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「ただい……なに、その格好」
「…………」
今年最後の仕事も納め、家に帰宅すると玄関にて見知った少女が妙な出で立ちで彼を出迎えた。
全体的に藍色っぽく胸部は赤色、腹部は黄色で両腕には鎌のようなものが付いた、頭までフードですっぽり覆えるゆったりとした服を着ている彼女はサキュバスの一種であるアリスという魔物で数ヵ月前にひょんなことから彼と知り合い、なんだかんだでひとつ屋根の下にて彼は社会人として、彼女は学生として仲睦まじく生活している。
いつもなら彼女が家にいる場合、少しトーンの上がった声とにこやかな笑顔で出迎えられる筈なのだが今日はどこか様子がおかしい。
「……あのー」
「…………」
「……え、えっと、とりあえず荷物置いてくるから」
何も言わない彼女の脇を通り抜けて、肩に提げた鞄を自分の部屋に置きに行こうとしたその時。
「ギシャァッッッ!!!」
「うおっ!?」
それまで微動だにしていなかった彼女が突然両腕を振り上げて、その小さな口から発されたとは思えないような音を響かせた。
その時、彼は帰宅して初めてフードを目深に被った目の前の少女と視線がぶつかる。
彼の胸よりも下の位置から顔を見上げる鋭い視線は何かを訴えているかのようであり、ただ拗ねているだけにも見えたが彼はその眼差しから言葉にならない強い感情を感じ取った。
鞄を一旦玄関の端に置き、彼は身を屈めて目線を少女に合わせる。
「…………」
「ぎ、ぎしゃ……ぁ……う……」
「……どうしたの」
「……が、がおぉん……」
彼女は妙な唸り声をあげて彼から目線を逸らしてしまう。
「……実は帰りに美味しいシュークリーム買ってきたんだけど」
「えっホント!?」
「…………」
「あっ、ぅ……が、がおー……」
もしかして彼女が言葉を喋ることができなくなったのではないかという彼の心配は杞憂に終わった。人間の常識が全く通用しない魔物娘の生態に彼は度々振り回されているが今回はその類の事が原因ではないようだ。
彼は彼女に目線を向けたまま先程言った言葉を繰り返す。
「どうしたの」
「う、が、がぅ……」
「オレに伝えたいことがあるのはわかるけどさ、言ってくれなきゃわからないよ」
「ぅ……ぁ、うぅ……」
彼女はしばらく俯いたまま言葉にならない声を漏らしていたが、やがて彼と目を合わせるとその両腕を大きく広げる。その仕草の意図を察し、彼が屈んでいた姿勢を戻して同じように腕を広げると彼女が待っていたかの如く、彼の腕の中へと飛び込みしっかりと抱きついた。
「……おかえりなさい、お仕事、おつかれさま……です」
ここでようやく彼女が帰宅した人間を出迎える言葉を発する。彼は腕の中の妙な着ぐるみを着た少女の頭に手を置きながら、その言葉に応えた。
「うん、ただいま。忙しくなるとは言ってたけど、やっぱり忙しかったよ」
年の瀬も目前に迫る中、ここ二週間ほどは毎日帰宅するのが日付が変わる頃になってしまうくらい彼の仕事は繁忙期を迎えていた。この時期は忙しくなると一ヶ月ほど前から彼女にも話しており、彼女も仕方ないことだと納得してはいたのだが理屈では割り切れないものがあったようだ。
「……寂しかった」
「ごめんな、可能な限り早く帰れるよう頑張ったんだけど」
腕の中で彼女がふるふると首を横に振り無言で彼に帰りが遅くなった責任がないことを伝える。
かたや彼女は冬期休暇中の学生であり申し訳ないとは思いつつも深夜帰宅するまで丸一日留守番を任せてしまっていた。日中は友人たちと遊んだりして気を紛らわせていたようだが、やはりずっと一人で帰りを待つというのは彼女には少々堪えたようだ。
「……今日まで、だよね」
「おう、明日からはしばらく休みだ。ゲームでも宿題でも何でも付き合ってやる」
「……えへ」
彼女が胸板に頬擦りしながら嬉しそうに笑う。ようやく彼女の機嫌が少し良くなりほっと一息ついた彼はずっと気になっていたことを訊いた。
「……で、その格好はどうしたの」
「ふぇ?……あ、これはですね」
深い青色のフードを被った彼女が一旦彼から離れ、その服を見せつけるようにポーズを取って言う。
「あなたがここ最近構ってくれないので私はアリスから『ガブアリス』に進化してしまいました。これは大変です」
「……はぁ」
「さみしがり個体のアリスをしばらくの間、一人で放置するとガブアリスに進化してしまうのです。ガブアリスはヤバいです、対戦環境を破壊します。がおーん」
「そっかぁ、それはヤバいなぁ」
「はい、ヤバいです」
「……その服、かわいいね」
「今日、買い物に行ったときに見かけて衝動買いしてしまいました。反省はしてませんが後悔もしていません」
どうやら彼女が最近遊んでいるゲームのキャラの名前をもじって、そのキャラに扮していたようだった。彼女がこういった遊びをすることは珍しくはないのだが、帰宅時の荒ぶりようを見る限りそうしても誤魔化せないほどの孤独を感じていたようである。
「がおー」
「よくできてんなぁ」
「……あ、あの、ご飯できてるので」
「あ、そうだな、シュークリームもとりあえず冷蔵庫入れないと」
「先にお風呂にしますか?」
「うーん、そうだな。サッとシャワー浴びてからにするか」
「わかりました」
そんなことを話ながら彼は思い出したかのように靴を脱いで玄関に上がり、嬉しそうな彼女に鞄と上着、そして菓子の入った箱を預けて浴室へと向かった。
彼が浴室から上がると彼女が作った夕食がほどよく温められており、それに舌鼓を打った後、テレビの前のソファに座る彼は上機嫌な彼女を膝の上に乗せ、二人で映画を見ながら買ってきた食後のデザートを片手に寛いでいた。
「ふふ、おいしいです、これ、はむ」
「ならよかった。服にクリーム溢すなよ、買ったばっかだろ」
「もご、はふふ。むぐ」
「ゆっくり食えって。逃げないんだから」
彼は小さな口一杯にシュークリームを頬張る彼女を窘めつつ今まで寂しい思いをさせてしまった分、気の済むまで甘えさせてやろうと思い、しばらくの間その体勢でぼんやりとテレビを眺めたり他愛もない話をしていた二人であったが。
「……すまん、ちょっと一旦退いてくれないか」
「どうしましたか」
「いやちょっと、脚が怠いから体勢を変えたい」
特に他意はなくそう言った彼だが完全に甘えモードに入っていた今宵の彼女はその場から一ミリたりとも動こうとはせず会話を続けた。
「それは私の体重が重いということですか」
「え?……いや、別にお前が重いとかじゃなくて脚に長い間何か乗せてるとどうしても疲れるんだよ。またすぐ戻っていいから、とりあえず一回降りてくれ」
「釈然としませんが仕方ないですね、やってみましょう」
やってみる、という言葉に彼が違和感を覚えたのも束の間、膝の上から「ぬーん」というわざとらしい唸り声が聞こえた後、ため息をついて再び彼女が口を開く。
「ダメですね。ガブアリスはメロメロ状態なので動けません、諦めてください。ぎゃおーん」
「…………」
でたらめな言葉に思わず閉口してしまう彼だが、仕方がないとはいえ片時も離れるのを拒むほど彼女に寂しい思いをさせてしまったのは自身のせいなので彼は大人しく彼女を膝から退かすことを諦め、彼女とじゃれあいながら体勢を変える方向に方針転換した。
「この甘えんぼめ。これならどうだ、こちょこちょこちょ」
「ひゃっ!……っ、く、ぅ、ひぅ、ひゃ、あは、あはははは!は……ふ、ふぅ、く、くすぐるとは卑怯な。攻撃と防御が下がってしまいました」
「下がってどうなるんだ……そういえば、ガブアリスはどんな技使えるんだ?」
「そうですね……」
彼の言葉に彼女はしばし思案し、答える。
「……からみつく」
「……ん?」
「しめつける」
「……いや、それ」
「しぼりとる」
「…………」
「ドわすれ」
「……あのなぁ」
なんとも言えない技のチョイスにどう反応すべきかと困惑していると彼女が膝の上で半回転して彼と対面し、そのまま抱きついて身体をまさぐりながら言った。
「ガブアリスは新しくじゃれつくを覚えました。さっきのお返しです」
「お、お?おふ、あはは、くすぐったいって。やったな、このっ」
「ひゃぁ!……あ、あなたもなかなかですね、負けません」
そうしてソファの上で組んずほぐれつして、再びしばらくの間じゃれあっていた二人だったが、ふと彼が違和感を覚える。
「……なぁ」
「なんでしょう」
「あの……お前、その下……何か着てるか?」
その言葉に彼女は一瞬ピクリと身体を震わせると密着しあっていた身体を少し離して膝立ちになり、座り込む彼に馬乗りになるような体勢で対峙してその視線を合わせた。
そして首元のファスナーに手を掛け、焦らすようにゆっくりと、それを引き下げ、内側を露わにする。
「……ガブアリスの特性は、さめはだです。触ったら削れます……体力とか理性とか自制心とか、色々」
「……夢特性かぁ」
彼は諦めたようにそう言うとテレビの電源を消し、熱を帯びた眼差しを向ける彼女を抱き抱えて二人の寝室へと向かうのだった。
「…………」
今年最後の仕事も納め、家に帰宅すると玄関にて見知った少女が妙な出で立ちで彼を出迎えた。
全体的に藍色っぽく胸部は赤色、腹部は黄色で両腕には鎌のようなものが付いた、頭までフードですっぽり覆えるゆったりとした服を着ている彼女はサキュバスの一種であるアリスという魔物で数ヵ月前にひょんなことから彼と知り合い、なんだかんだでひとつ屋根の下にて彼は社会人として、彼女は学生として仲睦まじく生活している。
いつもなら彼女が家にいる場合、少しトーンの上がった声とにこやかな笑顔で出迎えられる筈なのだが今日はどこか様子がおかしい。
「……あのー」
「…………」
「……え、えっと、とりあえず荷物置いてくるから」
何も言わない彼女の脇を通り抜けて、肩に提げた鞄を自分の部屋に置きに行こうとしたその時。
「ギシャァッッッ!!!」
「うおっ!?」
それまで微動だにしていなかった彼女が突然両腕を振り上げて、その小さな口から発されたとは思えないような音を響かせた。
その時、彼は帰宅して初めてフードを目深に被った目の前の少女と視線がぶつかる。
彼の胸よりも下の位置から顔を見上げる鋭い視線は何かを訴えているかのようであり、ただ拗ねているだけにも見えたが彼はその眼差しから言葉にならない強い感情を感じ取った。
鞄を一旦玄関の端に置き、彼は身を屈めて目線を少女に合わせる。
「…………」
「ぎ、ぎしゃ……ぁ……う……」
「……どうしたの」
「……が、がおぉん……」
彼女は妙な唸り声をあげて彼から目線を逸らしてしまう。
「……実は帰りに美味しいシュークリーム買ってきたんだけど」
「えっホント!?」
「…………」
「あっ、ぅ……が、がおー……」
もしかして彼女が言葉を喋ることができなくなったのではないかという彼の心配は杞憂に終わった。人間の常識が全く通用しない魔物娘の生態に彼は度々振り回されているが今回はその類の事が原因ではないようだ。
彼は彼女に目線を向けたまま先程言った言葉を繰り返す。
「どうしたの」
「う、が、がぅ……」
「オレに伝えたいことがあるのはわかるけどさ、言ってくれなきゃわからないよ」
「ぅ……ぁ、うぅ……」
彼女はしばらく俯いたまま言葉にならない声を漏らしていたが、やがて彼と目を合わせるとその両腕を大きく広げる。その仕草の意図を察し、彼が屈んでいた姿勢を戻して同じように腕を広げると彼女が待っていたかの如く、彼の腕の中へと飛び込みしっかりと抱きついた。
「……おかえりなさい、お仕事、おつかれさま……です」
ここでようやく彼女が帰宅した人間を出迎える言葉を発する。彼は腕の中の妙な着ぐるみを着た少女の頭に手を置きながら、その言葉に応えた。
「うん、ただいま。忙しくなるとは言ってたけど、やっぱり忙しかったよ」
年の瀬も目前に迫る中、ここ二週間ほどは毎日帰宅するのが日付が変わる頃になってしまうくらい彼の仕事は繁忙期を迎えていた。この時期は忙しくなると一ヶ月ほど前から彼女にも話しており、彼女も仕方ないことだと納得してはいたのだが理屈では割り切れないものがあったようだ。
「……寂しかった」
「ごめんな、可能な限り早く帰れるよう頑張ったんだけど」
腕の中で彼女がふるふると首を横に振り無言で彼に帰りが遅くなった責任がないことを伝える。
かたや彼女は冬期休暇中の学生であり申し訳ないとは思いつつも深夜帰宅するまで丸一日留守番を任せてしまっていた。日中は友人たちと遊んだりして気を紛らわせていたようだが、やはりずっと一人で帰りを待つというのは彼女には少々堪えたようだ。
「……今日まで、だよね」
「おう、明日からはしばらく休みだ。ゲームでも宿題でも何でも付き合ってやる」
「……えへ」
彼女が胸板に頬擦りしながら嬉しそうに笑う。ようやく彼女の機嫌が少し良くなりほっと一息ついた彼はずっと気になっていたことを訊いた。
「……で、その格好はどうしたの」
「ふぇ?……あ、これはですね」
深い青色のフードを被った彼女が一旦彼から離れ、その服を見せつけるようにポーズを取って言う。
「あなたがここ最近構ってくれないので私はアリスから『ガブアリス』に進化してしまいました。これは大変です」
「……はぁ」
「さみしがり個体のアリスをしばらくの間、一人で放置するとガブアリスに進化してしまうのです。ガブアリスはヤバいです、対戦環境を破壊します。がおーん」
「そっかぁ、それはヤバいなぁ」
「はい、ヤバいです」
「……その服、かわいいね」
「今日、買い物に行ったときに見かけて衝動買いしてしまいました。反省はしてませんが後悔もしていません」
どうやら彼女が最近遊んでいるゲームのキャラの名前をもじって、そのキャラに扮していたようだった。彼女がこういった遊びをすることは珍しくはないのだが、帰宅時の荒ぶりようを見る限りそうしても誤魔化せないほどの孤独を感じていたようである。
「がおー」
「よくできてんなぁ」
「……あ、あの、ご飯できてるので」
「あ、そうだな、シュークリームもとりあえず冷蔵庫入れないと」
「先にお風呂にしますか?」
「うーん、そうだな。サッとシャワー浴びてからにするか」
「わかりました」
そんなことを話ながら彼は思い出したかのように靴を脱いで玄関に上がり、嬉しそうな彼女に鞄と上着、そして菓子の入った箱を預けて浴室へと向かった。
彼が浴室から上がると彼女が作った夕食がほどよく温められており、それに舌鼓を打った後、テレビの前のソファに座る彼は上機嫌な彼女を膝の上に乗せ、二人で映画を見ながら買ってきた食後のデザートを片手に寛いでいた。
「ふふ、おいしいです、これ、はむ」
「ならよかった。服にクリーム溢すなよ、買ったばっかだろ」
「もご、はふふ。むぐ」
「ゆっくり食えって。逃げないんだから」
彼は小さな口一杯にシュークリームを頬張る彼女を窘めつつ今まで寂しい思いをさせてしまった分、気の済むまで甘えさせてやろうと思い、しばらくの間その体勢でぼんやりとテレビを眺めたり他愛もない話をしていた二人であったが。
「……すまん、ちょっと一旦退いてくれないか」
「どうしましたか」
「いやちょっと、脚が怠いから体勢を変えたい」
特に他意はなくそう言った彼だが完全に甘えモードに入っていた今宵の彼女はその場から一ミリたりとも動こうとはせず会話を続けた。
「それは私の体重が重いということですか」
「え?……いや、別にお前が重いとかじゃなくて脚に長い間何か乗せてるとどうしても疲れるんだよ。またすぐ戻っていいから、とりあえず一回降りてくれ」
「釈然としませんが仕方ないですね、やってみましょう」
やってみる、という言葉に彼が違和感を覚えたのも束の間、膝の上から「ぬーん」というわざとらしい唸り声が聞こえた後、ため息をついて再び彼女が口を開く。
「ダメですね。ガブアリスはメロメロ状態なので動けません、諦めてください。ぎゃおーん」
「…………」
でたらめな言葉に思わず閉口してしまう彼だが、仕方がないとはいえ片時も離れるのを拒むほど彼女に寂しい思いをさせてしまったのは自身のせいなので彼は大人しく彼女を膝から退かすことを諦め、彼女とじゃれあいながら体勢を変える方向に方針転換した。
「この甘えんぼめ。これならどうだ、こちょこちょこちょ」
「ひゃっ!……っ、く、ぅ、ひぅ、ひゃ、あは、あはははは!は……ふ、ふぅ、く、くすぐるとは卑怯な。攻撃と防御が下がってしまいました」
「下がってどうなるんだ……そういえば、ガブアリスはどんな技使えるんだ?」
「そうですね……」
彼の言葉に彼女はしばし思案し、答える。
「……からみつく」
「……ん?」
「しめつける」
「……いや、それ」
「しぼりとる」
「…………」
「ドわすれ」
「……あのなぁ」
なんとも言えない技のチョイスにどう反応すべきかと困惑していると彼女が膝の上で半回転して彼と対面し、そのまま抱きついて身体をまさぐりながら言った。
「ガブアリスは新しくじゃれつくを覚えました。さっきのお返しです」
「お、お?おふ、あはは、くすぐったいって。やったな、このっ」
「ひゃぁ!……あ、あなたもなかなかですね、負けません」
そうしてソファの上で組んずほぐれつして、再びしばらくの間じゃれあっていた二人だったが、ふと彼が違和感を覚える。
「……なぁ」
「なんでしょう」
「あの……お前、その下……何か着てるか?」
その言葉に彼女は一瞬ピクリと身体を震わせると密着しあっていた身体を少し離して膝立ちになり、座り込む彼に馬乗りになるような体勢で対峙してその視線を合わせた。
そして首元のファスナーに手を掛け、焦らすようにゆっくりと、それを引き下げ、内側を露わにする。
「……ガブアリスの特性は、さめはだです。触ったら削れます……体力とか理性とか自制心とか、色々」
「……夢特性かぁ」
彼は諦めたようにそう言うとテレビの電源を消し、熱を帯びた眼差しを向ける彼女を抱き抱えて二人の寝室へと向かうのだった。
21/12/17 22:47更新 / マルタンヤンマ