世界を知る
「思い出したかい?」
角の生えた少女が声をかける。佑は仰向けになりながら、首を縦に振って口を開く。
「ある程度は」
「そうか」
「どうやってここまで来たのかはわかりませんけど」
「それは君、私が運んできたんだよ」
少女が答える。佑が首を動かして少女を見る。
「魔法をちょっと工夫すれば、あれくらいの連中を撒くのは朝飯前なのだ」
少女が自慢するでなく、淡々と言う。
不思議そうに佑が問う。
「あなたが?」
「うむ」
「治してくれたのもあなたなんですか?」
「無論だ。私の医療魔法はそのためにあるのだ」
「でも魔物は悪いものだって」
「彼らに言われたのかい?」
「はい」
佑が頷く。少女は小さくため息をつき、「好き放題言ってくれるな」と漏らす。
それを佑の耳が敏感に聞き取る。その気配を、少女が同じく敏感に察知する。
「気になるかい?」
問われた佑が息を呑む。少し目を泳がせ、間を置いて、小さく頷く。
「素直でよろしい」
少女がクールに笑う。佑の心臓が僅かに跳ねる。
それを知ってか知らずか、少女が佑へ一歩近づいて声をかける。
「では改めて、私の方からこの世界のことを教えてあげよう。肩の力を抜いて、ちゃんと聞くように」
魔物の少女が念を押す。佑が首を縦に振る。
では早速。そう言った後、魔物がこの世界――「魔物の視点」から見た世界の有り様を離して聞かせた。
少女の語った「世界観」は、「教団」の語ったそれとはまるで違うものだった。
「全然違う……」
教団は、魔物を邪悪な存在と言った。しかし目の前の少女は、魔物は人間と愛し合い共存を目指す存在と言った。
全く違う。佑は混乱した。
「違って当然だ。彼らは自分達に都合のいいことしか言わないからな」
呆然とする佑に、少女がさらりと言い返す。この時佑はベッドの上で上体を起こし、腰から下を毛布で覆いながら彼女の話を聞いていた。
「向こうの話じゃ、魔物は人間の敵だって言ってたのに」
「何を馬鹿な。全く違う。まあ昔はそうだったが、今は違う。断言してもいい。今の魔物は人を殺したりはしないよ」
どちらを信じるかは君の自由だ。事もなげに少女が言う。
「誓って言おう。魔物は人間の味方だ」
「そんなこと言われても……」
佑は返答に困った。判断材料が少なすぎる。真実はどちらだ?
そうして佑が眉間に皺を寄せていると、少女が唐突に言葉を投げる。
「……ならいっそのこと、我がサバトを見学してみるか?」
「えっ」
「サバト。ここのことさ。私が治める……まあ、組織というか、同好の士の集まりというか、そのようなものだ」
サバト。治める。どういうことだろう。佑の心の中に好奇の気持ちが芽生える。
人を動かすのは、いつだって未知のモノに対する興味だ。佑は己の欲望に抗わなかった。
「さて、どうする? 傷は既に癒えている。軽いリハビリも兼ねて共に行くか、それともここで安静にしているか」
悪魔の二択。
「二つある真実の一つ。魔物の語る世界というものを、垣間見てみないか?」
どちらを選ぶか。考えるまでもない。
「――行きます」
佑が答える。角を生やした少女が、文字通り小悪魔のように笑って答える。
「そう言うと思ったよ」
グレイリア・サバト。通称医療サバト。
バフォメット・グレイリアを長とする、医療活動のために設立されたサバトである。
自分は今、そのサバトの支部の一つにいるのだ。
「ここは親魔物国の中に作られた、我がサバトの活動拠点の一つだ。私の本拠ではないが、それでも規模はそれなりのものだぞ」
佑はそのことを、長であるグレイリア――それまで自分と話していた白衣の少女から聞かされた。目的地に通じる長い廊下を、二人揃って歩いている時のことである。
あと「国」の名前は後で好きに調べてくれとも言われた。丸投げである。
あと自己紹介も済ませた。今更だが、既に互いの名前は把握済みである。佑が別世界から来たこともグレイリアは把握していた。
どちらも特筆する事ではないのでこれくらいにして、本題に戻る。佑がグレイリアに疑問をぶつける。
「組織のリーダーがどうして支部に?」
「研究過程の確認と、傷病者のケアのためだ。長だからと言って、一日中椅子に座っていればいいというわけではない。医療の本質は常に現場にあるのだ」
もっとも、それ以降は全て偶然の産物だ。グレイリアはそう付け加えた。ここに来たのも偶然。出張検診として件の村にグレイリアが出向いたのも「たまたまその気になった」から。そこで佑や他の人間と出くわしたのも偶然。
現況は、全ての行動の帰結に過ぎない。
「私は最初から君を狙っていたわけでは無い。君は選ばれし者ではない。運命は君の味方ではない。そこは間違えないようにしてくれたまえ」
「は、はい」
白く清潔な廊下を並んで歩きながら、グレイリアがばっさりと言い切る。その言葉に佑が圧倒され、勢いに呑まれるまま相槌を打っていると、やがて目の前に大きな扉が現れる。
廊下の突き当たり、観音開きの木製の扉の前に、いつの間にか二人は辿り着いていた。会話に夢中になっていて気づかなかった。
「この先は……?」
「メインホール。大広間。医者と患者の交流の場、と言うべきか」
「レクリエーションルームみたいな感じですか?」
「そうとも言う。まあ人間の心身のケアを行う所、と思ってくれればいい」
扉の取っ手を掴みながら、グレイリアが答える。取っ手を掴む手に力を込めつつ、グレイリアが佑に告げる。
「そしてこの先に、君の求める真実が待っている」
佑が唾を飲みこむ。グレイリアが扉を押す。
ぎい、と音を立てて、扉がゆっくりと開かれる。
そうして、隠された秘密が、ついに白日の下に晒された。
目の前の光景を見て、佑は息を呑んだ。
「これが……?」
佑が呟く。グレイリアが目を閉じ、満足そうに頷く。
「本当に……」
「これが真実、の、一部だ」
グレイリアが念を押す。佑が一歩前に出る。目の前の光景をじっとみつめる。
「普通の景色」。かつて居た世界の病院で見たのと同じ光景、医者が患者をケアするという「当たり前の行為」が、目の前で平然と行われていた。ただ一つ違うのは、ここでいう「医者」が全員魔物――見目麗しい人型の、あるいはおおよそ人型のモンスターであったということだ。
「ここは元々、人間達が使っていた教会でね。それを我々が拝借して、ここでの拠点にしているというわけだ。『神に祈る場』の再利用だよ」
グレイリアが補足する。それを補強するように、かつて大勢の人間が神に祈りを捧げた場であろう広大な空間で、人と魔物がコミュニケーションを取っていた。
思い思いに触れ合う彼らの姿を見て、グレイリアがうっとり目を閉じる。
「人と魔が互いに寄り添い、絆を育み、二人三脚で傷を癒す。まったく素晴らしい。これこそ正しき医療の形だ」
恍惚な口調でグレイリアが言う。確かに彼女の言う通り、そこには優しさが広がっていた。だだっ広い空間の中で、人とモンスターが思い思いにスペースを確保し、そこで雑談やらゲームやらに興じている。中には魔物が患者に手を添え、そこを中心として不可思議な紋様を浮かべている光景もあった。
そしてそのどれもが、慈愛の元に行われていた。教団の語っていた邪悪や脅威とは無縁の、暖かく穏やかな世界。
それが佑の目の前にあった全てだった。
「やっぱりこっちが正しいのか……」
呆然と佑が呟く。しかしグレイリアは勝利を確信せず、釘を刺すように佑に告げる。
「実例の一つだけを見てそれが全てと思うのは、あまりよろしくないな」
「え?」
「その世界を知りたければ、もっと視野を広く持つことだ」
グレイリアが言ってのける。佑が――彼女の思惑通り――そこに反応する。
「つまり?」
「つまり、知識だ。世界は広い。綺麗なものも汚いものも沢山ある。それらを見て回って、知識を己の内に溜め込むのだ――」
ルーニャ・ルーニャのような物言いになってしまったな。そこまで言って、グレイリアが恥ずかしげに笑みを浮かべて言う。佑はなんのことだかさっぱりだった。
「まあとにかく」
グレイリアが無理矢理話を修正する。一つ咳払いをして、佑の方を向く。
佑もグレイリアに向き直る。その彼に、角を生やした少女が、そっと手を差し伸べる。
「どうだ? 元の世界に戻る方法を探すついでに、こちらの世界のことももっと学んでみないか?」
グレイリアが小さく笑う。余裕な態度を崩さない、クールな笑み。
「私は回復が専門だが、その専門なりの視点から君を導いてみせよう」
それに対して、佑の心は既に決まっていた。
「お願いします」
「いいだろう」
佑がグレイリアの手を取る。その手を、グレイリアが握り返す。
「契約成立、だな」
いたずらっぽくグレイリアが笑う。直後、佑は自分が何か一線を越えてしまったような、そんな感覚を覚えた。
だがもう遅い。佑は腹を決めたのだ。
角の生えた少女が声をかける。佑は仰向けになりながら、首を縦に振って口を開く。
「ある程度は」
「そうか」
「どうやってここまで来たのかはわかりませんけど」
「それは君、私が運んできたんだよ」
少女が答える。佑が首を動かして少女を見る。
「魔法をちょっと工夫すれば、あれくらいの連中を撒くのは朝飯前なのだ」
少女が自慢するでなく、淡々と言う。
不思議そうに佑が問う。
「あなたが?」
「うむ」
「治してくれたのもあなたなんですか?」
「無論だ。私の医療魔法はそのためにあるのだ」
「でも魔物は悪いものだって」
「彼らに言われたのかい?」
「はい」
佑が頷く。少女は小さくため息をつき、「好き放題言ってくれるな」と漏らす。
それを佑の耳が敏感に聞き取る。その気配を、少女が同じく敏感に察知する。
「気になるかい?」
問われた佑が息を呑む。少し目を泳がせ、間を置いて、小さく頷く。
「素直でよろしい」
少女がクールに笑う。佑の心臓が僅かに跳ねる。
それを知ってか知らずか、少女が佑へ一歩近づいて声をかける。
「では改めて、私の方からこの世界のことを教えてあげよう。肩の力を抜いて、ちゃんと聞くように」
魔物の少女が念を押す。佑が首を縦に振る。
では早速。そう言った後、魔物がこの世界――「魔物の視点」から見た世界の有り様を離して聞かせた。
少女の語った「世界観」は、「教団」の語ったそれとはまるで違うものだった。
「全然違う……」
教団は、魔物を邪悪な存在と言った。しかし目の前の少女は、魔物は人間と愛し合い共存を目指す存在と言った。
全く違う。佑は混乱した。
「違って当然だ。彼らは自分達に都合のいいことしか言わないからな」
呆然とする佑に、少女がさらりと言い返す。この時佑はベッドの上で上体を起こし、腰から下を毛布で覆いながら彼女の話を聞いていた。
「向こうの話じゃ、魔物は人間の敵だって言ってたのに」
「何を馬鹿な。全く違う。まあ昔はそうだったが、今は違う。断言してもいい。今の魔物は人を殺したりはしないよ」
どちらを信じるかは君の自由だ。事もなげに少女が言う。
「誓って言おう。魔物は人間の味方だ」
「そんなこと言われても……」
佑は返答に困った。判断材料が少なすぎる。真実はどちらだ?
そうして佑が眉間に皺を寄せていると、少女が唐突に言葉を投げる。
「……ならいっそのこと、我がサバトを見学してみるか?」
「えっ」
「サバト。ここのことさ。私が治める……まあ、組織というか、同好の士の集まりというか、そのようなものだ」
サバト。治める。どういうことだろう。佑の心の中に好奇の気持ちが芽生える。
人を動かすのは、いつだって未知のモノに対する興味だ。佑は己の欲望に抗わなかった。
「さて、どうする? 傷は既に癒えている。軽いリハビリも兼ねて共に行くか、それともここで安静にしているか」
悪魔の二択。
「二つある真実の一つ。魔物の語る世界というものを、垣間見てみないか?」
どちらを選ぶか。考えるまでもない。
「――行きます」
佑が答える。角を生やした少女が、文字通り小悪魔のように笑って答える。
「そう言うと思ったよ」
グレイリア・サバト。通称医療サバト。
バフォメット・グレイリアを長とする、医療活動のために設立されたサバトである。
自分は今、そのサバトの支部の一つにいるのだ。
「ここは親魔物国の中に作られた、我がサバトの活動拠点の一つだ。私の本拠ではないが、それでも規模はそれなりのものだぞ」
佑はそのことを、長であるグレイリア――それまで自分と話していた白衣の少女から聞かされた。目的地に通じる長い廊下を、二人揃って歩いている時のことである。
あと「国」の名前は後で好きに調べてくれとも言われた。丸投げである。
あと自己紹介も済ませた。今更だが、既に互いの名前は把握済みである。佑が別世界から来たこともグレイリアは把握していた。
どちらも特筆する事ではないのでこれくらいにして、本題に戻る。佑がグレイリアに疑問をぶつける。
「組織のリーダーがどうして支部に?」
「研究過程の確認と、傷病者のケアのためだ。長だからと言って、一日中椅子に座っていればいいというわけではない。医療の本質は常に現場にあるのだ」
もっとも、それ以降は全て偶然の産物だ。グレイリアはそう付け加えた。ここに来たのも偶然。出張検診として件の村にグレイリアが出向いたのも「たまたまその気になった」から。そこで佑や他の人間と出くわしたのも偶然。
現況は、全ての行動の帰結に過ぎない。
「私は最初から君を狙っていたわけでは無い。君は選ばれし者ではない。運命は君の味方ではない。そこは間違えないようにしてくれたまえ」
「は、はい」
白く清潔な廊下を並んで歩きながら、グレイリアがばっさりと言い切る。その言葉に佑が圧倒され、勢いに呑まれるまま相槌を打っていると、やがて目の前に大きな扉が現れる。
廊下の突き当たり、観音開きの木製の扉の前に、いつの間にか二人は辿り着いていた。会話に夢中になっていて気づかなかった。
「この先は……?」
「メインホール。大広間。医者と患者の交流の場、と言うべきか」
「レクリエーションルームみたいな感じですか?」
「そうとも言う。まあ人間の心身のケアを行う所、と思ってくれればいい」
扉の取っ手を掴みながら、グレイリアが答える。取っ手を掴む手に力を込めつつ、グレイリアが佑に告げる。
「そしてこの先に、君の求める真実が待っている」
佑が唾を飲みこむ。グレイリアが扉を押す。
ぎい、と音を立てて、扉がゆっくりと開かれる。
そうして、隠された秘密が、ついに白日の下に晒された。
目の前の光景を見て、佑は息を呑んだ。
「これが……?」
佑が呟く。グレイリアが目を閉じ、満足そうに頷く。
「本当に……」
「これが真実、の、一部だ」
グレイリアが念を押す。佑が一歩前に出る。目の前の光景をじっとみつめる。
「普通の景色」。かつて居た世界の病院で見たのと同じ光景、医者が患者をケアするという「当たり前の行為」が、目の前で平然と行われていた。ただ一つ違うのは、ここでいう「医者」が全員魔物――見目麗しい人型の、あるいはおおよそ人型のモンスターであったということだ。
「ここは元々、人間達が使っていた教会でね。それを我々が拝借して、ここでの拠点にしているというわけだ。『神に祈る場』の再利用だよ」
グレイリアが補足する。それを補強するように、かつて大勢の人間が神に祈りを捧げた場であろう広大な空間で、人と魔物がコミュニケーションを取っていた。
思い思いに触れ合う彼らの姿を見て、グレイリアがうっとり目を閉じる。
「人と魔が互いに寄り添い、絆を育み、二人三脚で傷を癒す。まったく素晴らしい。これこそ正しき医療の形だ」
恍惚な口調でグレイリアが言う。確かに彼女の言う通り、そこには優しさが広がっていた。だだっ広い空間の中で、人とモンスターが思い思いにスペースを確保し、そこで雑談やらゲームやらに興じている。中には魔物が患者に手を添え、そこを中心として不可思議な紋様を浮かべている光景もあった。
そしてそのどれもが、慈愛の元に行われていた。教団の語っていた邪悪や脅威とは無縁の、暖かく穏やかな世界。
それが佑の目の前にあった全てだった。
「やっぱりこっちが正しいのか……」
呆然と佑が呟く。しかしグレイリアは勝利を確信せず、釘を刺すように佑に告げる。
「実例の一つだけを見てそれが全てと思うのは、あまりよろしくないな」
「え?」
「その世界を知りたければ、もっと視野を広く持つことだ」
グレイリアが言ってのける。佑が――彼女の思惑通り――そこに反応する。
「つまり?」
「つまり、知識だ。世界は広い。綺麗なものも汚いものも沢山ある。それらを見て回って、知識を己の内に溜め込むのだ――」
ルーニャ・ルーニャのような物言いになってしまったな。そこまで言って、グレイリアが恥ずかしげに笑みを浮かべて言う。佑はなんのことだかさっぱりだった。
「まあとにかく」
グレイリアが無理矢理話を修正する。一つ咳払いをして、佑の方を向く。
佑もグレイリアに向き直る。その彼に、角を生やした少女が、そっと手を差し伸べる。
「どうだ? 元の世界に戻る方法を探すついでに、こちらの世界のことももっと学んでみないか?」
グレイリアが小さく笑う。余裕な態度を崩さない、クールな笑み。
「私は回復が専門だが、その専門なりの視点から君を導いてみせよう」
それに対して、佑の心は既に決まっていた。
「お願いします」
「いいだろう」
佑がグレイリアの手を取る。その手を、グレイリアが握り返す。
「契約成立、だな」
いたずらっぽくグレイリアが笑う。直後、佑は自分が何か一線を越えてしまったような、そんな感覚を覚えた。
だがもう遅い。佑は腹を決めたのだ。
19/08/25 17:08更新 / 黒尻尾
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