連載小説
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逢 ーであうー
ゆっくりと意識が暗闇から脱していく。死んでもおかしくはない状況だったはずだが、どうやらまだ生きているらしい。何か柔らかい物の上で寝かされている。もしかすると、通り掛かった誰かが助けてくれたのかもしれない。

テザが瞼を持ち上げて視界を開く。最初に目に飛び込んで来たのは二つの球体とその上から自身の顔を覗き込む女性だった。


「あ、よかったぁ、気がつきましたねー。お怪我はありませんかぁ?」


聞いているだけでも眠くなってしまいそうな間延びした声がテザの容態を案ずる。どうやらご丁寧に膝枕で介抱してくれているらしく、視界に映る二つの球体は彼女の豊満な乳房らしいということをテザは理解した。

とりあえず、起きて礼を言わなければ。

テザは一つ深呼吸をして彼女の膝枕から上体を起こし、彼女の方向へ座り直そうとする。そこで始めて周囲の状況を確認し、テザは目を見張った。


「な……なんだ、これ」


肉の壁、肉の部屋。そうとしか言いようのない異様な光景がそこには広がっていた。赤黒いぶよぶよとした感触の柔らかい何かが床、壁、天井、全てを覆い尽くしており、時折脈動しているその肉のようなものからは粘度の高い液体が分泌されているらしく、天井から糸を引いて垂れ下がってきた滴が座り込むテザの足元に落ちる。

よく見ると自分を介抱してくれていたらしい女性もその容姿は全体的に薄桃色、そして衣服を一切身に付けていないという異様なものであり、なにより彼女の太腿から下には人間に在るべき二本足は無く、膝の辺りでまた一つの肉に結合しその先は更に奥の暗がりへと続いている。周囲の空間と一体化しているということが目の前の女性が人間ではない異形であるということを示していた。


「あ、あのぉ……」

「ちっ近付くな!!」


近寄ろうとする異形の女性にテザは思わずそう叫び、腰に手を当てて武器を抜こうとした。

しかし、愛用のククリナイフの柄があるはずの場所にはなにも無く、空を切った右手は背後の壁にぶつかる。周囲の壁とは質感の違う、固い壁。
テザは目の前の女性から目を離さないよう、一瞬だけ後ろを振り向く。
そこには肉の壁が円形に途切れて、代わりに外側に向かって凹んでいる白い壁が見えており、その壁は中心に向かって放射線状に切れ込みのような線が刻まれていた。

テザはすぐに心当たりを思い出す。自分の真下から現れて、自分を空に突き飛ばしたサンドウォームとかいう化物。意識を手放す寸前、それの口が開くところしっかりと見ていた。鈍く光を反射する円錐が十本ほどの鋭い牙に分かれ、花のように開く様子を。
その花が開く前の状態を裏側から見ればちょうどこの白い壁のようになる。

つまり。


「……喰われた……」


状況を理解し絶望したテザは放心して思わずそう呟いていた。
あの場には少なくともあと三体のサンドウォームがいた。まともに襲われたのだとしたら、あの一行はほぼ確実に壊滅状態であると容易に推測できるし、助けはほぼ確実に来ないと見ていいだろう。もし仮に何かの間違いで助けが来たとしても、その一行には自分が消化されてしまう前にあの巨大砂ミミズの中から救出して貰わなければならない。何故か辛うじて生きてはいるが恐らくこの先の生存は絶望的だろう。


「……え、えぇとぉ……あの、そのぉ……」


異形の女性の何やらもじもじとする態度も意に介さず呆然として柔らかな肉の床に座り込むテザの上から先程も落ちてきた粘液がまた上から糸を引いて滴り、今度は太腿のあたりに落ちる。すると液体が触れた箇所の衣服、動きやすい丈夫なズボンであるが、その繊維が見る見るうちに厚みを減らしていき最後には彼女の親指が通りそうなほどの大きさの穴が空いて、その下にある浅黒い素肌を露出させた。

これは、消化液か。私はこの化け物の体内で身体を溶かされ跡形もなくなってしまうのか。

粘液が染みわたり少しずつ広がっていくズボンの穴を見ながら、素肌に液体が触れるひんやりとした感覚を覚えテザはそう考える。


「……ん?」


しばらくその様子を眺めていたテザはふと疑問を覚える。素肌にはしっかりと数秒で触れた衣服を溶かし穴を空けるほどの分解力を持つはずの粘液が触れている感覚はあるものの肌が溶けていくような様子が無い。
酸を被った経験があるわけではないが以前の商隊の護衛中、酸のような液体が入った硝子瓶を武器として使用する山賊に遭遇したことがあった。その山賊の投げた硝子瓶は近くにあった果物の入った木箱の縁に直撃して砕け、液体がかかった木箱、果物が白い煙を上げて大きく変形、変色していく様子を見ながらこれが肌に触れれば只では済まないだろうと生唾を飲んだことを彼女は思い出す。

テザは立ち上がって左腕を赤い外套で包み、粘液を分泌している近くの肉壁に押し付けた。壁に触れた部分の外套、そして砂漠の強い日差しから肌を守る長袖の服が無くなり彼女の腕が生温かい肉と液体に覆われるも、それ以上何かが溶ける様子はない。


「溶けない……?」


テザが左腕を壁から離しながら呟く声に俯いた異形の女性はすぐに反応した。


「あ、は、はい。この液体は着ているものだけをを溶かすんですよー」


テザは声のした方向に視線を向ける。彼女の赤い外套は楕円状に穴が空き、その下にあったはずの長袖は壁に触れていた部分だけ消失して反対側に残った布が肘のあたりからボロ切れのようにだらんと垂れ下がっていた。

今まで捕食されたことによる動揺であまり気に留めていなかったが、よく考えたらコイツは一体なんなんだ。明らかに人間ではないが人の形を模していて言葉は通じている。改めて見てみるとその整った顔立ち、豊満で形の良い胸、腰と尻の差が作り出す滑らかな曲線は人間としてであればかなり美しく魅力的な女性であると同じ女性であるテザの視点でもそう思えた。


「……その……お前は……なんだ?」


異形の女性に何を聞くべきか散々迷った挙句、テザは思ったことをそのまま口にしてしまう。あまりにも要領を得ない質問であると自分に向けて苦笑いするが異形の女性はその質問にできる限りで答えてくれたのだった。


「そおですねぇー、私はぁ、この空間そのものっていうかぁ、何なら外のいかついのも私ですしぃ……あ、この場所はですね、あなたも見たと思うんですけどぉ、あのおっきいのの中なんですよぉ」

「いや……それは何となくわかっていたんだが……つまり私は、お前に喰われたってことなんだよな?」


その言葉に異形の女性は顔を俯かせ声のトーンを一つ落として応える。


「は、はいぃ……本当にごめんなさい……あなたを巻き込むつもりじゃなかったんですけどぉ……近くにいたのでぇ……」


異形の女性は上目遣いにテザの顔色を窺いながら話した。よく見ると彼女の後ろの壁の隅に見覚えのある袋が落ちている。粘液のせいで半分以上が溶けて中身が零れ出ていた。内容は肉の燻製、魚の塩漬け、野菜の酢漬け、瓶詰めのジャムなどの保存のきく食糧。確かテザの近くを一緒に歩いていたラクダがこういったものを運んでいたはずだ。


「もしかして……腹減ってたのか」


その言葉に女性はコクコクと何度も頷く。これまでの話の内容と態度からテザはその女性に敵意が無いこと、ある程度話が通じること、自分を食料として捕まえたわけではないことを判断し、それならばと女性に対して一つ申し出をする。


「あー、うん。わざとじゃないのはわかったからさ、とりあえずこっから出してくれ。私を食うつもりでもないんだろ?」


背後にある白い壁を親指で指しながら言ったテザだったが異形の女性の放った言葉は予想外の物であった。


「は……はい……あなたは食べません……食べないんですけど……あなたを今すぐここから出すこともできないんです……ごめんなさい……」


その言葉を理解するのに少し時間がかかったが何とか飲み込んだテザは食い下がるように口を開く。


「え……な……なんでだ。私を狙ったわけでも、偶然口に入った私を食べるつもりも無くて、それで出られないってのはどういうことだ。私の後ろのコレ、多分あれの口だろ?あのでっかいミミズがアンタの身体ならここ開ければ出られるじゃねぇか」


思わず少し語気が荒くなったテザの言葉に異形の女性は少し身を竦め、しばらく考え込んだ後、申し訳なさそうに泣き出しそうな声で話を始めた。


「……私たちのことについてお話しますね。と言っても私は同じ種族の他の子とお話ししたことは無いので私の話なんですけどぉ……普段、私は砂の中でじっとしていて地上に生き物の反応を感じるまでは動くことが無いんです。今も実は砂の中に潜ってるんですけど、それで、あなたたちみたいな生き物が私の感じる範囲の地上を通ると身体の外にある器官がその微妙な振動とか音を感知してそこに向かうんです……で、あの、その動きは、なんというか、ずっと起きてたら眠くなるとか、何も食べなかったらお腹が減るとか、びっくりしたら目を瞑っちゃうとか……そういう感じの行動で私の意思とは異なるものなんです……えーと、そのぉ、だからつまり」

「この空間内は自分の思う通りに動けるけど身体の外側を自由に動かすことはできない、とどのつまり、砂中から地上に出ることも、この口を開くことも、地上に獲物が通らない限りできない、と」

「そ、そういうことですぅ……ごめんなさい……」


大体の話を理解したテザは思わずため息をついた。あの砂漠を通るルートは一般的ではないと自分の前を歩いていた男が言っていたことを思い出す。次に自分の後ろの口が開くのは何週間後か、それとも何か月後か。仮に地上に出て口が開いてもその時にうまく脱出できるかはわからない。とりあえず彼女が今わかることは自分が外に出るためには当面この空間で生きていかねばならない、ということだけであった。


「……なぁ」

「はっ、はいぃ!」

「アンタの話を総合すると私はしばらくここで生きていかなきゃいけない」

「は、はい、そうですね!あの、私、できる限りあなたが快適に生活できるよう心がけます!」

「……本当に私を食うつもりはないんだな?」

「食べませんってばぁ!」


異形の女性は両手を握りしめて必死に訴える。テザは成熟した妖艶な大人の女性を模した容姿と子供っぽい振る舞いのギャップに不思議な心地よさを覚えていたのだった。今まで男集団の中にいたせいかもしれない。


「じゃあ、いつまでになるかわからないがここに居候させてもらう。もっともここに連れてきたのはお前だが……まだ名乗っていなかったな、私の名前はテザ。お前は?」


当面の方針を決めてテザは柔らかな肉の床に座り込んで異形の女性を眺めた。もともと寝床は選ばない質だ、見た目は少しグロテスクだが砂の中にいるせいか温度は快適、湿度は高いが砂漠の岩の上よりはよく眠れる寝床だろう。
名前を聞かれた異形の女性は豆鉄砲を喰らったような顔をした後、おずおずと答える。


「……名前……わかりません」

「え、無いのか」

「いえ、あったような気もするんですけど……ずっとここに一人で誰かに呼ばれることもなかったから忘れちゃいましたぁ、えへへ……あ、あの、テザさんが好きなように呼んでいただければ……」

「そうだなぁ……」


テザはしばらく視線を空中に逸らし、思案した。目に映るのは肉の壁、肉の天井、薄桃色の異形の女性、肉の壁。


「……ラム、今日からお前はラムだ」

「ラムぅ……ラム、えへへ……わかりましたぁ、これからしばらくよろしくお願いしますねー……ところで、あの、どうしてこの名前に?」

「いや、最後に食った肉が羊肉だったから」

「……もしかして、お腹減ってます?」

「……まぁ、それなりに」


こうして一人と一匹、テザとラムの奇妙な共同生活が始まったのである。
22/01/31 22:55更新 / マルタンヤンマ
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