Duel.5「とんだロマンチストだな!」
トランパートがアポピスを無力化してから数分後、ようやくといった形でデュエルが再開された。サイスのフィールドはガラ空き、大してアンのフィールドには上級モンスターが二体並んでいた。
「ふふん。この布陣を崩すのは簡単ではありませんよ」
「油断は禁物です。相手が何をしてくるのかまったくわからないのですから。最後まで気を抜いてはいけませんよ」
そんな彼我の戦力差を見て得意げに笑うアンを、モンスターゾーンに立つ龍が優しく諭す。アンも「それもそうでしたね」とその忠告を素直に受け入れ、顔から笑みを消して隙を無くす。そうして主の改心を見た龍は「その調子でございます」と嬉しそうに微笑み、その後自身もまた気合を入れ直してサイス達に向き直った。
一方、龍の隣にいたアポピスは不貞腐れていた。
「まったく、わらわのエンタメが理解できぬとは。不思議の国の者達も、随分と狭量な連中なのだな」
暗黒を齎すファラオの宿敵が尻尾の先を暇そうに揺らし、面白くなさそうにぶつぶつ文句を呟く。その彼女の首には小さなプラカードが下げられており、そこには『私は女王に無断で暗黒魔界を生み出そうとしました』と子供じみた丸い文字で書かれていた。文末には小さくハートマークも添えられており、これがまたアポピスの気分を害する一因となっていた。
「おまけにこんなものまでぶら下げさせおって。わらわのカリスマが台無しではないか」
「まあまあ。ここはそれだけで済んで良しとしましょうよ」
「まったく……」
それはハートの女王直筆の文章であった。騒ぎを聞きつけ遥々やってきた女王は戒めの意味を込めて、この直筆のプラカードをアポピスの首に掛けたのである。当然アポピスはそれを拒否したが、ハートの女王――魔王の娘の放つ無言の圧力には、さすがの彼女も膝を折るしかなかった。
なお女王はその後、観客席の一角に腰を降ろしてデュエル観戦を始めた。しかし観客が大勢いるのと、ハートの女王自体が小柄であったために、サイスはどこに女王が君臨しているのか把握出来なかった。魔物娘を魔力で判別するといった器用な真似も、当然ながら出来なかった。
「アンよ。こうなったらせめて、このデュエルでわらわを満足させてもらうぞ。マッドハッターならばそれくらい容易いことであろう?」
「もちろんですとも。このターン中にあなたで攻撃することは出来ませんが、次の私のターンになったら大活躍させて差し上げますから」
所変わってアポピス。彼女は前に述べた通り不機嫌であり、それを隠そうともせずにアンに注文した。その態度は子供のワガママめいたものであった。
しかしそんなアポピスに対して、当のアンはさらりと言い返してのけた。実際アンは次の自分のターンで魔法カードを使い、それでもってアポピスの能力を底上げした上で、彼女をフィニッシャーにするつもりでいた。頑張り過ぎて叱られたアポピスを救済してあげようという、彼女なりの計らいである。
「それまで辛抱ですよ。次を凌げば、それで決着ですから」
「それはどうかな?」
そこにサイスが割って入る。勝ちを確信したような物言いをするアンに対し、彼は真っ向からそう言ってのけた。アン達の視線が即座にサイスに向かい、その後三人を代表するようにアンが言葉を投げ返す。
「随分と自信満々ですね」
「ああ。逆転の手はまだ残ってるからな」
「ほう?」
「次の俺のターンにそれを見せてやるよ」
サイスの目は不気味に光っていた。追い込まれてなお勝ちを諦めない者が見せる、ふてぶてしいほど自信に満ちた目だった。
それを見たアンは思わず笑みを浮かべた。次のターン、彼はどんな手段を取って来るのだろう? 彼女は自分が負けることよりも、対戦相手がどうやって今の盤面をひっくり返すのかということに意識を傾けていた。
無論、自分が負けてやるつもりは毛頭なかったが。
「ではそれを見させてもらいましょうか。私はカードを一枚伏せて、ターンエンドです」
龍の背後に一枚伏せカードを出現させつつ、アンがターン終了を宣言する。そして即座にアンがサイスに目線を送る。
さあ、お前の秘策を見せてみろ。マッドハッターからの期待の眼差しを浴びつつ、サイスがカードをドローする。
「ドロー!」
引いたカードを確認。その後それを手札に加え、それ以前に手札に来ていたカードの一枚を静かに引き抜く。
「見せてやる。これが俺の、逆転の一手だ!」
そして指で挟んだそのカードを、勢いよくアンに向かって投げつける。いきなりの暴挙にアンは驚愕したが、すぐに正気に戻って投げられたそれを片手でキャッチする。
「あなた、いったい何を――」
「お前にはそれを召喚してもらうぜ」
マッドハッターからの非難の声を無視して、サイスがそう要求する。一方で注文をつけられたアンは、いったいどういうことかと投げられたカードを確認する。
数秒後、アンの顔から血の気が引いて行く。
「まさか、そんな」
「言っておくが、そいつの召喚は無効化出来ないぜ。さあ、始めてもらおうか!」
「くっ……!」
今の自分の手の中に、これを妨害する手段は存在しない。それにサイスがやれと言ってきているのは、ごく普通のモンスター召喚だ。
だがしかし。まさかこんな手で排除にかかるとは――!
「私は、フィールド上のモンスター二体を生贄に捧げ……!」
悔しさを滲ませる声でアンが告げる。いきなり生贄を宣告された龍とアポピスが、揃って背後を振り返りアンを凝視する。
「いきなり何を?」
「そなた、なんのつもりだ!」
「このモンスターを召喚します!」
驚き、不平を漏らす二人を無視して、アンがそのカードを召喚器の上に置く。直後、龍とアポピスの足元が真っ白に光り輝く。
「どうやら本当に、私達は揃って生贄に捧げられたようですね」
「まったく、一体なんだと言うのだ。これからと言う時に……!」
ルール上、生贄に捧げられたモンスターは墓地に行かなければならない。それを前もって教えられていた二人は、不満げながらもすごすごとフィールドから離れていく。突然の事態に戸惑い、その場に陣取って駄々をこねるような無粋な真似はしなかった。それがルールだからだ。
そうして二人が立ち去った後、その場に光の柱が出現する。その柱を苦々しく見つめながら、アンがサイスから投げ渡されたモンスターの名を高らかに宣言する。
「出でよ! レベル8、ラーヴァゴーレム!」
呼びかけに呼応するように柱が砕ける。光の粒子が飛び散り、氷の結晶のように煌びやかな輝きを放つ。
その光の中から、一体の魔物娘が姿を現す。濃い茶色と明るい橙色で象られた、灼熱の魔物娘。
ゴーレム属。ラーヴァゴーレムである。
「あれが……」
「あいつの切り札……?」
黒焦げの岩石と、その隙間を縫うように流れる赤いマグマを想起させる姿をした魔物娘を呆然と見つめながら、墓地にいたジャイアントアントとマーシャークが呟く。何が何だかわからない、と言うのが、この時の二人の心境だった。そしてそれはこのモンスターの効果を知るサイスとアン以外の全員が、等しく抱いていた心境でもあった。
そんな二人の呟きを聞いたサイスが、早速説明に入る。この時の彼の顔は心なしかウキウキしていた。
「こいつは相手フィールド上に存在するモンスター二体を生贄にし、相手フィールドに攻撃表示で召喚されるモンスターだ。もっともこれは『俺の通常召喚』扱いになるから、俺はもうこれ以上モンスターを通常召喚することは出来ないがな」
「わざわざ敵にモンスターを送り付けるんですか?」
「ああ」
「攻撃力は?」
「3000」
「たけーな」
エンジェルからの問いに答えたサイスに、マーシャークが目を剥いて言い放つ。そのまま続けてマーシャークが疑問をぶつける。
「いくら相手のモンスターを無理矢理取り除いて呼び出すにしても、攻撃力高すぎんだろ。ちょっとリスクとリターンが釣り合ってないんじゃないか?」
「大丈夫。こいつにはもう一つ、特殊能力があるんだ」
「それは?」
「このモンスターが表側表示で存在する時、相手ターン開始時に相手ライフに1000ポイントのダメージを与える」
「へえ」
マーシャークが感心した声を上げる。残りの面々も同じように感嘆の顔を浮かべた。
その後、今度はジャイアントアントがサイスに尋ねる。
「つまりあなたは、相手モンスターを取り除いた上で相手にダメージを与えるモンスターを、無理矢理呼ばせたってことですか?」
「そういうことだ。まあ相手の攻撃を凌ぐ必要もあるが、こっちもちゃんと考えてある。だから問題は無い」
現在のアンのライフは残り1800ポイント。つまり次のアンのターンを凌げば、サイスの勝利ということになる。
しかしサイスのライフも2200。これはつまり、次のターンにラーヴァゴーレムの直接攻撃を許した場合、その時点でサイスの敗北ということになる。
「ギリギリですね」
「あの時点で他に対処法無かったんだよ。ラーヴァゴーレム呼ばなかったら、どっちみち次のアンのターンで総攻撃食らって終わりだったんだから」
「つまり、少しでも勝てる方に賭けたということですね」
「ああ。せっかくだから、勝って終わりたいだろ?」
エンジェルの言葉にサイスが答える。彼の目は気合と喜びでキラキラ輝いていた。子供のように純真な目だった。
ああ、この人は本当にゲームが好きなんだな。そんなサイスを見た彼のしもべ達は、一様にそんなことを考えた。
「……というわけですので、協力していただけないでしょうか」
「そういうことか。なら別にいいわよ。不思議の国じゃ仕方ないわよね」
その頃、アンの方ではマッドハッターとラーヴァゴーレムの間で交渉が成立していた。その様をマンティスと龍は件のティータイムで飲まれていた紅茶を啜りつつ眺め、アポピスは出た端から僻地に追いやられたことに対して愚痴をこぼしていた。
「それにしても、なんで私にこんな変な効果がついたのかしら。そこまでトリッキーなことしてるつもりは無いんだけど」
「さ、さあ? どうしてでしょうね? 本当コナ……お上の考えることはわかりませんよねー?」
そして続けてラーヴァゴーレムの放った疑問に対し、アンは途端に挙動不審に陥った。唐突にそっぽを向いて口笛を吹き始める彼女を見たラーヴァゴーレムは当然のように怪訝な眼差しをマッドハッターに向けたが、その後ラーヴァゴーレムが口を開くより前にアンが彼女に声をかけた。
「それより! まだデュエルは続いているんですよ!ほら、本番に戻ってください!」
「しょうがないなあ……」
無理矢理話を逸らしてきた――そんなに突っ込まれたくないのか――アンに不審な気持ちを抱きつつ、ラーヴァゴーレムがサイス達に向き直る。それを見たサイスは先方で交渉が済んだことを察し、意識をデュエルに向け直す。
「よし、じゃあ続けてもいいか?」
「はい。これで終わりじゃあないんでしょう?」
「もちろん。俺はカードを一枚伏せてターンエンドだ」
サイスが裏側表示のカードを一枚出現させ、終了宣言をする。そしてアンのターン。彼女がターン開始宣言をすると同時に、早速ラーヴァゴーレムが動き出す。
ラーヴァゴーレムの二つ目の効果――自分のコントローラーに1000ポイントダメージを与える効果を発動するためである
「悪く思わないでね。こういう効果なんだから」
「わかってますよ。ではラーヴァゴーレムさん、それらしい行動を取ってくださいね」
「了解」
頷いたラーヴァゴーレムが、腹を括ったアンと向き直る。しかしいざ効果発動しようとした段階で、ラーヴァゴーレムが動きを止める。
これは実行していいものなのか。一応彼女の中には考えがあったが、本当にそれを実行して良いものかわからなかったのだ。
なので少し逡巡した後、ラーヴァゴーレムはまずそれを尋ねてみた。
「……直接マグマかけるのはアリ?」
「やめてください。融けてしまいます。私一応マタンゴ属ですので」
即答である。アンは頑として譲らなかった。
「ああ、そういえばあなたキノコだったっけ。じゃあどうしようかしら……」
そうしてキノコから断られたラーヴァゴーレムが、代替案を見つけようと辺りを見回す。そして墓地に視線が行った時、そこでのんびり紅茶を飲むマンティスと龍を発見する。
直後、ラーヴァゴーレムの頭に閃光が走る。
「そういえばあなた、紅茶は砂糖なしで飲むタイプ?」
唐突にラーヴァゴーレムがアンに問いかける。いきなり問われたアンは一瞬驚きながらも、すぐにそれに回答する。
「え? ええ、まあ。基本的に紅茶には何も入れないで飲みますね」
「紅茶に砂糖入れるのは邪道って思ってる?」
「まあ……そうですね。紅茶の風味を無理矢理阻害するのは、あまりいい気分ではありませんね」
「ふうん」
そこまで聞いたラーヴァゴーレムが、不敵な笑みを浮かべて舌なめずりをする。そして自分からモンスターゾーンを離れ、ゆっくりとした足取りでアン達がティータイム中に使用していた丸テーブルへ向かっていった。
何をする気だ? その場にいた全員の視線がラーヴァゴーレムに向かう。その道中でラーヴァゴーレムはマンティスに声をかけ、どれがアンの使っていたカップなのか尋ねていた。
マンティスは即答した。そしてアンのカップを把握したラーヴァゴーレムは、一直線にそのカップへ近づいた。
やがてラーヴァゴーレムがアンのカップの真ん前に立つ。アンの使っていたティーカップには、まだ黄金色の液体が半分ほど残っていた。
「見てなさい。とっておきの1000ポイントダメージよ」
言うや否や、角砂糖の入ったガラス瓶を掴む。
瓶の蓋を開ける。
ラーヴァゴーレムの行動を理解したアンが叫ぶ。
「やめなさい! それだけは――!」
「くらえ!」
ラーヴァゴーレムが叫ぶ。叫ぶと同時にガラス瓶を傾け、大量の角砂糖をティーカップの中にぶちまける。
カラカラ乾いた音を立てながら、何十個もの白い立方体が黄金色の液体へ飛び込んでいく。
それを見たアンの心がガラガラ音を立てて崩れていく。
「もっとよ! もっとぶちまけてあげる! 糖尿病になりなさい!」
「あ、あ、ああああ……!」
ラーヴァゴーレムはノリノリだった。アンがその場に崩れ落ちるのも無視して、容赦なく角砂糖を投入していく。
まさに悪魔すら声を失う残虐行為。観客の中からも悲鳴が上がり、涙を流す者さえ現れる始末だった。
サイス達もその情け容赦ない凶行を目の当たりにして、唖然とする他無かった。
「ひでえ……」
「まさに鬼畜だな」
「そこまでしなくても……!」
マーシャークが簡潔に感想を述べ、サイスが――自分で呼んでおきながら――顔をしかめ、エンジェルが顔面蒼白で悲痛な叫びを放つ。
ラーヴァゴーレムの精神攻撃は、その後しばらく続いた。
デュエル再開。満足して帰ってきたラーヴァゴーレムに気づいたアンが、多少よろめきながら立ち上がる。この時彼女は、自分のティーカップを努めて視界に入れないようにしていた。
縁から漏れ出すくらい大量の角砂糖を詰め込まれたティーカップなど、誰も見たくはないものだ。
「おい、大丈夫か?」
「大丈夫です。ちょっとクラっとしたけど、大丈夫です」
思わず声をかけるサイスに、アンが首を振りながら答える。ラーヴァゴーレムは素知らぬ風を貫いていた。
そのラーヴァゴーレムの後姿を見ながら、気を取り直してアンが声を放つ。
「で、では私はカードを一枚ドローして、その後ラーヴァゴーレムで攻撃します」
「やっぱり来るか」
「しないと私が負けるのでね」
問い返すサイスに、アンがそう言って不敵に笑う。その笑みはまだぎこちなかった。
その後再び首を振り、頭から雑念を振り払った後、アンが改めて攻撃を宣言する。
「では、私はラーヴァゴーレムでサイスを攻撃!」
「そいつの必殺技はゴーレムボルケーノだ。高らかに宣言しな!」
そこにサイスが言い返す。それにジャイアントアントが反応し、「それ公式の技名なんですか?」と尋ねる。
対してサイスは「今考えた」とあっさり言ってのける。ジャイアントアントはそれ以上何も言わなかった。
「何をデタラメ言ってるんですか。彼女の技名は私が決めます!」
即座にアンが口を開く。そして暫し無言で俯き、知恵を絞ってそれに代わる技名を必死に考える。
やがて数秒後、アンが顔を上げる。その顔には決意と覚悟がありありと浮かんでいた。
「……ゴーレムボルケーノ!」
結局何も浮かばなかった。自分の名前を技名に組み込む度胸は彼女には無かった。
アンはリアリストだった。
「ほらほら、よそ見しない! 行くわよ!」
しかし攻撃宣言は下された。事実、ラーヴァゴーレムが猛烈な勢いでサイスに迫る。
まずい! マーシャークが咄嗟に叫ぶ。だがサイスは動じない。
「リバースカード発動!」
ラーヴァゴーレムをまっすぐ見据えながらサイスが宣言する。直後、伏せられていたカードが猛スピードで起き上がる。
「罠カード、ビートルジュース!」
「えっ!?」
いきなりの伏せカードオープンに、思わずラーヴァゴーレムが立ち止まる。そして眼前で起き上がったカードの効果テキスト欄を凝視し、その一方でサイスが口頭でカードの効果を説明し始める。
「このカードは相手が攻撃してきた時に発動できる! 自分の墓地に昆虫族モンスターが存在する時、一度だけ相手モンスターの攻撃を無効化する!」
サイスが説明を終える。直後、観客席がやにわにざわつく。
同様にジャイアントアントもカードを見て驚く。そのカードのイラスト欄には、デュエリストと相手モンスターの間に立ちはだかり、両手に虫よけスプレーを持ってそれを相手に吹きかける虫型モンスターが描かれていた。
「もしかして、また私ですか?」
「うん」
「わかりました! お任せを!」
出番は忘れた頃にやってくる。しかしいきなり出番を与えられたジャイアントアントは、嫌味一つ感じさせない全く嬉しそうな顔でサイスの前までやってきた。主のために働くことに無上の喜びを感じる、ジャイアントアントの性である――「あいつチョロいな」とは、この時のマーシャークの弁である。。
そうしてサイスとラーヴァゴーレムの間に飛んできたジャイアントアントは、次に開けられたカードの下に置かれてあったスプレーを躊躇いなく手に取った。そして両腕を前に伸ばし、両手に一つずつ持ったスプレー缶をまっすぐラーヴァゴーレムに突き付ける。
「お覚悟を!」
相手の了承も待たず、ジャイアントアントがトリガーを引く。しかしジャイアントアントも由来不明のスプレーを顔にかけるのはマズいと思ったのか、噴射口の先はラーヴァゴーレムの腹に向けられていた。
「くらえっ!」
「あっ、うわー、やめろー、目にしみるー」
真っ赤な腹部にスプレーが噴霧される。乾いた音を立てながら、白い粉末が勢いよく吹き付けられていく。腹が白く染まり、ラーヴァゴーレムが役割通り苦しむ演技を始める――酷くぎこちない棒演技だったのは内緒だ。
その内、飛び散った粉の一部が口元にも届く。
「あっ、甘い」
唇についたその粉末を舐めとったラーヴァゴーレムが、演技を止めて反射的に呟く。それを聞いたジャイアントアントも思わず動きを止め、ラーヴァゴーレムの発言を確かめるかのようにスプレーの噴射口の周りを指でなぞってそれを舐めてみる。
「あ、本当だ。甘いです」
そしてジャイアントアントも同様の感想を述べる。そこに合わせるようにラーヴァゴーレムが声を重ねる。
「これもしかして砂糖かしら? 砂糖吹きかけるスプレーとか珍しいわね」
「不思議の国だからでしょうか?」
「少なくとも俺の周りでそんなスプレーは売ってないな」
「あら、そうなの?」
そこにサイスも参加する。彼としても、そのスプレー缶は非常に珍しいものだった。
「ああ。こんなものは見た事ない」
「なるほど。じゃあやっぱり、これも不思議の国だから出来たものなんでしょうか」
「そうじゃないかしら。本当に面白いわねここって」
それから三人はデュエルを忘れ、そのスプレーから出てくる粉末を舐めながらスプレー談義に花を咲かせた。
が、やがて何かを思いついたように、ラーヴァゴーレムがスプレー缶を見つめて口を開く。
「これ、砂糖吐くのよね」
思わせぶりにラーヴァゴーレムが呟く。次に彼女が何をしようとしているのか、それに気づいたサイスが引きつった笑みを浮かべる。
次の瞬間、ラーヴァゴーレムが彼の予想通りの台詞を吐く。
「次のダメージ表現に使おうかしら」
「もうやめてぇ!」
そのマッドハッターの悲鳴は、やけに遠くから聞こえてきた。
「本当に大丈夫かお前」
「はい。お見苦しいところをお見せしてしまいました……」
ラーヴァゴーレムの精神攻撃を察知したアンが立ち直ったのは、バトルフェイズ終了してから二分後のことだった。今でこそ平静を取り戻してはいるが、彼女の心には砂糖に対するトラウマが深々と刻まれていた。
当然誰もそのことを把握していない。下手人のラーヴァゴーレムも我関せずと言わんばかりの態度だった。
気を取り直してアンが言葉を続ける。
「で、では、まだ私のターンは続いてますからね。続けますよ」
「まあ別に構わんが、まだ手があるのか? ていうかここで何とかしないと、お前負けるぞ」
それとなくサイスが注意する。お前が呼び出したんだろうが、と同時にアポピスが小声で突っ込んだが、誰もそれに反応しなかった。
だがそんなサイスの言葉に対するアンのリアクションは、至って冷静だった。
「当然です。私にも切り札は残されているんですよ」
「ほう? それは面白そうだ。良ければ見せてもらおうか」
「いいでしょう。そんなに見たくばとくと見よ!」
アンが叫び、手札のカードを一枚引く。それをカードスロットに差し込み、眼前に出現させながら声高にカード名を宣言する。
「魔法カード、『等価交換』を発動! このカードは発動に成功した時、自分フィールドに存在するモンスターを一体選び、それを相手フィールドに送りつける効果を持つ! そして同時に、自分のライフポイントを1000ポイント回復する!」
「なっ……」
想定外の事態にサイスが絶句する。自分のコントロールするモンスターを相手に押しつける、というトリッキーな効果を、まさかこのような形で使ってくるとは思いもしなかったのだ。
「これで私のライフポイントは1800に戻ります。ダメージ効果も無駄に終わったということですね」
「そんな戦略取って来るかよ……」
そもそもそんなカードがあること自体、彼は今知ったのだった。しかし同時に彼は、そのような使い所の難しいカードをわざわざ収録してみせるこのカードゲームを「面白い」と感じ、ますます愛着を深めていったのであった。
そんなサイスに向かってアンが声をかける。
「確かこのモンスターの効果は、それをコントロールしているプレイヤーがダメージを受けるんでしたよね。私と同じ1000ポイントダメージ、次からはあなたが受けていただきますよ!」
カードを一枚伏せてターンエンド! アンがターン終了を宣言すると同時に、ラーヴァゴーレムがいそいそとサイスの側のモンスターゾーンへ移動を始める。同時にアンがラーヴァゴーレムのカードを手に取り、勢いよくサイスに投げ返す。
サイスがそれを片手で受け取る。それと並行して、ラーヴァゴーレムがサイスのモンスターゾーンの一角に陣取る。
「えへへ、来ちゃった」
「来ちゃったよ……」
今の状況を楽しむように笑顔で話しかけるラーヴァゴーレムを見ながら、サイスが思わず頭を抱える。そのサイスを見ながら、愉快そうに笑みを浮かべてアンが言葉をぶつける。
「さあ、次はあなたのターンです。ここからどう反撃していくのか、しっかり見させてもらいますからね」
「上等だ。この程度で諦めると思ったら大間違いだ!」
サイスの闘争心はまだ折れていなかった。アンも同様に、まだ勝利への欲求を捨ててはいなかった。
両社の意地がぶつかりあい、デュエルフィールドが俄然熱気を帯びていく。その熱に中てられた観客達も、固唾を飲んで次の展開を見守っていく。
「俺のターン!」
サイスがカードを引く。勝負はまだこれからだ。
「ふふん。この布陣を崩すのは簡単ではありませんよ」
「油断は禁物です。相手が何をしてくるのかまったくわからないのですから。最後まで気を抜いてはいけませんよ」
そんな彼我の戦力差を見て得意げに笑うアンを、モンスターゾーンに立つ龍が優しく諭す。アンも「それもそうでしたね」とその忠告を素直に受け入れ、顔から笑みを消して隙を無くす。そうして主の改心を見た龍は「その調子でございます」と嬉しそうに微笑み、その後自身もまた気合を入れ直してサイス達に向き直った。
一方、龍の隣にいたアポピスは不貞腐れていた。
「まったく、わらわのエンタメが理解できぬとは。不思議の国の者達も、随分と狭量な連中なのだな」
暗黒を齎すファラオの宿敵が尻尾の先を暇そうに揺らし、面白くなさそうにぶつぶつ文句を呟く。その彼女の首には小さなプラカードが下げられており、そこには『私は女王に無断で暗黒魔界を生み出そうとしました』と子供じみた丸い文字で書かれていた。文末には小さくハートマークも添えられており、これがまたアポピスの気分を害する一因となっていた。
「おまけにこんなものまでぶら下げさせおって。わらわのカリスマが台無しではないか」
「まあまあ。ここはそれだけで済んで良しとしましょうよ」
「まったく……」
それはハートの女王直筆の文章であった。騒ぎを聞きつけ遥々やってきた女王は戒めの意味を込めて、この直筆のプラカードをアポピスの首に掛けたのである。当然アポピスはそれを拒否したが、ハートの女王――魔王の娘の放つ無言の圧力には、さすがの彼女も膝を折るしかなかった。
なお女王はその後、観客席の一角に腰を降ろしてデュエル観戦を始めた。しかし観客が大勢いるのと、ハートの女王自体が小柄であったために、サイスはどこに女王が君臨しているのか把握出来なかった。魔物娘を魔力で判別するといった器用な真似も、当然ながら出来なかった。
「アンよ。こうなったらせめて、このデュエルでわらわを満足させてもらうぞ。マッドハッターならばそれくらい容易いことであろう?」
「もちろんですとも。このターン中にあなたで攻撃することは出来ませんが、次の私のターンになったら大活躍させて差し上げますから」
所変わってアポピス。彼女は前に述べた通り不機嫌であり、それを隠そうともせずにアンに注文した。その態度は子供のワガママめいたものであった。
しかしそんなアポピスに対して、当のアンはさらりと言い返してのけた。実際アンは次の自分のターンで魔法カードを使い、それでもってアポピスの能力を底上げした上で、彼女をフィニッシャーにするつもりでいた。頑張り過ぎて叱られたアポピスを救済してあげようという、彼女なりの計らいである。
「それまで辛抱ですよ。次を凌げば、それで決着ですから」
「それはどうかな?」
そこにサイスが割って入る。勝ちを確信したような物言いをするアンに対し、彼は真っ向からそう言ってのけた。アン達の視線が即座にサイスに向かい、その後三人を代表するようにアンが言葉を投げ返す。
「随分と自信満々ですね」
「ああ。逆転の手はまだ残ってるからな」
「ほう?」
「次の俺のターンにそれを見せてやるよ」
サイスの目は不気味に光っていた。追い込まれてなお勝ちを諦めない者が見せる、ふてぶてしいほど自信に満ちた目だった。
それを見たアンは思わず笑みを浮かべた。次のターン、彼はどんな手段を取って来るのだろう? 彼女は自分が負けることよりも、対戦相手がどうやって今の盤面をひっくり返すのかということに意識を傾けていた。
無論、自分が負けてやるつもりは毛頭なかったが。
「ではそれを見させてもらいましょうか。私はカードを一枚伏せて、ターンエンドです」
龍の背後に一枚伏せカードを出現させつつ、アンがターン終了を宣言する。そして即座にアンがサイスに目線を送る。
さあ、お前の秘策を見せてみろ。マッドハッターからの期待の眼差しを浴びつつ、サイスがカードをドローする。
「ドロー!」
引いたカードを確認。その後それを手札に加え、それ以前に手札に来ていたカードの一枚を静かに引き抜く。
「見せてやる。これが俺の、逆転の一手だ!」
そして指で挟んだそのカードを、勢いよくアンに向かって投げつける。いきなりの暴挙にアンは驚愕したが、すぐに正気に戻って投げられたそれを片手でキャッチする。
「あなた、いったい何を――」
「お前にはそれを召喚してもらうぜ」
マッドハッターからの非難の声を無視して、サイスがそう要求する。一方で注文をつけられたアンは、いったいどういうことかと投げられたカードを確認する。
数秒後、アンの顔から血の気が引いて行く。
「まさか、そんな」
「言っておくが、そいつの召喚は無効化出来ないぜ。さあ、始めてもらおうか!」
「くっ……!」
今の自分の手の中に、これを妨害する手段は存在しない。それにサイスがやれと言ってきているのは、ごく普通のモンスター召喚だ。
だがしかし。まさかこんな手で排除にかかるとは――!
「私は、フィールド上のモンスター二体を生贄に捧げ……!」
悔しさを滲ませる声でアンが告げる。いきなり生贄を宣告された龍とアポピスが、揃って背後を振り返りアンを凝視する。
「いきなり何を?」
「そなた、なんのつもりだ!」
「このモンスターを召喚します!」
驚き、不平を漏らす二人を無視して、アンがそのカードを召喚器の上に置く。直後、龍とアポピスの足元が真っ白に光り輝く。
「どうやら本当に、私達は揃って生贄に捧げられたようですね」
「まったく、一体なんだと言うのだ。これからと言う時に……!」
ルール上、生贄に捧げられたモンスターは墓地に行かなければならない。それを前もって教えられていた二人は、不満げながらもすごすごとフィールドから離れていく。突然の事態に戸惑い、その場に陣取って駄々をこねるような無粋な真似はしなかった。それがルールだからだ。
そうして二人が立ち去った後、その場に光の柱が出現する。その柱を苦々しく見つめながら、アンがサイスから投げ渡されたモンスターの名を高らかに宣言する。
「出でよ! レベル8、ラーヴァゴーレム!」
呼びかけに呼応するように柱が砕ける。光の粒子が飛び散り、氷の結晶のように煌びやかな輝きを放つ。
その光の中から、一体の魔物娘が姿を現す。濃い茶色と明るい橙色で象られた、灼熱の魔物娘。
ゴーレム属。ラーヴァゴーレムである。
「あれが……」
「あいつの切り札……?」
黒焦げの岩石と、その隙間を縫うように流れる赤いマグマを想起させる姿をした魔物娘を呆然と見つめながら、墓地にいたジャイアントアントとマーシャークが呟く。何が何だかわからない、と言うのが、この時の二人の心境だった。そしてそれはこのモンスターの効果を知るサイスとアン以外の全員が、等しく抱いていた心境でもあった。
そんな二人の呟きを聞いたサイスが、早速説明に入る。この時の彼の顔は心なしかウキウキしていた。
「こいつは相手フィールド上に存在するモンスター二体を生贄にし、相手フィールドに攻撃表示で召喚されるモンスターだ。もっともこれは『俺の通常召喚』扱いになるから、俺はもうこれ以上モンスターを通常召喚することは出来ないがな」
「わざわざ敵にモンスターを送り付けるんですか?」
「ああ」
「攻撃力は?」
「3000」
「たけーな」
エンジェルからの問いに答えたサイスに、マーシャークが目を剥いて言い放つ。そのまま続けてマーシャークが疑問をぶつける。
「いくら相手のモンスターを無理矢理取り除いて呼び出すにしても、攻撃力高すぎんだろ。ちょっとリスクとリターンが釣り合ってないんじゃないか?」
「大丈夫。こいつにはもう一つ、特殊能力があるんだ」
「それは?」
「このモンスターが表側表示で存在する時、相手ターン開始時に相手ライフに1000ポイントのダメージを与える」
「へえ」
マーシャークが感心した声を上げる。残りの面々も同じように感嘆の顔を浮かべた。
その後、今度はジャイアントアントがサイスに尋ねる。
「つまりあなたは、相手モンスターを取り除いた上で相手にダメージを与えるモンスターを、無理矢理呼ばせたってことですか?」
「そういうことだ。まあ相手の攻撃を凌ぐ必要もあるが、こっちもちゃんと考えてある。だから問題は無い」
現在のアンのライフは残り1800ポイント。つまり次のアンのターンを凌げば、サイスの勝利ということになる。
しかしサイスのライフも2200。これはつまり、次のターンにラーヴァゴーレムの直接攻撃を許した場合、その時点でサイスの敗北ということになる。
「ギリギリですね」
「あの時点で他に対処法無かったんだよ。ラーヴァゴーレム呼ばなかったら、どっちみち次のアンのターンで総攻撃食らって終わりだったんだから」
「つまり、少しでも勝てる方に賭けたということですね」
「ああ。せっかくだから、勝って終わりたいだろ?」
エンジェルの言葉にサイスが答える。彼の目は気合と喜びでキラキラ輝いていた。子供のように純真な目だった。
ああ、この人は本当にゲームが好きなんだな。そんなサイスを見た彼のしもべ達は、一様にそんなことを考えた。
「……というわけですので、協力していただけないでしょうか」
「そういうことか。なら別にいいわよ。不思議の国じゃ仕方ないわよね」
その頃、アンの方ではマッドハッターとラーヴァゴーレムの間で交渉が成立していた。その様をマンティスと龍は件のティータイムで飲まれていた紅茶を啜りつつ眺め、アポピスは出た端から僻地に追いやられたことに対して愚痴をこぼしていた。
「それにしても、なんで私にこんな変な効果がついたのかしら。そこまでトリッキーなことしてるつもりは無いんだけど」
「さ、さあ? どうしてでしょうね? 本当コナ……お上の考えることはわかりませんよねー?」
そして続けてラーヴァゴーレムの放った疑問に対し、アンは途端に挙動不審に陥った。唐突にそっぽを向いて口笛を吹き始める彼女を見たラーヴァゴーレムは当然のように怪訝な眼差しをマッドハッターに向けたが、その後ラーヴァゴーレムが口を開くより前にアンが彼女に声をかけた。
「それより! まだデュエルは続いているんですよ!ほら、本番に戻ってください!」
「しょうがないなあ……」
無理矢理話を逸らしてきた――そんなに突っ込まれたくないのか――アンに不審な気持ちを抱きつつ、ラーヴァゴーレムがサイス達に向き直る。それを見たサイスは先方で交渉が済んだことを察し、意識をデュエルに向け直す。
「よし、じゃあ続けてもいいか?」
「はい。これで終わりじゃあないんでしょう?」
「もちろん。俺はカードを一枚伏せてターンエンドだ」
サイスが裏側表示のカードを一枚出現させ、終了宣言をする。そしてアンのターン。彼女がターン開始宣言をすると同時に、早速ラーヴァゴーレムが動き出す。
ラーヴァゴーレムの二つ目の効果――自分のコントローラーに1000ポイントダメージを与える効果を発動するためである
「悪く思わないでね。こういう効果なんだから」
「わかってますよ。ではラーヴァゴーレムさん、それらしい行動を取ってくださいね」
「了解」
頷いたラーヴァゴーレムが、腹を括ったアンと向き直る。しかしいざ効果発動しようとした段階で、ラーヴァゴーレムが動きを止める。
これは実行していいものなのか。一応彼女の中には考えがあったが、本当にそれを実行して良いものかわからなかったのだ。
なので少し逡巡した後、ラーヴァゴーレムはまずそれを尋ねてみた。
「……直接マグマかけるのはアリ?」
「やめてください。融けてしまいます。私一応マタンゴ属ですので」
即答である。アンは頑として譲らなかった。
「ああ、そういえばあなたキノコだったっけ。じゃあどうしようかしら……」
そうしてキノコから断られたラーヴァゴーレムが、代替案を見つけようと辺りを見回す。そして墓地に視線が行った時、そこでのんびり紅茶を飲むマンティスと龍を発見する。
直後、ラーヴァゴーレムの頭に閃光が走る。
「そういえばあなた、紅茶は砂糖なしで飲むタイプ?」
唐突にラーヴァゴーレムがアンに問いかける。いきなり問われたアンは一瞬驚きながらも、すぐにそれに回答する。
「え? ええ、まあ。基本的に紅茶には何も入れないで飲みますね」
「紅茶に砂糖入れるのは邪道って思ってる?」
「まあ……そうですね。紅茶の風味を無理矢理阻害するのは、あまりいい気分ではありませんね」
「ふうん」
そこまで聞いたラーヴァゴーレムが、不敵な笑みを浮かべて舌なめずりをする。そして自分からモンスターゾーンを離れ、ゆっくりとした足取りでアン達がティータイム中に使用していた丸テーブルへ向かっていった。
何をする気だ? その場にいた全員の視線がラーヴァゴーレムに向かう。その道中でラーヴァゴーレムはマンティスに声をかけ、どれがアンの使っていたカップなのか尋ねていた。
マンティスは即答した。そしてアンのカップを把握したラーヴァゴーレムは、一直線にそのカップへ近づいた。
やがてラーヴァゴーレムがアンのカップの真ん前に立つ。アンの使っていたティーカップには、まだ黄金色の液体が半分ほど残っていた。
「見てなさい。とっておきの1000ポイントダメージよ」
言うや否や、角砂糖の入ったガラス瓶を掴む。
瓶の蓋を開ける。
ラーヴァゴーレムの行動を理解したアンが叫ぶ。
「やめなさい! それだけは――!」
「くらえ!」
ラーヴァゴーレムが叫ぶ。叫ぶと同時にガラス瓶を傾け、大量の角砂糖をティーカップの中にぶちまける。
カラカラ乾いた音を立てながら、何十個もの白い立方体が黄金色の液体へ飛び込んでいく。
それを見たアンの心がガラガラ音を立てて崩れていく。
「もっとよ! もっとぶちまけてあげる! 糖尿病になりなさい!」
「あ、あ、ああああ……!」
ラーヴァゴーレムはノリノリだった。アンがその場に崩れ落ちるのも無視して、容赦なく角砂糖を投入していく。
まさに悪魔すら声を失う残虐行為。観客の中からも悲鳴が上がり、涙を流す者さえ現れる始末だった。
サイス達もその情け容赦ない凶行を目の当たりにして、唖然とする他無かった。
「ひでえ……」
「まさに鬼畜だな」
「そこまでしなくても……!」
マーシャークが簡潔に感想を述べ、サイスが――自分で呼んでおきながら――顔をしかめ、エンジェルが顔面蒼白で悲痛な叫びを放つ。
ラーヴァゴーレムの精神攻撃は、その後しばらく続いた。
デュエル再開。満足して帰ってきたラーヴァゴーレムに気づいたアンが、多少よろめきながら立ち上がる。この時彼女は、自分のティーカップを努めて視界に入れないようにしていた。
縁から漏れ出すくらい大量の角砂糖を詰め込まれたティーカップなど、誰も見たくはないものだ。
「おい、大丈夫か?」
「大丈夫です。ちょっとクラっとしたけど、大丈夫です」
思わず声をかけるサイスに、アンが首を振りながら答える。ラーヴァゴーレムは素知らぬ風を貫いていた。
そのラーヴァゴーレムの後姿を見ながら、気を取り直してアンが声を放つ。
「で、では私はカードを一枚ドローして、その後ラーヴァゴーレムで攻撃します」
「やっぱり来るか」
「しないと私が負けるのでね」
問い返すサイスに、アンがそう言って不敵に笑う。その笑みはまだぎこちなかった。
その後再び首を振り、頭から雑念を振り払った後、アンが改めて攻撃を宣言する。
「では、私はラーヴァゴーレムでサイスを攻撃!」
「そいつの必殺技はゴーレムボルケーノだ。高らかに宣言しな!」
そこにサイスが言い返す。それにジャイアントアントが反応し、「それ公式の技名なんですか?」と尋ねる。
対してサイスは「今考えた」とあっさり言ってのける。ジャイアントアントはそれ以上何も言わなかった。
「何をデタラメ言ってるんですか。彼女の技名は私が決めます!」
即座にアンが口を開く。そして暫し無言で俯き、知恵を絞ってそれに代わる技名を必死に考える。
やがて数秒後、アンが顔を上げる。その顔には決意と覚悟がありありと浮かんでいた。
「……ゴーレムボルケーノ!」
結局何も浮かばなかった。自分の名前を技名に組み込む度胸は彼女には無かった。
アンはリアリストだった。
「ほらほら、よそ見しない! 行くわよ!」
しかし攻撃宣言は下された。事実、ラーヴァゴーレムが猛烈な勢いでサイスに迫る。
まずい! マーシャークが咄嗟に叫ぶ。だがサイスは動じない。
「リバースカード発動!」
ラーヴァゴーレムをまっすぐ見据えながらサイスが宣言する。直後、伏せられていたカードが猛スピードで起き上がる。
「罠カード、ビートルジュース!」
「えっ!?」
いきなりの伏せカードオープンに、思わずラーヴァゴーレムが立ち止まる。そして眼前で起き上がったカードの効果テキスト欄を凝視し、その一方でサイスが口頭でカードの効果を説明し始める。
「このカードは相手が攻撃してきた時に発動できる! 自分の墓地に昆虫族モンスターが存在する時、一度だけ相手モンスターの攻撃を無効化する!」
サイスが説明を終える。直後、観客席がやにわにざわつく。
同様にジャイアントアントもカードを見て驚く。そのカードのイラスト欄には、デュエリストと相手モンスターの間に立ちはだかり、両手に虫よけスプレーを持ってそれを相手に吹きかける虫型モンスターが描かれていた。
「もしかして、また私ですか?」
「うん」
「わかりました! お任せを!」
出番は忘れた頃にやってくる。しかしいきなり出番を与えられたジャイアントアントは、嫌味一つ感じさせない全く嬉しそうな顔でサイスの前までやってきた。主のために働くことに無上の喜びを感じる、ジャイアントアントの性である――「あいつチョロいな」とは、この時のマーシャークの弁である。。
そうしてサイスとラーヴァゴーレムの間に飛んできたジャイアントアントは、次に開けられたカードの下に置かれてあったスプレーを躊躇いなく手に取った。そして両腕を前に伸ばし、両手に一つずつ持ったスプレー缶をまっすぐラーヴァゴーレムに突き付ける。
「お覚悟を!」
相手の了承も待たず、ジャイアントアントがトリガーを引く。しかしジャイアントアントも由来不明のスプレーを顔にかけるのはマズいと思ったのか、噴射口の先はラーヴァゴーレムの腹に向けられていた。
「くらえっ!」
「あっ、うわー、やめろー、目にしみるー」
真っ赤な腹部にスプレーが噴霧される。乾いた音を立てながら、白い粉末が勢いよく吹き付けられていく。腹が白く染まり、ラーヴァゴーレムが役割通り苦しむ演技を始める――酷くぎこちない棒演技だったのは内緒だ。
その内、飛び散った粉の一部が口元にも届く。
「あっ、甘い」
唇についたその粉末を舐めとったラーヴァゴーレムが、演技を止めて反射的に呟く。それを聞いたジャイアントアントも思わず動きを止め、ラーヴァゴーレムの発言を確かめるかのようにスプレーの噴射口の周りを指でなぞってそれを舐めてみる。
「あ、本当だ。甘いです」
そしてジャイアントアントも同様の感想を述べる。そこに合わせるようにラーヴァゴーレムが声を重ねる。
「これもしかして砂糖かしら? 砂糖吹きかけるスプレーとか珍しいわね」
「不思議の国だからでしょうか?」
「少なくとも俺の周りでそんなスプレーは売ってないな」
「あら、そうなの?」
そこにサイスも参加する。彼としても、そのスプレー缶は非常に珍しいものだった。
「ああ。こんなものは見た事ない」
「なるほど。じゃあやっぱり、これも不思議の国だから出来たものなんでしょうか」
「そうじゃないかしら。本当に面白いわねここって」
それから三人はデュエルを忘れ、そのスプレーから出てくる粉末を舐めながらスプレー談義に花を咲かせた。
が、やがて何かを思いついたように、ラーヴァゴーレムがスプレー缶を見つめて口を開く。
「これ、砂糖吐くのよね」
思わせぶりにラーヴァゴーレムが呟く。次に彼女が何をしようとしているのか、それに気づいたサイスが引きつった笑みを浮かべる。
次の瞬間、ラーヴァゴーレムが彼の予想通りの台詞を吐く。
「次のダメージ表現に使おうかしら」
「もうやめてぇ!」
そのマッドハッターの悲鳴は、やけに遠くから聞こえてきた。
「本当に大丈夫かお前」
「はい。お見苦しいところをお見せしてしまいました……」
ラーヴァゴーレムの精神攻撃を察知したアンが立ち直ったのは、バトルフェイズ終了してから二分後のことだった。今でこそ平静を取り戻してはいるが、彼女の心には砂糖に対するトラウマが深々と刻まれていた。
当然誰もそのことを把握していない。下手人のラーヴァゴーレムも我関せずと言わんばかりの態度だった。
気を取り直してアンが言葉を続ける。
「で、では、まだ私のターンは続いてますからね。続けますよ」
「まあ別に構わんが、まだ手があるのか? ていうかここで何とかしないと、お前負けるぞ」
それとなくサイスが注意する。お前が呼び出したんだろうが、と同時にアポピスが小声で突っ込んだが、誰もそれに反応しなかった。
だがそんなサイスの言葉に対するアンのリアクションは、至って冷静だった。
「当然です。私にも切り札は残されているんですよ」
「ほう? それは面白そうだ。良ければ見せてもらおうか」
「いいでしょう。そんなに見たくばとくと見よ!」
アンが叫び、手札のカードを一枚引く。それをカードスロットに差し込み、眼前に出現させながら声高にカード名を宣言する。
「魔法カード、『等価交換』を発動! このカードは発動に成功した時、自分フィールドに存在するモンスターを一体選び、それを相手フィールドに送りつける効果を持つ! そして同時に、自分のライフポイントを1000ポイント回復する!」
「なっ……」
想定外の事態にサイスが絶句する。自分のコントロールするモンスターを相手に押しつける、というトリッキーな効果を、まさかこのような形で使ってくるとは思いもしなかったのだ。
「これで私のライフポイントは1800に戻ります。ダメージ効果も無駄に終わったということですね」
「そんな戦略取って来るかよ……」
そもそもそんなカードがあること自体、彼は今知ったのだった。しかし同時に彼は、そのような使い所の難しいカードをわざわざ収録してみせるこのカードゲームを「面白い」と感じ、ますます愛着を深めていったのであった。
そんなサイスに向かってアンが声をかける。
「確かこのモンスターの効果は、それをコントロールしているプレイヤーがダメージを受けるんでしたよね。私と同じ1000ポイントダメージ、次からはあなたが受けていただきますよ!」
カードを一枚伏せてターンエンド! アンがターン終了を宣言すると同時に、ラーヴァゴーレムがいそいそとサイスの側のモンスターゾーンへ移動を始める。同時にアンがラーヴァゴーレムのカードを手に取り、勢いよくサイスに投げ返す。
サイスがそれを片手で受け取る。それと並行して、ラーヴァゴーレムがサイスのモンスターゾーンの一角に陣取る。
「えへへ、来ちゃった」
「来ちゃったよ……」
今の状況を楽しむように笑顔で話しかけるラーヴァゴーレムを見ながら、サイスが思わず頭を抱える。そのサイスを見ながら、愉快そうに笑みを浮かべてアンが言葉をぶつける。
「さあ、次はあなたのターンです。ここからどう反撃していくのか、しっかり見させてもらいますからね」
「上等だ。この程度で諦めると思ったら大間違いだ!」
サイスの闘争心はまだ折れていなかった。アンも同様に、まだ勝利への欲求を捨ててはいなかった。
両社の意地がぶつかりあい、デュエルフィールドが俄然熱気を帯びていく。その熱に中てられた観客達も、固唾を飲んで次の展開を見守っていく。
「俺のターン!」
サイスがカードを引く。勝負はまだこれからだ。
17/03/08 19:09更新 / 黒尻尾
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