁さんとかも、探せばいるかもしれないし?」
「誘い方ヘッタクソだなお前」
「うるせえ! 黙ってろ!」
四苦八苦するMs.ダンテに店員の一人が横槍を入れ、間髪入れずにMs.ダンテが店員の方を向きながら怒声をぶつける。当のストロングマンは何故Ms.ダンテがここまで露骨に怒りを露わにするのか理解出来なかった。
彼は気配りは出来るが、女心というものをまるで理解出来ない男だった。それが唯一の欠点であり、ここにおいては致命的な欠点であった。もっと言うと、彼は何故Ms.ダンテが悪党を続けているのかについても理解できずにいた。
「まあつまり、お前は何が言いたいんだ? いつもいつも説教はするが、肝心な部分は誤魔化すじゃないか」
だから彼は、全く無防備な格好でMs.ダンテに近づいた。悪く言えばそれはデリカシーの無い行為であったが、ストロングマンはお構いなしに前進を続けた。
そしてMs.ダンテが彼の声を受けて顔を前に戻した時には、ヒーローの顔が目と鼻の先にあった。
「いい加減はっきり教えてくれ。結論はなんなんだ?」
ストロングマンの気配を全身で感じる。
惚れた男の吐息が前髪を揺らす。
ドミニク・ジョーの思考が停止する。
「ひっ」
視界いっぱいに惚れた男の顔が映る。
反射的に右手が動く。
「ばっ、ちけえんだよ馬鹿野郎!」
グレムリンの右拳がストロングマンの顔面に突き刺さる。右手に嵌めていたグローブの中に仕込まれていた衝撃増幅装置が発動し、破壊力をさらに高める。
ストロングマンの巨躯が真後ろにすっ飛ぶ。殴り飛ばされた筋肉質の体が自動ドアをぶち破り、店外で待っていたパトカーの一台に背中から激突する。
魔物娘の元々持つ膂力と科学力が融合したが故の結果である。
「うわっ!」
「なんだよ!」
反射的に警官たちが身構え、驚愕しながら拳銃を引き抜く。ヒーローとぶつかったパトカーが「く」の字に曲がり、衝撃でサイレンを鳴らし始める。
そのけたたましく鳴り響くサイレンの音を耳にしながら、警官たちが飛んできたヒーローに視線を向ける。その内の大半がすぐさまスーパーに銃を向け、残りの数名で飛んできたヒーローの安否を確認する。
「大丈夫か?」
「ああ、ちょっと不意打ちを食らっただけだ。平気平気」
そして彼もまたヒーロー。魔物娘にぶん殴られ、受け身も取れずにパトカーとぶつかってなお、ストロングマンは無傷だった。頬の殴られた部分をさすってはいたが、負傷や出血の気配は見られなかった。
そしてそれを示すかのように、ストロングマンは誰の助けも借りず、自力で悠々と立ってみせた。警官たちも彼の頑強さをわかっていたので、いちいちそれに驚くこともしなかった。
「しかしあんたを吹っ飛ばすとは。やっぱ魔物娘ってのは怖い連中だな」
驚く代わりに、警官の一人が素直な感想を述べる。立ち上がったストロングマンは体の埃を払いつつ、親しげに話しかけてきた警官に向かって言葉を返す。
「だが、普通の悪党連中よりはずっとマシだ。彼女達は人間に直接危害を加えるような真似は絶対しないからな」
「あんたはぶっ飛ばされたのに?」
「私だから向こうも気兼ねなく暴力を振るえるのさ。他の人間を全力で殴ったりはしないだろう」
「おい! 大丈夫か!」
スーパーからグレムリンが飛んできたのは、ストロングマンが警官にそう言ったまさにその時だった。そして彼女に続いて配下のロボットもぞろぞろと店の中から姿を現し、Ms.ダンテはそれらに向けてトラックに戻るよう手振りで指示を出す。
多種多様な姿をしたロボット達が一斉に電子音を鳴らしながら、一糸乱れぬ隊列でトラックへ戻っていく。それを横目で追いつつ、Ms.ダンテが全力疾走でストロングマンの元へ駆けよっていく。
「無事か? ケガしてないか? 骨とか折れてないか!?」
そしてヒーローの眼前で立ち止まるなり、彼の腕を掴み、両目を見開き、矢継ぎ早に懸念をぶつけていく。大切な人を自分で傷つけてしまった。グレムリンは本気で焦っていた。
ストロングマンはなぜ彼女がここまで焦っているのか理解できなかった。
「そんなに慌てなくても大丈夫だ。この程度でやられる私ではないよ」
「ほ、本当か? 嘘とかついてないよな?」
「本当だとも。こんなことで嘘をついてどうなるというんだ」
彼は平然と答えた。あくまでも事後報告であり、特別な感情は一切こもっていなかった。
それでも彼女にとって、その返答は神の許しとも言うべき福音だった。
「そうか、無事か……よかった……」
ストロングマンが傷ついてないことを知ったMs.ダンテが、その場で安堵の表情を浮かべる。全身から力を抜き、代わりに心の底から滲み出る歓喜の情念を魔力と共に放出する。
その様はまさに乙女だった。彼女の雰囲気の変化に気づいた警官の何人かは、自分のことのように嬉しそうに笑みを浮かべたりもした。口笛を吹いて茶化す者までいた。
そんな周りの気配に気づいてか、Ms.ダンテが唐突に我に返る。次いで掴んでいたストロングマンの手を自ら放し、後ずさりして距離を取りながら言葉を吐く。
「と、とにかく! 今日はこの辺にしといてやる! 今度会った時がお前の最後だからな! 覚悟しとけよ!」
「それ三日前にも聞いたぞ」
「ばーかばーか!」
ストロングマンからの素朴な疑問に悪態で答えつつ、Ms.ダンテが乗ってきたトラックに向かって一目散に駆け出す。そして運転席に飛び乗るなり、相手の反応も待たずにさっさとエンジンをかける。
トラックのエンジンが唸りを上げる。ストロングマンと警官たちが見つめる中で、Ms.ダンテと部下を載せたトラックが猛スピードで――最大限安全に配慮した上で――駐車場から道路へ飛び出していく。
その間、ストロングマンと警官は何も出来なかった。もっと言うとMs.ダンテの素早い動きが、彼らに介入する隙を与えなかった。故に余韻を残さずさっさと帰ってしまった彼女と部下を、ただ目で追うことしか出来なかったのである。
彼らに本気で捕まえる気が無いというのも影響してると言えばしていたが。
「まったく、やんちゃな小娘だ」
警官の一人が本心を放つ。残りの警官たちも思い思いにそれに同意し、ストロングマンもまた同様に腕組みしながらそれに頷いてみせる。
「彼女は良識も持っているし、良心も持ち合わせている。だというのに、なぜああまで頑なにワルになろうとするんだ」
「……気づかないのか?」
「何がだ?」
警官からの素朴な問いに、ストロングマンが真顔で問いかける。この時問うた警官を見る彼の顔は、至って真面目なものだった。
それは同時に、警官の質問に全く心当たりがないことを如実に示してもいた。
「なにか理由があるのか? 彼女を悪党の道に走らせる理由が?」
「ああ……それはな……」
大真面目に問われた警官がげんなりした顔を見せる。ストロングマンが一層表情を険しくさせる。彼は心から答えを望んでいる風だった。
警官たちが顔を見合わせる。ストロングマンの視界が彼ら全員を捉える。ヒーローの本気の目線を全身で浴びつつ、警官たちがどうしたものかと視線で会話する。
「言った方がいいかな」
「やめとけやめとけ」
「言ってもわかんねえだろ」
小声で議論が始まる。ストロングマンは彼らが何を言っているのかわからなかった。
数分後、警官たちが議論を止める。そして全員でストロングマンを見つめる。
「なんだ?」
ストロングマンが真顔で尋ねる。背後で解放された客達が思い思いにスーパーから出ていく。
警官の一人がようやく口を開く。
「……やっぱり、それは自分で思いついてくれ」
「?」
意味が分からなかった。ストロングマンはただ首を傾げるだけだった。
「それにしてもあの子、いつになったら告白するんだろうな」
「一生無理じゃね? いくらなんでもテンパりすぎだろあれ」
「黙ってれば美人なんだけどなー。口下手なのが致命的だよなー」
スーパーから出てくる客達の雑談が風に乗って飛んで来る。警官たちの何名かはそれを聞いて、神妙な顔で同意するように首を縦に振る。
Ms.ダンテには恋人がいるのか。ストロングマンは一人そう思っていた。どこかに恋人がいるのなら、なおさらこんな悪戯じみたことはやめるべきだ。彼はそうも思い、彼女を更生すべく決意を新たにした。
エビルシティには今日も悪が蔓延っている。町の影に悪が潜み、今日も人々の幸せを脅かしている。そして町に蠢く巨悪は、グレムリン一人では決してなかった。
そんな悪達に、ストロングマンは今日も一人、敢然と立ち向う。それが人間であろうと魔物であろうと、彼は町を荒らす悪党を絶対に逃さないのだ。邪悪の全てを止めるため、彼は今日も戦うのだ。
戦え、ストロングマン! 平和を勝ち取るその日まで!
彼が事情に気づけば犯罪の殆どが解決するのは言ってはならない。
彼女の名はMs.ダンテ。自ら開発したハイテクマシーン軍団を引き連れ、悪事の限りを尽くす極悪非道のグレムリンである。
「ヒャッハー! 今日もいただきに来たぜえ!」
そしてこの日も、Ms.ダンテによる犯罪が勃発していた。時刻は午前十一時。今日の獲物は町一番の巨大スーパーマーケット。
彼女は白昼堂々トラックをきちんと駐車場に停め、自動ドアのガラスを割らずに開くのを待ってから、手製のロボット軍団を引き連れずかずか店内に乱入してきたのである。
二本足で動くロボットに蜘蛛型ロボット。キャタピラ駆動のロボットや八本腕のロボット。そういった多種多様なロボット達が、一人のグレムリンに引き連れられて店内へ侵入する。その大軍団を前に、それまで呑気に買い物を楽しんでいた客達が驚いたのは言うまでもない。
「動くな! お前ら全員人質だかんな!」
一斉に悲鳴を上げ、逃げ惑う客――人と魔物娘が半々ずつ混ざり合っていた――とスタッフをMs.ダンテが一喝する。さらに追撃するかのように、腰に提げていた銃を引き抜き天井に向かって発砲する。なお空砲であるため、実際に天井に穴が開いたりはしなかった。器物損壊で弁償する羽目になるのは勘弁である。
それはともかく、発砲の効果は覿面であった。それまで慌てふためていた面々が一瞬で黙り込み、動きすらも止めてその場に静止する。Ms.ダンテはそんな彼らに座るよう手振りで指示を出し、人質と化した者達も素直にそれに従っていく。
「いいねえ。中々素直じゃねえか。素直なのはいいことだぜ?」
その様を見たMs.ダンテが嬉しそうに声を放つ。その後彼女は銃をしまい、仁王立ちの体勢を取りながら声高に言い放つ。
「さてお前ら。さっきも言ったが、お前らは人質だ。一人たりともここから出ることは許さない。私の用事が済むまでここから出るんじゃねえぞ。もし一人でも逃げ出そうものなら……」
にやけ面のグレムリンがそこまで言って、おもむろに指を鳴らす。すると後ろに控えていたロボットの一体が移動を始め、Ms.ダンテの横まで来たところで停止する。
そのロボットは、簡単に言うとキャタピラのついた白い円柱だった。真っ白に染められた円柱の側面部分にはモニターやカメラアイが不規則についており、そしてそれらに混じって無骨なロボットアームが左右一対ワンセットで側面から生え伸びていた。
なおそのロボットアームの先端には、「手」の代わりに大量の猫じゃらしが装着されていた。
「くすぐりの刑を受けてもらう。もちろん私の気の済むまでな。泣いて許しを請おうが無駄だ。ヒイヒイ泣きながら、自分のしたことの罰をしっかり受けてもらうぜ?」
Ms.ダンテが不敵な笑みで言ってのける。それに呼応して円柱ロボットがロボットアームを駆動させ、猫じゃらし部分を激しく揺らめかせる。
直後、人質達がやにわにざわめき始める。
「猫じゃらしで笑えるのか?」
「鼻に突っ込むのかな」
「おっぱいくすぐるとかじゃないか」
「やだもー、ダーリンのえっち!」
純粋な疑問と思案がどよめきの核だった。中には冗談や笑い声も混じっていた。緊張とは無縁の情景であった。
町の住民にとってはもうお馴染みの光景だ。
「ねーねードミニク! サインちょうだい!」
「馬鹿! 本名で呼ぶんじゃねえよ! ヴィランネームで呼べ!」
買い物客の子供たちが集まってくる。Ms.ダンテが鬱陶しげに言い返しながらも、彼らの差し出してきた色紙にサインを書いていく。
殺到した子供は五人。色紙も五枚。彼女はその全てに名前を書いた。書くのは当然「悪役の名前」だ。そうしてサインをもらって喜ぶ子供たち追い払った後、指を鳴らして他のロボットたちに指示を出す。
「まあそう言うわけだから、お前らにはじっとしててもらうぜ。なに、ほんの数分だ。すぐに帰れるぜ」
数十ものロボット達が人質を取り囲み、その包囲を狭めていく。彼らは人質を一か所に纏めようとしていた。そして人質達も恐怖のままに――大半は面倒くさそうに――ロボットの無言の要求に従っていった。
彼らが集められたのはレジ前の一角だった。入口からは丸見えとなる位置である。そこにMs.ダンテが悠然とした歩調で近づいていく。人質の二割がそれを目で追い、残りがスマートフォンなり携帯ゲーム機なりをいじって暇を潰す。行き過ぎた迷惑行為は訴訟沙汰になりかねないので、妨害電波の類は使っていない。
やがてMs.ダンテが一人の男の前で立ち止まる。このスーパーの責任者であるその男を見下ろしながら、Ms.ダンテが口を開く。
「ここってカード使える?」
「現金だけだよ」
男が平然と答える。Ms.ダンテはため息を一つつき、その後腰のポケットから財布を抜き出し中身を確認する。そして中身がすっからかんなことに気づく。
小さく舌打ち。グレムリンが改めて男に話しかける。
「ツケで売ってくれ」
「やだよ」
男は犯罪者の脅迫には屈しなかった。責任者の鑑だった。
「それ」が件のスーパーマーケットの前までやってきたのは、Ms.ダンテがそこを占拠して数分後のことだった。この時、店の前には既に数台のパトカーが集まり、警官たちが厳めしい表情で静まり返ったスーパーを睨みつけていた。全員拳銃を携帯していたが、それを抜き出していた者は一人もいなかった。抜くほどの緊急事態では無かったからだ。
「それ」はそんな警官たちに軽く挨拶した後、一人でスーパーへ向かった。警官たちは止めもしなかった。マスクを身に着け、青いバトルスーツに身を包んだその男は、堂々とした足取りでスーパーマーケットへひた進み、やがて自動ドアの前で立ち止まった。
唸るような機械音と共に、ガラス戸が左右に開く。躊躇うことなく男が中へ入りこむ。
「ダンテ! またお前か!」
進入するなり、男が声高に言い放つ。彼の視界には既に人質とダンテの姿が映っていた。そしてダンテはこの時、彼に背を向ける格好を取っていた。
その魔物娘――グレムリンの後姿を見ながら、男はため息を一つつきながら歩みを再開した。どんどん距離を詰めつつ、口を開いて話し始める。
「いつもいつもこんなことをして……他の人の迷惑になるからやめろとあれほど言ってるだろうに!」
「ああクソ、まだ心の準備が……!」
Ms.ダンテもまた男の存在に気づく。名前を呼ばれた彼女は一瞬肩を強張らせ、すぐに体の力を抜く。それから大股で近づいてくる男に気づかれないよう、素早く前髪をいじって襟元を整える。
中々にいじらしい所作であった。
「いい加減告っちまえよ」
「うるせえ」
それを見た男性店員の一人が小声で発破をかける。Ms.ダンテが歯を剥き出しにしながら反論し、すぐに息を整えてから大仰な動きで百八十度ターンする。
「よう、ストロング! いつも気づくのが早いな!」
不敵な笑みを浮かべ、わざとらしく両手を広げて男を迎え入れる。
心臓が飛び跳ねそうになっていたのは秘密である。
「しかしお前も鼻の利く奴だな。町の英雄様は一味違うってことか?」
そんな己の内面をひた隠しにしながら、Ms.ダンテが茶化すように問いかける。ストロングと呼ばれた男は「やれやれ」と言わんばかりに首を縦に振り、両手を腰に当てつつそれに答えた。
「お前達が来るずっと前から町の平和を守ってきたんだ。悪党の気配を読み取ることくらい、朝飯前なのさ」
「さすが。ベテラン様は一味違うね」
煽るようにMs.ダンテが口笛交じりに言い返す。バトルスーツ姿の男は仁王立ちのまま動じない。Ms.ダンテはその堂々たる立ち姿にときめきを覚え、そして気恥ずかしさからそれを封殺しようと内心必死になった。やがて彼女は気持ちを別の方向に逸らし、心を落ち着かせるために、彼の経歴を脳内で反芻――対面する度に何度も行ってきたことである――し始めた。
人間の世界に魔物娘が出現し始めて既に五年が経つ。男――「ストロングマン」と呼ばれているこの男は、魔物娘が世界の境界を越えてこちら側に進出する前から、この町でヒーロー活動を行っていた。そして彼は魔物娘の存在が一般的になった後も、変わらず町の治安を守り続けているのである、
「でもいい加減、引退した方がいいんじゃねえの? そろそろ体にガタが来ててもおかしくないだろうしよ。引き際を見極めるってのも大事だぜ」
そんなまっすぐな姿勢に、グレムリンのドミニク・ジョーは惹かれたのであった。彼女がエビルシティにやって来たのは一年前。そこでドミニクは偶然ヒーロー活動をしていたストロングマンに出会い、運命を感じた。
一目惚れである。
「それにお前みたいなロートルが、魔物娘サマに勝てるねえだろうが。いい加減若い世代にヒーローの座を譲って、自分は新しい人生見つけた方がいいんじゃねえか? 一生ヒーローなんて出来るわけねえんだしさ」
しかしドミニクはストロングマンの住所を知らなかった。町の住民全員が彼の所在を知らなかった。それでもドミニクは彼に会いたかった。
そこで彼女は閃いた。自分から会いに行けないのなら、向こうからこちらに会いに来るようにすればいいのだ。
「た、例えばその、隠居……とかさ。け、結婚? とかしてよ、平穏な余生送るってのも、いいんじゃねえのか?」
だから彼女はヴィランになった。自らMs.ダンテを名乗り、治安を乱す行為を始めたのである。
目つきが悪く、言葉遣いが荒いのも手伝い、彼女は一躍時の人となった。しかし彼女の「悪事」が他者に実害を及ぼさないものであり、そして悪事の根底にあるものを一般市民の大半が察していたこともあり、彼女を根っからの極悪人と見做す者は殆どいなかった。凶悪犯罪者の通り名もほぼ自称である。
「結婚てのもいいもんだぜ? 私はまだしたことないからわかんないけど、まあ結婚はありじゃねえのか?」
そんな自称凶悪犯罪者は、偉そうに腕を組み、歴戦のヒーローを前にして一丁前に説教を続けていた。顔を真っ赤にしながら、それでも虚勢は張り続けながら、「結婚」の大切さを滔々と説いてみせた。ドミニクとストロングマンが出会う度に行われる恒例行事なので、住民たちは今更驚くこともしなかった。
驚く代わりに、彼らは好奇と応援の視線をヴィランに向けた。握り拳を作り、我が事のように必死の面持ちで二人を見守る者もいた。
いつもの光景である。中にはこの後の展開を既に予想している者もいた。
「だからその、どうだ? 結婚してみるってのは? きっと新しい物の見方とかも出来るんじゃねえか? あ、新しいお嫁さんとかも、探せばいるかもしれないし?」
「誘い方ヘッタクソだなお前」
「うるせえ! 黙ってろ!」
四苦八苦するMs.ダンテに店員の一人が横槍を入れ、間髪入れずにMs.ダンテが店員の方を向きながら怒声をぶつける。当のストロングマンは何故Ms.ダンテがここまで露骨に怒りを露わにするのか理解出来なかった。
彼は気配りは出来るが、女心というものをまるで理解出来ない男だった。それが唯一の欠点であり、ここにおいては致命的な欠点であった。もっと言うと、彼は何故Ms.ダンテが悪党を続けているのかについても理解できずにいた。
「まあつまり、お前は何が言いたいんだ? いつもいつも説教はするが、肝心な部分は誤魔化すじゃないか」
だから彼は、全く無防備な格好でMs.ダンテに近づいた。悪く言えばそれはデリカシーの無い行為であったが、ストロングマンはお構いなしに前進を続けた。
そしてMs.ダンテが彼の声を受けて顔を前に戻した時には、ヒーローの顔が目と鼻の先にあった。
「いい加減はっきり教えてくれ。結論はなんなんだ?」
ストロングマンの気配を全身で感じる。
惚れた男の吐息が前髪を揺らす。
ドミニク・ジョーの思考が停止する。
「ひっ」
視界いっぱいに惚れた男の顔が映る。
反射的に右手が動く。
「ばっ、ちけえんだよ馬鹿野郎!」
グレムリンの右拳がストロングマンの顔面に突き刺さる。右手に嵌めていたグローブの中に仕込まれていた衝撃増幅装置が発動し、破壊力をさらに高める。
ストロングマンの巨躯が真後ろにすっ飛ぶ。殴り飛ばされた筋肉質の体が自動ドアをぶち破り、店外で待っていたパトカーの一台に背中から激突する。
魔物娘の元々持つ膂力と科学力が融合したが故の結果である。
「うわっ!」
「なんだよ!」
反射的に警官たちが身構え、驚愕しながら拳銃を引き抜く。ヒーローとぶつかったパトカーが「く」の字に曲がり、衝撃でサイレンを鳴らし始める。
そのけたたましく鳴り響くサイレンの音を耳にしながら、警官たちが飛んできたヒーローに視線を向ける。その内の大半がすぐさまスーパーに銃を向け、残りの数名で飛んできたヒーローの安否を確認する。
「大丈夫か?」
「ああ、ちょっと不意打ちを食らっただけだ。平気平気」
そして彼もまたヒーロー。魔物娘にぶん殴られ、受け身も取れずにパトカーとぶつかってなお、ストロングマンは無傷だった。頬の殴られた部分をさすってはいたが、負傷や出血の気配は見られなかった。
そしてそれを示すかのように、ストロングマンは誰の助けも借りず、自力で悠々と立ってみせた。警官たちも彼の頑強さをわかっていたので、いちいちそれに驚くこともしなかった。
「しかしあんたを吹っ飛ばすとは。やっぱ魔物娘ってのは怖い連中だな」
驚く代わりに、警官の一人が素直な感想を述べる。立ち上がったストロングマンは体の埃を払いつつ、親しげに話しかけてきた警官に向かって言葉を返す。
「だが、普通の悪党連中よりはずっとマシだ。彼女達は人間に直接危害を加えるような真似は絶対しないからな」
「あんたはぶっ飛ばされたのに?」
「私だから向こうも気兼ねなく暴力を振るえるのさ。他の人間を全力で殴ったりはしないだろう」
「おい! 大丈夫か!」
スーパーからグレムリンが飛んできたのは、ストロングマンが警官にそう言ったまさにその時だった。そして彼女に続いて配下のロボットもぞろぞろと店の中から姿を現し、Ms.ダンテはそれらに向けてトラックに戻るよう手振りで指示を出す。
多種多様な姿をしたロボット達が一斉に電子音を鳴らしながら、一糸乱れぬ隊列でトラックへ戻っていく。それを横目で追いつつ、Ms.ダンテが全力疾走でストロングマンの元へ駆けよっていく。
「無事か? ケガしてないか? 骨とか折れてないか!?」
そしてヒーローの眼前で立ち止まるなり、彼の腕を掴み、両目を見開き、矢継ぎ早に懸念をぶつけていく。大切な人を自分で傷つけてしまった。グレムリンは本気で焦っていた。
ストロングマンはなぜ彼女がここまで焦っているのか理解できなかった。
「そんなに慌てなくても大丈夫だ。この程度でやられる私ではないよ」
「ほ、本当か? 嘘とかついてないよな?」
「本当だとも。こんなことで嘘をついてどうなるというんだ」
彼は平然と答えた。あくまでも事後報告であり、特別な感情は一切こもっていなかった。
それでも彼女にとって、その返答は神の許しとも言うべき福音だった。
「そうか、無事か……よかった……」
ストロングマンが傷ついてないことを知ったMs.ダンテが、その場で安堵の表情を浮かべる。全身から力を抜き、代わりに心の底から滲み出る歓喜の情念を魔力と共に放出する。
その様はまさに乙女だった。彼女の雰囲気の変化に気づいた警官の何人かは、自分のことのように嬉しそうに笑みを浮かべたりもした。口笛を吹いて茶化す者までいた。
そんな周りの気配に気づいてか、Ms.ダンテが唐突に我に返る。次いで掴んでいたストロングマンの手を自ら放し、後ずさりして距離を取りながら言葉を吐く。
「と、とにかく! 今日はこの辺にしといてやる! 今度会った時がお前の最後だからな! 覚悟しとけよ!」
「それ三日前にも聞いたぞ」
「ばーかばーか!」
ストロングマンからの素朴な疑問に悪態で答えつつ、Ms.ダンテが乗ってきたトラックに向かって一目散に駆け出す。そして運転席に飛び乗るなり、相手の反応も待たずにさっさとエンジンをかける。
トラックのエンジンが唸りを上げる。ストロングマンと警官たちが見つめる中で、Ms.ダンテと部下を載せたトラックが猛スピードで――最大限安全に配慮した上で――駐車場から道路へ飛び出していく。
その間、ストロングマンと警官は何も出来なかった。もっと言うとMs.ダンテの素早い動きが、彼らに介入する隙を与えなかった。故に余韻を残さずさっさと帰ってしまった彼女と部下を、ただ目で追うことしか出来なかったのである。
彼らに本気で捕まえる気が無いというのも影響してると言えばしていたが。
「まったく、やんちゃな小娘だ」
警官の一人が本心を放つ。残りの警官たちも思い思いにそれに同意し、ストロングマンもまた同様に腕組みしながらそれに頷いてみせる。
「彼女は良識も持っているし、良心も持ち合わせている。だというのに、なぜああまで頑なにワルになろうとするんだ」
「……気づかないのか?」
「何がだ?」
警官からの素朴な問いに、ストロングマンが真顔で問いかける。この時問うた警官を見る彼の顔は、至って真面目なものだった。
それは同時に、警官の質問に全く心当たりがないことを如実に示してもいた。
「なにか理由があるのか? 彼女を悪党の道に走らせる理由が?」
「ああ……それはな……」
大真面目に問われた警官がげんなりした顔を見せる。ストロングマンが一層表情を険しくさせる。彼は心から答えを望んでいる風だった。
警官たちが顔を見合わせる。ストロングマンの視界が彼ら全員を捉える。ヒーローの本気の目線を全身で浴びつつ、警官たちがどうしたものかと視線で会話する。
「言った方がいいかな」
「やめとけやめとけ」
「言ってもわかんねえだろ」
小声で議論が始まる。ストロングマンは彼らが何を言っているのかわからなかった。
数分後、警官たちが議論を止める。そして全員でストロングマンを見つめる。
「なんだ?」
ストロングマンが真顔で尋ねる。背後で解放された客達が思い思いにスーパーから出ていく。
警官の一人がようやく口を開く。
「……やっぱり、それは自分で思いついてくれ」
「?」
意味が分からなかった。ストロングマンはただ首を傾げるだけだった。
「それにしてもあの子、いつになったら告白するんだろうな」
「一生無理じゃね? いくらなんでもテンパりすぎだろあれ」
「黙ってれば美人なんだけどなー。口下手なのが致命的だよなー」
スーパーから出てくる客達の雑談が風に乗って飛んで来る。警官たちの何名かはそれを聞いて、神妙な顔で同意するように首を縦に振る。
Ms.ダンテには恋人がいるのか。ストロングマンは一人そう思っていた。どこかに恋人がいるのなら、なおさらこんな悪戯じみたことはやめるべきだ。彼はそうも思い、彼女を更生すべく決意を新たにした。
エビルシティには今日も悪が蔓延っている。町の影に悪が潜み、今日も人々の幸せを脅かしている。そして町に蠢く巨悪は、グレムリン一人では決してなかった。
そんな悪達に、ストロングマンは今日も一人、敢然と立ち向う。それが人間であろうと魔物であろうと、彼は町を荒らす悪党を絶対に逃さないのだ。邪悪の全てを止めるため、彼は今日も戦うのだ。
戦え、ストロングマン! 平和を勝ち取るその日まで!
彼が事情に気づけば犯罪の殆どが解決するのは言ってはならない。
17/04/12 20:21更新 / 黒尻尾