ダイヤの間:イカサマババ抜き(後編)
(『まさかあんなくだらない手にかかるとは。とにかくダイヤを親に戻そう』……ってところかな)
ダイヤはギャリーのポーカー・フェイスを見つめ、その奥の真意を探りとっていた。表情からすべてが分かる訳ではない。挙動の端々に現れる癖、これまでのゲームの展開、相手に何が見えているのか。そういった要素を総合的に分析するのだ。相手が程度のいい実力者であるなら、その思考をジャックすることさえそう難しくはない。具体的にはクローバーみたいなタイプがいいカモだ。
(『だがイカサマの腕前はダイヤが上。なにか奇策を練らなくては』……そんなこと、させないんだよねぇ)
ダイヤは自分の手番の終わり、移動するカードにギャリーが気が取られた一瞬……『意識の瞬き』の瞬間を狙い、手札からまた一枚カードを処分した。処分したのはJOKERでもQでもない、凡カード。だがこれにより、巡るカードの中にダイヤしか知り得ない新たなババが生まれた。
(さっきまでに消したカード、そしてギャリーちゃんに回収させたカードも加えて、これでババは場に10枚……全体の4割以上がババということ。つまり、もはやイカサマなくしてアガリ無し。ギャリーちゃんの勝ちの芽は摘まれた……!)
人知れず場を支配したという優越感。
だが、今はそれに酔いしれている時ではない。最後の仕上げに移らなくては。
(全てを失ったギャンブラーが最後に頼るモノ……即ち勝利への執念! それが失われるまで、安心はできない……。完璧に安全に、イカサマを成功させる為には……!)
ダイヤはにやりと口角を吊り上げると、テーブルの下で踵同士をこすり合わせるようにして靴を脱ぎはじめた。
♦♦♦♦♦♦
(ダイヤめ、また一枚消したか。なんとかして、現状を打破しなくては……)
ギャリーは冷めた紅茶を一滴残らず飲み干し、とりあえず状況を整理した。
このままではワンサイド・ゲーム。状況を打開するためにはダイヤを親に戻す必要があるが、残念ながらイカサマの腕前はダイヤの方が上。奇策を練る必要がある。
全員の手札の枚数を改めて確認する。
全員の手札をめぐる1枚を除けば、手持ちカードは以下の通り。
ダイヤ:4枚
ポット婦人:5枚
ギャリー:6枚(内Q1枚)
キャンドル男爵:8枚
(気が付けばダイヤが一位……。この状況を最大限に活かすには――)
――もにゅり。
そのとき、ギャリーの膝に何か柔らかいものが触れた。
疑問に思うより先に、その『柔らかいもの』は滑るようにして足の間に潜り込み、ギャリーの丁度股関節の辺りを踏みつけた。
(ん!?)
見れば、目の前に座るダイヤが椅子からずり落ちるような、明らかに不自然な体勢になっている。自分の股間を踏みつけているものがダイヤの足だと悟ったギャリーは、股を閉じてダイヤの小さな足を捕まえた。
「おい」
咎めるように、ダイヤを睨む。
ダイヤは拘束から逃れようと足をもぞもぞと動かし、困ったように笑った後――輝く指先で空中に小さな円を描いた。
瞬間、魔煙と共に男爵と婦人の姿がぐにゃりと歪み、二人はダイヤそっくりの容姿に変貌した。
「なにっ!?」
「安心して、ゲームには直接関係ないから。……ただ、ギャリーちゃんの為にもね?」
テーブルの下、左右から足が伸びてきて、ギャリーの膝を捕まえる。それは万力のような力でギャーリーの股をこじ開け、その動きを封じた。
「貴様……」
「ほら、次はギャリーちゃんの手番だよ。言っとくけど、途中で席を立った者は棄権したとみなすから、そのつもりでヨロシク」
そう言って微笑むダイヤだが、どのみち両足を押さえられているため身動きは取れない。
ポット由来のダイヤの分身が、ずいと手札を押し付けてくる。その目に光はなく、男爵同様ただの人形のように見えた。
軽く舌打ちをしてから、一枚引こうと手を伸ばすギャリー。
と、カードに手を触れようとした時、ダイヤの足が股間をぎゅむりと踏みつけてきた。
鈍い痛みに口元が歪む。
「あ、ごめん。痛かった?」
悪戯っぽく笑うダイヤ。
「許してね? 慣れてなくて……。ふふふ、イタイのイタイの飛んでけー☆」
今度は、親指の先で優しく撫でる様に股間を上下に擦り始める。抵抗しようともがくギャリーだが、足に力を込めるほど、左右からの拘束は厳しくなっていく。
「さあ、ギャリーちゃん、手番を進めて……。じゃないといつまで経っても終わらないよ?」
促されたギャリーが分身(ポット)から引いたカードは4。手札内でペアが完成したことで、カードの処分に成功。その後分身(キャンドル)に一枚引かせ、現状の手札状況は以下の通り。
ダイヤ:4枚
分身(ポット):5枚
ギャリー:4枚
分身(キャンドル):9枚(この後ダイヤに引かれるので実質8枚)
「あらら、並ばれちゃった。ここに来てこの豪運、流石だねぇ」
ダイヤが茶化すような声音で言う。だがその無邪気な笑みに突如、一筋の影が走った。
「でもね、あたしも本気でギャリーちゃんを倒すって決めたんだ。悪いけど単独首位、返してもらうよ」
股間に添えられた足が、うねるように動き出す。包み込み、擦り上げるような刺激に、下半身がいやおうなしに膨張する。ダイヤの足はその変化を見逃さず、下から上へ、裏筋に沿って何かを探るように爪先を動かす。
「……見つけた」
爪先はズボンのファスナーに到達すると、指先でそれを器用に摘み上げ、ジィとそれを下ろした。開いた窓から、タイツに包まれた爪先が侵入してくる。爪先は本来排泄用に作られた下着前方の穴に潜り込み、膨張した男性器の先端を直接擦り上げる。
「ぐ……っ!」
乱暴な刺激によりもたらされた痛みと快感に、喉からうめき声が出る。爪先はなおも執拗に、露出した鈴口をこねまわし続ける。
「ダイヤ、お前いい加減に……」
「いい加減に、なに? 雷が落ちてこないんだから、あたしが今やっていることはルールに反してないんだよ。当然、カードも消していないから摘発も出来ない。あんまりワガママばかり言ってるとぉ……っ」
ダイヤの蒸れた爪先が、亀頭を勢いよく擦り上げた。足の指とは思えない繊細な動きで尿道から亀頭の上部までを撫で回し、カリの裏側を掻く様に擦る。強すぎる刺激快感に、一瞬視界がフラッシュする。
「……負けちゃうかもね?」
「……ッ!」
ダイヤの手札、またも消失!
ギャリーの集中力が快感に乱される一瞬を狙ったイカサマで、手札が4枚から3枚へ!
「どんどんいくよっ!」
分身の手札から1枚引くと、 ダイヤはまたカップの淵をキンと弾く。
途端、下半身が今度は温かなぬめりに包まれた。
視線を下げれば、股の間にもう一人のダイヤ。目に光がない、三人目の分身だ。分身はギャリーの膝の間に潜り込み、男根をその小さな口でいっぱいに頬張る。
小さな舌が、うねりうごめき亀頭を這いまわる。
「くっ……」
その動きは緻密で繊細。こちらの受ける快感を感知し、時々に最も効果的な箇所を的確に刺激する。卓上での指捌きと読心術が、そのまま性技に落とし込まれたかのような完成度。
「気持ちよさそうだね〜♪ でも、気を散らしたらまた消えちゃうよ?」
ダイヤが挑発するように笑い、手札をひらひらと揺らして見せる。
共振、という現象をご存じだろうか。震動の波に、振動数が同じ別の震動が加わることで、その揺れが大きくなる現象なのだが……ダイヤの攻め方はまさにそれと同じであった。
断続的に背を駆け上る快感の波、その信号に応えるように新たな快感を与え、感覚の波を確実に増幅させていく。緩急において一寸のずれもないその攻めは、射精感に直結しそれを急激に上昇させる。
(くそ、意識が……!)
高まりに高まった猛りが頂点に達しようとしたその時。
分身の歯が亀頭の上面に引っ掛かり、刺すような痛みが走った。
「がっ!?」
痛みと快感、強烈な二つの刺激の処理に神経がオーバーフローし、またも視界がフラッシュ。射精感が一瞬退ける。
その時、ダイヤが動いた。
分身(ポット)に1枚カードを引かせ、残った手札は……2枚!
(まずい、今の間に消された! このままでは次の俺の手番で、奴の手札はゼロ枚になる!)
その時ギャリーに天啓が走る。
手を伸ばしざま、目前のティーカップに小指をかけ、それを宙に放る。弧を描き、テーブル中央に落ちていくカップ越しに、反射的に手札を庇いつつ驚愕の表情でソレを見つめるダイヤが見えた。
「はやく寄越せ! カードをっ!」
腰を跳ね上げ、股座の分身が亀頭を噛むより先にそれを喉奥に押し込める。臨界点に達していた炎が再度頂点に達し、いよいよ男性のシンボルを駆け上がる。
分身(ポット)が差し出す手札からカードを毟り取るのと、カップが鈍い音と共に捨札群の上に落ちるのは同時だった。
引いたカードは……Q。
それを認識すると同時に、一つの堰が決壊し、快楽の根源が噴出する。ノイズが脳を染め上げて、眩暈と共に意識が曇る。
四番勝負の三本目、ここにきて今日初めて、ギャリーは射精したのだった。
♦♦♦♦♦♦
「ちょっとギャリーちゃん!?」
ダイヤは射精より何より、まず血相を変えて捨札の上に落ちたティーカップを掬い上げた。カードを汚す行為はルール違反、それは対象が捨札だとしても変わりはない。ギャリーの行為は、とち狂ったとしか思えないものだった。
「あっ、空!?」
カップを手にして、初めてその中に茶が入っていないと気付く。特にカードに雫が散ったような形跡もない。何よりも、目の前のギャリーは未だ無事である。
(……なるほどね)
とりあえず、ギャリーが射精の衝撃で震えているうちにカードを1枚消してから、ダイヤは状況を整理した。
(このティーカップはつまり、ブラフだった訳だ。……してやられたなぁ。おかげで1枚、消し損ねちゃった。本当なら、ポットの手番で1枚、そして今のタイミングで最後の1枚を消すつもりだったのに……)
相手の手番で、相手の射精と同時にゲームに勝利する。行動を起こすことも許さず、勝負でも試合でも文句なしの圧勝、華麗なる完全勝利を飾る予定であった。
だが、ギャリーのなりふり構わぬ一手がその予定を狂わせた。
宙を舞うカップがダイヤの注意を引き付けているうちに、手番を回し手に入れたのだ。
最後のチャンスを!
(実際、最後の1枚消しに射精を合わせられなかったのはかなり痛い。2枚を1枚にするのと、1枚をゼロにするのじゃ、バレる確率が段違い。何か意識を反らす切っ掛けが欲しいところだけど……)
だが、それよりもだ。
ギャリーは手に入れたこの一手番で、いったい何をするつもりなのか。
親という、イカサマすら許されない立場で、ここから戦況を覆す逆転の手……ダイヤにはそれが分からなかった。
ちらとギャリーを見る。
吐精の影響だろうか、目の下のクマが一段と濃くなったように見える。疲弊した様子で自分の手札を確認し……特に捨てるカードもなかったらしい。そのまま分身(キャンドル)に1枚引くよう促す。
(やっぱり)
ダイヤの中の予感が、確信に変わった。
(ギャリーちゃんは、既に勝ちを諦めている。いまの一芸は謂わば最後の花火、『勝負に勝って試合に負ける』そういうこと……。こうすればあたしが悔しがると予想して、鼬の最後っ屁って訳ね)
心の奥底から、抑えがたい感情がふつふつと沸き上がってくる。
(………………大正解だよ! あぁあぁぁああ!! 超悔しい! あたしが一番得意なゲームで! かっこよく! 勝つのを! 邪魔されたばかりか! よりによってブラフイカサマ方面でしてやられるなんてぇーっ!! くっそー、敵ながら天晴だよ……。でもこの試合はあたしのモノ。ついでにギャリーちゃんもあたしのモノ。女王様のオシオキが終わったら、リベンジ戦、たっぷり付き合ってもらうんだから……! したら次こそ、勝つ!!)
ダイヤは抑えがたきを抑え、ぎりりと奥歯を噛みしめる。瞬間、天より閃光が走り、元キャンドルの分身に命中した。
「……は?」
突然の事態に目を見開くダイヤの横で、雷に打たれ黒焦げとなった分身がポンという空気の抜けるような音と共に消滅する。分身が座っていた椅子には、火の消えたキャンドルが微かな魔煙を纏い転がっているだけだ。
「え? あ……え? ちょっ、え、なに? なんで!?」
「さて一人脱落……。ここから逆回りか」
「いや、なに続けようとしてんの!? なに今の雷!?」
ダイヤが鼻息を荒げてまくし立てる一方、ギャリーは数秒前に手の届く位置に雷が落ちたとは思えないほど落ち着いている。
「さあな。大方、ルールに違反するイカサマでもしたんじゃないか?」
「そんなわけないじゃん!!」
「……『そんなわけない』?」
「あ、いや……。まあ、確かにそういうこともあるかもね……」
「……まあいい。ここから逆回りということは、また俺が引かれる番か……。こいつは僥倖だ」
淡々と事態を処理し、ゲームを進めようとするギャリーに対し、ダイヤは内心かなり動揺していた。
(お、おかしい! ポット婦人とキャンドル男爵は、あくまで数合わせ。言ってしまえば、自動で動くカードストックに過ぎないはず……。イカサマなんて、出来るわけない!)
……これは、作成者であるダイヤだけが知っている事実。隠しているわけではない。ギャリーには、ちゃんと『頭カラッポ』で『凝ったことはできない』と伝えてある。もし、ギャリーが彼等のイカサマに期待して見張っていたとしても、それはギャリーの理解不足……ダイヤの落ち度ではない。
(分身に姿を変えたとき……? ガワだけ変えて中身は弄ってないつもりだったけど、何か間違えた? このアタシが? それこそあり得ないよ!)
そうこうしているうちに、本日二度目の雷が煌めいた。ギャリーの手札を引いた分身が、煙と共にポットに戻る。
(……! 違う、ギャリーちゃんの仕業だ!)
まさに言葉通り、青天の霹靂である。
どうやっているかは分からないが、ギャリーは自分の手札を引いた二人に、イカサマを『させた』のだ。
「イカ……」
イカサマだ、と言いかけて慌てて口を閉じる。イカサマを指摘できるのは親である者のみ。第一、分身達が粛清される一方でギャリーが無事ということは、ギャリーの行為は掻い潜っているのだ。ルールの網を!
「さて、次は……」
射殺すような鋭い視線が、ダイヤを射抜いた。
先程までの余裕は一瞬で吹き飛び、一転狩られる恐怖が全身を支配する。
(お、おぉぉ、臆しちゃダメ! 気持ちの優劣は、そのまま現実の勝敗に繋がる!)
(まず、どうやってイカサマをさせたのか……。それを暴かないと、刺される! 分身二体と同じように……!)
恐怖を振り払い、ギャリーと分身達のやり取りを頭の中で思い返す。が、特に怪しい動きがあった覚えはない。ギャリーは手札を差し出し、分身がそれを引いた。そして雷が落ちる。それだけだ。
(くっ、もっとちゃんと見ておくべきだった!)
しかし、後悔は先に立たない。
もはや、覚悟を決めて引くしかない。ギャリーの手札を。
(雷が落ちた、ということはルールで許容されていないイカサマをした、ということ……。となると、まず思いつくのはカードを汚したり曲げたりする行為……。となると怪しいのは……!)
視線が空のティーカップに移る。続いて足を濡らす精液。テーブルの下にいた分身は喉を突かれた衝撃で消えてしまったので、精液はダイヤの足といわずテーブル下に飛散しているはずだ。
(これらはさっきまでこの場に無かった要素。このどちらかを利用して……? でも仮にそうだとしても、何をしたのかまでは皆目見当もつかない……!)
(いや、落ち着いてダイヤ。カードに何か仕掛けてるのは明らかなんだから、手札を引くタイミングで必ずソレが顔を出すはず……。ならば、そこで仕掛けを暴く! ……かなり不利な勝負だけど、アタシなら不可能じゃあない! 奇天烈夢幻のダイヤは、天下無敵のイカサマ師なんだから!)
覚悟を決めたことで、ダイヤの心がいつもの調子を取り戻す。むしろ不利な状況への挑戦だからこそ、イカサマ師の魂が高揚する。
ダイヤは余裕しゃくしゃくの表情を浮かべ、宣戦布告とばかりに言葉を紡ぐ。
「ギャリーちゃん、この場に来てまた随分大胆な賭けに出たねぇ。……でも、それあたしに通じるって、本気で思ってる? イカサマという分野において、ギャリーちゃんはあたしの――」
「いや、もう決着はついている」
冷たく、感情のない声で言い放つギャリー。その男がダイヤに提示し、差し出す手札は……1枚!
ダイヤが目を見開く。
(な……なんで!? ギャリーちゃんの手札は元々5枚。さっきの分身の脱落で2枚減って、今3枚のはず……。何をしたの? 親という立場で、どうやって!?)
(いや、今はそれよりも! 乗り切らなくちゃならない、この状況を!)
何か方法はないか。
互いの手札は揃って1枚、ダイヤが先に引く手番。
先にイカサマでカードを消す? だめだ。ラスト1枚消しは難度の高いイカサマ。一対一で向かい合って行うには、何か相手の気を反らすようなきっかけが必要だ。
引いたように見せかける? だめだ。如何にダイヤといえど、それは不可能。そもそもカードを消すという範疇を超えている。
(これは……つまり……あたしの……)
敗北。
その二文字を認めた時、ダイヤの心に張り巡らされた緊張の糸が、ふわりと緩んだ。
♦♦♦♦♦♦
「……」
「おい、ダイヤ。どうした、返事をしろ」
目を見開き、放心したまま微動だとしないダイヤ。
ギャリーが肩を揺すると、そのままカクンと首を折り、ククククという奇妙な笑いと共に肩を震わせ始めた。
ギャリーはすっと身を離し、何があってもいいよう身構える。敗北が受け入れられず、逆上するのかもしれない。そうなれば、魔術か幻術か知らないが、こんな非現実な存在に勝てるわけがないのだ。
ぐりん、とダイヤの首がひん曲がる。ギャリーが反射的に胴を庇った、次の瞬間――。
「あぁー!! 負けた負けたーー!! くやしーー!! でも楽しーー!! すっごいねギャリーちゃん! どうやったの、最後の! イカサマ押し付けたやつ! あと手札消したのも! ぜんぜん分かんなかったよー!」
ダイヤは目をキラキラと輝かせながら、ギャリーの腕に引っ付いてくる。
何が来るかと身構えていたギャリーは一瞬面食らい――すぐにいつもの不景気そうなポカー・フェイスに戻った。
「……教えられるわけないだろ。商売道具だ」
「むー! じゃあいいよ、自分で考えるから! ちょっとカード見せて。なにか仕掛けがあるはず……」
捨札からギャリーの使っていたカードを漁り、うんうんとうなり始めるダイヤ。その天真爛漫とした様子はまさに年相応といった感じで、勝負中の悪魔じみた様子は見る影もない。
「勝負の時とはまるで別人だな」
つい口をついて出た言葉に、ダイヤは心底不思議そうな顔を返す。
「勝負の時は全力出すもんでしょ? じゃないとお互い楽しくないじゃん」
その時、ゴロゴロという内臓に響く雷鳴と共に、空が曇天に変わった。生暖かい風が森の中を駆け抜け、ギャリーとダイヤの周りで渦を巻いた。
『どうやら決着はついたようですね。さあ、敗者ダイヤ。精算の時間です』
「あ、ジョーカー? ええっと……なんの話だっけ?」
『ほう、とぼけるつもりですか。敗北に加え、ゲームのルールまで侵しておいて……』
「まったまった! そりゃ、負けたのは事実だけど、別にルール違反はしてないでしょ!?」
『分身を使って対戦相手の妨害をするのはルール違反ではないと?』
突如、足元をつむじ風が駆け抜けた。お茶会セットが音を立てて吹き飛び、テーブルが倒れる。
『やはりこのテーブル、魔術的な目隠しが施されているようですね。どうにも様子がおかしいとーー』
ジョーカーが言い終わるより先に、ダイヤの下半身が輝く旋風に変貌する。切り裂くほどに鋭い風圧の中、「ギャリーちゃん、また遊ぼうね!」と短く聞こえたかと思うと、ダイヤはそのまま空に昇る流星のごとく飛び上がった。
『待ちなさい!』
叱咤の声と共に鋭い衝撃波が走る。が、それらはダイヤに届くより先に光となって消えてしまった。
ダイヤの化鳥のような笑い声が天に響く。
「じゃーね、おマヌケジョーカー! お小言は、ほとぼりが冷めてからきくから!」
次の瞬間、地を裂くような轟音がとどろきダイヤの笑いをかき消した。幾重もの稲妻が迸り、巨大な雷の壁となってダイヤの進路を塞ぐ。光の中に浮かび上がるダイヤのシルエットは酷く動揺した様子で、天の一点を見つめていた。
ギャリーはその視線の先、曇天を覆わん程の巨大な雷壁の中に――酷く曖昧な記憶ではあるのだが――『ソレ』を見た気がした。
圧倒的な怒気を纏い、天から降臨する小さな人影。その尊顔は見えねども、かのお方が偉大にて絢爛華麗、神々しくも純情無垢な存在であらせられることは気配で分かった。その崇高なる影像が、威風堂々たる所作でゆるりと片腕をお上げになると――。
『っ不味い!』
弾かれたようなジョーカーの声と共に、突風がギャリーを包み込む。周囲の風景が引き伸ばされたフィルムのように歪み、凄まじい勢いで彼方へと遠ざかっていく。溶けて混ざった風景色の向こうから、ダイヤの切迫した声が聞こえてくる。
「ちょ、まってまって女王様! あれはただの冗談で……え、なにソレ。…………いやムリ、ホントに死んじゃうから。ホントに極刑になっちゃうから。入んない入んない絶っっっ対入んないからっ!! あっ、やっ、うわーっ! ごめんなさいごめんなさいギャリーちゃん助け」
バタンッ!
勢いよく扉の閉まる音がして、気がつけばギャリーは鏡の間、ダイヤの扉の前で尻餅をついていた。
ダイヤの扉はそこにただ佇むだけ。もう、ダイヤの叫びは聞こえなかった。
♠♣♦♥♠♣♦♥♠♣♦♥♠♣♦♥♠♣♦♥♠♣♦♥♠♣♦♥♠♣♦♥♠♣♦♥♠♣♦♥
【鏡の間】
ヒールをカツカツと鳴らしながら、ジョーカーが歩み寄ってくる。
「ギャリー様、大変失礼いたしました。お怪我はありませんか?」
ゆるりと差し伸べられた手を取り、ふらふらと立ち上がるギャリー。最後、風景の歪みと共にダイヤの扉から弾き出されたことが思ったよりも効いているらしく、まだ足元がおぼつかない。
「それより、ダイヤはどうなる。俺が言うのもどうかと思うが、命を取るようなことは勘弁してやって欲しいんだが……」
「それを望むのならば、ギャリー様。まずはルール遵守の結界を破ったトリック、それをご教示ください。あれは私と女王様の自信作。如何に非凡な才を持つとはいえ、所詮は人間である貴方様に破られるとは……正直信じられません」
ギャリーはひとつ舌打ちをして、その『仕掛け』について語り始めた。
「……お察しの通り、くだらないトリックさ。ダイヤも言っていたが、分身達は本当に頭が空っぽらしい。手札を二枚重ねておいたら、本当に二枚纏めて引いた。それだけだ」
「成る程、確かに相手の手札を二枚引くのはルール違反。さらに分身が手札を引いた時点で、その札は分身のもの。分身の脱落と共に消滅し、自分の元には帰って来ない……。シンプルですが、よく出来た仕掛けです。しかし最後の最後、あの追い詰められた状況下でよくそれを発想し、しかも運命を託そうと思えましたね」
「最後? それは違う。俺は最初からこの策を実行していた。ダイヤにバレてルール改正でもされると面倒だから、手札の端に一組のみ……まあ、最初は分身達の挙動を調べるのが目的だったんだが。二巡目で男爵がこの重ねたカードに手を掛けたとき、この策は通ると確信した。結局、その時はダイヤの摘発が横槍となって失敗したがな」
「ということは、最後の手番に雷を落としたのは意図したものではなく……」
「ただの偶然だ。あそこで二連続で重ねたカードを引かれなかったら……あるいはダイヤに勘付かれ待ったを掛けられていたら、それ以前にあの時点で手札を5枚まで減らせていなかったら、あのまま負けていただろう。奇天烈夢幻のダイヤ、恐るべき相手だった」
ギャリーはジョーカーを睨みつけ、続ける。
「さてこれで全部話したぞ。勝利を確信したことで生まれたダイヤの油断も手伝ったかもしれんが、結局最後は運で勝ちを拾った。俺をイカサマ師呼ばわりして処刑するなら、それでも構わん。だが、ダイヤの処刑は約束通り取りやめてもらう」
ジョーカーはクスクスと笑い、ご安心ください、と応答した。
「ギャリー様をイカサマ師扱いする気も、ダイヤの命を取る気も御座いません。不思議の国では去年だけで730件の極刑が実行されましたが、受刑者のうち死者は0人。かわりに膣痙54人、新たな性癖に目覚めた者が465人、極刑が切っ掛けでなんやかんやで結婚した者が180人……ああ失礼、腹上死が1人いたようですね。ですが、その後蘇生されています。極刑は不思議の国でも人気のアトラクションなのです。……勿論、観客に人気の、という意味ですが」
ジョーカーはその場でくるりと回転すると、一転してフォーマルな態度でやうやうしく頭を下げた。
「それではギャリー様、此処まで大変ご苦労様でした。いよいよ最後の対戦相手……ハートの間でございます」
ジョーカーがすっと身を引けば、そこにハートの意匠が施された扉が出現した。ギャリーは手を伸ばし、その重厚そうな扉面に触れてみる。……固い感触。水面のように波打ったり、触手に引き摺り込まれたりはしない。
金属製のドアノブに手を掛けると、扉はギィという鈍い音と共に、ゆっくりと開いた。隙間から漏れ出した桃色の瘴気が、粘性を伴い足首に纏わりつく。
「これに勝てば貴方の願いが叶います。確認させていただきますが、ギャリー様の願いは『素晴らしいハンドを揃えること』。間違いございませんね?」
「……あぁ、間違いない」
漏れ出した瘴気の甘ったるい匂いが鼻を掠める。『危険だ』。勝負師の勘が、そう告げた。
だがそれでも進まなくてはならない。それもまた、勝負師の性なのだ。
ギャリーは意を決し、桃色の霧を掻き分けその奥に潜む最後の相手を探しに行く。
背後で扉の締まる音がして、頭の中にジョーカーの声が響く。
「ハートは女王様の寵愛を受けし者。彼女の言葉は道理を超えて、知らぬを知って見えぬを見る。気をつけなさい、最後の一人は、選ばれし者……」
ダイヤはギャリーのポーカー・フェイスを見つめ、その奥の真意を探りとっていた。表情からすべてが分かる訳ではない。挙動の端々に現れる癖、これまでのゲームの展開、相手に何が見えているのか。そういった要素を総合的に分析するのだ。相手が程度のいい実力者であるなら、その思考をジャックすることさえそう難しくはない。具体的にはクローバーみたいなタイプがいいカモだ。
(『だがイカサマの腕前はダイヤが上。なにか奇策を練らなくては』……そんなこと、させないんだよねぇ)
ダイヤは自分の手番の終わり、移動するカードにギャリーが気が取られた一瞬……『意識の瞬き』の瞬間を狙い、手札からまた一枚カードを処分した。処分したのはJOKERでもQでもない、凡カード。だがこれにより、巡るカードの中にダイヤしか知り得ない新たなババが生まれた。
(さっきまでに消したカード、そしてギャリーちゃんに回収させたカードも加えて、これでババは場に10枚……全体の4割以上がババということ。つまり、もはやイカサマなくしてアガリ無し。ギャリーちゃんの勝ちの芽は摘まれた……!)
人知れず場を支配したという優越感。
だが、今はそれに酔いしれている時ではない。最後の仕上げに移らなくては。
(全てを失ったギャンブラーが最後に頼るモノ……即ち勝利への執念! それが失われるまで、安心はできない……。完璧に安全に、イカサマを成功させる為には……!)
ダイヤはにやりと口角を吊り上げると、テーブルの下で踵同士をこすり合わせるようにして靴を脱ぎはじめた。
♦♦♦♦♦♦
(ダイヤめ、また一枚消したか。なんとかして、現状を打破しなくては……)
ギャリーは冷めた紅茶を一滴残らず飲み干し、とりあえず状況を整理した。
このままではワンサイド・ゲーム。状況を打開するためにはダイヤを親に戻す必要があるが、残念ながらイカサマの腕前はダイヤの方が上。奇策を練る必要がある。
全員の手札の枚数を改めて確認する。
全員の手札をめぐる1枚を除けば、手持ちカードは以下の通り。
ダイヤ:4枚
ポット婦人:5枚
ギャリー:6枚(内Q1枚)
キャンドル男爵:8枚
(気が付けばダイヤが一位……。この状況を最大限に活かすには――)
――もにゅり。
そのとき、ギャリーの膝に何か柔らかいものが触れた。
疑問に思うより先に、その『柔らかいもの』は滑るようにして足の間に潜り込み、ギャリーの丁度股関節の辺りを踏みつけた。
(ん!?)
見れば、目の前に座るダイヤが椅子からずり落ちるような、明らかに不自然な体勢になっている。自分の股間を踏みつけているものがダイヤの足だと悟ったギャリーは、股を閉じてダイヤの小さな足を捕まえた。
「おい」
咎めるように、ダイヤを睨む。
ダイヤは拘束から逃れようと足をもぞもぞと動かし、困ったように笑った後――輝く指先で空中に小さな円を描いた。
瞬間、魔煙と共に男爵と婦人の姿がぐにゃりと歪み、二人はダイヤそっくりの容姿に変貌した。
「なにっ!?」
「安心して、ゲームには直接関係ないから。……ただ、ギャリーちゃんの為にもね?」
テーブルの下、左右から足が伸びてきて、ギャリーの膝を捕まえる。それは万力のような力でギャーリーの股をこじ開け、その動きを封じた。
「貴様……」
「ほら、次はギャリーちゃんの手番だよ。言っとくけど、途中で席を立った者は棄権したとみなすから、そのつもりでヨロシク」
そう言って微笑むダイヤだが、どのみち両足を押さえられているため身動きは取れない。
ポット由来のダイヤの分身が、ずいと手札を押し付けてくる。その目に光はなく、男爵同様ただの人形のように見えた。
軽く舌打ちをしてから、一枚引こうと手を伸ばすギャリー。
と、カードに手を触れようとした時、ダイヤの足が股間をぎゅむりと踏みつけてきた。
鈍い痛みに口元が歪む。
「あ、ごめん。痛かった?」
悪戯っぽく笑うダイヤ。
「許してね? 慣れてなくて……。ふふふ、イタイのイタイの飛んでけー☆」
今度は、親指の先で優しく撫でる様に股間を上下に擦り始める。抵抗しようともがくギャリーだが、足に力を込めるほど、左右からの拘束は厳しくなっていく。
「さあ、ギャリーちゃん、手番を進めて……。じゃないといつまで経っても終わらないよ?」
促されたギャリーが分身(ポット)から引いたカードは4。手札内でペアが完成したことで、カードの処分に成功。その後分身(キャンドル)に一枚引かせ、現状の手札状況は以下の通り。
ダイヤ:4枚
分身(ポット):5枚
ギャリー:4枚
分身(キャンドル):9枚(この後ダイヤに引かれるので実質8枚)
「あらら、並ばれちゃった。ここに来てこの豪運、流石だねぇ」
ダイヤが茶化すような声音で言う。だがその無邪気な笑みに突如、一筋の影が走った。
「でもね、あたしも本気でギャリーちゃんを倒すって決めたんだ。悪いけど単独首位、返してもらうよ」
股間に添えられた足が、うねるように動き出す。包み込み、擦り上げるような刺激に、下半身がいやおうなしに膨張する。ダイヤの足はその変化を見逃さず、下から上へ、裏筋に沿って何かを探るように爪先を動かす。
「……見つけた」
爪先はズボンのファスナーに到達すると、指先でそれを器用に摘み上げ、ジィとそれを下ろした。開いた窓から、タイツに包まれた爪先が侵入してくる。爪先は本来排泄用に作られた下着前方の穴に潜り込み、膨張した男性器の先端を直接擦り上げる。
「ぐ……っ!」
乱暴な刺激によりもたらされた痛みと快感に、喉からうめき声が出る。爪先はなおも執拗に、露出した鈴口をこねまわし続ける。
「ダイヤ、お前いい加減に……」
「いい加減に、なに? 雷が落ちてこないんだから、あたしが今やっていることはルールに反してないんだよ。当然、カードも消していないから摘発も出来ない。あんまりワガママばかり言ってるとぉ……っ」
ダイヤの蒸れた爪先が、亀頭を勢いよく擦り上げた。足の指とは思えない繊細な動きで尿道から亀頭の上部までを撫で回し、カリの裏側を掻く様に擦る。強すぎる刺激快感に、一瞬視界がフラッシュする。
「……負けちゃうかもね?」
「……ッ!」
ダイヤの手札、またも消失!
ギャリーの集中力が快感に乱される一瞬を狙ったイカサマで、手札が4枚から3枚へ!
「どんどんいくよっ!」
分身の手札から1枚引くと、 ダイヤはまたカップの淵をキンと弾く。
途端、下半身が今度は温かなぬめりに包まれた。
視線を下げれば、股の間にもう一人のダイヤ。目に光がない、三人目の分身だ。分身はギャリーの膝の間に潜り込み、男根をその小さな口でいっぱいに頬張る。
小さな舌が、うねりうごめき亀頭を這いまわる。
「くっ……」
その動きは緻密で繊細。こちらの受ける快感を感知し、時々に最も効果的な箇所を的確に刺激する。卓上での指捌きと読心術が、そのまま性技に落とし込まれたかのような完成度。
「気持ちよさそうだね〜♪ でも、気を散らしたらまた消えちゃうよ?」
ダイヤが挑発するように笑い、手札をひらひらと揺らして見せる。
共振、という現象をご存じだろうか。震動の波に、振動数が同じ別の震動が加わることで、その揺れが大きくなる現象なのだが……ダイヤの攻め方はまさにそれと同じであった。
断続的に背を駆け上る快感の波、その信号に応えるように新たな快感を与え、感覚の波を確実に増幅させていく。緩急において一寸のずれもないその攻めは、射精感に直結しそれを急激に上昇させる。
(くそ、意識が……!)
高まりに高まった猛りが頂点に達しようとしたその時。
分身の歯が亀頭の上面に引っ掛かり、刺すような痛みが走った。
「がっ!?」
痛みと快感、強烈な二つの刺激の処理に神経がオーバーフローし、またも視界がフラッシュ。射精感が一瞬退ける。
その時、ダイヤが動いた。
分身(ポット)に1枚カードを引かせ、残った手札は……2枚!
(まずい、今の間に消された! このままでは次の俺の手番で、奴の手札はゼロ枚になる!)
その時ギャリーに天啓が走る。
手を伸ばしざま、目前のティーカップに小指をかけ、それを宙に放る。弧を描き、テーブル中央に落ちていくカップ越しに、反射的に手札を庇いつつ驚愕の表情でソレを見つめるダイヤが見えた。
「はやく寄越せ! カードをっ!」
腰を跳ね上げ、股座の分身が亀頭を噛むより先にそれを喉奥に押し込める。臨界点に達していた炎が再度頂点に達し、いよいよ男性のシンボルを駆け上がる。
分身(ポット)が差し出す手札からカードを毟り取るのと、カップが鈍い音と共に捨札群の上に落ちるのは同時だった。
引いたカードは……Q。
それを認識すると同時に、一つの堰が決壊し、快楽の根源が噴出する。ノイズが脳を染め上げて、眩暈と共に意識が曇る。
四番勝負の三本目、ここにきて今日初めて、ギャリーは射精したのだった。
♦♦♦♦♦♦
「ちょっとギャリーちゃん!?」
ダイヤは射精より何より、まず血相を変えて捨札の上に落ちたティーカップを掬い上げた。カードを汚す行為はルール違反、それは対象が捨札だとしても変わりはない。ギャリーの行為は、とち狂ったとしか思えないものだった。
「あっ、空!?」
カップを手にして、初めてその中に茶が入っていないと気付く。特にカードに雫が散ったような形跡もない。何よりも、目の前のギャリーは未だ無事である。
(……なるほどね)
とりあえず、ギャリーが射精の衝撃で震えているうちにカードを1枚消してから、ダイヤは状況を整理した。
(このティーカップはつまり、ブラフだった訳だ。……してやられたなぁ。おかげで1枚、消し損ねちゃった。本当なら、ポットの手番で1枚、そして今のタイミングで最後の1枚を消すつもりだったのに……)
相手の手番で、相手の射精と同時にゲームに勝利する。行動を起こすことも許さず、勝負でも試合でも文句なしの圧勝、華麗なる完全勝利を飾る予定であった。
だが、ギャリーのなりふり構わぬ一手がその予定を狂わせた。
宙を舞うカップがダイヤの注意を引き付けているうちに、手番を回し手に入れたのだ。
最後のチャンスを!
(実際、最後の1枚消しに射精を合わせられなかったのはかなり痛い。2枚を1枚にするのと、1枚をゼロにするのじゃ、バレる確率が段違い。何か意識を反らす切っ掛けが欲しいところだけど……)
だが、それよりもだ。
ギャリーは手に入れたこの一手番で、いったい何をするつもりなのか。
親という、イカサマすら許されない立場で、ここから戦況を覆す逆転の手……ダイヤにはそれが分からなかった。
ちらとギャリーを見る。
吐精の影響だろうか、目の下のクマが一段と濃くなったように見える。疲弊した様子で自分の手札を確認し……特に捨てるカードもなかったらしい。そのまま分身(キャンドル)に1枚引くよう促す。
(やっぱり)
ダイヤの中の予感が、確信に変わった。
(ギャリーちゃんは、既に勝ちを諦めている。いまの一芸は謂わば最後の花火、『勝負に勝って試合に負ける』そういうこと……。こうすればあたしが悔しがると予想して、鼬の最後っ屁って訳ね)
心の奥底から、抑えがたい感情がふつふつと沸き上がってくる。
(………………大正解だよ! あぁあぁぁああ!! 超悔しい! あたしが一番得意なゲームで! かっこよく! 勝つのを! 邪魔されたばかりか! よりによってブラフイカサマ方面でしてやられるなんてぇーっ!! くっそー、敵ながら天晴だよ……。でもこの試合はあたしのモノ。ついでにギャリーちゃんもあたしのモノ。女王様のオシオキが終わったら、リベンジ戦、たっぷり付き合ってもらうんだから……! したら次こそ、勝つ!!)
ダイヤは抑えがたきを抑え、ぎりりと奥歯を噛みしめる。瞬間、天より閃光が走り、元キャンドルの分身に命中した。
「……は?」
突然の事態に目を見開くダイヤの横で、雷に打たれ黒焦げとなった分身がポンという空気の抜けるような音と共に消滅する。分身が座っていた椅子には、火の消えたキャンドルが微かな魔煙を纏い転がっているだけだ。
「え? あ……え? ちょっ、え、なに? なんで!?」
「さて一人脱落……。ここから逆回りか」
「いや、なに続けようとしてんの!? なに今の雷!?」
ダイヤが鼻息を荒げてまくし立てる一方、ギャリーは数秒前に手の届く位置に雷が落ちたとは思えないほど落ち着いている。
「さあな。大方、ルールに違反するイカサマでもしたんじゃないか?」
「そんなわけないじゃん!!」
「……『そんなわけない』?」
「あ、いや……。まあ、確かにそういうこともあるかもね……」
「……まあいい。ここから逆回りということは、また俺が引かれる番か……。こいつは僥倖だ」
淡々と事態を処理し、ゲームを進めようとするギャリーに対し、ダイヤは内心かなり動揺していた。
(お、おかしい! ポット婦人とキャンドル男爵は、あくまで数合わせ。言ってしまえば、自動で動くカードストックに過ぎないはず……。イカサマなんて、出来るわけない!)
……これは、作成者であるダイヤだけが知っている事実。隠しているわけではない。ギャリーには、ちゃんと『頭カラッポ』で『凝ったことはできない』と伝えてある。もし、ギャリーが彼等のイカサマに期待して見張っていたとしても、それはギャリーの理解不足……ダイヤの落ち度ではない。
(分身に姿を変えたとき……? ガワだけ変えて中身は弄ってないつもりだったけど、何か間違えた? このアタシが? それこそあり得ないよ!)
そうこうしているうちに、本日二度目の雷が煌めいた。ギャリーの手札を引いた分身が、煙と共にポットに戻る。
(……! 違う、ギャリーちゃんの仕業だ!)
まさに言葉通り、青天の霹靂である。
どうやっているかは分からないが、ギャリーは自分の手札を引いた二人に、イカサマを『させた』のだ。
「イカ……」
イカサマだ、と言いかけて慌てて口を閉じる。イカサマを指摘できるのは親である者のみ。第一、分身達が粛清される一方でギャリーが無事ということは、ギャリーの行為は掻い潜っているのだ。ルールの網を!
「さて、次は……」
射殺すような鋭い視線が、ダイヤを射抜いた。
先程までの余裕は一瞬で吹き飛び、一転狩られる恐怖が全身を支配する。
(お、おぉぉ、臆しちゃダメ! 気持ちの優劣は、そのまま現実の勝敗に繋がる!)
(まず、どうやってイカサマをさせたのか……。それを暴かないと、刺される! 分身二体と同じように……!)
恐怖を振り払い、ギャリーと分身達のやり取りを頭の中で思い返す。が、特に怪しい動きがあった覚えはない。ギャリーは手札を差し出し、分身がそれを引いた。そして雷が落ちる。それだけだ。
(くっ、もっとちゃんと見ておくべきだった!)
しかし、後悔は先に立たない。
もはや、覚悟を決めて引くしかない。ギャリーの手札を。
(雷が落ちた、ということはルールで許容されていないイカサマをした、ということ……。となると、まず思いつくのはカードを汚したり曲げたりする行為……。となると怪しいのは……!)
視線が空のティーカップに移る。続いて足を濡らす精液。テーブルの下にいた分身は喉を突かれた衝撃で消えてしまったので、精液はダイヤの足といわずテーブル下に飛散しているはずだ。
(これらはさっきまでこの場に無かった要素。このどちらかを利用して……? でも仮にそうだとしても、何をしたのかまでは皆目見当もつかない……!)
(いや、落ち着いてダイヤ。カードに何か仕掛けてるのは明らかなんだから、手札を引くタイミングで必ずソレが顔を出すはず……。ならば、そこで仕掛けを暴く! ……かなり不利な勝負だけど、アタシなら不可能じゃあない! 奇天烈夢幻のダイヤは、天下無敵のイカサマ師なんだから!)
覚悟を決めたことで、ダイヤの心がいつもの調子を取り戻す。むしろ不利な状況への挑戦だからこそ、イカサマ師の魂が高揚する。
ダイヤは余裕しゃくしゃくの表情を浮かべ、宣戦布告とばかりに言葉を紡ぐ。
「ギャリーちゃん、この場に来てまた随分大胆な賭けに出たねぇ。……でも、それあたしに通じるって、本気で思ってる? イカサマという分野において、ギャリーちゃんはあたしの――」
「いや、もう決着はついている」
冷たく、感情のない声で言い放つギャリー。その男がダイヤに提示し、差し出す手札は……1枚!
ダイヤが目を見開く。
(な……なんで!? ギャリーちゃんの手札は元々5枚。さっきの分身の脱落で2枚減って、今3枚のはず……。何をしたの? 親という立場で、どうやって!?)
(いや、今はそれよりも! 乗り切らなくちゃならない、この状況を!)
何か方法はないか。
互いの手札は揃って1枚、ダイヤが先に引く手番。
先にイカサマでカードを消す? だめだ。ラスト1枚消しは難度の高いイカサマ。一対一で向かい合って行うには、何か相手の気を反らすようなきっかけが必要だ。
引いたように見せかける? だめだ。如何にダイヤといえど、それは不可能。そもそもカードを消すという範疇を超えている。
(これは……つまり……あたしの……)
敗北。
その二文字を認めた時、ダイヤの心に張り巡らされた緊張の糸が、ふわりと緩んだ。
♦♦♦♦♦♦
「……」
「おい、ダイヤ。どうした、返事をしろ」
目を見開き、放心したまま微動だとしないダイヤ。
ギャリーが肩を揺すると、そのままカクンと首を折り、ククククという奇妙な笑いと共に肩を震わせ始めた。
ギャリーはすっと身を離し、何があってもいいよう身構える。敗北が受け入れられず、逆上するのかもしれない。そうなれば、魔術か幻術か知らないが、こんな非現実な存在に勝てるわけがないのだ。
ぐりん、とダイヤの首がひん曲がる。ギャリーが反射的に胴を庇った、次の瞬間――。
「あぁー!! 負けた負けたーー!! くやしーー!! でも楽しーー!! すっごいねギャリーちゃん! どうやったの、最後の! イカサマ押し付けたやつ! あと手札消したのも! ぜんぜん分かんなかったよー!」
ダイヤは目をキラキラと輝かせながら、ギャリーの腕に引っ付いてくる。
何が来るかと身構えていたギャリーは一瞬面食らい――すぐにいつもの不景気そうなポカー・フェイスに戻った。
「……教えられるわけないだろ。商売道具だ」
「むー! じゃあいいよ、自分で考えるから! ちょっとカード見せて。なにか仕掛けがあるはず……」
捨札からギャリーの使っていたカードを漁り、うんうんとうなり始めるダイヤ。その天真爛漫とした様子はまさに年相応といった感じで、勝負中の悪魔じみた様子は見る影もない。
「勝負の時とはまるで別人だな」
つい口をついて出た言葉に、ダイヤは心底不思議そうな顔を返す。
「勝負の時は全力出すもんでしょ? じゃないとお互い楽しくないじゃん」
その時、ゴロゴロという内臓に響く雷鳴と共に、空が曇天に変わった。生暖かい風が森の中を駆け抜け、ギャリーとダイヤの周りで渦を巻いた。
『どうやら決着はついたようですね。さあ、敗者ダイヤ。精算の時間です』
「あ、ジョーカー? ええっと……なんの話だっけ?」
『ほう、とぼけるつもりですか。敗北に加え、ゲームのルールまで侵しておいて……』
「まったまった! そりゃ、負けたのは事実だけど、別にルール違反はしてないでしょ!?」
『分身を使って対戦相手の妨害をするのはルール違反ではないと?』
突如、足元をつむじ風が駆け抜けた。お茶会セットが音を立てて吹き飛び、テーブルが倒れる。
『やはりこのテーブル、魔術的な目隠しが施されているようですね。どうにも様子がおかしいとーー』
ジョーカーが言い終わるより先に、ダイヤの下半身が輝く旋風に変貌する。切り裂くほどに鋭い風圧の中、「ギャリーちゃん、また遊ぼうね!」と短く聞こえたかと思うと、ダイヤはそのまま空に昇る流星のごとく飛び上がった。
『待ちなさい!』
叱咤の声と共に鋭い衝撃波が走る。が、それらはダイヤに届くより先に光となって消えてしまった。
ダイヤの化鳥のような笑い声が天に響く。
「じゃーね、おマヌケジョーカー! お小言は、ほとぼりが冷めてからきくから!」
次の瞬間、地を裂くような轟音がとどろきダイヤの笑いをかき消した。幾重もの稲妻が迸り、巨大な雷の壁となってダイヤの進路を塞ぐ。光の中に浮かび上がるダイヤのシルエットは酷く動揺した様子で、天の一点を見つめていた。
ギャリーはその視線の先、曇天を覆わん程の巨大な雷壁の中に――酷く曖昧な記憶ではあるのだが――『ソレ』を見た気がした。
圧倒的な怒気を纏い、天から降臨する小さな人影。その尊顔は見えねども、かのお方が偉大にて絢爛華麗、神々しくも純情無垢な存在であらせられることは気配で分かった。その崇高なる影像が、威風堂々たる所作でゆるりと片腕をお上げになると――。
『っ不味い!』
弾かれたようなジョーカーの声と共に、突風がギャリーを包み込む。周囲の風景が引き伸ばされたフィルムのように歪み、凄まじい勢いで彼方へと遠ざかっていく。溶けて混ざった風景色の向こうから、ダイヤの切迫した声が聞こえてくる。
「ちょ、まってまって女王様! あれはただの冗談で……え、なにソレ。…………いやムリ、ホントに死んじゃうから。ホントに極刑になっちゃうから。入んない入んない絶っっっ対入んないからっ!! あっ、やっ、うわーっ! ごめんなさいごめんなさいギャリーちゃん助け」
バタンッ!
勢いよく扉の閉まる音がして、気がつけばギャリーは鏡の間、ダイヤの扉の前で尻餅をついていた。
ダイヤの扉はそこにただ佇むだけ。もう、ダイヤの叫びは聞こえなかった。
♠♣♦♥♠♣♦♥♠♣♦♥♠♣♦♥♠♣♦♥♠♣♦♥♠♣♦♥♠♣♦♥♠♣♦♥♠♣♦♥
【鏡の間】
ヒールをカツカツと鳴らしながら、ジョーカーが歩み寄ってくる。
「ギャリー様、大変失礼いたしました。お怪我はありませんか?」
ゆるりと差し伸べられた手を取り、ふらふらと立ち上がるギャリー。最後、風景の歪みと共にダイヤの扉から弾き出されたことが思ったよりも効いているらしく、まだ足元がおぼつかない。
「それより、ダイヤはどうなる。俺が言うのもどうかと思うが、命を取るようなことは勘弁してやって欲しいんだが……」
「それを望むのならば、ギャリー様。まずはルール遵守の結界を破ったトリック、それをご教示ください。あれは私と女王様の自信作。如何に非凡な才を持つとはいえ、所詮は人間である貴方様に破られるとは……正直信じられません」
ギャリーはひとつ舌打ちをして、その『仕掛け』について語り始めた。
「……お察しの通り、くだらないトリックさ。ダイヤも言っていたが、分身達は本当に頭が空っぽらしい。手札を二枚重ねておいたら、本当に二枚纏めて引いた。それだけだ」
「成る程、確かに相手の手札を二枚引くのはルール違反。さらに分身が手札を引いた時点で、その札は分身のもの。分身の脱落と共に消滅し、自分の元には帰って来ない……。シンプルですが、よく出来た仕掛けです。しかし最後の最後、あの追い詰められた状況下でよくそれを発想し、しかも運命を託そうと思えましたね」
「最後? それは違う。俺は最初からこの策を実行していた。ダイヤにバレてルール改正でもされると面倒だから、手札の端に一組のみ……まあ、最初は分身達の挙動を調べるのが目的だったんだが。二巡目で男爵がこの重ねたカードに手を掛けたとき、この策は通ると確信した。結局、その時はダイヤの摘発が横槍となって失敗したがな」
「ということは、最後の手番に雷を落としたのは意図したものではなく……」
「ただの偶然だ。あそこで二連続で重ねたカードを引かれなかったら……あるいはダイヤに勘付かれ待ったを掛けられていたら、それ以前にあの時点で手札を5枚まで減らせていなかったら、あのまま負けていただろう。奇天烈夢幻のダイヤ、恐るべき相手だった」
ギャリーはジョーカーを睨みつけ、続ける。
「さてこれで全部話したぞ。勝利を確信したことで生まれたダイヤの油断も手伝ったかもしれんが、結局最後は運で勝ちを拾った。俺をイカサマ師呼ばわりして処刑するなら、それでも構わん。だが、ダイヤの処刑は約束通り取りやめてもらう」
ジョーカーはクスクスと笑い、ご安心ください、と応答した。
「ギャリー様をイカサマ師扱いする気も、ダイヤの命を取る気も御座いません。不思議の国では去年だけで730件の極刑が実行されましたが、受刑者のうち死者は0人。かわりに膣痙54人、新たな性癖に目覚めた者が465人、極刑が切っ掛けでなんやかんやで結婚した者が180人……ああ失礼、腹上死が1人いたようですね。ですが、その後蘇生されています。極刑は不思議の国でも人気のアトラクションなのです。……勿論、観客に人気の、という意味ですが」
ジョーカーはその場でくるりと回転すると、一転してフォーマルな態度でやうやうしく頭を下げた。
「それではギャリー様、此処まで大変ご苦労様でした。いよいよ最後の対戦相手……ハートの間でございます」
ジョーカーがすっと身を引けば、そこにハートの意匠が施された扉が出現した。ギャリーは手を伸ばし、その重厚そうな扉面に触れてみる。……固い感触。水面のように波打ったり、触手に引き摺り込まれたりはしない。
金属製のドアノブに手を掛けると、扉はギィという鈍い音と共に、ゆっくりと開いた。隙間から漏れ出した桃色の瘴気が、粘性を伴い足首に纏わりつく。
「これに勝てば貴方の願いが叶います。確認させていただきますが、ギャリー様の願いは『素晴らしいハンドを揃えること』。間違いございませんね?」
「……あぁ、間違いない」
漏れ出した瘴気の甘ったるい匂いが鼻を掠める。『危険だ』。勝負師の勘が、そう告げた。
だがそれでも進まなくてはならない。それもまた、勝負師の性なのだ。
ギャリーは意を決し、桃色の霧を掻き分けその奥に潜む最後の相手を探しに行く。
背後で扉の締まる音がして、頭の中にジョーカーの声が響く。
「ハートは女王様の寵愛を受けし者。彼女の言葉は道理を超えて、知らぬを知って見えぬを見る。気をつけなさい、最後の一人は、選ばれし者……」
17/04/23 13:55更新 / 万事休ス
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