失恋、改め片想いの成就
「……ごめんなさい。」
終わった。
彼女、イルファ・ローゼンベルトの言葉は、
俺の初恋を、その一言によって完膚なきまでに打ち壊したのだった。
「あ、でも、ルベルのことを嫌いとか、そういう事じゃなくて、恋人にはなれない事情が…」
「いいよ、別にそんな無理してフォローしてくれなくても。」
「そんなんじゃなくて、私は本当に…!」
「じゃあ、なんなんだよ、その事情って。」
自慢ではないが、彼女と俺は親が親友だったこともあって、子供の頃から互いの事情には精通していた。
だから、最近彼女の周辺で変わったことといえば、3ヶ月前に彼女の妹のノイシェが、隣町に引っ越したこと位で、大した異変がないことはしっていた。
「それは、その…」
ほら、やっぱりそうだ。
その「事情」ってのもきっと、幼馴染にありがちな、「恋人じゃなくて、友達としてしかみられないの」とか、「他に好きな人がいて…」ってなもんだろう。
そんな事情でさえ、隠し通そうとするのは彼女持ち前の優しさ故だろう。
そう思うと、失恋の寂しさは感じるものの、荒んだ気持ちになりはしなかった。
「いや、悪い。変な事聞いたな。まぁ、その、何だ。これまでどおり、普通に気の合う友人として接してくれると助かる。」
「うん…ありがとう。そして、本当にごめんなさい。」
とても申し訳なさそうにいう彼女。
その様子を見ていると、かえってこっちが申し訳ない気分になってくる。
「いや、大丈夫。全然気にしてないからさ。
そのかわり、また今度、一緒に例の酒場に行こうぜ」
例の酒場、とは、俺達の親がそこで宴会を開き、俺達が出会うきっかけとなり、そして、俺達が成人してからは、俺とイルファそしてノイシェの3人でちょくちょく通っていた酒場、レイノルズ亭のことである。
「あぁ、あそこ?
そういえば、ノイシェがいなくなってからは全然行ってなかったね…うん。行こっか。」
いなくなった?不思議な表現をするものだ。
単に隣町に引っ越しただけで、別に会おうと思えばすぐに会えるのに。
まぁ、ローゼンベルトの家は、ずっと昔からこの町で製糸業を営んでいたくらいだから仕方ないのかもしれない。
「じゃあまた今度、店が休みの日の前日…そうだな。次の樹の日、なんてどうだ?」
「樹の日…ね。ちょっと待って。予定を確認してみるから。」
と言って、手帳を取り出すイルファ。
彼女も大人になったものだ。あんな高価そうな革の手帳を持っているところなんて、始めて見た。
「うん、その日なら、大丈夫そう。楽しみにしてるね、ルベル。」
「あぁ、じゃあまた、その日に。」
そう言って、ローゼンベルトの家を後にする。
ときは夕暮れ時。外から帰ってきた羊飼いや、遊び疲れて帰ってきた子供たち。
そして、それを出迎える家族。なんてことはない、いつもどおりの日常。
失恋したことで荒みはしないし、憎むなんてことはありえない。
それでもやっぱり、そう。
寂しかったのだ。
幼い時分から通い慣れた道を辿って自宅へと帰り、扉を開けた瞬間、絶句した。
「おかえりなさい。ルベル。」
つい先程、ローゼンベルトの家で別れたはずのイルファが、出迎えたのだ。
「イル…ファ…?どうして、ここに…?」
「私、あの後、もう一回ルベルの告白のことを考えて見たの。
それで、わかったの。私はやっぱり、自分の気持ちに嘘を付くことは出来ない。
私も…ルベルのことが好き。
一回は断っちゃったけど、こんな私でも、恋人にしてくれますか?」
いやいやいや。まてまてまて。
イルファが俺のことを好きでいてくれる可能性は、まぁ、考慮しなかったわけじゃない。
むしろ、素直に嬉しい。
だが、問題はそこじゃない。【どうして別れたはずのイルファが俺の家にいるのか】だ。
「いや、まぁそれは、うん。嬉しい。
だがなんで俺の家にいるんだ?」
「?」
いや、そこで何を言ってるのかわからない、みたいな顔をされても。
「だって、私、お父さんに連れられて、何度かこの家まで来たことあるよ?」
「だから問題はそこじゃないんだって。
さっき、お前の家で別れただろ?なんで俺より先にいるんだよ。しかも家の中に。」
「あぁ。なるほど。そういう事か。うん、それは、えーと、少し、魔術を使ったからよ。」
「魔術…?お前、魔術なんて使えたか…?」
確かに、専門の魔術師じゃない一般の人間でも、簡単な魔術行使をする人がいないわけではない。
ただ、イルファが魔術を使える、なんて話は初耳だった。
「うん。ノイシェが家を出てからこっそり練習してたの。
ただ、この家の外では内緒にしてくれる?」
魔術が使える、となれば、町に何かあった際に頼られてしまう。
だからこそ、専門の魔術師以外はあまり魔術が使えることを大っぴらにはしないものだが、その基本にはイルファも忠実らしい。
「わかったよ。イルファの魔術のことは俺達だけの秘密だ。」
「ううん。それだけじゃなくて。
私たちが恋人になったことも、当分は内緒にしておいてほしいの。
もっとも、ルベルが私を受け入れてくれるなら、だけど。」
「あぁ、いや、イルファを恋人にする、ってことに関しては俺としては嬉しい限りなんだが…」
これは困った。
レイノルズさんを始めとした、親の友人だった人には話しておきたいし、世話になった人や、友人だってそれなりにいるのだ。そういった人たちには話しておきたい。
「お願い。一旦ルベルの告白を断った事情に関係することなの。」
「えー…と、その事情、ってのを出来れば聞かせてもらいたいんだが…ダメ、だよな。」
「ええ。本当にごめんなさい。ただ、何とか片付いたら、その時にちゃんと説明するから。だから…」
まただ。
あの、心の底から申し訳なさそうな、あの表情。
そんな表情をされたら、これ以上、追求できなくなるじゃないか。
「わかった。イルファから話してくれるまで、その事情に関しては聞かない。
ただ、もしも困った時とか、助けが必要なときには遠慮せずに、ちゃんと言うんだぞ?
俺達は幼馴染で、今はもう、恋人なんだから。」
「うん!」
嬉しそうな表情。
それだけで、さっきの寂しさなんかはすっかりなかったことになっていた。
「じゃあ、家まで送ろうか。そろそろ暗くなってきたし。」
「えっと…そのことなんだけどね、今日から暫く、ルベルの家に泊めてもらえないかしら…?」
!?
突然の申し出に、心臓がフル回転を始める。
いくら恋人になったからと言って唐突すぎませんかイルファさん。
もっとおしとやかで、真面目な子だとばかり…
「あ、いや、そういう事じゃなくって!
ほら、ノイシェが居なくなってから、二人とも一人暮らしでしょう?
だから、一緒に暮らそうかなー…って思っただけで、他意はないというか…
その、えっちな事とかはは、なしよ…?」
顔を赤らめて、そんなことを言いやがる彼女様。
なんと可愛い。思わず押し倒してしまいそうになる。
だが、安心した。
恩人や、友人連中、そして双方の親の友人だった人たちに報告もしないうちからそんなことに励むつもりにはなれない。
「あぁ、そういう事なら、安心した。やっぱりイルファはそうじゃなくっちゃな。
じゃあ、そうと決まれば早速晩飯の用意をするか。」
「はい!
あ、でも、このことは…」
「この家の外じゃ内緒、だろ?」
「はい。お願いします。」
「了解だ。この家の外じゃ、仮にイルファやノイシェに対してでも、話はしないよ。」
「助かります。」
そうして食べた夕飯は、これまで食べたことがないほど、美味しかった。
そして、翌朝―――
「じゃあ、行ってくるわね、ルベル。」
彼女は家まで帰るそうだ。
仕事道具を持ってきて、うちですればいい、とも言ったのだが、繭になりたての蚕がいることなどの理由で、家に戻ることになった。
もっとも、昨日と同じくらいの時間にはうちに来てくれるそうなので、全く寂しくはない。
それから数日、朝に送り出したイルファを夕暮れ時に出迎え、共に過ごし、また朝に送り出す。
そんな平凡ながらも幸せな日々が続いた。
そして、約束の樹の日、俺はまた、イルファの家を訪れたのだった。
「あ、ルベル!待ってたわよー」
いつもとは逆の立場。
だが、こんな関係性も悪くない。
「じゃあ、いこっか。」
「あぁ。」
いつもと同じ夕日。いつもと同じ風景。
だが、イルファが隣にいると、なんとなく、そんなありふれたものでさえ特別なものに思える。
「それにしても、久しぶりだね。こんなふうに、二人で歩くなんて。」
「確かに。言われてみればそうだな。
ノイシェが居なくなってからはあんまりゆっくりと話さなかったしなぁ。」
それに、ここ数日、毎日のように一緒に過ごしてるとは言え、決して家の外に出歩きはしないのだ。
「…」
しばし、沈黙が流れる。
ノイシェの話は不味かったろうか。
イルファにとって唯一の肉親であるノイシェ。
そんな彼女に今の俺達の関係を伝えられないことはさぞかしもどかしいことだろう。
とっさに話題を変える。
今年の生糸の出来の話だ。ノイシェは生糸の製法を学びに行ったそうだから、
これならば話題転換として不自然でもないし、気を使わせることもないだろう…
そして、俺達はレイノルズ亭に着いた。
相変わらずの儲ける気があるんだか無いんだかわからない、よく言えば味のある、悪く言えば古びた外観だったが、そんなことさえ懐かしい。
店の中に入り、適当な席につき、ビールを二杯と、つまみをいくらか頼む。
ノイシェは酒があまり得意ではなかったので、彼女がいたときはちゃんとした食べ物とソフトドリンクが多かったから、こんな注文は久しぶりだ。
「「乾杯」」
他の客の迷惑にならなそうな、控えめな声での乾杯。
いつもと変わらない光景だ。ノイシェがいないこと以外は。
しばらく酒を飲みながら、他愛のない話や、思い出話に興じていたのだが、どうにも話に引っかかる点があった。
つまり、全く同じ話を、イルファと話したばかりのような気がするのだ。
いや、気がする、などという言い方は適切ではない。
まさに、話したのだ。俺の家で。
「あれ。その話、つい最近しなかったっけ?」
暗に問う。
だが、帰ってきた答えは、俺が求めているものではなかった。
「え?そんなことないわよ?
第一、最近話したのなんて、この間うちに来た時くらいのものでしょ?」
イルファは俺のことをからかっているのだろうか。
家の外では俺達の関係を口にできないことを逆手にとって。
だとすれば、帰ってからゆっくりと問い詰めてやらねばなるまい。
だが今は、その悪ふざけに付き合ってやろうと思ったのだ。
やがて、時間はあっという間に過ぎ去り、レイノルズ亭の閉店時間を迎えた。
もっとも、時間が早く感じたのは、店主のレイノルズさんが絡んできたからかもしれない。
まぁ、楽しかったし、この幸せな時間はまだまだ続くのだから構わないが。
「じゃあ、さようなら。今日は楽しかったわ。」
「ああ、俺も楽しかったよ。」
「ええ、また機会があったら、飲みたいわね。」
さて、次の休みは…と、考えた瞬間、俺の頭に天啓が舞い降りた。
来週は降臨祭。教会が定めた主神の使い、エンジェルが地上に降臨した期間だそうで、この地方の町や村は、3日間、基本業務を投げ出し、遊んで過ごすのだ。
飲食店なんかは降臨祭の後、3日間休業を取る、ということで、降臨祭期間中は朝から晩まで営業してるし、レイノルズ亭も空いていることだろう。
「そうだ!イルファ、来週の降臨祭の期間なんてどうだ!?
あの期間なら、きっと隣町の糸屋も休みだろうし、ノイシェと三人で…!」
「…ごめんなさい。ルベル。
ノイシェは降臨祭期間中もちょっとあっちを離れられなくて。
それで、私もその期間中はあっちにいくことになってるの。
だから…ごめんなさい。」
「そっか…なら、仕方ないな…あ、俺も一緒に行ってもいいかな?
ノイシェがどんなところにいるのかも気にな」
「ごめんなさい。それも、出来ないの。
向こうの人が、とても気難しい人で。私一人なら構わない、って許可をもらったんだし。」
「ああ、うん。それは、無理を言ってすまなかった。ノイシェに、よろしく伝えてくれ。」
「ええ。わかったわ。また、帰ってきたら一緒に行こうね。」
そんなやり取りを、彼女の家の前で交わした。
確かに、飲食店などの店以外でも、きちんと仕事をこなす人たちもいるそうだし、そういう事なら仕方ない。
普段なら俺の家に来るところだが、酔っ払っているようにも見えるし、こんなやり取りを交わした後だ。
まぁ、妥当な流れだと思った。
そしてその二日後、いつもと同じように訪れたイルファに向かって、レイノルズ亭での事を問いかけるのだった。
「どうして、例の酒場であんな意地悪をしたんだよ。」
「いじわる…?
あぁ、ルベルに家の外ではこうして一緒にいる、ってことを言わないで、って行ったのに、あえて聞いたこと?
ごめんなさいね。困っているルベルの顔が可愛くって、つい。
許してくれるかしら?」
ここで上目遣い。
惚れた弱み、というやつなのだろうが、これには逆らえる気がしない。
「あぁ、許す。許すよ。
ただ、アレはもうしないでくれないか。ほんとうに困った。」
「あら、それはどうしようかしら。
あのときのルベルの顔、本当に可愛かったんだもの。」
「ぐっ…!」
言葉につまる。
そう言われてしまっては、もはや返す言葉はない。
そして、再び、告白した日から流れ始めた日常が始まり―――降臨祭の日を、迎えたのだった。
終わった。
彼女、イルファ・ローゼンベルトの言葉は、
俺の初恋を、その一言によって完膚なきまでに打ち壊したのだった。
「あ、でも、ルベルのことを嫌いとか、そういう事じゃなくて、恋人にはなれない事情が…」
「いいよ、別にそんな無理してフォローしてくれなくても。」
「そんなんじゃなくて、私は本当に…!」
「じゃあ、なんなんだよ、その事情って。」
自慢ではないが、彼女と俺は親が親友だったこともあって、子供の頃から互いの事情には精通していた。
だから、最近彼女の周辺で変わったことといえば、3ヶ月前に彼女の妹のノイシェが、隣町に引っ越したこと位で、大した異変がないことはしっていた。
「それは、その…」
ほら、やっぱりそうだ。
その「事情」ってのもきっと、幼馴染にありがちな、「恋人じゃなくて、友達としてしかみられないの」とか、「他に好きな人がいて…」ってなもんだろう。
そんな事情でさえ、隠し通そうとするのは彼女持ち前の優しさ故だろう。
そう思うと、失恋の寂しさは感じるものの、荒んだ気持ちになりはしなかった。
「いや、悪い。変な事聞いたな。まぁ、その、何だ。これまでどおり、普通に気の合う友人として接してくれると助かる。」
「うん…ありがとう。そして、本当にごめんなさい。」
とても申し訳なさそうにいう彼女。
その様子を見ていると、かえってこっちが申し訳ない気分になってくる。
「いや、大丈夫。全然気にしてないからさ。
そのかわり、また今度、一緒に例の酒場に行こうぜ」
例の酒場、とは、俺達の親がそこで宴会を開き、俺達が出会うきっかけとなり、そして、俺達が成人してからは、俺とイルファそしてノイシェの3人でちょくちょく通っていた酒場、レイノルズ亭のことである。
「あぁ、あそこ?
そういえば、ノイシェがいなくなってからは全然行ってなかったね…うん。行こっか。」
いなくなった?不思議な表現をするものだ。
単に隣町に引っ越しただけで、別に会おうと思えばすぐに会えるのに。
まぁ、ローゼンベルトの家は、ずっと昔からこの町で製糸業を営んでいたくらいだから仕方ないのかもしれない。
「じゃあまた今度、店が休みの日の前日…そうだな。次の樹の日、なんてどうだ?」
「樹の日…ね。ちょっと待って。予定を確認してみるから。」
と言って、手帳を取り出すイルファ。
彼女も大人になったものだ。あんな高価そうな革の手帳を持っているところなんて、始めて見た。
「うん、その日なら、大丈夫そう。楽しみにしてるね、ルベル。」
「あぁ、じゃあまた、その日に。」
そう言って、ローゼンベルトの家を後にする。
ときは夕暮れ時。外から帰ってきた羊飼いや、遊び疲れて帰ってきた子供たち。
そして、それを出迎える家族。なんてことはない、いつもどおりの日常。
失恋したことで荒みはしないし、憎むなんてことはありえない。
それでもやっぱり、そう。
寂しかったのだ。
幼い時分から通い慣れた道を辿って自宅へと帰り、扉を開けた瞬間、絶句した。
「おかえりなさい。ルベル。」
つい先程、ローゼンベルトの家で別れたはずのイルファが、出迎えたのだ。
「イル…ファ…?どうして、ここに…?」
「私、あの後、もう一回ルベルの告白のことを考えて見たの。
それで、わかったの。私はやっぱり、自分の気持ちに嘘を付くことは出来ない。
私も…ルベルのことが好き。
一回は断っちゃったけど、こんな私でも、恋人にしてくれますか?」
いやいやいや。まてまてまて。
イルファが俺のことを好きでいてくれる可能性は、まぁ、考慮しなかったわけじゃない。
むしろ、素直に嬉しい。
だが、問題はそこじゃない。【どうして別れたはずのイルファが俺の家にいるのか】だ。
「いや、まぁそれは、うん。嬉しい。
だがなんで俺の家にいるんだ?」
「?」
いや、そこで何を言ってるのかわからない、みたいな顔をされても。
「だって、私、お父さんに連れられて、何度かこの家まで来たことあるよ?」
「だから問題はそこじゃないんだって。
さっき、お前の家で別れただろ?なんで俺より先にいるんだよ。しかも家の中に。」
「あぁ。なるほど。そういう事か。うん、それは、えーと、少し、魔術を使ったからよ。」
「魔術…?お前、魔術なんて使えたか…?」
確かに、専門の魔術師じゃない一般の人間でも、簡単な魔術行使をする人がいないわけではない。
ただ、イルファが魔術を使える、なんて話は初耳だった。
「うん。ノイシェが家を出てからこっそり練習してたの。
ただ、この家の外では内緒にしてくれる?」
魔術が使える、となれば、町に何かあった際に頼られてしまう。
だからこそ、専門の魔術師以外はあまり魔術が使えることを大っぴらにはしないものだが、その基本にはイルファも忠実らしい。
「わかったよ。イルファの魔術のことは俺達だけの秘密だ。」
「ううん。それだけじゃなくて。
私たちが恋人になったことも、当分は内緒にしておいてほしいの。
もっとも、ルベルが私を受け入れてくれるなら、だけど。」
「あぁ、いや、イルファを恋人にする、ってことに関しては俺としては嬉しい限りなんだが…」
これは困った。
レイノルズさんを始めとした、親の友人だった人には話しておきたいし、世話になった人や、友人だってそれなりにいるのだ。そういった人たちには話しておきたい。
「お願い。一旦ルベルの告白を断った事情に関係することなの。」
「えー…と、その事情、ってのを出来れば聞かせてもらいたいんだが…ダメ、だよな。」
「ええ。本当にごめんなさい。ただ、何とか片付いたら、その時にちゃんと説明するから。だから…」
まただ。
あの、心の底から申し訳なさそうな、あの表情。
そんな表情をされたら、これ以上、追求できなくなるじゃないか。
「わかった。イルファから話してくれるまで、その事情に関しては聞かない。
ただ、もしも困った時とか、助けが必要なときには遠慮せずに、ちゃんと言うんだぞ?
俺達は幼馴染で、今はもう、恋人なんだから。」
「うん!」
嬉しそうな表情。
それだけで、さっきの寂しさなんかはすっかりなかったことになっていた。
「じゃあ、家まで送ろうか。そろそろ暗くなってきたし。」
「えっと…そのことなんだけどね、今日から暫く、ルベルの家に泊めてもらえないかしら…?」
!?
突然の申し出に、心臓がフル回転を始める。
いくら恋人になったからと言って唐突すぎませんかイルファさん。
もっとおしとやかで、真面目な子だとばかり…
「あ、いや、そういう事じゃなくって!
ほら、ノイシェが居なくなってから、二人とも一人暮らしでしょう?
だから、一緒に暮らそうかなー…って思っただけで、他意はないというか…
その、えっちな事とかはは、なしよ…?」
顔を赤らめて、そんなことを言いやがる彼女様。
なんと可愛い。思わず押し倒してしまいそうになる。
だが、安心した。
恩人や、友人連中、そして双方の親の友人だった人たちに報告もしないうちからそんなことに励むつもりにはなれない。
「あぁ、そういう事なら、安心した。やっぱりイルファはそうじゃなくっちゃな。
じゃあ、そうと決まれば早速晩飯の用意をするか。」
「はい!
あ、でも、このことは…」
「この家の外じゃ内緒、だろ?」
「はい。お願いします。」
「了解だ。この家の外じゃ、仮にイルファやノイシェに対してでも、話はしないよ。」
「助かります。」
そうして食べた夕飯は、これまで食べたことがないほど、美味しかった。
そして、翌朝―――
「じゃあ、行ってくるわね、ルベル。」
彼女は家まで帰るそうだ。
仕事道具を持ってきて、うちですればいい、とも言ったのだが、繭になりたての蚕がいることなどの理由で、家に戻ることになった。
もっとも、昨日と同じくらいの時間にはうちに来てくれるそうなので、全く寂しくはない。
それから数日、朝に送り出したイルファを夕暮れ時に出迎え、共に過ごし、また朝に送り出す。
そんな平凡ながらも幸せな日々が続いた。
そして、約束の樹の日、俺はまた、イルファの家を訪れたのだった。
「あ、ルベル!待ってたわよー」
いつもとは逆の立場。
だが、こんな関係性も悪くない。
「じゃあ、いこっか。」
「あぁ。」
いつもと同じ夕日。いつもと同じ風景。
だが、イルファが隣にいると、なんとなく、そんなありふれたものでさえ特別なものに思える。
「それにしても、久しぶりだね。こんなふうに、二人で歩くなんて。」
「確かに。言われてみればそうだな。
ノイシェが居なくなってからはあんまりゆっくりと話さなかったしなぁ。」
それに、ここ数日、毎日のように一緒に過ごしてるとは言え、決して家の外に出歩きはしないのだ。
「…」
しばし、沈黙が流れる。
ノイシェの話は不味かったろうか。
イルファにとって唯一の肉親であるノイシェ。
そんな彼女に今の俺達の関係を伝えられないことはさぞかしもどかしいことだろう。
とっさに話題を変える。
今年の生糸の出来の話だ。ノイシェは生糸の製法を学びに行ったそうだから、
これならば話題転換として不自然でもないし、気を使わせることもないだろう…
そして、俺達はレイノルズ亭に着いた。
相変わらずの儲ける気があるんだか無いんだかわからない、よく言えば味のある、悪く言えば古びた外観だったが、そんなことさえ懐かしい。
店の中に入り、適当な席につき、ビールを二杯と、つまみをいくらか頼む。
ノイシェは酒があまり得意ではなかったので、彼女がいたときはちゃんとした食べ物とソフトドリンクが多かったから、こんな注文は久しぶりだ。
「「乾杯」」
他の客の迷惑にならなそうな、控えめな声での乾杯。
いつもと変わらない光景だ。ノイシェがいないこと以外は。
しばらく酒を飲みながら、他愛のない話や、思い出話に興じていたのだが、どうにも話に引っかかる点があった。
つまり、全く同じ話を、イルファと話したばかりのような気がするのだ。
いや、気がする、などという言い方は適切ではない。
まさに、話したのだ。俺の家で。
「あれ。その話、つい最近しなかったっけ?」
暗に問う。
だが、帰ってきた答えは、俺が求めているものではなかった。
「え?そんなことないわよ?
第一、最近話したのなんて、この間うちに来た時くらいのものでしょ?」
イルファは俺のことをからかっているのだろうか。
家の外では俺達の関係を口にできないことを逆手にとって。
だとすれば、帰ってからゆっくりと問い詰めてやらねばなるまい。
だが今は、その悪ふざけに付き合ってやろうと思ったのだ。
やがて、時間はあっという間に過ぎ去り、レイノルズ亭の閉店時間を迎えた。
もっとも、時間が早く感じたのは、店主のレイノルズさんが絡んできたからかもしれない。
まぁ、楽しかったし、この幸せな時間はまだまだ続くのだから構わないが。
「じゃあ、さようなら。今日は楽しかったわ。」
「ああ、俺も楽しかったよ。」
「ええ、また機会があったら、飲みたいわね。」
さて、次の休みは…と、考えた瞬間、俺の頭に天啓が舞い降りた。
来週は降臨祭。教会が定めた主神の使い、エンジェルが地上に降臨した期間だそうで、この地方の町や村は、3日間、基本業務を投げ出し、遊んで過ごすのだ。
飲食店なんかは降臨祭の後、3日間休業を取る、ということで、降臨祭期間中は朝から晩まで営業してるし、レイノルズ亭も空いていることだろう。
「そうだ!イルファ、来週の降臨祭の期間なんてどうだ!?
あの期間なら、きっと隣町の糸屋も休みだろうし、ノイシェと三人で…!」
「…ごめんなさい。ルベル。
ノイシェは降臨祭期間中もちょっとあっちを離れられなくて。
それで、私もその期間中はあっちにいくことになってるの。
だから…ごめんなさい。」
「そっか…なら、仕方ないな…あ、俺も一緒に行ってもいいかな?
ノイシェがどんなところにいるのかも気にな」
「ごめんなさい。それも、出来ないの。
向こうの人が、とても気難しい人で。私一人なら構わない、って許可をもらったんだし。」
「ああ、うん。それは、無理を言ってすまなかった。ノイシェに、よろしく伝えてくれ。」
「ええ。わかったわ。また、帰ってきたら一緒に行こうね。」
そんなやり取りを、彼女の家の前で交わした。
確かに、飲食店などの店以外でも、きちんと仕事をこなす人たちもいるそうだし、そういう事なら仕方ない。
普段なら俺の家に来るところだが、酔っ払っているようにも見えるし、こんなやり取りを交わした後だ。
まぁ、妥当な流れだと思った。
そしてその二日後、いつもと同じように訪れたイルファに向かって、レイノルズ亭での事を問いかけるのだった。
「どうして、例の酒場であんな意地悪をしたんだよ。」
「いじわる…?
あぁ、ルベルに家の外ではこうして一緒にいる、ってことを言わないで、って行ったのに、あえて聞いたこと?
ごめんなさいね。困っているルベルの顔が可愛くって、つい。
許してくれるかしら?」
ここで上目遣い。
惚れた弱み、というやつなのだろうが、これには逆らえる気がしない。
「あぁ、許す。許すよ。
ただ、アレはもうしないでくれないか。ほんとうに困った。」
「あら、それはどうしようかしら。
あのときのルベルの顔、本当に可愛かったんだもの。」
「ぐっ…!」
言葉につまる。
そう言われてしまっては、もはや返す言葉はない。
そして、再び、告白した日から流れ始めた日常が始まり―――降臨祭の日を、迎えたのだった。
11/04/24 14:34更新 / 榊の樹
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