ウチの殿さまはバカ殿です
学のない庶民は勘違いすることもあるが、領内の全てを藩主が決めているわけではない。
無論、支配者としての教育を受けてはいるが、種々の専門分野において、事細々と口を挟めるような知識はないのである。
藩主の仕事というのは、問題解決や計画進行において、許可・承認の印を与えるぐらい。
他所はどうだか知らないが、我が藩においては家老たち側近がしっかりしているので、それで問題なく回っている。
「……だからといって政務を放り出し、午前から私に酌をさせるのはどうなのです?」
『問題起きてないんだからいいじゃないか』と言ってみるも、納得せずに半目を向けてくるのは一人の妖怪。
(生まれつきだが)死人の妖怪である彼女は名を沙(シヤ)と言い、自分が幼い頃から側仕えしてくれた姉のような存在だ。
真面目にすぎる彼女は、急を要さない案件を後回しにして、息抜きをする自分が気に入らないようである。
「良い事ではありませんが、息抜きの一献ぐらいなら私も黙認しましょう。ですが、酒瓶を並べて、私に芸者の装いさせるなど、本格的に飲むつもりではないですか!」
ついに我慢できなくなったのか、徳利を叩きつけるようにお盆に置いて『ウガーッ』と怒る沙。慣れない芸者の着物だからか、荒い動きで両肩がはだけて色っぽい。
「百歩譲って酒は良いとしましょう。ですが私に芸者の格好をさせる必要がどこにあるのです! 私は武士ですよ!? 刀を手にして戦うのが役目です! 番傘をさすのが仕事ではありません!
こんなことしていたら『ウチの殿さまは刀と傘の区別もつかないバカ殿だ』などと言われますよ!」
『バカ殿』という領民が口にするあだ名を引き合いに出し、沙は説教する。
仕える主君が民衆に笑い物にされているのが気に入らないのだろう。
だが『刀と傘の区別もつかない』というのは悪くないじゃないか。それだけ領内が平和だということなのだから。
「領内は平和でも、ジパングは平和ではありません。
小康状態とはいえ、西側諸侯との争いは終わっていないのですから」
かなりの昔、ジパングでは全国諸侯が東軍西軍の二陣営に分かれて、大規模な戦を行ったことがある。その結果は妖怪たちを味方につけられた東軍の勝利。
お題目の一つとして妖怪排斥を掲げていた西側諸侯は大きく勢力を減じ、東側諸侯の盟主がジパング支配者の地位を名乗るのを止めることさえできなかった。
「それにあまりに放蕩具合がすぎれば、大将軍さまに蟄居させられることも考えられます。いかに親藩の藩主といえど、罰を与え処分を下せる者はいるということを忘れてはいけません」
『そうなってほしくないのです』と言外に言う沙。
怒りでなく憂慮からそう言われると『悪いことしたかな…』と少しは思ってしまう。
だがそれは無いだろう。
大将軍とは歳の近い従兄弟で仲良くしているし、彼も『早く国内統一して、バカ将軍と呼ばれるぐらい遊び倒したい』って愚痴ってたから。
最高権力者だってそう言ってるんだし…と説得してみるが、それを聞いた彼女は冷たい目になった。
「このことは、老中さまに書簡で報告しましょう。
大将軍ともあろう方が、内密とはいえ、そんなことを口にするとは……」
しまった、逆効果だった。これだと彼もお説教を食らうことになってしまう。
次にお目見えした時、切腹とか申しつけられないだろうな……。
内心で不安になる自分をよそに、沙はお説教のまとめに入っていた。
「とにかく、他に優先することが無いのなら、案件には早く返してください。
宴や祭りの日でない限り、酒を口にするのは夜間のみとします。いいですね?」
否とは言わせてくれない口調で沙は言う。
仕方ない、しばらくは日中に遊ぶのは控えよう。
自分は手にしていた盃を盆に置いて、酒を部屋の隅に下げてもらう。
すると彼女は『まったく…』と言いたげに鼻息を吐いた。
「分かっていただけたなら結構です。では……」
早速、後回し案件を持ち出そうとした沙。それを遮り、ズザッと彼女を畳に押し倒す。
すると肩まで見えていた着物がさらに下がり、さらしをしていない胸がフルンと露出した。
剣の達人たる彼女であるが、身内かつ殺気の無い相手には反応が遅れるのである。
「なっ! いきなり何をするのですか!?」
突然の凶行に沙は抗議の声をあげるが、口づけをしてそれを黙らせる。
妖怪の彼女がその意味を解さないわけもなく、不測の事態に緊張した身から力が抜けた。
「んっ…殿、このような事は、政務を終わらせてから……」
口では拒む彼女だが、内心はもうその気になっているのが分かる。
酒の代わりに沙を味わいたいと言えば、反抗する気など失せてしまうのだ。
「仕方ないですね…。貴方は小さい頃からそうなんですから……」
『一度決めたら言っても聞かない』と懐かしむように沙は言い、こちらの腰に手を伸ばして袴やその下を脱がす。
自分も彼女の乱れたすそをまくり上げ、下帯も何も着用していない下半身を露わにした。
死者である彼女の肌は蒼白だが、股間の割れ目から覗く体内の肉は温かみのある色だ。
「どうぞ、私の中へお入りください……」
すでに膣液をあふれさせ、ヒクヒクと微かに動く女性器。
自分は男性器をそこに添えると、腰を突き出して彼女と一つになる。
「ん…っ! 今日も貴方は活気に満ちていますね…。もっとも、そうでない時などありませんでしたが…」
自分の初めての相手を務めてくれた沙。
彼女の膣は最初の時から気持ちよかったが、何年にも渡って交わり続けることで、より自分に合わせて円熟した。今の彼女の肉体を筆下ろし前の自分が味わったら、刺激が強すぎて気絶してしまうのではないかと思えるほどだ。
そしてそんな最上の女体を余すことなく堪能できる事を幸福だと自分は感じる。
「あっ、ん…! 勿体ない、お言葉です…!
私も…っ、これほど逞しく育った貴方を感じられてっ、この上なく、嬉しいです…!」
ずっと共にいた彼女にしか口にできない言葉。
姉のようにも思っている沙とまぐわっていることを強く自覚でき、さらに彼女が愛しくなる。剣術の修行で鍛えられ、引き締まった腹。いつしかそこを膨らませてやりたいとさえ思う。
「いつしか…でなく、今すぐっ、膨らませていただいても…構いません…っ!
庶子の娘でよろしければ…喜んで、産まさせて、いただきますっ…!」
妖怪の常であるが、彼女も人間男性との間にできる子供を望んでいる。
それは沙が他の誰よりも自分を愛してくれている証だ。
言葉では表しきれない彼女への好意と感謝。
それが白い液体になって、もうすぐ放たれようとしている。
「でっ…では、いつものように、私の腹の中へ流してくださいませ…!
死体の私にっ…どうか、生きた殿の子種をっ…!」
沙は開いていた両足をこちらの腰に回し、男性器を逃すまいとする。
もちろんそんなつもりなどない自分は、逆に腰を押し付け、彼女の奥で精を解放した。
「あっ! とっ、殿の子種、熱いっ…! 私の腹にっ、熱い種が、流れ込んで…っ!
どうか、もっとお恵みをっ…! 私を、母親にっ…!」
普段はキリッとした沙の金色の瞳。
その瞳に溜まった涙をこぼして、快楽にむせび泣く姿はどこか可愛らしい。
彼女をそんな風にしたのは自分だと思うと、男としての征服感を感じられる。
彼女に抱くあらゆる正の感情が胸中で混じりあい、いつものように最高の快感に包まれながら達することができた。
「……ところで殿、この着物はどちらから用立てたものですか?」
交わりが終わり頭が冷めた沙は、汚れた芸者の着物をつまんで詰問してきた。
この芸者衣装は、自分の正体を知らない知人を通じて、遊郭から借りたものである。
借りる際にそれなりの代金は払ったが、買ったわけではないので、まだ叱責は軽いだろう。そう思っていると、彼女は呆れた様子で言った。
「何を言っているのです。いくら洗ったところで、こんな汚したものを返せるわけないでしょう。この着物のお代は殿の私費から引くこととします。嫌とは言いませんね?」
またもや反論できない口調で言い切る沙。その着物はかなりの上物で、買い取るとなると高くつく。
どうにか藩の台所から出してもらわないと、懐が寂しくなってしまうのだが……。
それは勘弁してもらえないだろうかと、自分は畳に頭をつけて頼む。
その姿を哀れんでくれたのか、彼女はため息を吐いて口を開いた。
「分かりました、この着物については私も半分は負担しましょう。ですから頭を上げてください。藩主のそのような姿、他の者に見られたらどうするのです」
なんと金額を折半してくれるという太っ腹。
懐に痛い事は変わりないが、半分ならずいぶんと助かる。
「それとこの着物は私が預かります。異存はありませんね?」
その言葉には素直にうなずく。彼女以外に着せる相手はいないのだから。
だからまた着てほしくなった時は頼むとしよう。
「……何故そのような期待の目を向けるのですか。このような着物、私の趣味ではありませんし、二度と着ません。この衣装は蔵の中に永久に仕舞っておきます」
予想外の言葉に口が開いた。そんな高価な着物を買っておいて、使わないとは勿体ない。
自分は未練たらしく考え直すように言うが、彼女は頑として首を縦に振らない。
「私にこれを着させたいなら、もう半額を私に払ってください。
その暁には着物を譲渡し、時と場所が許す限りにおいてその姿を見せましょう」
つまり、時間がかかっても全額を私費で支払えということか。
しかも『時と場所が許す限り』ということは、いつでも見せてくれるわけではないと…。
「ほら、いつまで意気消沈しているのです。私が着替えて戻ってくる間に、政務の準備をしてください。少なくとも午前の間は休息なしで仕事に励んでいただきますからね」
沙はそう言うとふすまを開き、芸者姿のまま部屋を出て行った。
藩主は要人ではあるが、罪を犯したお尋ね者とは違う。
わざわざ人相書きを出回らせたりなどしないので、顔を知らない者も多い。
なので、下級武士の身なりをして勝手口から出れば、普通に市井に紛れて散策できるのである。
もっとも沙はそういった『お忍び』に良い顔をしないので、出るところを見られたらお気楽な独り歩きなどできないのだが。
「豆腐ー、豆腐ー、醤油かけると美味いよー」
「魚ー、魚ー、獲れたての、新鮮な魚だよー」
「甘酒ー、甘酒ー、暑気疲れには甘酒だよー」
棒を肩にかけた歩き売りたちが、寄せ声をあげて往来を進む城下町。
下手にぶつかって中身をこぼそうものなら、喧嘩沙汰になるそれらを避けながら自分は歩く。そしてその二歩離れた背後には、供と称したお目付けの沙。
別に変なことをするつもりはないが、そうも見られていると居心地が悪い。
「……で、名無乃様。本日はいったい何のご用向きで外出されたのですか」
町中で本名を使うわけにもいかないので、お忍びの際は名無乃(ナナシノ)と名乗っている。それに『様』をつけて呼ぶ沙の声は『暇だからって遊び呆けてるな』と言いたげだ。
しかし領民がどのように過ごしているか、自分自身の目で確かめることも、藩主として必要なことだと思うのだがどうか。
久しぶりに正論を言えた気がした自分だったが、彼女は刀と同じように言葉で切って返してきた。
「でしたら、最初から供をお連れになってください。こそこそ一人で出ようとするなど、やましい事を企んでいるとしか受け止められません」
彼女の方も正論だ。そしてこれに返す技は自分にはない。
剣術の練習をしたときのように見事に打ち負かされた自分は、何も言えずに行きつけの蕎麦屋ののれんをくぐる。
すると自分の顔を見た店主が『らっしゃい!』と威勢よく声をかけてきた。
『いつもの二つ』と注文して適当な席に腰かけ、沙もその対面に座らせる。
彼女は店内を眺めたあと、話しかけてきた。
「変哲もないただの蕎麦屋のようですが、ここには何かあるのですか」
彼女が何を疑っているのかは知らないが、ここは本当にただの食事処だ。
単に歩き回って食べた中で一番美味いから来るというだけである。
「蕎麦を食べたいなら、料理方に申し付ければよいではないですか。
わざわざ足を運ぶ必要などないでしょう」
あまり料理の味にこだわらない沙は『理解できない』と口にするが、こだわる者はこだわるのだ。城の料理方の腕が悪いとは言わないが『それなりに作れる』と『蕎麦一筋』ではやはり違う。
そして注文がやってくるまでの間、同じように待っている他の客と適当に雑談をする。
とりあえず、バカ殿の評判についてでも聞いてみようか。
「オイオイ、あんた武士なのに、殿さまをバカ呼ばわりだなんて大した度胸だな」
話しかけられた町人は驚いたように言うが、昨今は店の丁稚ですらバカ殿呼ばわりしている。下級武士の自分が口にしてもいいだろう。
「いや、俺は気にしねえけどよ、そっちの武士さまが……」
あ、沙がいたんだった。
つい存在を忘れていた彼女の方を見ると、不満と怒りが混ざった顔でこちらを睨んでいた。こんな顔を向けられたら、それは言葉も濁るだろう。
『頼むからあっち向いて』と伝え、自分は再び会話に戻る。
それで最近の景気とかどうよ?
「あー、俺の知るかぎり、景気は悪くないなあ。それに暴動だ一揆だなんて話もまるで聞かねえ。噂で聞いた西国の連中からすりゃ、ここはもう極楽だろうよ」
西側諸侯の国では重い年貢や賦役などにより、一揆が頻発していると聞く。
このまま何もしなくても、十年すれば崩壊するのではないかと言われるほどだ。
それはそれとして、藩主への不満とかは本当にないのだろうか。
「そりゃ、ある奴もいるだろうけど、今のところ俺はないかなあ。むしろ良くやってる方だと思うよ。たしか元服した途端に、先代が地位譲って隠居しちまったんだろ?
それでまだ一年ちょっと。いくら周りがしっかりしてるからって、一人息子に全部放り投げて、正室側室と三人で仲良く引きこもりだなんてなあ」
『ちょっとばかり同情する』とまで言う町人。
それをバカ殿が聞いたら、ありがとうと言うかもしれんな。
「ははっ、そうかねえ。なら同情ついでにバカ呼ばわりもやめてやっか。つっても、まだ若いんだし、バカなことやりたくなってもしょうがないよなあ。あはは!」
こちらも『あはは』と笑い返し、雑談ついでに『側仕えに芸者の格好させて叱られたらしい』と話の種を提供してやる。
すると彼は腹を抱えて笑い出した。
「ぶはははっ! 悪い! やっぱバカだわウチの殿さま! おカタい武士さまにそんなことさせりゃ、怒られるに決まってるっての!」
そのまま町人が笑い続けていると、注文した蕎麦がやってきた。
彼との会話はこれで終わりとし、腹を満たすとしようか。
そう考え箸を手に取ると、沙が真夏の暑さを忘れそうな冷たい声を出してきた。
「名無乃様、いったい何をお考えなのですか」
その声に鳥肌を立たせながら『何が?』と自分は答える。
すると沙は眉をピクピクさせながら、感情を押し殺した声で話した。
「何故、自ら恥をさらしていくのかと問うたのです。
この話が広まれば、より汚名を拭いづらくなると理解していないのですか?」
そういえば、沙は自分がバカ殿呼ばわりされることを嫌っていた。
彼女からすれば今の会話は火に油を注ぐようなもの。
隠された真意があるなら、教えてほしいと思うのも無理はない。だが、そんなものは無かったりする。強いて言うなら、多少は間の抜けた藩主の方が、親しみが出るのではないか…と思う程度。
そう答えると、彼女は頭痛を堪えるように額に手をやった。
「慕われるならともかく、親しまれてどうするのですか。
その二つは全く意味合いが違います」
その言葉の違いは言われずとも分かっている。
だが、領民がバカ殿だと笑っていられるということは、彼らに余裕があるということだ。
もし西側諸侯との争いで何かがあって、より厳しい年貢の取り立てや領民の徴用を行うようになったら、バカ殿というあだ名は、嫌悪や怨みをもって彼らの口から出ることになるだろう。
そうならないよう、奮闘しようという戒めぐらいにはなる…かも?
即興で言い訳を考えようとしたが、上手くまとまらない。
これは怒るか…と覚悟していると、彼女は何とも表現しがたい複雑な表情をした。
「……そんなことにならないよう、前線の武士たちが頑張っているのです。
名無乃様も彼らを見習い、暇なときは武芸の鍛練をしたらいかがですか?」
バカ殿から話題を転換してくれたのは助かったが、今度は遊んでないで修行しろときた。
しかし合理的に考えて、自分のような立場の者が剣の腕を磨く必要があるのだろうか。
藩主自らが切り結ばねばならない状況など、すでに東側の命運は尽きているのでは。
「合理性の話ではありません。武士の棟梁がなまくらでは威厳に関わります。
それに、西側の刺客がどこぞに潜んでいるとも限りませんし、お忍びとあらば、賊たちに襲われることも考えられるでしょう。
そのような点でも、己の身を守る術は必要となります」
痛いところを突いてきた。
威厳や刺客は棚に置くとしても、お忍びについては反論しづらい。
この町は親藩の城下だけあって治安は良い方だが、それでも後ろ暗い場所へ足を延ばせば、暴漢に襲われることはままある。
純粋に金子目当ての賊から、酔って喧嘩っ早くなった職人まで様々だが、そういった悶着には事欠かない。
そんな場所へ向かうときは用心棒を連れているが、それを明かせば馬の骨でなく城の者を供にしろと言うだろう。
お目付けがいては心置きなく楽しむことができないので、それはどうか勘弁願いたい。
今日はずいぶんと言葉に詰まるな…と困っていると、沙の視線が自分から逸れた。
何かあったのかと思うと背後から肩をポンと叩かれて、聞き慣れた女性の声が耳に入る。
「何か揉めているようですが、どうしたのです?」
声をかけてきた方を向くと、そこには沙に負けず劣らずな美しい女性の姿。
ジパングと様式が異なる衣服を纏い、腰の後ろに刀を吊るしている彼女は自分の友人だ。
その名を四賜(ヨンシー)といい、霧の大陸出身の死者の妖怪である。
沙に内緒にしている用心棒というのは彼女のことだ。
「誰ですか、貴女は」
横から割り込んできた四賜に対して、当然の言葉を放つ沙。
お説教中ということもあり声に棘があったが、四賜は気にせずに返す。
「わたしは四賜という者で、名無乃さんの友人です。
無礼ですが彼が困っているようだったので、口を挟ませていただきました」
名を名乗った四賜は『あなたは?』と沙に言う。彼女は名を名乗り『お目付け役だ』と答えた。四賜はそれを聞くと、わざとらしく驚いて少し目を開く。
「ずいぶん腕の立ちそうなお目付けがつくだなんて、実は名無乃さんは結構な家柄だったりするのかしら。ですがご安心ください。わたしも腕には少しばかり覚えがありますので、彼をみすみす暴漢の餌食にさせるようなことはしません」
「素性の知れぬ馬の骨が何を言うか。そもそも私は名無乃様の外出自体を咎めたわけではない。己の身を守れるようになるまでは、控えるべしと諭しているのだ」
沙はそう言うが、彼女が認める腕前となると、どれほどの時間がかかることか。
もし認められたとしても、供は不可欠だと主張し、単独での外出などさせてくれないだろう。気ままに夜遊びできないのでは、鍛練してもあまり意味がない。
四賜はそういった心情を分かってくれるので、自分の側についてくれる。
「己の身を己で守る。そのために鍛練を積むのは良いことだとわたしも思います。
しかしそうなるまで、気晴らしの外出を認めないというのは如何でしょうか。
本人の腕が未熟ならば、それこそ供の者が身を守ればよいでしょう」
「別に外出を認めないわけではない。名無乃様が供をお連れしないのが問題なのだ」
結局のところ、自分と沙の確執はそこにあるのだ。
気楽に振る舞うため一人になりたい自分と、護衛兼お目付けとして供をつけたい沙。
それを折衷するとなると……。
「でしたら、やはりわたしが護衛を務めるべきでしょう。
わたしならば名無乃さんも気を抜いて楽にできますし、彼の身を守ることもできます。
あなたも妖怪のわたしが西側や賊に通じているとは思いませんね?」
四賜が妖怪であるという時点で、西国の間者でないことは確実だ。
賊についても同じで、彼女が人間を傷つけてまで金子を奪うことなどありえない。
素性の知れない馬の骨であっても、それだけは疑いようがないのである。
『だから大丈夫だ』と沙を説得してみるが、やはり彼女は良い顔をしない。
「……貴女が名無乃様に危害を及ぼす気がないというのは信じましょう。
しかし素行を諌められないのであれば、片手落ちです」
羽目を外しすぎないよう、注意できなければ意味がないと沙は言う。
四賜はそれに笑みを浮かべて答えた。
「それもご安心を。わたしは名無乃さんの友人です。
彼が博打や遊郭にのめり込んで身持ちを崩すなど、決して見過ごしません」
友人だからこそ、度を超えるような遊びは止めさせるのだと言う四賜。
実際、博打で熱くなりすぎて無謀な賭けをしそうになったことがある。
彼女が止めてくれなかったら、夜遊びなどしばらくできない懐になっていただろう。
「わたしなら、名無乃さんが窮屈を感じないようにしながら、過ぎた行いを諌められます。これで護衛としての腕前が伴えば、問題などないですわね?」
畳み掛けるような言葉の連続に沙は心底不満そうな顔をするが、正論なので言い返しはしない。その代わりに、条件を持ち出してきた。
「いいでしょう。貴女が私と勝負して勝ったなら、その腕を認め、護衛を任せても構いません。ですが、私が勝ったなら、名無乃様の夜遊びを止める手伝いをしてもらいますよ」
『いいですよ』と返答する四賜に自分は泡を食った。沙は藩内でも随一の剣の使い手なのだ。四賜もそこらの暴漢を歯牙にかけない強さだが、彼女に勝てるかは怪しい。
もし四賜が敗北すれば自分の自由は失われてしまう……。
「街中で試合をするわけにもいきませんし、わたしの家でよろしいでしょうか?
二人そろって剣を振り回す程度の広さはありますから」
そう言って四賜は腰の後ろに下げた刀に触れる。
彼女は暴漢に襲われた時は素手で対処しており、剣を抜いたところは見た事がない。
沙の強さが読めていないわけもないだろうし、そちらもかなりの自信があるのだろうか。
不安と希望を胸中に抱えながら、自分は蕎麦を急いで食べきった。
四賜が住んでいるのは、商人としては上等な屋敷である。
彼女が帰宅すると屋敷の主と来客を目にした奉公人たちが、頭を下げて礼をする。
そのうちの一人に『客をもてなす用意をしろ』と伝えると、彼女は足元が平らで堅固な庭の隅へ誘う。
隅といっても塀のすぐ側というわけではなく、よほど移動しなければ周囲を気にする必要はないだろう。
「改めて確認いたしますが、わたしが勝ったら名無乃さんの護衛として認め、彼の夜間外出を許可するということでよろしいのですね?」
四賜はそう言って腰の後ろに下げた刀…霧の大陸で使われる青龍刀という剣を抜く。
その顔は引き締まっていて、油断どころか余裕さえ感じさせない。
「その通りです。ですが私が勝ったなら、名無乃様の夜間外出は原則禁止として、抜け出した場合の対処に貴女も当たってもらいますよ」
蕎麦屋での会話よりも内容が厳しくなっている気がするが、口を挟める雰囲気ではない。
沙は左腰に下げた刀をシャリッ…と抜いて構えをとる。
彼女にとっても四賜は気を抜ける相手ではないのか、話す声は硬い。
それぞれの武器を抜いた彼女らは、『始め』の号もないのに徐々に間合いを詰めていく。
そして二人にしか見えない一線を越えた瞬間、剣戟が開始された。
四賜もかなり剣が使えたらしく、藩内で次点の腕前を持つ剣客ですら、五合ともたない沙と打ち合えている。
しかし不利なのは否めないようで、傍から見ていると押されているのが明確に分かる。
いったん仕切り直そうというのか、四賜は大きく飛び退いた。
沙はそれを追いはせず、また構え直して口を開く。
「やりますね、四賜さん。
確かにこれほどの腕前なら、名無乃様の護衛は充分に務まるでしょう。
ですが私には及びません。このまま続けても構いませんが、降参はしませんか?」
四賜の腕を認めつつも『私には敵わない』と言い切る沙。
自分もそう思えるが、だからといって敗北を認められても困る。
「そうね。あなたの言う通り、剣の勝負では勝てないみたい。
でも、これは剣術の試合じゃないわよね……」
死者の妖怪だというのに、衣服に滲むほど汗をかいている四賜。
彼女は意味ありげに喋るとこちらに一瞬だけ視線を向け、何と手にしていた青龍刀を投げつけた。
「……っ! 何の真似を…!」
刀を抜いて構えている沙に正面から投擲したところで、当たるわけがない。
彼女は回転しながら飛んできた剣を容易く弾き飛ばした。
普通の相手ならばそんな悪あがきをされたところで、武器を失ったところを切り捨てて終わりだろう。
だが、四賜は普通の相手ではなかった。
投擲とほぼ同時に接近した彼女は沙の両手首を掴んで、強引に刀から手を引きはがす。
剣の技術はともかく腕力では彼女に分があったのか、沙の手を離れた刀は地面へと落下し、四賜はそれを遠くへ蹴り飛ばした。
「ぐっ…! なんて馬鹿力ですか貴女っ!」
「ふん、戦乱続く霧の大陸を舐めないでもらえるかしら?
武装した相手に素手で対処する手段なんて、いくらでもあるのよ!」
武芸者としての不敵な笑みを浮かべた四賜は、掴んでいた両手首をパッと放す。
そして流れるような動きで沙の鳩尾に拳を触れさせたかと思うと、接触距離から拳打を放った。
以前見せてもらったことがあるが、あれは寸勁というものだろう。
四賜の一撃を受けた沙は数歩後退し、地に片膝をつく。
素手で構えをとる四賜を見上げる顔は『不覚』という言葉を形にしたかのようだ。
「元々わたしは剣より拳の方が得意なのよ。さあ、どうなさいますか沙さん。
武器は失われて、素手での勝負になりますが、降参いたしますか?」
剣の腕で負けたことを少し根に持っているのか、同じように降伏勧告をする四賜。
彼女らの持つ刀は肉体に傷をつけないが、素手で戦うとなれば普通に傷を負う。
いかに頑丈な妖怪同士といえど、そんなことはすべきではないだろう。
しかし刀を失ったからといって、沙が引き下がるとは考え難い。
そして予想した通り、彼女は立ち上がると素手で構えをとった。
「舐めないでください、ジパングにも空手の術はあります。
大陸の拳法になど後れを取るものですか!」
沙がそう啖呵を切り、二人は素手での戦いにもつれ込んだ。
素手の沙も決して弱くはないが、四賜にはとても及ばない。
二人の力関係は剣を手にしていた時と正反対になったようだ。
だが首を刎ねれば即死の剣と違い、素手ではなかなか決着がつかない。
ましてや二人はしぶとさに長けた死者の妖怪だ。
一方の戦闘不能をもって勝負ありとするなら、両者とも肉体の損壊が酷いことになってしまう。『さして痛くない』『短期間で治る』といっても、彼女らのそんな姿を目にしたくはない。
自分の望む結果ではないが『夜遊びの頻度を下げ、沙を必ず供にする』という程度の条件で、手打ちするべきだろう。
その結論に至った自分は、また離れて睨み合いを始めた二人に声をかけた。
自分の手打ち案は渋られたものの、二人とも飲んでくれた。
このまま戦えば敗北濃厚な沙は、お目付けとして同行するという点で妥協。
負けて好き放題夜遊びされるよりは良いとの判断だと思われる。
四賜は優勢だったので難しい顔をしたが、沙の肉体を損壊させてしまえば自分の心証を損なうと思ったのか、何とか受け入れてくれた。
ただその補填として、水浴びに付き合えと言ってきたが。
真夏の午後とあれば、日陰にいようと汗は流れ、服が肌に張り付く。
それほどの暑さならば、湧いた湯でないただの水であっても、充分に爽を得られる。
妖怪の白蛇がとぐろを巻けるほどに広く、男子の膝小僧ほどの深さをもつ丸桶。
四賜は家人に命じてそこに井戸水を溜めさせると、所々が破れた服を脱ぎ、ちゃぷっ…と腰を水に浸ける。
そして手桶を掴むと、同じ丸桶に浸かっている自分に差し出した。
「あなたの頼みを飲んであげたのですもの、汗ぐらい流していただけますよね?」
そう言って狡い笑みを浮かべる四賜に異を唱えるつもりもなく、自分は手桶に水を汲んで彼女の頭からかけ流す。
彼女は水の冷たさに心地良い顔をすると『次は肩』と指定し、以前からの話題を口にした。
「名無乃さん、祖国との貿易の件ですが、父から色好い返事を貰えましたわ。
小さい規模から始めることになりますが、大将軍さまの認可さえ得られれば、実行に向けて動き出せます」
一部の者しか知らないが、四賜はただの商人ではない。
霧の大陸に存在する三大国の一つ、四神国に属する小国家の王女の一人なのだ。
母が側室かつ本人が女性ということもあって王位継承権はないが、人を扱う才は父王から受け継いだらしく、成長して家を出た彼女は商人としてそれなりの成功を収めた。
ある程度足元が固まった彼女は国内ではなく、海を越えたこのジパングに目をつけ、異国たるこの地に降り立ち、良い商機はないかと探していたら、親藩藩主というこの国の最高権力者に近い人間と偶然にも出会い、祖国との貿易計画を建てたのである。
「うふふ、我が商会がジパングとの貿易を一手に引き受ける…のは規模からして不可能ですが、最初期で噛んでいれば、将来的にその利益は膨大な物となるでしょうね。あなたと出会えて本当に幸運でした。あ、次は背中の中ほどをお願いします」
要望通りに自分は彼女の背中に水をかけていく。
今の言葉だけを聞けば、己の利益しか考えていない女のようにも思えるが、この計画がうまく運べば、この藩にも将軍家にも多大な利益がもたらされる。
藩主としてこの話をただ見過ごす手はないだろう。
……うまく運ばなかった場合がどうなるか心配ではあるが。
「いいえ、名無乃さんは利に聡く、情に篤く、何よりも幸運に恵まれたお方。
人の上に立つ者として不可欠な物を備えておりますわ。そんなあなたが仲立ちする計画が失敗するなどありえません。何故なら、わたしがそうさせないからです」
少し懸念を漏らしただけで、それを払拭しようと励ましてくれる四賜。
そんな心遣いをしてくれる彼女と出会えたことは本当に僥倖だった。
それを胸中で噛みしめているとと、背を向けていた彼女は『流すのはもういい』と口にし、こちらに身を向けた。
「沙さんほどではありませんが、わたしの肉体も傷つきました。
治していただいてよろしいですか、名無乃さん?」
断わるはずもないと知っている四賜は、こちらが返答するより早く身を寄せて、自分の上に座ってきた。
彼女はすでに硬直している男性器を下の口にくわえ込むと、両腕でこちらを抱きしめて、腰を上下に揺さぶってくる。
「んふっ、あなたと繋がっただけで、傷が癒えてしまった気がします。
やはりわたしたちの相性は抜群、あなた抜きではもう生きていけないですわね」
死者として矛盾した言葉を口にしながら、動き続ける四賜。
沙よりも豊かな乳房を押し付けてくる彼女を自分も抱き返す。
剣と拳の違いはあれど、武芸者として鍛えられた肉体の感触は沙によく似ている。
自分に他意はないが、そう言われた彼女は不満そうに口を尖らせた。
「もう、睦み合いの最中に他の女ことを口にしないでくださいな。
沙さんが一番なのは知っていますが、今はわたしだけを見てください」
四賜には悪いが、彼女と沙のどちらかを選べと言われたら、沙を取ってしまう。
日々口うるさく叱られようとも、昔から寄り添ってくれた彼女の方が重いのだ。
それに自分の中での女性の基準は、沙が基本に置かれている。
女性を評価するときは、どうしても彼女と比較してしまうのである。
「んっ…でしたら、わたしが、それを塗り替えて差しあげますわ…っ。
わたしに溺れて、沙さんのことなどっ…忘れてくださいませっ…!」
彼女はその身に力を込めて、男性器を強く責め立てる。
大波が降りかかったようなその快感は、一時といえど姉のような女性のことを脳裏から押し流した。残されたのは、今まぐわっている異国の美女への劣情だけ。
「はっ…あっ、ん…っ! ああ、全くもって…素敵ですわ、名無乃さん…!
あなたのことが愛おし過ぎて、子宮の疼きが止まりませんのっ…!」
自分の子を身籠りたくて子宮が疼くと言う四賜。
小国かつ王家内での序列は低いとはいえ、王女である彼女を孕ませてしまっては、只では済まないだろう。
彼女の祖国との関係が悪化することはないだろうが、父王への挨拶などで忙しくなるのは確実だ。
「そんなことっ…ありませんわ…! 今のわたしは、ただの商人ですものっ…!
父への報告など、書簡一つで充分…! 側室なども、興味ありませんわ…!
あなたの子を産めれば…それだけで、満ち足りますのっ…! だから、精をっ…くださいませっ…!」
手足でも繋がってしまおうかというほどに、四賜は強く抱き締めてくる。
それに次いで膣肉も男性器を強く締めつけ、精液を搾り取りにきた。
「かっ…はっ! 良いですわ…! あなたの精、注がれるのっ…!
生きた熱を…感じるっ…! もっと、種付けしてくださいませ…!
わたしの腹で…娘をっ、育てさせてくださいませっ…!」
膣内に精液を浴びせられた彼女は、全身の筋肉を硬直させ快感に震えた。
よほど気持ち良いのか、こちらの背に立てられた手の爪が、肌を破って肉に食い込む。
しかし痛みは微塵も無く、それどころか子種を注ぎ込む快感がより強く感じられた。
四賜とは屋敷で別れ、自分は沙と共に城へ戻ることにした。
連れ立って歩くその道中、彼女は一言も喋ろうとせず、その空気は実に重い。
さらに城の勝手口を通り抜けてもそのままだったので、自分は頭を下げて謝り、機嫌を戻してほしいと伝える。
しかし彼女は『謝る必要はない』と言い、道のりでの胸中を明かした。
「殿の行状に不満があるわけでは…ありますが、それとは関係ありません。
己の腕が未熟でありながら、天狗になっていたと思い知らされ、落胆しただけです」
彼女の告白を聞いて『なるほど』と理解できた。
沙の剣術の腕は藩内において他の追随を許さず、それ以外の武術においても上位に記される達人だ。
そんな彼女にとって四賜に追い詰められたことは、久方ぶりの屈辱であり、主君の手打ちによって敗者の汚名を免れたことは、許し難い恥なのだろう。
公の試合だったわけではないし、往来の目があったわけでもない。
なので気にする必要はないと思うが、真面目な彼女はそうは考えられないか。
「弛んだ心も半端な腕も、改めて鍛え直さねばならぬでしょう。
流石に武者修行の旅とはいきませんが、今日より始める心積もりです……が」
沙はそこまで口にしたかと思うと、最後を言い辛そうに濁した。
そして白い頬を少しだけ染めて、恥ずかしそうに言う。
「その…先ほどの戦いで、体がかなり壊れておりまして。
鍛練に前もって傷を癒したく、殿の情けを頂ければと……」
毎度毎度自分の方から手を出すため、彼女の側から交わりを求めてくることはまず無い。
それというのに彼女が口にするということは、本当に差支えがある重傷なのだろう。
家臣の身で申し出てはしたないと考えているのか、沙は申し訳なさそうに身を竦める。
しかし彼女に望まれて、自分が否を言うわけがない。珍しく恥ずかしがる彼女を連れて私室へと歩を進めた。
「あ…んっ、殿、真に申し訳ございません……」
部屋についた自分と沙は早速着物を脱いで交わり始めた。
歩いている間は分からなかったが、彼女を下にして裸で抱き合っていると、その傷の酷さが分かる。
心臓が鼓動しない故に痣は薄く狭いが、それでもほぼ全身に点在していた。
「ただでさえ、みすぼらしい体を、抱きしめていただくなど…。
どこか尖っていれば…んっ、お気を遣わず、口にしてくださいませ…あっ」
流石に手足の関節が増えたりはしていなかったが、肋骨は何本も折れていて抱いた感触がおかしいし、背に回された前腕も一部が砕けているのか、骨の位置がずれているのを感じる。唇を触れさせ舌を絡ませてみれば、喉の奥から出てきたのか血の味がした。
「んん…ぷぁ…っ。接吻など、お止めください…。
今の私は…っ、内臓が、潰れているのです…。
死んだ血が、殿の口に入ってしまい……んあっ!」
化粧下手が紅を引いたかのように赤く染まった沙の唇。
それを見て、血で汚れていても彼女は美しいと改めて実感する。
「ああ、殿……。このような使えぬ死体に…うくっ!
情けをかけていただいた御恩…っ、必ずや、お返しいたします…!」
まぐわいながら話している間にも、彼女の体は徐々に治癒していく。
胸元にあった痣はもう消え、折れた肋骨もペキペキと骨の擦れる音を立てながら、正常な位置に戻る。
「まずは、あの四賜という女…! 次に手合わせした時は…んっ!
この雪辱を…おぉっ! 晴らしてっ、御覧にいれましょうっ…!」
普通の人間ならば、命を落としかねないほどの重傷。
それを受けたというのに、彼女の怪我はもう治りかかっている。
死者の妖怪だから心配などしていなかったが、やはり傷の無い沙の体が一番良い。
「なんと、勿体ないお言葉っ…! この沙、改めて心より、忠義を尽くさせて頂きます…!
これよりいただける殿の精で……っ、役立てるようになってっ、見せましょうっ!」
普段の調子を取り戻せたのか声に力が籠る沙。
自分は彼女が元気になったことを嬉しく思いながら、負傷しても具合が変わらなかった膣に精を放つ。
快気祝いというわけではないが、常よりも精液が多く出ているように思えた。
「とっ、殿! これほどに子種を注がれてはっ、色狂ってしまいます…! ど、どうか、お許しくださいっ! 殿の温情を女として悦ぶことを、ご容赦くださいませっ!
ああっ…良いっ! お慕いしております殿ぉっ! もっと、種付けしてくださいませぇっ!」
傷を癒すという名目で沙から口に出した交わり。
だというのに、普段の子作りと同様に乱れてしまったことを彼女は謝る。
しかしそんな名目など自分には些細なことであり、彼女と共に気持ち良くなれるならそれでいい。女の悦びをもっと味わってくれと思いながら、愛おしい彼女を抱き締めた。
しばしの間、沙は言葉通りに鍛練を続け、ついに四賜に再戦を挑んだ。
鍛練を積んだ甲斐あってか、その結果は沙の勝利。
沙いわく『拳法使いだと知っていれば対処可能』だとのこと。
それで話が終われば平和だったのだが、何と今度は四賜の方が対抗意識を燃やし始めた。
四賜は『沙とは実質的に一勝一敗。次こそ真の決着をつける』との意気込みだ。
流石は戦乱の大地、霧の大陸出身だけあって、敗北したままは我慢ならない気質らしい。
今は青龍刀を扱う腕前と素手での戦いに持ち込む技術、両方を磨いているのだそうだ。
まあ、良き好敵手として互いに切磋琢磨してくれるなら、悪いことではないだろう。
そう、それだけなら悪い事ではないのだが……。
「さあ勝負! 目は……二六の丁!」
行きつけの賭場に響く中盆の声。
随分と久々の夜遊びに沙と四賜を伴い、自分は丁半博打を行っていた。
始めて半刻ほどだが、出歩かなかった間のツキが溜まっていたのか、やたら勝っている。
このままの調子でもっと儲けよう…と次の勝負に賭けようとしたら、沙が嫌気のさした声をかけてきた。
「もういいでしょう名無乃様。遊び始めて半刻、存分に勝ったではありませんか。
懐が温まっているうちに退くのが、賢い判断というものです」
夜遊び全般を不道徳と思っている沙は、元からこういった場所に良い印象を持っていない。自分の供でもなければ、賭場になど決して足を踏み入れないだろう。
そんな彼女は『儲けをすってしまう前に帰れ』と諭してくる。
しかし自分はただ儲けたいわけではなく、遊びで勝ちたいのだ。
こんなに早く帰っては面白くない。
「そうやって引き伸ばすから、結果的に損をするのです。
貴方が止めないというのなら「まあまあ、そう硬く考えなくてもいいじゃない」
沙の言葉を遮って話すのは四賜。
彼女は夜遊びに理解があるので、自分の邪魔をしたりはしないのである。
「所詮これは遊びなんだもの、限度を弁えていれば財布を目減りさせても、悔しがるだけで済むわ。ましてや今はツキが向いていて、大勝ちしているんですもの。
儲けた分をすったところで、損なんてどこにも無いでしょう?」
「その考えが危ないというのです四賜。少し儲けたからと調子にのって大きく張れば、いずれ手痛い返しがやってくるのです」
武芸の腕前は認め合っている彼女らだが、性格の方はまるで認めていない。
夜遊びで自分が何かしようとするたびに、二人は意見を対立させるのだ。
正味の話、毎回毎回すぐ傍で言い争われては、楽しめるものも充分に楽しめない。
かといって二人を連れ歩くのは手打ちの条件なので、反故にするわけにもいかない。
そう思い困っていると、隣に座っている博徒が笑いながら話しかけてきた。
「若侍さまよ、いい嫁さんたちだなあ。
考えは正反対だけど、どっちもお前さんのためを想って争ってやがる」
そんなことは言われずとも分かっている。
だからこそ一方的に沙の言い分を却下できないのだ。
「……どうやら、妥協なんてできないみたいね、わたしたち」
「こんな不道徳な遊びのどこに、妥協する点があるというのですか」
いつの間にか対立は深刻になっていたようで、言葉に緊張がうかがえる。
もはや夜遊び云々の話ではなく、相手の人格が気に入らないといった風だ。
「……決着、この場でつけましょうか」
「……いいでしょう。二度目の敗北を与えてあげます」
二人とも周りが見えていないのか、躊躇もせずに刀を抜く。
客たちは抜き身の刃物に素早く反応したが、すぐ彼女らが妖怪だと気付き、血生臭い事にはならないと気を緩める。
それどころか、中盆は良い余興だとばかりに声を張り上げた。
「おっと、ここらで一つ違う勝負といきやしょう! 勝つのはジパングの武士さまか、それとも大陸の剣士さまか!? 皆様方、さあ張った張った!」
「俺は武士さまだ!」「いいや、剣士さまの方が上と見るね!」
丁半を中断し、二人の勝負を賭けにする博徒たち。
沙が冷静だったなら、すぐに引いて賭けなど成り立たなかっただろうが、今の彼女は完全にその気になっている。
後々の事を考えれば二人の間に割り込んで止めさせるべきだが、こうも盛り上がっては場の全員から顰蹙を買うだろう。
のっぴきならないこの状況に困り果てていると、先ほどの博徒が馴れ馴れしく言う。
「お前さんはどっちに賭けるんだい? 俺はそっちに乗らせてもらうからよ」
沙と四賜、どちらか片方に賭けられるわけがない。
自分は今宵の儲けを懐に入れ、この勝負が終わったら帰ることを心に決めた。
無論、支配者としての教育を受けてはいるが、種々の専門分野において、事細々と口を挟めるような知識はないのである。
藩主の仕事というのは、問題解決や計画進行において、許可・承認の印を与えるぐらい。
他所はどうだか知らないが、我が藩においては家老たち側近がしっかりしているので、それで問題なく回っている。
「……だからといって政務を放り出し、午前から私に酌をさせるのはどうなのです?」
『問題起きてないんだからいいじゃないか』と言ってみるも、納得せずに半目を向けてくるのは一人の妖怪。
(生まれつきだが)死人の妖怪である彼女は名を沙(シヤ)と言い、自分が幼い頃から側仕えしてくれた姉のような存在だ。
真面目にすぎる彼女は、急を要さない案件を後回しにして、息抜きをする自分が気に入らないようである。
「良い事ではありませんが、息抜きの一献ぐらいなら私も黙認しましょう。ですが、酒瓶を並べて、私に芸者の装いさせるなど、本格的に飲むつもりではないですか!」
ついに我慢できなくなったのか、徳利を叩きつけるようにお盆に置いて『ウガーッ』と怒る沙。慣れない芸者の着物だからか、荒い動きで両肩がはだけて色っぽい。
「百歩譲って酒は良いとしましょう。ですが私に芸者の格好をさせる必要がどこにあるのです! 私は武士ですよ!? 刀を手にして戦うのが役目です! 番傘をさすのが仕事ではありません!
こんなことしていたら『ウチの殿さまは刀と傘の区別もつかないバカ殿だ』などと言われますよ!」
『バカ殿』という領民が口にするあだ名を引き合いに出し、沙は説教する。
仕える主君が民衆に笑い物にされているのが気に入らないのだろう。
だが『刀と傘の区別もつかない』というのは悪くないじゃないか。それだけ領内が平和だということなのだから。
「領内は平和でも、ジパングは平和ではありません。
小康状態とはいえ、西側諸侯との争いは終わっていないのですから」
かなりの昔、ジパングでは全国諸侯が東軍西軍の二陣営に分かれて、大規模な戦を行ったことがある。その結果は妖怪たちを味方につけられた東軍の勝利。
お題目の一つとして妖怪排斥を掲げていた西側諸侯は大きく勢力を減じ、東側諸侯の盟主がジパング支配者の地位を名乗るのを止めることさえできなかった。
「それにあまりに放蕩具合がすぎれば、大将軍さまに蟄居させられることも考えられます。いかに親藩の藩主といえど、罰を与え処分を下せる者はいるということを忘れてはいけません」
『そうなってほしくないのです』と言外に言う沙。
怒りでなく憂慮からそう言われると『悪いことしたかな…』と少しは思ってしまう。
だがそれは無いだろう。
大将軍とは歳の近い従兄弟で仲良くしているし、彼も『早く国内統一して、バカ将軍と呼ばれるぐらい遊び倒したい』って愚痴ってたから。
最高権力者だってそう言ってるんだし…と説得してみるが、それを聞いた彼女は冷たい目になった。
「このことは、老中さまに書簡で報告しましょう。
大将軍ともあろう方が、内密とはいえ、そんなことを口にするとは……」
しまった、逆効果だった。これだと彼もお説教を食らうことになってしまう。
次にお目見えした時、切腹とか申しつけられないだろうな……。
内心で不安になる自分をよそに、沙はお説教のまとめに入っていた。
「とにかく、他に優先することが無いのなら、案件には早く返してください。
宴や祭りの日でない限り、酒を口にするのは夜間のみとします。いいですね?」
否とは言わせてくれない口調で沙は言う。
仕方ない、しばらくは日中に遊ぶのは控えよう。
自分は手にしていた盃を盆に置いて、酒を部屋の隅に下げてもらう。
すると彼女は『まったく…』と言いたげに鼻息を吐いた。
「分かっていただけたなら結構です。では……」
早速、後回し案件を持ち出そうとした沙。それを遮り、ズザッと彼女を畳に押し倒す。
すると肩まで見えていた着物がさらに下がり、さらしをしていない胸がフルンと露出した。
剣の達人たる彼女であるが、身内かつ殺気の無い相手には反応が遅れるのである。
「なっ! いきなり何をするのですか!?」
突然の凶行に沙は抗議の声をあげるが、口づけをしてそれを黙らせる。
妖怪の彼女がその意味を解さないわけもなく、不測の事態に緊張した身から力が抜けた。
「んっ…殿、このような事は、政務を終わらせてから……」
口では拒む彼女だが、内心はもうその気になっているのが分かる。
酒の代わりに沙を味わいたいと言えば、反抗する気など失せてしまうのだ。
「仕方ないですね…。貴方は小さい頃からそうなんですから……」
『一度決めたら言っても聞かない』と懐かしむように沙は言い、こちらの腰に手を伸ばして袴やその下を脱がす。
自分も彼女の乱れたすそをまくり上げ、下帯も何も着用していない下半身を露わにした。
死者である彼女の肌は蒼白だが、股間の割れ目から覗く体内の肉は温かみのある色だ。
「どうぞ、私の中へお入りください……」
すでに膣液をあふれさせ、ヒクヒクと微かに動く女性器。
自分は男性器をそこに添えると、腰を突き出して彼女と一つになる。
「ん…っ! 今日も貴方は活気に満ちていますね…。もっとも、そうでない時などありませんでしたが…」
自分の初めての相手を務めてくれた沙。
彼女の膣は最初の時から気持ちよかったが、何年にも渡って交わり続けることで、より自分に合わせて円熟した。今の彼女の肉体を筆下ろし前の自分が味わったら、刺激が強すぎて気絶してしまうのではないかと思えるほどだ。
そしてそんな最上の女体を余すことなく堪能できる事を幸福だと自分は感じる。
「あっ、ん…! 勿体ない、お言葉です…!
私も…っ、これほど逞しく育った貴方を感じられてっ、この上なく、嬉しいです…!」
ずっと共にいた彼女にしか口にできない言葉。
姉のようにも思っている沙とまぐわっていることを強く自覚でき、さらに彼女が愛しくなる。剣術の修行で鍛えられ、引き締まった腹。いつしかそこを膨らませてやりたいとさえ思う。
「いつしか…でなく、今すぐっ、膨らませていただいても…構いません…っ!
庶子の娘でよろしければ…喜んで、産まさせて、いただきますっ…!」
妖怪の常であるが、彼女も人間男性との間にできる子供を望んでいる。
それは沙が他の誰よりも自分を愛してくれている証だ。
言葉では表しきれない彼女への好意と感謝。
それが白い液体になって、もうすぐ放たれようとしている。
「でっ…では、いつものように、私の腹の中へ流してくださいませ…!
死体の私にっ…どうか、生きた殿の子種をっ…!」
沙は開いていた両足をこちらの腰に回し、男性器を逃すまいとする。
もちろんそんなつもりなどない自分は、逆に腰を押し付け、彼女の奥で精を解放した。
「あっ! とっ、殿の子種、熱いっ…! 私の腹にっ、熱い種が、流れ込んで…っ!
どうか、もっとお恵みをっ…! 私を、母親にっ…!」
普段はキリッとした沙の金色の瞳。
その瞳に溜まった涙をこぼして、快楽にむせび泣く姿はどこか可愛らしい。
彼女をそんな風にしたのは自分だと思うと、男としての征服感を感じられる。
彼女に抱くあらゆる正の感情が胸中で混じりあい、いつものように最高の快感に包まれながら達することができた。
「……ところで殿、この着物はどちらから用立てたものですか?」
交わりが終わり頭が冷めた沙は、汚れた芸者の着物をつまんで詰問してきた。
この芸者衣装は、自分の正体を知らない知人を通じて、遊郭から借りたものである。
借りる際にそれなりの代金は払ったが、買ったわけではないので、まだ叱責は軽いだろう。そう思っていると、彼女は呆れた様子で言った。
「何を言っているのです。いくら洗ったところで、こんな汚したものを返せるわけないでしょう。この着物のお代は殿の私費から引くこととします。嫌とは言いませんね?」
またもや反論できない口調で言い切る沙。その着物はかなりの上物で、買い取るとなると高くつく。
どうにか藩の台所から出してもらわないと、懐が寂しくなってしまうのだが……。
それは勘弁してもらえないだろうかと、自分は畳に頭をつけて頼む。
その姿を哀れんでくれたのか、彼女はため息を吐いて口を開いた。
「分かりました、この着物については私も半分は負担しましょう。ですから頭を上げてください。藩主のそのような姿、他の者に見られたらどうするのです」
なんと金額を折半してくれるという太っ腹。
懐に痛い事は変わりないが、半分ならずいぶんと助かる。
「それとこの着物は私が預かります。異存はありませんね?」
その言葉には素直にうなずく。彼女以外に着せる相手はいないのだから。
だからまた着てほしくなった時は頼むとしよう。
「……何故そのような期待の目を向けるのですか。このような着物、私の趣味ではありませんし、二度と着ません。この衣装は蔵の中に永久に仕舞っておきます」
予想外の言葉に口が開いた。そんな高価な着物を買っておいて、使わないとは勿体ない。
自分は未練たらしく考え直すように言うが、彼女は頑として首を縦に振らない。
「私にこれを着させたいなら、もう半額を私に払ってください。
その暁には着物を譲渡し、時と場所が許す限りにおいてその姿を見せましょう」
つまり、時間がかかっても全額を私費で支払えということか。
しかも『時と場所が許す限り』ということは、いつでも見せてくれるわけではないと…。
「ほら、いつまで意気消沈しているのです。私が着替えて戻ってくる間に、政務の準備をしてください。少なくとも午前の間は休息なしで仕事に励んでいただきますからね」
沙はそう言うとふすまを開き、芸者姿のまま部屋を出て行った。
藩主は要人ではあるが、罪を犯したお尋ね者とは違う。
わざわざ人相書きを出回らせたりなどしないので、顔を知らない者も多い。
なので、下級武士の身なりをして勝手口から出れば、普通に市井に紛れて散策できるのである。
もっとも沙はそういった『お忍び』に良い顔をしないので、出るところを見られたらお気楽な独り歩きなどできないのだが。
「豆腐ー、豆腐ー、醤油かけると美味いよー」
「魚ー、魚ー、獲れたての、新鮮な魚だよー」
「甘酒ー、甘酒ー、暑気疲れには甘酒だよー」
棒を肩にかけた歩き売りたちが、寄せ声をあげて往来を進む城下町。
下手にぶつかって中身をこぼそうものなら、喧嘩沙汰になるそれらを避けながら自分は歩く。そしてその二歩離れた背後には、供と称したお目付けの沙。
別に変なことをするつもりはないが、そうも見られていると居心地が悪い。
「……で、名無乃様。本日はいったい何のご用向きで外出されたのですか」
町中で本名を使うわけにもいかないので、お忍びの際は名無乃(ナナシノ)と名乗っている。それに『様』をつけて呼ぶ沙の声は『暇だからって遊び呆けてるな』と言いたげだ。
しかし領民がどのように過ごしているか、自分自身の目で確かめることも、藩主として必要なことだと思うのだがどうか。
久しぶりに正論を言えた気がした自分だったが、彼女は刀と同じように言葉で切って返してきた。
「でしたら、最初から供をお連れになってください。こそこそ一人で出ようとするなど、やましい事を企んでいるとしか受け止められません」
彼女の方も正論だ。そしてこれに返す技は自分にはない。
剣術の練習をしたときのように見事に打ち負かされた自分は、何も言えずに行きつけの蕎麦屋ののれんをくぐる。
すると自分の顔を見た店主が『らっしゃい!』と威勢よく声をかけてきた。
『いつもの二つ』と注文して適当な席に腰かけ、沙もその対面に座らせる。
彼女は店内を眺めたあと、話しかけてきた。
「変哲もないただの蕎麦屋のようですが、ここには何かあるのですか」
彼女が何を疑っているのかは知らないが、ここは本当にただの食事処だ。
単に歩き回って食べた中で一番美味いから来るというだけである。
「蕎麦を食べたいなら、料理方に申し付ければよいではないですか。
わざわざ足を運ぶ必要などないでしょう」
あまり料理の味にこだわらない沙は『理解できない』と口にするが、こだわる者はこだわるのだ。城の料理方の腕が悪いとは言わないが『それなりに作れる』と『蕎麦一筋』ではやはり違う。
そして注文がやってくるまでの間、同じように待っている他の客と適当に雑談をする。
とりあえず、バカ殿の評判についてでも聞いてみようか。
「オイオイ、あんた武士なのに、殿さまをバカ呼ばわりだなんて大した度胸だな」
話しかけられた町人は驚いたように言うが、昨今は店の丁稚ですらバカ殿呼ばわりしている。下級武士の自分が口にしてもいいだろう。
「いや、俺は気にしねえけどよ、そっちの武士さまが……」
あ、沙がいたんだった。
つい存在を忘れていた彼女の方を見ると、不満と怒りが混ざった顔でこちらを睨んでいた。こんな顔を向けられたら、それは言葉も濁るだろう。
『頼むからあっち向いて』と伝え、自分は再び会話に戻る。
それで最近の景気とかどうよ?
「あー、俺の知るかぎり、景気は悪くないなあ。それに暴動だ一揆だなんて話もまるで聞かねえ。噂で聞いた西国の連中からすりゃ、ここはもう極楽だろうよ」
西側諸侯の国では重い年貢や賦役などにより、一揆が頻発していると聞く。
このまま何もしなくても、十年すれば崩壊するのではないかと言われるほどだ。
それはそれとして、藩主への不満とかは本当にないのだろうか。
「そりゃ、ある奴もいるだろうけど、今のところ俺はないかなあ。むしろ良くやってる方だと思うよ。たしか元服した途端に、先代が地位譲って隠居しちまったんだろ?
それでまだ一年ちょっと。いくら周りがしっかりしてるからって、一人息子に全部放り投げて、正室側室と三人で仲良く引きこもりだなんてなあ」
『ちょっとばかり同情する』とまで言う町人。
それをバカ殿が聞いたら、ありがとうと言うかもしれんな。
「ははっ、そうかねえ。なら同情ついでにバカ呼ばわりもやめてやっか。つっても、まだ若いんだし、バカなことやりたくなってもしょうがないよなあ。あはは!」
こちらも『あはは』と笑い返し、雑談ついでに『側仕えに芸者の格好させて叱られたらしい』と話の種を提供してやる。
すると彼は腹を抱えて笑い出した。
「ぶはははっ! 悪い! やっぱバカだわウチの殿さま! おカタい武士さまにそんなことさせりゃ、怒られるに決まってるっての!」
そのまま町人が笑い続けていると、注文した蕎麦がやってきた。
彼との会話はこれで終わりとし、腹を満たすとしようか。
そう考え箸を手に取ると、沙が真夏の暑さを忘れそうな冷たい声を出してきた。
「名無乃様、いったい何をお考えなのですか」
その声に鳥肌を立たせながら『何が?』と自分は答える。
すると沙は眉をピクピクさせながら、感情を押し殺した声で話した。
「何故、自ら恥をさらしていくのかと問うたのです。
この話が広まれば、より汚名を拭いづらくなると理解していないのですか?」
そういえば、沙は自分がバカ殿呼ばわりされることを嫌っていた。
彼女からすれば今の会話は火に油を注ぐようなもの。
隠された真意があるなら、教えてほしいと思うのも無理はない。だが、そんなものは無かったりする。強いて言うなら、多少は間の抜けた藩主の方が、親しみが出るのではないか…と思う程度。
そう答えると、彼女は頭痛を堪えるように額に手をやった。
「慕われるならともかく、親しまれてどうするのですか。
その二つは全く意味合いが違います」
その言葉の違いは言われずとも分かっている。
だが、領民がバカ殿だと笑っていられるということは、彼らに余裕があるということだ。
もし西側諸侯との争いで何かがあって、より厳しい年貢の取り立てや領民の徴用を行うようになったら、バカ殿というあだ名は、嫌悪や怨みをもって彼らの口から出ることになるだろう。
そうならないよう、奮闘しようという戒めぐらいにはなる…かも?
即興で言い訳を考えようとしたが、上手くまとまらない。
これは怒るか…と覚悟していると、彼女は何とも表現しがたい複雑な表情をした。
「……そんなことにならないよう、前線の武士たちが頑張っているのです。
名無乃様も彼らを見習い、暇なときは武芸の鍛練をしたらいかがですか?」
バカ殿から話題を転換してくれたのは助かったが、今度は遊んでないで修行しろときた。
しかし合理的に考えて、自分のような立場の者が剣の腕を磨く必要があるのだろうか。
藩主自らが切り結ばねばならない状況など、すでに東側の命運は尽きているのでは。
「合理性の話ではありません。武士の棟梁がなまくらでは威厳に関わります。
それに、西側の刺客がどこぞに潜んでいるとも限りませんし、お忍びとあらば、賊たちに襲われることも考えられるでしょう。
そのような点でも、己の身を守る術は必要となります」
痛いところを突いてきた。
威厳や刺客は棚に置くとしても、お忍びについては反論しづらい。
この町は親藩の城下だけあって治安は良い方だが、それでも後ろ暗い場所へ足を延ばせば、暴漢に襲われることはままある。
純粋に金子目当ての賊から、酔って喧嘩っ早くなった職人まで様々だが、そういった悶着には事欠かない。
そんな場所へ向かうときは用心棒を連れているが、それを明かせば馬の骨でなく城の者を供にしろと言うだろう。
お目付けがいては心置きなく楽しむことができないので、それはどうか勘弁願いたい。
今日はずいぶんと言葉に詰まるな…と困っていると、沙の視線が自分から逸れた。
何かあったのかと思うと背後から肩をポンと叩かれて、聞き慣れた女性の声が耳に入る。
「何か揉めているようですが、どうしたのです?」
声をかけてきた方を向くと、そこには沙に負けず劣らずな美しい女性の姿。
ジパングと様式が異なる衣服を纏い、腰の後ろに刀を吊るしている彼女は自分の友人だ。
その名を四賜(ヨンシー)といい、霧の大陸出身の死者の妖怪である。
沙に内緒にしている用心棒というのは彼女のことだ。
「誰ですか、貴女は」
横から割り込んできた四賜に対して、当然の言葉を放つ沙。
お説教中ということもあり声に棘があったが、四賜は気にせずに返す。
「わたしは四賜という者で、名無乃さんの友人です。
無礼ですが彼が困っているようだったので、口を挟ませていただきました」
名を名乗った四賜は『あなたは?』と沙に言う。彼女は名を名乗り『お目付け役だ』と答えた。四賜はそれを聞くと、わざとらしく驚いて少し目を開く。
「ずいぶん腕の立ちそうなお目付けがつくだなんて、実は名無乃さんは結構な家柄だったりするのかしら。ですがご安心ください。わたしも腕には少しばかり覚えがありますので、彼をみすみす暴漢の餌食にさせるようなことはしません」
「素性の知れぬ馬の骨が何を言うか。そもそも私は名無乃様の外出自体を咎めたわけではない。己の身を守れるようになるまでは、控えるべしと諭しているのだ」
沙はそう言うが、彼女が認める腕前となると、どれほどの時間がかかることか。
もし認められたとしても、供は不可欠だと主張し、単独での外出などさせてくれないだろう。気ままに夜遊びできないのでは、鍛練してもあまり意味がない。
四賜はそういった心情を分かってくれるので、自分の側についてくれる。
「己の身を己で守る。そのために鍛練を積むのは良いことだとわたしも思います。
しかしそうなるまで、気晴らしの外出を認めないというのは如何でしょうか。
本人の腕が未熟ならば、それこそ供の者が身を守ればよいでしょう」
「別に外出を認めないわけではない。名無乃様が供をお連れしないのが問題なのだ」
結局のところ、自分と沙の確執はそこにあるのだ。
気楽に振る舞うため一人になりたい自分と、護衛兼お目付けとして供をつけたい沙。
それを折衷するとなると……。
「でしたら、やはりわたしが護衛を務めるべきでしょう。
わたしならば名無乃さんも気を抜いて楽にできますし、彼の身を守ることもできます。
あなたも妖怪のわたしが西側や賊に通じているとは思いませんね?」
四賜が妖怪であるという時点で、西国の間者でないことは確実だ。
賊についても同じで、彼女が人間を傷つけてまで金子を奪うことなどありえない。
素性の知れない馬の骨であっても、それだけは疑いようがないのである。
『だから大丈夫だ』と沙を説得してみるが、やはり彼女は良い顔をしない。
「……貴女が名無乃様に危害を及ぼす気がないというのは信じましょう。
しかし素行を諌められないのであれば、片手落ちです」
羽目を外しすぎないよう、注意できなければ意味がないと沙は言う。
四賜はそれに笑みを浮かべて答えた。
「それもご安心を。わたしは名無乃さんの友人です。
彼が博打や遊郭にのめり込んで身持ちを崩すなど、決して見過ごしません」
友人だからこそ、度を超えるような遊びは止めさせるのだと言う四賜。
実際、博打で熱くなりすぎて無謀な賭けをしそうになったことがある。
彼女が止めてくれなかったら、夜遊びなどしばらくできない懐になっていただろう。
「わたしなら、名無乃さんが窮屈を感じないようにしながら、過ぎた行いを諌められます。これで護衛としての腕前が伴えば、問題などないですわね?」
畳み掛けるような言葉の連続に沙は心底不満そうな顔をするが、正論なので言い返しはしない。その代わりに、条件を持ち出してきた。
「いいでしょう。貴女が私と勝負して勝ったなら、その腕を認め、護衛を任せても構いません。ですが、私が勝ったなら、名無乃様の夜遊びを止める手伝いをしてもらいますよ」
『いいですよ』と返答する四賜に自分は泡を食った。沙は藩内でも随一の剣の使い手なのだ。四賜もそこらの暴漢を歯牙にかけない強さだが、彼女に勝てるかは怪しい。
もし四賜が敗北すれば自分の自由は失われてしまう……。
「街中で試合をするわけにもいきませんし、わたしの家でよろしいでしょうか?
二人そろって剣を振り回す程度の広さはありますから」
そう言って四賜は腰の後ろに下げた刀に触れる。
彼女は暴漢に襲われた時は素手で対処しており、剣を抜いたところは見た事がない。
沙の強さが読めていないわけもないだろうし、そちらもかなりの自信があるのだろうか。
不安と希望を胸中に抱えながら、自分は蕎麦を急いで食べきった。
四賜が住んでいるのは、商人としては上等な屋敷である。
彼女が帰宅すると屋敷の主と来客を目にした奉公人たちが、頭を下げて礼をする。
そのうちの一人に『客をもてなす用意をしろ』と伝えると、彼女は足元が平らで堅固な庭の隅へ誘う。
隅といっても塀のすぐ側というわけではなく、よほど移動しなければ周囲を気にする必要はないだろう。
「改めて確認いたしますが、わたしが勝ったら名無乃さんの護衛として認め、彼の夜間外出を許可するということでよろしいのですね?」
四賜はそう言って腰の後ろに下げた刀…霧の大陸で使われる青龍刀という剣を抜く。
その顔は引き締まっていて、油断どころか余裕さえ感じさせない。
「その通りです。ですが私が勝ったなら、名無乃様の夜間外出は原則禁止として、抜け出した場合の対処に貴女も当たってもらいますよ」
蕎麦屋での会話よりも内容が厳しくなっている気がするが、口を挟める雰囲気ではない。
沙は左腰に下げた刀をシャリッ…と抜いて構えをとる。
彼女にとっても四賜は気を抜ける相手ではないのか、話す声は硬い。
それぞれの武器を抜いた彼女らは、『始め』の号もないのに徐々に間合いを詰めていく。
そして二人にしか見えない一線を越えた瞬間、剣戟が開始された。
四賜もかなり剣が使えたらしく、藩内で次点の腕前を持つ剣客ですら、五合ともたない沙と打ち合えている。
しかし不利なのは否めないようで、傍から見ていると押されているのが明確に分かる。
いったん仕切り直そうというのか、四賜は大きく飛び退いた。
沙はそれを追いはせず、また構え直して口を開く。
「やりますね、四賜さん。
確かにこれほどの腕前なら、名無乃様の護衛は充分に務まるでしょう。
ですが私には及びません。このまま続けても構いませんが、降参はしませんか?」
四賜の腕を認めつつも『私には敵わない』と言い切る沙。
自分もそう思えるが、だからといって敗北を認められても困る。
「そうね。あなたの言う通り、剣の勝負では勝てないみたい。
でも、これは剣術の試合じゃないわよね……」
死者の妖怪だというのに、衣服に滲むほど汗をかいている四賜。
彼女は意味ありげに喋るとこちらに一瞬だけ視線を向け、何と手にしていた青龍刀を投げつけた。
「……っ! 何の真似を…!」
刀を抜いて構えている沙に正面から投擲したところで、当たるわけがない。
彼女は回転しながら飛んできた剣を容易く弾き飛ばした。
普通の相手ならばそんな悪あがきをされたところで、武器を失ったところを切り捨てて終わりだろう。
だが、四賜は普通の相手ではなかった。
投擲とほぼ同時に接近した彼女は沙の両手首を掴んで、強引に刀から手を引きはがす。
剣の技術はともかく腕力では彼女に分があったのか、沙の手を離れた刀は地面へと落下し、四賜はそれを遠くへ蹴り飛ばした。
「ぐっ…! なんて馬鹿力ですか貴女っ!」
「ふん、戦乱続く霧の大陸を舐めないでもらえるかしら?
武装した相手に素手で対処する手段なんて、いくらでもあるのよ!」
武芸者としての不敵な笑みを浮かべた四賜は、掴んでいた両手首をパッと放す。
そして流れるような動きで沙の鳩尾に拳を触れさせたかと思うと、接触距離から拳打を放った。
以前見せてもらったことがあるが、あれは寸勁というものだろう。
四賜の一撃を受けた沙は数歩後退し、地に片膝をつく。
素手で構えをとる四賜を見上げる顔は『不覚』という言葉を形にしたかのようだ。
「元々わたしは剣より拳の方が得意なのよ。さあ、どうなさいますか沙さん。
武器は失われて、素手での勝負になりますが、降参いたしますか?」
剣の腕で負けたことを少し根に持っているのか、同じように降伏勧告をする四賜。
彼女らの持つ刀は肉体に傷をつけないが、素手で戦うとなれば普通に傷を負う。
いかに頑丈な妖怪同士といえど、そんなことはすべきではないだろう。
しかし刀を失ったからといって、沙が引き下がるとは考え難い。
そして予想した通り、彼女は立ち上がると素手で構えをとった。
「舐めないでください、ジパングにも空手の術はあります。
大陸の拳法になど後れを取るものですか!」
沙がそう啖呵を切り、二人は素手での戦いにもつれ込んだ。
素手の沙も決して弱くはないが、四賜にはとても及ばない。
二人の力関係は剣を手にしていた時と正反対になったようだ。
だが首を刎ねれば即死の剣と違い、素手ではなかなか決着がつかない。
ましてや二人はしぶとさに長けた死者の妖怪だ。
一方の戦闘不能をもって勝負ありとするなら、両者とも肉体の損壊が酷いことになってしまう。『さして痛くない』『短期間で治る』といっても、彼女らのそんな姿を目にしたくはない。
自分の望む結果ではないが『夜遊びの頻度を下げ、沙を必ず供にする』という程度の条件で、手打ちするべきだろう。
その結論に至った自分は、また離れて睨み合いを始めた二人に声をかけた。
自分の手打ち案は渋られたものの、二人とも飲んでくれた。
このまま戦えば敗北濃厚な沙は、お目付けとして同行するという点で妥協。
負けて好き放題夜遊びされるよりは良いとの判断だと思われる。
四賜は優勢だったので難しい顔をしたが、沙の肉体を損壊させてしまえば自分の心証を損なうと思ったのか、何とか受け入れてくれた。
ただその補填として、水浴びに付き合えと言ってきたが。
真夏の午後とあれば、日陰にいようと汗は流れ、服が肌に張り付く。
それほどの暑さならば、湧いた湯でないただの水であっても、充分に爽を得られる。
妖怪の白蛇がとぐろを巻けるほどに広く、男子の膝小僧ほどの深さをもつ丸桶。
四賜は家人に命じてそこに井戸水を溜めさせると、所々が破れた服を脱ぎ、ちゃぷっ…と腰を水に浸ける。
そして手桶を掴むと、同じ丸桶に浸かっている自分に差し出した。
「あなたの頼みを飲んであげたのですもの、汗ぐらい流していただけますよね?」
そう言って狡い笑みを浮かべる四賜に異を唱えるつもりもなく、自分は手桶に水を汲んで彼女の頭からかけ流す。
彼女は水の冷たさに心地良い顔をすると『次は肩』と指定し、以前からの話題を口にした。
「名無乃さん、祖国との貿易の件ですが、父から色好い返事を貰えましたわ。
小さい規模から始めることになりますが、大将軍さまの認可さえ得られれば、実行に向けて動き出せます」
一部の者しか知らないが、四賜はただの商人ではない。
霧の大陸に存在する三大国の一つ、四神国に属する小国家の王女の一人なのだ。
母が側室かつ本人が女性ということもあって王位継承権はないが、人を扱う才は父王から受け継いだらしく、成長して家を出た彼女は商人としてそれなりの成功を収めた。
ある程度足元が固まった彼女は国内ではなく、海を越えたこのジパングに目をつけ、異国たるこの地に降り立ち、良い商機はないかと探していたら、親藩藩主というこの国の最高権力者に近い人間と偶然にも出会い、祖国との貿易計画を建てたのである。
「うふふ、我が商会がジパングとの貿易を一手に引き受ける…のは規模からして不可能ですが、最初期で噛んでいれば、将来的にその利益は膨大な物となるでしょうね。あなたと出会えて本当に幸運でした。あ、次は背中の中ほどをお願いします」
要望通りに自分は彼女の背中に水をかけていく。
今の言葉だけを聞けば、己の利益しか考えていない女のようにも思えるが、この計画がうまく運べば、この藩にも将軍家にも多大な利益がもたらされる。
藩主としてこの話をただ見過ごす手はないだろう。
……うまく運ばなかった場合がどうなるか心配ではあるが。
「いいえ、名無乃さんは利に聡く、情に篤く、何よりも幸運に恵まれたお方。
人の上に立つ者として不可欠な物を備えておりますわ。そんなあなたが仲立ちする計画が失敗するなどありえません。何故なら、わたしがそうさせないからです」
少し懸念を漏らしただけで、それを払拭しようと励ましてくれる四賜。
そんな心遣いをしてくれる彼女と出会えたことは本当に僥倖だった。
それを胸中で噛みしめているとと、背を向けていた彼女は『流すのはもういい』と口にし、こちらに身を向けた。
「沙さんほどではありませんが、わたしの肉体も傷つきました。
治していただいてよろしいですか、名無乃さん?」
断わるはずもないと知っている四賜は、こちらが返答するより早く身を寄せて、自分の上に座ってきた。
彼女はすでに硬直している男性器を下の口にくわえ込むと、両腕でこちらを抱きしめて、腰を上下に揺さぶってくる。
「んふっ、あなたと繋がっただけで、傷が癒えてしまった気がします。
やはりわたしたちの相性は抜群、あなた抜きではもう生きていけないですわね」
死者として矛盾した言葉を口にしながら、動き続ける四賜。
沙よりも豊かな乳房を押し付けてくる彼女を自分も抱き返す。
剣と拳の違いはあれど、武芸者として鍛えられた肉体の感触は沙によく似ている。
自分に他意はないが、そう言われた彼女は不満そうに口を尖らせた。
「もう、睦み合いの最中に他の女ことを口にしないでくださいな。
沙さんが一番なのは知っていますが、今はわたしだけを見てください」
四賜には悪いが、彼女と沙のどちらかを選べと言われたら、沙を取ってしまう。
日々口うるさく叱られようとも、昔から寄り添ってくれた彼女の方が重いのだ。
それに自分の中での女性の基準は、沙が基本に置かれている。
女性を評価するときは、どうしても彼女と比較してしまうのである。
「んっ…でしたら、わたしが、それを塗り替えて差しあげますわ…っ。
わたしに溺れて、沙さんのことなどっ…忘れてくださいませっ…!」
彼女はその身に力を込めて、男性器を強く責め立てる。
大波が降りかかったようなその快感は、一時といえど姉のような女性のことを脳裏から押し流した。残されたのは、今まぐわっている異国の美女への劣情だけ。
「はっ…あっ、ん…っ! ああ、全くもって…素敵ですわ、名無乃さん…!
あなたのことが愛おし過ぎて、子宮の疼きが止まりませんのっ…!」
自分の子を身籠りたくて子宮が疼くと言う四賜。
小国かつ王家内での序列は低いとはいえ、王女である彼女を孕ませてしまっては、只では済まないだろう。
彼女の祖国との関係が悪化することはないだろうが、父王への挨拶などで忙しくなるのは確実だ。
「そんなことっ…ありませんわ…! 今のわたしは、ただの商人ですものっ…!
父への報告など、書簡一つで充分…! 側室なども、興味ありませんわ…!
あなたの子を産めれば…それだけで、満ち足りますのっ…! だから、精をっ…くださいませっ…!」
手足でも繋がってしまおうかというほどに、四賜は強く抱き締めてくる。
それに次いで膣肉も男性器を強く締めつけ、精液を搾り取りにきた。
「かっ…はっ! 良いですわ…! あなたの精、注がれるのっ…!
生きた熱を…感じるっ…! もっと、種付けしてくださいませ…!
わたしの腹で…娘をっ、育てさせてくださいませっ…!」
膣内に精液を浴びせられた彼女は、全身の筋肉を硬直させ快感に震えた。
よほど気持ち良いのか、こちらの背に立てられた手の爪が、肌を破って肉に食い込む。
しかし痛みは微塵も無く、それどころか子種を注ぎ込む快感がより強く感じられた。
四賜とは屋敷で別れ、自分は沙と共に城へ戻ることにした。
連れ立って歩くその道中、彼女は一言も喋ろうとせず、その空気は実に重い。
さらに城の勝手口を通り抜けてもそのままだったので、自分は頭を下げて謝り、機嫌を戻してほしいと伝える。
しかし彼女は『謝る必要はない』と言い、道のりでの胸中を明かした。
「殿の行状に不満があるわけでは…ありますが、それとは関係ありません。
己の腕が未熟でありながら、天狗になっていたと思い知らされ、落胆しただけです」
彼女の告白を聞いて『なるほど』と理解できた。
沙の剣術の腕は藩内において他の追随を許さず、それ以外の武術においても上位に記される達人だ。
そんな彼女にとって四賜に追い詰められたことは、久方ぶりの屈辱であり、主君の手打ちによって敗者の汚名を免れたことは、許し難い恥なのだろう。
公の試合だったわけではないし、往来の目があったわけでもない。
なので気にする必要はないと思うが、真面目な彼女はそうは考えられないか。
「弛んだ心も半端な腕も、改めて鍛え直さねばならぬでしょう。
流石に武者修行の旅とはいきませんが、今日より始める心積もりです……が」
沙はそこまで口にしたかと思うと、最後を言い辛そうに濁した。
そして白い頬を少しだけ染めて、恥ずかしそうに言う。
「その…先ほどの戦いで、体がかなり壊れておりまして。
鍛練に前もって傷を癒したく、殿の情けを頂ければと……」
毎度毎度自分の方から手を出すため、彼女の側から交わりを求めてくることはまず無い。
それというのに彼女が口にするということは、本当に差支えがある重傷なのだろう。
家臣の身で申し出てはしたないと考えているのか、沙は申し訳なさそうに身を竦める。
しかし彼女に望まれて、自分が否を言うわけがない。珍しく恥ずかしがる彼女を連れて私室へと歩を進めた。
「あ…んっ、殿、真に申し訳ございません……」
部屋についた自分と沙は早速着物を脱いで交わり始めた。
歩いている間は分からなかったが、彼女を下にして裸で抱き合っていると、その傷の酷さが分かる。
心臓が鼓動しない故に痣は薄く狭いが、それでもほぼ全身に点在していた。
「ただでさえ、みすぼらしい体を、抱きしめていただくなど…。
どこか尖っていれば…んっ、お気を遣わず、口にしてくださいませ…あっ」
流石に手足の関節が増えたりはしていなかったが、肋骨は何本も折れていて抱いた感触がおかしいし、背に回された前腕も一部が砕けているのか、骨の位置がずれているのを感じる。唇を触れさせ舌を絡ませてみれば、喉の奥から出てきたのか血の味がした。
「んん…ぷぁ…っ。接吻など、お止めください…。
今の私は…っ、内臓が、潰れているのです…。
死んだ血が、殿の口に入ってしまい……んあっ!」
化粧下手が紅を引いたかのように赤く染まった沙の唇。
それを見て、血で汚れていても彼女は美しいと改めて実感する。
「ああ、殿……。このような使えぬ死体に…うくっ!
情けをかけていただいた御恩…っ、必ずや、お返しいたします…!」
まぐわいながら話している間にも、彼女の体は徐々に治癒していく。
胸元にあった痣はもう消え、折れた肋骨もペキペキと骨の擦れる音を立てながら、正常な位置に戻る。
「まずは、あの四賜という女…! 次に手合わせした時は…んっ!
この雪辱を…おぉっ! 晴らしてっ、御覧にいれましょうっ…!」
普通の人間ならば、命を落としかねないほどの重傷。
それを受けたというのに、彼女の怪我はもう治りかかっている。
死者の妖怪だから心配などしていなかったが、やはり傷の無い沙の体が一番良い。
「なんと、勿体ないお言葉っ…! この沙、改めて心より、忠義を尽くさせて頂きます…!
これよりいただける殿の精で……っ、役立てるようになってっ、見せましょうっ!」
普段の調子を取り戻せたのか声に力が籠る沙。
自分は彼女が元気になったことを嬉しく思いながら、負傷しても具合が変わらなかった膣に精を放つ。
快気祝いというわけではないが、常よりも精液が多く出ているように思えた。
「とっ、殿! これほどに子種を注がれてはっ、色狂ってしまいます…! ど、どうか、お許しくださいっ! 殿の温情を女として悦ぶことを、ご容赦くださいませっ!
ああっ…良いっ! お慕いしております殿ぉっ! もっと、種付けしてくださいませぇっ!」
傷を癒すという名目で沙から口に出した交わり。
だというのに、普段の子作りと同様に乱れてしまったことを彼女は謝る。
しかしそんな名目など自分には些細なことであり、彼女と共に気持ち良くなれるならそれでいい。女の悦びをもっと味わってくれと思いながら、愛おしい彼女を抱き締めた。
しばしの間、沙は言葉通りに鍛練を続け、ついに四賜に再戦を挑んだ。
鍛練を積んだ甲斐あってか、その結果は沙の勝利。
沙いわく『拳法使いだと知っていれば対処可能』だとのこと。
それで話が終われば平和だったのだが、何と今度は四賜の方が対抗意識を燃やし始めた。
四賜は『沙とは実質的に一勝一敗。次こそ真の決着をつける』との意気込みだ。
流石は戦乱の大地、霧の大陸出身だけあって、敗北したままは我慢ならない気質らしい。
今は青龍刀を扱う腕前と素手での戦いに持ち込む技術、両方を磨いているのだそうだ。
まあ、良き好敵手として互いに切磋琢磨してくれるなら、悪いことではないだろう。
そう、それだけなら悪い事ではないのだが……。
「さあ勝負! 目は……二六の丁!」
行きつけの賭場に響く中盆の声。
随分と久々の夜遊びに沙と四賜を伴い、自分は丁半博打を行っていた。
始めて半刻ほどだが、出歩かなかった間のツキが溜まっていたのか、やたら勝っている。
このままの調子でもっと儲けよう…と次の勝負に賭けようとしたら、沙が嫌気のさした声をかけてきた。
「もういいでしょう名無乃様。遊び始めて半刻、存分に勝ったではありませんか。
懐が温まっているうちに退くのが、賢い判断というものです」
夜遊び全般を不道徳と思っている沙は、元からこういった場所に良い印象を持っていない。自分の供でもなければ、賭場になど決して足を踏み入れないだろう。
そんな彼女は『儲けをすってしまう前に帰れ』と諭してくる。
しかし自分はただ儲けたいわけではなく、遊びで勝ちたいのだ。
こんなに早く帰っては面白くない。
「そうやって引き伸ばすから、結果的に損をするのです。
貴方が止めないというのなら「まあまあ、そう硬く考えなくてもいいじゃない」
沙の言葉を遮って話すのは四賜。
彼女は夜遊びに理解があるので、自分の邪魔をしたりはしないのである。
「所詮これは遊びなんだもの、限度を弁えていれば財布を目減りさせても、悔しがるだけで済むわ。ましてや今はツキが向いていて、大勝ちしているんですもの。
儲けた分をすったところで、損なんてどこにも無いでしょう?」
「その考えが危ないというのです四賜。少し儲けたからと調子にのって大きく張れば、いずれ手痛い返しがやってくるのです」
武芸の腕前は認め合っている彼女らだが、性格の方はまるで認めていない。
夜遊びで自分が何かしようとするたびに、二人は意見を対立させるのだ。
正味の話、毎回毎回すぐ傍で言い争われては、楽しめるものも充分に楽しめない。
かといって二人を連れ歩くのは手打ちの条件なので、反故にするわけにもいかない。
そう思い困っていると、隣に座っている博徒が笑いながら話しかけてきた。
「若侍さまよ、いい嫁さんたちだなあ。
考えは正反対だけど、どっちもお前さんのためを想って争ってやがる」
そんなことは言われずとも分かっている。
だからこそ一方的に沙の言い分を却下できないのだ。
「……どうやら、妥協なんてできないみたいね、わたしたち」
「こんな不道徳な遊びのどこに、妥協する点があるというのですか」
いつの間にか対立は深刻になっていたようで、言葉に緊張がうかがえる。
もはや夜遊び云々の話ではなく、相手の人格が気に入らないといった風だ。
「……決着、この場でつけましょうか」
「……いいでしょう。二度目の敗北を与えてあげます」
二人とも周りが見えていないのか、躊躇もせずに刀を抜く。
客たちは抜き身の刃物に素早く反応したが、すぐ彼女らが妖怪だと気付き、血生臭い事にはならないと気を緩める。
それどころか、中盆は良い余興だとばかりに声を張り上げた。
「おっと、ここらで一つ違う勝負といきやしょう! 勝つのはジパングの武士さまか、それとも大陸の剣士さまか!? 皆様方、さあ張った張った!」
「俺は武士さまだ!」「いいや、剣士さまの方が上と見るね!」
丁半を中断し、二人の勝負を賭けにする博徒たち。
沙が冷静だったなら、すぐに引いて賭けなど成り立たなかっただろうが、今の彼女は完全にその気になっている。
後々の事を考えれば二人の間に割り込んで止めさせるべきだが、こうも盛り上がっては場の全員から顰蹙を買うだろう。
のっぴきならないこの状況に困り果てていると、先ほどの博徒が馴れ馴れしく言う。
「お前さんはどっちに賭けるんだい? 俺はそっちに乗らせてもらうからよ」
沙と四賜、どちらか片方に賭けられるわけがない。
自分は今宵の儲けを懐に入れ、この勝負が終わったら帰ることを心に決めた。
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