とある少女の恋物語
私は、死ぬのですか……? ネオン街の路地裏、降り積もる雪の上。 有名な風俗街であるここ、ティゼに来て早一週間。ドッペルゲンガーである私は、もう指一本動かせませんでした。 運が悪いのか、私が悪いのかこの街に来てから失恋した男性は全くと言っていいほど見つかりません。更には、生活資金も底をついてしまいました。 人目のつかない路地裏で、私は涙が止まりませんでした。情けなくて、辛くて、そして寂しくて。 私はドッペルゲンガーです。変身していなければ、ただの小娘なのです。だから誰も、私のことなんて気にも留めません。 昔童話で読んだ、マッチ売りの少女もこんな気分だったのでしょうか。とても、惨めな気分です。 おなかが減りました。 とても寒いです。 誰も見てくれません。 私は、死ぬのでしょうか? ……嫌ですね。 凍死か、衰弱死か、どちらにしろこのままでは死んじゃいます。だというのに、私にはもうどうしようもありません。何故か、とても虚しくなってきました。 ぽたりと、私の涙が落ちました。 寂しい、それだけ呟いて、私の視界は黒く染まっていきます。 ……何だ、こいつ? やれやれ、行き倒れかよ。 人の家の前で眠りこけやがって……、ったく。 どっこいせ、っと。 ん、息はあるのか。 じゃあ持って帰るか、ここで死なれたら寝覚めが悪いし。 しっかし小せぇガキだな。親は何やってやがんだ。 ……もしかして、捨てられたんかな? ……何にせよ、死ぬなよ。死んだら許さねぇからな。 誰かの声が聞こえて、私は温かい何かに抱き起こされました。 私はその誰かに死にたくないと呟いて、意識を失いました。 ※※※ 次に意識が戻った時、私はぬくぬくと温かい何かに包まれていました。あまりの心地よさに再び眠ってしまいそうになりましたが、私は状況が分からずに体を起こしました。 周囲を見回してみると、どこかの部屋の中でした。私はその片隅のベッドで、大きな毛布に包まれていました。 ここは、どこでしょうか。 ベッドから出ようとした時、聞き覚えのある声が私を止めました。 「まだ寝てろ。お前、すげぇ熱が出てんだぞ」 声の主は、扉から大きな鍋を持って現われました。 私は、無意識のうちに息を漏らしました。声の主に、なんとなく神々しさを感じたからです。床につきそうなほどに伸びきった、まるで絹のような繊細な白髪。一変して、ルビーのように爛と輝く紅い瞳。その人物の異様ながらも滲み出すオーラに、私は見入ってしまったのです。 そんな私に構わず、その人物は続けました。 「まぁ、起きたってことはそれなりに回復してる証拠だよな。まったく、俺は医学には詳しくないんだが……」 ぶつぶつとそんなことを愚痴り、自身を『俺』と言った彼はベッドの近くの椅子、私の真正面に座りました。 彼はまじまじと無遠慮に私の顔を覗き込み、その曇りない瞳に私は何故か恥ずかしくなって顔を逸らしてしまいました。 「んー、まだ顔赤いな。ほれ、お粥作ったから食え」 そう言って彼は鍋にあるお粥を器に盛り付け、それを私に差し出しました。何をしているのか分からずに呆けていると、彼も同様に首を傾げます。 「ん、お粥嫌いか? それとも『あーん』の方がいいのか?」 そう言うや否や、彼はお粥に刺していたスプーンで一口掬い私の口元にそれを持ってきました。 そして、とても眩しい笑顔でこう言うのです。 「はい、あーん」 事の意味を理解した私は、とても顔が熱くなった気がします。 どうしていいか分からず、でも空腹には勝てず私は彼のお粥にパクつきました。ほんのりと、甘い味がしました。 「美味いか?」 相変わらずの笑顔で感想を聞く彼。 私は、涙が零れるのを抑えきれなかったです。 「ちょっ、泣くほど不味いんか!?」 慌てたように彼がそう言い、私は何も言うことができません。 か細い喉からは、笛のような嗚咽だけが漏れます。 彼のお粥は、とても美味しくて、温かくて、優しかったです。 とても嬉しいのに、涙しか出ないのです。 「むー……、ミルク粥初挑戦だったしなー。その、ごめんな?」 申し訳なさそうに顔を覗き込む彼に、私は首を振りました。 「ちっ……違うっ、です……っ」 しゃくりあげるような嗚咽につっかえながら、私は続けます。 「とてもっ、美味しい、です。美味しくてっ、温かくて……、なんか、嬉しくって……っ」 涙が、止まりません。何故でしょうか? 悲しくないのに、ぼろぼろと零れる涙を止めることができません。 そのお粥はこれまでに食べたどんな豪華な料理よりも、美味しかったです。なのに何故か涙が止まらないんです。それが情けなくて、悲しくて、更に涙が溢れました。 自分でも意味不明に泣きつづける私の頭に、優しく撫でるように華奢な手が置かれました。 「そこまで喜ばれると俺も嬉しいぜ。けどよ、せっかく美味いもん食ってんだったら笑えって。多分、もっと美味くなるぞ?」 こんな風によ、そう言って彼は白い歯を剥き出しにしてニッと子どもっぽく笑いました。私も、つられて笑いました。 そーだそーだ、と彼は私を見て無邪気に笑いました。 声をあげて彼と笑いあいながら、私は思ったのです。 なんか、こんなに楽しいの初めてです。 これが、私と彼の出会いでした。 ※※※ お腹が空いていた私は、彼の作ったお粥を綺麗に頂きました。それを満足そうに見ていた彼は思い出したように言いました。 「そういや、お前何であんな所で寝てたんだ? 風邪で済んだからいいものを、下手したら凍死してたぞ?」 少し咎めるような彼の口調に罪悪感を覚えつつ、私は事情を説明しました。私はドッペルゲンガーで、遊楽の街として有名なこの街に引っ越してきたと。でも、生活資金も底をつき、失恋した男にも行き当たらず死にかけていたのだと。 彼は、そんな私は小馬鹿にする様に鼻で笑って言いました。 「や、働いて生活費稼げよ。バカかお前」 正論でした。正直……、ぐうの音も出ません。 「しっかし、ドッペルゲンガーねぇ。よく知らねぇけど」 「知らないのですかっ!?」 自分でもメジャーな魔物だと思っていた分、少しショックが大きかったのでしょう、少し大きな声を出してしまいました。 「あ、やー、俺あんま教養ないから。小学校から行ってないし」 頭をぽりぽりと掻きながら、彼が申し訳なさそうに言います。 まさか知られていないとは思わず、ため息が出てしまいました。 「で、ドッペルゲンガーってどんな魔物なの? サキュバスとアルプとクイーンスライムぐらいしか知らないんだよ、俺」 「凄い偏っているですねその知識……」 サキュバスとアルプはまだ分かるのですが、クイーンスライムとその二種の共通点がよく分かりません……。 かいつまんで彼にドッペルゲンガーという魔物を説明すると、彼は一種の尊敬のような眼差しで私を見つめました。 「へぇー、理想の女性像か。なんか凄いなー」 「まぁ……、普段はこんな地味な姿なのですが……」 「え、そう? 結構かわいいと思うけど?」 その時の、彼の言葉に耳を疑いました。 『かわいい』? 私が? 「えと……、その、かわいい、と言うのは……?」 「ハグしたい」 なんか素敵に微笑んでがっかりするようなこと言われました。 別に愛しいとか、そういうんじゃなかったですか、残念です。 心の中でそう呟き、少し違和感を覚えました。 が、彼の言葉が私の違和感を遮りました。 「そういやお前、なんて名前なの?」 「え?」 「いや、え? じゃなくて、名前。わっといずゆあねいむ?」 おどけるように彼がそう言い、私は自分の名前をおずおずと答えました。 「び、ビーニャです……、ビーニャ・アルケーロです」 「ビーニャ、ね。俺はミカウ・トリスタンな。よろしくな」 そう言って彼はニッと子どもっぽく笑いました。 私もそんな彼につられてぎこちなくも微笑みました。 「あ、あのぅ……、よろしくって何の事ですか?」 「どうせ行く当てもないんだろうが。まさかこんな寒空の下、俺が風邪ひいてる女の子を叩きだすと思ったのか?」 バーカ、そう付け加えてミカウは私に軽くデコピンしました。 「いいから今は休めよ。俺も一緒にいてやる」 そう言ってどこからか取り出したぶ厚い本を適当に開いて、彼はそれを読み始めました。どうやら、聖書のようでした。 ふと、私は疑問に思いました。何故ミカウは私なんかのためにここまでしてくれるのか、何で私を助けたのか、素朴な疑問が次々に膨らんでいきました。 聖書を熱心に読みつづけるミカウに、私はその疑問をぶつけました。 「……ミカウ、さんは、何で私を助けたんですか?」 躊躇いがちにさん付けすると、彼は聖書から目を離さずに、タメ口でいいぞと言いました。 「目の前で死にそうになってるヤツ、放っとけないだろ」 ごく当然のように、彼はそう答えました。 「じゃあ、何で私にここまでしてくれるんですか?」 私は次の疑問をぶつけると、彼はまた淡々と答えました。 「困ってるヤツいたら助けるだろ、普通」 そう言って彼は聖書を一ページ捲ります。 あまりに堂々と言い切る彼の姿に、私は戸惑いを覚えました。 そんな私の戸惑いが伝わったのか、彼は言葉を続けます。 「お前さ、泣いてる人と笑ってる人、見るならどっちがいい?」 静かに聖書を捲りながら言う彼のその言葉には、どこか熱がこもっているように思われました。さっきまで淡々と答えていたのとは違い、何か感情がこもっていました。 「私は……、笑っている人の方がいいです」 「俺も同意見だな」 ふっ、と彼はバカにするでもなく薄く笑います。 「人の不幸は蜜の味、ってよく言うが俺は逆だな。人が幸せな方がよっぽどいい。そっちの方が気持ちいいからな」 何の偽りもない、剥き出しの言葉。 そう思うから、そう言っている。 ミカウの言葉は、どこかそんな感じがしました。 でも、何故か違和感を覚えました。その言葉には何かが隠れてる、そんな気がしました。 「だから、俺の周りのヤツには幸せであってほしい。俺自身が幸せであるために、な」 それだけだよ、そう言って彼はまた聖書に集中します。 そんな彼の姿にどこか引っ掛かりを覚えますが、早く寝ろよと手で追い払う仕草をするミカウに素直に従いました。 熱のせいか、疲労のせいか、それとも空腹が満たされた心地よさか、眠りに落ちるのにそう時間はかかりませんでした。 ※※※ 次の日、私は少し早くに目が覚めました。 陽が昇るか昇らないか、そんな時間にも関わらずどこからかいい匂いがします。部屋をぐるりと見渡すと、開いた扉が一つ。その奥からは上機嫌にリズムを刻むミカウの鼻歌が聞こえます。 私は体を起こし、音がたたないようにベッドから降りました。 そっと扉の影からとなりの部屋を覗いてみると、料理の本を片手に鍋をかき回しているミカウの姿がありました。 「〜♪〜〜♪」 エプロン姿で、上機嫌に鼻歌を歌いながら、料理をしている彼の姿はまさしく主夫でした。昨日の粗暴な言動からは似ても似つかぬ彼の姿に、私は一つの疑問を禁じ得ません。 あれ、もしかして昨日の出来事って夢だったのですか? そんな私の疑問は、彼の独り言によって解消されました。 「あいつ、今日も美味いって言ってくれるかな〜♪」 あ、夢じゃないんですかこれ。 嬉しそうに火を止める彼の姿に苦笑しつつ、でも思いました。 この人が私の恋人だったら、とても幸せなんだろうな、と。 「……んむ?」 待ちなさい。ちょっと待ちなさい私。 もしかして、私はミカウのことが好きなのですか? そ、そりゃあ私に優しくしてくれたり……、かっ、かわいい……って言ってくれたりなかなかいい人だとは思いますが……。 『――結構かわいいと思うけど?』 出会ってまだ一日だが、私は彼と言う人柄が少しは分かっているつもりです。多分、本当に思ったことしか言っていません。 それを理解しているから、顔が赤くなるのを自覚しました。 別に彼に他意はないハズです。でも、自分に自信のない私にとって、その言葉はとても大きかったようです。 大根を刻む彼の背中を見て、私は小さく呟きました。 ねぇ、知ってたですか? 気がついたら貴方が好きでした。 ミカウに聞こえないように、そう小さく呟いただけでとても恥ずかしかったです。同時に、とてもこそばゆかったです。 私は熱い頬を手で押えて、ベッドに潜るように飛び込みました。 となりの部屋からは、相変わらず上機嫌な鼻歌。 トントンと大根を刻む音と、ドキドキと心臓の高鳴る音。 私は、もうなんか色々とダメっぽいようでした。 ※※※ 「ご……、ご馳走様でした」 結局、食事中ミカウと目を合わせることができず、気恥ずかしさのせいか味はよく分かりませんでした。 それでも彼は私の反応に満足したのか、ベッドの前の椅子に座って子どもっぽく笑っていました。 「はい、お粗末さんでした♪」 うっ……、やっぱり直視できないです……。 顔を赤くして俯く私に、彼は熱があると判断したのでしょう。 「ん、大丈夫か?」 私を気遣うようにそう言って、彼の手が私の額に触れました。 「へうっ!?」 いきなりの不意打ちに、変な声が漏れました。彼の手は少しひんやりしていて気持ちよかったです。 そして、彼の手を介して、記憶が流れ込んできました。 どうやら無意識の内に、理想の女性像を読み込んでしまっているようでした。慌てて彼の手から逃れようとしたときに、網膜に彼の深層心理に貼り付いた女性像が焼きつきました。 それは、私にとてもよく似た普通の女の子でした。 「…………!?」 何が起こったのかわけが分からず、夢中で彼の手から離れました。 「おいおい、そんな嫌がんなよ。傷つくじゃん」 ヘコむなー、とさして気にした様子もなく彼は付け加えました。 「もう熱はないみたいだぞ。良かったな」 そう言って、彼はにこりと微笑みました。 何を言えばいいのか分からず、私はあうあうと言葉にならない声をあげていました。 「よし、じゃあちょっと起きれ」 そんな私に構わず、彼は椅子から立ち上がりました。 どういうことか分からず、何をするつもりなのか分からず、私はとりあえずベッドから降りました。 彼はコキコキと首を鳴らして続けました。 「俺の仕事場でよけりゃ紹介してやるが、どうする?」 「は、ひゃい?」 「だぁら、どうせお前このまま外出てもまた行き倒れるだろ。金稼ぐ場所、紹介してやるっつってんだよ」 分かれよ、彼の視線がそう言っていました。 本当に、彼が私なんかのためにここまでしてくれるのが何でなのか分かりません。でも、私のことを案じてくれる彼の言葉に少し切なくなります。 ――そっか、ずっとここにはいられないですよね……。 「ある程度金が貯まるまではここに住まわしてやる。ただし、家賃にちょっとは貢献しろよ」 そんな私の様子に勘違いしてか、彼は慌てて付け加えます。 ニブチン。そう思いました。 「で、どうする? 行くか?」 何だかんだ思いつつ、私は結局頷きました。 同じ職場なら、一緒に住んでなくても会えますしね。 ※※※ なんか俺、誘拐犯みたいだな。 風俗街を昼間とは言えどこんな幼い娘と一緒に歩くなんざ、人間の常識的に見たらそいつはロリコンもしくは誘拐犯だ。 特に俺は、人間的にも魔物的にもかなり異色の存在だし。 周囲からの刺さるような視線をビーニャはあんまり気にしてないようだが、俺が気にする。 ちらりと後ろを振り返ってみると、俺の後をついてきながら興味津々な様子で風俗街を見回す幼い女の子。 うん、幼い。周囲の目がめっちゃ厳しい気がする。 どうにかこの居心地の悪さから逃れられないもんか。まさかこの街を全く知らないビーニャと離れて歩くわけにもいかんしなぁ……、って、ん? 一つ妙案が……? 「なぁ、ビーニャ?」 俺はくるりとビーニャの方を向き、ごくごく自然に呼んだ。それまで街の様子に見惚れていたビーニャが、少し慌てた様にパタパタと手を振って答える。 「ひゃ、な、なんでしゅかっ!?」 あ、噛んだ。 「ドッペルゲンガーってよ、男性の理想の姿に変身できる……んだっけ? ちょっとやってみてくんない?」 まったく、初めからこうすれば良かったじゃねーか。 まさか俺の理想像がこんなガキなわけがないし、少なくとも俺と同年代以上の女になれるはずだ。自分の理想の女性……というのが俺自身よく分かんないし、ちょっと楽しみだ。 だというのに、何故かビーニャは呆けたような顔でこっちを見上げてきた。あどけない赤い瞳が、きょとんと見開かれる。 「ん? 何だ、できねぇのか?」 少し不安になりながら問いかけると、ビーニャは何故か赤面した。それはもう、トマトもびっくりな赤みを帯びていた。 「しっ……、失礼を承知で聞くですけど……、ミカウの理想の女性像って……、どっ、どんな姿なのですか?」 ……どこが失礼な質問なんだ? だがそう言われても思い浮かばない。今まで女とは縁が……、まぁ、あるにはあるがそういう関係になるような仲でもないしあいつらは色々と対象外だ。 他になんか繋がりあったっけ? ……ダメだ、ろくな女がいねぇよ、俺の周り。 「んー……、特にねぇな」 十六歳にもなって気になる女の一人もいないとは、俺も随分と潤いのない生活を送ってんな。あははー……、虚し。 「……いっ、いないのでしたら、そのっ、変身はみゅっ……、無理でしゅね!」 相変わらずの真っ赤な顔でそう言い、ビーニャは顔を背ける。はて、俺は何か地雷でも踏んだのだろうか? まぁ……、身近に子どもとはいえ女性がいて、理想の女性像がまったく思い浮かばないと言うのも失礼なのかもしれんな。 「……じゃあ、あの時見えた私の姿って何なんですかぁ……」 ぶつぶつと、ビーニャは何かよく分からん言葉を呟きながら黒っぽい炎を上げている。 怒っているのか悲しんでいるのか分からないビーニャの後ろ姿がとても怖い。成る程、女は怒らすと理不尽に怖いらしい。 ……それはそうと、変身はやっぱできないのだろうか。 どうせ私なんか……、と何やらネガティヴっぽいことを呟き続けるビーニャにそれを聞く勇気がないのは、多分俺に度胸がないんじゃなくて彼女が異常に怖いだけだ……。 何はともあれ、傷つけるような発言をしたのなら謝らないといけない。俺は彼女の頭にぽん、と手を置いた。 「ま、俺としちゃお前みたいな謙虚なヤツは結構好きだがな」 わしわしと、黒く艶やかな髪を撫でまわす。 ビーニャは顔を上げるどころか俯いて、そうですか、とだけ呟いた。 フォローできたのかできなかったのかは分からないが、少しだけビーニャの言葉が嬉しそうに聞こえた気がした。 だから、多分もう大丈夫なんだと思うというか思いたい。 しかしアレだ。女ってのはホントにわけ分かんねーな。 言葉一つで機嫌が良くなったり悪くなったりと……、マジで面倒くさいったらありゃしない。 「あ、見えてきたぞ」 『Star☆dusT』と昼間っから光っているネオンの看板を指で差し、ビーニャの頭をぽんぽんする。 その看板を見るなり、ビーニャの目が丸くなった。 「こっ……、ここって、キャバクラじゃないですか……っ?」 「あぁ、そうだが?」 それの一体何が不満なのか、ビーニャは目に涙を溜めてふるふると首を振る。それはまるで、捨てられた子犬みたいで少しかわいかったが、俺は理由を問い掛ける。。 「な、何だよ……?」 いきなりの態度の変わり様にさすがの俺も吃驚した。 正直、意味不明だ。 「こ、ここはダメです……っ、私には無理ですよぅ……っ」 「無理って何がだよ。年齢制限か? それとも実は男なのか?」 後者ならもっと吃驚だ。 「どっちにせよ大丈夫だ。ほら、裏口に回るぞ」 「やっ、ちょ、待っ!」 俺は構わずにビーニャの手を引き、店の裏口に回る。 何がそんなに嫌なのか、座り込む様に全体重をかけて抵抗を続けるビーニャを引き摺りながら、店の中に入った。 すぐそこに、よく見知った顔があった。 「あら、ミカウじゃないの?」 「うげ、セリ……」 俺が知っている数少ない魔物。その一つであるサキュバス。ちょうどこいつが、俺が初めて会ったそれだった。 名前はセリアー。性格は、……何というかサキュバスである。 「…………」(ひょこっ) 俺の声に何か気になるものでもあったのか、後ろに隠れていたビーニャが顔を覗かせる。 それに気づいたセリが、実に嫌らしい顔をする。 「ほっほぉ〜? かわいいお連れじゃなぁい、ミカ〜ウ?」 「……まぁ、自分でもそう思いはするが」 この場にそぐわないのは自覚しているつもりだ。 まさか、それすらも理解してないバカだと思ってねぇだろうな、こいつ。 そんな俺らの会話を聞いているのか聞いてないのか、ビーニャから硝子の割れるような効果音が響く。 「ば……っ、ばん、きゅっ、ばぁん…………」 意味不明なワードを呟いて、ペタペタと無い胸をさするビーニャ。言葉の意味は分からなかったが、言いたいことは分かった気がするから不思議だ。 「……ちょっと、ケビンも呼んできてあげた方がいい?」 「やめろ、鬱陶しいのが増えるだけだ」 ケビンはアルプだ。幼児体型とまではいかないが、驚くほど胸が無い。 本人もそれを気にしているから、こんな場所に呼んできてもビーニャと同じようにヘコむだけだろうが。 「ま、それはさておきセリ。ちょっと頼みがあるんだが」 「何? あたしは抱かれるのも抱くのもOKよ?」 「違うわ! んな節操のねぇ注文するか!」 「ハ……ッ! まさかその子と3P……? ミカウ、恐ろしい子……!」 「人の話を聞け〜? ぶっとばすぞ〜?」 当然、こんな脅しが通じるはずも無い。多分、実際にぶっとばそうとしたら、俺が押し倒されると思う。つか、昔そうなった記憶がある……。 まぁ、いつものやりとりだから別にいいのだが……、こんな幼い娘の前でそんな話をするのは如何なものか……。 「ったく……、セリ。ちょっとこの娘の相手したってくれや。俺はちょっと着替えてくるからよ」 もう何か色々と面倒くさい。 これだったらちょっと早めに仕事を始めた方が楽そうだと判断した俺は、本当の頼み事は置いといてビーニャを頼んだ。 「うん、分かったわ」 意外とあっさり引き受けたセリを怪しく思うが、これ以上の面倒事は嫌なので俺はさっさと更衣室に進み始めた。 ちらりと振り返ってみると、ビーニャはまだショックを受けているようだった。長ぇよ。 何にせよ、この後のビーニャの反応が楽しみだ。 ※※※ 分かってはいたのです。サキュバスを知っているという時点で、サキュバスの知り合いがいるという予想はついていたのです。 ですが、神様はなんと残酷なことでしょうか。私にはドッペルゲンガー……、というかこんな魅力のない幼児体型を与えておきながら、彼女にはあんなナイススタイルを与えるのです。 スリーサイズは目測で上から90/70/90でしょうか。対して、私はおよそ70/60/75……。胸なんか、無いに等しいです……。 「あの、お嬢ちゃん? お〜い?」 性格も積極的、私とは正反対です。なんて強力なライバルでしょうか。いや、むしろライバルにすら私はなれないのかもしれません。 だって、勝負は見るも明らかでしょう? ミカウの好みは正直よく分かりませんが、幾らなんでも私はありえませんよ。きっと、あの時に見たミカウの理想は私の願望だったのです。 「あちゃー、目がイッちゃってるじゃないの、この子……」 何やら頭を優しく撫でられました。顔を上げると、困ったような笑顔で私を撫でるサキュバスの姿がありました。 「……うぅ」 更には細かい気遣いまでできるなんて……、最早私に勝目はありません。いえ、元からなかったのかもしれませんが。 色々と情けないですね。涙が止まりません。 「…………っ?」 そのとき、何故か背筋が凍ったような気がしました。 恐る恐る顔を上げてみると、サキュバスのお姉さんの目の色が明らかに攻撃色っぽく爛々と輝いています。 それは、まるでミカウの目の様に紅々と……。 「お嬢ちゃん、あたしは今悟ったわ……!」 「なっ……、何をですか……?」 不安を隠せずに問い返すと、物凄い勢いで抱きしめられ――って、む、胸が!? いや、これはむしろマシュマロですか!? 「ミカウも中々どうしていいセンスしてるじゃない! 確かにこの娘はかわいいわ!」 「むもま――――!?」 押し付けられる柔らかい感触に窒息しそうです! これは何ですか!? 新しい嫌がらせですか!? それとも乳自慢ですか!? サキュバスはそういう一族なのですか!? 「いやー、ケビンでもここまでかわいくはなれないわね……! やっぱ幼女だからかしら? 何にせよ、羨ましいわミカウ!」 「むー、むー!」 「あら、いけない。つい興奮しちゃったわ」 ぷはっ……、し、死ぬかと思いました……。 窒息よりも何よりも、あの柔らかい感触は二度と味わいたくありません……。何か死にたくなってきます……。 未だに目を紅く光らせながらこちらを舐め回すような視線を送り続けるサキュバスのお姉さんに、私は自分の体を抱きしめました。怖いです、お姉さん。 「あの……、お姉さんは……何て名前ですか……?」 「お姉ッッさん、ぐッほぅあ!?」 「ひいッ!?」 鼻血吹いた!? 「おおぉお、お姉さん? ぱ、パードゥン? おけー?」 「おぉっ……、おっ、お姉さん…………っ?」 「ぶふ――――――――――――――ッ!!」 「いやぁ――――――ッ!! この人怖いです――――――ッ!!」 噴水のような勢いで吹きだす鼻血の雨。 というか、こんな怖い人に私を預けないでくださいミカウ! 目は血走ってるし鼻血は迸るし胸は大きいしっ、もうやだこの人ぉ―――!! 閑話休題。 「やー、ごめんねビーニャちゃん。見苦しいとこみせちゃったわねー」 「い……、いえ。だ、大丈夫です……」 勝手に抱いたライバル心を恐怖心に塗り替えるとは……っ、この人はとても恐ろしいお方です! 以後、注意しましょう。 差し出された紅茶に口をつけ、私はセリアーさんに向き直りました。 ちなみに、今度お姉さんと呼んだら押し倒すと忠告(脅迫)されました。サキュバスが襲うのは男だけだと思っていましたので、その迫力には狂気じみたものが感じられてとても怖かったです……。 「あ、あのぅ……、ミカウはここで働いてるんですか……?」 「えぇ、そうよ。ビーニャちゃんもあいつに誘われたの?」 『も』? ということは……? 「セリアーさんもミカウに誘われたんですか?」 「ううん、あたしは違うわ。でも、ここには彼に誘われて働き始めた魔物が三人いるの。だからそうなのかなー、ってね」 そう言って、セリアーさんも紅茶を一口飲みました。 部屋のドアが開いたのは、ちょうどそのときでした。 「いやー、お待たせ。メイクするのに時間かかっちゃったよー」 振り向いてみると、そこには白髪の女性が立っていました。黒を基調としたシックなドレスに身を包み、首には少し大きなチョーカー。そして、ルビーのような紅い瞳は――― 「ぶふッ!」 私は思わず紅茶を吹き出してしまいました。 だって髪型や服装は変わっていますが、あの髪と目は明らかにミカウでしたから。 「あ、やっほービーニャ。どう? 似合ってるかな?」 「あ……、あの……、ミカウ……?」 くるりと回り、スカートがふわり。柑橘系のいい香りがしました。っじゃなくて! 何で女装!? メイクまでして何してるですか!? そんな言葉をグッと飲み込み、色々と悲しくなりました。 ……あぁ、何気に私よりもスタイルがいいです……。 というか神様、あの人私の初恋なんですけど……。 「ん? 何かな、ビーニャ?」 元々、中性的な顔立ちのミカウが微笑むと、それはもう女の子の笑顔にしか見えません。しかも、キラキラと何かのトーンがかかっているように見えました……。 「にっ、……似合っているですね……?」 苦し紛れにそう答えますと、ミカウは嬉しそうにうっすらと頬を染めました。そして、素敵な笑顔で言うのです。 「キュウリで処女膜ぶっこ抜くぞコラ」 ……どうやらどこかで選択肢を間違えたようです。 普段の口調に戻ると同時に態度も一変し、普段の目付きの悪いミカウに戻りました。 「かッ! 毎度毎度、この格好にだけは慣れねぇな……」 「いいじゃないの、とても似合ってるわよ?」 ドレスの裾を摘んで汚らわしいものでも見るような目つきのミカウに、からかうような口調のセリアーさん。 正直、さっきから驚くことばかりで私にはついていけません。 何故ミカウが女装しているのか、セリアーさんが何でこうも変態的なのか。誰か私に教えてください、泣きたいです……。 「何だかんだ言いつつも、ミカウだってノリノリじゃないの。先月の売上、あれ三分の一は全部ミカウよ?」 「うわー、何故か罪悪感湧いてくるなー……」 ガリガリときまずそうに頭を掻き乱すミカウに、私はおずおずと挙手をする。 「えと、ミカウってもしかして……、キャバ嬢なんですか?」 「………………………………………………………………………否定したいとこだが、その通りだ」 酷く落ち込んだ声で、ミカウが答えました。 「ミカウはホストもキャバ嬢もイケるのよ。だからこの店では実質売上ナンバーワンの人気男の娘なのよ!」 「……仕方ねぇだろ、金がいいんだから」 補足説明するセリアーさんに対してバツが悪そうに呟くミカウに同情します。ミカウも、ミカウなりのコンプレックスがあるようです……。 ぽんぽんと、ミカウの肩を優しく励ましました。 「苦労してるですね……」 「分かってくれるのは……、多分この店でお前だけだ……」 少し湿ったようなミカウの言葉には、苦労が滲んで見えました。私の口からは、渇いた笑いしか出ません。 そして、ある事実にやっと気付きました。 「あ、……あの、ミカウ? 一つ、いいですか……?」 「お前は質問が多いな、何だ? 言ってみろ」 もし私の疑問が正しければ、もしかすると……。 「私も……っ、ここで働くのですか……っ?」 「そのつもりで連れてきたが?」 あっけらかんと言い放つミカウ。私は慌ててセリアーさんの顔を見ると、セリアーさんはにっこりと笑っていました。 その笑顔には、大歓迎よと書かれていました。 「むッ、無理です無理です無理ですよぉ!! 私みたいな地味娘がこんな所で働けるわけないじゃないですかぁ!」 「バーカ。お前、ドッペルゲンガーなんだろうがよ。お前以上にこの店にピッタリなヤツ、そうはいねぇぞ?」 いや、そう言う意味じゃなくて想い人の前で別の男を口説けと!? できないことでもないけど酷くないですか!? 言葉にはできないため、声にならない悲鳴をあげてせめてもの抵抗を試みます。が、私の抵抗はあっさりとミカウに斬り捨てられました。 「働く場所、お前に選ぶ権利があると思ってんのか? 働ける場所が無くて行き倒れてたんだろうが」 「そっ……それはそうですが!」 「仕事内容が分かんねぇなら俺が教えてやる。一人で仕事するのが不安なら慣れるまでは俺がヘルプに入る。だから、やれ」 にやにやと嫌らしく笑いながらそう言うミカウ。 微笑ましそうに、どこか羨ましそうに私をみるセリアーさん。 助け舟は、どこにもありませんでした。 「そっ、そんなぁぁぁ!?」 後から聞いた話ですが、私の悲鳴はお客さんにも聞こえたそうです。 ※※※ 「あの、ミカウ?」 「何だい、ビーニャ?」 「あのお客さん、理想の女性像が完全にミカウなんですけど」 「黙れ、さもなくばケツに一升瓶ぶっこむ」 「うぅっ、嘘です冗談です何でもありませんんん!!」 「ははっ、そうだよね―――って、げ! あいつから指名来た!嘘だろ、勘弁してくれよ!?」 「大の男が何言ってんのよ、ほらビーニャちゃんと行ってきな」 「うおっ、押すなセリ! 分かった、行くから押すなって!」 (……私、変身した方がいいのでしょうか?) |
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