第一章第一節 偽名と愚行
『英雄になりたい』
それがその魔物の口癖だった。
彼女がそれを口に出す度、周囲の者達は優しくそれを見守っていた。何故なら、彼女はまだ幼かったからだ。
恋愛譚よりも英雄譚が好きで、勉強よりも運動が好きで、男の子のような振る舞いが好きな女の子。
つまりはまあ、普通の子である。
魔物としては、いささか変わっていると言えるだろう。だが、それも色気付いてくるまでの話である。その頃になれば自分が憧れその物になるよりも、その伴侶となる方がずっと素敵な事なのだと気付くはずだ。
周囲の者達はそんな優しい――そして、何処か生暖かい視線を件の少女に送り続けた。だからだろう、その彼女は成長すると、英雄になりたい、だなんて口にする事は無くなっていた。
思う事すら、無くなっていた。
『英雄に、ならなければならない』
幼い少女の憧れは、歪んだ強迫観念に成り果てていた。
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僅か一呼吸。たったそれだけの時間で、周囲の男達が斬り伏せられた。
アランは腰でも抜かしたかのようにへたり込みながら、呆然とそれを為した者の事を見上げている。
女だ。若い。口元を布で隠している。目は冷静に周囲を観察しており、感情の色が伺えない。
そして右手には、鮮やかに照りを返す、人肉色の長剣が。
血のような色で覆われた顔を見ながら、アランは思った。
まるで不審者みたいな格好だな、と。
……アラン自身、とぼけた感想だとは思ったが、思ってしまった物は仕方がない。だから服装、外見、身嗜みは大事なのだ。人間関係は第一印象からである。そういう意味で、あの角だとか翼だとか尻尾だとかもどうだろうか。うん、人間関係というか、人間ですらないじゃないか。
そんな現実逃避をしている間に、女――魔物が、アランの方へと近付いてきた。
手にしていた桃色の剣を鞘に納め、口元を覆っていた赤い襟巻きをずり下げ顔を晒し、そして口を開いて声を掛ける。
「あなた……怪我はない? 大丈夫?」
そう言って、未だ尻餅を付いているアランに手を差し伸べる。
心配そうにこちらを見るその顔は、まだ少女と言っても良いくらいにあどけなさを残した物であった。
「有難う御座います。助かりました」
自分を囲んでいた野盗達を斬り伏せてくれた少女に対し、今更ながらに礼を言う。やっぱりアレだ、人を第一印象だけで判断しては駄目なのだ。
そういう問題ですらない気はするが、そういう事にしておこう。アランは深く考えない男であった。
「気にしないでいいよ。よくやってるから、こういう事」
と、野盗達を縛り上げながら少女が答える。うむ、なんというか、実にこう、お転婆である。件の野盗達が生きているのはおろか、傷一つ負っていないのはいささか甘いとも思えるが。まあそこは別に、どうでも良いか。町に連れて行ったら縛り首だし、彼等の寿命なんて興味は無いし。
そんな事を思っている間に少女は男達を縛り終え、今度は何やら小瓶を取り出す。そして蓋を開けるとその中身、何やらねっとりとした黒っぽい液体を彼等に向かって振り掛け始めた。
濃密な、甘い匂い。なんというか、魔物達が好きそうな、惹き寄せそうな感じのそれ。
それで大体、男達の末路が分かった。まあ別に、無事に解放されるでもなければ、どうしようが別に良いけど。
「……よし、終わり」
そう言って、少女がこちらに向き直る。
あらためて見ると、なかなかの美少女だった。というか、とんでもない美少女だった。
年の頃は十代の半ばをようやく過ぎたという辺りだろうか。あどけないとすら思った顔立ちは、造形だけ見ればむしろ大人びている方である。ただ明るく朗らかな表情と、そして溌剌とした雰囲気が彼女を若く感じさせた。というか、幼く感じさせた。生命力が溢れている、とでも言うべきだろうか。表現は悪いが、黙っていれば美人、みたいな部類かもしれない。いやまあ、黙ってなくても美人だけど。むしろこっちの方が好みだけど。あとまあ別に、どうでもいいが、胸が結構大きかった。
いや、どうでもいいんだよ? 本当だよ? でもまあ、身体的な特徴として、一応ね。だってまあ、薄いとはいえ革鎧を着ているのに、かなりこう、盛り上がっているからね。これはまあ、つまり大きい部類に入るんじゃないかと、一応ね。分かりやすい特徴だからね。
そんな風に脳内で自己弁護をしていると、少女がにっこりと笑って口を開く。よもや罵倒されるのではと警戒したが、当然ながらそんな事は別に無かった。
「色々と先にやっちゃったけど、あらためまして、こんにちは、初めまして。私、フォリーっていいます。よろしくね」
なんて、可愛らしく挨拶兼自己紹介をされただけである。うわぁ、自分がまるでゴミのようだ。
いやいや、でもこれこそ獲物を油断させるための罠かもしれない。安易に信用するのは命取りだ。魔物は基本、人類にとっての敵なのである。外見的な特徴からすると少女はおそらくサキュバス種であり、これは旧魔王時代以前から美しい外見で人間に取り入ってきた種族なのだ。その手練手管足るやこちらの想像を絶するに違いあるまい。赤い瞳や白い髪、といった特徴からあるいは亜種なのかもしれないが、そう大きな違いは無いだろうし。
「初めまして、アランです。アラン・スミシー」
「……アラン・スミシー?」
突っ込まれた。不思議そうな顔をされた。うん、それはそうだよね。だってこれ、有名な偽名なのだし。
でもそれならほら、フォリーってのも無いんじゃないかな。愚行、って意味じゃないですか。
なんて失礼な事を思っている間に、少女はまあ良いやとばかりに笑顔を戻した。良い子だ。ごめんねこっち、悪い大人で。
「それで、あなたはなんでこんな人気の無い道を歩いていたの?」
人気なら、そこに十人くらい転がっているが。それを一呼吸の内に斬り捨てるって、あらためてとんでもないなこの娘。自分は剣の腕が全然なので、出来る事なら是非あやかりたいものである。無理だろうけど。
「まあ仕事で、という所ですかね」
「仕事って?」
食い付かれた。踏み込んでくるなあ。助けられた手前答えないのもばつが悪いが。まあ別に、口止めされている訳でもないから良いだろうか。
「この先の、遺跡調査の依頼ですよ」
まあ調査と言っても、自分が出来る事なんてたかが知れているのだが。とはいえ依頼主もそれを分かった上で調査依頼としたのだろうし、ならばこちらもそういう事にしておくのが大人の対応という物である。嫌だね大人って、なんか卑怯で。
「この先のって……今は立ち入り禁止になってるんじゃなかったっけ?」
「そうですね」
その通りなので同意したのだが、少女は余計に混乱してしまったようだ。頭上に疑問符が飛び交っている。無論、ただの比喩表現ではあるのだが、露骨に変化した表情を見るにそう間違ってはいないだろう。仕方がない、より詳細に説明するか。
「その遺跡で、行方不明者が出ている事は御存知ですか?」
「うん。それを探しに行ったパーティーまで行方不明になっちゃったんでしょ?」
その通りである。付け加えるなら、その探しに行ったパーティーは近隣でも最高の冒険者パーティーだと評されていた。リーダーに至っては竜殺しなる異名まで持っており、これは単独でドラゴンの討伐を果たした際に得た物だと言われている。まあ実際の所はもう少し違った事情もあるようなのだが、それでもそう言われる程度の実力があるのは間違いがない。そしてそんなパーティーすら消えてしまった遺跡なのである、立ち入り禁止にするのも妥当な判断だと言わざるを得ないだろう。
「それで立ち入り禁止にするって、酷い話だよね! つまりその人達を見捨てたって事じゃない!」
うん、まあ、そういう風にも取れるは取れるが。
「仕方ありません、近隣では彼等以上のパーティーが居ないのですから」
「でもさぁ……!」
不満気な膨れっ面。子供だ。感情表現が素直過ぎる。
「それに見捨てた訳ではありません。彼等の所属ギルドは本店に連絡を取り、救助部隊の編成を要求しました」
件のギルドが世界中に手を広げる超巨大な組織だから出来る芸当である。というか世界中の流通を支配している、と言い換えた方が良いだろうか。なんだか悪の組織みたいだが、まあ割と否定出来ない気がしなくもない。所属している場所をあまり悪くは言いたくないが、人間と魔物の力関係を操作して悪どく儲けている節があるし。ちなみに現商会長(正確には代理)は非武闘派ながら狸殺しなる異名を持っていたりする。竜殺しと比べるとかなり落ちる気がするのだが、不思議とこちらの方が恐れられがちなのは何故だろうか。本人曰く、何処までが尻の毛だか分からないから尻尾の毛まで毟ってやった、との事らしいが本当に殺してはいないはずだし。
「……救助部隊って、いつ来るの?」
「そうですね。大体ですが十日後までには」
「遅い! 見捨てるのと変わんない!」
そうは言うが。世界中からとまでは言わずとも、大陸中から最高級の冒険者を掻き集めようと言うのである。十日で済むならむしろかなり早い方だ。この辺りも相当の辺境なのだし。
「まあそういう訳で、その救助部隊がやって来るまでの先行調査を依頼されたのが私なのです」
そしてまあ、依頼主がその調査結果に期待していないであろう事も前述した通りである。うん、見捨てられたと言われてもしょうがないね。
「先行調査って……他の人とは遺跡の方で集合とかなの?」
「いえ、私一人ですが」
「一人ぃ!? ……アランって実は、物凄ぉく強いとか?」
「いえ、そんな事は全然全く」
野盗に囲まれていいようにされていた事を忘れてはならない。戦闘に関する才能ははっきり言って皆無である。一応腰に剣を下げてはいるが、抜き放つと同時に剣がすっぽ抜けない方が珍しいくらいだ。そもそも抜こうとすら滅多にしないし。
「駄目じゃん! というかアランそれ捨て駒じゃん!」
「捨て駒は捨て駒で大事なんですよ? 戻って来ようが来まいが判断材料にはなりますし」
しかしフォリー嬢は聞いているのかいないのか、大変お怒りのようであった。いや、多分聞いた上だと思うのだけど。
「……決めた。私、アランに付いて行く」
「あ、いえ、済みませんが責任を取れませんので」
「すげなく断らない! 大丈夫、私、これでも強いから!」
「それは重々承知ですが、若い娘さんに傷でも付いてしまわれては御両親に顔向けが出来ませんので」
「なんでお父様とお母様が出てくるのよ!? 放任主義なんだから気にしないでよ!」
なんでだろう。なんだか凄く気になったのだ、その辺が。
ともあれそんなこんなで暫く言い合い、結果として助けられた弱みを突かれる形で強引にパーティーを組む事にされたのだった。
別に自分はどうなっても良いのだが、他人だって割とどうでも良いのだが、パーティーの仲間となるとそうもいかない。
やれやれ、色々と大変である。願わくば、彼女の御両親と対面するような事態にだけはならないで欲しい。多分、どう転んでも、ろくな事にはならないから。
「そういう訳で、よろしくねアラン!」
笑顔で手を差し出される。微妙に勝利宣言染みた感じがするのは被害妄想か。
「まあ、はい。不束者ですが、よろしく御願いします」
差し出された手を握る。剣を振るうとは思えない、小さくて柔らかい手であった。
16/01/30 19:02更新 / 森
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