連載小説
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潜 -ひそむ-
夜が明けて東から陽が昇り始めた、とある砂漠地帯。砂と岩と長時間乾燥した風と強い日差しに晒され干からびた植物の成れ果てしか存在しないその場所に列をなして進む幾つかの影。
人、人、ラクダ、ラクダ、人、ラクダ、人、人、ラクダ、人、ラクダ……。
その一団はある国で買い込んだ物資、食料品、名産品などを別の国で売り捌いて生計をたてる商人達で構成されたキャラバン隊である。魔物と敵対するいわゆる反魔物国家を中心に渡り歩き貿易を行っている彼らは今日も大量の荷物を十数頭のラクダにこれでもかと積み込み、その砂漠地帯を通ってとある国へと輸送中なのであった。


「しかし、砂漠越えがキツいとはいえなんでみんな回り道するんだろうな」


前を歩く男が隣を並んで歩くもう一人の男にそんなことを言った。今運んでいる物資を買い込んだ国から目的地である国まではこの砂漠地帯を通るのが最短ルートであるが一般的には砂漠を避けて遠回りするルートが取られることが多いらしい。確かに砂漠は極度の乾燥に加え昼夜の寒暖差も激しく、砂で足を取られ歩く速度も落ちる。生半可な準備で立ち入ろうとすれば命に関わるような場所だが、この商隊はこれまでも数多くの砂漠を越え物資を輸送してきた経験があり、この距離の砂漠地帯なら難なく越えられるものと踏んだらしい。


「まぁそれは、俺達が砂漠越え慣れてるからだろ。マトモな神経してる人間なら多少遠回りでも砂漠は避けるさ」

「いやでもよぉ、砂漠避けても山道だぜ?あの山もそれなりに大きいし、高低差考えたら結局移動距離は二倍以上になって、その分食料も要る。確かに砂漠越えは準備がないと命落とすけど逆に言えば準備万端なら越えられるんだよ。なのになんで回り道するんだろうな、って」


前から聞こえてくる二人の男のやり取りに聞き耳を立てる。
出発地点の国と目的地の国を最短で結ぶのは一行が現在進行形で行っている砂漠越えであるが砂漠を避ける場合、地形の関係上どう頑張っても山地を越えなければならない。その山も先程、男が言ったように低い山というわけではなく、その山道も足場が悪い箇所や険しい坂道なんかも所々にあるらしい。対して砂漠を越えるルートは環境自体は過酷だが比較的高低差が少なく距離も短い。
男の片割れは何故こちらのルートが一般的ではないのかと疑問を覚え、仲間との退屈凌ぎの話題にしているようである。


「まぁ、砂漠に限らず雪道とか沼地とか、足を取られるところを歩くのって慣れてないとかなり体力持ってかれるからなぁ、それなら多少遠回りで坂とかあってもしっかりした道の方がいいんじゃないか?……あ、そういえば」


片方の男が何かを思い出したかのよう呟く。


「この砂漠、何十年か前は魔物がウヨウヨいたらしいぜ。今じゃあんまり姿を見かけないがそれでも時々目撃されることもあるらしいから、やっぱりそういうのも関係あるんじゃねぇか?どっかの国はそこまでやるかよってくらい徹底的に魔物嫌ってるらしいし」

「それこそ準備じゃねか。俺達みたいに積み荷を狙う賊も魔物もズタズタにできる心強い味方を雇えばいいんだよ。なぁ?」


男が突然後ろを振り向いてこちらに視線を向け、それに釣られるようにもう一人の男も後ろを向いた。自分が急に会話に巻き込まれたことは理解できたが、だからといってにっこりと微笑んで談笑する愛想の良さは持ち合わせていないため、ぶっきらぼうに応える。


「……なんだ」

「相変わらずツレねぇなぁ、傭兵さんよ」


そう言って笑う男を赤い外套に身を包んだ浅黒い肌の女性は眉間にシワを寄せて睨み付けた。睨まれた男は依然ヘラヘラと笑っているがその隣を歩く男は視線だけで獣をも殺せそうな眼差しを目の当たりにして震え上がる。
彼女の名はテザ。キャラバン隊を護衛するため雇われた傭兵の一人で、そのキャラバン隊の商人達と共に各国の様々な土地を移動している。
女性として決して背が低いわけではないが揃いも揃って筋骨隆々の傭兵集団の中で紅一点の彼女は相対的に小柄な体格であり、なんならその一団のほとんどの商人達よりもその身長は低い。そのため傭兵仲間のみならず商人達からも、良く言えば可愛がられているような、悪く言えば嘗められているような扱いを受けることもしばしばあった。
しかしその身軽さ故のすばしっこさと身体のしなやかさを活かした、一気に相手の懐に入り込んで急所を突く戦い方は他の傭兵達にはできないものであり、尚且つ乱戦では交戦中の仲間の支援もして回れるフットワークの軽さを持つ彼女は他の仲間達から一目置かれる存在でもある。


「……そっちで話すのは勝手だが会話に巻き込まないでくれ。喋ると無駄に口が乾く」

「いいじゃねぇか、ちょっとくらい。なんなら俺が口移しで喉潤してやろうか?今なら美味しいミルクも付けてやるぜ」


男の発言にテザの眉間のシワがさらに深く刻まれた。男所帯のこの一団で命知らずの男による、こういった彼女に対するデリカシーのない発言は日常茶飯事であり、それが傭兵仲間のものならば彼女も実力行使で黙らせるのだが商人達は曲がりなりにも雇い主の関係であるため手は出せない。大体は一瞥すれば黙り込む輩が多いのだが、その男はよほど命が惜しくないのか口を閉じる様子はない。彼女は咄嗟に殴りかかりそうになるのをなんとか抑え、拳を固く握って言った。


「……アンタのそのよく回る舌とケツ拭いた後の紙より使い道のない股座の粗末なモンをズタズタにしてもいいなら相手してやる。前の街で研いだ武器の切れ味も見ておきたかったからちょうどいい」


テザは強圧的な声色でそう言って腰に差した愛用のククリナイフの柄に手をかけ、精一杯邪悪な笑みを作って男を睨み付ける。その言葉が効いたのか男は一瞬たじろいだ後、口を開いた。


「じょ、冗談じゃねぇか、そんな怖い顔しなくてもいいだろぉ」

「悪いな、私は品の無い冗談とそれを面白いと思ってる奴が大嫌いなんだ。さっきの言葉は聞かなったことにしてやるから黙って前を向いて歩け」


返す言葉を失った男はぶつぶつ言いながら進行方向に向き直り、それまでと同じペースで歩みを進める。隣の男は二人の一連のやり取りを見て大袈裟に肩を竦めていた。
しばらく無言で歩き、前の男が声をかけてくる気配がないと判断したテザは小さく溜め息をついて、横を向き男を視界から外す。少し喋っただけなのにとてつもない疲労を感じた。こうやっていつも大げさに反応するので、悪ふざけが好きな傭兵仲間達からは何度もからかわれてしまうことを彼女自身わかってはいたが、それでも何か趣味の悪い冗談を言われるたびに彼女は激昂して言い返すか、遠慮なく拳を振るってしまうのだった。
今、彼女の視界に映っているのはどこまでも続く荒涼とした砂と岩の大地、そして遥か彼方には灰色の岩肌が剥き出しの山々が聳え、その上には突き抜けるような青空が、昼が近づくにつれ徐々に強くなる日射しを一切遮ることなく地に降り注がせている。
過酷であり、それ故に雄大な自然の景色を見て少し荒んだ気分を入れ換えたテザが再び歩くことに集中しようと前に向き直りかけた、その時。

彼女の視界が遠くに舞い上がる砂煙と何やら蠢くモノを捉えた。

目を凝らすも余りにも遠すぎて肉眼では何かが動いていることしか確認できない。テザは一瞬思考を巡らせ先程の男に話しかけた。


「おい」

「なっ、なんだよ、さっきのやり取りは水に流したんじゃねぇのかよ」

「なにか遠くの物がはっきり見えるような物は有るか。望遠鏡とか双眼鏡とかの類いの物だ。有るなら貸してくれ」


突然の申し出に男は隣の男と顔を見合わせたが、すぐに隣の男が肩に提げた袋から筒のようなものを取り出してテザに差し出した。
彼女は奪うようにそれを受け取ると先程の砂煙があった所へそれを向けて覗き込む。
丸く縁取られた視界には既に動く物はなく、つい先程までそこに何かがいたことを示す砂煙が時間と共に風に吹かれてその痕跡を消していく様子しか映し出されない。
ただのつむじ風だったか。あるいは。
テザがそこまで考えたところで丸い視界の端の砂が再び大きく舞い上がった。彼女は反射的に視界を移動させそれを中心に収める。

一言で言うなら、ミミズ。しかしこんな干からびた土地の地中にミミズなんているはずもなく、その甲殻に覆われていると見受けられる体躯はミミズと呼ぶには余りも禍々しいフォルムであり、そもそも同じ視界にある岩と比べて大きすぎる。距離感が狂いそうなほどのスケールの怪物の出現に目眩を覚えかけたテザであるがそれはすぐに戦慄へと変わった。

こちらに、来ている。

彼女がその事実を認識した時、列の前方から男の叫び声が響いた。


「進行方向にサンドウォーム二体確認!!こちらに向かってきている!!」


サンドウォーム。それについてテザには名前と砂漠の怪物であるという程度の知識しかなかったが今の状況が危険であると彼女が認識するにはそれでも十分だった。


「左にも一体確認!!恐らく近づいてる!!」


テザが大の男ですら怯んでしまうほどの大声で先程の声に呼応する。二つの叫びで一行は一気に緊迫した雰囲気となり、傭兵達は皆それぞれの武器を取り出して、それとほぼ同時にテザもククリナイフを抜いた。サンドウォームはもう目視が十分可能な位置までかなりの速度で近づいており、地面もその動きに合わせ小刻みに揺れている。あれだけの大きさの怪物に自分の武器が通用するかはわからないが彼女は傭兵、雇われたからにはこの商人達のために戦わなければならない。
彼女がナイフを強く握り直したその時、一際大きな揺れが一行を襲った。


「ッな!!!」


立っていることすらできないような大揺れに商人達は地に這いつくばり積み荷を載せたラクダ達もパニックとなる。テザは持ち前の体幹とバランス感覚でなんとか転ばないよう持ちこたえ揺れる視界の中、再び声を張り上げた。


「大丈夫か!!」


周りを見渡すと列の先頭から後方まで、傭兵達も含め例外なくほぼ全員が四つん這いの身動きの取れない状態となっており、よく調教され普段は大人しい筈のラクダ達もこの異常事態から逃れようとしているのか、手綱を持っている商人を引き摺って暴れ回っている。
そして列の先頭の、そのまた先。前にいる誰かが叫んだ通り、そう遠くはないであろう位置に甲殻で身を包んだ巨大なミミズが二匹、それぞれ不規則な螺旋の軌跡を描きながらこちらに近づきつつあった。左側の彼女が発見したサンドウォームも砂の海を跳ね回りながらどんどん距離を詰めている。
もう逃げるような時間もない。そう思って歯を食いしばるテザだが、それと同時に彼女の脳裏にある疑問が思い浮かんだ。

何故、列の先頭が見えている。

この一団の男達はほとんどがテザより背が高く、全員が一列に並ぶと彼女が列の先頭でない時、彼女は自分の前、良くてその一つ前に立つ人物の後頭部しか確認できないのである。しかし今、隊列の真ん中あたりにいたはずの彼女は先頭で這いつくばっているその商隊のリーダーから最後尾でラクダに引き回され砂まみれになっている男まで、その一行を全て見渡すことができていた。
これはまるで、急に背が伸びたような。

違う。
これは、下の地面が盛り上がっているのか。

テザがそれを理解し反射的に下を向くのと、真下から突如現れたもう一匹のサンドウォームが彼女を大きく空中に打ち上げたのは、ほぼ同時のことだった。
22/01/31 22:54更新 / マルタンヤンマ
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