読切小説
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魔女と男11









 水を汲み終えた後、俺たちは朝食の準備に取り掛かった。
 当初、水汲みを手伝ってもらったので俺が料理を振る舞うつもりだったが、リコは頑なにそれを拒んだ。

『お嬢はこう言ってるんでさぁ。旦那と二人で料理したいってね』

 ゴブリンの舌に合うものを作ると言い張っていたリコの主張に、ソッパが注釈を加えた。

『そうでゲス! 若い二人の初めての共同作業でゲス!』
『変わらぬ支援を約束するでガス!』

『あああああんたらぁ!』

 真っ赤になったリコは子分たちを追い掛け回し、なるほどそういう意図があったのかと納得した。
 落ち着いたところを見計らい声をかける。

『リコ、初めての共同作業をしよう』

『や、やめろよー。そーいうのやーめーろー』

 リコは子分たちから俺に標的を変えて、照れながらぽかぽかと叩いた。
 俺はべこべこにへこんだ。

『悪ぃ。ほんと今のはあちしが悪かった』

『いや。気にしていない』

 立っていると自然と身体が斜めになってしまうが、それ以外でこれといった支障はなかった。
 焦ると言うよりも引いていたリコをなだめ、二人の手料理が病人食になりかけたりしたが、とにかく俺たちは厨房に並んで共同作業を始める。
 献立はリコと食材の確認をしながら決めていく。

「芋、芋、芋……丸緑っと後はキノコだな」

「その丸緑はキャベツという名だ。黒米、麦。小麦粉は残っていないな」

「エムビーがいない間派手に使ったかんなぁ。パンうまかった」

「塩漬けは残っているな」

「うげー。カブなんて食えたもんじゃねぇ」

「好き嫌いは良くない。このチーズは?」

「そりゃあちしが作ったんだ。作り方は内緒だかんな」

「何故?」

「チーズの作り方、味はそれぞれの家で違ってて、教えるようなもんじゃねぇからだ。悔しかったらエムビーも自分だけのチーズを作ってみろ」

「そうか。作ってみる」

 食材を引っ張り出しながらの会話は王国語を用いた。
 ゴブリン語で会話していると子分たちにまで内容が筒抜けになり、冷やかされるのではないかとリコの方から言い出した。
 照れ屋なのだなと感想を述べると、リコは笑顔で拳を作って見せた。
 俺は殴られる前に朝食に使う食材を仕分けていった。

「俺は主食のグリュエルを作る」

 穀物を大目の水で炊いて塩で味付けした、ここで良く食べていた粥だ。

「じゃあ、あちしは野菜を炒めっかな」

 リコは手馴れた様子で包丁を握り、炒め物に使う野菜の皮を剥き始めた。

「チーズも使うのか?」

「最後に、ちょっと炙って乗っけんだ。うめぇぞ」

「期待する」

「へへ。期待しろ」

 釜に火を入れながら、彼女の笑みに期待を募らせた。
 しょりしょりと芋の皮が向けていく音を聞きながら、火にかけた鍋をじっと眺める。
 料理の基本は何よりもまず根気で、それは俺にも備わっていた。

 少しずつ煮立っていく鍋の底で、麦たちがことことと踊り始める。
 リコは包丁で芋を薄く細く刻み、キャベツは一枚ずつ葉を剥がしながら手で千切っていく。 
 料理を始めれば、お互いの手元に集中する。

「塩取ってくれ」

「判った」

 だが、お互い会話がないわけではなかった。

「あちしらがここにいる間、どこほっつき歩いてたんだよ」

「森をほっつき歩いていた」

「森ねぇ……アルラウネの蜜の匂いにふらふら寄ってたりしなかったか? もしくは、ハニービーの巣穴にうっかり入り込んだりは?」

「まるで俺が終始注意散漫なような質問だな」

「違うってか?」

「集中力には自信がある」

「もうちょっと周りも見ろ。そういう事なかったか?」

「そういう事はなかった」

「そうか。そりゃ安心だな。じゃあどういう事があったんだ?」

「遺跡に眠る財宝を探したり、姉妹喧嘩に首を突っ込んだりした」

「良くわかんねぇけど、ややこしい事になってたってのはわかった。目ぇ離すとすぐそれだ」

「面目ない」

「ま、いっけどよぅ――いや、よかねぇ。あちしの目が届かない場所にいく時ゃ、ちゃんと説明してからにしろよ」

「判った」

「世話が焼けっよ」

「狐色になったらひっくり返してくれ」

 世間話のような、言葉遊びのような。
 俺の返答が的を外れていたのか、リコはくすりと穏やかな笑い声を漏らした。

「バーカ」

 それは知っている。
 リコの優しい罵り声に内心同意して、胸の奥に何か温かなものに気がついた。
 気がした。

 釜の中でくべた薪がぱちぱちと爆ぜる。
 漏れ出した熱気が冷えた朝の空気も暖めていく。
 差し込む陽光は少しずつ強さを増していく。
 食堂で待っている同居人たちはソッパの目が行き届いている為か、静かで行儀が良かった。

「卵や肉も食いてぇなぁ」

「午後は街に降りて見に行こうか」

「木の中に街まであんのか?」

「最寄の街までの転移陣がある」

「そりゃいーや。チビにしてはまともな事すっじゃねぇか。昼になったらその街を案内してくれよ」

「了承した」

 旅に出ていたので、幾つか不足しているものを買い足しておく必要があった。
 何が足りないのかを確認した後に買い出しだ。

「お昼からデートなのね」

 断定的な言葉に俺はこれから行う予定の中身を反芻する。
 まだ不慣れなリコに見知った街を案内がてら、夜の献立を考えながら食料品を吟味する。
 暮らす者が増えた分日用品や雑貨の類も必要になってくるだろう。
 それらを見て回る行為が、買い出しではなくデートになるというのは何故なのか。

「デートなのか?」

 考えても判らなかったので訊ねた。
 リコは隣できょとんと俺を見上げて、その顔が見る見る真っ赤に紅潮していった。

「くけっ」

 彼女は絞められた鶏のような声を出した。
 夕飯は鶏肉がいいかもしれないと漠然と思った。

「な、なんだよー。やめろよー。そういう事言うなよー」

「照れ隠しに俺をしばかないでくれ。デートと言い出したのはリコではないのか?」

「ば、バカなこと言うなよ。エムビーの方が先だろ」

「いいや」

 お互いに口にした覚えがないなら、誰が言い出したのか。
 顔を見合わせていた俺たちは、何気なく背後を振り返った。

「はい正解」

 女性は俺たちの視線を受け止めて、くすくすと笑い声を洩らした。
 俺が知っている人だった。

「お久し振りです、先生」

 黒の法衣を纏った先生は、鎖の巻きついた尻尾をしゃらりと鳴らして俺の顔を覗き込んできた。
 身に纏ったゆったりとした衣とは対照的な白髪がたなびき、ふわりと甘い香りが鼻腔をくすぐった。

「小久し振りねぇ、MBちゃん。けどそれよりも先に、言う事があるんじゃないかしらぁ?」

 先生は独特の言い回しを用いて紫色の瞳を細めた。
 俺の唇が指先でなぞり爪弾かれる。
 俺はしばらく考え込んで、再会を懐かしむ前に言うべき言葉を探した。

「ただいま戻りました」
 
「はい、良くおかえりなさいました」

 先生はにこにこと微笑みながら、指先で俺の唇をぷるぷるとくすぐり続けた。






「腹が減ったぞ。飯にしよう。何、わしの家だからと遠慮はいらん。好きなだけ食え」

 思わぬ邂逅を経て食事の支度を整え終えた頃には、魔女殿も食卓についていた。
 料理どころか配膳を手伝う気配すら微塵も見せない魔女殿の態度に、リコが歯をぎしぎしと軋らせたりしたが、おおむね穏便に事は進んだ。
 空腹のまま食事を前にしては、食欲以外の感情は引っ込んでしまうものだ。
 
 リコが食卓の中央に据えたのは塩コショウで味つけした野菜と茸を炒めて、その上に炙ってとろとろになったチーズをかけたもの。
 俺が手にしている鍋は、黒米と麦とヒヨコマメを混ぜて煮たグリュエル。
 味つけには塩とハーブを幾つか用いた。
 後は旅に出る以前に残っていた保存食のキャベツやカブの塩漬け、それとリンゴの砂糖漬けなど。
 それぞれ人数に見合った量を用意した。

 ゲッパやドッパが皿を舐め尽くす勢いの旺盛な食欲を見せ、ソッパがたしなめる。
 食事という単語に反応したスゥが俺を襲おうとして、リコがそれを引き剥がす。
 魔女殿は朝だというのに蜂蜜酒とつまみを注文し、苦言を呈した俺が軽く焦がされる。
 そんな様子を先生はころころと笑って見守る。
 朝食からとてもにぎやかだった。



 少しばかり物理的に衝撃的な朝食が一段落して、先生の提案でそのままお茶会となった。

 先生が手ずから人数分のお茶を用意してくれている間に、ソッパたちが卓上を片付け焼き菓子を運んできた。
 先生はお茶会を開くのが好きなので、茶請けの備蓄は常に備えてあった。
 俺が魔女殿と旅に出る以前から、菓子の甘い匂いを漂わせている女性だった。

「はいどうぞぉ」

「ありがとうございます」

 ポットから注がれたお茶が差し出され、俺はカップを両手で覆い頂く。
 俺の手の中で湯気を立ち昇らせているお茶は、緑色でも紅色でもなく紫色をしていた。

 先生がお茶を入れると何故かこの色になる。
 事前に茶葉を蒸らして用意しておいたとしても、先生がポットを手にして注ぐとこうなってしまう。
 魔女殿曰く、毒の沼地の上澄みをさらったような、と評されるお茶だった。

 そのようなお茶を一口含む。
 少し渋みのある慣れ親しんだ味が舌から口の中一杯に広がった。
 見た目はともかく味はお茶として申し分なく、幾度となく飲み続けていた為舌に馴染んでいた。

「MBちゃんが張り切ったおかげで、教え子が増えちゃったわぁ」

 にこにこと笑っていた先生の視線に促されるまま、俺は一同を見回した。
 スゥがお茶を吸い上げ、リコとその子分たちは刻んだ干し杏が練り込まれたクッキーを頬張っている。

「では皆にも教えているのですか」

「ええ」

 俺は魔女殿から魔術の基礎や算術を一通り教えてもらったのに対して、先生からは主に言葉を学んだ。
 忘れかけていた言葉――人間、魔物共に広く使われている王国語から、ゴブリン語やエルフ語。
 廃れてしまった古語や極一部の魔物だけが用いる言葉、遥か東方で用いられている独特な言語まで。
 勿論、読み書き(口語のみの言語は除いて)の方も併用して覚えさせられた。

 俺が彼女を先生と呼ぶのにはそういった理由があった。

「言語学の教鞭をとるだけなら良いがな。布教するのが目的ではないか?」

 魔女殿が冷やかすような口振りで先生を見た。
 半分ほどに減ったお茶に、どぼどぼとブランデーを注いで割っている。
 
「言葉を学ぶのに教材は必要ですもの。私も性書を使った方が教え易いわぁ」

 先生は魔女殿の言葉を否定せずにころころと笑った。

「ふん、よく言うわ。いっそ入信した方が早いだなどと嘯き、今まで何度こやつを拉致しようとした事か」

「これほど愛と快楽と堕落に溢れる宗教はそうないのにねぇ。我らが母は断固騎乗位を支持しているのよぉ」

「三位一体と称して、母自ら信徒の夫となる男をつまみ食いしておるのだろう」

「3Pが私たちの愛の基本だからねぇ」

「下僕と信者は母のものか。なんとも丼勘定な基本ではないか。母子丼なだけに」

「MBちゃん、試しに万魔殿までちょっと来てみない? きっと我らが母も喜ぶわぁ」

「恐縮です」

「近所にでも行くような調子で別次元へ誘うな。渡せば最後そのまま終末まで引き篭もってしまうだろうが」

「引き篭もりたいわぁ。万魔殿で永劫の快楽に浸って過ごしていたい」

 うっとりと中空を眺める先生の姿に、魔女殿は諦め切ったため息を一つ吐き出した。
 こうして久し振りに魔女殿と先生のやり取りを見ていても、相変わらず仲が良いのか悪いのか良く判らなかった。 
 クッキーに手を伸ばしていたリコが動きを止めた。

「なんでお前がエロ助なのか、よく判ったかんな」

 じとりと睨みつけられる。
 先生の教え子だからとでも言いたげだ。

 先生は堕落した神に仕える闇の神官だ。
 だから身に着けている衣装もどことなく黒っぽい。
 それはともかく様々な言葉と共に教えられたのが、先生が仕える神の教義だ。
 例えば――

「右の頬裏で擦ったら、左の頬裏でも擦りなさい」

「アタイによる口淫書第五章、六九節……偉いわぁ、MBちゃん。ちゃんと覚えてるのね」

「恐縮です」

「このエロエロ師弟!」

 先生に頭を撫でられていた所へ、リコが手にしたクッキーを投げつけてきた。
 額に当たったクッキーの片割れを拾い、そのまま頬張りもぐもぐと咀嚼する。

「エロエロ指定か。自分の手配書を初めて見た時を思い出すな」

「危険人物指定という意味ではないぞ」

 と、既にカップの中身がブランデーのストレートになっていた魔女殿が、ぺしんと俺の頭をはたいた。

「師弟より女教師と教え子の方がいいわねぇ。響きとか。んふ。んふふふふぅ」

 と、先生はテーブルに転がったもう一つの片割れを拾い、言葉の響きに酔ったのかうっとりと微笑んだ。

「エロ  エロ コシ ウゴクナニ」

 と、性書にある一節をスゥがそらんじた。
 俺が引用した事で反応したのだろう。

「……だめだ。こいつら話が通じねぇ」

『ファイトでゲス姉ビン!』
『一発っスよ姉ビン!』
『やるって意味じゃちと少ないですがね』

 何故か力なくがっくりとうな垂れたリコを、子分たちが揃って慰めた。

 お茶会は賑やかに進んだ。
 先生は笑みとお茶を絶やさずさりげなく尻尾を俺の股間に忍ばせ、それに気づいた魔女殿が足で蹴飛ばし遠ざけた。
 二人が笑顔のままテーブル下で激しい攻防を繰り広げている間に、スゥがいつの間にかテーブルの下に潜り込んでいた。
 漁夫の利を狙ったというより単に本能に従い俺の足下から衣服の中に潜り込み、それに気づいたリコは癇癪を起こして何故か俺にクッキーを投げつけた。
 暴れるリコをゲッパとドッパが取り押さえようとして軽くひねられ、スゥは先生の貫手と核への愛撫で蕩けて広がった。
 魔女殿は呆れたようにブランデーをラッパ飲みし始め、ソッパが苦笑を浮かべながら散らばったクッキーを集めてシシシと笑った。

 お茶会は騒々しいほど賑やかで、笑い声も怒鳴り声も(一部喘ぎ声も)絶えなかった。



 昼になったのでリコとデートをする事になった。
 未だに買い出しとデートの区別がつかないが、その当たりは俺が鈍い為だろうか。
 とりあえず、デートと口にしなければリコにしばかれないという法則は学習した。

 そういう事で、魔女殿が家のあちこちに張り巡らせている転移陣の一つを潜って、俺とリコは街に訪れていた。

「なんだあれ。見ろよエムビー、なんか珍しいもん売ってっぞ!」

「見てみよう」

 街に入ってすぐ、リコは活き活きと目を輝かせて通りに並ぶ店を片っ端から覗いて回っている。
 俺ははぐれないよう、リコの小さな背中について回っていた。
 俺たちが訪れた街は常夜の街と呼ばれる場所で、空は常に群青色に染まっていた。
 だからと言って薄暗いという印象はなく、街中いたる場所に明かりが設けられていた。

 街角や木々に設けられたランタンや、おばけ鬼灯、中身をくり貫かれたかぼちゃなどに明かりを灯す魔術の火が入れられ街を彩っている。
 明かりの色もそれぞれで、白赤黄色に緑や青など。
 時にけばけばしいほどの極彩色もあれば、静謐に差し込む月のように冴え冴えとして、場所によって街は多種多様な顔を見せた。
 
 俺とリコが歩いているのは町の中央を縦断する宵闇通で、様々な人、物が集う常夜の街を物語る代表的な場所だった。
 リコが目を向けたのは、ペット屋だった。

「変な生き物がうねうねしてっぞ!」

 リコが指差すその生き物は、どこからどう見てもペニスだった。
 ガラスケースに収まって、何やらもぞもぞと蠢いている。。
 見慣れたはずの部位が切り離され、単独で動いている姿はちょっとした恐怖感を覚えないでもない。
 見た事も聞いた事もない生き物だったので、俺は手ぐすね引いて待っていた店主と思しき男に視線を移した。
 待っていましたとばかりに店主が説明を始める。

「寄ってらっしゃい見てらっしゃい! 試してガッテンほらハッテン! 生ディル屋へようこそ!
 最近、夜の営みにちょっと物足りなさを感じたりしていませんか? 新しい刺激を求めてちょっと背伸びをしたい。そんな恋人たちのレベルアップに、そっと三杯目の経験値を差し出す生ディル屋。これで今日から新たな坩堝にWIN☆WIN☆打・破!」

 店主は長い台詞をほとんど一息で叫ぶや否や、ガラスケースの中で蠢いていた謎のペニス生物を勢い良く鷲掴みにする。
 ペニスで言うと通常状態だったその生物は、見る間に怒張し赤黒い体表に青い血管が浮かび上がった。

「当店で扱っておりますものは、勿論この生ディル! 生のディルドーでございます!
 あんなちんこいっいな♪ 挿っれたっらいっいな♪ 浮気などせずともこの生ディルによってそんな願望が叶うのです!
 アナルセックスにちょっと興味あるけど、あと一歩が踏み出せない……叶えましょう! 叶えて見せましょうこの生ディルによって!」

 勢いに乗っているためか店主はますます生ディルという生物をにぎにぎと握り込む。
 生ディルは店主の手から逃れようとしているのか左右に身体を振って蠢き、その様子はどことなく手淫に見えなくもなかった。
 この辺りでリコは自分が目をつけたものがどういう用途で使われるものなのか気がついたらしく、俺の隣で一気に顔を赤くしていた。

「触手の森辺りに自生していそうだな」

「お。お客さん判ってるね、通だね! さては試してみたなぁこのむっつりエロガッパぁ!」

 河童はジパング地方の魔物一種だという事は知識として持っている。
 俺は半分が得体の知れないものだが、店主の言葉通り或いは謎めいたジパングの河童の一種だったのかもしれない。
 頭の皿と、背中の甲羅と、手足の水かきと、水着という名の鱗は一体どこに置き忘れてきてしまったのだろう。

 俺が自己を省み、リコが引きつっている間も、店主の勢いに任せた説明は続いている。

「ディルドーとしていつもとは違う愉しみに浸るも良し! 大好きなあの娘を二穴攻めで今晩はガンガンいこうぜも良し!
 さらに高みを目指すと? よろしい。ならば連結だ」

 店主はさらに生ディルを一匹取り出して、互いの根元をぐいっと押し付けた。
 生ディルは特にこれといった接合面もないというのに、店主の言葉通りぴったりとくっついて離れなくなってしまう。
 目を引く現象ではあったが、店主の手に握られている生ディルの陰嚢にあたる部分がぱんぱんに張っているのが妙に気になった。

「生ディル進化形態、ツイン・コブラヘッド! きゃーかっこいい!
 もはや普通に繋がるなど時代遅れ! この進化によってもたらされる通常繋がりにプラスワンモア! 連結! 三穴! 赫々たる夜の性活が爆発! カクカク!
 気になる射精能力も通常の一.五倍で爛れた夜もべっとりサポート!」

 と、そこで店主はごほんと咳払いを一つ。

「尚、旦那様の色と形に似せる作業もサービスで承っております。いかがでございましょう奥様? 夜の性活に一石を投じるこの生ディル。この機会にご購入を検討してはいかがでしょう?」

 彼は商売人の顔に戻って愛想のいい笑みを浮かべた。

「凄いな」

 俺はどこで息継ぎをしているのか全く判らない謳い文句に感心していた。
 一方リコは、ガラスケースを覗きこんだ格好のまま俯いてかすかに肩を震わせている。
 震えが全身に回っていくまで、さほど時間は要さなかった。

「今なら一匹買うともう一匹がついてきてお得ですよ! なんとお値段は聞いて驚く据え膳上げ膳――」

 店主の声を遮るように、リコは生ディルに両手を伸ばした。
 生ディルは「あふぅん」それが鳴き声らしい。
 リコの手に握られてくぐもった声をどこからともなく洩らし、次の瞬間。

 めぢっ。

 形容し難い音ともにリコに“枝折り”された。
 上下が左右に。



「ちっくしょう! なんだありゃ!? 全部聞いちまったよちくしょう!」

「あそこは常夜の街でもかなり特殊な部類に入る」

 生ディル屋を離れてもリコの忌々しげな態度は中々和らぐ事がなく、俺は隣で肩をいからせる彼女をなだめていた。

「特殊にもほどってもんがあんだろ!? あんなのにソフィアとかジョセフィーヌとか名前をつける奴はイカレてっぞ!」

 宵闇通りはそうでもないのだが、少し外れて路地に入っていけば、夜の生活を充実させる特殊アイテム屋が充実している。
 中には生ディルの類似品を扱っている店も探せば見つかるだろう。 
 大抵が己の性癖を突き詰めていく過程で商品に転用しているため、個人差によって合う合わないが激しく出てしまうのが難点だった。

 リコに言われて、Zのようになってしまった生ディルを前に、男泣きに泣き崩れた店主の姿を思い出した。

 結局生ディルとはなんだったのか。
 触手の森に自生する怪植物の一種なのか、それとも魔法生物の類なのか。
 世界の謎は俺に数多くの疑問を投げかけてくる。

「……おい」

「?」

 リコが足を止めて俺の顔をじっとりと睨みつけていた。

「おめぇ、ああいった不思議生ものを飼おうだなんて言う気じゃねぇだろーな?」

 リコは生き物ではなく生ものとして生ディル認識しているようだ。
 どちらも生である事に違いはない。

「まさか」

 店主の肺活量に感心はしたが、生き物という時点で購入からは除外している。
 生き物を飼うには魔女殿の許可が必要だった。

「ほんとだろーな?」

「ああ、本当だ」

 魔女殿に加えてペットの世話まで行き届かせる自信がなかった。

「……なら、いっけどよぅ」

 リコはぷいとそっぽを向いて歩き出す。
 視線は早くも良い街どおりに並ぶ各店舗に目移りしながらも、今度は向かう先を良く吟味しているようだった。
 俺は警戒を強めたその後姿を見つめて、斜め背後をてくてくとついていく。

「でもよぅ」

 ぽつりとリコがこぼす。

「奥様ってのは……悪くねぇな」

「そうか」

 俺はリコの旦那で間違いはなく、あの表現は正しかった。

「変人に言われても嬉しくねーけどな」

「複雑だな」

「乙女心は複雑なんだよ。ニブチン」 

「そうだな」

 心は、複雑怪奇に満ちている。
 俺はリコの言葉に深く同意した。



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「ねぇ魔女ちゃん。こっち向いて♪」

「誰が魔女ちゃんだ呪うぞ過剰発育物体め」

「目の付け所が欲求不満の中年殿方になってるわよぉ」

「毎度毎度目障りな二つの脂肪塊をこれ見よがしにだぶんだぶんいわしおって。わしは永遠の魔法少女略して魔女であるが故誰が脂ぎった親父か」

「永遠の少女というのなら実年齢を言ってごらんなさぁい。その点私は脂の乗った熟れ頃食べ頃ボンキュッボッを常に保って誰が脂が乗り過ぎてくどいですってぇ」

「ふん。使われてもいない乳房など過重量に過ぎんわ。せいぜい重みに耐えかねて切り離すか氷河期を乗り越えるための栄養源として消耗してしまうがいい」

「んふふ。おっぱいはただの脂肪に殿方の夢が詰まって膨らむのよ。魔女ちゃんこそ使う見込みがない絶対凍土を見下ろして絶望感に浸りなさぁい」

「喧嘩を売りに来たのかお主は」

「あら、私は愛と平和と官能の使徒ですもの。そんなつもりは全くないわよぉ」

「おぬしは無攻にして無効。防御に特化した使徒であったな」

「最近気づいたのだけど……最強の盾を相手にぶつけると、それは強力な攻撃になるのじゃないかしらぁ?」

「ようやく気がついたのか馬鹿め。終末が訪れても気づかぬと思っておったが、さては自慢の茶の毒がおつむまで回ったか?」

「馬鹿めと勝ち誇るのは小悪党の典型的な負けフラグよぉ」

「繰り返し言ってやろうではないか。馬鹿め。わしに並の基準が適用されるとでも思ったが? 立ちはだかるフラグなどぽっきぽきに殴り折ってくれよう!」

「その調子でMBちゃんの二人旅ラブラブフラグもぽっきり折っちゃったのねぇ」

「……」

「あら図星? MBちゃんの契約相手を探すっていう名目で、その実『これで奴もロリコンに! 未成熟な青い果実にキュンキュン☆』作戦だったんでしょお?」

「だってのぅ」

「だってじゃないわよぉ。二人きりだったのに何をやっていたのかしら。何もヤッてなかったのねぇ」

「……誘っても乗ってこんのだ」

「他人の事にはずけずけと入り込んでいくのに、自分の事はどうしてそんなに受身で奥手になるのよぉ。普段の言動通り超肉食系妹で種の一つ二つは容易く絶滅させる勢いで襲い掛かるんじゃないのぉ?」

「女のわしから攻めるのは、のう。ほれ……恥ずかしいではないか」

「始まってしまえば攻め攻めなのにぃ? 代わって欲しいくらいだわぁ」

「おぬしと代われば接触・即・万魔殿堕ちだろうが」

「MBちゃん頂戴♪」

「やるか! 先に見つけたのはわしだ!」

「じゃあもう少し頑張ったらどうかしらぁ? バフォメット殿」

「その名で呼ぶな。当人ではない」

「分身の術をより発達させた高位魔法、分け身とはいえ、魔力も知識も実力も本人と変わらないでしょう?」

「されど本体ではない。わしはあくまでわしだ。どちらかと言うと契約上の関係の方が近い」

「分け身の魔法で無限の軍勢なんて、反則級だものね。それくらいの制約がないと理が崩れるのねぇ」

「魔術ではなく魔法であるからな。面白半分に弄くればどうなるか、わしらは身近に知っていよう」

「ええ。長かったわ」

「そうか。わしは短かった」

「私はあながち無関係でもなかったから。我らが母を信仰する以前は、主神に仕えていた身ですもの」

「人造勇者計画だなど。馬鹿馬鹿しい。主神の計らいでも指針でもなく、人の成した事というのが度し難い」

「そうね。けれど魔王様のおかげでその計画も潰えたわ。昔気質の勇者ではサキュバス化現象に対応し切れず、どうなってしまうのかすでに実践済みだもの」

「おかげで魔王はにゃんにゃん三昧だがな。情勢の睨み合いが続く以上、魔力を蓄える時期ではあるがそれはそれとして腹が立つ」

「お互いに手詰まり感は否めないわねぇ」

「だがわしは、この冗談のような奇跡を守りたい。行く末がいかなる場所に行き着こうともな」

「MBちゃんはその中で生まれた一つの可能性。インキュバスでもなく、人でもなく、怪物でもない」

「あるいは新たな人祖となる可能性も秘めておる。本人に全く自覚はないが」

「家では主夫だものねぇ。嫁入らずで人祖の血が途絶えるんじゃないかって心配したものぉ」

「まあ早い時期に飢えたサキュバスの群れに放り込んでやったおかげで、性に対して嫌悪感は抱かずに済んだが。あの生い立ちではトラウマになってもおかしくはない」

「魔女ちゃんのする事も充分トラウマ級だと思うのだけどぉ」

「逆療法という奴だ。おかげで節操なしだ。あの勢いでバンバン孕ましていけば良い。契約陣で相手に魔力を分散すればさらに人間の属性が強まるであろうよ」

「私も孕みたいんだけどぉ」

「孕んでも良いが渡さんからな!」

「魔女ちゃんのけちぃ。ふんっだ。後で沢山この胸で誘惑しちゃうもん」

「脂肪分の多い乳など、見ても吸っても胸焼けするだけ……待て。おぬしそもそもなんの用でわしの所に来たのだ」

「あ、そうそう。MBちゃんがデートのお誘いをするようになるなんて、嬉しくなって喜びを共有しに来たのよぉ」

「なんの話だ」

「聞いてないのぉ? 今、常夜の街でリコちゃんとデート中よ」

「全く聞いておらん」

「全く話してないのねぇ」

「……まあ、ゴブ娘が相手なら帰ってきたら傷害の魔弾くらいで許してやろう」

「その理由はぁ?」

「ロリ故に!」

「思うのだけどぉ、MBちゃんに好みってないんじゃないのぉ? 肉も野菜も好き嫌いしないもの」

「そういう相手を幼女しか愛せぬロリコンにしてしまうのが楽しいのだ」

「MBちゃんも難儀な相手に見つけられてしまったものねぇ」

「おぬしに言われたくはないな!」



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 精肉店に並ぶ肉をじっくりと品定めしていたリコが、不意に中空を見上げてきょろきょろとした。

「どうした?」

「いや、あちしの知らないとこでなんか誰かにバカにされた気がした」

「そうなのか」

 俺にも似たような感覚があった。
 俺の方は、なにやら背筋に言いようのない寒気を感じたのだが。
 リコは両手に絞められたばかりのホロホロ鳥を一羽ずつ手にしたまま、収まりが悪そうに唇をむにむにとしていた。

「気のせいだろう。割と良くある事だ」

 頻繁に、と言い変えても過言でないくらい訪れる感覚だった。
 そういう時の後は、大抵魔女殿から理不尽な言いつけだったり、お仕置きの魔術を受けたりするくらいだ。

「……そっだな。つまんねぇ事考えててもしょうがねっか」

 リコもすぐ気を取り直したようで、再び真剣な目つきで品定めを始めた。
 常夜の街をある程度案内した後、目的であった夕飯の買い出しに移った。
 まずは肉という事で、食卓に並ぶメインを決めた後それに合う副食を決めていく予定だ。

 ホロホロ鳥なら塩コショウで味付けし、切り身にチーズを挟んでグリルするといいかもしれない。
 或いは内臓を抜いた後ハーブを詰めて、丸焼きというのも豪勢でいい。
 目利きするリコの背後で、俺はゆっくりと献立を考えていた。

 程なく、俺たちは両手一杯の食材を抱えて宵闇通りを歩いていた。
 ひとまず一、二食分の買い出しにするつもりだったのが、一週間分くらいの買い物量になってしまった。

「この街の連中、気前いいな」

「有難い事だ」

 元々常夜の街は良く利用していた。
 魔女殿との旅に出る以前はこの街しか知らなかったと言ってもいい。
 幾度となく買い出しに訪れる度、利用する店舗が定まり常連になっていた。
 顔見知りになった店主たちが何くれとなくおまけをつけてくれて、自然とこうなってしまった。

 理由の大半が、久し振りに顔を出したら彼女連れだったという理由だった。
 嫁だと訂正を入れるとさらにサービスが手厚くなった。

「気に入ったか?」

「まあ……ちっと照れくさかったけどな」

 良く掻いている角の根元が痒いのか、手が空いていれば今にも掻き出しそうな表情でリコははにかんだ。
 店主やその従業員から質問攻めにあっていたリコは、終始俯き加減に顔を真っ赤にしていたが爆発するような事はなく、たまに嬉しそうにしていた。
 そういう姿を幾つも記憶していた。

「後は、そっだな。こそこそしなくっていい。人目を気にしてボロを被ったりしなくてもいい。あちしが歩いてても誰も気にしない。人間の街と全然違うな」

「だろうな」

 常夜の街は、転移陣を使用しているため正確な地理は俺にも良く判らないのだが、魔界に程近いサキュバスの街だ。
 妻帯者の殆どがサキュバスと愛し合う者たちで、それ以外も魔物と深く関わり受け入れた者たちだ。
 ゴブリンであるリコがいても、通りにはそれ以上に目立つ者たちが幾らでも歩いていた。

「もう少し見て回ろうか?」

「今度の楽しみにしとく。せっかくの食いもんを悪くしちまっても良くねぇしよ」

「そうだな」

 夜の帳が降り掛けた所で止まってしまった街は、ぼんやりと明るく、どこからともなく緩やかなメロディが聞こえてくる。
 常に薄暗い空模様のため、時刻はメロディで伝えられている。
 常世の街を出ればそろそろ日が傾き始めている時刻だ。

「家に帰ろうか」

「そっだな」

 連れて来られた時は違和感しかなかったが、過ごした時間とともに馴染んでいったあの場所に。
 リコたちも未だあの時俺が感じたものと同じ違和感があるのだろうが、いつかそれが溶け去り唯一無二の居場所となる事を祈って。

「……な、なあ」

「?」

「あちしら、今、その。デ、デデデデデデ」

「デデーン」

「真面目に聞かねぇとごっちんすっぞ?」

「悪かった」

「ごほん。こりゃあ、デ、デートなんだからよぅ」

「ああ」

「そのよぅ……うううう腕とか組んだりとか、よぅ」

「どうぞ」

 肘を曲げて、腕と身体の間に隙間を作る。
 リコはしばらく絶句した後、手にした荷物を慌てて持ち直した。
 差し出した腕にそっと腕を差し込んできた。

「これでデートらしくなっただろうか?」

 失念していたのもあって、俺はリコに訊ねた。
 リコは遠慮がちに腕を組んだまま、耳まで顔を真っ赤にしていた。

「……良くわかんね。今までずっと生きてくだけで精一杯で、あちしデートなんて初めてだ」

「俺もそうだ」

 襲われる事や簀巻きにされる事は多々あった。
 俺の答えにリコはきょとんとした顔で俺を見上げた後、なにやらほっとため息を吐き出した。 

「なんだ。エムビーも初めてなら、あちしばっか焦らなくても良かったな」

 リコの腕から遠慮が消えて、顔色も元通りになった。
 にかっと歯を剥いて笑った後、ぐいぐいと俺を引っ張り出した。

「おーし、わかんねぇ事はおいおいわかってくぞ。とりあえず晩飯はご馳走作ってやっから期待しろよ!」

「ああ。とても期待している」

 俺たちは腕を組み、並んで帰途に着いた。
 夕食への期待と、記憶したリコの笑顔と、家で待っている人たちを思い描き、俺の胸の奥はひどく温かだった。



 俺の頭の中ではホロホロ鳥の丸焼きとチーズ焼きが競っていたが、夕食はシチューになった。

 俺はどうも献立のたて方に、少人数分だけという前提を作ってしまっているようだ。
 魔女殿との二人暮らしが殆どあった為、それが理由になっているのだろう。
 分量もそうだが手間暇もかかる料理が多かった。
 その点リコの挙げる献立は大人数向きの料理で、同居人が一気に増えた現状では実に効率的だった。

「パンにシチューに新鮮な果実か。食事としては実に定番だが晩酌にはいささか物足りんな」

「そう仰ると思いまして別につまみを用意しました」

「流石MBちゃんね。準備がいいわぁ」

「恐縮です。こちらは湯引きしたささみを薄く削いだもの。ソースはゴマを用いました」

「ほう」

「こちらは抜き取った内臓をそれぞれの部位で切り分け串焼きに」

「へえ」

「こちらは舌になります。窯で焼いた石にオリーブオイルを垂らし、その場で炙り焼きにします」

「捨てっとこも全部食うんだな」

「頂く命に無駄な部分はないからな」

『うっんまそおおおでゲス!』
『腹だけでなく子宮までびんびん響いてくる食卓っス!』
『ご相伴に預かりやす』

「さあ、飯にすっぞ!」

「どうぞ遠慮なく」

「イタダキマス」

「こらっ、真っ先にエムビーを襲ってんな!」

「もがもが」

「好物は先に食べる性質か。食ってしまえば取られる事もないからな」

「手足を拘束して抵抗力を奪ってから、口を塞ぐ。んふふ。完璧ね♪」

「もがもが」

「見てねぇで止めろよ!?」

『美味いでゲスぅ! ぬべっちょぬべっちょ!』
『このクリーミー、堪らんっス! はぶちょふちょふ!』
『お前らもちっときれいに食えねぇのかい』

 夕食も、騒々しいほど賑やかだった。 







11/03/02 01:04更新 / 紺菜

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