読切小説
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地獄のやさしい番犬
 深夜、寝つけなかったので外に出てみたら、住処にしている洞窟の入口前をガキが歩いていた。
 ボロ布を身に着けただけの、ガリガリにやせ細ったみすぼらしいガキだ。そいつが俺様の住処の前を、とぼとぼ歩いていたのだ。
 
「おい、待ちなガキ」
「ひっ……!」
 
 俺様が声をかけると、ガキはあからさまに怯えてみせた。その場で立ち止まり、全身を震わせてこちらを上目で見つめてくる。弱者が主人のご機嫌を伺うような、卑屈な態度だった。
 その姿が哀れに思えた、違う、その弱弱しい姿が気に入った。俺様のものにしよう。そう思った俺様は、他人に見つかって横取りされると困るので、さっさと背負って家に連れて帰ることにした。
 背中におぶろうと体を動かす間も、ガキは抵抗する素振りを見せなかった。俺様の恐ろしさにビビッて声も出ないようだ。いい気味だ。
 心が痛んだりはしていない。
 
 
 
 
 ガキを家に連れ帰った後、まずは風呂に入れることにした。臭いがひどく、至る所に血がこびりついていたので、そいつを熱湯で削ぎ落としてやるのだ。ついでに外に出る前に、身なりもまともなものにしておこうと思った。
 言っておくが、これは優しさではない。今から俺様のような気高い獣と共に歩む者が、薄汚い格好をしているのが気に食わなかったからだ。それだけなのだ。
 
「そんな酷い格好してねえで、まずはそれを脱ぎやがれ」
「い、いや、やめてください。見ないでください……!」
 
 そう思った俺様が服を脱がせようとすると、ガキは嫌がって抵抗してきた。こちらが力を入れると、向こうもますます抵抗を強めていった。
 俺様は少しカチンときた。たかが人間の膂力で、ヘルハウンドに勝てると思っているのか。現に俺様がほんのちょっと力を入れるだけで、ガキは尻餅をついたきり動かなくなった。
 ちょっと肩を押しただけなのに、倒れたガキの顔は恐怖に歪んだ。実にそそられる顔だ。俺様の嗜虐心が喜びに満ちていく。
 ……別に心にチクっときたりはしていない。本当だ。地獄の番犬ヘルハウンド様は、この程度で心を痛めたりはしないのだ。
 
「やだ……見ないでください……」

 そうして動かなくなったガキの服を剥ぐと、ガキは咄嗟に両手で胸を抱き、背を丸めた。そこまで自分の体を見せたくないというのか。しかしそうして前を隠そうとすると、代わりに背中が丸見えになる。
 背中は痣と切り傷だらけだった。何か熱いものを押しつけられたのか、ミミズ腫れのようなものまであった。「転びました」程度でつくような傷じゃないのは明らかだ。
 それを見た瞬間、俺様の心に怒りが沸き上がった。ガキの受けた仕打ちに悲しみを覚えたのではない。こいつをこんな目に遭わせていいのは俺様だけなのだ。そう思ったから怒ったにすぎないのだ。
 いいからそういうことにしておけ。ヘルハウンド様が人間如きに憐憫の情を抱くわけ無いだろうが。
 
「ビビるな。俺様はそんなことしねえよ。あとそいつに着替えとけ。そんなボロっちいの、服ですらねえよ」

 体を丸めて怯えるガキに替えの服をやりながら、優しく声をかける。これもこいつを油断させて、俺様に甘えさせて隙を作り出すという、高度な作戦に基づく行動だ。ちなみにこの時やった服は、前にここを通りかかった行商人から譲ってもらったものだ。
 
「い、いいんですか? ぼくなんかが、こんな上等がお洋服……」
「いいから着やがれ。お前はもう俺様のものなんだ。俺様の言う通りにしてりゃいいんだよ」

 案の定、ガキはもらった服をおずおずと着ながら、警戒を解いてこちらにゆっくりと顔を向けてきた。
 
「うわあ、あったかい……ありがとうございます……」
 
 目に涙を溜めたその顔は、明らかに弱り切っていた。
 胸が張り裂けそうだった。
 
「とにかく、まずは風呂に入るぞ。今のお前酷すぎるぜ」

 それを誤魔化すために、俺様はわざと強い口調で言い放った。そんな顔すんじゃねえ。こっちまで悲しくなってくる。

「……いいのですか? ぼくごときがお風呂だなんて……」

 それに対して、ガキはきょとんとした顔で言ってのけた。この野郎、骨の髄まで奴隷根性が染みついてやがる。
 俺様はもう我慢ならなかった。自分の感情を口で言うのも面倒だったので、俺様はそいつを再び背に担いで住処の外に出た。馴染みの風呂場に連れていくためである。
 ガキの返事は待たなかった。お前は黙って俺様に従ってればいいんだ。
 
「どうしてですか? どうしてぼくなんかを」
「うるせえ」

 道中、ガキが恐る恐る話しかけてきた。答える義理は無かったので、俺様は足を速めて相手の口を物理的に閉ざすことにした。
 その試みは成功した。風の壁にぶち当たり、ガキはすぐに黙った。振り落とされまいと、必死に俺様にしがみついた。
 それでいい。お前くらいの年頃のガキは、それでいいんだよ。
 
 
 
 
 その風呂場は野外に設置されていた。露天風呂というやつだ。もちろん混浴も可だ。
 と言っても、誰かが金目当てに開いたのではない。元からそこに沸いていた温泉の横に、どこかの物好きが自腹で脱衣所と休憩場所を設け、誰もが気軽に使える共同浴場としてオープンさせたのである。風呂は基本無料で、風呂場の掃除もここの周りに住んでる連中が気の向いた時にやっている。
 しかしさすがに、この時間帯は人気が無かった。午前三時にわざわざ風呂に入ろうとする奴はそうはいない。当然ながら番頭の類もいない。誰でも出入り自由ってわけだ。
 俺様にとっては、まあそれは好都合でもあったが。変な噂が立たずに済む。俺様はさっそくガキと一緒に脱衣所に入り、服を脱いで風呂に向かった。まあ俺様は基本的に全裸だから、脱ぐのはガキだけなわけだが。
 
「ほら、体洗ってやるからそこに座れ」
「は、はい」

 広々とした浴場の一角にガキを座らせ、俺様がその後ろにつく。全裸になったガキは顔を赤くして恥ずかしがりながらも、目を皿のようにして首を動かし、周りの風景をまじまじと見まわしていた。こういう場所に来るのは初めてなのだろうか。
 俺様はちょっと気になった。同時にちょっとだけ悲しくなった。
 
「よーし、動くんじゃねえぞ。今から俺様が洗ってやるからな」

 そんな気持ちを振り払うように、俺様が声高にガキに宣言する。そう言われたガキはすぐに顔を正面に戻し、ガチガチに固まって動かなくなった。
 たかが風呂でそんな緊張するんじゃねえよ。俺様が呆れるように言うと、ガキはなおも体を硬くしたまま口を開いた。
 
「ごっ、ごめんなさい……誰かの体を洗ったりはするんですけど、洗ってもらうのは、初めてで……」
「体洗ったことねえのか?」
「奴隷がお風呂に入れるわけ、ないじゃないですか」

 ガキがぽつりと呟く。予想はしていたが、本人の口から聞かされるとクるものがある。俺様は何も答えず、黙って近くにあった石鹸を手に取った。
 ……断っておくが、これから俺様がするのは身の毛もよだつ虐待の数々である。そういう胸糞悪い行為が嫌だってやつは、素直にここで切り上げるべきである。
 虐待って言ったら虐待なんだからな。文句言うんじゃねえぞ。
 
「楽にしてろ。今綺麗にしてやるからな」

 石鹸を使って両手を泡だらけにした後、俺様はそう言ってからガキの体をゴシゴシ擦り始めた。爪で肌を引っかいたりしないよう、念入りに手を動かしていく。ガキは最初体を硬くしていたが、やがて観念したのか、もしくは気持ちよくなってきたのか、俺様の言う通りに肩の力を抜いて背中を少しずつ丸めていった。後者だったら嬉しい限りだ。
 
「どうだ? どこか痒いところは無いか?」
「だ、大丈夫です。全然平気です」

 優しくされるのに慣れてないのか、ガキが躊躇いがちに答える。俺様はそれを受け、そのままの調子で体を洗っていく。背中を泡だらけにした後、続けて腕を力任せに持ち上げ、そこを泡で汚していく。続けて首、肩、脇、胸、腹、股間から足までをも泡で覆っていく。
 肉付きは薄く、肋骨が皮膚の上からうっすらと浮き上がっていた。満足に食べることすら出来なかったのだろう。よく見ると背骨すらほんの僅かに浮き上がってきていた。
 そこをそっと撫でながら、俺様はこいつの「飼い主」に静かな怒りを燃やしていった。俺様が主だったら、絶対こんなことにはさせない。絶対にだ。
 
「よし、じゃあ流してやる。熱いのいくからちょっと我慢してろよ」
「は、はいっ」

 そうして体を隅々まで洗った後、俺様はそう言って桶を持ち、温泉から湯をすくってそれをガキにぶちまけた。肩の上に桶をやり、そこからゆっくり静かに湯を流し落としたのだ。
 熱い、という言葉にガキは再び体を硬くしたが、そうしてゆっくり流されていく湯の感触を受け、その態度を再度軟化させていく。どうやら痛めつけられるわけではないとわかって、安堵しているようだった。その素直な態度、俺様は嫌いじゃないぜ。
 
「よし、大分綺麗になったな」

 その後、慎重に泡を流した俺様は、すっかりピカピカになったガキの体を見て満足げにそう言った。ガキの方も血と臭いが洗い流された自分の姿を見て、感動したように目をキラキラさせていた。
 そんな姿を見ていると、俺様まで嬉しくなってくる。虐待のしがいがあるってものだ。
 
「次は頭洗うぜ。目閉じてろ」
「はい」

 そんな感動しているガキに向かって、俺様が再び声をかける。ガキの方も慣れてきたのか、素直に俺様の言葉に従ってぎゅっと目を閉じた。そんな姿に俺様は充足感を覚えつつ、桶に残った湯で手についた泡を洗い流してから、泡立て直して髪を洗い始めた。
 ガキの髪は針金のようだった。全体がゴワゴワとしていて、髪の毛の一本一本に汚れがこびりついているようだった。頭皮の方など言うまでもない。ここまで放置してやがったのか。俺様はそんな怒りをいだきつつ、気を引き締めて頭を洗い始めた。
 ガキの頭髪は最初の方こそガチガチだったが、丁寧に濡らして泡でごしごししてやると、だんだんと水気を含んで萎れてきた。そうなれば後は簡単だ。俺様は体を洗う時と同じように、爪で頭皮を傷つけたりしないよう、特に神経を使ってガキの頭を洗っていった。
 
「かゆいところがあったら言えよ。遠慮すんじゃねえぞ」
「はいっ」

 俺様からの問いかけに、ガキはぎゅっと目を瞑りながら答えた。ガキは嫌がる素振りは見せず、最後までなすがままだった。
 そうこうしているうちに、ガキの頭も泡だらけになった。これくらいでいいだろうと思い、さっきと同じように桶で湯をすくい、それを頭にぶちまける。
 熱いけど我慢しろよ。当然そう注意するのも忘れない。誇り高きヘルハウンドは、弱者への心遣いを忘れてはならないのだ。
 
「おお、中々サマになったじゃねえか」

 そうして頭をゆすぎ終えた後、すっかり綺麗になったガキを見て俺様は大きく頷いた。最初見た時とは大違いだ。ガキの方もまた、こびりついていた汚れを根こそぎ落とされたことで、心なしか晴れやかな表情を浮かべていた。
 
「どうだ? さっぱりしたか?」

 そんなガキに、それとなく声をかけてみる。するとガキはすぐにこちらに振り向き、喜びに満ちた顔で「はい!」と大きく頷きながら答えた。
 
「あっ、ありがとうございます。生まれ変わったみたいです!」
「そうか、そうか。それなら良かった。ちゃんと俺様に感謝しろよ?」
「はい!」

 俺様からの問いかけに、ガキは再び素直に頷いてみせた。ああ、良かった。その顔を見た俺様も、自然と頬を綻ばせていく。
 これは自分の作戦が上手く行ったことに対する笑みであり、決してガキが笑ったことを喜んでいるわけではない。勘違いしないように。
 
「あっ」

 ガキの腹から間の抜けた音が聞こえてきたのは、まさにそんな時だった。緊張が抜けて、その拍子にそれまで抑圧していた本心からの欲求を漏らしてしまったんだろう。自ら腹の虫を鳴かせてきたガキは途端に怯えた顔になり、全身びくびくさせながら俺様の方を見つめてきた。
 
「あの、ご、ごめんなさい。ぼく、別におなかはすいてませんから。全然平気ですから」

 今にも泣きそうな顔で、必死に懇願してくる。それまで笑みを見せていたのが嘘のような怯え顔だ。
 
「許してください。お願いですから。もうぶたないでください、なんでもしますから……!」
 
 このガキ、今まで飯を求めることすら許されていなかったのか。目の前のガキがそれまで置かれていた状況を理解するにつれ、俺様は怒りを通り越して「呆然」と言うべき感情を抱き始めていた。
 
「いや、いや、いやだよぉ……っ」
「はあ……」

 心の底から恐怖を抱くガキに対し、俺様は無意識のうちにため息をついた。そして俺様はその場で石のように固まるガキの肩に手を置き、びくりと体を震わせるガキに対して声をかけた。
 
「ウチに帰るぞ。メシを食わせてやる」
「えっ?」

 出来るだけ優しく。相手の心を落ち着かせるように穏やかな声でガキに話しかける。
 
「俺様がお前のためにメシを作ってやるって言ってるんだよ。文句あんのか?」
「で、でも、ぼくのためにそんな」
「俺様がしたいって言ってんだよ! つべこべ言うんじゃねえ!」

 なおも躊躇うガキを一喝する。怒られることには慣れてないのか、ガキはそれ一発で簡単に委縮してしまった。そうそう、聞き分けの良いガキは大好きだぜ。
 しかし同時に罪悪感が芽生えた。こいつを怒鳴りつけるのはほどほどにしておこう。俺様は気高いヘルハウンド、こいつを拷問してた屑共とは根底から違うのだ。
 
「わかったらとっとと帰るぞ。それともゆっくり風呂に浸かって、それから帰りたいか?」
「いえ、あの、あなたのお好きな方で大丈夫です……」
「お前の好きな方でいいよ。どうする? 残るか、帰るか?」
「あ、ああ、うう……」

 唐突な二者択一に、ガキはあきらかに動揺してみせた。おそらく自分で選ぶ権利も剥奪されて生きてきたのだろう。いきなり与えられた自由に戸惑い、どうすればいいかわからずにいたようであった。
 
「じゃ、じゃあ、今すぐ帰ります……」

 それからたっぷり悩んだ挙句、ガキはこのまま直帰することを選んだ。俺様の提案に合わせた方が、後々こじれずに済むとでも思ったのだろうか。
 世話の焼けるガキだぜ。俺様は内心毒づきながら、ガキの手を引いて風呂場を後にした。
 
 
 
 
 メシと言っても、俺様が作れるのは肉の丸焼きくらいだ。野菜は適当に切ればそれで済むし、魚は串に刺して丸焼きにすればいい。趣向を凝らすつもりは無い。他の奴らがどう思っているかはわからないが、俺様としては食えればいいのだ。
 
「お前はどっか適当に座ってろ。俺様が作ってやるからよ」

 住処にしている洞窟まで帰ってきた俺様は、その入口近くでガキを待たせた後、一度中に入って串と生肉と薪の束を持って戻ってきた。そしてガキの前で焚き火を始め、火がついたのを見てから串を肉に刺していった。肉を貯蔵しておいてよかったと思ったのは、これが初めてだった。
 
「あの、何かお手伝いすることはありませんか?」

 そうして肉を串に刺していると、ガキが落ち着かない様子で話しかけてきた。別にこれくらい俺様だけでも出来るが、視界の隅でそわそわされるのも目障りだった。
 
「じゃあお前、火の様子を見とけ。火が弱くなったら薪をくべるんだ。それくらい出来るだろ?」

 だから適当に仕事をやった。それだけなのに、ガキは目を輝かせて「お任せください!」と言ってのけた。この奴隷はくつろぐということを知らないらしい。
 それから二人で作業を進めた。ガキはちゃんと火の番をこなし、おかげで俺様も肉の準備に意識を集中することが出来た。
 こういうの、共同作業って言うんだっけ。俺様はそんなことを考えながら、すっかり大きくなった火の周りに肉つきの串を刺して行った。
 別にときめいたりはしていない。作業を分担することで手間が省けたことに喜びを感じたりはしたが、決してときめいたりはしていない。
 
「そろそろいいかな」
「わあ……!」

 肉がじわじわ焼けていき、焼けた表面から肉汁が香ばしい匂いと共に漏れ出していく。ガキは呆けたように口を開け、目を輝かせてその光景を凝視していた。口の端からは涎すら垂らしていた。
 そんな反応をされれば、俺様としても用意した甲斐があるというものだ。俺様はガキの素直な態度に大いに満足した。
 
「よし、もういいだろう」

 それから少し経った後、肉が十分焼けたと見た俺様は、串の一つを手に取ってガキに差し出した。その串は持ち手の部分が熱を通さない素材で作られているので、ガキが火傷することは無かった。
 
「ほら、食えよ」
「は、はい」

 それを受け取ったガキは、しかしすぐには口をつけなかった。串を持ったまま、じっとこちらを見つめてきていた。俺様は一つため息をついてから、投げ遣りな調子で「食ってもいいよ」と許可を出す。
 ガキはそれを聞いた瞬間、喜びに満ちた顔で肉に噛みついた。よほど腹が減っていたのか、俺様が見ていることも忘れ、無我夢中で肉を貪り始めた。口から涎と肉汁の混ざった液体が漏れ出し、自分の服を汚していく。ガキはそれすら気にすることなく、鼻息荒く肉を頬張っていく。
 
「うっ、ふぐっ、ううっ……!」

 そして肉を食べながら、ガキは涙を流して嗚咽すら漏らしていた。今までどんな状況に置かれていたのか、考えたくもなかった。
 
「好きなだけ食えよ」

 俺様はそれしか言えなかった。ガキは何度も頷き、最初の肉を食った後、迷うことなく二本目の串に手を伸ばした。俺様の許可を得ようとすらしなかった。それほどまでに腹が減っていたのだろう。ガキはそれまで満たせなかった食欲を満たそうとするかのように、涙を流しながら次々肉を平らげていった。
 いいぜ、全部食っちまえ。俺様は知らず知らずのうちに、優しい眼差しをガキに向けていた。ガキが人間らしさを取り戻していく、それがたまらなく嬉しかったのだ。
 
「満足したか?」

 そしてガキが肉を全て食いつくした後、俺様はそのガキに向かって優しく話しかけた。十分腹を膨らませて満足そうに笑みを浮かべていたガキは、俺様からのその言葉に対して大きく頷いた。
 
「はい。ありがとうございます」

 両の頬には涙の跡が刻まれていた。そしてそれだけ泣いたのに、目元にはまだ涙が溜められていた。少年は今にも再び泣き出しそうな顔で、それでも笑みを見せながら口を開いた。
 
「ここまでお腹いっぱいになったの、生まれて初めてです……ありがとうございます……」
「そうかよ」

 心からの感謝の言葉に、俺様は思わず恥ずかしくなってしまった。おかげでぶっきらぼうな声をかけてしまったが、ガキはそれにも構わず俺様に感謝の眼差しを向けて来ていた。
 
「本当に……本当に、ありがとう……」

 そして感極まるあまり、ガキはそこまで言って再び泣き始めた。言葉すら紡げず、口から洩れるのはただ嗚咽だけだった。ただの肉の丸焼きを食っただけなのに、そこまで感動できることだったのか。
 おそらくそうなのだろう。その程度で泣いてしまえるほどに、ガキの置かれていた環境は劣悪極まりなかったのだ。そう考えた俺様の心は、途端に強い痛みを覚えた。心臓が絞めつけられて、息が詰まる思いだった。
 
「安心しな。俺様が守ってやるから」

 そして気づいた時には、俺様は無意識の内にそんな台詞を吐いていた。理性から出た言葉では無かったが、その宣言は決して不愉快では無かった。
 むしろ望む所だった。
 
「俺様がお前を守ってやる。お前を傷つける奴は、一人残らず蹴散らしてやる。だからもう泣くんじゃねえよ」
「え……?」
「それだけだ。今日はもう寝るぞ」

 聞き直そうとするガキに、俺様はぶっきらぼうな言葉を返した。あんな台詞は二度と言ったりしねえ。俺様だって恥ずかしいんだよ。そう思いながら、俺様はゆっくりと立ち上がった。
 しかし俺様が洞窟に戻ろうと歩き始めたところで、唐突にガキが後ろから声をかけてきた。
 
「寝るって、えっ? ぼくがあなたと一緒に寝るってことですか?」
「そうだよ。他に何があるんだよ」
「でも……ぼくのような下賤な者が、同じ場所で寝るなんて……やっぱり、ぼくは外で休みます」

 ガキはどこまでも卑屈だった。あるいはそう受け答えをするように調教されているのか。
 ムカつく。はらわたが煮えくり返って爆発しそうになる。俺様は歩みを止め、肩越しにガキを見ながら、その怒りのままに言葉を放った。

「いいから一緒に来い! お前はもう俺様のモノなんだよ!」
「あっ……」
「口答えすんじゃねえ! 二人で寝るっつったら寝るんだ!」
「……はい!」

 これ以上の問答をさせないように、強い語調で叫ぶ。しかし怒鳴られたガキは一瞬キョトンとした後、すぐに笑みを見せながら大きく頷いた。そしてまた泣き笑いの顔を浮かべつつ、とことこ俺様のもとに駆け寄ってきた。
 まったく、何回泣けば気が済むんだこいつは。俺様は心の中でそう毒づきながら、ガキと横並びになって洞窟の中に入っていった。
 まあ、悪い気はしなかった。
 
 
 
 
 あいにく俺様は、ベッドのようなものは使わなかった。洞窟の隅に藁を敷いて、その上で体を丸めて眠るのが常だった。しかし俺様はここに来て、このガキに同じことをさせることに抵抗を覚えた。奴隷時代に同じ目に遭ってないか、少しだけ――ほんの少しだけ不安になったのだ。
 
「全然平気です。ぼくはもう慣れっこですから」

 俺様の懸念は当たっていた。しかしガキは、ここでも遠慮がちな態度を取った。ベッドを持っていないことをここまで恨めしく思うのは初めてだった。
 ならせめて、こいつが寂しくならないようにしよう。俺様はそう思い、一つ提案をした。
 
「じゃあ一緒に寝ようぜ」
「えっ」

 ガキは驚いた顔で俺様を見つめてきた。なんでそんなことするのか。俺様を見るガキの両目はそう告げていた。
 
「俺様がしたいからするんだよ。文句あるか?」

 それに対して、俺様はそう答えた。お前を寂しくさせたくないからだ、などとは恥ずかしくてとても言えなかった。
 
「ほら、いいから横になれ。早くしな」
「は、はいっ」

 そんな本心を悟られまいと、口調を荒げてガキを催促する。案の定ガキは肩を震わせ、俺様の命令通り藁の上に横になった。それを見た俺様は満足して頷き、そのガキの隣に横になる。
 そしてガキの体が冷えないよう、背中に手を回してその痩せぎすの体を抱き寄せる。

「ひゃっ」

 無理矢理抱き寄せられたガキが、女じみた悲鳴を上げる。俺様はそれを無視して背中に回した腕に力を込め、より一層自分とガキを密着させる。
 
「な、なにを?」
「こうした方が、お前も風邪ひかなくて済むだろ?」

 疑問を口にするガキに、俺様はそう答えた。自分でもびっくりするくらい優しい声だった。ガキはしばらく体を硬くしていたが、やがて力を抜き、俺様に身を預けてきた。
 それでいい。そのまま俺様に甘えてこい。
 
「どうして」

 そんな時、不意にガキが問いかける。
 
「どうしてここまで、ぼくに構ってくれるんですか」

 俺様は何も答えなかった。そんな俺様に向かって、ガキが続けて口を開く。
 
「奴隷の生活に耐えられなくなって、家から逃げた根性無しのぼくに、どうしてここまで優しくしてくださるんですか?」
「……」

 何も言わず、ガキを強く抱き寄せる。そしてそれを言おうか少し迷った後、ガキの顔を見下ろしながら思い切って口を開く。
 
「あんなボロボロになってさまよってる奴、放っておけるかよ」
「……それだけで?」
「それで十分だろ?」

 そう言って、にかっと笑って見せる。
 
「人間は弱っちいからな。強いヘルハウンド様がちゃんと守ってやらないと駄目なんだ」
「守って、くれるんですか?」
「当たり前だろ。俺様に任せておけ――何があっても俺様が守ってやる。約束だ」
「……ッ!」
 
 それを見たガキは顔をくしゃくしゃに歪め、俺様の胸に顔を埋めて大声で泣き始めた。
 今まで抱え込んでいた恐怖や苦痛、絶望を全て吐き出すかのように、滝のような涙を絶叫と共に流し続けた。
 
「いいぜ、好きなだけ泣きな」

 心の中で母性が芽生え始める。こいつは俺様が守る。そんな気持ちが、愛しさと共にどんどん膨らんでいく。
 二度とこいつを泣かせたりしない。泣きじゃくるガキの頭を優しく撫でながら、俺はそう固く誓うのだった。
 
 
 
 
 それから、俺様はこのガキと一緒に暮らしている。俺様は「お前は何もしなくていい」と常々言っているのだが、ガキの方は守られっ放しなのが気に食わないらしく、何かにつけては俺様の手伝いをしている。
 
「別にいいって言ってるだろうが。お節介焼きめ」
「ぼくにも手伝わせてください。あなたに恩返しがしたいんです」
「恩を売ったつもりはねえぞ」
「あなたにその気がなかったとしても、ぼくにはあるんです。お願いします」
「やれやれ」

 ガキは結構頑固な性格だった。やると言ったら梃子でも動かない奴だったのだ。まあ俺様の邪魔はしないので、俺様も奴の好きなようにやらせている。実際あいつは細かいところに目が行き届くし、頼りになる。それに二人で家事や狩りをするのは、中々に楽しいものがある。

「そこまで言うなら、俺様もお前をこき使ってやるからな。覚悟しとけよ?」
「はい! お任せください!」

 俺様からの発破に元気に答える。まったく、ここまで従順になられたら、ますます可愛がりたくなるじゃねえか。
 そんなことを思いながら、俺様はいつものようにガキと並んで洞窟の外に飛び出した。俺様が獣を狩って、ガキが茸や山菜を採る。いつもの分担作業だ。火山地帯にも、食える植物はいくらでも生えているのだ。
 
「おいガキ、絶対に俺様から離れるんじゃねえぞ」

 山へ向かう最中、俺様がガキに声をかける。ガキはそれを聞いて、満面の笑みでこちらを見ながら大きく頷いてみせる。
 
「もちろんですよ。ぼくはもう、あなたのものなんですから」
「その通りだ。お前は俺様のものなんだからな」

 だから絶対に、お前を離したりしねえよ。
 心の中でそう呟きつつ、口では全く違う台詞を吐く。
 
「おら! ぼさっとすんな! さっさと済ませてさっさと帰るぞ!」
「はい!」

 ガキが元気よく答える。俺様もそれを聞いて気分を高揚させ、二人並んで山への道を駆け抜ける。
 絶対にお前を幸せにしてやる。そう柄にもないことを考えながら、俺様はガキと一緒に狩りを始めるのであった。
16/10/30 21:42更新 / 黒尻尾

■作者メッセージ
土日のテンションで書きました

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