連載小説
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ギンは泣き虫
二日目になってすぐ、ギンが顔を真っ赤にしながら傷薬のケースを差し出しながら言った。

「塗って!」

湧水を煮沸していた千鳥はそのギンの言い分に、真顔でうなずいた。

「頭も打ってたのか」
「違う! ……羽根だから、うまく塗れないの」

全身の治療するまでもない細かな打撲や切り傷などを治療するために、千鳥がギンに渡したものだ。
昨日渡し、全身まさぐられたくないと主張するギンが自分で塗ると言って自分の寝床に持ち込んでいた。
なのに、日が明ければ逆転だ。千鳥は憐れみをたたえた目で見ていた。

「羽根に全部染みちゃって、全然だめで……」
「なんで塗る前に気づかないんだ」
「ハーピーの集落には、この手のには薬さじがついてて、それで塗るの!」

むきぃと顔をさらに赤くして怒り出し、地団駄まで踏む。
その衝撃で腹の傷に響いたのか呻いていたが。
まあ正直、千鳥は治療というなら断るつもりもない。
さりげなく傷薬を受け取り、ふたを開けるとギンに視線を向けた。

「とりあえず、どこまで傷があるんだ?」

ギンは十秒黙って、下を向きながらぼそっと言う。

「お、おっぱいの下側くらい」
「……塗るのか、俺が」
「ぬって。がまんするから」

ぺたんと座り込んだ彼女は、すでに覚悟を決めたようでがばりと服を脱ぐ。
千鳥は思う。この女、自分の我慢は考えてもこちらの我慢を一切考えていない。
お前はそれで大丈夫なのかと思いながら、千鳥は傷薬のケースを開けた。

「お、おっぱい……」
「おまえはなにをくちばしっている」

目をぐるぐるさせながら自分の薄っぺらい胸部を見下ろしている。
何か嫌なことでもあったんだろうか。

「じゃあ塗るぞ。動くなよ」
「……るなら」
「は?」
「動いて揺れるなら……いくらでも動くわよぉ!」
「だから何の話だよ!?」

この魔物は混乱している。
千鳥はどうにか落ち着かせようとした。
無神経にも、千鳥は言う。言ってしまう。

「――そんな起伏のない身体、男と変わらないだろ」

直後、当然ギンに蹴られた。
紆余曲折し、大人しくしたギンをなだめつつ、どうにか千鳥は手を伸ばした。
まず背中、無難に肩当たりから肩甲骨に、指を這わせた。

「ひゃぅ……」

お約束のように声を上げる。
むしろお約束過ぎて反応しないまであった。

「ん、ぅ……」

背中が火照って赤くなっていくギン。
そのうち傷薬が薄く伸びていき、しっとりとした触り心地になる。
彼女は種族的に肉が薄く骨ばっていて、それでも熱が高まっていく感じが手のひらにリアルタイムで伝わっていく。
覚悟していた声より生々しくて、いろんな感情を持て余し息が苦しくなっていく。

「せなかぁ……」
「こし、いく。きをつけろ」

棒読みで対応する千鳥だが、魔物特有の火照りやすい敏感ボディで聞き逃している。
そのまま指がわき腹をなぞり、そっと腰の方へ。浅い切り傷に指が触れるとひと際大きくギンが震えた。

「これで……終わりだ!」

勢いよく手を放して、やり切った感を醸し出す千鳥だったが、身体を真っ赤にしたギンが振り返る。

「次、前お願いね」

身体中を火照らせながら、息も荒く目を潤ませながら胸の先端だけ隠しているギン。
ヘソのあたりを汗が垂れていく光景を見て、千鳥は感情を殺した。
顔を真っ赤にするギンと対照的に、千鳥は真顔で残りの傷薬を塗り切った。
逆に納得のいかないギンに少しだけ雷を当てられて、千鳥は世の理不尽を恨んだ。



三日目の朝、ギンの寝床からのうめき声が響いた。
驚いた千鳥がよくわからない草でつくった仕切りの隙間から慌てて顔を出す。

「ギン!?」
「うぁ、目が……」

ギンが蹲り、目を隠している。
それを見て経験がある千鳥はその横に近づき、その身体を起こして水のところまで運んでいく。
ギンが左眼に当てていた腕を外させて、ようやく顔を覗き込んだ。
青く濁っていたスライムの治療薬が、黒ずんで乾き始めているのがわかる。

「剥がれるぞ、腕噛むか?」

舌を噛まないよう千鳥が差し出した腕を噛むギン。
今回は布を巻いていないため、ギンの肉食に近い歯が食い込んで血が流れる。
痛みに耐えながらしばらく待つと、目に張り付いていたスライムがぱりぱりと剥がれ落ちる。
魔力を失ったスライムは乾いた表面と粘ついた内側が合わさった塊になり、剥がれた下の傷跡はやはり醜くはあるが昨日よりも大分マシになっていた。
粘ついている傷跡を濡らした布巾をふき取ると、息も荒くギンが傷を確かめるように水面に顔を映す。

「大丈夫か?」
「うん……傷は、やっぱ残るよね」

ギンはそっとつぶやいた。
女の顔に一生モノの傷。
ギンは当然のごとく落ち込む。
だが千鳥はキョトンとしながら首を傾げた。

「傷があっても充分美人だぞ、ギンは」

真っ赤になったギンに殴られ、千鳥は理不尽に打ち震えた。

「なんで殴る!?」
「そーいうの、いきなり言うな!」

彼女の腕は羽根なので殴られたとことで痛くはないが、ギンは普通に怒っている。

「ちゃんと褒めたぞ!?」
「いきなり褒めないでよ!」
「理不尽!?」

正面から顔を見合わせて、数秒。
彼女の左眼の傷をよく見る。
傷の端の方はほとんど閉じきっていて、治り切っていない部分にしてもすでに色を赤から白に近いものへ変えている。
傷は決して消えない。それでも癒えている。
少しだけアンバランス。それでも千鳥は……醜くい傷跡を残したギンの顔から、目はそらさない。
千鳥の視線に強く貫かれて、ギンがそっと視線をそらした。

「伝わった?」
「……こっちの目にも治療符お願い」

うなずいたギンが静かに言った。
治療符を張ってから包帯で綺麗に眼を覆い、いかにもな隻眼となったギン。
包帯を巻いた時にわずかに触れた頬が、濡れていたことを千鳥は指摘しなかった。
その後、やはり全身に傷薬を塗り込み、落ち込んだギンは昨日と同じ状態に戻った。
やはり雷に打たれて、千鳥は年頃の少女との関わり方について結構悩んだ。



そして四日目。

「水浴びしたい。お風呂入りたい」

暖かい濡れタオルで身体を拭いていたギンは、そう呟いた。
もちろんわかっている。この現状では贅沢過ぎる話だ。
怪我をした状態で湧き水を浴びれば、そこから傷が悪化するかもしれない。
腹の傷は塞がりかけているが、それでも万全ではない。
なんとなくギンの頭の中で「ダメだゾ」とのたまう千鳥がくるくる回りだした。そこはかとなくイラつく。
あと一日。明日にはここを発つのだからと言い聞かせて身体を拭く。

「チドリはデリカシーないよねー。助けてくれてありがたいけどさー」

文句も言いたくなる。
命の恩人だし、きっといい人だ。
千鳥を嫌いになれない自分がいるのは確かだ。
だけど、それでも。許せないことはいろいろあるのだ。
起伏のない身体云々は今でも怒っている。無事に生きて帰ったらサバトにでもぶち込んでやろうか。

「むっ」

ようじょに囲まれて「やっぱり時代はつるぺただな」と頷く千鳥を思い浮かべて、もっとイラついた。
やっぱりこの案は無しだ。ギンはやはり自分で、千鳥の性癖を変えてやろうと頷いた。
三秒後に顔をブンブン振りながら真っ赤にして、前言撤回するが。

「なんで私があいつの性癖を変えないけないのよ……!」

失礼な発言を撤回させるだけでいいんだ。
巨乳好きなんて不毛なのだ。アレは持つもののみの特権であり、世の女子の七割は貧乳だ。
幼子がつるぺたなら巨乳と貧乳が半々なわけがない。巨乳は少数派、アレを求めるのは効率が悪い。
貧乳がいい。それも幼くない、成長してなお貧乳が一番だ。
……しかしギンは気づいていない。成長した貧乳の数は巨乳と互角なのだと。あと普通乳の存在もすっぽ抜けている。

「それにしても、チドリ遅いわね」

朝から身体を拭いているギンだったが、なぜか千鳥が起きてこない。
彼は草で作ったカーテンの向こうで寝ているが、いつもならそろそろ起きてきて来るはずだ。
多分デリカシー無い無い人間の彼は何のためらいもなくカーテンをくぐり、身体を拭いているギンを見て「もう怪我は大丈夫そうだな」と頷いて普通にこっちに来るだろう。
ギンはいつでもそんなヤツを迎撃するつもりで警戒していたのだが、一向に来ない。
服を着て身だしなみを軽く整え、治療負の効果ですでに骨もつながった左腕の添木を外しながらギンは千鳥の寝顔を覗く。

「チドリ? チドリ……!?」

彼はうなされていた。
驚き慌てて彼に触れると、その顔は酷い熱を発している。
まずい、とギンは思った。
ギンは旅人ではない。千鳥は武者修行の一環として応急処置に詳しかったが、ギンには今の千鳥がただの風邪なのかそうでないかがわからない。
とりあえず急いで、湯冷しの水と、湧き水に浸した濡れ布巾を持ってくる。
顔の汗を拭い、状態を起こして少し水を口に含ませると、千鳥の表情はいくらかマシになった。

「チドリ、大丈夫? 死んじゃやだよ……?」
「う、ん……ギン?」

泣きそうなギンの顔に、起き抜けながら苦笑する千鳥。

「何で……あぁ、俺、熱出てるのか。大丈夫、すぐ治るよ」
「でも、だって……私を看病してたせいじゃないの?」

ギンは重症だったが、千鳥も雷に打たれた怪我人だった。
それを彼女は完全に失念していた。
疲労は確実に蓄積していた。その疲労の元も、原因も。全部が全部ギンのせいだ。
急速に自己嫌悪に陥る彼女は、千鳥の汗を拭いながら必死に声をかけた。

「薬とか、持ってる? バックパックのどこ?」
「ケース、がある。外の右側のポケット、木のケース」

言われた通りに探せば確かにそこにある。
中から指定された薬草を取り出し、ギンは迷わずそれを自分の口に含んだ。
嚙み潰し、柔らかくしたそれを口移しで千鳥に与えると、千鳥も迷わずそれを受け止めて飲み込んだ。
水を飲ませ、額に絞った濡れ布巾を置きつつ寝かせると、彼は弱々しくギンに手を伸ばした。
羽根先で千鳥と手を繋ぎ、彼女は潤んだ瞳を彼に向ける。

「いいか、明日になっても、俺が治らなかったら、置いていって……構わない」
「いや、いやだ。そんなことしない」
「……言うと思ったよ。なら……出来るようなら。財布と刀を持って、俺を近くの街まで運んで、くれ。最悪、それさえあればいい」

それぐらいなら運ぶに支障は無いと、ギンは力強く頷いた。

「商人ギルドに、紹介状が荷物の中にある。アレを持って行って、事情を話すんだ。仲間の捜索隊と、魔物狩りの討伐がされる。されなかったら、俺宛の金を受け取って、それで傭兵を雇うといい」

そこまで言い切ると、千鳥は精神的にも楽になったのか、静かに目を閉じて眠りについた。

「なんで……」

なんでそこまで、こんなに辛そうなのに。
どうしてここまで、人の心配が出来るのか。
ただのお人好しか、なにか理由があるのか。
それとも……。

『君は俺が守るから……!』

そういうことなんだろうか。
ギンは悩みながら、千鳥の看病をした。
心があったかくて、また少しだけ泣いた。



五日目。

「いやぁ、参った。女心考えた結果の知恵熱だよ、コレ」

ギンは迷わず蹴りを放った。
15/10/15 01:37更新 / 硬質
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■作者メッセージ
某もののけのあのシーンがすごく好き

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