第一章第四節 険しき道
フォリーは扉を蹴破ると、触手の海へと突き進んだ。
その口元は赤い布で覆われており、目元からも感情の色はうかがえない。戦いに際し、覚悟を決めた彼女の姿だ。容赦をせず、躊躇もせず、目的を果たす。そういった、彼女なりの自己暗示である。それは裏を返すと彼女生来の優しさを表しているのだが、当人にとっては単なる未熟さに過ぎなかった。そう覚悟を決めないと、剣を振るう手に不安が残る。ましてや今回は、これまでになく。
踏み込んできた侵入者に対し、触手達の反応はとりあえず早かった。絡み付いて捕らえようと、近場の者から彼女に近寄る。
そして、瞬く間に斬り裂かれた。
フォリーは振るう剣の手応えを確かめながら前へと進む。右手、魔界銀をふんだんに使った愛剣は思った通りに動いてくれる。魔力だけを斬り裂くこの剣身は、魔力によって作られた触手相手にも有効だ。そして左手。恐ろしいくらいによく斬れる。怖い。斬れ過ぎる。斬り過ぎてしまったらどうしよう。この剣は、魔力以外も斬れるのに。斬れてしまうのに。
彼女の左手に握られているのは、アランが腰に下げていた剣であった。彼曰く、抜こうとする度にすっぽ抜いてしまうあの剣である。
その剣は大振りな宝石で豪奢なまでに飾られていた。実用品にはとても見えず、金持ちというよりは成金が屋敷にでも飾りそうな代物である。だが育ちの良さによるものか、フォリーはその宝石一つ一つに強力な魔法が掛けられているという事を見抜いていた。そして刀身その物はミスリルによって作られた、恐ろしいまでに鋭く軽い名刀である。端的に言って、これは強力過ぎる魔剣だった。見た目に反し、徹底して容赦の無い武器その物である。――人質が中に居るかもしれない、そんな相手に振るうには、あまりに恐ろしい代物だ。こちらも手数を増やさなければ、無数の触手に抗し切れない。それはフォリーの判断であったが、今となっては借り受けた事を後悔してしまいそうだった。
だが幸いにも、相手は予想通りの動きを見せた。人質が取り込まれているであろう塊を、フォリーから離すように動かしている。あちらにとっても魔力を生み出す元に何かあってほしくはないのだろう。もしくは人を守ろうという、魔物としての本能だろうか。
しかし同時に、悪い予想も当たり出した。フォリーに向かう触手が増える。触手の動きも、的確にフォリーの動きを妨害してくる。必然、フォリーの足は鈍り出した。真っ直ぐ前へ、件のゴーレムへと向かう歩みが止められていく。
遠からず、フォリーの足は止まるだろう。しかしそれは拮抗ではない。魔力の供給を受け続けている関係上、余力においては圧倒的に相手が有利だ。斬った触手も、そう時間を置かずに再生してくる。時間が無い。このままでは詰んでしまう。
『出来るだけ時間を稼いで下さい』
そう、アランは言っていた。だからフォリーは、先が無いのを承知で剣を振るう。
足が止まる。触手が増える。だからなんだ、剣は振るえる。
元より、それしか素質の無かった身だ。姉妹の中の面汚しだ。ならせめて、それだけは全うしなければ、自分が存在する価値なんて無いじゃないか。
……フォリーの予想に反して、と言うべきだろうか、触手達は完全に攻めあぐねる形になっていた。状況的に、無理をする必要が無い、という事も勿論有る。時間はこちらの味方なのだ。しかし、例えそうでなかったとしても、この暴風のような剣舞を前にいったい何処まで出来ただろうか。物量で勝っているが故にこそか、気持ちの面で負けている。気迫において、敗北している。
だがそれでも、いずれは勝てる。触手を操るその人形は、冷静にそう判断していた。――惜しむらくは、このゴーレムが未完成であった事だろう。そうでなければ、ここまで露骨な誤判断をしなかったはずである。成程、現状はそれでもゴーレム側が有利だろう。だが何故、襲撃者に他の手が無いと判断出来るのだろうか。そして何より、認識外からいきなり現れた襲撃者の戦力が、この少女たった一人だと言えるのだろうか。
だから、こうもあっさりと急所を突かれてしまうのだ。
ゴーレムの触手が、全て止まった。フォリーを襲う触手も、男女を強制的に交わらせる触手も、等しく動きを停止している。
何故だ、何故こんな事になっているのだ。ゴーレムは焦り、そして混乱していた。何故、よりにもよってこんなタイミングで――停止命令を受けているのだ!?
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『ゴーレムへの対策としては、命令の書き換えが一般的です』
『書き換えって言っても……ルーン文字が見当たらないけど?』
『一般的な対策ですから。当然、製作側もそれを見越しています』
『じゃあ今は関係無いじゃん!?』
『いいえ。見た所、此処はあのゴーレムの研究施設です。ならば当然、命令を書き換える為の機材が有ります』
『……それ、使えるの?』
『はい。勿論、他者が使えないよう識別や暗号が有るでしょうが』
『……ねえ、だからそれ、使えるの?』
『そこは私が何とかします。ですのでフォリーさんは出来るだけ時間を稼いで下さい。ゴーレムの意識を引き付けて、私の事がバレないように』
『……分かった。命令を書き換えてしまえば、あのゴーレムは大人しくなるのね?』
『いいえ』
『いいえ!?』
『明らかに暴走をしていますから、効いて一時凌ぎが精々でしょう。ただ暫くは動きを抑制出来る筈ですから、その間に抜本的な対策を行って下さい』
『抜本的な、って……』
『あのゴーレムを破壊するか、でなければ捕まっている人達を救助するかです。後者の場合、その後に逃走する時間を再度稼ぐ必要が出て来ますので推奨は致しかねますが』
『破壊…………』
『私が切れる手札では、あのゴーレムを直接破壊する事は難しいです。ですのでどちらにするかの判断はフォリーさんに御任せします』
『………………分かった』
それなら、私は――
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ゴーレムの動きが止まった瞬間、フォリーは両手の剣を投げ付けた。二本の剣がゴーレムへと向かって飛ぶ。そんな無茶な使われ方にも関わらず、強力な魔剣達は標的を見事に斬り裂いた。ゴーレムの両腕を、その根本から。全ての触手が、地に落ちる。
だが次にフォリーは、ゴーレム本体を狙わなかった。
人質達を、助けようという物でも無かった。
耳飾りを、むしり取る。
姿が分からなくなる、耳飾りを。
自分自身ですら、例外ではない、感覚を狂わせる、耳飾りを。
「魔王が娘! モリフォリウムの名に於いて命ずる!」
右手を突き出し、イメージする。その先に、全ての力が集まる様を。
魔力が集まる。集まり、濃度を増した魔力が物質化する。黒く、黒く。粘液状のそれをまとめ上げる。丸く丸く、球体状に。
「受け入れなさい! 私の力を!」
足りないのなら、私があげよう。
「受け入れなさい! 新しい形を!」
変わりたいのなら、私が導こう。
……フォリーは、姉妹の中での出来損ないだ。少なくとも、彼女自身は信じている。自分は、戦うしか能の無い小娘だ。色気が無い。愛も足りない。偉大な魔王の娘として、魔物を導く事も出来ない。
でも、だけど。
――魔物らしく生きたくないだなんて、思った事は一度も無い!
そうして、フォリーは駆けた。不慣れで、不完全で、無駄ばっかりではあったけれども、全力を込めた魔力球を、あのゴーレムへと注ぐために。魔物の王女として、道に迷う魔物を導くために。
「――――――!!!」
ゴーレムが、吠えた。
左腕に、触手が生える。それはまるで、変えられようとする、消されようとする者の抵抗だった。
作り上げたその触手が、フォリーを打ち据えようと唸りを上げる。慣れない魔力の使い方をしたフォリーは、それを避けるだけの余力も無かった。そんな物が有るのなら、それすら魔力球へと注いでいた。今のフォリーに出来る事など、ただ願う事が精々である。
「……お願い!」
それだけで、触手が、斬り裂かれた。
アランの剣、投げ付けられたその剣が、ひとりでに宙を舞っている。
――まあ、フォリーは知っていた訳なのだが。
アランから、この剣はそういう物だと、説明をされていた訳なのだが。
だからこそ、一切の躊躇も無く、全力を注ぎ込めた訳だが。
全力以上を、注いでみたりしちゃった訳だが。
……思わず唇を噛み締めながら、今度こそ、魔力球を叩き込む。
動きを止め、徐々に女性側が広がるゴーレムの姿を見ながら、フォリーは思った。
仕方が無かったのです。これは非常時の、だからそう、ノーカンなのです、と。
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『――私は、あのゴーレムの事も救いたい』
『分かりました』
『…………えっと、もっとこう、驚いたりしてもいいんだよ?』
『何故ですか?』
『……実は私、魔物だって言ったら、アラン驚く?』
『いえ、別に』
『……アランってこう、魔物に対して理解がある方?』
『知識としてなら、程々に。感情面では別ですが』
『別なんだ……』
『むしろ嫌いですが』
『嫌いなんだ!?』
『はい。ただそれは種族単位の話であり、個々の存在に対する好悪の感情はまた別です』
『別なんだ……』
『フォリーさんの事は好意的に捉えています』
『好きなんだ!?』
『はい』
『……私の事をどう思うか、もう一回言ってみて?』
『フォリーさんの事は好意的に捉えています』
『……今のをこう、もっと平たく言ってみて?』
『フォリーさんの事は好きです』
『私の事が、なんなの?』
『フォリーさんの事が好きです』
『………………』
『フォリーさん? 急にその、顔に締まりが無くなりましたが、どうしました?』
『……ん、んっ。えっとその……そう! あのゴーレムを救うために! 私の魔力をあのゴーレムに注ごうと思うのよ!』
『はい』
『具体的な手順は後で詰めるとして、成功率を上げるためには私の魔力をより高めておく必要があると思うのね!』
『はい』
『なのでアラン! ……ちょっとその、目を瞑って?』
『何をする気か、先ず説明を』
『…………き、キスをします』
『成程。簡易の粘膜接触、及び体液の摂取によって微量ながらも精を取り込もうというのですね』
『……ま、まあそうです』
『落ち着きましょう。その行為は倫理的に問題が有ります』
『落ち着きません。魔物的には問題がありません』
『そうですね』
『……反論、しないんだ』
『そうですね』
『……抵抗、する?』
『私は別に。むしろフォリーさんが、本当にそれで良いのか考えるべきではと』
『…………』
『いえ、もっと正確に言うべきですね。こんな男に手を出しては碌な事にならな――』
ゴヅッ。
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――初めてのキスは、血の味でした。
酷い。あまりに酷い。全てが勢いだったとはいえ、これはあまりに、美しくない。
フォリーはのたうち回りたくなる衝動をなんとか堪えながら、魔力球を注ぎ終える。
こういう魔力の使い方が苦手なフォリーからすると、今回の出来は中々だった。恥をかきながらも精を補充した甲斐があった、という所だろうか。正直、ここまで効果が有るとは思わなかったというか、もういっそノリで言ってみただけだったのだが。
しかし、アランの精は美味かった。唾液というか血液でこれなら、精液の方はいったいどんな――
「フォリーさん」
「はひっ!」
思わず姿勢を正しながら、アランの方へと振り返る。
そこには触手の中から助けだされたと思しき男女達に毛布と飲料を渡すアランが居た。いったいどんな手際の良さだ。私よりもこいつの方が凄いぞ絶対。
「済みません、少し此方に。嗚呼、剣は拾っておいてくれませんか」
「……? うん」
言われた通り、二本の剣を拾い上げて鞘へと仕舞い、アランの方へと歩み寄る。
手を伸ばせば触れるくらいにまで近付いた辺りで、アランがフォリーの方を向いた。
「先ずは、御疲れ様でした。大体は作戦通りと言って良いでしょう」
「う、うん。ありがとう」
そう改まって言われるとなんだか照れる。
フォリーは思わず頬を染めるが、アランは変わらず涼しげだった。
耳飾りを外した事で、フォリーは魔物としての――リリムとしての力が剥き出しである。並の人間、しかも男が見ればただそれだけで魅了される、強力過ぎる誘惑の力。それを上手く制御出来ず、しかしそうである事を嫌ったが故に耳飾りに頼っていたフォリーであったが、幸いアランには通用していないようであった。
まあ正直に言って、それはそれで少し惜しい気もしなくはないが。
そんなフォリーの気持ちを知ってか知らずか、まあおそらく知らないであろうアランは平然とした様子で口を開く。
それはいっそ、冷たいとすら言えるくらいの冷静さで。
「しかし残念ながら、貴女の手は跳ね除けられてしまったようです」
「――――――!!!」
フォリーの背後で、金属の擦れるような叫びが聞こえた。
16/03/22 00:47更新 / 森
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