読切小説
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こんこん
 こんこん。
 ピピッ。
 小さな電子音が鳴ったので、体温計を引き抜く。
 熱は・・・特に高くは無いようだ。
 私の平熱からすると気持ち体温が高いけれど、体調不良を示すような体温ではなかった。
 この所、すこし体が熱い気がしていて、風邪の前触れかとも思っていたのだけれど。
 風邪にしては変な事も感じていた。
 ここ数日鼻が利くように、以前は感じ無かった様な匂いを感じるように為っている。例えば−−近所の家で炊かれたご飯は少し水が多かったみたいで柔らかめの炊き上がりかな。別の家ではお餅を焼いているようだ。美味しそう−−とか−−雨の匂いがするけどこの位だと降らないのだろうな。空気は乾燥したままか−−等のような匂いを感じている。あと、人の匂いには特に敏感に成っている気がする。多分、匂いだけで人を区別でるのではないだろうか。そんな変質者や警察犬のような特技なんて欲しくないのだけど。
 制服に着替えながら、姿見に写った影を見る。
 鈴器洋子という名の女の子が鏡に映っていた。ぎりぎり一七〇は無いものの、上にばかり伸びた細っこい体。これで軽ければ良いのだけれど、骨太なのか見た目の割りに筋肉が多いのか、体重は他人には知られる訳にはいかないくらいの機密事項となっている。もうすこし胸でもあれば多少は言い訳になったのだろうけれど、それすら難しい。
 鏡像を見ながらため息を付いた。嫌な幻覚が見える。真面目に考えると考えるだけ怖くなるので無視する事に決めたモノがなかなか消えてくれない。私以外の誰にも見えていないのだから、心配するだけ無駄だとは思うのだが。
 制服の前を閉じ、腰までの長い髪を一本のポニーテールに纏めれば準備終了。
 鞄を持って階下のリビングに向かう。
「おはよ」
 こんこん。
「おはよう。どうしたの風邪? お弁当代わりに作ろうか」
「ありがとう。大丈夫、熱はないし」
 お母さんの脇に立ちお弁当作りと四人分の朝食の手伝いを始めた。

 こんこん。
 ぴんぽーん。ぴんぽん、ぴんぽん。ぴーんぽーん。
 お弁当と朝食の用意をひと段落させると、お弁当と一皿を持って向かいの家の玄関に立った。
 どたどたと物音の後に、寝起き丸出しで部屋着寝巻き兼用のジャージ姿の男が眠そうな顔を出した。健志−−多仲健志だ。
 家の両親と彼の父が懇意にしていて、健志とは物心つく前からの知り合いである。まあ、いわゆる幼馴染というものだ。小学校の時は何かといって一緒に遊ぶことも多かったが、中学への入学前後から距離が微妙になっていて。今では顔見知り以上、友達前後という感じだろうか。
 こんこん。
「おはよ」
 そう言って弁当の包みを渡して、ラップに包んだ皿を突き出す。
「ふぁぁあ。おはよう。朝飯さんきゅーな」
 こんこん。
 ジャージ男は、にへらと笑いながら皿を受け取った。ジャージの下をもっこりさせながら。
 鼻の感覚が更に鋭くなっているからか、今まで感じたことが無いくらい、寝起きの強い匂い−−汗の匂いと強い別の匂いが鼻を突いた。
 ふん。その匂いを振り払うようにして小さく鼻を鳴らし、とって返した。

 こんこん。
「ご馳走様」
 父が朝食の手を止めて私の額に手を当てた。
「ん〜。どうした洋子。風邪か?」
 なんだろう。今まではこんな事は無かったのに。手の触れた事が嫌な事に思える。幸い、表情にも態度にも出なかったようで、少し安心する。
「熱は無いわ」
「そうみたいだね。この所空気が乾燥しているから気を付けないといけないよ。あ、お母さんご飯お代わり貰える? あ、軽くでお願い」
 食べすぎじゃないの? 今日はご飯が進んで進んで。等といちゃいちゃしている万年新婚夫婦を残し食器を片付ける。お弁当の包みと鞄を手にすると玄関に向かった。
 こんこん。
「いってきます」
 聞こえているか疑わしかったが、声を掛けてから戸を閉める。
「洋子、ちょうど良かった。ご馳走様デシタ」
 私が戸を閉めた瞬間に健志が皿を持ってやってきたので、今一度戸を開けて靴箱の上に皿を置く。
 こんこん。
「いってきます」
 二度目だけど。
「相変わらず律儀だな」
 大きなお世話。ん。上着のポケットからハンカチを取り出すと、健志の頬を軽く拭う。
「な、なんだよ」
「顔くらい洗いなさい。醤油だかソース付けたまま学校に行くつもり?」
「お、おう。 ・・・醤油がいいな。醤油顔って事で」
 こん。
「な、なんだよ、その可哀想な物を見るような目は」
「いや、可哀想な物ではなく、可哀想な人を見る様な目だ」
 ぐはぁ。と、胸を掻き毟るような仕草で落ち武者の最後のような顔をする。いや、落ち武者の最後の顔なんて見たくも無いけど。
 が、健志の表情が暗いままに、とぼとぼと朝の低いテンションのままに歩いていた。
 こんこん。
「なによ」
 そんなに、キツかった? でも普段からこの位の言い合いはしていた筈。
「いや、お前の顔見てたら再来週の期末テスト思い出しちまったんだよ。洋子は頭良いから良いよなぁ。まあ、三学期はテスト期間が一回だけだからマシだけどさ」
 何もせずにテストを受けられるほど頭は良くないわよ?
「テストを思い出すような顔をしているのか、私は。一応、テストに向けて勉強はするわよ」
「テスト好きは違うねえ」
 まてまて。私は別にテストが好きって事は無いわよ。
「そんな訳無いでしょう。嫌いでも何でも、テストが有る以上はやらないといけないでしょう?」
「ガリ勉様は言うことが違います。こちとら部活も出来いってのに。はぁ」
 そう言って健志は肩を竦めた。
 そういえば今日からテスト明け迄部活動禁止だったか。テスト前のせいでササクレて居るのかと思ったけれど、どちらかと言うと部活が出来なくなるからササクレているのね。なるほど。
「やっべえぞ!」
 ぱん! と腰と背中の境辺りを叩かれた。近寄られた為か健志の汗の匂いを強く感じる。
「ひ、ひゃん!」
「な、なんだよ変な声出しやがって。ゆっくりしすぎた少し急ぐぞ。遅刻は嫌だからな」
 まったく。こう言う所だけは律儀な奴だ。
 律儀と言えば、風邪を引いて動けないような熱を出しても登校しようとした事が有ったっけ。もちろん、全力でその愚行を阻止して寝かせつけたのだけど。私も休んでしまったが。
 走る程ではないが、足を速めて学校へ向かう。
 それにしても。腫れるほど強く叩かれた訳でもないのに背中の辺りが妙に温かい。直ぐに引くと思ったのに校門を潜ってなおその熱は残り続けていた。

 こんこん。
 今日は、どうも変だ。ぜんぜん授業に身が入らない。
「あの、鈴器さん、鈴器さん」
「なにかしら」
 隣の席の男子、鞣革君が囁いてきた。珍しい。
「今、数学の時間だから」
 こんこん。
「数学は四限でしょう?」
 そう囁き返した。別段親しい間柄ではない。単に隣合わせになっただけだ。匂いにだって興味が湧かないし。
「だから、その四限なんだって」
 こん。
 見ると黒板には数学の問題が書かれていて、数学担当の尼津先生が私を睨んでいた。
「鈴器。前に出て黒板の問題三番な。一番と二番は・・・」
 机の上の現国の教科書を仕舞い、数学の教科書とノートを取り出して席を立った。
 こんこん。
「どうした。鈴器。解けないか? 男のケツばかり見ているから解けないんだぞ・・・」
 うん。解けない。少なくとも授業と復習の範囲では解けないはず。でも、解法を知っているので解くことが出来る。
 こんこん。
「出来ました」
「ああ、まあそうだろうな。色目使うなんざまだ早い。これに懲りたら真面目に授業を・・・なに? ん〜? 合ってるな」
 何を言っているのだこの教師は。私が授業中に男子のお尻など見ているはずが無いのだ。そもそも思いを寄せるような相手も・・・・居ないのだから。

 くしゃくしゃ。
「ふにゃぁ」
 突然、髪の毛を手で掻き回されて飛び起きた。
 と、目の前には体育着姿の健志。健志の背後に見える教室の時計を見ると、まだ部活が終わる時間ではない。部活莫迦とも言える健志がこんな時間に教室に戻ってくる筈が無いのだけど。
 こんこん。
「ど、どうしたのよ。部活終わるには早いじゃない」
「ああ、足首を軽く捻っちまったみたいなんでな。今日は部活終わり」
「だ、大丈夫なの? 保健室で手当てしたの?」
「大丈夫。保健室には寄って湿布してもらったから」
 そうか。大丈夫なら良いけど。って何を心配しているんだ私は。なるほど。右足の靴下が膨らんでいる。
「それより洋子、なんで俺の着替えに顔突っ込んで寝てたんだよ」
 こん。
「な、なに馬鹿なこと言ってんのよ。そんな事していたら変態も変態、ド変態じゃない。え、なによ」
 指差された下を見ると、それは健志の机だった。その上に制服があって、さらに言うとなにかシミの様な跡が・・・・。
 こん。
 こんこん。
「な、なんで、健志の机?」
 そういえば、午後の授業は更に身が入らなくて、席に座っているだけで精一杯だった気がする。あと、朦朧とした状態で良い匂いに釣られてふらふらしていた記憶が微かに・・・・。
「洋子、なにか有ったのか。今日はなんか変だったけど、どうかしたのか? 熱でもあるのか」
 健志に肩を掴まれて引き寄せられ、額にひんやりとした掌が当てられた。なんか、すごく気持ちが良い。
「ちょっと熱が有るんじゃね? うお、なんか急に熱くなってきたぞ。だ、大丈夫か洋子」
 健志との距離が近くなったせいか、健志の全身からの匂いに包まれた。こんな匂いに包まれて居たらトリップしちゃう。
 こんこん。
「健志の匂い」
「あ、わりぃ。冬場とは言え走り回ると汗かくからな。ちょっとまて、すぐ着替えるからさ。送るからさ、早く帰って休め。な」
 ああ、健志の匂いだ。
 そのまま、しがみ付いた。健志の匂いがする。寝汗由来なのか深く濃い汗の匂いと、フルーティで軽い流したばかりの汗の匂いが混じり合っている。くらくらする。それと、僅かに石鹸の匂いが残っている。健志は烏の行水の様な風呂の入り方をしていたから、流したときに残っていたのだろう。もっとゆっくり入れば良いのに。でもあまり匂いは消して欲しくないし。ああ、そうだ。お風呂の後でたっぷり汗をかけば良いのね。あと、湿布の匂いと消毒薬の匂いがする。それと、
「女の匂いがする」
「な、な、な」
 こんこん。
 途端に授業中の記憶がフラッシュバックした。
 健志に隣の席の女子が楽しそうに話をかけられていた。
 健志が女教師にべたべたされていた。
 こん。
 そうだ。あの女共は健志を狙ってるんだ。きっとそうだ。絶対そうだ。
「渡さない」
 そのまま、健志を床に押し倒した。
「な、なにを」
「健志を私のモノにするの」
 すばやくショーツを脱いで、健志の腰の上に跨った。
「洋子なに考えてんだ」
 健志の体育の短パンとパンツを一緒に引き摺り下ろす。
「素敵なこと。ふふふ、健志、久しぶりね。五年ぶりだったかしら? 元気そうで安心したわ」
「挨拶するなよ、そんな所に。それに、それ俺じゃねえし。ああ俺の一部だけど!」
「ふふふ。大丈夫よ、すぐにあなたの洋子ちゃんに合わせてあげるからね心配しないでね」
 そうは言っても、これからの出来事を期待してはち切れそうなほどに膨らんだモノは、ビンビンでカチカチになっている。ゆっくりと引き起こして、そこへゆっくりと腰を下ろした。
 くちゅ。
「あっ」
「うっ!」
 お互いが初めて出会った。出会っただけだというのに、それだけでキモチイイ。
「だ、だめだ。よ、洋子」
「ん〜。そんな事言う口は〜こうよ」
「なにをうっ」
 二箇所で同時にキスをした。
 あああああああ、なんて美味しいの! レモン水とかみたいに薄いものじゃなくて、これはネクタル−−神々の飲み物の味。とろりとして濃厚な、そして底なしに甘い。僅かに口に含んだだけで頭の芯が蕩けそう。
 私はネクタルの如き唇を更に求めて、喉の奥からの衝動に突き動かされるように舌を尖らせて突き入れた。柔らかで美味しい唇の間へと割り入ったが、その奥は歯列が守りを固められていた。しかし襲撃への備えはしていなかったようで舌先で抉るだけで城門は解き放たれ、侵略軍は口内への侵入に成功。侵略軍はそのま防衛軍に襲い掛かり蹂躙を開始した。が、防衛軍もただ蹂躙されるがままではなく、および腰ながらも反撃を開始し、二つの舌は互いに攻め、受け、交わし、絡み合いながら、お互いの形と触覚と舌触りと味と快楽を貪り合った。
 ああ、なんて気持ちイイ。
 気持ち良いのだけれど、気持ちの良さを感じれば感じるほどに、渇きが、飢えが、浅ましい迄の快楽への渇望を自覚させられる。まだまだ。もっともっと。もっともっともっと。
 私は、こんなにも欲していたのか。きっと無意識の内に押し込めて押し込めて、無かった事にしていたのだ。大きな扉に鍵を掛け頑丈に強固に押し込めていたのか。でも、もうその扉の鍵は開かれてしまっていて。
 その溢れ出る渇きを癒す方法を、私は、知って、いる。
「あふぅ!」
 大きく息を吐きながら唇を離して上体を引き起こした。が、その瞬間に腰の力がすこんと抜けてしまい、そのまま落っこちて、
「よ、せ」
 ず、ずぬぅぅう。僅かの間止まったもののそのまま、割り裂く様に奥まで健志が突き刺さった。
「ふあ、ふはぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ」
「うおおおっ。す、すげえ」
 ・・・・・ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ。しゅごい、しゅごいきもちいい・・・。

「おい、大丈夫か?」
「ふえ? ら、らにが」
 あれ、健志に跨っていた筈なのに、健志の顔が直ぐ近くにあって、肩を抱かれてる。
「あ、ごめんね。重たかった? すぐ動いてあげゆね」
 あ、あれ。
 あれ。
「健志ぃ」
「泣くなよ。やっぱり痛いのか」
「ちがふの、ひ持ちが良すぎて、動けらいのぉ。くぅん」
 全身がひくひくしてる。腰だけでなく腿も腕も手も肩もお腹も胸も肺も心臓も膣も子宮も髪の毛も足の裏までもが『健志きた〜〜〜〜〜〜〜』って喜んでる。喜ぶばかりで言う事を聞いてくれない。まるで全身がスライムになってしまったみたいにただただ快感を貪り浸っていた。
「そ。そうなのか? このままじゃ不味いよな」
 え〜。
「わらひわぁはこもままがイイよぉ?」
「そうはいかないだろ。部活終わりまではまだ余裕があるけど、何時誰が戻ってくるか知れないし。そしたら、俺はともかく洋子が晒し者になっちまうだろうが」
 きゅん。
「うはっ! 我慢だ、我慢。 そうとなったら、一旦ヌくぞ」
 腰と腿の上に乗せたまま、抱きしめる様にして上半身を起こした。
 私は健志の肩に頭を預けるようにして、とろとろになってされるがままの状態。で、目の前には健志の首があるわけで、大きく口を開けて、噛む。
「かぷ♪」
「うひゃらぁっ。な、なにしてんだよ」
 あっ。いまお腹の奥でピクッとした。
「あまがみぃ♪」
 薄っすらと歯型の残った首筋にぺろぺろと舌を這わせる。うん、おいしいぃ。
「あ、甘噛みにしちゃぁ痛たかったぞ。いや、ビックリしたってのも有るけどさ」
 まるで、お腹の中身を全部引き抜かれるかのように、健志を引き抜かれながら、ゆっくりと背中がリノリウムの冷たい床に・・・・じゃなくて、布と布に染み付いた健志の匂いに包まれた。その匂いは私の芯に灯った炎を大きく熱くし、数枚の布地では防ぎきれなかった床の冷たささえも気にならなくしてくれた。
 引き抜かれてしまうと、なにか脱皮された抜け殻のような気分で切なくなってしまった。
 健志は、私を服の上に寝かせると体育着の上着を脱ぎ捨てた。
 そして、ベストのボタンと、ブラウスのボタンを外し、ねちっこい視線が何度も私の体を舐め回す。
「えっち」
「うっせぇ」
 が、困惑の表情を浮かべながら視線が止まった。
「残念だとか思っているんでしょ」
「ちゃうわい。外し方が判らねえんだよ」
「一応前にホックがあるから」
 気持ち胸を突き出してあげる。見ていて判るくらい震える手をブラに伸ばし、二度ほどホックを弄くるとパチンとブラが爆ぜた。ささやかな胸が外気と健志の視線に晒された。
「おおっ」
 健志の声がささやかな胸に掛かった。
「なんか、すっげえ綺麗だ」
「悪かったわね! どうせAよ!」
「綺麗だって」
 え、ああ。その
「あ、ありがと」
 二人して照れ合ってどうするのよ。
 健志が両腿の間に割り入るように位置を取り直した時に、ふと気が付いた。
「健志、血が出てる。何処か怪我したの? 痛い?」
 天を指すように猛り立った、え〜と、その、お、おち、おちんちんに手を添えて私に突き入れようとした時に、おちんちんに血が付いているのに気が付いたのだ。
「お、おま。・・・洋子。そりゃお前の血だ」
 健志は一瞬戸惑うような、呆れるような表情を浮かべながら言った。
「私の? ってそっか。私の初めての・・・」
 突然おちんちんはビンとばかりに健志の指先を離れて天を突いた。
「洋子。発言が刺激的過ぎるよ。まあ、今のお前の姿は超刺激的だけどな!」
 言うな。結構恥ずかしいんだからね! 健志だから見せているんだからね!
「ところで、それ、何? そんな物何時付けた?」
 健志が指差したのは、頭の天辺。・・・では無くて、その左右の辺り。
「なんだ? ドーブツの耳? 犬か何かか? うわ、触れないし、なんか半透明だ」
 私の頭の上を手で探っているようだ。
「健志。それ見えるの?」
「え、ああ。さっき迄は付けて無かったよな。なんだいこれ」
「よく判らないけど、少し前から有るの。今まで誰にも見えなかったし気が付かれなかったんだけど。こんなの付いているのは嫌?」
 一瞬真面目な表情になって、お互いの視線が舌の様に絡んだ。
「いや、似合っていると思うぞ。うん可愛いしな」
 にかっと笑った。
 いや、あのさ。健志なんだから、そこ迄期待しちゃいけないのは判って居るけれど。そこは薔薇を撒き散らすような笑顔が欲しかったな。
「えーと。なんだ、洋子。イくぞ」
 片手で私の腰を支えて、おちんちんの位置を手で合わせながら言った。
「うん。キて」
 くちゅ。
 甘い水音が教室に響く。
 ずぬぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ。
「ふぁうぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ。」
 痛いくらいに太いくて火傷しそうなほどに熱いモノが喉に届きそうなほどに突き入ってきた。そして、入ってきた分だけ声が喉から漏れ出た。
「ど、どうした、大丈夫か?」
 何か必死に堪えている、痛いのや苦しいのを我慢しているような声。
「大丈夫じゃないかも。なんか溺れちゃいそうにキモチイイよ。ああ、お腹の中が全部健志になっちゃったみたい」
 健志の首に腕を回して、両手両足をつかい夢中で抱きついた。
 ぎゅっ!
「だ、だめだ、我慢できねえ。やべえ、洋子離せっ!」
 嫌! もう絶対に離さない!
「ようこっっ!」
 健志がそう叫んだ瞬間、私の中の一番の渇きが潤された。
 今までの熱さとは比べ物に成らないほどの熱いものが後から後から噴出して、体の奥の、意識の奥の、心の奥の渇きが潤されてゆく。
「はぁ、はぁ、すっげぇ気持ち良かった」
 足りない。癒されはしたものの、足りない。余りにも渇きすぎていたのか満足するにはまったく足りていなかった。
「うう、足りないぃ。早いぃ」
 私が『早い』と文句を言った瞬間、健志は落ち武者の最後のような顔で自分の胸を掻き毟った。
「と、とりあえず、今ので我慢してくれよ。早いって言われても、俺も初めてだったんだし洋子の中気持ち良過ぎるんだよ、我慢できっこないって」
「やだやだ、もっとスルの」
 だって、こんなに硬くて元気なのに。だって、渇きは満たされていないのに。
「まだするって言ってものなぁ。じゃぁ二択だ。このまま此処でシていて晒し者になるのが良いか。俺ん家の柔らかなベットの上でスルのが良いか」
「あぅあぅ」
 な、なんて卑怯な二択! このまま貪り合うのが一番だというのに! だってだって、まだ一回しかしていないのに! たった一回よ! それだけで我慢できるわけ無いじゃない。満たされるわけ無いじゃない。もう一度言うわよ、我慢できるわけ無いじゃない。満たされるわけ無いじゃない。でもベットかぁ、いいなぁベット。柔らかなベットの上でお互いの身を絡ませつつヤりまくる姿を思い描くいた。さらに健志のベットとなれば健志の匂いの染み付いた部屋でより濃厚に染まった寝具に包まれると言う訳で、それだけでご飯五杯は逝けそう。
「・・ぁ・・ぅぅ・・ベットがイイ」
 それに、今晩、明日、明後日とたっぷり楽しめるし。
「よし。とりあえず帰る用意しよう、な?」
 私はしぶしぶ絡めていた足を離した。
 私の中を満たしていた健志が抜け出ていくのは切ない、凄く切ない。ああ、漏れちゃう。漏れ出ちゃう。

 朝日の尖った光で目を覚ますと、目の前に健志の顔が有った。
 美形と言う訳ではない。子供っぽい訳ではないが、優雅に詩を読みお茶を飲むよりも、走り回り汗を流す方が似合うような顔立ちだ。少しばかり単純な性格ではあるが、裏表の無い性格だし。好きな事嫌いな事がはっきりしていて、嫌いな事からはすぐ逃避するが、好きな事にはとことん熱中する様なタイプだ。
 なによりも見ているだけで沸き起こってくるこの感情は悪くない。むしろ好きだ。まあだれかれ構わず優しいところが嬉しくもあり不愉快でもあるのだが。
「私ってそんなに渇いていたのかなぁ」
 余り自覚は無かったけれど。今ならば、この温もりやこの匂いに包まれていない生活は金輪際我慢できそうにない。どうやら私は、自分が渇いているという事にさえ気が付けなかったお莫迦さんだったらしい。
 クマが出来てたり疲れ果ててたりする雰囲気もなく、幸せそうに眠っている。私だけ気持ち良くて健志が気持ちよくなかったら嫌だったけれど。安心した。
「ん、むう。わぁ、よよよ、洋子、お、おはよう。今何時だ」
「ふふ。おはよう健志」
 健志はベットサイドに置いていた電話を開いた。
「げっ! 日曜だって!」
 向けられた電話の表示を見た。日曜日の朝八時四五分。たしか金曜日に健志の家に着いたのが五時過ぎだった筈で。
 健志の家に帰ってから『健志の家に泊まるから』とだけ家に電話して終話ボタンを押し、電話と鞄を健志の机に放り投げ、コートにブレザーとベストのボタン、襟り無しブラウスのボタンを全部外して、スカートを留め金外してファスナー下げて落とし、ブラとショーツを取り去るや健志をベットに引き摺り倒した。この間約六秒(主観時間)。健志は上着さえまともに脱いでいなかったが。
 それからはもう、何度も何度も、何度も。そりゃ最初はともかく、後になれば一回出して貰ってから次に出して貰うまでは随分時間がかかるようなって、でもその間の時間はお互いの体を撫で回し、突き合い、舐め合い、つんつんし合い、「好きだ」「愛してる」「そこいい」「もっと!」とか言い合って楽しんだ。そして三〇回以上も私の奥に注いでくれて。そのまま二人で寝てしまっていたのだ。
「えと。ひょっとして、土曜日は一日丸々二四時間いちゃいちゃぺろぺろずこずこあんあんどぴゅどぴゅして居たって事?」
「洋子、擬音が下品だ。それも、何も食べず飲まずでヤりまくりでだろ? 俺、よく体力持ったなぁ」
「えと、私はいっぱい頬張って、いっぱい飲ませて貰ったわよ?」
 とりあえず、感謝も込めてにっこりと笑う。
「洋子。お下品」
 ぐさっ。『お』の一音が付いただけでダメージ倍!イタイ。
「はは。久しぶりに洋子の釜茹でにされたゴエモンのような顔が見れたな」
 わ、私はそんな顔したのか! うう、恥ずかしい。気をつけよう。
「ところで。話は変わるが、その耳はなんだ?」
 耳? そっと手を伸ばして摘んでみる。手触りの良い柔毛に覆われた耳を撫で回してみる。うん、変な所は無いと思うけれど?
「耳っていったらこっちだろ」
 健志は顔の横の耳を軽く引っ張った。あれ。私が摘んでいたのは、頭の脇からツンと伸びた方の耳だった訳で。
「ええええ、どどど、どうしよう。耳が四つもあるよぅ」
「変な所とか痛いような所は無いか? そうか、初めて抱き合ったときに見えていたケモノミミが実体化したって感じかな。触っても良いか?」
 耳を健志の指が滑る。あ、なんかキモチイイな。
「へえ。ちゃんと内耳も有るんだな。あったかいし、触ってて気持ちイイな」
 上目使いで健志を見て、一寸期待しながら言った。
「あんまり触わられていると、ムラムラして来そうなんだけど?」
「そりゃヤバイ。日曜も無くなっちまう」
 一寸残念。とりあえず、起きる事にした。
「う、うわ〜うわ〜」
「こりゃ参ったな。この布団、もう使えないだろ」
 起きる事にしたのだけど、改めて見るとベットは酷い状態だった。
 何って、その、色々な液体でドロドロのベチャベチャ、半乾きでヌトヌト、乾いてバリバリと場所によって様々。それに獣の毛が沢山。
「なんで獣の毛?」
「そりゃぁ、お前。その尻尾だろ」
 はい? 尻尾? 振り返ると正にキツネの尻尾といったものがピンと立っていて、気持ちよさそうに左右に振られていた。私のお尻の先で。
「それにしても立派な尻尾だなぁ。へえ、尻尾ってこう生えるのか。うっは〜。モフりてぇ。すっげえモフりてえ」
「良いけど、きっと発情するわよ私。尻尾、敏感っぽいし。それよりお風呂入りたいな。だって私達ベットの布団に負けないくらいベトベトなのよ?」
「あ”」
 そう言って健志は頭を掻いた。
「とりあえず、これに包まっててくれ。風呂沸かしてくるからさ」
 毛布を引っ張り出すと、肩に掛けてくれた。くん。あ、健志の匂いがする。

「ん〜もう一丁。『太陽のぬくぬく』ダブルで!」
 突き出した指先から飛び出した魔力が、自己組織化を繰り返しながら光を放つ直径二メートル程の魔法陣に広がり、まともに見れないくらいの光を放って消滅する。周囲にはよく干した布団のような匂いが広がった。
「洋子、風呂入れるぞ。って何事だ?」
「え、うん。お風呂をただ待っているのもなんだったし。周囲を見回していたら、今まで見えていなかった色々な物が見えて。ちょっとした事を思いついちゃって。試してみたら大成功。布団から汚れを引き離して、水分を飛ばして、最後にふかふかに成る様にしてみたの」
「へえ。うは。布団新品みたいで、更にふっかふかだ。ガリ勉ってのはこういう事も出来るのか。すげえな」
「それは、違う」
 健志のつむじにチョップを叩き込む。
「布団はふかふかだけど、洋子自身はまだベトベトのままなんだ」
「その言い方だと、私が発情しているみたいじゃない」
 と言う事で二人でお風呂に入ったのだけど、これはあまり宜しくなかった。家と同じくらいの浴室ではあったものの、湯船の大きさが体育座りして一人入れば一杯って大きさしか無かった。無理すれば二人で入れたかも知れないけれど。仕方ないので健志に先に湯船に漬かってもらい、其の後で湯に漬かる事にした。
 で、なにが宜しくなかったかというと、二人バスローブなんかに身を包んで、ほんのり色付いた肌でちょっと気だるげに『いいお湯だったね』とか言いたかったのだ、風呂上りに、私は。
 二人で入れるお風呂は正義よ! って、家のお風呂はそれが目的だったのかしら?
 ぴんぽん。
「ほーい」
 健志は、何時もの部屋着寝巻き兼用のジャージ姿で玄関に向かった。風呂上り気分のまま首に手ぬぐいをぶら下げて。
 こらこら、その格好で接客かよ。と思わず突っ込む。
 健志の家には私向けの衣類など有る筈もないので−−有ったら有ったで、何故有るのか小一時間問い詰めなくてはいけないだろう−−脱ぎ散らかしたままのだった制服に手を通して、体裁を整えていた。
 まあ、二着どころか一着もバスローブが無い段階で実現不可能な望みだった訳なのですが。
「飲み物貰うわよ?」
 久しぶりに、というか数年ぶりに多仲家の冷蔵庫を開けた。ああああ、種類さえ問わなければ飲み物の量は十分以上に有りました。有りましたけどね! 缶ビール、ペットボトルのコーラ、紙パックの牛乳、以上終わり。あ、賞味期限が数年前のチーズが干からびている。多仲家の食生活は想像していた以上に壊滅状態だったのね。
 牛乳は大丈夫そうなので、有りがたく頂く事にした。
「おう。で、どちら様でしょう?」
「図鑑市保健所です」
 保健所?
 冷たい牛乳で喉を潤しながら、聞き耳を立てる。前よりも良く聞こえる気がする。
「保健所、ですか? 家では犬や猫どころか、魚も鳥も飼っていませんよ?」
「存じて居ます。でも、狐はいますよね?」
「ああ、狐なら」
 おいこら! 健志ぃ!
 私は、危うく牛乳を噴出す所だった。

「稲荷、ですか」
「そうね。まあ、成りたてだからこのま稲荷で落ち着くかどうかは経過しだいなんだけどね」
 そう言ったのは、豊満すぎる体を白衣で包んだ狐の女の人。尻尾は二本。帽子やカチューシャ等では無く、本物の狐の耳をピンと立てている。白衣を挑戦的に突き上げている胸には手帳ほどのプレートが付けられていて図鑑市の記章と共に『狗崎 優(妖孤)』と書かれていた。ただ、何を考えて居るのか首にはチョーカー為らぬ犬の首輪をしている。
 車に乗せられてそのまま保健所に案内され、いくつかの問診と検査の後で『貴方は稲荷になりました』と告げられたのだった。
「で。図鑑市から、新しい稲荷ちゃんにプレゼントがありま〜す」
 どんどんぱふぱふ。と口で言いながら紙袋から小冊子を取り出した。表紙には和服姿の美しい女性が−−いや、ピンと立った耳と八本の尻尾が有るから狐か−−と『稲荷にようこそ』とタイトルがプリントされていた。目次に目を通すと、どうやら新人稲荷の為の不安を取り除いたり生活する上での注意点や知って置くべき事などが纏められているようだ。が、小冊子の厚さの割りにページ数が少ないのでひっくり返してみると、チャイナ服っぽい艶やかな服を纏った狐が七本の尻尾を広げて妖艶に笑っていて『ようこそ妖孤』とプリントされていた。
 横から覗き込んでいた健志が椅子から転げ落ちた。
 それは、リバーシブルな小冊子だった。
「暇があったらそっちも目を通しておいた方が良いかも知れないわね。このまま稲荷で落ち着くとは思うけど、妖孤に成る場合もあるから。あ、言っておくけれど稲荷が良くて妖孤が悪い訳じゃないのよ? 単に性格的偏向の違いなんだからね。稲荷と妖孤なんて、その小冊子そのまま裏と表みたいなもので、本人から見れば自分が表なんですからね」
「あの、どの位で治るんですか?」
「治りません」
 狗崎さんは嬉しそうに即答してくれた。
「治らないって、何でだよ」
「何でも何も。葡萄酒を葡萄ジュースに戻せると思う? 出来ないでしょう? 魔物娘に成るというのはそう言う事なのよ。魔物娘化しちゃったのが嫌?」
「考えたこと無かったので、よくわかりません」
 素直に答える。
「そっちの坊やはどう?」
「え、ん〜。まあ、俺としては洋子が洋子のままで居てくれるのなら、稲荷でも太巻きでも構わないけどさ」
「ふ、太巻きはお寿司でしょ!」
 まったく。でも、私が私のままで居てくれたら、か。
「はいはい、番は良いわね。このリア充め。あと三つ図鑑市からのプレゼントがあります。これとこれ、それからこれね」
 と、渡されたのは犬の首輪と散歩用の紐。そして単三電池みたいな形と大きさの透明の物。これは水晶?
「こっちは、飼い主である君が持ってるべきかな。で、これは、洋子さん付けててね外しちゃ駄目よ」
 そう言って散歩用の引き綱のハンドルを健志に渡し、首輪を私に差し出した。
「ええっ」
「下手に外しているのが見つかったり、出歩いてたりしたら逮捕されちゃうわよ?」
 狗崎さんは人差し指をピンと立てて、チッチッチと振った。
「な、なんでですか」
「狐の魔物娘は基本的に魔力が高目なんですけど、魔力が駄々漏れの傾向があります。ちゃんと自分の魔力の制御が出来るように成れば首輪を外す免許が交付されます。で、魔力駄々漏れの何がイケナイかと言うと、まず、市の条例違反になると言う事。次に、貴方みたいに、知らないうちに狐付きに成ってしまうような事故を引き起こしてしまうからですね。漏れ出た狐の魔力は狐火を生み出すことが多く、狐火が女の子に憑いちゃうと狐付きに成っちゃうの。この首輪はサバト謹製で狐の体から出る狐の魔力を集めて漏らさない機能があります。で、この紐は首輪で集めた魔力をハンドルの所に付いている魔力を貯めるクリスタルまで誘導します。十分に魔力を貯めたクリスタルは最寄のサバトで交換して貰えて、小遣いまで貰えるのでお得よ?」
「ちょ、ちょっと待てよ。ってことは何か? 洋子が稲荷になったのは誰かが漏らした狐火が犯人なのか」
「生来のものでない場合で、稲荷や妖孤になる一番の原因は狐火なのは確かね。でもそれを調べるのは警察の仕事ですし、私は何も知りませんよ〜」
 首輪を開いて、付けようとした瞬間に首輪を健志に捕まれた。
「洋子、待てよ、人の扱いじゃ無いだろそれ」
 小冊子の条例の部分を開いて健志に渡した。そこには、駄々漏れのままで居た場合かつ駄々漏れを抑えようとしなかった場合に強制的に魔界に移住させる旨が書かれていて。理由は、隣人を守るためと記されている。
「な、なんだよこれ」
「健志と一緒に居られるなら、こ、この位は苦にならないし。それに、こうしていれば健志以外に言い寄られる事もないだろうし。それに、もう人間じゃないんだから首輪くらい」
「馬鹿。半泣きしながら言うことじゃ無いだろうが」
 健志の胸にしがみ付いた。何が悲しいか判らないのに悲しくて、何が悔しいのか何が残念なのか判らないのに悔しくて残念で涙が溢れ出た。
「泣くなら声を出せ。出さないと余計に辛いぞ」
 ドアの閉まる音と共に狗崎さんの魔力が遠のいた瞬間に、
「うわぁぁぁああああああああっ、ああぁぁぁぁ・・・・・」
 喉から泣き声が溢れ出た。
 そしてそのまま泣き続けた。

「すこしは落ち着いたか?」
 耳の間を暖かな手で撫でられていた。
 くしゃくしゃ。
「ん」
 小さく頷いた。
「そうか」
 くしゃくしゃ。
「もう、人間じゃないんだね」
「そうらしいな」
 くしゃくしゃ。
「もう戻れないんだね」
「そうらしいな」
 くしゃくしゃ。
「一緒にいても良い?」
「ああ」
 くしゃくしゃ。
「やじゃ無い?」
「嫌なもんか」
 くしゃくしゃ。
「その、欲しいって言ったら、その、してもらっても良い?」
「こっちからお願いしたいくらいだ」
 くしゃくしゃ、くしゃくしゃ。
「私、人間じゃ無いんだよ? きっと迷惑一杯かけちゃうよ?」
「んなもん、その時に考えりゃいいだろ。今からしないで良い心配なんかすんな。な」
 こつん。
「いったぁ」
 昔から不思議に思っていた事が有った。
 なぜ私は健志を目で追ってしまうのか。お互いの親が既知であり幼馴染という間柄ではあったが、別に将来を約束をしたりしていた訳でもないし。窮地に陥った所を助けたり助けられたりした訳でもないのに。
 しがみ付いていたジャージから手を離し、健志の顔を見上げた。
「ヤバイな。泣き腫らしている洋子が、やたら可愛く見えるぞ。へんな性癖が目覚めなきゃ良いが」
「ば、ばかっ」
 決して美形ではないが、心が安らぐ笑顔がそこに有った。
 ああ、それでなのか。
「健志。大好きだよ」
「お、おう。お、俺も、その、す、好きだぜ」
「これ、持っていてもらえますか」
 私は、そっと引き綱の先を差し出した。


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「このリア充め! そんなに見せびらかしたいのかぁぁぁ」
 校門を潜った途端に投げつけられた怒声に振り返ると、胸の辺りを窮屈そうに制服とコートに包み、ピンと天を指す三角の耳を持った目も覚めるような美人が二人立っていた。五本尻尾の方が怒り、四本尻尾が宥めていた。追宮姉妹は、同じ学年だけどクラスが違もののイロイロと話題にあがる有名な妖孤と稲荷の双子。二人共首輪をしているが、引き綱を持っている筈の相手が居ないし、追宮姉妹に彼氏や番の相手が居るという噂は聞いた事はなかった。
「なんの話だ?」
 健志が私と双子の狐の間に割り入った。
 おお。なんか嬉しいぞ。
 健志の背中にすりすりしたく為るのを堪えつつ。健志の肩越しに姉妹を覗き込んだ。
 なにしろ、私は成り立てほやほやの一本尻尾の稲荷な訳で、五本尻尾や四本尻尾の狐なんて怖くて仕方ない。人間の時は『ああ狐なのね』位にしか思わなかったのだけど、狐となって力の差が判る様になってしまうと、その感じられる力の差は圧倒的な差なのだと肌で感じてしまう。
「これ見よがしに番に引き綱持たせるだなんて! どうせ私には番の相手がいませんよ!」
「え、だって。散歩とか外に出るときは持っていて貰わないといけないんじゃ無いの?」
 狐姉妹は鏡合わせの様に、顔を見合わせた。
「それは、犬でしょ! それとも何。あなた、紐を持っていてもらわないと、誰彼構わず襲っちゃうの? 欲求不満? 稲荷のクセに痴狐エロ狐メス狐なの?」
 扇子の様に五本の尻尾をフーと広げながら追い詰めてくる。
「そ、そんな事ありません! 私は健志一筋ですから! それに昨夜だって六回、今朝だって二回も求められたんですから! きゃぁ〜言っちゃった〜きゃぁきゃぁ! だから欲求不満になる暇なんてありません!」
「洋子。言わんで良い事まで言わんでくれ」
 はうっ。
 疲れ果てたような表情の健志に、つむじチョップを食らった。
 周囲からは「朝から二回だって」「六回も! おさかんね〜」「すげえ可愛いのに朝からかよ」「もげろ」「枯れろ」「くっそぉ〜」とか「羨ましくなんて、ねえぞ」とか呪詛やら陰口やらが聞こえた。
 ちょっと待て。今私にいまだかつて無い賛辞がされなかった? だ、だれ? ああああ、違う違う。一寸吃驚しただけで健志以外は不要なんだからね!
「はいはい、姉さんも落ち着きなさいって。そっちの稲荷サンも煽らないでくださいね。
 貴方成り立て? ひょっとして、保健所でレクチャーの担当は狗崎サンだったのかしら? ああ、やっぱりね。あの女狐、絶対に職務を楽しんでいますわね」
 追宮妹はおもむろにコートと上着のボタンを外しは決めた。おおお、と周囲の男共がどよめき鼻の下を伸ばす中で、躊躇無くコート毎上着の前を肌蹴て見せた。いや、ベストもブラウスも着ているのに何を興奮しているのよあんた達。でも紅い首輪に繋いだ紅い紐が強烈に目を引いた。その引き綱は大きく弛みながら上着の内ポケットに収まっている。
「こんな風に身に着けていれば良いのです。まあ、自慢したいと言うなら止めませんけどね」
「すみませんでした。そうとは知りませんでしたので。自慢という積もりは無かったのですが」
 私は追宮姉妹にぺこりと頭を下げて、健志の腕に自分の腕を絡めた。
 追宮姉がまだ何かを吼えていたが、追宮妹が引き摺るようにして校舎に向かって行った。
「で、どうするよ。これ」
 健志が手にしていた引き綱のハンドルを人差し指でぶらぶらさせながら聞いてきた。
 自慢という単語に一寸引かれている自分を自覚する。
「良ければ、持っていて欲しいなぁ」
 上体を倒し気味にして、上目使いでねだって見る。
「お、おう。任せとけ」
 と、赤くなりながら健志は言ってくれた。


 番を得ている魔物娘の間で『運命の紅い引き綱』が流行りだしたのは、また別の話。
12/03/04 01:35更新 / 夜蛇

■作者メッセージ
おかしい。

白蛇で書いていたのに、なぜ狐?

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