第一章第五節 銀色の怪物
銀の仕業、という言葉がこの辺りにはある。
有名な人、話題になっていた人がある時急に姿を消す。それを指して、ああ銀にやられたのだ、と言ったりする、ジパングの神隠しと似たような使われ方をする言葉だ。
とはいえこれは古い慣用句であり、本当に銀という存在を信じている者は居ない。銀なんて存在、居るはずがない。
……だけど私は、この言葉に関する他の言い伝えも思い出さずにはいられなかった。
曰く――銀にやられた者は、もう二度とは帰ってこない。
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苦しんでいた。
銀の肉体を軋ませながら、金属が擦れるような音でゴーレムが叫ぶ。
「――――――!!!」
左半身、男の肉体が右半身に奪われた部位を取り戻していく。そして、それだけに留まらず、右半身へと侵食していく。
肉体の中心部は、左右の肉体によるせめぎ合いとなっていた。
「強い力を加えれば、より強い反発を招く事が有ります」
フォリーの背後で、酷く冷静にアランが告げる。
「だからこそ、あのゴーレムは時間を掛けていたとも言えるでしょう。とはいえ捕らえられていた人達の事を考えるとそのままにさせておく訳にもいかない。だけどあのゴーレムの事を見捨てたくもない」
酷く冷酷に、アランが告げる。
「欲張り過ぎましたね。能力以上の事を、望んでしまった。貴女では力不足だった」
ゴーレムが、触手を生やす。
無数の触手が、振り回される。
ただ暴れるだけのようなその行動は、周囲の壁や天井をひび割れさせた。
強固な保護魔法の掛けられたそれらは、魔王城の城壁にも匹敵する要塞である。
危険だった。
今のあのゴーレムは、危険極まりない怪物だった。
「さて、次はどうします?」
やはり冷静に、アランは告げた。
「全てを救いたいと言うのなら、まだようやく半分ですよ」
やはり簡単に、アランは告げた。
「一度の失敗で諦められるのでしたら、それでも別に、構いませんが」
――フォリーは、迷わなかった。
「ごめん!」
振り向きざまに、叫びざまに、アランに向かって飛び掛かる。
「ですから何をする気なのか先ず説明を――」
無視。というかそんな時間は無い。
フォリーは口元の布をずり下げると、そのまま大口を開けアランの首筋へとかぶり付いた。
――ゴーレムの、あの姿を見た瞬間、フォリーは次の準備をしていた。
残ったなけなしの魔力を、使い切るのに失敗した、使い切れていればあるいはこんな事にならなかったであろう魔力を掻き集めて、自分の口元を変化させる。
イメージするのはヴァンパイア。アランの血を舐めた時に思い付いた。足りない魔力を、これで補う――!
「痛い痛い、痛いです」
あ、痛み止めの事考えて無かった。マジでごめん。次に活かすから許して下さい。
とりあえず舌で舐めておきながら、急ぎ血液を吸い上げる。
血の味は好きではないが、しかし身体に染み渡る。癖になりそうな、この感覚。アランの精は、やはり良質なようであった。
いやもうぶっちゃけると、自分と相性が良いようであった。もうアレだ。ダメだこれは。癖になるというか、癖になった。
いっそ、このまま離したくない所なのだが――
「――――――!!!」
――そうも言っていられない。
背後から、敵意を感じる。触手を振り回していただけのゴーレムが、ようやく当たり散らす標的を見付けたのか。
……あるいは単に、目の前でイチャつかれた事に苛立ったのか。
ともあれ名残惜しくも牙を抜くと、フォリーは剣を抜きながら振り返った。
ただし自分の剣ではなく、アランの剣を。
「《偽・竜の吐息》!」
剣先から炎がほとばしる。
ドラゴンブレスを擬似的に再現した魔法だ。フォリーが好んで使う、広範囲への攻撃手段である。他者を巻き込んでしまう恐れのあった先程までとは違い、こういった戦法も今度は取れる。しかもアランの剣は魔法を増幅させる、いわゆる魔法使いの杖としての役割も有るという。結果、予想よりも遥かに強力な炎が触手を襲った。
――本調子の時と比べると、明らかに火力は落ちていたが。
フォリー自身の魔力が急場凌ぎの状態である。どうした所で無理なのは分かっていた。
それでも、やれるだけの事を、やるしかない。
「――――――!!!」
向かってくる触手の内、半数以上が焼け残っている。
それだけの数を、迎え撃つのは不可能だ。ましてや攻撃魔法を撃ち続けたままでは、満足に剣も振るえない。
それでも、フォリーは自分の剣を抜いた。まだだ。まだ、自分は、諦められない。
自分の事は、諦められる。愚図だ、無能だ、脳筋だ。姉妹の中の落ちこぼれだ。それで、別に、良しと出来る。
だけど、他人の事は諦められない。
落ちこぼれの自分が――どうして、他の誰かを駄目と決め付ける事が出来るのか。
自分に、そんな能力が、判断力が、有る訳が無いじゃないか――!
「――――――!!!」
それでも、触手は無慈悲に、フォリーを襲った。
「避けろ!」
背後から、声が掛かった。
無茶を言ってくれる。それでも、なんとか、避けた。意地だった。後先を考えない、強引な回避だった。
そして触手が、新たな炎に包まれる。
熱い熱い。フォリーはなんとか距離を取りながら、その放射される炎の元へと視線をやった。
ドラゴンが、居た。正真正銘、本物のドラゴンブレス。
確か、触手に捕まっていた内の一人である。そういえば、行方不明になった近隣最高の冒険者パーティーっていうのに、ドラゴンが居たような気がする。
そして彼女だけではない。捕まっていた他の者達も、各々の手段で触手の動きを抑えに掛かった。ある者は魔法や魔術で、ある者は肉体を駆使して。
――ああ、不覚にも、泣きそうになる。
そうだ。自分ですら、誰かを助けようと思うのなら。
他の魔物や人間だって、そう思わない訳が無いじゃないか。
「――――――――――――!!!!!!」
ゴーレムの叫びが、一際に大きくなる。
状況は、拮抗していた。後先を考えない、力任せに振るわれる触手達が、全て迎撃されている。
この勢いでの攻撃を、ゴーレムはそう長く続けられはしないだろう。
それが本能で分かっているからこそ、ゴーレムは焦りそして怒っている。
――フォリー達が、それよりも保たないであろう事を、理解出来ていないために。
フォリーは言うに及ばず、触手に捕らえられていた者達は散々に魔力を吸い上げられていた後である。不眠不休で交わらされ、栄養補給も出来ていない。命を繋げる程度に残されていた魔力では、どの程度戦える物だろうか。
あと少し、あと少しの所なのに。
焦っていたのはフォリーも同じだ。ゴーレムよりも冷静に戦況を判断出来ていたからこそ、今が千載一遇だと分かるからこそ、この状況が歯痒くて仕様がない。
「〜〜っ! アラン! 何とか! 何とかならない!?」
「無茶を言わないで下さいよ。私が出せる戦力はその剣だけです」
「くっ、この……! …………右腕! 右腕に何か隠してなかった!?」
「隠していますよ?」
「出してよ! それ!」
「嫌です」
「嫌じゃねえよ!?」
「では駄目です。フォリーさんの為に切れる手札は、現状ではその剣だけです」
「私のためじゃなくても良い! あのゴーレムのためでも、助けてくれている皆のためでも!」
「そういう問題ではないのですよ」
「なんでも! なんでもするから! アランのためになんでもするから! だから!」
「そういう問題でも、ないのですよ」
アランは、少し考えるようにしてこう続けた。
「そのゴーレムを見捨てる、と言うのでしたら使いましょう」
「……っ、な、なんで!?」
「私の目的の為、になるでしょうか。そのゴーレムを助けたいというのはフォリーさんの目的であって、私の目的では無いのですよ」
「そんな……!」
「とは言え邪魔はしていませんし、むしろ協力もしています。私としては、随分と良心的な対応をしているつもりですよ?」
「アラン…………お願い……!」
「駄目です」
全く取り付く島も無い。
いや、アランの言う事を信じるのなら、これでも甘い対応なのだ。
どういうつもりなのかは知らないが、アランはむしろ、このゴーレムを何らかの形で狙っている。
「ただまあ、フォリーさんが力尽きてしまうと言うのでしたら、その時には助けましょう。尤も、その際には私の目的を優先させて頂きますが」
「……目的。アランの言う目的ってなに!?」
「そのゴーレムを、破壊する事ですよ」
アランはやはり、感情を見せなかった。
「跡形も無く、痕跡すら残さずに消し去ってしまうのが最良です。その為なら、多少の被害には目を瞑ります」
「な、なんで!?」
「御話しても宜しいのですが、良いのですか? そろそろ皆さん、限界のようですが」
気付けば、拮抗は今にも崩れてしまいそうであった。
勢い余った触手達が、四方八方に激突している。壁を、天井を、今にも突き崩してしまいそうに。
「崩れますね」
見上げながら、他人事のようにアランが言った。そして事実、その通りになった。
天井が、崩れ落ちる。城塞染みた保護の掛かった、巨大な破片が土砂と共に。
――死ぬ。
あのゴーレムはともかく、それ以外はきっと助からない。
自分の力では、何も出来ない。
自分の力では、誰も助けられない。
自分の――力では――――――
「諦めましたね?」
土砂が、消えた。
崩れてくる天井が、何も無かったかのように全て消える。
「ではまあ次は、私の番という事で」
閃光が奔った。
ゴーレムの触手が、斬り裂かれる。
無数の触手が、塵と消える。
「厳しい事を言いますと、まあ、何です――」
鎖が、伸びる。
二本の鎖が、ゴーレムの左右の腕、そこから生える触手を縛り上げる。
これでゴーレムは、全ての触手が封じられた。
「――救う力の無い人に救われたって、迷惑だとは思いませんか?」
フォリーは、何も言えなかった。
それでも、なんとか、アランを見る。
そして――恐怖した。
「まあ借り物の力で消すだの破壊するだのと言っている私も、大概間抜けではあるのですが」
右腕から、骨が、突き出していた。
いや、骨ではない。骨と、血と、肉が絡まりあったかのような何かである。
アランの手を突き破って出て来たそれは、そして巨大な瞳を開いた。
フォリーを、見ている。笑っている。いや、嘲笑っている。なんて滑稽で矮小な存在なのかと、フォリーの事を嘲弄している。
「《破壊の枝》――表向きは、そういう名です」
そしてアランは、それを握る。
それで、これは剣なのだと、ようやく気付いた。
常軌を逸した、化け物としか言いようのない魔剣なのだと。
「さて、まあ、それでは」
とんと、軽やかに、アランが跳んだ。
それだけで、もう、ゴーレムの目の前に居る。
「さようなら。貴方に罪は有りませんから――存分に、私の事を恨んで下さい」
「――――――――――――!!!!!!」
「やめっ……!」
そして闇が、濁流のように、全てを呑んだ。
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目を覚ましたのは、ほんの数瞬後の事であった。
空が、見える。
下からすくい上げるようにして振るわれたあの魔剣は、地上までの大地を全て消し去ってしまったらしい。
「――やれやれ」
その声で、フォリーは意識をはっきりさせた。
アランを見る。アランは、あの魔剣を手にしたまま、地面に転がる何かを見ていた。
――ゴーレムだ。男性の形をしていた左半身を失い、女性型の右半身だけが残っている。
「ァ……ァ……ァ…………」
何か、呻き声のような物を、上げていた。
――良かった、生きてる。
あんな姿でも、まだ、きっと助かる。元々が人工物のゴーレムだ。そうやすやすとは死なないはずだ。
そう安堵するフォリーを見透かしたかのように、アランは溜息混じりの声を漏らした。
「外しましたか――無駄に苦しめるつもりは、無かったのですが」
そうして、魔剣を、振り上げる。
次こそ、確実に、仕留める為に。
次こそ、完全に、消し去る為に。
「ダメッ!!!」
フォリーは、叫んだ。
それしか、出来なかった。
だけど。
「何故です?」
銀色の髪を揺らしながら、アランはフォリーの方を見た。
髪と同じ、銀色の瞳が、鏡のようにフォリーを見据える。
――ああ、なんで、こんなに惹かれてしまうのかと思ったけれど。
ようやく、気付いた。確信出来た。
私は、英雄に、なりたかった。
そして英雄には――打ち倒すべき、敵が、必要なのだ。
だから、こいつが、この男こそが――
「……アラン」
――打ち倒すべき、否定すべき、私の敵だ。
私は、そのために、全てを掛けなければならない。
例え、勝ち目なんて、全く無いと分かっていても。
戦えば、死ぬと、確信しても。
「そのゴーレムを殺すなんて事はやめて! じゃないと、力尽くでも、私は貴方を――!」
「――死にますよ?」
アランは、やはり、冷静だった。
「嗚呼、違う。正確では有りませんでしたね――」
アランは、やはり、冷淡だった。
「――殺しますよ?」
アランは、どうしようもなく、冷酷だった。
16/03/25 01:44更新 / 森
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