連載小説
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服を買う
 ヴォルフが狼少女を捕まえられたのは講演がひと段落ついてからだった。
 ちょうど昼に差し掛かる時間。興奮冷めやらず演者に寄る人と散る人は半々と言ったところで、寄る人波を押しのけてようやくの接近だ。この機を逃しては次の講演にまで参加すると言い出し兼ねない。
 腕を伸ばし、暢気に劇団員と笑い合っている少女の腕を掴まえる。そこでようやくヴォルフに気付いたらしく、少女は屈託なく浮かべていた笑顔を悪戯っぽく歪ませた。
「よお。惚れ直したか?」
「うるせえ。勝手しやがってこのバカ」
「照れるなよ。言ってたじゃねえか、あんな顔すんのかって」
 内心ドキリとする。まさか聞こえているとは。少女の人並み外れた身体能力を忘れてしまっていた。だが認めるのも癪なので、努めてポーカーフェイスで応える。
「言ってねえよ」
「うそつけ。オレがお前の声を聞き逃すとかありえねえから」
「いつも聞き流している癖にどの口がぬかすんだ? さっさと行くぞ」
「へーへー」
 ヴォルフは芸人たちに手を振る少女を身体ごと引き寄せて歩き出した。
 芸人たちは流石というべきか、下手に関わろうとする様子もなく、にこやかな笑顔だけで見送ってくれた。甲冑姿の男が連れ歩く少女など訳ありにしか思えないのだろう。少女に声を掛けようと遠巻きに眺めていた連中も、ヴォルフの背格好を見るやすぐ散り散りになった。ヴォルフとしてはありがたい限りだ。悪目立ちしてることに変わりはないのだが。
 出来ることならすべて無かったことにしたいが、当然そんなことはできない。
「……お前の服を買うぞ」
 一考し、次の方針を決める。
 外套を裂いてしまった少女の格好は街で連れ歩くには刺激的過ぎた。きつく縛り直した布は身体の凹凸がはっきりと見えてしまってるし、汗ばんだ肌、引き締まった腹筋からヘソまで露わすぎる。深いスリットの入ったスカートはムチムチと筋肉質な太ももからスラッと際どい尻肉まで覗かせていて『履いてないのでは?』と誤解されそうなほど際どい。実際、布の下は裸同然である。
「あー? 従わねえんならすぐ街を出るって話だったよなぁ?」
 ひらひらと手を振る仕草が憎らしい。舐めた真似をしたら即刻出ていくと言い聞かせたのを覚えている癖にこの態度。完全にからかっている。
「おみごとな踊りに免じて不問にしてやるよ。ありがたく思え」
「そりゃどーも♥」
 存分に身体を動かして機嫌が良いのか、ヴォルフの皮肉も悠々と流してみせた。
 実を言うと、ヴォルフは依頼内容も聞かずに街を出ていくつもりなど微塵もないのだ。門兵にまでヴォルフの名が伝わっていた時点で秘密裏な依頼ではないと分かり切っている。であれば多少の問題には目を瞑ってくれるだろうと期待できた。無論、騒ぎが大きくなりそうならその限りではないが。
 少女は踊りたいから踊ったという態度でいたずらに場を荒らそうとしている雰囲気ではない。結果的に荒れなかった、というのが正しい理解だが。
(加減を分かってやっているなら良いんだが……そんなわけはないな)
 鼻歌交じりに後を歩く少女の手を引き、ヴォルフは仕立て屋のドアを叩いた。
「いらっしゃいませ」
 出迎えたのは、ゆったりとした服に身を包んだ女店員だ。身体のラインを極力出さない上下一体の服装で、長い袖は指先まで隠しており、口元を薄いベールで覆っている。東洋の衣装だろう。
 店内に他の客の姿はなかった。非常に好都合な環境だ。
「この女の服を身繕って欲しい。その辺を動き回るのに困らないやつを」
「はい」
「予算はこれくらいだ」
 言いながら金貨を秤に数枚乗せる。交渉する気分でもなかったので、相場よりも多めに出した。
「……かしこまりました」
 店員は少女の格好をみて少し驚いていた様子だったが、金を先に見せるヴォルフの態度から察したのか、すぐに行動を起こしてくれた。
「お客さま、どうぞこちらへ」
 少女を店の奥へ連れて行く。少女はというと、意外にも素直に従った。
「なんか透けててひらひらしてんのがいい。ケツがキュっとしてて胸がこうフワってなってんの」
「夜の踊り子仕立てがご所望でしたらこちらなどがございますね」
「うわぁやっべえなこれ」
「普通のだ! 普通ので頼む!」
 漏れ聞こえてきたやり取りを大声で遮る。先ほどの件で明らかに味を占めている。実に望ましくない傾向だ。
 少女の舌打ちと店員の抑えた笑い声が耳に痛く、うんざりした気分でヴォルフは店端の椅子に腰かけた。ざっと店内を見まわし、そういえば破かれた外套も買い直さねばと思い出す。
「くそ。出費だらけだ」
 金を渋る方ではないが、無駄金を出すのが嫌なのは当たり前だった。いくら命を救われた立場とはいえ、こうまでされるいわれはない。そもそも余計なお世話だというのに。
(……いや。そこは違う)
 歪みかけた思考を冷静に正す。
 ヴォルフは身分を捨て傭兵として生きると決めてから、あらゆることを運命として受け入れると誓った。死に場所を求めるのではなく、いつ死んでも構わないという気概で生きていくと。
 傭兵は生きる手段であると同時に死を誘う手段である。ヴォルフはその刹那的な生き様に身を投じて、くだらないしがらみから飛び出したのだ。そこに後悔など微塵もない。
 ――だから俺は死に損なったのではなく。生を勝ち取ったのだ。そこに偶然、アイツの助力があっただけのこと。
「……ちょっとは我慢してやるか」
 少女に『お前の命を救ってやった』なんていう驕りがあったなら、何が何でも距離を置いていただろう。そんな気配は全くないどころか、少女は好き勝手に振舞っているだけだ。その生き様はヴォルフと重なるところが多い。それを憎からず思っていることも事実だった。お前はオレのものだ、という態度は鼻につくが行動は強制してこない。
 ただ、それはそれ、これはこれ。
 仕事の邪魔をするようなら跳ね除けなければならない。そこは譲れない一線である。
(しかし、教会がこれほどの金を表立って動かせるとは。どういう依頼だ?)
 改めて依頼に思いを馳せる。
 ぱっと思いつくのは要人警護だが、宗教都市の守りの要である聖騎士団の膝元でわざわざ傭兵を呼び寄せるとは思えない。囚われた要人の救出なら分かるが、それだと表立って召集する意図が不明だ。それ以外なら探索か。それとも。
(魔界への潜入、とかか?)
 あり得ない、と鼻で笑う。とある町で、これ以上の額を積んだ聖職者が魔都市に堕ちたレスカティエへの潜入依頼を貼り出していた覚えがあったが、その結果は推して知るべしであった。誰も相手にせず、そのうち依頼はひっそりと取り下げられた。諦めたか、自棄になって自分で向かったか。その聖職者の行方は知られていない。それほど無謀な依頼であれば断るのも躊躇しないが、実際は分からない。話の始まりは教会に行ってからだ。
 状況を整理していると店の入り口の鐘がなった。来客である。
「邪魔するよ」
 スゥっと滑るような足取りで店内に踏み入ってきたのはステッキを握った淑女だった。姿勢の良い、凛とした佇まいはまるで紳士のようで、上流階級を思わせる仕立ての良い服は男性のもの。さらにはシルクハットまで被っている。
 だが上着を押し上げる豊満な胸の膨らみと、腰のくびれからS字ラインに突き出た尻の形は女性と判断するに十分だった。翡翠を思わせる明るい緑の髪色はずいぶんと目立つ。
「おや。店主はご不在かな?」
 ひとり言を呟き、ヴォルフへ視線を寄越す。『君に話しかけている』と言外に向けてくる態度が面倒で、ひと癖ありそうなやつだと溜め息が出そうになった。関わり合いたくないが、無視をするのも据わりが悪い。
「悪いな。いま俺の連れと一緒に奥にいる」
「ありがとう。まったく、いい加減小間使いのひとりでも雇えばいいものを」
 口ぶりからして常連だろう。女はやれやれと溜息を吐くと、ヴォルフの顔をじっと見つめる。黄金色に輝く眼は瞳孔が少し薄く見えた。
「初めて見る顔だね。格好を見るに護衛の傭兵と言ったところかな?」
「そんなところだ」
 実際、街中で同業らしき人間は何人か見かけた。行商人の護衛は傭兵の主だった仕事だ。
「私はノエル。どうぞよろしく」
 不意に名乗り、手袋を外した手を差し出してくる。
(面倒だな)
 名乗られたらからには名乗り返さなければ角が立つ。関わり合いたくないと思った矢先にこれだ。咄嗟にうまい返しも思いつかないので、しぶしぶ応える。
「ヴォルフだ」
 言いながら手を握る。折れそうなほど柔らかで、少女の手とはまったく異なる印象を覚える。ひやりとした感覚に似合いの肌白さだった。
 軽く握ってすぐに手を離す。するとノエルは握った手をまじまじと見つめ、ヴォルフに視線を投げた。
「君だったか。いいね、期待以上だ」
「なに?」
「ノエル様。いらしていたのですね」
 聞き返そうとしたその矢先、パタパタと足を鳴らして店員が帰ってきた。少女の姿は見えない。まだ選んでいる途中のようだ。
「お待たせしております、お客さま。もう少々お時間をいただきます」
「あぁ、わかった」
 丁寧に声を掛けてくる店員に頷く。何とも細やかな心配りだなぁと、他人に気を遣われる久々の感覚が染みてしまうヴォルフだった。
 ノエルは店員へ視線を移すとステッキを持ち直す。
「どうやら間が悪かったようだ。私は出直すよ」
「申し訳ございません」
 深々と頭を下げる店員に、ノエルはにこやかに微笑んだ。
「構わないさ。腹ごしらえにサンドイッチをつまんでこよう。ヴォルフ君もこの街に来たなら大通りの角の店にぜひ足を運んでくれたまえ。あれはちょっとしたものだよ」
 大仰な仕草でウィンクまでしてみせる。
(おかしな女だ)
 先ほどの思わせぶりな反応を蒸し返す気力が削がれる。こいつとはなるべく関わりたくない。
「ではまた」
 上着の裾を翻し、カツカツと歩き出す。そのまま去っていくのかと思いきや、ノエルは閉まりかかった扉に手をかけた姿勢で、ヴォルフへ振り返った。
「君のお連れさま、見事な踊りだったね」
「っ!」
 ドキリと心臓が跳ね上がる。
 見られていた、という驚きではない。あの場に居合わせた人間すべてに注意を払っていたわけではないし、どこぞで噂になっていてもおかしくはないからだ。問題は、つい先ほどの出来事を把握しているということ。それだけ耳が広いのか。あるいは初めから注目されていたか。
 警戒心を引き上げると、ノエルはにんまりとした不気味な笑みを浮かべた。
「君の踊りも楽しみにしているよ」
 その言葉を残し、男装の女は煙のように去っていった。
24/08/14 19:46更新 / カイワレ大根
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