episode1
「それじゃあ、母さん、行ってきます」
彼の名前は、安部静流。地方の高校に通う高校生だ。春休みが終わり、今日から一学期が始まる。彼は学生鞄を玄関先に置き、革靴の踵に指を入れる。立ち上がって、鞄を肩にかける。台所から母親の「行ってらっしゃい」という声が聞こえる。彼は、扉を閉めると、家の前にある石段を下りていく。国道沿いに咲く桜並木からは、花びらが舞っていた。学校までの国道は緩やかな坂になっている。後ろから、同じ高校の生徒が自転車で追い越していく。ぽつぽつと点在している民家を抜けて、15分ほど歩くと、大きな校門が見える。
県立山北高等学校。県北に位置するこの高校は、県内では中堅の進学校である。校是は、質実剛健・文武両道であり、学業のみならず、部活動にも力を入れている。地域を牽引する高校という自負を持っていて、この地区での偏差値はトップクラス。とはいえ、地方の進学校のレベルなどたかが知れていた。卒業生のほとんどが県内の大学、精々隣県の大学が関の山だった。関東に進学する者もいるにはいたが、その数は限られていた。
「おう、静流、今年は一緒のクラスみたいだな。というか、どんだけ、腐れ縁なんだよ」
「よう、おはよう…それが本当だとしたら、だれかの陰謀だとしか思えないな」
静流が三階にある教室の前に来ると、工藤真人が声をかけてきた。彼は、小学校からの静流の友人だ。褐色の健康的な肌と、高身長なのは、色白でそれほど背の高くない静流と対照的だ。高校に入ってからは、同じクラスが続いている。どうやら先に、教室前に張り出してあるクラス分けを見たらしい。
「さてと、教室も分かったことだし、春休みあけの試験に備えるか」
「そうだな、げっ、担任は、安田かよ」
「そうらしいな、あー、俺あいつの事嫌いなのに。一年間あいつの顔見ないといけないと思うと、気がめいるぜ」
真人が大げさに嫌な顔をする。安田は数学の担当で、そのねちっこい性格から生徒の多くに嫌われていた。「まったく、一学期からテンション下がるわー」と真人が言う。静流もそれについては同意見だった。午前中は春休みの課題から出題される試験がある。二人は、いそいそと教室に入っていく。
《キーンコーンカンコーン》
午前の試験が終わる。「ふぅ、ようやく終わったか」昼休み、静流が、教室の窓ガラスから外を眺めると、通り雨が降っていた。そこへ、真人が弁当を持ってやってくる。「静流、一緒に弁当でも食おうぜ。なぁ、テストどうだった?」「うーん、まぁまぁかな」真人が机をくっつける。静流の前の席に座っている女子の席だ。彼女は、友達の所に行っているらしい。不在だった。静流も弁当を広げ、おかずを箸でつつく。と、教室の女子達の話し声が聞こえた。
「ねぇ、稲荷神社って知ってる?」
「えー、知らないなー何それ何それ」
「ほら、学校の裏手にあるじゃない?」
「なんでも、縁結びの神様がそこにいて、恋を叶えてくれるらしいよ」
クラスの女子が何やら面白そうな話をしている。お弁当のウインナーを口に運びながら、静流は、真人に尋ねた。
「なぁ、恋愛の神様だってさ。お前、マネージャーの早紀ちゃんの事好きなんだろ?学校からそう遠くないみたいだし、恋愛祈願に行ってみたら?」
「…ぶはっ、そんな大きな声で言うなよ、部活の奴らにばれるだろ。それに、その件については、進展があってだな…」
真人は食べていたハンバーグを吐き出しそうになりながら、慌てて答えた。彼は坊主頭を照れくさそうにかく。工藤真人。友人の静流から見ても、校内の真人の人気はなかなかのものだ。175cmの高身長、精悍な顔立ち、真面目な性格。エロいところを除けば、かなりの好青年と言ってもいいだろう。バレンタインデーには、幾つものチョコレートが下駄箱に入っていたらしいし、校庭裏に呼び出される事もよく見かけた。静流も何度か真人への言付けを頼まれた事がある。
「…進展?なんだよ、聞かせてみろよ?」
「…ああ、それなんだがな、あの、彼女と付き合ってるんだ、俺」
「…まじで!?何々、お前から告ったの?」
「それが、相手からなんだよ。一昨日、彼女から呼び出されて」
「てことは、相思相愛ってことじゃないか。よかったな!」
小野早紀は、二年生の女の子だった。真人が所属する野球部のマネージャーをしていて、その中でも、飛びぬけて可愛い子だった。黒く長いさらさらとした髪と、物静かな性格。いうなれば大和撫子タイプだ。聞いた話によれば、新興住宅の区画に住んでいるらしい。真人は、彼女がマネージャーとして野球部に入ってきた頃から、彼女に片思いをしていた。
こう見えて引っ込み思案な真人が、はたして卒業までにその想いを伝えることができるか、静流はずっと心配していたが、それはどうやら杞憂だったらしい。「ああ見えて早紀ちゃんもやる時はやるな、これは後々、尻に敷かれるぞ」と静流は思った。
「早紀ちゃんも、俺の事ずっと好いてくれてたみたいで」
「それにしたって、男のお前が勇気を見せるべきだったんじゃないか?」
「確かに。俺も驚いたよ。彼女あんなに積極的だったなんて。突然呼び出されてさ、先輩の事好きですって。もう、その時、俺、彼女が何言ってるのか分かんなくて…」
静流は弁当を突きながら、真人ののろけ話を聞いていた。まぁ、友人としてこれくらいは聞いてやってもいいかと静流は思っていた。
「なんだかさ、付き合ってみたら、イメージ変ったよな。早紀ちゃん。俺はそういうところも好きなんだけど。ほら、どちらかというと、お淑やかな感じだっただろ。昨日一緒に帰ったんだけど、その、手握ってきてくれて…さ…」
「まぁ、恋愛は人を変えるっていうしな、それはそれでいいんじゃないの。お前しかしらない側面を見せてくれたって事なんだろうし」
「…そうだな。あー、俺、ますます彼女の事好きになった…」
何でも今週の土日にデートするらしい。「場所は?」と静流が聞くと、真人は恥ずかしそうに、「そんなのどこでもいいだろ!」と答えた。昼休みはその話題で持ちきりになった。そんなこんなで他愛もない話を聞いている内に、あっという間に時間が過ぎ、弁当を食べ終わる頃には、午後の授業を告げるチャイムが鳴っていた。
彼の名前は、安部静流。地方の高校に通う高校生だ。春休みが終わり、今日から一学期が始まる。彼は学生鞄を玄関先に置き、革靴の踵に指を入れる。立ち上がって、鞄を肩にかける。台所から母親の「行ってらっしゃい」という声が聞こえる。彼は、扉を閉めると、家の前にある石段を下りていく。国道沿いに咲く桜並木からは、花びらが舞っていた。学校までの国道は緩やかな坂になっている。後ろから、同じ高校の生徒が自転車で追い越していく。ぽつぽつと点在している民家を抜けて、15分ほど歩くと、大きな校門が見える。
県立山北高等学校。県北に位置するこの高校は、県内では中堅の進学校である。校是は、質実剛健・文武両道であり、学業のみならず、部活動にも力を入れている。地域を牽引する高校という自負を持っていて、この地区での偏差値はトップクラス。とはいえ、地方の進学校のレベルなどたかが知れていた。卒業生のほとんどが県内の大学、精々隣県の大学が関の山だった。関東に進学する者もいるにはいたが、その数は限られていた。
「おう、静流、今年は一緒のクラスみたいだな。というか、どんだけ、腐れ縁なんだよ」
「よう、おはよう…それが本当だとしたら、だれかの陰謀だとしか思えないな」
静流が三階にある教室の前に来ると、工藤真人が声をかけてきた。彼は、小学校からの静流の友人だ。褐色の健康的な肌と、高身長なのは、色白でそれほど背の高くない静流と対照的だ。高校に入ってからは、同じクラスが続いている。どうやら先に、教室前に張り出してあるクラス分けを見たらしい。
「さてと、教室も分かったことだし、春休みあけの試験に備えるか」
「そうだな、げっ、担任は、安田かよ」
「そうらしいな、あー、俺あいつの事嫌いなのに。一年間あいつの顔見ないといけないと思うと、気がめいるぜ」
真人が大げさに嫌な顔をする。安田は数学の担当で、そのねちっこい性格から生徒の多くに嫌われていた。「まったく、一学期からテンション下がるわー」と真人が言う。静流もそれについては同意見だった。午前中は春休みの課題から出題される試験がある。二人は、いそいそと教室に入っていく。
《キーンコーンカンコーン》
午前の試験が終わる。「ふぅ、ようやく終わったか」昼休み、静流が、教室の窓ガラスから外を眺めると、通り雨が降っていた。そこへ、真人が弁当を持ってやってくる。「静流、一緒に弁当でも食おうぜ。なぁ、テストどうだった?」「うーん、まぁまぁかな」真人が机をくっつける。静流の前の席に座っている女子の席だ。彼女は、友達の所に行っているらしい。不在だった。静流も弁当を広げ、おかずを箸でつつく。と、教室の女子達の話し声が聞こえた。
「ねぇ、稲荷神社って知ってる?」
「えー、知らないなー何それ何それ」
「ほら、学校の裏手にあるじゃない?」
「なんでも、縁結びの神様がそこにいて、恋を叶えてくれるらしいよ」
クラスの女子が何やら面白そうな話をしている。お弁当のウインナーを口に運びながら、静流は、真人に尋ねた。
「なぁ、恋愛の神様だってさ。お前、マネージャーの早紀ちゃんの事好きなんだろ?学校からそう遠くないみたいだし、恋愛祈願に行ってみたら?」
「…ぶはっ、そんな大きな声で言うなよ、部活の奴らにばれるだろ。それに、その件については、進展があってだな…」
真人は食べていたハンバーグを吐き出しそうになりながら、慌てて答えた。彼は坊主頭を照れくさそうにかく。工藤真人。友人の静流から見ても、校内の真人の人気はなかなかのものだ。175cmの高身長、精悍な顔立ち、真面目な性格。エロいところを除けば、かなりの好青年と言ってもいいだろう。バレンタインデーには、幾つものチョコレートが下駄箱に入っていたらしいし、校庭裏に呼び出される事もよく見かけた。静流も何度か真人への言付けを頼まれた事がある。
「…進展?なんだよ、聞かせてみろよ?」
「…ああ、それなんだがな、あの、彼女と付き合ってるんだ、俺」
「…まじで!?何々、お前から告ったの?」
「それが、相手からなんだよ。一昨日、彼女から呼び出されて」
「てことは、相思相愛ってことじゃないか。よかったな!」
小野早紀は、二年生の女の子だった。真人が所属する野球部のマネージャーをしていて、その中でも、飛びぬけて可愛い子だった。黒く長いさらさらとした髪と、物静かな性格。いうなれば大和撫子タイプだ。聞いた話によれば、新興住宅の区画に住んでいるらしい。真人は、彼女がマネージャーとして野球部に入ってきた頃から、彼女に片思いをしていた。
こう見えて引っ込み思案な真人が、はたして卒業までにその想いを伝えることができるか、静流はずっと心配していたが、それはどうやら杞憂だったらしい。「ああ見えて早紀ちゃんもやる時はやるな、これは後々、尻に敷かれるぞ」と静流は思った。
「早紀ちゃんも、俺の事ずっと好いてくれてたみたいで」
「それにしたって、男のお前が勇気を見せるべきだったんじゃないか?」
「確かに。俺も驚いたよ。彼女あんなに積極的だったなんて。突然呼び出されてさ、先輩の事好きですって。もう、その時、俺、彼女が何言ってるのか分かんなくて…」
静流は弁当を突きながら、真人ののろけ話を聞いていた。まぁ、友人としてこれくらいは聞いてやってもいいかと静流は思っていた。
「なんだかさ、付き合ってみたら、イメージ変ったよな。早紀ちゃん。俺はそういうところも好きなんだけど。ほら、どちらかというと、お淑やかな感じだっただろ。昨日一緒に帰ったんだけど、その、手握ってきてくれて…さ…」
「まぁ、恋愛は人を変えるっていうしな、それはそれでいいんじゃないの。お前しかしらない側面を見せてくれたって事なんだろうし」
「…そうだな。あー、俺、ますます彼女の事好きになった…」
何でも今週の土日にデートするらしい。「場所は?」と静流が聞くと、真人は恥ずかしそうに、「そんなのどこでもいいだろ!」と答えた。昼休みはその話題で持ちきりになった。そんなこんなで他愛もない話を聞いている内に、あっという間に時間が過ぎ、弁当を食べ終わる頃には、午後の授業を告げるチャイムが鳴っていた。
12/05/28 10:18更新 / やまなし
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