春と坑道
ダンカンの家にそのコボルドがやって来たのは、今から五年前のこと。彼がまだ六歳の時であった。
仕事を終えて夕暮れ時に帰ってきた彼の父が、彼女を引き連れて家の中に入ってきたのである。
「この子が今日からウチで住むことになったコボルドだ。よろしく頼むぞ」
そして父はそう言って、リビングまで連れてきたその魔物娘を家族に紹介した。それから父は隣にいた彼女の肩に手をやり、自分の母と息子に名前を名乗るよう告げた。
「さ、自己紹介しなさい」
「は、はいっ」
頷いたコボルドは緊張で震えていた。そして彼女は体を硬くしたまま、若干震える声で己の名を告げた。
「私はしゃ、シャウナと申します。この度、こちらのお父様のところで厄介になることになりました。ふつつかものですが、よろしくお願いしますっ」
シャウナと名乗ったそのコボルドは、そう言って勢いよく頭を下げた。それを見たダンカンとその母は暖かい拍手で応え、父もまた笑って彼女の肩を軽く叩いた。
その場に満ちる穏やかな空気は、シャウナの緊張を少しずつ解していった。そして肩の力を少しずつ抜いていったシャウナに対し、ダンカンの父はにこやかに告げた。
「今日からお前は、俺達の家族の一員だ。ここに来たばかりで慣れないことも多いだろうが、困ったことがあったら俺達に何でも聞くんだぞ」
「そうよ、シャウナ。遠慮しなくていいんだからね。ダンカンも、ちゃんとシャウナに優しくするのよ? 邪険にしたり、いじめたりしたら駄目ですからね?」
父に続けて母が口を開く。そして母にそう言われた幼いダンカンは、新しい家族に対する見栄から元気よく声を張り上げた。
「もちろん任せてよ! ぼくがシャウナの面倒ちゃんと見る! 何があっても、ぼくがシャウナを守るよ!」
「あら、本当? 頼もしいわね。それじゃあシャウナ、何かあったら、まずはダンカンに聞いてみなさい。この子もこう言っていることだし」
「そうだな。ダンカンなら安心だな。シャウナ、そういうわけだから、そんな感じで頼むぞ」
ダンカンの両親は、そんな彼の宣言を言質として受け取った。二人はシャウナの面倒を体よくダンカンに押しつけ、そしてそう言われたシャウナもまた、その眼を期待に輝かせながらダンカンに言った。
「わかりました! それではダンカン様、明日からよろしくお願いしますねっ!」
「うん! ぼくに任せて!」
シャウナからの全幅の信頼を受け、ダンカンが元気一杯に声を返す。シャウナもまたそれを聞いて安心したのか、ダンカンを見ながら大きく首を縦に振った。
そんな微笑ましい二人の姿を見て、ダンカンの両親もまた嬉しそうに頬を緩めた。それからシャウナを加えた四人は同じテーブルで夕食を済ませ、そこでダンカンは早速シャウナの面倒をあれこれ見始め、シャウナもまた戸惑いながらも彼の好意を受け入れた。
「あの二人、うまくやっていけるみたいね」
「そうみたいだな。これであいつも、少しは寂しさを紛らわせてくれればいいんだが」
そんな二人を見ながら、両親は小声で言葉を交わした。二人の会話はダンカン達には聞こえなかったが、幼い少年とコボルドはそんな彼らの密談などお構いなしに二人だけの世界に没頭していた。
ダンカンには友人がいなかった。鉱山で働いている彼の父は仕事中の事故で片目を潰しており、そのことを冗談半分でからかってくるクラスメイト達に本気で激昂して以来、彼は学校の中で浮いた存在として扱われていた。同級生たちは単にじゃれ合うつもりで言ったのだが、ダンカンはどんな理由であれ自分の父が侮辱されるのが許せなかったのだ。しかしそんな生真面目な彼の態度が、周囲の不興を買う結果になった。
それ以降、彼は孤立した。直接いじめられていたわけではない――幼いころから父の仕事を手伝っていた彼は平均以上の筋肉を身につけていたので、誰も彼に逆らおうとしなかった――が、代わりに彼は意識して避けられていた。何をするにも一人であったが、ダンカン本人はそのことで悩んだりせず、前向きに日々を生きていた。
だが彼の両親は、ダンカンにいらぬ気苦労を負わせていることに強い自責の念を感じていた。どうにかして彼に友人を作らせてやりたい。かといって、ここを離れて別の町に移るだけの金銭的余裕もない。半ば手詰まりの状況に、日々悶々としていた。
ダンカンの父がシャウナを見つけたのは、そんな時だった。シャウナは魔物娘の本能に従って人間の「御主人様」を探してこの町まで来ており、そして彼女がコボルドの本能から鉱山の入口まで来たとき、仕事を終えて帰ろうとしていた父とばったり出くわしたのだ。
「じゃあぼくがこの坑道を案内するから、シャウナはぼくの後について来てね」
「わかりました。でもダンカン様だけで大丈夫なんですか? 鉱山にはどこに危険が潜んでいるかわかりません。大人の人と一緒に来た方が安全なのでは……?」
「平気平気。ここには三歳の頃から入ってるんだ。だからぼくにとっては庭みたいなものなんだよ。地図に載ってない抜け道とか非常用の脱出口とか、全部頭の中に入ってるんだ」
「そこまで熟知しているのですか? それは頼もしいです!」
「そういうこと。だからシャウナも、ぼくからはぐれちゃ駄目だよ」
「はい!」
父はそのコボルド――シャウナを家に連れ、ダンカンのパートナーにしようと試みた。そのアイデアは結果的には大成功だった。ダンカンは初めて出来た友人に喜びを露わにし、シャウナもまたそんなダンカンに非常に懐いた。二人はいつも一緒に行動し、暇を見つけては家の周りを散歩したり坑道探検に出かけたりした。ダンカンは今までよりも笑顔を見せるようになり、シャウナもそれにつられて満面の笑みを浮かべた。
ダンカンとシャウナの二人は、その後も親密な関係を続けた。何度かケンカしたこともあったが、すぐに仲直りした。またダンカンに魔物娘の友達が出来たことはすぐにクラスメイトの間に広がり、その物珍しさから彼に近づく者も現れ始めた。しかし生真面目なダンカンは、そうやって友人面してくる連中を一蹴した。おかげで彼は教室内で孤立したままだったが、ダンカンの心は晴れ晴れとしていた。
「じゃあ出かけてくるね。シャウナ、行こう!」
「はい! それではお母様、行ってきます!」
そして五年後。十一歳になったダンカンは、その後も変わらずシャウナと一緒にいた。この頃には二人の関係は、既にダンカンの父の仕事仲間の間にも広まっていた。おかげで休日に坑道にやって来た二人を見るたびに大っぴらに茶々を入れたり、冷やかしの声をかける者も現れ始めた。
しかし学校と違って、彼らを邪険に扱う者は一人もいなかった。この「炭鉱夫の息子」と「コボルド」のカップルは、彼らから同じ仲間として認識されていたのである。どちらも鉱山での仕事に精通し、無茶も邪魔もせず、しっかり功績を残していたからだ。
「ダンカン様、こちらの壁が怪しいです。たぶんこの先に鉱石があります」
「よし、ここだね。じゃあシャウナ、ぼくが掘ってみるから、少し下がっててね」
「はい。気をつけてくださいね」
シャウナが自身の嗅覚で的確に鉱石の位置を探り当て、ダンカンが父仕込みの腕で器用に掘り進める。二人の無償の活躍――彼らは仕事としてではなく、あくまで坑道探検の一環として鉱石採掘を行っていた――は大人顔負けであり、少なくともこの坑道内では、彼ら二人は大いに必要とされていた。将来のエースコンビの登場によって、この鉱山の将来も安泰であると考える者も出始めた。。
しかし今の二人に、そこまでの野心は無かった。彼らはただ、一緒にいられればそれで幸せだったのだ。
「シャウナ、これからも一緒にいようね。ずっと一緒だからね」
「えっ? え、ええ、そうですね。ずっと……これからもずっと一緒にいましょうね」
少なくとも、シャウナはそう考えていた。
しかしそれから暫くして、二人の関係に変化が生じた。正確には、ダンカンの方からシャウナを避け始めたのである。
「あっ」
「あ、シャウナ……」
家でばったり出くわした時も、ダンカンは目を逸らして足早にその場から去っていった。家族一緒に食事をする際にもシャウナに干渉しなくなり、二人で坑道探検にも行かなくなった。ダンカンは家の中でも外でも、徹底してシャウナから距離を取り始めたのである。
「ダンカン様……」
そしてシャウナはそうやってダンカンから避けられる度に、胸が張り裂けそうなほどに苦しい思いを味わった。しかし彼女は自分のこの家での立場――新参の余所者――を弁え、ダンカンに「なぜ自分を避けるのか」と詰問したりはしなかった。彼女はただ黙って、ダンカンからの仕打ちに耐え続けた。
彼女は良くも悪くも忠犬であった。
「じゃあ、学校行ってきます」
その日の朝も、ダンカンはさっさと朝食を済ませ、逃げるように家を出ていった。後に残された彼の両親とシャウナは、共に複雑な表情でその背中を見つめ続けた。
誰も彼を引き留めようとはしなかった。飛び出していくダンカンの背中は丸まっており、ある種悲壮な気配が漂っていたからだ。
「ダンカン様、どうしてですか……?」
その背中を見つめながら、シャウナが悲しげな顔で呟く。自分が邪険に扱われていることを悲しんでいたのではない。その背中を見たシャウナはダンカンが何か思いつめているような気がして、それが彼女の心を締め上げていたのだ。
「悩み事なら、話してくださってもいいのに。それとも私では頼りにならないのでしょうか……?」
「ううん……」
そうして潤んだ瞳のまま呟くシャウナの反対側で、椅子に座っていた父が腕組みして唸り声を上げる。母も同様に暗い顔を浮かべながら、それでもテーブルに置かれた空の食器を片づけていった。
その後ダンカンの父は、視線を下げて自分の前に置かれたコーヒーカップを暫く凝視した後、おもむろに顔を上げてシャウナに言った。
「なあシャウナ、ダンカンのことが気になるか?」
「えっ」
唐突にそう言われたシャウナは、反射的にダンカンの方を見た。ダンカンもまた彼女の顔を見つめながら、神妙な面持ちで言葉を続けた。
「どうだ? 口に出さないだけで、本当はあいつのことが気になってるんじゃないのか?」
「それは」
シャウナは一瞬言葉に詰まった。外様の自分が家庭問題に口を挟んでいいのだろうか。忠誠心の塊である彼女は、この期に及んで二の足を踏んだ。
「深く考えなくてもいいのよ。自分の思ったことを素直に言ってみなさい」
そんなシャウナに、食器を一か所にまとめながら母が声をかける。その声は優しく、相手を許す穏やかな響きに満ちていた。
それを聞いたシャウナは少しの逡巡の後、思い切って口を開いた。
「……はい。とても気になります。ダンカン様はもしかして、ご病気なのでしょうか? それとも何か、学校で問題でも抱えているのでしょうか?」
「ええとね……」
「それはなあ……」
コボルドからの問いに、父と母は即答しなかった。二人はただそこまで言って、神妙な表情で互いの顔を見つめるだけだった。それがシャウナには不思議でならなかった。
何か知っているのか? 聡い彼女はそうも思った。しかしシャウナが口を開くよりも前に、父が彼女の方に向き直って言った。
「お前、ダンカンのことは好きか?」
「えっ――」
またしても唐突な問いかけだった。シャウナは思わず面食らったが、すぐに我に返って即答した。
「――はい。ダンカン様のことは大好きです。いつも私によくしてくださる、大切なお方です」
「そうか。じゃあダンカンがどこで何をしていようとも、絶対にショックを受けないと約束できるか?」
「それは……はい?」
質問の意味がわからなかった。怪訝な顔つきで首を傾げるシャウナに、父は真面目くさった顔で続けた。
「どうなんだ? あいつが何をしていようと、ダンカンのことを嫌いにならないでいてくれるのか?」
「……」
そう問い詰めるダンカンの父は、眉間に皺すら刻み込んでいた。今までみたことがない程に厳めしく、糞真面目な表情だった。母親の方もまた、非常に思いつめた顔でこちらをじっとつめていた。その二人の姿は、まるで捕虜に尋問を行う兵士のようだった。
シャウナは正直言って、彼がそんな質問をするその意図を未だ理解できずにいた。なぜそこまで深刻な面持ちを見せるのか、それすら把握しきれなかった。しかし彼の質問そのものには、胸を張って答えることが出来た。
だから彼女は、まず自分の気持ちに正直になって答えた。
「はい。例え何があろうと、私はダンカン様を嫌いになったりはしません。どんなことでも受け入れてみせます」
それが嘘偽りのない、彼女の本心であった。そしてそれは単なる忠誠心から来るものではなく、長年一緒に過ごした中で育まれた親愛と信頼から来る言葉であった。
シャウナは居住まいを正し、彼の父に対して言葉を続けた。
「ですから、どうか教えてください。ダンカン様は、いったい何に苦しんでおられるのですか?」
心を射貫くような、まっすぐな眼差し。そんなコボルドの真摯な姿を見た父は、より一層苦渋に満ちた顔を浮かべた。
「……わかった。そこまで言うなら教えよう」
やがて観念したように父が漏らす。シャウナは目を輝かせ、そのコボルドに対して父が続けて言い放つ。
「今日の夜あたり、ダンカンが家を出る。行先は多分、ここにある鉱山だろう。だからあいつが家を出た後に、お前もこっそり後をつけてみるといい」
「鉱山でダンカン様に会えば、そこであの方が何に苦しんでいるのかわかるのですね?」
「そうだ。でも繰り返して言うが、あいつがあそこで何をしてたとしても、絶対にあいつのことを嫌いにならないでくれよ」
父が懇願するように言い放つ。母も「どうかお願いね」と短く付け加える。
そんな二人からの願いに、シャウナは力強く頷いた。
「お任せください。何があっても、私はダンカン様を見捨てたりしません。約束します!」
コボルドの少女は、確固たる決意と共にそう言ってのけた。
午前一時、ダンカンは父の予想通りに家を出た。それまで別室で起きていたシャウナもまたそれを感じ取って音もなくベッドから降り立ち、死ぬ気で気配を消しながら彼の後を追った。
ダンカンはまっすぐ鉱山へ向かっていた。そこも父の予想通りだった。この小さな町は大都市と違って歓楽街の類は無く、おかげで深夜になると通りから人の気配は完全に消え去った。そんな不気味な静寂に包まれた通りをダンカンは迷いのない足取りで進み、シャウナも一定の距離を取りながら彼の後をつけていった。
やがてダンカンは鉱山前に到達した。鉱山もまた通りと同様に人気はなく、灯りの類も全て消されていた。入口の灯も同じく消されており、おかげで鉱山の入口はドス黒い闇に包まれていた。
彼は吸い込まれるように、その暗闇の中へ入り込んでいった。遅れてやってきたシャウナもその闇を見て一瞬躊躇った後、意を決して内部に突入した。
「ダンカン様、こんな真夜中の鉱山で何を?」
中に入ったシャウナが、恐怖と物寂しさを紛らわせるように独り言を呟く。鉱山は非常に入り組んでおり、また壁に掛けられていたランタンも全て消されていた。しかし安全第一を遵守するダンカンは、自分の通ってきた道にあるランタンには全て火を灯していた。そのため、この迷路のような鉱山の中にあって、シャウナがダンカンを見失うことは無かった。
「ダンカン様、ダンカン様……!」
しかし心細いことに違いはない。深夜の鉱山はただそれだけで恐ろしい場所と化し、その狭く冷たい砂まみれの通路を一人で歩くのはさらに凄まじい恐怖を齎した。そんな心が潰されそうな程の恐怖に晒されたシャウナは、それでも縋るようにダンカンの名前を呟きながら、彼の灯した道をひたすら進んでいった。
ダンカンへの忠義と友愛が、彼女の体をひたすらに突き動かしていた。
「あっ」
そんなシャウナが唐突に足を止める。彼女の前を進んでいたダンカンも立ち止まり、そこにある前に突き出した岩棚の上に腰を降ろしたからだ。そこは比較的広い空間であり、壁沿いにつるはしや土砂を詰めた袋が規則正しく置かれていた。今までと同じように人気は無く、壁に掛けられていたランタンには全て火が灯されていた。
シャウナは慌てて物陰に隠れ、そこから顔だけを出してこっそりとダンカンの姿を伺った。広間の一角に腰を降ろしたダンカンはそんなシャウナの気配には気づくことなく、おもむろにズボンに手をかけた。
「なにを……?」
シャウナが怪訝な顔を見せる。ダンカンはそのままズボンを降ろし、ついでにパンツも脱いで下半身を露わにする。シャウナは驚きに目を剥き、その眼前でダンカンが露出した己の肉棒を掴む。
「ああ、シャウナ……ッ」
唐突にダンカンがコボルドの名を呼ぶ。何度も彼女の名を呼びながら、必死に肉棒を扱き始める。シャウナを呼び、手で擦るたびに、彼の手の中にあった肉棒は目に見えて太く硬くなっていき、見る見るうちに一本の剛直と化していく。
しかしそれが完全に雄の器官と化してなお、ダンカンは手の動きを止めなかった。
「シャウナ、うああっ、シャウナっ、シャウナぁぁ……っ!」
ダンカンの口から切ない喘ぎ声が漏れ始める。頬を赤く染め、手の動きを早め、無音の坑道に品のない摩擦音を響かせる。
ぷっくり膨らんだ亀頭の先から先走り汁が漏れ始める。ダンカンは手の動きを止めるどころか、さらにペースを速めていく。
「気持ちいい、気持ちいいよ、シャウナ……っ!」
「えっ、あっ、ああ……っ?」
それを盗み見たシャウナは茹蛸のように顔を赤くした。彼女は処女であったが、そのダンカンの行為が何なのか知らぬほど無垢でもなかった。
「ああ、そんな……ダンカン様が……」
自慰をしている。
自分の名前を呼びながら手淫にふけっている。
目を閉じて腰を前に突き出し、猿のように一心不乱に己の肉棒を扱いている。
「シャウナ、好きだ、シャウナ……!」
「ダンカン様……っ」
そんなみっともないダンカンの姿を見て、シャウナは思わず息をのんだ。そしてコボルドは目を輝かせ、敬愛する少年の卑しい姿に釘付けになった。
彼女はそれを不潔と思わなかった。それどころか、自分のことを想いながら自慰にふけるダンカンの姿に、ときめきすら覚えてしまった。
息が荒くなる。心臓の鼓動が早まっていく。彼女の中にあったもう一つの感情、忠誠とは異なるもう一つの感情が、シャウナの中でむくむく肥大化していく。
「シャウナぁぁぁ……っ!」
やがてダンカンが絶叫する。同時に膨れきった肉棒の先から、白濁液が盛大に迸る。
シャウナの双眸がそれを捉える。おいしそう。もったいない。シャウナの心が無意識に声を上げる。
「はあ、はあ、はあ……」
その後、猛りを全て吐き出したダンカンが、全身から力を抜いて岩棚にへたり込む。肩で息をしながら、笑みを浮かべて射精後の心地よい余韻に浸る。
しかし余韻はすぐに冷め、言いようのない罪悪感にとって代わる。シャウナを餌にオナニーをしてしまった。真面目な彼はそれがどうしようもなく無様で、みっともないものに思えたからだ。
「ごめん、ごめんね、シャウナ……」
苦虫を噛み潰したような顔で、ダンカンがここにいないはずの娘に向かって謝罪する。ズボンを履くことも忘れ、目に涙すら浮かべながら、彼は何度も震える声で謝り倒す。
「ごめんなさいシャウナ……ごめんなさい……」
「ち、違います……」
その姿を見たシャウナが無意識に言い放つ。自分は不愉快になど思っていない。そのくらいでダンカンを嫌いになったりしない。
「ダンカン様! それは違います!」
それを伝えたくて、シャウナは感情のままに体を動かした。足に力を込め、バネ仕掛けのように物陰から飛び出していく。
この瞬間、彼女の理性は完全に死んでいた。
「私はそのくらいであなたを嫌いになったりはしません! ですからどうか、そうやってご自分を卑下なさるのはおやめください!」
「え……っ」
感情の昂ぶりに身を任せ、想いの丈をぶちまける。驚愕するダンカンを無視して、シャウナが言葉を続けていく。
「私はダンカン様のことが大好きです! この忠誠は絶対に揺らぎません!」
「シャウナ、うそ……そんな、どうして……?」
「私は何があっても、ダンカン様のお味方です! ダンカン様の自慰くらいで動揺することなど、ぜったい、に……」
そこで頭が冷えていく。理性が息を吹き返し、シャウナの視界がクリアになっていく。
「あっ……」
目の前に下半身を露出させたまま、こちらを見つめるダンカンがいる。彼は体を震わせ、今にも泣きそうな顔をしている。
ああ、まずいことをしてしまった。それを見たシャウナの心が警報を鳴らす。
もう手遅れだった。
「見られた、シャウナに見られた……そんな……っ!」
ダンカンが絶望に顔を歪ませる。
顔を真っ青にしながらシャウナが必死で弁解する。
「あ、ち、違うんです。これは決して盗み見ではなく、あくまでダンカン様の観察であって、別にやましい心からこんなことをしたわけでは――」
「うっ、うああっ、あああああ――」
その後号泣し始めたダンカンをなだめるのに、シャウナはたっぷり十分費やす羽目になった。
「落ち着きましたか?」
「うん、ありがと……」
「いえ、そんな。私の方こそ、盗み見たりしてごめんなさい」
「ううん。元はと言えば、疑われるようなことをしてた僕の方が悪いんだ。僕の方こそごめんね」
そうしてダンカンがようやく泣き止んだ時、彼は件の岩棚に腰を降ろしたシャウナの膝の上に座っていた。そしてその態勢から、コボルドに後ろから優しく抱きしめられていた。シャウナはダンカンが泣き止むまでの間、そうやって彼を優しくあやしていたのである。
ダンカンの後ろから抱きついていたのは、彼の泣き顔を見ようとしないシャウナの優しさから来た行為であった。
「昔はこんなんじゃなかったんだ。シャウナと一緒にいても、こんなにドキドキしなかった。でも最近になって、シャウナを見ると、いきなり胸がドキドキし始めたんだ。自分でもどうなってるのかわからないけど、シャウナを想うだけで心臓が飛び跳ねて、体中熱くなってくるんだ」
「……」
「こういうのって、好きになった、ってことなんだよね……」
その後、落ち着きを取り戻したダンカンは、自分の心情をぽつぽつと吐露し始めた。シャウナはそれを静かに聞き入れ、そして話がひと段落したところで、そっと彼に聞き返した。
「それで我慢できなくなって……ここで?」
「……うん。シャウナのことを考えてると、心臓だけじゃなくて、おちんちんがむずむずしてくるんだ。朝と昼は我慢できるんだけど、夜になるともう我慢できなくなって、それで、ここで……」
そこまで言って、ダンカンの声が急に小さくなっていく。彼は自分がシャウナに恋をしていることは自覚していたが、なぜ自分が唐突にシャウナのことを意識し始めたのかまでは理解できずにいた。恋の芽生えは唐突なものであることを彼が知るのは、今からずっと先のことである。
「いつも私を避けていたのは、そのせいなのですか?」
「うん。こんなはしたないこと毎日しておいて、君に合わせる顔なんてあるわけないじゃないか」
今大切なのは、自分がいつの間にかシャウナを好きになっていたこと。そしてシャウナを好きになればなるほど、自分の獣欲を抑えつけられなくなったことである。
「みっともないよね。自分の気持ちも我慢できないで、こんなところで、お、オナニーするなんて……」
「ダンカン様……」
生真面目で潔癖な彼は、自らの自慰行為を不潔なものと捉えていた。そしてそれを不潔と知りながら、結局我慢できずに毎夜それを行う自分を激しく嫌悪していた。何より、大切にすべきシャウナ本人を自慰のネタにしている、それが一番彼の心を掻き乱していた。
「気持ち悪いよね……軽蔑しちゃうよね……こんな僕でごめんね……?」
自分の股間に両手を当てながら、ダンカンが震えた声で心情を吐露する。この時の彼はシャウナの体温と心音、吐息と言葉を間近で感じ、完全に欲情してしまっていた。一度発散させたはずの肉棒は再び硬さを取り戻し、もっと快楽が欲しいと痛い程に膨れ上がっていた。
「こんな所、誰にも見せたくなかったんだ。特にシャウナには、絶対見せたくなかった。だって気持ち悪いでしょ? 自分で自分のおちんちん扱いて、気持ちよくなるなんて。普通じゃないよ……」
彼はそんな己の浅ましいまでの肉欲に対し、顔をしかめて嫌悪を露わにしていた。いっそ死んでしまったほうが楽になれるかもしれない。糞真面目な少年は性欲を忌避するあまり、そこまで思いつめるまでになっていた。
しかしそれを聞いたシャウナは、首を横に振りながら彼の体をそっと抱きしめた。
「そんなことありません。何があっても、ダンカン様は素敵な方です」
シャウナがそっと耳元で囁く。それを聞いたダンカンの表情が僅かに緩む。
そんな彼にシャウナが続ける。
「いつも私を思いやってくれて、優しくしてくれて、大切にしてくれる。そんなダンカン様が大好きです。ですから自慰くらいで嫌いになるほど、私のあなたへの信頼は脆くはありません。気持ち悪いとか、格好悪いとか、そんなことは少しも思っていませんよ」
「シャウナ……」
「それに私、白状しますけど、ダンカン様が私を使って自慰をなさっている姿を見た時……とっても嬉しかったんですよ」
は? 言葉の意味がわからず、ダンカンが目を丸くする。
そんな彼の背後で恥ずかしそうにクスクス笑った後、シャウナが言葉を続ける。
「だってダンカン様は、それだけ私の事を好きになっていたということなんでしょう? 好きでもない人をオカズにするなんて、普通あり得ませんから」
「それは……」
「だから私、ダンカン様のことは全然嫌いになってません。むしろそこまで私を想ってくれていたんだなって、ドキドキしちゃいました」
「ほ、本当に?」
ゆっくりとダンカンが振り返る。肩越しに見たシャウナの顔は、とても穏やかな表情をしていた。
心がじわじわ熱くなる。自慰で再びかかったはずの心のタガが、ゆっくり外れていく。
そのダンカンに、シャウナが優しく声をかける。
「もちろんですよ。ですからダンカン様も、そんなにご自分を責めないでください。ダンカン様の悲しむ姿を見てると、私まで悲しくなってきてしまいます」
「ご、ごめん」
「謝らないでください。そもそも、謝る必要なんてないんですよ。だって、私だって……ダンカン様のこと、好きなんですから」
「……ッ!」
それが最後の一押しになった。
ダンカンは咄嗟に身を翻し、正面から向き直ってシャウナに抱きついた。心の底から「好き」が溢れ出し、それが彼の体を突き動かした。
恥も自己嫌悪も無い。ただ己の「好き」を、目の前のコボルドにぶつけたくて仕方なかった。
「あの、ダンカン様っ?」
「ごめんシャウナ、もう僕、我慢できないよ」
もう言葉では伝えきれない。この感情の奔流は、直接体を通してでしか伝えられない。
「シャウナが好きだ。大好きなんだ。どうしようもないくらい好きで好きで仕方ないんだ。だから、だから僕はもう――!」
「……大丈夫ですよ」
シャウナはそんなダンカンの体を、優しく抱き留めた。思わずハッとするダンカンの耳元で、シャウナがあやすように声をかける。
「私は、いつでも大丈夫です。むしろ、今すぐ襲ってきてくださっても……」
「……いいのかい?」
「はい」
短く、しかし強くシャウナが肯定する。この時既に、正確にはダンカンが射精する場面を見た時点で、シャウナのスイッチは完全に入っていた。
忠実な雌と化したシャウナは、敬愛するダンカンをじっと見つめながら、陶然とした表情で口を開いた。
「私の心も体も、全てあなたのもの。ダンカン様のためなら、私はなんだってやってみせます」
「シャウナ……」
シャウナがダンカンの体を一層強く抱きしめる。ダンカンの心臓の鼓動を聞きながら、シャウナが吐息混じりに熱く囁く。
「ですから、もう我慢はなさらないでください……ご主人様♪」
「――!」
そこまで言われて、平静を保てる男はいなかった。
その後、二人が家に戻ったのは、夜闇が薄れ朝日が昇り始めた時だった。
そうして朝帰りした二人に対し、両親は特に何も言わなかった。むしろ共に充足した表情を浮かべながら帰宅した二人を、両親は生暖かい眼差しで迎え入れた。
「お風呂わいてるから、汗を流してきなさい」
母はにこやかに笑いながら、それだけ言って台所に引っ込んだ。居間でコーヒーを飲んでいた父も意地の悪そうな笑みを浮かべるばかりだったが、彼は二人が風呂場に向かおうとしたところで、ダンカンだけを引き留めた。
「泣かせんじゃねえぞ」
そして父はそれだけ言って、ダンカンの背を押して浴場に向かわせた。背中を押されたダンカンは一瞬呆気に取られたが、すぐに父の方を向いて力強く頷いた。
「僕、頑張るから」
「おう。その意気だ」
ダンカンの言葉に父が頷き返す。そしてダンカンとシャウナが揃って浴場に消えた後、父は居間に戻ってきた母と目を合わせ、共に穏やかな笑みを浮かべた。ついでに言うと、やけに遅く風呂から出てきた二人に対し、両親は「今日は二人で出かけてくるから、家でゆっくりしてなさい」と提案してきた。平日なのにお構いなしである。
両親は二人にとって、最高の理解者であった。そして両親の消えた家の中で、若い二人が愛を交わしたのは言うまでもなかった。
「それにしてもお父様は、なぜダンカン様が鉱山に向かったとわかったのですか?」
後日、シャウナは自分がダンカンを追って鉱山に向かうきっかけとなった父の発言に対して、彼に直接問いかけた。この時父は自宅の庭で煙草をふかしており、隣にいたコボルドからそう問われた彼は周りを見回してダンカンがいないのを確認した後、彼女に小声で答えた。
「そのな、俺も前に同じことやってたからだよ」
「へっ?」
「ガキの頃、あの鉱山で、その……」
そこまで言って、父はぷいと顔を逸らした。彼の顔は僅かに赤らんでおり、それを見たシャウナは彼が何を言わんとしていたのかを察した。
血は争えないものである。
「笑うんじゃねえよ。男は誰だってそういうことをしたくなる時期が来るんだからよ」
「わかってますよ」
心を見透かされたように感じ、不貞腐れる父に対して、シャウナが楽しそうに微笑みながら返答する。父は「やれやれ」と言わんばかりに顔をしかめ、煙草を灰皿に押しつけてからシャウナに言った。
「あいつのこと、よろしく頼むぜ」
そう言い放つ父の顔は、いたって真面目なものであった。シャウナは彼の言葉の意図を即座に悟り、そして彼の期待に応えようと大きく頷いた。
「お任せください! ダンカン様は、私が絶対に幸せにしてみせます!」
「ああ。よろしく頼むよ」
「シャウナ! ここにいたんだ!」
シャウナの決意表明に父が反応したその時、玄関から飛び出してきたダンカンがシャウナを見つけて声をかけてくる。いきなり名前を呼ばれたシャウナは多少びっくりしたが、すぐにその声の主がダンカンであることに気づいて、顔を喜びに輝かせながら彼の方へ向き直った。
「ダンカン様! どうかされましたか?」
「今から鉱山に行くつもりなんだけど、どう? 一緒に行かない?」
「はい! 喜んでご一緒します!」
シャウナは笑顔で即答し、ダンカンの下へ駆け寄った。そして二人は固く手を繋ぎあい、隣合って鉱山への道を進んでいった。
そんな二人の後姿を見つめながら、父は新しい煙草に火を点けつつエールを送った。
「しっかりな、二人とも」
少年とコボルドの恋路は、この後末永く幸せに続くのだった。
仕事を終えて夕暮れ時に帰ってきた彼の父が、彼女を引き連れて家の中に入ってきたのである。
「この子が今日からウチで住むことになったコボルドだ。よろしく頼むぞ」
そして父はそう言って、リビングまで連れてきたその魔物娘を家族に紹介した。それから父は隣にいた彼女の肩に手をやり、自分の母と息子に名前を名乗るよう告げた。
「さ、自己紹介しなさい」
「は、はいっ」
頷いたコボルドは緊張で震えていた。そして彼女は体を硬くしたまま、若干震える声で己の名を告げた。
「私はしゃ、シャウナと申します。この度、こちらのお父様のところで厄介になることになりました。ふつつかものですが、よろしくお願いしますっ」
シャウナと名乗ったそのコボルドは、そう言って勢いよく頭を下げた。それを見たダンカンとその母は暖かい拍手で応え、父もまた笑って彼女の肩を軽く叩いた。
その場に満ちる穏やかな空気は、シャウナの緊張を少しずつ解していった。そして肩の力を少しずつ抜いていったシャウナに対し、ダンカンの父はにこやかに告げた。
「今日からお前は、俺達の家族の一員だ。ここに来たばかりで慣れないことも多いだろうが、困ったことがあったら俺達に何でも聞くんだぞ」
「そうよ、シャウナ。遠慮しなくていいんだからね。ダンカンも、ちゃんとシャウナに優しくするのよ? 邪険にしたり、いじめたりしたら駄目ですからね?」
父に続けて母が口を開く。そして母にそう言われた幼いダンカンは、新しい家族に対する見栄から元気よく声を張り上げた。
「もちろん任せてよ! ぼくがシャウナの面倒ちゃんと見る! 何があっても、ぼくがシャウナを守るよ!」
「あら、本当? 頼もしいわね。それじゃあシャウナ、何かあったら、まずはダンカンに聞いてみなさい。この子もこう言っていることだし」
「そうだな。ダンカンなら安心だな。シャウナ、そういうわけだから、そんな感じで頼むぞ」
ダンカンの両親は、そんな彼の宣言を言質として受け取った。二人はシャウナの面倒を体よくダンカンに押しつけ、そしてそう言われたシャウナもまた、その眼を期待に輝かせながらダンカンに言った。
「わかりました! それではダンカン様、明日からよろしくお願いしますねっ!」
「うん! ぼくに任せて!」
シャウナからの全幅の信頼を受け、ダンカンが元気一杯に声を返す。シャウナもまたそれを聞いて安心したのか、ダンカンを見ながら大きく首を縦に振った。
そんな微笑ましい二人の姿を見て、ダンカンの両親もまた嬉しそうに頬を緩めた。それからシャウナを加えた四人は同じテーブルで夕食を済ませ、そこでダンカンは早速シャウナの面倒をあれこれ見始め、シャウナもまた戸惑いながらも彼の好意を受け入れた。
「あの二人、うまくやっていけるみたいね」
「そうみたいだな。これであいつも、少しは寂しさを紛らわせてくれればいいんだが」
そんな二人を見ながら、両親は小声で言葉を交わした。二人の会話はダンカン達には聞こえなかったが、幼い少年とコボルドはそんな彼らの密談などお構いなしに二人だけの世界に没頭していた。
ダンカンには友人がいなかった。鉱山で働いている彼の父は仕事中の事故で片目を潰しており、そのことを冗談半分でからかってくるクラスメイト達に本気で激昂して以来、彼は学校の中で浮いた存在として扱われていた。同級生たちは単にじゃれ合うつもりで言ったのだが、ダンカンはどんな理由であれ自分の父が侮辱されるのが許せなかったのだ。しかしそんな生真面目な彼の態度が、周囲の不興を買う結果になった。
それ以降、彼は孤立した。直接いじめられていたわけではない――幼いころから父の仕事を手伝っていた彼は平均以上の筋肉を身につけていたので、誰も彼に逆らおうとしなかった――が、代わりに彼は意識して避けられていた。何をするにも一人であったが、ダンカン本人はそのことで悩んだりせず、前向きに日々を生きていた。
だが彼の両親は、ダンカンにいらぬ気苦労を負わせていることに強い自責の念を感じていた。どうにかして彼に友人を作らせてやりたい。かといって、ここを離れて別の町に移るだけの金銭的余裕もない。半ば手詰まりの状況に、日々悶々としていた。
ダンカンの父がシャウナを見つけたのは、そんな時だった。シャウナは魔物娘の本能に従って人間の「御主人様」を探してこの町まで来ており、そして彼女がコボルドの本能から鉱山の入口まで来たとき、仕事を終えて帰ろうとしていた父とばったり出くわしたのだ。
「じゃあぼくがこの坑道を案内するから、シャウナはぼくの後について来てね」
「わかりました。でもダンカン様だけで大丈夫なんですか? 鉱山にはどこに危険が潜んでいるかわかりません。大人の人と一緒に来た方が安全なのでは……?」
「平気平気。ここには三歳の頃から入ってるんだ。だからぼくにとっては庭みたいなものなんだよ。地図に載ってない抜け道とか非常用の脱出口とか、全部頭の中に入ってるんだ」
「そこまで熟知しているのですか? それは頼もしいです!」
「そういうこと。だからシャウナも、ぼくからはぐれちゃ駄目だよ」
「はい!」
父はそのコボルド――シャウナを家に連れ、ダンカンのパートナーにしようと試みた。そのアイデアは結果的には大成功だった。ダンカンは初めて出来た友人に喜びを露わにし、シャウナもまたそんなダンカンに非常に懐いた。二人はいつも一緒に行動し、暇を見つけては家の周りを散歩したり坑道探検に出かけたりした。ダンカンは今までよりも笑顔を見せるようになり、シャウナもそれにつられて満面の笑みを浮かべた。
ダンカンとシャウナの二人は、その後も親密な関係を続けた。何度かケンカしたこともあったが、すぐに仲直りした。またダンカンに魔物娘の友達が出来たことはすぐにクラスメイトの間に広がり、その物珍しさから彼に近づく者も現れ始めた。しかし生真面目なダンカンは、そうやって友人面してくる連中を一蹴した。おかげで彼は教室内で孤立したままだったが、ダンカンの心は晴れ晴れとしていた。
「じゃあ出かけてくるね。シャウナ、行こう!」
「はい! それではお母様、行ってきます!」
そして五年後。十一歳になったダンカンは、その後も変わらずシャウナと一緒にいた。この頃には二人の関係は、既にダンカンの父の仕事仲間の間にも広まっていた。おかげで休日に坑道にやって来た二人を見るたびに大っぴらに茶々を入れたり、冷やかしの声をかける者も現れ始めた。
しかし学校と違って、彼らを邪険に扱う者は一人もいなかった。この「炭鉱夫の息子」と「コボルド」のカップルは、彼らから同じ仲間として認識されていたのである。どちらも鉱山での仕事に精通し、無茶も邪魔もせず、しっかり功績を残していたからだ。
「ダンカン様、こちらの壁が怪しいです。たぶんこの先に鉱石があります」
「よし、ここだね。じゃあシャウナ、ぼくが掘ってみるから、少し下がっててね」
「はい。気をつけてくださいね」
シャウナが自身の嗅覚で的確に鉱石の位置を探り当て、ダンカンが父仕込みの腕で器用に掘り進める。二人の無償の活躍――彼らは仕事としてではなく、あくまで坑道探検の一環として鉱石採掘を行っていた――は大人顔負けであり、少なくともこの坑道内では、彼ら二人は大いに必要とされていた。将来のエースコンビの登場によって、この鉱山の将来も安泰であると考える者も出始めた。。
しかし今の二人に、そこまでの野心は無かった。彼らはただ、一緒にいられればそれで幸せだったのだ。
「シャウナ、これからも一緒にいようね。ずっと一緒だからね」
「えっ? え、ええ、そうですね。ずっと……これからもずっと一緒にいましょうね」
少なくとも、シャウナはそう考えていた。
しかしそれから暫くして、二人の関係に変化が生じた。正確には、ダンカンの方からシャウナを避け始めたのである。
「あっ」
「あ、シャウナ……」
家でばったり出くわした時も、ダンカンは目を逸らして足早にその場から去っていった。家族一緒に食事をする際にもシャウナに干渉しなくなり、二人で坑道探検にも行かなくなった。ダンカンは家の中でも外でも、徹底してシャウナから距離を取り始めたのである。
「ダンカン様……」
そしてシャウナはそうやってダンカンから避けられる度に、胸が張り裂けそうなほどに苦しい思いを味わった。しかし彼女は自分のこの家での立場――新参の余所者――を弁え、ダンカンに「なぜ自分を避けるのか」と詰問したりはしなかった。彼女はただ黙って、ダンカンからの仕打ちに耐え続けた。
彼女は良くも悪くも忠犬であった。
「じゃあ、学校行ってきます」
その日の朝も、ダンカンはさっさと朝食を済ませ、逃げるように家を出ていった。後に残された彼の両親とシャウナは、共に複雑な表情でその背中を見つめ続けた。
誰も彼を引き留めようとはしなかった。飛び出していくダンカンの背中は丸まっており、ある種悲壮な気配が漂っていたからだ。
「ダンカン様、どうしてですか……?」
その背中を見つめながら、シャウナが悲しげな顔で呟く。自分が邪険に扱われていることを悲しんでいたのではない。その背中を見たシャウナはダンカンが何か思いつめているような気がして、それが彼女の心を締め上げていたのだ。
「悩み事なら、話してくださってもいいのに。それとも私では頼りにならないのでしょうか……?」
「ううん……」
そうして潤んだ瞳のまま呟くシャウナの反対側で、椅子に座っていた父が腕組みして唸り声を上げる。母も同様に暗い顔を浮かべながら、それでもテーブルに置かれた空の食器を片づけていった。
その後ダンカンの父は、視線を下げて自分の前に置かれたコーヒーカップを暫く凝視した後、おもむろに顔を上げてシャウナに言った。
「なあシャウナ、ダンカンのことが気になるか?」
「えっ」
唐突にそう言われたシャウナは、反射的にダンカンの方を見た。ダンカンもまた彼女の顔を見つめながら、神妙な面持ちで言葉を続けた。
「どうだ? 口に出さないだけで、本当はあいつのことが気になってるんじゃないのか?」
「それは」
シャウナは一瞬言葉に詰まった。外様の自分が家庭問題に口を挟んでいいのだろうか。忠誠心の塊である彼女は、この期に及んで二の足を踏んだ。
「深く考えなくてもいいのよ。自分の思ったことを素直に言ってみなさい」
そんなシャウナに、食器を一か所にまとめながら母が声をかける。その声は優しく、相手を許す穏やかな響きに満ちていた。
それを聞いたシャウナは少しの逡巡の後、思い切って口を開いた。
「……はい。とても気になります。ダンカン様はもしかして、ご病気なのでしょうか? それとも何か、学校で問題でも抱えているのでしょうか?」
「ええとね……」
「それはなあ……」
コボルドからの問いに、父と母は即答しなかった。二人はただそこまで言って、神妙な表情で互いの顔を見つめるだけだった。それがシャウナには不思議でならなかった。
何か知っているのか? 聡い彼女はそうも思った。しかしシャウナが口を開くよりも前に、父が彼女の方に向き直って言った。
「お前、ダンカンのことは好きか?」
「えっ――」
またしても唐突な問いかけだった。シャウナは思わず面食らったが、すぐに我に返って即答した。
「――はい。ダンカン様のことは大好きです。いつも私によくしてくださる、大切なお方です」
「そうか。じゃあダンカンがどこで何をしていようとも、絶対にショックを受けないと約束できるか?」
「それは……はい?」
質問の意味がわからなかった。怪訝な顔つきで首を傾げるシャウナに、父は真面目くさった顔で続けた。
「どうなんだ? あいつが何をしていようと、ダンカンのことを嫌いにならないでいてくれるのか?」
「……」
そう問い詰めるダンカンの父は、眉間に皺すら刻み込んでいた。今までみたことがない程に厳めしく、糞真面目な表情だった。母親の方もまた、非常に思いつめた顔でこちらをじっとつめていた。その二人の姿は、まるで捕虜に尋問を行う兵士のようだった。
シャウナは正直言って、彼がそんな質問をするその意図を未だ理解できずにいた。なぜそこまで深刻な面持ちを見せるのか、それすら把握しきれなかった。しかし彼の質問そのものには、胸を張って答えることが出来た。
だから彼女は、まず自分の気持ちに正直になって答えた。
「はい。例え何があろうと、私はダンカン様を嫌いになったりはしません。どんなことでも受け入れてみせます」
それが嘘偽りのない、彼女の本心であった。そしてそれは単なる忠誠心から来るものではなく、長年一緒に過ごした中で育まれた親愛と信頼から来る言葉であった。
シャウナは居住まいを正し、彼の父に対して言葉を続けた。
「ですから、どうか教えてください。ダンカン様は、いったい何に苦しんでおられるのですか?」
心を射貫くような、まっすぐな眼差し。そんなコボルドの真摯な姿を見た父は、より一層苦渋に満ちた顔を浮かべた。
「……わかった。そこまで言うなら教えよう」
やがて観念したように父が漏らす。シャウナは目を輝かせ、そのコボルドに対して父が続けて言い放つ。
「今日の夜あたり、ダンカンが家を出る。行先は多分、ここにある鉱山だろう。だからあいつが家を出た後に、お前もこっそり後をつけてみるといい」
「鉱山でダンカン様に会えば、そこであの方が何に苦しんでいるのかわかるのですね?」
「そうだ。でも繰り返して言うが、あいつがあそこで何をしてたとしても、絶対にあいつのことを嫌いにならないでくれよ」
父が懇願するように言い放つ。母も「どうかお願いね」と短く付け加える。
そんな二人からの願いに、シャウナは力強く頷いた。
「お任せください。何があっても、私はダンカン様を見捨てたりしません。約束します!」
コボルドの少女は、確固たる決意と共にそう言ってのけた。
午前一時、ダンカンは父の予想通りに家を出た。それまで別室で起きていたシャウナもまたそれを感じ取って音もなくベッドから降り立ち、死ぬ気で気配を消しながら彼の後を追った。
ダンカンはまっすぐ鉱山へ向かっていた。そこも父の予想通りだった。この小さな町は大都市と違って歓楽街の類は無く、おかげで深夜になると通りから人の気配は完全に消え去った。そんな不気味な静寂に包まれた通りをダンカンは迷いのない足取りで進み、シャウナも一定の距離を取りながら彼の後をつけていった。
やがてダンカンは鉱山前に到達した。鉱山もまた通りと同様に人気はなく、灯りの類も全て消されていた。入口の灯も同じく消されており、おかげで鉱山の入口はドス黒い闇に包まれていた。
彼は吸い込まれるように、その暗闇の中へ入り込んでいった。遅れてやってきたシャウナもその闇を見て一瞬躊躇った後、意を決して内部に突入した。
「ダンカン様、こんな真夜中の鉱山で何を?」
中に入ったシャウナが、恐怖と物寂しさを紛らわせるように独り言を呟く。鉱山は非常に入り組んでおり、また壁に掛けられていたランタンも全て消されていた。しかし安全第一を遵守するダンカンは、自分の通ってきた道にあるランタンには全て火を灯していた。そのため、この迷路のような鉱山の中にあって、シャウナがダンカンを見失うことは無かった。
「ダンカン様、ダンカン様……!」
しかし心細いことに違いはない。深夜の鉱山はただそれだけで恐ろしい場所と化し、その狭く冷たい砂まみれの通路を一人で歩くのはさらに凄まじい恐怖を齎した。そんな心が潰されそうな程の恐怖に晒されたシャウナは、それでも縋るようにダンカンの名前を呟きながら、彼の灯した道をひたすら進んでいった。
ダンカンへの忠義と友愛が、彼女の体をひたすらに突き動かしていた。
「あっ」
そんなシャウナが唐突に足を止める。彼女の前を進んでいたダンカンも立ち止まり、そこにある前に突き出した岩棚の上に腰を降ろしたからだ。そこは比較的広い空間であり、壁沿いにつるはしや土砂を詰めた袋が規則正しく置かれていた。今までと同じように人気は無く、壁に掛けられていたランタンには全て火が灯されていた。
シャウナは慌てて物陰に隠れ、そこから顔だけを出してこっそりとダンカンの姿を伺った。広間の一角に腰を降ろしたダンカンはそんなシャウナの気配には気づくことなく、おもむろにズボンに手をかけた。
「なにを……?」
シャウナが怪訝な顔を見せる。ダンカンはそのままズボンを降ろし、ついでにパンツも脱いで下半身を露わにする。シャウナは驚きに目を剥き、その眼前でダンカンが露出した己の肉棒を掴む。
「ああ、シャウナ……ッ」
唐突にダンカンがコボルドの名を呼ぶ。何度も彼女の名を呼びながら、必死に肉棒を扱き始める。シャウナを呼び、手で擦るたびに、彼の手の中にあった肉棒は目に見えて太く硬くなっていき、見る見るうちに一本の剛直と化していく。
しかしそれが完全に雄の器官と化してなお、ダンカンは手の動きを止めなかった。
「シャウナ、うああっ、シャウナっ、シャウナぁぁ……っ!」
ダンカンの口から切ない喘ぎ声が漏れ始める。頬を赤く染め、手の動きを早め、無音の坑道に品のない摩擦音を響かせる。
ぷっくり膨らんだ亀頭の先から先走り汁が漏れ始める。ダンカンは手の動きを止めるどころか、さらにペースを速めていく。
「気持ちいい、気持ちいいよ、シャウナ……っ!」
「えっ、あっ、ああ……っ?」
それを盗み見たシャウナは茹蛸のように顔を赤くした。彼女は処女であったが、そのダンカンの行為が何なのか知らぬほど無垢でもなかった。
「ああ、そんな……ダンカン様が……」
自慰をしている。
自分の名前を呼びながら手淫にふけっている。
目を閉じて腰を前に突き出し、猿のように一心不乱に己の肉棒を扱いている。
「シャウナ、好きだ、シャウナ……!」
「ダンカン様……っ」
そんなみっともないダンカンの姿を見て、シャウナは思わず息をのんだ。そしてコボルドは目を輝かせ、敬愛する少年の卑しい姿に釘付けになった。
彼女はそれを不潔と思わなかった。それどころか、自分のことを想いながら自慰にふけるダンカンの姿に、ときめきすら覚えてしまった。
息が荒くなる。心臓の鼓動が早まっていく。彼女の中にあったもう一つの感情、忠誠とは異なるもう一つの感情が、シャウナの中でむくむく肥大化していく。
「シャウナぁぁぁ……っ!」
やがてダンカンが絶叫する。同時に膨れきった肉棒の先から、白濁液が盛大に迸る。
シャウナの双眸がそれを捉える。おいしそう。もったいない。シャウナの心が無意識に声を上げる。
「はあ、はあ、はあ……」
その後、猛りを全て吐き出したダンカンが、全身から力を抜いて岩棚にへたり込む。肩で息をしながら、笑みを浮かべて射精後の心地よい余韻に浸る。
しかし余韻はすぐに冷め、言いようのない罪悪感にとって代わる。シャウナを餌にオナニーをしてしまった。真面目な彼はそれがどうしようもなく無様で、みっともないものに思えたからだ。
「ごめん、ごめんね、シャウナ……」
苦虫を噛み潰したような顔で、ダンカンがここにいないはずの娘に向かって謝罪する。ズボンを履くことも忘れ、目に涙すら浮かべながら、彼は何度も震える声で謝り倒す。
「ごめんなさいシャウナ……ごめんなさい……」
「ち、違います……」
その姿を見たシャウナが無意識に言い放つ。自分は不愉快になど思っていない。そのくらいでダンカンを嫌いになったりしない。
「ダンカン様! それは違います!」
それを伝えたくて、シャウナは感情のままに体を動かした。足に力を込め、バネ仕掛けのように物陰から飛び出していく。
この瞬間、彼女の理性は完全に死んでいた。
「私はそのくらいであなたを嫌いになったりはしません! ですからどうか、そうやってご自分を卑下なさるのはおやめください!」
「え……っ」
感情の昂ぶりに身を任せ、想いの丈をぶちまける。驚愕するダンカンを無視して、シャウナが言葉を続けていく。
「私はダンカン様のことが大好きです! この忠誠は絶対に揺らぎません!」
「シャウナ、うそ……そんな、どうして……?」
「私は何があっても、ダンカン様のお味方です! ダンカン様の自慰くらいで動揺することなど、ぜったい、に……」
そこで頭が冷えていく。理性が息を吹き返し、シャウナの視界がクリアになっていく。
「あっ……」
目の前に下半身を露出させたまま、こちらを見つめるダンカンがいる。彼は体を震わせ、今にも泣きそうな顔をしている。
ああ、まずいことをしてしまった。それを見たシャウナの心が警報を鳴らす。
もう手遅れだった。
「見られた、シャウナに見られた……そんな……っ!」
ダンカンが絶望に顔を歪ませる。
顔を真っ青にしながらシャウナが必死で弁解する。
「あ、ち、違うんです。これは決して盗み見ではなく、あくまでダンカン様の観察であって、別にやましい心からこんなことをしたわけでは――」
「うっ、うああっ、あああああ――」
その後号泣し始めたダンカンをなだめるのに、シャウナはたっぷり十分費やす羽目になった。
「落ち着きましたか?」
「うん、ありがと……」
「いえ、そんな。私の方こそ、盗み見たりしてごめんなさい」
「ううん。元はと言えば、疑われるようなことをしてた僕の方が悪いんだ。僕の方こそごめんね」
そうしてダンカンがようやく泣き止んだ時、彼は件の岩棚に腰を降ろしたシャウナの膝の上に座っていた。そしてその態勢から、コボルドに後ろから優しく抱きしめられていた。シャウナはダンカンが泣き止むまでの間、そうやって彼を優しくあやしていたのである。
ダンカンの後ろから抱きついていたのは、彼の泣き顔を見ようとしないシャウナの優しさから来た行為であった。
「昔はこんなんじゃなかったんだ。シャウナと一緒にいても、こんなにドキドキしなかった。でも最近になって、シャウナを見ると、いきなり胸がドキドキし始めたんだ。自分でもどうなってるのかわからないけど、シャウナを想うだけで心臓が飛び跳ねて、体中熱くなってくるんだ」
「……」
「こういうのって、好きになった、ってことなんだよね……」
その後、落ち着きを取り戻したダンカンは、自分の心情をぽつぽつと吐露し始めた。シャウナはそれを静かに聞き入れ、そして話がひと段落したところで、そっと彼に聞き返した。
「それで我慢できなくなって……ここで?」
「……うん。シャウナのことを考えてると、心臓だけじゃなくて、おちんちんがむずむずしてくるんだ。朝と昼は我慢できるんだけど、夜になるともう我慢できなくなって、それで、ここで……」
そこまで言って、ダンカンの声が急に小さくなっていく。彼は自分がシャウナに恋をしていることは自覚していたが、なぜ自分が唐突にシャウナのことを意識し始めたのかまでは理解できずにいた。恋の芽生えは唐突なものであることを彼が知るのは、今からずっと先のことである。
「いつも私を避けていたのは、そのせいなのですか?」
「うん。こんなはしたないこと毎日しておいて、君に合わせる顔なんてあるわけないじゃないか」
今大切なのは、自分がいつの間にかシャウナを好きになっていたこと。そしてシャウナを好きになればなるほど、自分の獣欲を抑えつけられなくなったことである。
「みっともないよね。自分の気持ちも我慢できないで、こんなところで、お、オナニーするなんて……」
「ダンカン様……」
生真面目で潔癖な彼は、自らの自慰行為を不潔なものと捉えていた。そしてそれを不潔と知りながら、結局我慢できずに毎夜それを行う自分を激しく嫌悪していた。何より、大切にすべきシャウナ本人を自慰のネタにしている、それが一番彼の心を掻き乱していた。
「気持ち悪いよね……軽蔑しちゃうよね……こんな僕でごめんね……?」
自分の股間に両手を当てながら、ダンカンが震えた声で心情を吐露する。この時の彼はシャウナの体温と心音、吐息と言葉を間近で感じ、完全に欲情してしまっていた。一度発散させたはずの肉棒は再び硬さを取り戻し、もっと快楽が欲しいと痛い程に膨れ上がっていた。
「こんな所、誰にも見せたくなかったんだ。特にシャウナには、絶対見せたくなかった。だって気持ち悪いでしょ? 自分で自分のおちんちん扱いて、気持ちよくなるなんて。普通じゃないよ……」
彼はそんな己の浅ましいまでの肉欲に対し、顔をしかめて嫌悪を露わにしていた。いっそ死んでしまったほうが楽になれるかもしれない。糞真面目な少年は性欲を忌避するあまり、そこまで思いつめるまでになっていた。
しかしそれを聞いたシャウナは、首を横に振りながら彼の体をそっと抱きしめた。
「そんなことありません。何があっても、ダンカン様は素敵な方です」
シャウナがそっと耳元で囁く。それを聞いたダンカンの表情が僅かに緩む。
そんな彼にシャウナが続ける。
「いつも私を思いやってくれて、優しくしてくれて、大切にしてくれる。そんなダンカン様が大好きです。ですから自慰くらいで嫌いになるほど、私のあなたへの信頼は脆くはありません。気持ち悪いとか、格好悪いとか、そんなことは少しも思っていませんよ」
「シャウナ……」
「それに私、白状しますけど、ダンカン様が私を使って自慰をなさっている姿を見た時……とっても嬉しかったんですよ」
は? 言葉の意味がわからず、ダンカンが目を丸くする。
そんな彼の背後で恥ずかしそうにクスクス笑った後、シャウナが言葉を続ける。
「だってダンカン様は、それだけ私の事を好きになっていたということなんでしょう? 好きでもない人をオカズにするなんて、普通あり得ませんから」
「それは……」
「だから私、ダンカン様のことは全然嫌いになってません。むしろそこまで私を想ってくれていたんだなって、ドキドキしちゃいました」
「ほ、本当に?」
ゆっくりとダンカンが振り返る。肩越しに見たシャウナの顔は、とても穏やかな表情をしていた。
心がじわじわ熱くなる。自慰で再びかかったはずの心のタガが、ゆっくり外れていく。
そのダンカンに、シャウナが優しく声をかける。
「もちろんですよ。ですからダンカン様も、そんなにご自分を責めないでください。ダンカン様の悲しむ姿を見てると、私まで悲しくなってきてしまいます」
「ご、ごめん」
「謝らないでください。そもそも、謝る必要なんてないんですよ。だって、私だって……ダンカン様のこと、好きなんですから」
「……ッ!」
それが最後の一押しになった。
ダンカンは咄嗟に身を翻し、正面から向き直ってシャウナに抱きついた。心の底から「好き」が溢れ出し、それが彼の体を突き動かした。
恥も自己嫌悪も無い。ただ己の「好き」を、目の前のコボルドにぶつけたくて仕方なかった。
「あの、ダンカン様っ?」
「ごめんシャウナ、もう僕、我慢できないよ」
もう言葉では伝えきれない。この感情の奔流は、直接体を通してでしか伝えられない。
「シャウナが好きだ。大好きなんだ。どうしようもないくらい好きで好きで仕方ないんだ。だから、だから僕はもう――!」
「……大丈夫ですよ」
シャウナはそんなダンカンの体を、優しく抱き留めた。思わずハッとするダンカンの耳元で、シャウナがあやすように声をかける。
「私は、いつでも大丈夫です。むしろ、今すぐ襲ってきてくださっても……」
「……いいのかい?」
「はい」
短く、しかし強くシャウナが肯定する。この時既に、正確にはダンカンが射精する場面を見た時点で、シャウナのスイッチは完全に入っていた。
忠実な雌と化したシャウナは、敬愛するダンカンをじっと見つめながら、陶然とした表情で口を開いた。
「私の心も体も、全てあなたのもの。ダンカン様のためなら、私はなんだってやってみせます」
「シャウナ……」
シャウナがダンカンの体を一層強く抱きしめる。ダンカンの心臓の鼓動を聞きながら、シャウナが吐息混じりに熱く囁く。
「ですから、もう我慢はなさらないでください……ご主人様♪」
「――!」
そこまで言われて、平静を保てる男はいなかった。
その後、二人が家に戻ったのは、夜闇が薄れ朝日が昇り始めた時だった。
そうして朝帰りした二人に対し、両親は特に何も言わなかった。むしろ共に充足した表情を浮かべながら帰宅した二人を、両親は生暖かい眼差しで迎え入れた。
「お風呂わいてるから、汗を流してきなさい」
母はにこやかに笑いながら、それだけ言って台所に引っ込んだ。居間でコーヒーを飲んでいた父も意地の悪そうな笑みを浮かべるばかりだったが、彼は二人が風呂場に向かおうとしたところで、ダンカンだけを引き留めた。
「泣かせんじゃねえぞ」
そして父はそれだけ言って、ダンカンの背を押して浴場に向かわせた。背中を押されたダンカンは一瞬呆気に取られたが、すぐに父の方を向いて力強く頷いた。
「僕、頑張るから」
「おう。その意気だ」
ダンカンの言葉に父が頷き返す。そしてダンカンとシャウナが揃って浴場に消えた後、父は居間に戻ってきた母と目を合わせ、共に穏やかな笑みを浮かべた。ついでに言うと、やけに遅く風呂から出てきた二人に対し、両親は「今日は二人で出かけてくるから、家でゆっくりしてなさい」と提案してきた。平日なのにお構いなしである。
両親は二人にとって、最高の理解者であった。そして両親の消えた家の中で、若い二人が愛を交わしたのは言うまでもなかった。
「それにしてもお父様は、なぜダンカン様が鉱山に向かったとわかったのですか?」
後日、シャウナは自分がダンカンを追って鉱山に向かうきっかけとなった父の発言に対して、彼に直接問いかけた。この時父は自宅の庭で煙草をふかしており、隣にいたコボルドからそう問われた彼は周りを見回してダンカンがいないのを確認した後、彼女に小声で答えた。
「そのな、俺も前に同じことやってたからだよ」
「へっ?」
「ガキの頃、あの鉱山で、その……」
そこまで言って、父はぷいと顔を逸らした。彼の顔は僅かに赤らんでおり、それを見たシャウナは彼が何を言わんとしていたのかを察した。
血は争えないものである。
「笑うんじゃねえよ。男は誰だってそういうことをしたくなる時期が来るんだからよ」
「わかってますよ」
心を見透かされたように感じ、不貞腐れる父に対して、シャウナが楽しそうに微笑みながら返答する。父は「やれやれ」と言わんばかりに顔をしかめ、煙草を灰皿に押しつけてからシャウナに言った。
「あいつのこと、よろしく頼むぜ」
そう言い放つ父の顔は、いたって真面目なものであった。シャウナは彼の言葉の意図を即座に悟り、そして彼の期待に応えようと大きく頷いた。
「お任せください! ダンカン様は、私が絶対に幸せにしてみせます!」
「ああ。よろしく頼むよ」
「シャウナ! ここにいたんだ!」
シャウナの決意表明に父が反応したその時、玄関から飛び出してきたダンカンがシャウナを見つけて声をかけてくる。いきなり名前を呼ばれたシャウナは多少びっくりしたが、すぐにその声の主がダンカンであることに気づいて、顔を喜びに輝かせながら彼の方へ向き直った。
「ダンカン様! どうかされましたか?」
「今から鉱山に行くつもりなんだけど、どう? 一緒に行かない?」
「はい! 喜んでご一緒します!」
シャウナは笑顔で即答し、ダンカンの下へ駆け寄った。そして二人は固く手を繋ぎあい、隣合って鉱山への道を進んでいった。
そんな二人の後姿を見つめながら、父は新しい煙草に火を点けつつエールを送った。
「しっかりな、二人とも」
少年とコボルドの恋路は、この後末永く幸せに続くのだった。
16/10/28 19:23更新 / 黒尻尾