エピローグ
「ミーファぁ、もう無理だよう」
「無理じゃありません! やるんです!」
ミーファが再生後回復した右腕で、バンと小さな机を叩いた。
「でもぉ〜」
エミール少年が分厚い、辞典のような本の上に突っ伏す。
三人は無事国境を越え、汽車からも誰にも気が付かれずに脱出し、今はある街のスラムの入り口辺りにある小さな掘っ立て小屋に身を潜めていた。
「よいですか坊ちゃま」
ミーファが影の蔦をしゅるしゅると操り、突っ伏した少年の頭をぐいと持ち上げる。
「先の騒動で、坊ちゃまは何人もの貴族の『人身売買への関与の現場』を目撃してしまいました。あの後何人かは摘発されたようですが、あの場にいた人数には遠く及びません。今後、彼らが目撃者を消すために、刺客を差し向けてくることは十分に在り得るのですよ!」
そして、少年の手元に開かれた分厚い魔法教本をまたもやバンと叩く。これは、完全に説教の姿勢である。
「坊ちゃまの敵の排除は私の領分です。しかし! ある程度ご自分の身を守れるだけの力は身に着けておいても全く損ではありません! むしろ、今後必ず役に立つときが来るでしょう! ですからまずは最低でも『防御』『回復』『解毒』そして『浮遊』『拘束解除』『目晦まし』! この辺りの魔法は身に着けて頂きます! できれば『転移』も! 大丈夫です、奥様は大変才能に溢れた魔女でした。その血を引く坊ちゃまが魔法を使えないはずはありません! 訓練を重ねれば世に名を残す大魔導士にだってなれるでしょう! 本来ならばこういったことは魔女である奥様が直々にご指導すべきなのはあたくしも理解できますし、それが最も望ましいという点には同意致します。しかし! だからこそ! 奥様があのようになられてしまっている間は護衛兼教育係であるあたくしが坊ちゃまを旦那様や奥様にお見せしても恥ずかしくないような立派な殿方に……」
「ボス! 姉御! 大変です!」
延々続くミーファの講釈を遮るように、長い金髪の少女が部屋に飛び込んでくる。
余程急いできたのか、その息は荒く、美しい金髪のウィッグが若干前にずり落ちてしまっている。当然、人間に変装したサラである。
「あら、サラ、どうしましたの? さっき情報収集に行くって出てったばかりじゃないですの」
「そんな場合じゃないっすよ!」
彼女は息を切らしながら、懐から一枚の紙を取り出す。
余程慌てて突っ込んだのか、くしゃりと潰れてシワが寄ってしまっている。それをパンパンと簡単に伸ばして、ミーファとエミール少年に差し出した。
二人はそれを覗き込む。
どうやら号外のようだ。
発行日は今日。
一面記事のすぐ横に、先日の火薬庫爆発の事件の記事があった。流石に隣国の事件であるため扱いは小さいが、その後の顛末は読み取れた。
結局火事の原因は不明。夏至祭用の大量の花火が消える結果となったが、周辺の花火職人連合の寄付により、祭で打ち上げる分の花火は無事に確保できたらしい。
そして、この火事による死傷者は無し。火災現場からは特に死体が見つかったりはしなかったようだ。
「やはり、生きてますのね……」ミーファが重苦しい声で告げる。生きている、というのはアリーシャのことだ。彼女は戦い方からして炎の術を得意としているようだった。花火の爆発に巻き込まれた程度ではくたばるまい。
「いやいや、そこも大事ですけど、その下ですよ!」
サラがじれったそうに指をさす。
そこには、ここからほど近い村で魔女狩りが行われ、魔女一人を確保することに成功した、といったことが書かれた記事があった。何でも三日後の夜に、火あぶりの刑に処すらしい。
「怖いね……」
エミール少年が呟く。
「怖いね、じゃないですわよ坊ちゃま!」
ミーファが豹変したかのように、ヒステリックに叫ぶ。
「奥様がそうであったように、魔女の背後にはサバトがいるものですわ! これは、サバトとの接触のチャンスです!」
ミーファの言葉に、サラがこくりと頷く。
「市場で、これからこの村の方角に向かう商隊を見つけておきました。二人までなら馬車に乗せてくれるってことで交渉済みです。姉御はまた影に隠れててください。街門で落ち合うことになってるんで、急いでください!」
「でかしましたわ! 急いで出発の準備を!」
「合点承知!」
サラがそこかしこにあるものを手当たり次第に背嚢に詰め込む。
ミーファも影の蔦を部屋中に伸ばし、必要なものを手元に引き寄せていく。エミール少年の手元にあった魔法教本も、その蔦によって回収された。
「坊ちゃま、何してますの!」ミーファが叫ぶ。
「ちょ、ちょっと待って、えっと、えっと……」
エミール少年が忘れ物は無いか確認をする。
着替え、お菓子、サバトに身分を証明するための家名入りのペンダント、そして……母の眠る、小さな鏡。
「アタイ、先に街門に行ってます! もし出発しそうになってたら、何とか食い止めとくんで!」
サラがそういって、小屋を飛びだす。
「坊ちゃま! もう! 早くしてください!」
ミーファに急かされ、少年も急ぎ自分の背嚢をしょいこみ、小屋を飛び出した。
サラはもう見えない。流石、足の速さにかけては一級品である。
「走って下さい! 置いてかれたら、お尻ぺんぺんじゃ済みませんでしてよ!?」
ミーファの声は、殆ど絶叫に変わっている。
「何としてでも、お家を再興いたしますわよ!」
果たしてサラが捕まえたという商隊とはどのような人達なのか。捕えられた魔女というのは、母を鏡から救い出すだけの力を持っているのか。サバトと接触できたとして、彼女らは本当に自分達を助けてくれるのか。父と母を助け出したとて、お家の復興は可能なのか。そして今後、どのような刺客が彼らの前に立ちはだかるのか。
分からないことだらけだが、少年は、今はまだ前に進める。
だから彼は、今はとにかく前に進むことだけを考えて、街門に向けて力いっぱい、その一歩を踏み出した。
「無理じゃありません! やるんです!」
ミーファが再生後回復した右腕で、バンと小さな机を叩いた。
「でもぉ〜」
エミール少年が分厚い、辞典のような本の上に突っ伏す。
三人は無事国境を越え、汽車からも誰にも気が付かれずに脱出し、今はある街のスラムの入り口辺りにある小さな掘っ立て小屋に身を潜めていた。
「よいですか坊ちゃま」
ミーファが影の蔦をしゅるしゅると操り、突っ伏した少年の頭をぐいと持ち上げる。
「先の騒動で、坊ちゃまは何人もの貴族の『人身売買への関与の現場』を目撃してしまいました。あの後何人かは摘発されたようですが、あの場にいた人数には遠く及びません。今後、彼らが目撃者を消すために、刺客を差し向けてくることは十分に在り得るのですよ!」
そして、少年の手元に開かれた分厚い魔法教本をまたもやバンと叩く。これは、完全に説教の姿勢である。
「坊ちゃまの敵の排除は私の領分です。しかし! ある程度ご自分の身を守れるだけの力は身に着けておいても全く損ではありません! むしろ、今後必ず役に立つときが来るでしょう! ですからまずは最低でも『防御』『回復』『解毒』そして『浮遊』『拘束解除』『目晦まし』! この辺りの魔法は身に着けて頂きます! できれば『転移』も! 大丈夫です、奥様は大変才能に溢れた魔女でした。その血を引く坊ちゃまが魔法を使えないはずはありません! 訓練を重ねれば世に名を残す大魔導士にだってなれるでしょう! 本来ならばこういったことは魔女である奥様が直々にご指導すべきなのはあたくしも理解できますし、それが最も望ましいという点には同意致します。しかし! だからこそ! 奥様があのようになられてしまっている間は護衛兼教育係であるあたくしが坊ちゃまを旦那様や奥様にお見せしても恥ずかしくないような立派な殿方に……」
「ボス! 姉御! 大変です!」
延々続くミーファの講釈を遮るように、長い金髪の少女が部屋に飛び込んでくる。
余程急いできたのか、その息は荒く、美しい金髪のウィッグが若干前にずり落ちてしまっている。当然、人間に変装したサラである。
「あら、サラ、どうしましたの? さっき情報収集に行くって出てったばかりじゃないですの」
「そんな場合じゃないっすよ!」
彼女は息を切らしながら、懐から一枚の紙を取り出す。
余程慌てて突っ込んだのか、くしゃりと潰れてシワが寄ってしまっている。それをパンパンと簡単に伸ばして、ミーファとエミール少年に差し出した。
二人はそれを覗き込む。
どうやら号外のようだ。
発行日は今日。
一面記事のすぐ横に、先日の火薬庫爆発の事件の記事があった。流石に隣国の事件であるため扱いは小さいが、その後の顛末は読み取れた。
結局火事の原因は不明。夏至祭用の大量の花火が消える結果となったが、周辺の花火職人連合の寄付により、祭で打ち上げる分の花火は無事に確保できたらしい。
そして、この火事による死傷者は無し。火災現場からは特に死体が見つかったりはしなかったようだ。
「やはり、生きてますのね……」ミーファが重苦しい声で告げる。生きている、というのはアリーシャのことだ。彼女は戦い方からして炎の術を得意としているようだった。花火の爆発に巻き込まれた程度ではくたばるまい。
「いやいや、そこも大事ですけど、その下ですよ!」
サラがじれったそうに指をさす。
そこには、ここからほど近い村で魔女狩りが行われ、魔女一人を確保することに成功した、といったことが書かれた記事があった。何でも三日後の夜に、火あぶりの刑に処すらしい。
「怖いね……」
エミール少年が呟く。
「怖いね、じゃないですわよ坊ちゃま!」
ミーファが豹変したかのように、ヒステリックに叫ぶ。
「奥様がそうであったように、魔女の背後にはサバトがいるものですわ! これは、サバトとの接触のチャンスです!」
ミーファの言葉に、サラがこくりと頷く。
「市場で、これからこの村の方角に向かう商隊を見つけておきました。二人までなら馬車に乗せてくれるってことで交渉済みです。姉御はまた影に隠れててください。街門で落ち合うことになってるんで、急いでください!」
「でかしましたわ! 急いで出発の準備を!」
「合点承知!」
サラがそこかしこにあるものを手当たり次第に背嚢に詰め込む。
ミーファも影の蔦を部屋中に伸ばし、必要なものを手元に引き寄せていく。エミール少年の手元にあった魔法教本も、その蔦によって回収された。
「坊ちゃま、何してますの!」ミーファが叫ぶ。
「ちょ、ちょっと待って、えっと、えっと……」
エミール少年が忘れ物は無いか確認をする。
着替え、お菓子、サバトに身分を証明するための家名入りのペンダント、そして……母の眠る、小さな鏡。
「アタイ、先に街門に行ってます! もし出発しそうになってたら、何とか食い止めとくんで!」
サラがそういって、小屋を飛びだす。
「坊ちゃま! もう! 早くしてください!」
ミーファに急かされ、少年も急ぎ自分の背嚢をしょいこみ、小屋を飛び出した。
サラはもう見えない。流石、足の速さにかけては一級品である。
「走って下さい! 置いてかれたら、お尻ぺんぺんじゃ済みませんでしてよ!?」
ミーファの声は、殆ど絶叫に変わっている。
「何としてでも、お家を再興いたしますわよ!」
果たしてサラが捕まえたという商隊とはどのような人達なのか。捕えられた魔女というのは、母を鏡から救い出すだけの力を持っているのか。サバトと接触できたとして、彼女らは本当に自分達を助けてくれるのか。父と母を助け出したとて、お家の復興は可能なのか。そして今後、どのような刺客が彼らの前に立ちはだかるのか。
分からないことだらけだが、少年は、今はまだ前に進める。
だから彼は、今はとにかく前に進むことだけを考えて、街門に向けて力いっぱい、その一歩を踏み出した。
15/03/30 00:31更新 / 万事休ス
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