序章〜キミシニタモウコトナカレ
「わたしもなの?」
一面に葦の広がる草原。銀瑠璃の星々が輝き、深淵の闇の如き夜のカーテンが降りている。座り込むように、一人の女の姿を見上げる少女の白い肌に、冷たい夜風が当たり弾けた。
「おまえが魔女である以上、見過ごすわけにはいかないのだ」
女の手に握られた銀の剣が一閃し、少女の喉元に添えられた。月が歌い、風が揺れる。
「……そう」
少女はゆっくりと目を瞑り、両の手を組み、まるで祈るかのように最期の時を迎え入れようと心に決める。
『ごめんなさい。ありがとう』と。
今は亡き友人、共に幾百の時を過ごしてきた友。その友人も今はいない。逃げ延びることにその身を削り続けてきた、友。少女を守る為に盾となりその身を失った友。
「どうして、こんなことになっちゃったんだろう?」
少女は空を仰ぎ一筋の涙を流す。彼女の頬を伝う涙は次から次へと零れ落ちる。戦慄く声で「どうして、どうして」と、それはまるで自問自答を繰り返すかのように彼女は呟き続けていた。女の剣先は震えている。女にも分からないのだ。何故、彼女を殺さなければならないのか。何故、自身が彼女に剣を向けているのかと言うことそのものに。
答えは分かっている。それが命令だからだ。しかし、それは決して理由ではない。
女が剣を振るうたびに心に生じてきた蟠(わだかま)り。
『何故、私は魔女を殺さなければならないのか』と。
小さな痼(しこ)りは、その剣を振るうたびに大きく、根強く胸を圧迫し続けていた。
『もう、私はいいのではないか?』
『十分、命に従ってきたのではないか?』
『こんな少女まで殺める必要はあるのだろうか?』
『もう、うんざりだ』
様々な感情、想いが彼女の心の中で渦巻く。それと同調するかのように、彼女の持つ剣が震えていた。彼女の心の中を表すかのように。
一陣の風が舞う。葦の絨毯を撫でるように。
女は、跪き掌を組み、瞳を閉じ、彼女を見上げる、ただ静かに終わりの時を待っている少女を静かに見下ろす。喉元には剣。「これ」は果たして正しいことなのだろうか。少女に一体何の罪があると言うのだろうか。いや、罪などないのだ。それでは、何故この少女を殺めなければならないのか。女にはそれが分からなかった。
自らと違う、異質なものを排除する。故に、王は国中に魔女狩りの命を出した。宗教上に反するなどと謂う理由を無理矢理こじつけて、民衆の心理を統一する。本当の理由など分かりきっている。自らと違うものの排除。自らと違うそれが力を持ち、自らを脅かす存在となる前に殲滅させようという魂胆だろう。統制のとれていない少数に対する、多数は圧倒的に有利だったことは言うまでも無い。
女もそんな中の一人だった。傭兵として生計を立てている彼女は幾多の地を駆け巡り、幾多の血でその剣を濡らしてきたのだった。
少女の唇が恐怖で震える。
呪文を唱えるわけでもなく、傍らに横たえる杖を振りかざすわけでもなく、ただ、恐怖に震えながらも終焉の時を受け入れようとする少女の姿に、女はどこか無性に腹が立っていた。
暗殺対象が抵抗しないことに越したことはない。
だが、「これ」はどこか違う。
少女が諦観しているわけでも、女を油断させるための策略でもない。
ただ、純粋に「何故、こんなことになったのか分からない」そして、神にでも祈り、助けを乞うかのようでしかなかった。これでは、魔女ではなくてシスターだ。
「……おまえ、人を殺めたことはあるか?」
女が少女の喉元に剣を突きつけながら訊く。その質問に少女の伏せられていた瞼がゆっくりと見開かれ、真っ直ぐに女の目を捉えた。
深い瑠璃色の瞳が女のダークグリーンの瞳を捉える。少女はゆっくりと深呼吸をし、はっきりと女に言い放った。「わたしは人を殺したことは一度もありません」と。
それが事実かどうかを知る術はないだろう。相手は魔女なのだ。奇怪な術義を使役する存在なのだ。それでも、女にはその言葉が虚偽には思えなかった。少なくとも、今自身を真っ直ぐに見つめる、この小さな少女が嘘を吐いているようには、どうしても見えなかったのである。
『魔女は悪しき存在である』
この国の民が信じて止まないこと。ただ漠然と決められている、根拠のない集合思想。
「「…………」」
互いに見つめ合ってから、どれくらいの時が流れたのだろうか。草原を撫でるように通り抜けた風が、二つの影を貫いた。フッと女は微笑し、少女の喉元に突きつけていた銀色の剣を鞘に収めた。
「私の名は、フェイ。フェイ=フレデルトだ。この意味が分かるか?」
女の言葉に少女が首を振る。
「この国で剣を振るう者が名を告げる意味を知らないのか?」
彼女の質問に小首を傾げる少女に、フェイは呆れながらも言葉を続けた。
「まぁいい。おまえは私と出会わなかった。何もなかった。そういうことだ。さぁ、行け」
しかし、少女は彼女の言葉に従おうとはせず、揃えられていた両膝をぺたんと折り、その臀部を地に着けた。
「……わたしはユン。ユンって言います」
少女、ユンのいきなりの言葉にフェイは少し戸惑い、そして驚きながらも、「そうか」と一言だけ残し、踵を返した。
振り返ることはしない。私は間違えたことをしていないのだから。と、そう自分に言い聞かせながら、フェイは草原を進む。
どれくらい時間が経ったのだろうか。フェイの視線の先に、先刻の少女が立っているではないか。
「おまえ、どうして此処に?」
「あの、わたしはこれからどうすればいいの?」
そんなことは知らん。と一蹴することもフェイには出来たであろう。しかし、彼女の口から飛び出した言葉は、彼女自身も意図しない言葉だった。
「共に来るか?」と……。
一面に葦の広がる草原。銀瑠璃の星々が輝き、深淵の闇の如き夜のカーテンが降りている。座り込むように、一人の女の姿を見上げる少女の白い肌に、冷たい夜風が当たり弾けた。
「おまえが魔女である以上、見過ごすわけにはいかないのだ」
女の手に握られた銀の剣が一閃し、少女の喉元に添えられた。月が歌い、風が揺れる。
「……そう」
少女はゆっくりと目を瞑り、両の手を組み、まるで祈るかのように最期の時を迎え入れようと心に決める。
『ごめんなさい。ありがとう』と。
今は亡き友人、共に幾百の時を過ごしてきた友。その友人も今はいない。逃げ延びることにその身を削り続けてきた、友。少女を守る為に盾となりその身を失った友。
「どうして、こんなことになっちゃったんだろう?」
少女は空を仰ぎ一筋の涙を流す。彼女の頬を伝う涙は次から次へと零れ落ちる。戦慄く声で「どうして、どうして」と、それはまるで自問自答を繰り返すかのように彼女は呟き続けていた。女の剣先は震えている。女にも分からないのだ。何故、彼女を殺さなければならないのか。何故、自身が彼女に剣を向けているのかと言うことそのものに。
答えは分かっている。それが命令だからだ。しかし、それは決して理由ではない。
女が剣を振るうたびに心に生じてきた蟠(わだかま)り。
『何故、私は魔女を殺さなければならないのか』と。
小さな痼(しこ)りは、その剣を振るうたびに大きく、根強く胸を圧迫し続けていた。
『もう、私はいいのではないか?』
『十分、命に従ってきたのではないか?』
『こんな少女まで殺める必要はあるのだろうか?』
『もう、うんざりだ』
様々な感情、想いが彼女の心の中で渦巻く。それと同調するかのように、彼女の持つ剣が震えていた。彼女の心の中を表すかのように。
一陣の風が舞う。葦の絨毯を撫でるように。
女は、跪き掌を組み、瞳を閉じ、彼女を見上げる、ただ静かに終わりの時を待っている少女を静かに見下ろす。喉元には剣。「これ」は果たして正しいことなのだろうか。少女に一体何の罪があると言うのだろうか。いや、罪などないのだ。それでは、何故この少女を殺めなければならないのか。女にはそれが分からなかった。
自らと違う、異質なものを排除する。故に、王は国中に魔女狩りの命を出した。宗教上に反するなどと謂う理由を無理矢理こじつけて、民衆の心理を統一する。本当の理由など分かりきっている。自らと違うものの排除。自らと違うそれが力を持ち、自らを脅かす存在となる前に殲滅させようという魂胆だろう。統制のとれていない少数に対する、多数は圧倒的に有利だったことは言うまでも無い。
女もそんな中の一人だった。傭兵として生計を立てている彼女は幾多の地を駆け巡り、幾多の血でその剣を濡らしてきたのだった。
少女の唇が恐怖で震える。
呪文を唱えるわけでもなく、傍らに横たえる杖を振りかざすわけでもなく、ただ、恐怖に震えながらも終焉の時を受け入れようとする少女の姿に、女はどこか無性に腹が立っていた。
暗殺対象が抵抗しないことに越したことはない。
だが、「これ」はどこか違う。
少女が諦観しているわけでも、女を油断させるための策略でもない。
ただ、純粋に「何故、こんなことになったのか分からない」そして、神にでも祈り、助けを乞うかのようでしかなかった。これでは、魔女ではなくてシスターだ。
「……おまえ、人を殺めたことはあるか?」
女が少女の喉元に剣を突きつけながら訊く。その質問に少女の伏せられていた瞼がゆっくりと見開かれ、真っ直ぐに女の目を捉えた。
深い瑠璃色の瞳が女のダークグリーンの瞳を捉える。少女はゆっくりと深呼吸をし、はっきりと女に言い放った。「わたしは人を殺したことは一度もありません」と。
それが事実かどうかを知る術はないだろう。相手は魔女なのだ。奇怪な術義を使役する存在なのだ。それでも、女にはその言葉が虚偽には思えなかった。少なくとも、今自身を真っ直ぐに見つめる、この小さな少女が嘘を吐いているようには、どうしても見えなかったのである。
『魔女は悪しき存在である』
この国の民が信じて止まないこと。ただ漠然と決められている、根拠のない集合思想。
「「…………」」
互いに見つめ合ってから、どれくらいの時が流れたのだろうか。草原を撫でるように通り抜けた風が、二つの影を貫いた。フッと女は微笑し、少女の喉元に突きつけていた銀色の剣を鞘に収めた。
「私の名は、フェイ。フェイ=フレデルトだ。この意味が分かるか?」
女の言葉に少女が首を振る。
「この国で剣を振るう者が名を告げる意味を知らないのか?」
彼女の質問に小首を傾げる少女に、フェイは呆れながらも言葉を続けた。
「まぁいい。おまえは私と出会わなかった。何もなかった。そういうことだ。さぁ、行け」
しかし、少女は彼女の言葉に従おうとはせず、揃えられていた両膝をぺたんと折り、その臀部を地に着けた。
「……わたしはユン。ユンって言います」
少女、ユンのいきなりの言葉にフェイは少し戸惑い、そして驚きながらも、「そうか」と一言だけ残し、踵を返した。
振り返ることはしない。私は間違えたことをしていないのだから。と、そう自分に言い聞かせながら、フェイは草原を進む。
どれくらい時間が経ったのだろうか。フェイの視線の先に、先刻の少女が立っているではないか。
「おまえ、どうして此処に?」
「あの、わたしはこれからどうすればいいの?」
そんなことは知らん。と一蹴することもフェイには出来たであろう。しかし、彼女の口から飛び出した言葉は、彼女自身も意図しない言葉だった。
「共に来るか?」と……。
12/05/03 23:34更新 / ノユ
戻る
次へ