読切小説
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三日では慣れない
よく晴れ渡った青い空。
朝という時間もあってか、まだ温度が低めで過ごしやすい空気。
教室の開いた窓から流れ込んでくる風は誰もが心地よいと感じるだろう。
本日は絵に描いたような爽やかな朝といっていいのだろうが、
自分の心はこの空のように澄み切ってはいない。

自分が登校したとき教室にいたクラスメイトは約半数。
廊下寄りの席についていつも通りにしていると次々生徒がやってくる。
夏休み中の登校日とはいえ、流石にサボる奴はいないように見受けられた。
大半は挨拶を交わすほど仲が良いわけでもないので、自分のことはスルーして席に向かっていく。
別にいまさら仲良くしたいとはこちらも思わないけど。

窓と同じように開きっぱなしの扉をくぐるクラスメイト達。
運動系の部活に入っている奴の中には、朝練の汗の臭いを発散させながら入ってくる者もいる。
そういう奴は女子からあまり良い顔をされず、モテていない。
自分だって男の汗の臭いなんて嗅ぎたくないからその気持ちは分かる。
……だがそれでも思う。クラスメイトは汗の臭いだけで済む分、まだマシだと。

雑談でざわついてきた教室の中にいても、廊下を歩く彼女の足音は分かってしまう。
最近は感覚が鋭くなっているのか、音だけで聞き分けられるのだ。
足音はどんどん近づいてきて、やがて音だけでなく匂いまでも感じられるようになる。
この世のものではない死の香りが。

開かれた扉の裏までやってきた彼女は、他の生徒と同じように教室に踏み入ってくる。
新しく登校してきた生徒に教室の幾人もがチラリと視線を向け、
そのうち男子生徒の視線は、目の保養と言わんばかりにしばし固定される。

幾人もの男子の目を集めてもまるで意に介した様子のないその女子生徒。
たしかに彼女は美しい。
まるで日焼けしていない白い肌。短くも美しく整えられた黒い髪。
身長は高すぎず低すぎずで胸は少し大きめ。
そして何より顔立ちがあまりに良くできてい過ぎる。
強いてケチをつけるなら、薄暗い陰の雰囲気を漂わせていることだが、
そんなものは気にしない奴の方が多いだろうし、気にしても些細な欠点だと評するだろう。

「やあ、おはよう」
彼女はこちらに顔を向けると、美しいソプラノの声で挨拶をした。
彼女が自発的に挨拶をするのは自分だけなので、羨みと妬みの混ざった男子の視線が集まる。
ここで朗らかに『おはよう! 今日も綺麗だね!』なんて言ったらどうなることやら。
もっとも自分には被虐趣味はないし、あまり彼女と仲良くしたいわけでもない。
なので口を開かず片手を上げて返したのだが、そうすると彼女は少しだけ眉をしかめた。
そしてこちらの席にテクテクと近づき、机に手をのせ、内緒話をするように耳元に囁く。

「……本当につれないねえ君は。
 何度も肌を重ねた間柄なんだから、挨拶くらいはちゃんとして欲しいよ」
小さいとはいえ、誰かに聞かれたら教室が騒然となるであろうセリフ。
からかいの色が含まれた囁きに、一瞬でカァッと体が熱くなる。
今の自分をよく見れば顔が赤くなっていることが分かるだろう。
彼女はクスクスと小さく笑うと、耳元から顔を離して囁きよりは大きい声で話した。

「良いねえ、今の君の反応はとっても可愛かった。
 その可愛さに免じて今回は許してあげるとするよ」
今の反応に満足がいったのか、彼女は上機嫌になって自分の前の席に座る。
できることなら反対側の窓際席とかに行ってほしいのだが、
数度の席替えにもかかわらず、自分の前後左右のどれかの位置に彼女の席は収まるのだ。
何かをしているのは確実だろうが、何をどうやっているのかはまるで見当がつかない。

鞄から教科書を出している彼女の背を眺めながら、自分は一つため息をつく。
肺から吐き出された空気には彼女が漂わせる死の匂いが含まれていた。



自慢するわけではないが、自分には霊感というものがある。
いわゆる『普通の人には見えないものが視える』というやつだ。
いつから視えるようになったのかは分からない。
霊感に目覚めそうなほどショッキングな出来事なんて記憶にないので、
もしかすると生まれつきなのかもしれない。
相当昔の記憶にもそういうモノ”を視た光景があるし。

さて、視えるのは良いことか悪いことか。
今までの経験からすると…正直あまり良いこととは思えない。
普通の人なら気づかずにすむものに気づいてしまうのは楽しくない。
霊感があって良かったと思うことなんて、今まで一度も……いや、一度はあったか。

小学生のころだが、同じ教室のグループで廃病院の探索をしようという話が出たことがある。
子供ゆえの怖いもの見たさで皆が乗り気になる中、自分だけは反対した。
その廃病院にはヤバイもの”がうろついているのを以前目にして知っていたからだ。

当然自分は必死になって止めようとした。
幽霊がいるだなんて口にしても信じてもらえないのは分かっていたから、
『怖いから止めよう』とひたすらに繰り返した。
でもその結果は『なんだよー、おまえビビリかよw』
『怖いんならとーちゃんつれてっか?w』などと散々にからかわれ、臆病者認定されただけ。
結局彼らは自分を抜いて無謀な探索に出発してしまった。

その後彼らがどうなったのかは知らない。
小学生探索隊は誰一人帰ってこなかったから。
子供の集団失踪は当時かなりの騒ぎになったが、全員行方不明のまま迷宮入り。
自分も後々で廃病院の様子を見に行ってみたがヤバイもの”の気配は完全に消えており、
この場所で何が起こったのか、彼らはいったいどこへ消えたのかは、
カケラほどの手がかりも掴めないままこの件は終わりを告げた。

彼らのためにもう少し何かできなかったのかと多少は後悔に苛まれもしたが、
自分がついていったところで、行方不明者が一人増えただけだろう。
ゲームやアニメのように除霊などできない自分には、
君子危うきに近寄らずだけが唯一の身を守る方法なのだから。

そう割り切って以降、自分は他人との関係が希薄になった。
文字通り『視えている世界が違う』のだと強く実感したからだ。
中学でも似たような場面に遭遇したが、そのときは軽い忠告しかしなかった。
幸いなことに彼らはトラウマ抱えただけで戻ってこれたのであるが。

親しい友人も作らないまま中学生活は過ぎ、高校生活も変わらない。
入学式の会場である体育館に入るまでそう思っていた。
しかし会場に足を踏み入れて体育館の中を一瞥した瞬間、そんな気楽さは吹っ飛んだ。

保護者同伴の生徒が多い中、自分と同じく一人でパイプ椅子に腰かけている少女。
彼女の後ろ姿を目にした途端、ゾワッ…という寒気に襲われ鳥肌が立った。
今まで視てきた幽霊なんかとはまるで濃さが違う死の気配。
イワシの群れの中に一匹だけホホジロザメが混ざっているような異様さ。
もしそれを指摘したなら、キバの生えた巨大な口で一飲みにされそうだ。

自分は衝撃のあまり後ろ姿から目を離すことさえできず入口で立ち尽くす。
彼女はピンと何かに感付いたかのように辺りを見回すと、
入り口付近に視線を向け『にやぁ…』と粘つくような笑みを浮かべた。
自分はそれに引きつったような笑みを返すことしかできない。

……気づかれた。これは絶対に気のせいではない。
彼女はこちらが『普通ではない』と見抜いたことを気づいたのだ。

通常、幽霊は霊感がなければ存在を察知することさえできない。
それに対し彼女は学生として、人間として高校に入学さえしている。
ならば一体どれほどの化け物だというのか。
可能ならば彼女とは極力距離を取って、接触を避けたい。
だが、彼女が座っている席の列は自分と同じクラスのもの。
…………なんて最悪だ。

入学式が終わって各クラスに分かれた後は自己紹介。
出席番号順に起立しては一言二言何かを口にする。
自分は特に面白みもない内容を一言話してそれで終わり。
元からそのつもりであったのだが、すぐ隣に座っている彼女のせいで心が落ち着かず頭がまとまらないのだ。
そんな自分のことなどいざ知らず自己紹介はどんどん進んでいき、やがて隣の彼女の番がくる。
入学式の時から人目を惹きつけていた彼女は、席を立つと見た目に違わぬ美しい声で話し始める。

「初めまして。僕は――――」
女性としてあまりに美しい外見を持ちながら男性のような一人称。
おかしいと言えばおかしいが、どこかそれが相応しいようにも思える。
彼女はその口調でやや長めの自己紹介を行っていく。

「――――なので、皆と仲良くしていきたいと思います。まずは隣の席あたりから」
こちらの肩にポンと手を載せて冗談ぽく笑う彼女だが、自分は笑えない。
いくら美しいとはいえこんな死の香りを漂わせる相手とお近づきになりたくないし、
男子生徒たちの視線も彼女とはまた違った意味で怖い。
『偶然隣の席になったくらいでいい気になるなよ…』なんて嫉妬心を燃やしているのだろうが、代われるものなら代わってやりたい。というか、是非とも代わってほしい。
だがこの場面でそんなことを口にできるはずもなく、彼女が着席するのをただ見るだけだった。

入学式の日は午前で終わり、きちんとした授業は次の日から。
最後に連絡事項を伝えた担任はそれで解散を命じた。
中学時代からの付き合いがあるらしい連中はそれぞれ集まっていくが、
このクラスには自分と同じ中学出身はいなかった。いても群れたりしないけど。
こんな場所からはさっさと退散しようと、鞄を手にして教室を出る自分。
しかし隣の彼女は申し合わせたように席を立ち、その後をついてくる。
何かされないかと内心は震えるが、むこうも人が多い場所で何かするほど非常識ではないだろう。

とりあえずは下校する新入生の流れに沿って校門を出る。
その後は少し遠回りだが通行量の多い幹道沿いを歩いていこう。
そうやって人目を確保していれば、今日の所は無事に家に帰れるんじゃないだろうか。
問題は明日以降も常に人目を確保できるかだが――――あれ?

いくら入学したてといっても玄関までの道ぐらいは分かる。
仮にど忘れしたとしても、人の流れに沿えばたどり着けるはずだ。
だというのに自分は気が付いたら、見覚えの薄い特別教室棟の廊下を進んでいた。
北側に建っているせいで真っ昼間でも薄暗く、寂しさを感じさせるその通路。
生徒たちの喧騒は遠く、まるで透明な壁で世界が区切られているようだ。
ちょっとした怪異なら起きてもおかしくなさそうな……。

「――――さて、これで二人っきりになれたね」
背後からかけられる彼女の声。
惑わされたというのか何というのか、
自分は考え事をしているうちにこんな場所へ誘い込まれてしまったらしい。
いまさらになって生存本能が危険信号を全開で鳴らすが遅すぎる。

ゆっくりと後ろを振り返る自分。
180度回って対面した彼女は、鳥肌が立つほどに美しく優しい微笑みを浮かべていた。
その顔のまま友好的な態度で彼女は口を開く。

「ああ、そんな警戒しなくていいよ。
 別に君を酷い目に会わせようだなんて考えてないからさ」
その言葉を信じられるならどれほど幸せなことか。
だがこれほどの死の気配を前にして、それを鵜呑みにすることなんてとてもできない。
疑う自分に彼女はヒラヒラと手を振って言う。

「いやいや、本当だよ。僕は純粋に君と仲良くしたいだけさ。
 教室でも言っただろう? 『まずは隣と仲良くしたい』って」
お近づきになりたいだけだという彼女。
しかし隣の席にこだわる必要はないだろう。
仲良くしたい男子生徒は教室にいくらでもいるんだから。

「誰と仲良くするか、選ぶ権利は僕にだってあるだろう?
 僕は君がいいんだ。良い目をしている君と是非ともお近づきになりたい」
そう言うとトツ、トツ、と彼女は歩み寄ってくる。
近づく死に自分は身を引いたが、すぐに壁に背が当たって後に引けなくなってしまう。
彼女は追いつめられた自分に右手を差し伸べると、頬をそっと撫でた。
初めて肌に触れた死の気配。
それにとてつもない恐ろしさを感じたが、何故か同時に甘美さも感じた。
ただ怖いだけとも違う感情に自分は何も言うことができない。
そんな自分に彼女はフフッと笑い声を漏らす。

「大丈夫だよ。今は怖いかもしれないけど、慣れれば気にならなくなる。
 繰り返すけど、僕は君に危害を加える気は全くない。
 だから安心して過ごしていいんだよ」
そう言った彼女は顔を寄せ――――なんと口づけをしてきた。
むちゅっと唇に柔らかい肉が触れる感触。
驚いて開きかけた口からヌルリと彼女の舌が侵入してきた。
舌はピチュッ…ピチュッ…という微かな水音を伴ってこちらの歯を舐めた後、
ドロリと生暖かい唾液を注ぎ込んで抜けていった。

口内に残された彼女の唾液。
それはおとぎ話に出てくる死の水のようだったが、味わいたくなるような甘さもあった。
その甘さに負けて唾液を飲み込むと、胃の中から体が火照る。
口を離した彼女は唇周りを濡らす唾液をペロリと舌で拭い、はっきりと好意をのせた笑みを見せる。

「ほら、証明してみせたよ。
 他の人は知らないけど、僕はどうでもいい相手にキスなんてしない。
 これで君と仲良くしたいっていう思いのほどは理解してもらえたかな?」
自分は思わず口に手を当てて彼女を見つめてしまう。
人間の尺度で考えるべきではないのだろうが、
今の行いは人間同士なら相当深い関係でなければとらない行動だ。
友達として好きなんてものじゃなくて――――。

「今日はこのくらいにしておくよ。君も心の整理が必要だろうしね。
 じゃあまた明日。……授業初日から登校拒否なんてしないよう頼むよ?」
軽口を叩いた彼女は死の気配を引き連れて廊下の向こうへ去っていく。
離れていくにつれ死の匂いもだんだんと薄まり、冷静な思考が戻ってきた。
自分は壁に背をもたれかかせたまま、目の当たりを手で覆う。

正体が分からない。事情が分からない。
彼女が分からない。どうすればいいのか……分からない。
自分の思考は分からない”の渦に飲まれ溺れた。

たとえ同じ教室に化け物がいようと、学校を休むわけにはいかない。
それが男手一つで苦労して育ててくれた父への誠意だと思うし、
休んだせいで家に襲来される可能性を考えると放置する方が怖ろしい。

「さて、親交を深めるために一緒に食べようか」
午前の授業が終わって昼休み。
鞄からコンビニの袋を取り出すと、隣席の彼女がそんな声をかけてきた。
そんなに死の香りを垂れ流しにされて食欲がそそられるわけもないのだが、うまいお断りの方法が思いつかない。

『他人に見られて恥ずかしいし…』なんて言ったら別の場所へ移らされるだけだろうし、
『テメーがいると食う気が失せるんだよ!』なんて罵倒しようものなら、
最低男として男子どころか女子までも敵に回すことになるだろう。
どうぞ…と力なく答えるしか選択肢はない。

向かい合わせた机の向こう側に広げられた彼女の弁当。
それは調理人と同じく、見た目だけならとても美味しそうだった。
そんな観察の視線に彼女は苦笑いすると、卵焼きを箸で挟みこちらへ差し出してきた。

「そんな物欲しそうな目をしなくても、ちゃんとおすそ分けするよ。
 ほら口開けて。食べさせてあげるからさ」
ざわ…と教室の空気が揺らめいたが無理もない。
自分だって入学二日目で『あーん』をするようなクラスメイトがいたら驚くだろう。
まあそれはそれとして、こんな化け物が作ってきた料理なんて口にしたくない。
見た目に変な所はないが、中身まで普通とは限らないのだから。
しかし教室のこの空気の中、差し出された物を突っ返すのは厳しすぎる。
自分は覚悟を決めて口を開き、卵焼きを頬張り咀嚼する。

彼女が作った料理。その味はまるで問題はない。
だが粘着質な死の気配がまとわりついており、
美味い不味いとは別ベクトルの不快感が自分を襲う。
例えるならば、最高級の肉料理が並んだテーブルのすぐ横で、
その材料が〆られ、解体されていくさまを見せられるような感じだ。
どんなに美味いとはいえ、そんな状況で味を堪能できる奴は相当な上級者だろう。

「うーん……どうも君の口には合わなかったみたいだねえ。
 次はもうちょっと頑張るから、今回はこれでごめんね」
『不味くてゴメンナサイ』と謝り、彼女は己の口へ箸を動かし始める。
いつしか周囲の視線は彼女への憐憫と自分への不満へで満たされていた。
……なんで彼女が可哀想な被害者で、こっちが冷たい加害者みたいになっているんだ。
これは誤解だと主張したいが、正直に理由を話せるわけもない。
自分はクラスメイトの好感が下がったことを自覚しながら、調理パンにかじりついた。

「なー、おまえ。隣の席の子と前から知り合いだったの?」
授業合間の十分休みになったとき、近くの席の男子からそんなことを訊かれた。
『そんなわけない、初対面だ』と真実を告げると、彼は胡散臭げな目になる。

「出会ってたった一日で、あそこまで仲良くなったってのか? めっちゃ嘘くせーよ。
 昔離れ離れになった幼馴染だとか、そんな裏設定があったりしない?」
なんだその裏設定ってのは。あんな化け物、一度見れば絶対忘れないっての。
それに向こうが仲良くしようとしてるだけで、こっちにそんな気はない。

「えーっ、何だよそれ! オレだったら積極的に仲良くなるぞ!?
 あんな女の子に好意を向けられてソレとか、おまえ実はホモか?」
彼はホモ発言の直後、オーバーに身を離した。
変な噂が立つのは嫌なので『とにかくそりが合わないのだ』とホモ疑惑を否定しておく。

「そりが合わないって……かーっ、もったいねえな。
 まあいいや、ってことはおまえはあの子が他の男と付き合おうと構わないわけだな?」
それは当然だと頷く。他の男に気を移してくれるだなんて万々歳だ。
彼はその返答にグッと拳を握ると、意気込んで教室を出て行った。
残り時間もたいしてないってのに何をやるのやら。
その後、授業開始のチャイムが鳴る一分前に彼はしょげ落ちた様子で戻ってきた。
続いて彼女も戻ってきたが、彼には一瞥もくれないまま自分の隣に座ると、
ジーッ…と何か言いたげな視線を向けてくる。
流石に授業中もその視線を受け続けるのは嫌なので、事情を聞くことにする。

「彼に『あいつはオマエと付き合うのがお似合いだ』なんて言ったそうじゃないか。
 僕はこんなに君のことを想ってるのに、酷過ぎないかい?」
……なんだそれ。『他の男と付き合っても構わない』と言った覚えはあるが、
『オマエが相応しい』なんて一言も口にしていない。
他人の発言を勝手に拡大解釈して尾ひれをつけるとか、ふかし過ぎだろうが。
彼女にそう説明して、自分はホラ吹き野郎をジロリと睨む。
奴はうなだれていて、その視線に気づきはしなかったが。

「なんだ、そうだったのか。あー、良かった。君が無理やり押し付けようとしてなくて。
 そうまで嫌われていると思ったら、流石に僕の心もダメージだ」
安心したように彼女は言うが、自分が彼女を嫌っていることに変わりはない。
なんでそう笑うことができるのか。

「んー、それはねえ……」
彼女は言葉を濁すと耳元に口を寄せて囁く。

「君が僕を嫌いだっていうのは由々しいことさ。早く何とかしたいところだよ。
 だけどさ、初めて会った時ほどに僕を怖いと思うかい?」
彼女が怖いか。それは当然ながらYESだ。
だが最初に見た時ほどの恐怖をまだ感じるかというとNO。
死の不快感はまるで変わらないが、恐怖の方は相当に薄れている。

「つまりそういうこと。君はもう僕を怖れてはいない。
 そのうち嫌い”も無くなって、仲良くできると思っているよ」
そう囁き終えた彼女は余裕ぶった笑みを浮かべる。
その顔はやはり美しく、死の気配さえなければ初日から仲良くしていただろう。
つまり、将来的な勝ちを確信しているからこそ笑えるというわけだ。
自分はプイッと彼女から顔を背けると『絶対に心を許すな…』と自分自身に言い聞かせた。



入学して一ヶ月も経てば学内でグループもできてくる。
黄金週間という長い休みもあり、グループ仲間で遊び倒した奴らも多いことだろう。
普通にゲームするだの旅行するだのして楽しむなら、それは良いことだと素直に思う。
しかし数がまとまった結果、変な方に暴走するのは困ったものだ。

平日は毎日毎日彼女と昼食を摂り続けて、すでに五月も下旬。
どう練習したのかは知らないが、彼女は料理に死の匂いを染みつかせなくなった。
そうすると残るのは普通に美味しいお弁当。
それを毎回おすそ分けされ、今の自分は餌付けされているような気分だ。
悔しく…もないが、彼女の料理はコンビニ弁当なんかよりずっと美味しい。
『胃袋をつかむ』なんて言葉があるが、
彼女はその言葉通りに、食欲の面から落としにかかっているのかもしれない。

まあそれは置いておくとして、昼休みになるとすぐ弁当を広げる彼女はどこへ行ったのか。
自分と同じく親しい友人がいない彼女だが、
今日はチャイムが鳴るなり、同じクラスの女生徒と連れ立って教室を出て行った。
普段とは違う行動に興味と不安が膨らみ、自分も席を立って探しに行ってしまった。

学内において彼女を追跡するのは難しくない。
なにしろ常日ごろから死の香りをまき散らしているのだ。
全く慣れない嫌な匂いだが、それが強まる方へ向かっていけば確実に本人がいる。
警察犬になった気分で匂いを辿っていくと、足は人気のない屋上階段へ向かった。
ますますもって理由が分からないが、その予想が立つ前に階段に響いた声で思索は中断させられた。

「アンタのせいでしょ! エキ君が気落ちして考えてもくれなかったのは!」
「土下座してモブちゃんに謝りなさいよね!」
「そうよそうよ! エキくんに目をつけたのは、モブちゃんの方が先なんだからね!」
穏やかでない空気に自分は階段下に隠れてチラリとのぞき見る。
そこにいたのは怒り心頭の女子一人とその友人らしき女性二人、
そしてその三人に壁際で囲い込まれている彼女だった。
詳しい事情はよく分からなかったが、話を盗み聞くに一種の八つ当たりっぽい。

モブとかいう女子が片思いしている男子生徒がいて、そいつが彼女に告白した。
ところが彼女はその場でお断りの返事を返し、どれほど説得されようと意思を変えなかった。
その男子はすっかり意気消沈してしまい、傷心の今がチャンスとばかりにモブが告白。
しかし男子は己がそうされたように、にべもなくモブをフってしまう。
フられたモブは怒り悲しみ、その責を彼女に押し付けた。
全てお前が悪い、お前がいなければ上手くいったのだと。

……聞いているだけで酷いと思える話だ。モブが。
想い人がフられたことと、モブがフられたことに関係なんてあるわけない。
モブがフられたのは本人の問題だ。
その原因を他人に押し付けて怒りを発散させるだなんて、良い性格とは言えまい。
男子がモブをフったのは、その性格を見抜いたからかもしれないとさえ思える。
彼女がいなくても恋は成就しなかっただろう、きっと。

彼女が教室からいなくなった理由を知り、興味も不安もすっかり失せた。
もう戻ろうか…と思ったが、三人組は彼女の反論を聞こうともせず、一方的に口撃しボルテージを上げていく。
最初は面倒臭そうな顔をしていた彼女だったが、
腕時計を気にするそぶりを見せた辺りから、いら立ちの色をうかがわせるようになった。
このまま放置して教室に帰ったら、取り返しのつかないことになるかもしれない。
自分はそう思うと、偶然もめ事に気が付いた風を装って階段下から姿を現した。
そして仲裁するように三人組と彼女の間に割り込む。

「あ? 誰よアンタ?」
「これは私たちの問題なんだから部外者は入ってこないでよね!」
「この人、そいつの…なんだろ? まあ、お友達みたいなやつよ」
自分と同じクラスの女子が他の二人に説明する。
モブはお友達”という単語にピンと来たのか、怒りの矛先をこっちへも向けてきた。

「アンタね! アンタが悪いのね!
 アンタがそいつの手綱をキチンと握ってれば、こんなことにならなかったってワケね!」
実際は友人ですらないのだが、自分が男性ということもあり、
モブの中では彼女の恋人扱いにされているようだ。
他の男に色目を使わせやがってとか、浮気されるような甲斐性なしだとか、
よくこんなに口が回るな…と思うほど次々と罵倒する言葉が飛び出てくる。
『こっちはお前らのために割り込んでやったんだよ…』などと思い腹が立つが、
こちらの内心などモブらが分かるはずもない。
背後に庇っている彼女へしたのと同じように、向こうは言いたいことを一方的に言い立てる。
もう豚の鳴き声だと思って途中から聞き流すようにしたのだが、そのせいで逆に注意が散漫になっていたらしい。

パシン! という軽い音がして首がガクンと横に動いた。
そのすぐ後にジワジワとした痛みが左頬に広がる。
三瞬ほどして、ようやくモブにビンタされたのだと気がついた。

「ちょっ…! 叩かなくても!」
「うっさい! コイツが悪いんだよっ!」
ウチのクラスではない方の友人が諌めようとするが、モブはすっかり頭に血が登っているようだ。
歯をむき出しにしたモブは、目の端に涙をにじませてさらに叩こうとしてくる。
たいして痛くないとはいえ、おとなしくビンタされてやるような義理はない。
もう一度叩いてきたら、腕をつかんで動きを止めよう。
そう自分は考えたが、彼女が再び暴力を奮うことはなかった。

「――――そうかい。なら両思いになれるようにしてあげるよ」
初めて耳にする彼女の冷たい声。
背後から突き出された手は、人差し指をモブに向けていた。
ヤバイ! と一瞬で判断したが、こちらが制止する前にことは済まされてしまう。

背後でブワッと膨れ上がった死の気配。
それは悪霊が生者を妬み腕を伸ばすかのように彼女の指先から放たれる。
撃たれたモブは見る見るうちに死の匂いを発するようになり、虚ろを顔に浮かべた。
そしてもはや自分たちなど目にも入らないと言うかのように背を向け、階段を下りていく。
二人の友人も困惑を顔に浮かべたが、そのままモブの後を追っていなくなった。
屋上階段に残されたのは自分と彼女の二人だけ。

「すまなかったね、こんな下らないことに巻き込んで。叩かれた頬は大丈夫かい?」
背後から前に回り込んだ彼女は本当に申し訳なさそうに謝った。
そして叩かれた箇所の様子を診ようとでもいうのか、右手をこちらの顔に伸ばす。
しかし自分はその手をパシッと払い除けると、二歩下がって彼女から距離をとる。
ほんの一瞬。払われた瞬間だけ傷ついた顔を見たような気がしたが、
それは錯覚とでもいうかのように、彼女は困った時の苦笑いを浮かべる。

「そう警戒しなくても何もしやしないってば。ちょっと撫でてあげようとしただけだよ」
いつも通りの口調で話す彼女。
しかし自分はいつも通りの態度で応じることなんてできない。

彼女は今何をした?
敵対的だったとはいえ、一人の人間をほんの数秒で化け物へと変えてしまった。
十数年生きてきた人間を、見た目だけは同じ別のモノにしてしまったのだ。
普通の感性ならいくら腹が立っていようと、ただの喧嘩でそんなことはしないだろう。

彼女を初めて見た時の恐怖がよみがえる。
ずっと友好的に接してきたせいで慣れてしまっていたが、
やはり彼女は人間と違う倫理で動く死の化け物なのだ。
自分は恐怖の中に敵意を込めて彼女を睨む。すると彼女は肩をすくめ、くるりと背を向けた。

「もう昼休みも結構すぎたね。
 僕は今日は別の場所で食べるから、君も早く教室に帰って食べなよ。
 ゆっくりしすぎて午後の授業中に遅弁なんてしたら、先生に叱られるからね」
彼女は軽い笑い声をあげると、振り向くことなく階段を下りて消えた。

教室に戻ってみると言葉通りに彼女はいなかった。
その代わりと言ってはなんだが、妙に教室の中が騒がしい。
いつも以上にざわめいていて、誰もが話をしているようだった。
何が起こったのかと知人(入学二日目に即効でフられたあいつだ)に尋ねてみる。
すると彼はどこか興奮した調子で何が起きたのか教えてくれた。

「いやな、現場を見たわけじゃねえんだけど、C組で変な事件があったんだよ。
 なんでも一人の女子がいきなり服脱いで、フった男を押し倒したんだと。
 フツーならありえねえけど、その女子が妙に呆けたような顔してて、
 ヤバイ薬でもやってたんじゃないかって、男と一緒に先生に連行されたそうだ。
 相当な騒ぎだったから、どこのクラスもこの話題で持ちきりだろうよ」
一人の女子、フった男。どう考えてもモブとその想い人のことだろう。
全くなんてことをしてくれるんだ彼女は。
百歩譲ってモブが何かされるのは自業自得だが、男の方は完全なとばっちりで被害者じゃないか。
それにヤバイ薬云々なんて話も出たが、アレはそんなモノじゃない。
モブが今後どうなっていくのかなんて、それこそ張本人しか知らないだろう。
人間一人の人生をたやすく狂わせた彼女を改めて恐いと思った。

彼女への警戒心を取り戻した自分だが、だからといって何ができるわけでもない。
次の日にはおとといと同じように一緒に昼食を摂った。
違いは気持ちがもう緩んでいないことだろう。
彼女は化け物、死の気配を纏う怪物だと強く認識している。

気の抜けない毎日が続き、やがて一学期の期末テストも終了。
教室の誰もが夏休み開始までのカウントダウンを始め、空気は浮ついている。
かくいう自分も夏休みが待ち遠しかった。
普通に長期休暇が嬉しいというのもあるが、最大の理由は彼女に会わなくてすむからだ。

そして終業式の前日、一学期の授業もこれで最後という日。
午後の授業を行っている教室に、硬い面持ちをした別の教師が入ってきて自分を呼び出した。
――――父が倒れたのだそうだ。

運び込まれた先はこの地域では大きい、設備の整った病院。
こんな状況で放課後まで残るわけもなく、早退してタクシーに乗りこみ病院へ向かう。
車中の中で思うのは、どうか無事であってくれ…という一念のみ。
そして病院に到着した自分はすぐに父を診た医者から説明を受けた。

時々出てくる専門用語はよく分からなかったが、要は脳の血管が切れてしまったのだとか。
父はそれが原因で倒れ、意識不明の状態に陥ったのだそうだ。
即座に病院に運び込めばまだ良かったのだが、
『しばらく様子を見ようか』と放置されたせいで悪化してしまったらしい。
このまま意識を取り戻さない可能性はかなり高く、
仮に目覚めても重い後遺症が残るだろうと、沈痛な顔で医者はそう言った。

父は個室のベッドに眠るように横たわっていた。
しかし腕につながれた点滴や各種機械のコードが重症であることを痛いほどに示す。
久しぶりにじっくりと眺めた父の顔は、実年齢よりも老けているように見えた。
幼いころに母が亡くなって以来、父は男手一つで自分を育ててくれたのだ。
この老いは自分にも原因があると思うと、心が締め付けられる。

自分は病室の椅子に座り、ただ父の傍にいた。
『とても厳しい容体です』と医者から説明されたというのに、
実は誤診で、眠りから覚めるように起き上がるのではないかと期待を抱いてしまう。
だがその期待は叶えられることはなく、空が真っ暗になっても父はそのまま。
物思いにふける自分は病室の電灯もつけず、彫像のように佇む。
その状態でどれほど時間が経ったのか。
キィ…と病室のドアが開かれる音で我に返り、自分はそちらに目を向ける。
医者か看護師が来たのかと思ったが、入ってきたのは予想しない人物だった。

「……大変なことになったみたいだね」
曇りガラスごしに廊下から差し込む光。
薄暗い病室の中で見た彼女はとても神妙な顔をしていた。

「いきなり早退するなんて、何があったのかと思ったよ。
 まさか君のお父さんにこんな不幸が起きたとはね」
彼女がどうやって事情を知り、この場所のことを突き止めたのか。
いつもならば動揺しただろうが、もう驚くような気力もない。
彼女ならばそんなことができても不思議はないと納得するだけだ。

彼女はろくに反応を返さない自分に近寄ると、後ろからそっと抱きしめてきた。
半袖ということもあり、肩の上から優しくまわされた両腕がこちらの首と直接触れあう。
お馴染みではあるが慣れてはいない死の香り。
それが微かに良い匂いがする彼女の汗と混ざり合い。自分の嗅覚と第六感を刺激した。

あれほどに忌避していた死の匂い。
それがどういうわけか、今の自分にはとても安らかなものとして感じられる。
もしかすると今の自分は死にたいと思っているのかもしれない。
二度と父が目覚めないという最悪の結末がやってくる前に死にたいと。

「……君は本当にお父さんのことを大切に思っているんだね」
彼女はそう言うと回していた右手を上げ、その指でこちらの左頬をスッとなぞった。
なんで彼女の指が濡れているのか。そう思ったが何のことはない。
自分でも気づかないうちに涙を流していただけのことだった。

高校生にもなって人前で泣くなんて…とは思わない。
彼女の前では涙を流す程度のことなんて恥ずかしくもない。
そのまま静かに涙を流していると、彼女は前に回りこんで胸に頭を抱きかかえてくれた。
柔らかい胸が顔を受け止め、制服の白いYシャツに涙が染み込んでいく。
そして彼女はあやす様に後ろ髪を撫でながら、とても優しい声で言った。

「助けてあげようか?」
一瞬その言葉の意味が分からず『えっ?』と顔を上げてしまった。
上目づかいで見た彼女の顔は余裕ありげな微笑み。

「僕のやり方でいいと言うなら、君のお父さんは助けられる。
 もちろん後遺症も残ったりせずに、完璧に健康な状態にまで治せるよ」
……これは悪魔のささやきというものかもしれない。
彼女に助けを求めたら、果たしてどれほどの代償を支払うことになるのか。
だがそれでも父の存在には代えられない。
迷ったのはほんの少しだけ。自分は意を決して、父を救ってくれと彼女に頼んだ。

「いいとも、それじゃあ早速始めようか」
そう彼女が口にした途端、ふわっ…と死の気配が周囲に拡散した。
それから間も経たず、病室の壁をすり抜けて一体の幽霊が入ってきた。
白い煙が凝ったような外見で容貌さえはっきりしない幽霊。
彼らは大きな病院なら数体はいる無害な霊だ。
普通なら病院内をうろついている浮遊霊をここに呼んで何をするのだろう?
そう思っている目の前で、彼女は天井近くに浮いていた霊を床にまで下ろさせた。
そして掌に乗っている泡をシャボン玉として飛ばすかのように、フゥッ…と息を吹く。
するといつか見た光景のように幽霊は死の気配を濃くし、
制作中の彫像のようだった姿は、半透明の立体映像のようにはっきりとした全身像を結ぶ。
ただの浮遊霊だった時と比べて圧倒的に存在感を増した幽霊。
どういうわけかその見た目は美しい女性の姿になっていた。
姿とともに自我も鮮明になったのか、幽霊は不思議そうに己の体を見る。
彼女はベッドの父を手で指し示すと、軽い提案をするように言った。

「お目覚めのところ悪いけど、ちょっと頼みを聞いてもらえるかな?
 そこのベッドで寝ている男性は重症なんだけど、助けてもらえないだろうか。
 もちろんタダでとは言わないよ。
 首尾よくいったなら、実体になれるだけの力を君に与えてあげよう」
その提案を耳にした幽霊は喜色ばんでコクコクと頷いた。
いそいそと父の枕元へ向かい、膝枕をするような姿勢で宙に体を固定する。
そして眠るように目を閉じたかと思うと、楽しい空想をしているかのような表情を浮かべだした。
自分はまるでわけが分からず、何をしているのか幽霊に聞こうとしたが、
その前に彼女に止められ『邪魔したら悪いよ』と引っ張るように廊下へ連れ出された。

病院の廊下は蛍光灯がきちんと灯されていて、いま居た病室とは全く違う明るさ。
自分を連れ出した彼女は白色の光を浴びながら、事は済んだとばかりに軽く笑う。

「さ、これで大丈夫だ。明日には君のお父さんも目覚めるだろう。
 君は安心して家に帰っていい。と、言いたいところだけど……」
彼女は含むところのある物言いをすると、口端を上げてイタズラっぽい笑みを見せる。

「お父さんを助けてあげた僕に対して、
 ちょっとくらいは感謝の気持ちを見せてもいいと思わないかな?」
冗談のような口調で言う彼女。
おそらく『図に乗るな』と乱暴に返しても、彼女は怒ったりしないだろう。
三ヶ月程度の付き合いだが、そういう性格であると分かっている。
しかし今の目の前にいる化け物は父を救ってくれた恩人だ。
あまりに過大なものでない限り、自分は彼女の要求を飲まねばならないだろう。
それが誠意というものだろうと思うから。

自分はよほどのことでない限り望みを叶えると伝える。
素直に感謝したことが意外だったのか、彼女は少し目を見開く。
しかしすぐに上機嫌になり、嬉しそうな顔をした。

「いいねえ、いいねえ。君はちゃんと恩を返そうとする立派な人だ。
 うん、僕が好きになった相手が君で本当に良かったよ」
サラリと告白してくる彼女だが、こちらは嬉しくない。
それより要求があるならさっさと教えてほしいのだが。

「うーん、君に叶えてほしい望みは星ほどあるけど…一つだけだよね?」
元から期待はしていないのだろうが、確認を取る彼女に首を縦に振る。
ランプの精霊よろしく、三つの願いを叶えろなんて望みは受け入れられない。
少しの間彼女は口元に手を当てて考えていたが、やがて要求が決まったらしく一つ頷く。
そして内緒話をするように、小さな声でそれを告げた。

「……そうだね。じゃあ僕と子作りをしてもらおうかな」
何気もなしに『子作り』などと口にする彼女。
頭の中に性的な場面が浮かび上がり、恥ずかしくなる…ということはなかった。
なにしろ死の気配を発する彼女のことだ。
彼女の言う子作りが、人間の言う子作りと同じなのかどうか。
最悪『お前を食らって新しい命を生み出してやる』なんてことになるかもしれない。
そんな風に内心で戦慄する自分だったが、彼女は不思議そうに首を傾げる。

「おや、意外だね。君のことだから、少しは恥ずかしがると思ったんだけど……。
 もしかして既に経験済みなのかな? いや、僕は初めてかどうかなんて気にしないけどさ」
……どうやら通常の意味でよかったらしい。
だがそれでも何故その要求なのかという疑問は残る。
どうして自分と…その、子作りなんてしようと思うのか。
オブラートに包んでそれを訊ねると、彼女はそれが当たり前のように答える。

「理由ならいくつかあるよ。
 まず僕は君が好きだ。だから子供が欲しい。これはおかしくないよね?
 気持ち良いのだって好きだ。だから君と一緒にそうなりたい。
 それに言うじゃないか『子供ができたらあの人は変わったのよ』って。
 まあこれは作り話だけど、別に試してみたって悪くはないだろう?」
正直、物の試しで子供を作るのはどうかと思う。
それに実際にできたとしても、面倒なんて見れないだろう自分は。
ましてや子供のおかげで彼女を愛するようになるなんてことはありえない。
自分は『絶対にダメとは言わないけど止めた方がいい』と説得を試みる。
しかし彼女はまるで意思を変える気配がない。
……これはもう覚悟を決めるしかないか。

自分は彼女の要求を了承する。
すると彼女は『そう言ってくれると思った』とばかりに、フフンと鼻息を吐いた。

自分は暗い夜道を彼女と二人で歩く。その行き先は彼女の自宅だ。
彼女の家は我が家よりは病院から近いそうなので、徒歩で帰宅することとなったのである。
死の香りをふりまく化け物と子作りをするためにその住処へ向かう。
性別が逆の話をエロ漫画で読んだことがあるが、まさか自分がその立場に立たされるとは。
無言のまま歩き続けるのが精神的に辛くなってきたので、気を紛らわすために彼女に話しかける。
まず第一の問題として、そんな濃い死の気配を前にしてちゃんと立つのかどうかとか。

「ちゃんと勃起するか心配だって? そんなの君が心配する必要ないよ。
 好きな相手を欲情させられないようじゃ女として失格だ。
 僕の沽券にも関わるから、何としても子作りは成功させるつもりだよ」
『何としても』というあたり非常に不安だが、いまさら逃げるわけにもいかない。
そのまま彼女に先導されて、ついにその場所にたどり着く。

自分の家は普通の庭付き一戸建てで、広くはないけど狭くもないと思う。
しかし彼女の自宅は建物も庭も三倍近くあり、ずいぶんとご立派な邸宅だった。
自分の身長より高い門を抜け、木々に挟まれた道を進みようやく玄関に到着。
厚めの玄関扉を開いた彼女は靴を脱ぎスリッパに履き替えた。
それに続いて自分も上がろうとしたが、何故か彼女はスリッパを用意してくれない。
『自分で取れ』というのは性格的も礼儀的にもありえない。
疑問を視線に乗せて彼女を見ると『ちょっと待ってて』と言い残し、廊下の奥へ消えてしまった。

言いつけどおりに犬のごとく待たされて数分。
再びやってきてスリッパを用意した彼女の姿に自分は息を飲んだ。

彼女だって女性だ。帰宅して私服に着替えるのはいいだろう。
しかしそれがおとぎ話の魔女のようなフード付き黒ローブというのはどうなのか。
いやまあ、個人の趣味とすれば口をはさむことではないかもしれない。
そのローブの下が完全な裸だというのも、
ここへ来た目的を考えれば、必ずしもおかしいとは言い切れないだろう。

透けるような白い肌に包まれた柔らかそうな肉体。
女性らしく膨らんだ二つの乳房を先端までさらし、
股間の女性器から粘液を滲ませ、内股を少しばかり濡らしているその姿。
道中の心配が杞憂だったと思えるほどの色香に自分の男性器が硬直し始める。

もちろん彼女が纏う死の気配は何も変わっていない。
不快で、恐ろしくて、目にしたくもない。
だがそれが彼女の色香と混ざり合うと、また別の思いが産まれてくる。
『例え死ぬことになるとしても彼女としたい』という、無謀で短慮で愚かしい思いが。

自分は彼女に促されるままにスリッパに履き替えた。
そしてフラフラッ…と夢遊病者のように彼女の傍へ寄る。
すると彼女はこちらの右手をとり、廊下の奥へと歩き出した。

我が家よりもずいぶんと長い廊下。
その通路をクランク状に二回曲がった先に彼女の自室があった。
彼女はドアノブを回して扉を開くとパチッと電灯をつけ、部屋に自分を招き入れる。

初めて目にした彼女の自室。そこは広さに反してずいぶんと殺風景だった。
大人が二人寝られそうなベッドに、学校の教科書などが並んでいる本棚。
それにほとんど使われた形跡がなく、ホコリが積もり気味の勉強机だけ。
はっきり言って、女の子の部屋とはまるで思えない。
しかし彼女はそれを恥じる様子もなくその感想に答える。

「そりゃあそうだよ。この部屋はただ寝るだけの部屋だからね。
 実質的に僕の部屋と呼べるのは研究室の方さ。
 向こうは薬や素材や棚がたくさん置いてあって、ごちゃごちゃしているよ。
 お望みなら後で案内してもいいけど、今はそれより――――」
彼女がバサッとローブの裾を翻すと、黒い霧であったかのように消え去った。
本当に何も身に着けていない姿になった彼女はトッ…と左手でこちらの胸に触れる。

「――――子作りしよう。
 正直に言って、今の僕の体は孕みたくて孕みたくてウズウズしているんだ。
 これ以上我慢していたら、床がお漏らししたみたいに濡れてしまうよ」
その言葉に目を床に向けると。敷かれたカーペットの生地が一部濡れて黒ずんでいた。
さらにそこから視線を上げていくと彼女の女性器が涎を垂らしているのが目に入る。
彼女が自分に欲情しているという事実に、こちらの体も熱くなってくる。

「君ももうその気になっているだろう? こんなに自己主張しているんだからさ」
彼女はそう言うとサワッ…と右手でこちらの股間を撫でた。
心地よい震えが走ったそこは隆起の頂点が黒く滲み、人前には出れないような状況だ。
クスリと彼女は笑うと、両手の指を使ってプチプチとYシャツのボタンを解いていく。
自分はそれを止めることはせず、彼女のなすがままにさせた。
ボタンを外し終えた彼女は、妻が帰宅した夫から上着を預かるように半袖のシャツを抜き取る。

「夏だからしょうがないけど、やっぱり汗臭いね。
 後で洗濯してあげるから、家を出るときは綺麗な物を着ていきなよ?」
そう言って跪き床にシャツを置いた彼女は、ズボンのベルトに手をかける。
カチャリと金具の鳴る音がして、ジジジ…とチャックが下げられた。
締め付けの無くなったズボンが下まで落ち、自分はもう下着姿。
その次は『はい、バンザイして』と肌着まで脱がそうとした彼女だが、
何か間抜けな感じがするのでそこは遠慮しておく。
残る上下は自分の手で脱ぎ、彼女と同じ全裸姿になる。

少し手を伸ばせば届く距離で裸の女の子と二人っきり。
普段はただ不快なだけの死の香りが、今は彼女の美しさを彩る香水のように感じられる。
彼女は目を細めて妖しく微笑むと、ベッドまで下がりクイクイと手招き。
見えない操り糸に手繰られるように近寄ると、彼女は首に両腕を絡めて引き倒してきた。

よほど良いクッションが使われているのか、ベッドは軋む音もさせず二人分の体重を受け止める。
そして10センチも離れていない彼女の顔が近づき、口づけをしてきた。

「んっ……ん…んむっ……」
初めて出会った日のように舌を差し入れ、口内を貪ろうとする彼女。
やはり彼女の唾液は死の味と甘い味が同居していた。
あの時はただ一方的に流し込まれただけだが、今の自分はそうではない。
こちらも彼女の口の中を弄ろうと舌を絡め、唾液を流し込む。
彼女は自分が応えたのを快く思ったのか、嬉しそうに目を細める。

「うぇ…ろ……んっ………はふぅ」
自分たちはしばらくピチャピチャと舌でじゃれ合っていたが、
やがて満足がいったのか彼女は口を離して熱い吐息を漏らす。
そしてもぞもぞと両足を動かして、自分を挟むように股を開いた。

「……ね。キスするのもいいけど、そろそろ先へ進もう?」
彼女はそう言うと両手を股間に添えて、自ら女性器を開いて見せる。
パックリと割れた彼女の女性器。その割れ目からは穴の内側までもが見えた。
綺麗な色をしていてぬらぬらと濡れている肉壁。
男性的な欲望を酷く駆り立ててくれるその場所は、死の国へ繋がる洞窟のようにも思えた。
自分はこの洞窟を通って死と一体化してしまうのだと。
だが今の自分にはその死がとても魅力的に感じられて仕方ない。
死にたい。死にたい。死んでもいいから彼女と一つになりたい。
その衝動に突き動かされた自分は、彼女の腿を押さえ男性器を潜り込ませる。

「あはっ、入ってきたっ…! さあさあ、もっと奥まで来ていいよ。
 ちんぽで僕の体内をたっぷり感じておくれっ…!」
彼女が言うように腰を進め、より深く男性器を差し込む自分。
ぬめった肉の洞窟はとてもきつく、ずぬぬ…と心地良い摩擦を生む。
男性器の先端のみならず胴までも敏感になっているようで、
自慰とは次元がまるで違う快感に、グッ…と歯を噛んでしまった。

「ん、ん……ここまでかな。ほうら、よく見てごらん。
 君のちんぽが全部埋まっちゃった。僕たちはいま繋がってるんだよ」
彼女は右手の人差し指で下腹部をスッと縦になぞる。
そこは自分の男性器が潜り込んでいる場所だ。
女の子の体にはこんなサイズの異物が入る空間があるかと思うと不思議に思える。
しかし彼女は腹をなぞった方の手でこちらの頬を撫でて言った。

「そう不思議なことかい?
 女の子が好きな男の子を受け入れてあげたいと思うのは普通だろう?
 だからこれは当たり前のこと。女はそういう風に体ができているんだよ」
彼女はそう言い、チュッと軽く触れるキスをする。
そして浮かべた微笑みは、いかなる鈍感でも心の底から想ってくれていると分かるであろうものだった。

「さあ、動いた動いた。
 このまま抱き合っていても君は射精するだろうけど、それじゃあ僕がつまらない。
 僕のまんこをかき回して、卵子が溺れるくらいに射精してもらわないとね」
そうだった。自分は子作りをしにここへ来たのだから、
出来る限りに大量の精液を出して彼女を孕ませなくては。
思考がどこかおかしくなっていると自覚しながらも、自分は腰を動かし始めた。

以前に考えた時には、セックスって実はすごい疲れるんじゃないかと思った。
なにしろ動かすのが腰だ。手足を動かすのとは具合が違う。
体力に自信があるわけでもない自分がやったら、すぐにへばると思っていた。
しかし実際にやってみて、その考えはまるで間違っていたと教えられた。

「ははっ! そうそう、それで良いんだよ!
 君のちんぽで壊れるほどヤワじゃないから、力一杯にゴリゴリしていいのさっ!」
彼女の膣壁を削り取るぐらい力を込めて、自分は彼女に腰を打ち付ける。
敏感な部分を乱暴に扱って痛くはないだろうかと少し心配したが、
彼女は痛がる様子などまるで見せず大喜び。
こちらも気遣いは不要と分かり、自分がただ快楽を得るための動きへと変わっていく。

「うん、動きが段々こなれてきたね。
 いいよ、僕の体でもっと気持ち良くなりな」
余裕綽々の態度で軽口をたたく彼女。自分はそれに腰の動きでもって返す。
別に面倒というわけではなく、いま口を開いたら情けない声が漏れてしまいそうだから。
なにしろ彼女の膣はミミズ千匹どころかミミズ一匹なのだ。
巨大なミミズの頭にがっぷりと食いつかれたような熱とぬめり具合で、
膣壁のヒダ一つ一つがぜん動する感覚は、胃の中へと飲み込まれていくよう。
その快感は部屋に満ちている死の香りと共に脳髄の芯まで侵していき、
自分の男性器はより確実に精液を送り出すため、最大限に膨張し硬化する。

「あ、君のちんぽまた太くなったね。
 硬さも骨みたいだし、もう射精が近いのかな?」
憎たらしいほどに余裕ぶっている彼女だが、
その彼女も絶頂が近いのか、声が少し上ずっている。
もし達したならば彼女も可愛らしく鳴いてくれるのだろうか?
そんなことを思う間も射精感は強まっていき、いまにも迸りそうになる。

「お、お、もう出すのかい?
 君の遺伝子がたっぷり詰まった汁を注いでくれるのかい?
 いいとも、僕の準備は万端だ。さあ、僕に種付けしなよっ!」
彼女はクモが獲物を押さえつけるように、両手足でガシッとこちらの体にしがみついた。
それと同時に彼女の膣肉が全力で精液を搾り取ろうとうごめき、
自分は男性器から引きずり出されるように白濁液を彼女の胎内へばら撒いた。

「あははっ、たくさん出てるねっ! 君の精液で僕のお腹が一杯になっていくよっ!
 ほらほら、もっと奥に押し付けて! 双子や三つ子がデキたっていいんだからさっ!」
自分に孕まされることがよほど嬉しいのか、彼女は哄笑をあげる。
そして男性器をさらに押し込もうと、腰に絡めた足でグッグッと圧力をかけてきた。
まだ射精中で非常に敏感になっている男性器の先端。
そこがゴリッと何かを貫通した瞬間、快感のあまりに意識が飛びかけた。
膣の奥をさらに入ったところというと……。

「ふふっ、子宮にまで入ったねえ? やっぱり直接かけられる方が気持ちが良いよ。
 ああ、君の精子が子宮の壁をはいずり回ってるっ…!
 僕の卵子を探して泳いでるよ…!」
ビクンビクンと脈動する男性器から放出され続ける精液。
その量は異常に多く、まるで止まる気配がない。
射精の瞬間に訪れる最高潮の快感が長時間持続し、脳の快楽中枢が焼き切れそうだ。
冗談でなくこのまま腹上死してしまうかもしれない。

「んっ、君の精子が、僕の卵子っ……突っついてる…! あっ、あっ、混ざる…っ!
 僕たちの遺伝子が混ざるよっ……! 君の精子っ…受精するぅっ!」
自分が耳にしてみたいと思った彼女の可愛らしい嬌声。
それは彼女が受精し、ぶるっと身震いした瞬間に聞くことができた。
いつも余裕ぶっていて冷静な彼女が発したその声はとても新鮮で、もっともっと聞きたいと思ってしまう。
それに応じたのか、射精が収まり萎えるはずの男性器が失われようとした硬さを保持。
自分の腰は精液で汚れた彼女の胎内をさらに汚そうと、ゆっくりとだが前後運動を再開する。

「あっ…もっと、種付けしたいのかい……? 
 ………あは、あははっ! いやぁ、本当に嬉しいなあ!
 そんなに僕の体を気に入ってくれただなんてさ!
 ああ構わないとも。好きなだけ君に付き合ってあげるよ!」
一度で終わらせたくないというこちらの意思を把握したとたん、
ゆったりと微睡みかけていた彼女は一転して狂喜的な笑みを浮かべた。
今の自分にはその顔がとても魅力的に感じられ、
普段ではまずありえない『愛おしい』という感情が胸の中に湧きおこる。
初めてこちらから彼女に口づけすると、再びその肉体を貪るため腰の動きを速めた。



「――――そろそろ起きなよ。今日はまだ登校しないとなんだから」
眠っている自分の耳に流れ込んできた声。
その意味を理解すると同時に嗅覚も目覚め、死の匂いが鼻孔いっぱいに広がる。
自分はハッと目を見開き、ガバッと上半身を起こす。
声が聞こえてきた方向である左に目をやると、そこには裸の彼女が寝そべっていた。

「おはよう。ずいぶんと派手な起床だね」
彼女はそう言うと、おかしそうにクスクスと笑う。
昨日までの自分だったらその笑いも鼻についただろうが、
今朝の自分はその程度のことでは不快と感じない。
彼女が漂わせる死の香りへの不快感はやはり変わらないのだが、
肉体関係を持ってしまったことや父への恩などが、心理面に影響を及ぼしているのかもしれない。
とはいえ、笑顔で挨拶するような気はまるで起きないのだが。

壁掛け時計に目を向けると、時刻は5時半を少し回ったところ。
まだずいぶん余裕があるじゃないか…と自分は思うが、彼女は横に首を振る。

「君はベタベタの体で学校へ行くのかい?
 風呂場に案内するから、まずはシャワーでも浴びなよ。
 シャツとかはその間に洗っておくからさ」
彼女はそう言い、ベッドから身を起こす。
色白で柔らかい彼女の乳房が揺れ朝から欲望が持ち上がりそうになったが、
自分は天井を向いて彼女を視界から外し、それをこらえる。
また彼女の忍び笑いが聞こえたがそれは無視した。

シャワーを浴びて、制服を着て、朝食を摂ったら、中々いい時間。
彼女が玄関扉に鍵をかけるのを確認して一緒に門をくぐる。
できることなら『先に行っている』と伝えて一人で登校したかったが、
残念なことに彼女の家から学校までの道筋を自分は知らない。
結局、彼女に先導されるようにして、馴染みのない通学路を歩いたのだった。

「……なので、休み中も学生としての――――」
本当に聞いている者がいるのか怪しい、全校集会での校長の演説。
夏休みの前哨戦として昨晩遊び呆けた者も多いのか、結構な数の生徒が首をうなだれていた。
もちろん自分もその中の一人。
日付が変わっても色々やっていたおかげで、かなり寝不足なのだ。
彼女の方は眠気を感じさせず普通に話を聞いているようだが、
あくまでそう装っているだけなのか、本当に眠くないのかは分からない。
いずれにせよ、これで二人揃って登校したときに向けられた疑惑の目は晴れることだろう。
一緒に登校した男女がお互い睡眠不足とあっては、何かありましたと自白しているようなものだし。

全校集会の後は各教室で担任からの連絡事項。
体育館より狭いこの空間では『早く終わらせろよ…』という雰囲気が形となって見えるようだ。
担任もそれをくんでくれたのか、あっさりと話を終えて解放してくれた。

終業の号令も終わり、ついに始まった夏休み。
席替えで右隣に移っていた彼女は早速声をかけてくる。

「さ、学校も終わったことだし、お父さんのお見舞いにでも行こうか」
最初からついていく気満々で言う彼女。
そんなこと言われなくても父の容体は最優先で確認しに行くつもりだし、彼女だって連れていくつもりだった。
彼女が嘘を吐くとは思っていないが、それでもこの目で見るまでは安心できない。
何らかのイレギュラーが発生して治らなかったという可能性だってあるのだから。
自分は昨日と同じようにタクシーを呼び、彼女同伴して病院へ向かった。

昨日も通った病院の白い廊下。
ちょうど昼頃ということもあり結構騒がしい。
それらの雑音を他所に、自分は父がいる個室の前に立ち止って一つ深呼吸。

……この扉を開いた先に全ての結果がある。
父はきっと目覚めているはずだ。いや、目覚めていないはずがない。
だが万が一……万が一ベッドに寝たままだったら?
彼女に相談しても『もう手の施しようがない』と言われたら?
そんな考えが浮かんできてノブを回すことが「どちらさまですかー?」

病室の中からかけられたのは、ドアの向こうで止まっている人物を誰何する声。
それはどうやったって聞き間違えることがない父のものだ。
喜びとか嬉しいとか、そういった言葉では表現できない正の感情があふれかえり、
自分は慌てたように急いでノブを回し病室の扉を開く。
開かれた扉の先にあったのは、ベッドの上で元気そうに上半身を起こしている父の姿。
それとその背後で守護霊のように寄り添いにこやかに笑う幽霊だった。

「あ、お前か。面会に来てくれたのか。
 学校の方は…って、今日が終業式の日だったかな?」
父は重症で倒れたことなんて全くなかったように振る舞う。
しかし医者から何があったのか説明は受けたらしく、その話になると不思議そうに首をひねる。

「いやー、今朝方俺が目を覚ましたら、歳いったお医者さんが腰抜かしたよ。
 『そんなすんなり目が覚めるはずない』ってな。
 詳しいこと聞くと、脳の血管が切れてたそうじゃん?
 そんで機械で検査したんだけど、脳に異常なしって診断されたんだよ。
 その後何人かで話し合ってたみたいだけど原因は分からずじまいで、
 経過観察するしかないってんで、安静にしてろって言われたんだ」
幽霊が治してくれただなんて、医者に分かるわけない。
きっとこの件は最後まで詳細不明のままだろう。別に自分はそれで構わないが。
それはそれとして、何か変わったことはないかと尋ねてみると、父は思い出す様に視線を上げて語った。

「そうだなー、変わったことと言えば夢を見たことかな。
 どこかわからない場所に俺はいたんだけど、
 なんかすっごい美人が出てきて、楽しいことしようって言ったんだ。
 それに頷いたら……あー、まあ、色々と良い目に合わせてくれたんだよその美女が。
 もしかしたらって思うけど、あれは神の使いとかそういうもんだったのかもなあ」
そう言ってアハハと冗談らしく笑う父。
その背後では幽霊が両頬に手を当てて、嬉し恥ずかしに身悶えている。
……父にも霊感があったら、絶対に口にしなかっただろうなこのセリフ。

「えーと、それでそちらのお嬢さんはどちら様かな?」
少し話した後、ようやく父は彼女のことに触れる。
面識のない相手を連れていけば当然出るであろう疑問だが、
父の容体で頭が一杯だった自分はそれへの回答を用意していなかったのだ。
『ええと…』と言葉を濁してその間に考えをまとめようとしたが、
その前に彼女は前に進み出てペコリと頭を下げた。

「どうも初めまして。僕は彼の友人です。
 学校では本当に良くしてもらって、感謝の念が絶えません」
そう言って微笑む彼女に父は感心したような顔。
内心で礼儀正しい子だな…とか思っているのだろう。
その彼女に父の側も頭を下げて礼を返す。

「いえいえ。こちらこそ息子が良くしてもらっているようで、とてもありがたく思います。
 恥ずかしい話ですが、ウチの子は昔から全然友達が作れなくて心配していたんです。
 あなたのようなしっかりした人が仲良くしてくれるとあれば、私も安心ですよ」
何も知らない父は彼女を立派な女の子だと認識しているらしい。
しかしそれは大きな間違いだと言ってやりたい。
彼女は死の化け物で、同級生さえ同じ化け物に変えてしまうような精神の持ち主なのだ。
自分に対しては好意的だが、それ以外の人物に対しては興味も感心もほとんどない事を知っている。
下手に父が仲良くなって地雷でも踏まれたらやっかいだ。
『まだ病み上がりだから』とかそれらしい理由をこじつけて退散するとしよう。

「あ? もう帰るのか?
 夏休みなんだから、もっとゆっくりしたっていいのに…。
 まあいいや。気をつけて帰れよー」
父は特に引き止める様子もなく自分たちを見送る。
彼女も軽く手を振って別れを告げたが、それは幽霊に対して向けられた様子。
何故かというと、ヒラヒラ動かした手から死の気配が放たれて、
キャッチボールのように幽霊目がけて飛んでいったから。

先ほど通った病院の廊下を玄関口へ向かって逆に歩く。
何も話していない今、自分の頭の中はとりとめのない思考で満ちていた。

父はもう回復した。
完璧に健康なそうだし、問題なく元の生活に戻れるだろう。
彼女への恩返し……子作りとかの色々なことも全て終えた。

ここ二日間で彼女との距離が異様に近まったが、それもここまで。
もう彼女に頼るような問題はないし、そもそも明日からは学校がない。
しばらく彼女と顔を会わせることはないのだ。
きっと休み明けには普段通りに戻っていることだろう。
そう、自分は思ったのだが……。

病院で彼女と別れてから数時間。
自分は自室のベッドの上で悶々とし、ゴロゴロ転がっていた。
そうなっている原因は床に放り出されたお子様禁止の肌色本。

大きい声では言えないが自分だって性欲旺盛な青少年だ。
父の心配事も無くなったことだし、そういった欲望を満たしたくもなる。
そこでこっそり隠してある秘蔵本を取り出したのだが…困ったことにまるで反応がない。

いや、紙面を眺めていてエロいとは思うのだ。しかし股間のブツが全く動こうとしない。
どうしても彼女との子作りが想起され、
あれに比べればこんな薄い紙っぺらなんて…との思いが浮かんでしまう。

別に性欲自体が無くなるのならいい。
問題なのは性欲はきっちりあるのに、それを自分一人で発散できないことだ。
彼女の肉体を忘れ去ることができれば、また役立つようになるかもしれないが、
それにはどれほどの時間が必要なのか見当もつかない。
下手をすれば今後一生、ずっと彼女の幻影に縛られることになるかもしれない。
と、そこにまで考えが至った時ふと思い付いた。
まさか、彼女はこれを狙っていた……?

麻薬のように依存性がある彼女の肉体。
それを自分に味あわせ、中毒患者のように逃げられなくする。
死の匂いを我慢する事と性欲が永遠に満たされない事。
どちらを選ぶかと問われれば、今の自分は確実に前者を選ぶ。
彼女の仕業だと確信した自分は携帯を手に取ると、
押し付けられた彼女の番号を登録リストから呼び出した。

コール音が二度鳴り、通話に出た彼女。
自分は前置き抜きで『オマエの仕業だろう』と怒りをぶつける。
それだけで用件を理解したのか、彼女はあくどい笑みを浮かべていそうな声で応じる。

『ああ、気づいたんだね。うん、その通り。
 君が性欲を抱えてムラムラしているのは僕のせいだよ』
容疑をあっさりと認める彼女。
あまりに清々しい認めっぷりに、こっちが拍子抜けしてしまった。
少しくらいはしらばっくれると思っていたのに。

『でも心配することはないよ。君の性欲はちゃんと僕が満たしてあげるからさ。
 君のお父さんはまだ入院中だし、今すぐにそっちへ行こうか?』
父のことが口に出たとき、またもや悪い想像が浮かんだ。
父が倒れたこと。ひょっとして彼女はそれにも関わっているのでは?

つまり自作自演だ。
何らかの手段で彼女が父を重症に陥らせ、それを救ってみせた。
自分はそれに恩義を感じて彼女の望むように行動する。
証拠なんて何もないが、もしこれが真実だとしたら、自分は絶対に彼女を許さない。
今度はオブラートになど包まず、心に浮かんだ疑惑をストレートに口にする。
彼女は一瞬言葉を途絶えさせたが、心外そうに反論してきた。

『…その言葉は酷いよ。そんなことするほど僕は落ちぶれていない。
 ちょうどいい機会だと思ったのは確かだけど、君のお父さんが倒れたのは偶然だ。
 でもまさかそこまで疑われるなんてねえ……』
初めて自分に向けられた怒りを含んだ声。
今の言葉は彼女にとっても甘受しきれないものだったようだ。
父の件に関しては白だと知った自分は慌てて謝罪するが、今回は簡単に機嫌を直してはくれなかった。

『もういい。今からそっちへ行くよ。
 僕がどれだけ君のことを想っているか、体にたっぷり教えてあげるからね!』
彼女は強い口調で言い切ると通話を閉じた。
こんなに怒らせてしまい、どうしようかと自分はため息を吐く。
とりあえずは歓迎の準備でもして、少しでも機嫌を……と思った瞬間。
紫色の光で描かれた魔法陣のようなものが突如床に展開し、
望遠鏡のピントが合うような感じでその上に彼女が現れた。
彼女は数瞬の間滞空し、トン…と床に足を突く。
身に着けているのは彼女の家で見た黒ローブ一枚で、その下はやはり裸。
望んでいたものが目の前に現れ、男性器が反応しかけるが、
彼女の吊り上がった瞳にジロリと睨まれ、すぐにしょげかえった。

「さあ来たよ。さっさと服を脱いで。
 もう二度と僕を疑おうなんて思わないくらいにしてあげるから」
……ヤバイ、怖い。
瞬間移動なんて得体の知れない物を使ったこともそうだが、
それ以上に自分への怒りを抱いている人という意味で怖い。
自分は鬼軍曹に命令された新兵のように速やかに衣服を脱ぎ捨てる。
本能が命の危機でも感じているのか、しょげていた男性器はいつの間にか元気になっていた。

部屋にやって来た時の彼女は見たことがないほどに不機嫌だったが、
一旦セックスを始めたら、その態度はずいぶんと軟化した。
といっても機嫌が完全に直ったわけではなく、自分の上で腰を振る彼女の動きはどこか乱暴だった。

「んっ…! 全く、失礼だね君は…っ!
 この子のお祖父ちゃんに、酷いことするわけないだろう…!」
綺麗な肌で覆われた腹に左手を当てて、彼女はグチュリグチュリと腰を動かす。
前回したときは巨大ミミズに咀嚼されているようだったが、
今回はそれに加えて、膣壁で舐め回されているようにも感じる。
ただでさえ耐え難い快感に新たな刺激が足されたとあって、
自分はもう射精を堪えるので精いっぱい。
彼女の尻や乳房に回そうとした手は、初夜の乙女のようにシーツを握りしめるのが関の山だ。

そんな風に何もできない自分に彼女はムチュッと唇を触れさせてきた。
そしてこちらの口内にまた舌を差し入れてきたのだが、今の自分は舌でさえ望むように動かない。
彼女は口の中を思うがままに蹂躙し、多量の唾液を注ぎ込んで、チュルンと舌を抜く。
唇同士の間に伝わった透明な糸。顔を遠ざけてそれを切った彼女は耳元で囁くように言う。

「ほら、君を陥れようとする相手がこんなに気持ち良くしてくれるかい?
 今みたいに熱いキスをしてくれると思うのかい?
 なんとか言ってごらんよ。臆病で、疑り深くて、とっても困った、僕の愛しい人…」
怒りの熱が欲情の熱と混ざってきたのか、彼女に優しい口調が戻ってくる。
動きの乱暴さも消え、話す程度のことならできそうだ。
このまま機嫌を直してもらいたいし、こちらが全面的に悪いと思うのでもっと優しく接しよう。

自分はもう一度彼女に謝る。
そして快楽を与えてくれることへの感謝も口にし、その体をぎゅっと抱いた。
細身なくせに大きい乳房がこちらの胸板で潰され形を歪ませる。
彼女の方も胸を押し付けるように抱きつき、喜ばしげな声を出した。

「うん、いいよ。許してあげる。
 ただ謝るだけじゃなくて、ちゃんと優しくしてくれる君は大好きだ。
 困ったところも多いけど、そういうところはとても良いと思うよ」
こちらに負い目と打算があるから優しくしただけなのに、ずいぶんあっさりと彼女は許してくれた。
それが分かっていないはずはないのに、まるで普段から優しくされているかのように彼女は笑顔を向けてくる。
その笑顔を見ていると自分が酷い奴のように思えてきて、
もう少しくらいは丁寧に扱おうか…なんて考えてしまった。
まあこんな感情を抱くのも、彼女とセックスしている最中だからなんだろうけど。

「それじゃあ、仲直りしたことをこの子にも教えてあげようね。
 お父さんの精子に言伝してもらおうか」
彼女は動き辛いだろうに、抱き合ったまま器用に腰を動かし続ける。
体を起こしている時と違い、肌の触れ合う面積が段違いだ。
こちらの首に回された腕は汗でじっとりと濡れている。
彼女の体の中で一番の柔らかさを誇る乳房は先端の乳首を硬く尖らせていた。
下腹部は女性器からあふれた体液にまみれ、もうベチャベチャ。
腰を挟んでいる太腿もそれらの液が潤滑液となり、ヌルヌルと滑らかな感触を返してくる。

女性器のみならず全身を使ってこちらに快楽を与えてくる彼女。
それだけで嫌悪している相手に好意を持ってしまう自分は本当に節操なしだと思う。
だがこうした自己嫌悪もすぐに快感で塗りつぶされ、
彼女の胎内へ精液を放つことしか考えられなくなっていくのだ。

「…んっ! いつでもいいよっ…! 君の好きな時に射精してくれ…! 
 この子に、君の精液をっ……!」
言葉に甘えて自分はすぐに男性器から精液を打ち出した。
それに反応したのか、精子の一匹も逃すまいとばかりに膣肉が引き絞られ、
彼女と共に絶頂を迎えたかのような、同調的な快感が脳髄を襲う。

「ああっ…君の精子、また来てるっ……!
 また僕を妊娠させたいって、子宮の中探し回ってるよ…!」
もうすでに彼女の腹には子供がいる。
そのためどれほど射精しようとこれ以上孕むことはないのだが、
逆にそれが快楽のためだけのセックスという印象を強め、どこか背徳的に感じた。
彼女も同じように思ったのか、どこか黒い笑みを浮かべる。

「あはっ、精子たちが受精卵に群がってるよ。
 壁を破ろうって頑張ってるけど、無駄な努力だよね。
 可哀想だけど、お姉ちゃんに言伝した後はそのまま死んでもらおうか」
胎児はまだ細胞の段階なのに、彼女はそれを『お姉ちゃん』と呼んだ。
まあ彼女は化け物なので、すでに性別を把握していてもおかしくはないかもしれない。
そんなことより、産まれる女の子はいったいどのような存在になるのだろうか?
それを訊ねると、彼女は言葉を濁しもせず素直に答えてくれた。

「僕と同じさ。母親と同じ種族が産まれる。
 残念だけど、人間は生まれないんだよねえ」
もしかしてと思ってはいたが、化け物の子はやはり化け物だった。
自分は死の化け物を増やす手伝いをしてしまったわけだ。
いまさらになって子作りの後悔が押し寄せてくるが、
それさえも射精後の余韻に飲まれ薄められていってしまう。

……全く、本当にどうしようもない奴だ自分は。
彼女のことが好きなのか嫌いなのかはっきり定めればいいというのに、
ちょっとしたことで、フラフラとどっちつかずに彷徨ってしまう。
そう思い自嘲の笑みをこぼすと、彼女は左手でこちらの頬に優しく触れ口を開いた。

「大丈夫だよ。君がどんな人かっていうのは僕がちゃんと知っている。
 君は君自身が考えているより、ずっと優しくて誠実なんだ。
 だから卑下する必要なんてない。それでも気になるなら――――」
彼女は男性器をくわえ込んだままの膣に力を込める。
すると柔らかい肉のヒダヒダが男性器全体をザラッと撫で、ゾワッ…とした快感が走りぬけた。

「――――そんなこと考えられないくらいに愛してあげよう。
 頭の中を僕で埋め尽くして、離れたら死んでしまうと思うくらいにね」
余計なことを考える思考など、いっそ吹き飛ばしてしまえ。
ずいぶん乱暴な論理だが、そうすれば確かに気楽にはなれるだろう。
頭の中が彼女で一杯になるのはご免こうむるが、今ぐらいは面倒なことは考えなくていいかもしれない。

「そうそう、今はただ愛し合おうじゃないか。
 もう夏休みに入ったんだし、なんなら一日中僕と繋がっていてもいいんだよ?」
そう言って冗談のように笑う彼女だが、
自分が望めば本当に付き合ってくれることだろう。
いくらなんでも一日中は長すぎるが、一緒に朝焼けを眺めるのは悪くなさそうだ。
今晩は完徹する覚悟を決めて自分は彼女に口づけをした。
15/07/16 20:43更新 / 古い目覚まし

■作者メッセージ
我ながら書いていて変わり身が早すぎると思いました。


ここまで読んでくださってありがとうございました。

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