読切小説
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どうしてそんなに大きくなっちゃったんですか?
〜ジャイアントアントの場合〜


「……どうしてそんなに大きくなっちゃったんですか?」

「真面目にやってきたからであります、婿殿!」

彼の前にいるジャイアントアントが疑問に答える。しかしその答えは彼の腑に落ちるものではなかった。
その男は数年前、とあるジャイアントアントの女王蟻に見初められ婿として迎えられた。
群れの規模を拡大するために性交に性交を重ねる日々を年単位で送った結果、数百ものジャイアントアント達が生まれその目標を見事達成することができたと言える。魔物娘は通常、人間との子供ができにくいというのが定説だが、我が妻がそれを覆す繁殖能力を持つのはやはり『女王』と呼ばれる所以であろうか。

しかし多くの子宝に恵まれた弊害か、最初に住み始めた巣では拡張が追い付かなくなってしまい遂には群れごと新居に引っ越すことを妻と共に決めた。
新たな居を構えるにあたって、結婚前から一番近くで妻に仕える彼女の幼馴染であるという働き蟻のジャイアントアント、先程彼の質問に微妙にかみ合わない答えを返した彼女であるが、その彼女が是非自分に全て任せてほしいと胸を張って言うので立地や設計、デザイン、資材集め、建設等は彼女にすべて一任し、彼と妻の仕事は自室の要望を彼女に伝える程度に留まった。
今日はその新居の初お披露目なのであるが──。

「……でかいね」

「ふふ、そうね」

妻が隣で微笑む。そう、でかい。とにかくでかい。森の中に突如現れた岩山と見紛う巨大な要塞のような城は雲をも貫く高さを誇っている。通常地下や洞窟に巣を作るはずのジャイアントアントがこんな城塞都市とも言えるものを建築したのはひとえに我が妻の『今より数が増えても窮屈じゃないお家がいい』と『いつでも日向ぼっこできて洗濯物がよく乾くお家がいい』という要望──もとい気まぐれに応えるためであるだろう。女王蟻の命令であれば一般的な生態すら凌駕する彼女ら働き蟻の忠誠心には目を見張るものがある。が、しかし。

「ここまで大きくする必要はあったのか……」

「あら、いいじゃない。楽しそうで」

「そうはいってもなぁ」

彼女の要望に応えるだけであれば別にこんな都市レベルの規模の建物は必要なかったはずだ。そう思っていると先程のジャイアントアントが彼に言った。

「ここまでの規模になったのは婿殿のご要望によるものが大きいのですが、お気に召さなかったでありましょうか?」

え?と素っ頓狂な声を上げる彼とは対照的に彼の妻はしばらく考え込んだ後、
あぁ、なるほどねと合点がいった声を出すのだった。

「今よりも数が増えてもいいようにって要望のためじゃないの?」

「今より数が増えても対応できるようにするには地上にこのようなものを造るよりも地下に拡張性のある巣穴を造った方が効率的なのであります。女王様は自身の生活空間に広いものを所望されているわけではなかったので、従来のような巣穴の出入り口付近に日当たりのいいベランダ付き一軒家を建てることで女王様のご要望は満たされるのであります」

彼女の言う通りだ。しかし自分も似たような要望しかしていない。それなのになぜ自分の要望を叶えるとここまでの巨大都市になってしまうのだろう。
そう考えていると妻が助け舟を出してくれた。

「あなたが言った要望、ちゃんと思い出してごらんなさい」

「えーと、とりあえず自分たちの部屋はそこまで豪華で広いものにしなくていいってのと」

「はい!人間の建築を参考に、女王様と婿殿の寝室、書斎、ダイニング、浴場、洗面台、トイレは不必要に広く豪華にしすぎず、しかし閉塞感を感じなさせないよう留意したデザインとなっているであります!」

「ありがとう、見るのが楽しみだな……あとは庭が欲しいって言ったね」

「女王様と婿殿の新たな宮殿にはこちらも人間の建築を参考とした池や植木や花壇に菜園、ガゼボと呼ばれる屋根付きの休憩所も備え付けた中庭を用意しているであります!」

「おぉそんなものまで……でも……それくらいしか言った記憶ないんだけど……」

彼が自分の発言に原因を見いだせず、白旗を上げるとそのジャイアントアントはすかさず答えた。

「いえ!婿殿は確かに

『あとは巣のみんなが快適に暮らせるような新居を造ってくれればいいよ』

とおっしゃったと記憶しているであります!」

あ、と声が漏れる。妻は我が意を得たりとばかりに「そうね、彼は確かにそう言ったわ」と笑った。新居への引越しに関する面倒事を何もかも嫌な顔一つせずすべて取り仕切ってくれる、彼と妻の良き友人であり有能な部下でもある彼女に対しての彼なりの優しい激励のつもりであったその言葉を、彼女は女王の婿直々の新居の要望と受け取ったのである。

「恥ずかしながらその時私は引っ越しにあたり私達働き蟻のことまで気にかけていただけるなんて、なんと素敵な婿殿であらせられのだろうと感動してそれ以外の婿殿のご要望を危うく忘れかけてしまうところだったのでよく覚えているのであります!」

「あら、アナタなら側室でも歓迎するわよ?」

「えぇっ!?本当ですか!?!?……コホン、失礼致しました、それで私はそのご要望を実現するにあたり現在巣に居住している七七四匹の働き蟻と四三五人のその夫、計一二〇九個体全員から新居に関する要望をアンケート形式で聞き出し、できる限りそれを実現する設計を試みたであります。さらに女王様のご要望である『今より数が増えても窮屈じゃないお家がいい』というのを加味して一二〇九件の全回答を細かくデータ化し『平均的な未婚のジャイアントアントが求めている伴侶と同居することになっても十分な快適さが確保できる空間』というものを数値として割り出すことに成功、それをモデルとして巣に居住する働き蟻が十万まで増えてもそれぞれの個体が快適な空間と生活が確保できるよう施設と家屋を確保した結果、このような巨大建造物となったのであります。ジャイアントアントは一般的に伴侶と寝床を共にする魔物娘でありますから番の働き蟻達は夫と同居することを考えると最大で二十万ほどの個体がこの都市で快適な生活を送ることが可能な試算であります!」

彼女の捲し立てる説明に圧倒される。自分の何気ない一言でこんなことになるとは。巣穴から都市に引っ越すことになってしまった。

何も言えず呆然としていると妻が「十万まで増やせるんだって。頑張ってね、旦那様」と悪戯っぽく笑う。

「え、ええと」

「……やはり、婿殿はお気に召さなかったでありましょうか……それならば今からでも取り壊して再設計を」

「待て待て待て!!完璧!!想像の上をいく完璧さに何も言えなかっただけだから!!ありがとう!!」

焦ってそう言う彼を見て妻は横でくすくすと笑う。それを聞いた彼女は涙交じりの声で答えるのだった。

「……そのようなお褒めの言葉をいただき恐悦至極に存じるのであります」

「うん、ほんと、文句なしだから。ご褒美あげたいくらい。そうだ、褒美!何か欲しいものある?何でも言ってよ!」

「褒美……なんでもいいのでありますか……?」

「……うん、まぁ用意できるものなら……いや、用意できなさそうなものでも、できるだけ近いものを用意することを約束する!あなたの今回の働きはそれに値するものだ!」

「……では……大変不躾な要求であることを承知で言わせていただきます……」

しばらくの沈黙の後、彼女が放った言葉は。

「もし……女王様と婿殿がお許しいただけるのであれば……む、婿殿の妾とさせていただきたく……」

愛人宣言。そういえばさっき妻が側室なら歓迎するとかいってたような。当の妻は茶化すように口笛を吹いている。

「はじめて女王様が婿殿を見初めた時より魅力的な男性であると感じていたのでありますが、私は女王様の幼馴染といえど所詮一介の働き蟻、婿殿には手は届かぬものと諦め、自分の夫となる男性を探していたのであります……しかし、一向に良い男性は見つからず……近頃は女王様と婿殿の幸せ、そしてこの群れが繫栄するためであれば一生独身であっても構わない覚悟で職務を全うしておりました……しかし、今回の一件で婿殿を改めて魅力的に感じてしまい……あんなことを言われては……私……がまん、できなくて……」

そこまで言うと彼女はその場にへたり込んで堰を切ったように泣き始めた。妻が彼女を抱きしめ赤子をあやすように頭を撫でる。
幼馴染と同じ相手にに惚れ込み、しかし身分の違いから幼馴染がその相手と幸せな生活を送るところを一番近くで見ていることしかできなかった彼女はどんな気持ちでこの数年を過ごし、どんな思いでこの新居設計に取り組んだのだろう。

そのことに思いを馳せると彼女の要求に対する答えが自然と口に出ていた。

「君がそれでいいなら、喜んでそうするよ」

「……ほんとう……?」

「うん、君の今回の働きに比べれば少なすぎる報酬だと思うけどね」

「そっそんなことはありません!私達魔物娘にとって伴侶を見つけることは至上の幸せ!それが婿殿であらせられるなら我が身に余りある幸福であります!……しかし、婿殿はよくても女王様は……」

未だ妻の腕の中にいる彼女は恐る恐るその顔を見上げる。

「あら、私の意向ならさっきあなたに伝えたはずだけど?でも強いて言うなら……そうねぇ」

妻はわざとらしく考え込むふりをすると彼女の唇に自分の人差し指を優しく押し当てた。

「私に対して、カタい言葉遣い禁止。昔みたいに喋りなさい」

「──うんっ!」

婿である彼はすでに主従の関係にある彼女達しか知らない。人間の同世代の友人のように互いの名前を呼びあう幼馴染の二人は彼の眼にとても新鮮に映った。

「しかし、早速宮殿を増築しなくちゃいけなくなったわね」

「え?それって……」

「当たり前でしょ?側室だからって蚊帳の外にはしないわ。別居なんて許さないから」

「っ!!早速増築部分の設計図書いてきま……くるっ!!」

「後でいいでしょそんなの、それより三人で愛し合いましょう。二人とも、今晩は覚悟しなさいよ」

「……お手柔らかに頼むよ」

そう言って苦笑いしながら彼は初めに彼女と交わした会話を思い出していた。

この気まぐれな女王蟻率いるジャイアントアントの群れの新居がここまで巨大なものとなったのは、その引っ越しの総指揮を執っていた彼女が真面目にやってきたからである。

多少説明不足ではあるが、確かにそれは紛れもない事実であった。



〜ゲイザーの場合〜


「どうしてそんなに大きくなっちゃったの」

「……ごめんなさい……」

「いや、怒ってるわけじゃなくてね?」

「……怒ってる人はみんなそう言う……」

完全しょげてしまっている。どうしたものか。
とあるアパートの一室。そこでは男が女を問い詰めていた。といっても別に不貞の証拠を付きつけたわけでなければ敵国のスパイを発見し縛り上げているわけでももちろんない。
彼が彼女を問い詰めているのは彼女の身体を心配してのことであった。

人間とは思えない青白い肌に彼女が分泌するらしい何やら黒い粘性の物質で覆われた局部と胸部と脚部、そして後ろにはどこから生えているのか先端に目玉の付いた触手達。そして顔には噛まれたら痛そうな、いや実際痛いギザっ歯に彼女自身はそう思っていないらしい最大のチャームポイント、大きな一つ目。彼女は人間ではなくゲイザーという種族である。

出会った時こそその容姿には驚いたが、何度も彼女と話すうちに男は意地っ張りな態度に隠された彼女の繊細で思いやりがある本心、そしてどこか放っておけないその寂しげな眸に惹かれていき、彼女もまた容姿に捉われず優しく接してくれる彼に心を開いて、なんやかんやで現在は同棲しているのであった。

そんな男が今日帰宅すると彼女の身体に明らかにいつもと異なる部分があった。

大きいのだ。ムネが。

元々彼女の胸はその小柄な身長に見合う慎ましいサイズであった。それが朝に家を出て、半日ほど会わないうちに体内にスイカでも埋め込んだのかと思うほど大きくなっていたものだから彼は面喰らい、一体どうしたんだ病気か新手のウィルスかとすごい剣幕で騒ぎ始め医者まで呼ぼうとする始末であった。
別に病気じゃない、そもそもアタシ達は病気にならないという彼女の弁明を聞きなんとか落ち着いたところであるが,肝心の原因を訊こうとすると先程のように口を噤みいじけてしまうのであった。

「教えてくれないかな」

「……ヤダ」

「どうして?」

「……」

「うーん……」

ずっとこの調子である。何か突破口はないものか。
悩んだ末に彼はとりあえず自分が思っていることを言うことにしたのだった。

「……あのね、俺は心配なの。魔物娘はどうか知らないけど人間は突然そんな風になったりしないからさ。だからお医者さんには診せられなくても、俺には何が原因でそんな風になったのか教えてくれないかな。俺を安心させる為だと思ってさ」

「……だからアタシ達はビョーキにはならないって言ってるだろ」

「うん、わかってるよ、信じてないわけじゃない。それでも心配なんだ。もし君に何かあったらと思うと俺は気が気でない。君も俺が風邪で寝込んだ時心配しすぎなくらい心配してくれたでしょ?それと同じ気持ちだってことわかって欲しいな」

「……うぅ……」

うーん、これでも教えてくれないか。根に持たれるのであまりやりたくはないのだがこれはもう、手足を縛り三時間脇くすぐりコースか目の前で玉ねぎみじん切りの刑かそれとも

「……冷蔵庫の二段目……」

そこまで考えたところで彼女が蚊の鳴くような声をあげた。あまりにも唐突だったのでレイゾウコノニダンメという言葉が一瞬、言語として認識できなかった。

「そこに原因があるんだね?」

「……」

彼女は無言のままこくりとうなずく。これでは彼氏彼女というより親に叱られている子供の様だ。
彼が立ち上がり冷蔵庫のドアを開けると二段目の物を注意深く観察するが特に変わったものはない。

「……ドアポケット……」

そんな様子を見たのか彼女がさらに付け加える。その言葉通りドアポケットの二段目に目星を付けると……

あった。蓋に二本の突起が突き出たハートの意匠がかたどられている明らかに怪しい茶色の小さな硝子瓶の中には何やら液体が入っていた。軽く振ってみるとその液体には水にはないとろみがついているようである。
その瓶を取り出し彼女のところまで持ってきて目の前に置く。

「これ?」

「……うん」

今回の肯定は声が付いてきた。今が喋らせるチャンスかもしれないと思い焦らないように疑問を彼女にぶつける。

「これはなに?」

「おっぱいがおっきくなるやつ……」

「飲んだら副作用とかはないの?」

「……ないっていってたから……たぶんない……」

「……なんでこんなの飲んだの?」

「……怒ってる……」

「怒ってないって」

ここまでか。まあよく聞き出せた方だ。つまりは誰かから貰った豊胸薬ということだ。こんな魔訶不思議アイテムを寄越すのは彼女がもともと住んでいた世界から来た魔物娘の誰かだろう。そしてその世界の魔物娘が扱う不思議な薬や怪しいお香などに生命の危機に陥るような副作用があるという話を彼は聞いたことが無い。とりあえず一安心だ。

「……おっぱい大きくしたかったの?」

「……」

「別に俺はいつもの君の胸の大きさでも充分満足してるし、君の身体に対する不満なんて無いんだけど」

「……嘘……オトコはみんな大きいおっぱいが好きってネットのけーじばんに書いてあったぞ……オマエも無理してぺたんこのアタシに付き合ってんだろ……ほら、見ろよ、おっぱいだぞ……ほら……」

「……」

すごく哀しそうな顔で彼女が黒い膜に覆われた自分の双丘を持ち上げこちらに見せつける。
異様なまでに自分に自信が無い。これが彼女の最大の欠点であり彼が彼女を放っておけない理由の一つであった。
以前、彼女が住んでいた世界ではその容姿から多くの人間達に忌み嫌われ、何もしていないのに近くの街から討伐隊を派遣され否応なく戦う羽目になったり、住処を追い出されて軒を求め嵐の中を彷迷うことも一度や二度ではなかったとうっすら聞いている。
そんな生活の中で芽生えた彼女自身の身体に対する根強いコンプレックスに根気よく向き合って改善していこうと、彼女と交際するにあたって彼は固く決意していたのだった。
彼女がここまで思い切った行為に踏み切ったのは初めてだったが、今までも生活の中のほんの些細なことからネガティブスイッチが入ってしまうことは何度かあった。その度に彼は惜しみない愛を彼女に与え笑顔を取り戻してきたのだった。
しかし。

「ほら、興奮するだろ……?きょにゅーだぞ……?平らじゃないんだぞ……?」

「……あのさ」

「……おっぱい大きくてもダメなのか……?……な、ならアタシ、どうすればいい……?……ぺたんこだし、無愛想だし、歯はギザギザだし、目は一つしかなくて不気味だし……どうしたらオマエに、ずっとスキでいてもらえるんだ……?……なぁ……どうしたら……」

「……」

「……どうしたら……気味が悪いアタシはオマエに嫌われなくなるんだ……?……教えてくれよ……なぁ……」

今日のは特に酷かった。彼女がネットでどんなものを見たのかはわからないが、得体の知れない薬を飲んでまで自分の身体を変えたいと思ってしまうようなことが書いてあったのだろう。それを書いた人物を存在ごと消し飛ばしてやりたい衝動に駈られる。
今までなんとか抑えていたがたとえ本人の言葉であろうと自分の愛する人をここまで悪く言われて黙っていられる彼でもなかった。

「……さっき、怒ってる?って聞いたね。今、ようやく怒ったよ」

「っ……ぅ……」

「俺は胸の大きさとか、愛想のよさとか、歯のカタチとか、瞳の数とか。そんなの関係なく君という存在が好きなんだよ。それを今まで頑張って伝えてきたつもりだったけどまだ全然伝わってなかったみたいだね、ごめん」

「ぁ……ぃゃ……ちが……」

「違わないでしょ。君は俺の言葉より誰が書いたのかもわからないネットの発言を信じたんだから」

「っ……ごめん……なさ……ぃ……」

「そうだね。君がさっき不気味とか気味が悪いとか、酷いこと言っちゃって傷つけた人に謝らないといけないね。俺も好きな人を悪く言われて傷ついたけど、もっと痛がってる人。わかるよね?」

彼がそう言うと彼女は両腕で自身の身体を抱き喉の奥から絞り出すような声を出す。

「……ゴメン……ゴメンな……アタシ……そんなこと言いたいワケじゃなかったんだ……ただ……自信が無くて……」

だいぶ素直になった。ここまでくると雪解けはもう近いことを彼は経験から分かっている。
自身を抱きすすり泣く彼女に近づき、優しく抱きしめる。いつもは無い胸の柔らかさのせいで小刻みに震える彼女の鼓動が遠い。

「で、俺に謝らないといけないことはそうじゃないでしょ?」

「……シンパイかけて、ゴメン」

「ん、よく言えました」

彼女の頭に優しく手の平を置くと腕の中の身体の震えが治まり濡れたガラス玉のような大きな眸がこちらに向く。ようやくまともに彼女と話し合うことができそうだ。

「なんでネットの掲示板の書き込みなんて信じこんじゃったの」

「だって……だってオマエ暗示効かないし……アタシの事……好きかどうかわからないから……不安になって……」

ゲイザーという種族は『暗示』というものを扱う種族である。この力を扱うことにより、人間の異形に対する嫌悪感や敵対心を消し去って戦意を喪失させたり、彼女のような一つしか目を持たない魔物娘を魅力的に感じるように意識を植え付けたり、やろうと思えば意のままに相手を操ることができるらしい。しかし、彼女が彼にその類の暗示をかけようとしても彼はいつも平然としているのだった。

「だから暗示のかけ方が悪いんだって多分。効いてないわけじゃないよ」

「そんなこと……あるかぁ……?」

そう、彼はごくごく一般的な人間であるため暗示が効かないというわけではない。実際、過去に彼女から『冷たいものを熱く感じる』という暗示をかけられる悪戯を受けた時にはしっかりとその効果が出て、冷たい牛乳に一生懸命息を吹きかけ冷まそうとしていたり、冷水でカップラーメンを作ったり、氷風呂に飛び込んだりとはたから見ればおかしな行為を彼自身違和感を感じることなく行っていた。余談であるが彼が風邪をひいて寝込んだのは、おそらくこの時の氷風呂が原因である。
彼はゲイザーの彼女を愛しているが暗示の専門家ではない。なのでこれは彼の推測であるが元々持っている思いとベクトルの方向が同じタイプの暗示は効きにくいのではないのだろうかと彼は考えていた。彼女によると元から異形に対し嫌悪感を覚えない人間に魅力を増幅させるような暗示をかけると好意が暴走して欲望のままに相手の身体を貪ってしまうらしいが、その点は先程のベクトルに当てはめるとその大きさの問題なのだろうと彼は勝手に思っている。
まぁ要するに。

「それに君が思ってるより俺は君の事好きだから安心してくれていいよ」

「……よくそんなセリフ、素面で言えるな」

呆れつつも彼女は嬉しそうに顔を赤らめる。だいぶ落ち着いてくれたようだ。
起こった事象に対する影響の確認、原因の特定、動機の究明、必要な対応、全て行うことができた。我ながらなかなかの手際だと思う。あとは。

「で、これはどうやったらもとに戻るの」

解決法の模索。
彼は彼女との間にある大きなクッションを見ながら言った。

「え……?……あ、あの……それは……こ、このままじゃダメか……?」

「うーん、どうしてもって言うならそのままでも別に構わないけど……やっぱ元の大きさの方が俺は好きだし安心するかな」

それを聞いた彼女が俯き黙り込んでしまう。無理に言わないほうがよかったかと少し後悔しているとか細い声が聞こえた。

「…………れば……もどる……」

「……え?ゴメン、聞き取れなかったからもう一回お願い」

腕の中で俯いていた彼女が顔を上げ、しかしまともに眼も見れないとでも言うように大きな目を逸らして呟く。

「……し、搾れば……もどる……らしい……」

「……」

「……バ、バカみたいなこと言ってると思ってんだろ!その顔!いいよ!バカなアタシはバカみたいに自分で自分のバカおっぱい搾ってもとの大きさに戻……お、おい、なにしてんだ、まて、待てって、あっ、ん、さ、さわんなぁぁっ、んぅっ!ひぅ、かんじて、あぅっ、ないっ!か、かわいいとか、いう、な、ぅうっ!ぁ……え?なんで、これ、母乳……ひゃぁ!すっ吸うなバカ!あんっ!うっ!やだぁ!おっぱい吸われておかしくなっちゃうぅ!なにこれぇ!あっ!あ、あ、ぁ……ひ……ぅ……ぁ……やっぱ……コーフンしてんじゃねぇか……イイワケすんなっ、おっぱい星人!……ば、罰として……

きょ、今日はもとの大きさになるまで……付き合ってもらうからな……ひゃ!きゅ、きゅうにさわる、な、ばか、あぁっ!やぁっ!」



柔らかな朝の陽射しと鳥の囀りでゆっくりと意識が覚醒するのを感じる。漠然と楽しいと感じる夢を見ていた気もするがよく覚えていない。以前は厭な夢を見て飛び起きることも多かったのだが最近ではその回数もめっきり減った。

上体を起こそうとして身体が動かないことに気づく。寝転んだまま自分の身体を見下ろすと、昨晩アタマが蕩けるまで愛してくれた彼が自分の身体に抱き着いたままそれが世界一の抱き枕だとでも言うように顔を埋め、ぐっすりと寝ていた。アタシが身を捩っても一切目を覚ます気配はない。一つため息をつくと身体を起こすのを諦めもう一度ベッドに身体を預けた。

頭が冴えていくにしたがって昨日のことを思い出す。今から思い返すと随分つまらないことでいじけてしまっていた。普通のオトコなら仮に自分の容姿を許容できても、その後ろ向きで卑屈な性格に愛想を尽かしてしまうであろう。しかし、すっかり元の大きさに戻った胸に頬ずりしながら眠る彼はそんな自分を多大な愛と優しさで包み込むのだった。そんな彼だからいつもつい甘えてしまう。

「……ホンット、物好きなヤツだ……」

出会ってすぐの頃は自分に好意を向ける彼の存在自体が不安になることもあった。アタシはこんなに愛されていいのか、誰かにこんなに好かれてもいいのかと。
何か目的があるのだろう、良からぬ考えで自分に近づいているのだろうとその男の気持ちを何度否定しても彼はまた自分に会い来て、自らがどれほど目の前にいる女性を想っているのかをやめろと言っても滔々と語るのだった。
そんなことを繰り返すうちアタシは彼の気持ちを信じていいのではないか、彼は本心から自分のことを好いているのではないかと考えるようになっていき、そして男女の関係として一線を越えたあの日から自分は彼の温もりなしでは生きていけないようになってしまった。
アタシの性格が彼を困らせてしまうことがあるのは自分自身よくわかっている。だがどうしても不安になった時、彼を困らせてでも自分を愛する人がいることを確認しないとアタシは寂しさと孤独で発狂してしまいそうになるのだった。
自分でも面倒な性格だと心底うんざりしてしまう。しかし、彼はそんな自分の存在自体を愛していると言い、アタシに無償の愛を注ぐ。一緒にいればいるほどアタシは自分がもう彼から離れられないことを嫌というほど実感するのだった。

「……イヤって言っても離してやらねえからな……」

アタシは依然眠りこける愛する男の頭を軽くなでると再び襲ってきた睡魔に身を任せ、もう一度楽しい夢の世界に微睡んでいった。



〜サキュバスの場合〜


「どうしてそんなに大きくなっちゃったのかしら……?」

「……本当に心当たりがないかその風船みたいな胸に聞いてみろよっ……!」

寝室の柔らかなベッドの上で男は女を組み伏せながら息も絶え絶えに言う。その下半身にはいつもの数倍は大きなテントが。

彼女は自分が彼にしてしまったことについて思い返した。

彼女はサキュバス、淫魔である。美しい肢体にヤギのような角、蝙蝠のような翼、先がハートのような形をした尻尾を持つ彼女だが実は二ヶ月ほど前まで普通の人間の女性であった。
ひょんなことから魔物化してしまった彼女だが後悔はしていない。ずっと想っていた男性と見事結ばれたし、セックスさえしていれば衰えない美しい美貌を手に入れたし、彼女以外にも人間に化けて社会に溶け込んでいる魔物娘達と知り合うこともできた。

そんな魔物娘になりたてホヤホヤの彼女はとても好奇心旺盛で、これまでの人間の常識が通用しない魔物娘の知識や技術を砂漠に水が染みわたるかの如く貪欲に吸収していった。中でも彼女が近頃強い興味を寄せるのが、魔物娘達が扱う滋養強壮薬──早い話が『媚薬』であった。
効果だけ聞くとマジックアイテムか麻薬一歩手前である様々な異世界の薬、野菜、キノコなどを魔物化してから知り合った魔物娘達のツテを惜しげもなく使い収集していたのだがここで彼女は判断を誤った。

彼女はサキュバスになって日が浅いとはいえ人間を圧倒する性技ですでに意中の男性を骨抜きにすることに成功している。彼と結婚してからというもの、夜の生活の主導権を常に握っている彼女は彼の上で腰を振りながらこんなことを考えるのだった。

(たまにはちょっと強引に迫る彼も見たいかも……)

彼女が媚薬収集を始めたのもこの考えに至ったことが原因である。
そして首尾よく目当てのものを手に入れたのはいいものの、彼女は知り合いの魔物娘らから伝えられたその媚薬達の効果が大きく誇張されたものだと思ってしまったのだ。
元々人間であり魔物化してまだ間もない彼女ならではの間違いであるといえる。人間の世界であれば「絶対痩せる!」だの「これ一本で健康に!」など不自然に大きなメリットを売り文句にする商品は概して信用されない。食品においては特にその傾向が強く、彼女もそんな認識が抜けていなかったため「食べると触れられるだけ絶頂するくらい敏感になる野菜」や「食べるだけで獣欲に支配され目の前の異性を襲わずにはいられなくなるキノコ」として、新入りの同族に世話を焼きたがる魔物娘達から渡されたそれらを、多少そういう効果はあるのかもしれないが話のタネとして誇張して表現されたものであろうと苦笑いしつつ受け取っていた。

それだけならまだよかった。

あろうことか彼女は貰ったものをその日のうちにほぼ全て、野菜やキノコは炒めものやサラダに、薬はスープや飲み物に、ハーブは肉の香り付けに、果実はデザートや料理の彩りに、夕食として夫に供してしまったのである。
綺麗に平らげてしまった彼がどうなってしまったかは想像に難くない。

彼の男性器はいつもの勃起時の数倍はあろうかという大きさに肥大化し、部屋着であるスウェットの下からその存在を堂々と主張しており。
いつもは彼女が与える人外の快楽に翻弄されるがままである彼が物凄い力で彼女をベッドに押し倒し、抵抗出来ないようその細腕をしっかりと抑え付け。
その眼にいつもの優しさはなく今にも目の前の雌を襲わんとする暴力的な欲望を、なけなしの理性で必死に取り押さえてるのがありありとわかった。
しかし。

「あぁ……そうね……旦那様のご飯に細工しちゃったイケナイお嫁さんにはお仕置きしなきゃねぇ……?」

彼女はまだ自分の犯した過ちを理解していなかった。
もっとも彼女の求めていたものは『少し強引に自分に迫る夫』。少し強引すぎる気もするが、大方彼女の目論見通りにここまでの彼は動いてくれている。そしてこれまでの彼との生活でセックスにおいては常にアドバンテージを取っていた自信から、もし何かあっても人の域を越えた自分の身体ならなんとかなるだろうと慢心していた。

彼女との度重なる交わりでインキュバスとなりつつある彼の身体が様々な媚薬や食物の作用で、魔物であろうと人間であろうと等しく雌に堕とす為だけのものに現在進行形で急速に変化していっていることも知らず。

「っ、もう知らないからな……!」

そういうと彼はスウェットを脱ぎ始める。いつもより大きくなった一物に引っ掛かり、脱ぐのに難儀している様子がなんとも間抜けでかわいらしい。
しかし、脱ぎ捨てた後に現れたのはいつもよりも狂暴に形成された赤黒い欲望の塊。もはや脱げそうにない下着の穴から伸びたソレは長さがいつもの数倍になっているのはもちろんのこと、その太さは丸太を連想させるものに、カリ首も肥大化して巨大な鏃の如き様相を呈し、その先端からはすでに透明な粘液が垂れている。

ここに来て彼女はようやく一抹の不安を感じる。入るの?アレ。
しかし、元々今日は彼に自分を襲わせるつもりだったためそんなものは興奮へのスパイスとしかならず、また仮に本気で恐怖を感じていたとしてもセックスを前にして、それもペニスを見て敵前逃亡するなど彼女のサキュバスとしてプライドが許さなかった。

「わぁ……おっきい……」

「はぁっ、はぁっ、ほんとに、しらないぞ、はぁっ」

「えぇ、遠慮なくやってちょうだい。今日はかっこいいアナタが見た──」



飛んでる。真っ白な空間の中を。
いや、私は羽を動かしていない。ということは浮いてる。
右も左も上も下も全部真っ白。ここはどこだろう。わからないけどなんだかふわふわして気持ちいい。
でも私、さっきまで何かしてたような。えーと、なんだっけ、そうだ、たしか



「──ぃッッッッァ……か、ひゅ……ぃッ……!」

肺に空気が送り込まれる感覚。
今まで何をしていたのか。何をされたのか。何も理解できず、はっきりしない意識で周囲を確認しようとする。

が、身体の内部を食い進まれるような感覚が脳を貫き、それが快楽に変換され目の前に火花を散らしてさらに彼女の意識を掻き乱した。

もしかして、トばされたのか。挿れられただけで。

今までの性交では味わうことのなかった異常な感覚に戸惑う。一体なんなんだこれは。
しかし、今までこのベッドで散々喘がせてきた彼に一発で意識まで飛ばされかけた動揺を悟られまいとする自尊心から彼女はこう言い放った。

「ッ……は、ひ……な、なか、なか、すごいわね……すひっ、す、素敵だわ、ッ、ぁ、う……」

「あぁ、あと半分、無理矢理挿れるから、我慢しろよ」

半……分……?今、半分しか入ってないの……?半分でコレなの……?

ここで初めて彼女はこれから起こるであろう未知の出来事に対して明確な恐怖と危機感を本能で覚える。

しかし、それは余りにも遅すぎたのだった。

「ゃ……ぁ……ちょ、ちょっと待っ、ァア、あああああああッッっっっ、あ、あ」

「ふーっ、ふーっ、あと、三分の一だ、いくぞ」

「あっ、が、ぐ、ひ、ぁ……あ、あ、あああああああぁぁっっっ!!」

「はぁーっ、はぁーっ、全部、入ったぞ、感想はどうだ」

快感というには暴力的過ぎるなにかで脳を頻りに脳を殴打されつつ、なんとか正常に機能する耳でその言葉を捕らえる。感想。感想を言わないと。

とてもイイわ、最高の気分よ。

「ろ……れ、も……い、ひ、ふぁ……しゃ、しゃい、こ……お……」

おかしい。口がちゃんと動かない。なんで。
しかし、そんな呂律の廻らない言葉でも彼はちゃんと意味を汲み取ってくれた。

「あぁ、そりゃよかった、よ!!」

そう言いながら彼は腰を引き戻し、もう一度突き入れる。
たったそれだけの行為が彼女の神経を焼き切る刺激を生んだ。入ってきた道を戻る剛直に身体が内側から掻き出されるような感覚を覚え、再び突き入れられたソレに身体のあらゆる内臓が圧迫されるのを感じる。

「あ、ぁぁあ、なか、すれて、あ、あっっッッッッ、が……ひぁ、ぁ、う、ぁ」

「はぁ、はぁ、乱暴にされたかったんだろ?お望み通り壊してやるよ」

そう言うと彼はまともな言葉を発しない彼女に気を遣う様子もなく先程よりもさらに激しい勢いでピストン運動を始めた。

「ああぁぁぁあやぁああぁっ、んぅっ、まっ、くぅぅぅっっッ、ぅッ、は、ぁ、ふ」

「はっ、はっ、流石はサキュバスだなっ、さっきまでギチギチだったのに、もういい具合にほぐれてるぞっ」

「ぁ、ふぁ、?、あ、ふ、ぃっ、うッあぁあ、ああっぐぅっ、く、は、ああぁああぁ」

「は、随分、気持ちよさそうだな、ふ、こう、されたくて、あんなこと、したんだろ?」

彼が何か言っている。なにいってるんだろう。きこえるんだけど。うまくきこえない。

もう何度絶頂したかわからない。陰茎に肉壺を突かれるたびに脳を真っ白にして意識を消し飛ばさんとする電撃のような悦楽に身を震わせる彼女は、もはや彼の肉欲とそれに伴う快感に何度も殴り飛ばされるサンドバッグになり果てていた。

今までの彼とのセックスが気持ちよくなかったわけではない。あれはあれで気持ち良かったし自分の下で快楽に悶える彼を見るのも楽しかった。
しかしこの快楽は全く種類が違う。例えるなら繊細な味付けの上品な和食と激辛大盛料理といったところだろうか。
今までとは種類の全く違う異質の快感。愛する者との交わりを長年積んだ熟練の魔物娘ならいざ知らず、魔物化して日が浅く、夫との男女の関係もまだ新婚ホヤホヤという表現がぴったり当てはまる期間しか過ごしていない彼女が何も対処できずただ振り回されるのも仕方がない話であった。

ただ、そうなるに至った原因は十割彼女にあるので自業自得と言える。

「あ、ひ、あ、あぁぁ、んんんぅ、くっ、あ」

「はぁ、はぁ、ふ、ふぅ」

「ああ、ぁぁ、ッ、ん、んぁ、んんんんんんんんんんッッッ、は、は、ぁ」

「はっ、はっ、はっ、はっ、っは」

未知の快感に翻弄される彼女に言葉をかけていた彼も徐々に余裕がなくなり口数が少なくなってきていた。
その寝室に響くのは女の嬌声。男の荒い息遣い。肌を打ち付けあう破裂音と粘り気のある水音。ベッドのスプリングが軋む音。それだけだった。

そして彼が何十回とピストンを繰り返し、その数とほぼ同じ回数のオーガズムを彼女が経験したとき。

「はっはっ、はっ、っん、は、そろ、そろ、出す、っぞ」

「ふえ、ふぇ?、んぁ、ん、あ、あぁ、あ、ぅ、あ」

壊れた人形のように喘ぐ彼女にそう言うと、彼はさらに腰の動きを速めた。

だす?だすって、なにを?あ、あれ、か。こんなになってるのに、あれをなかでだされたら。わたし、どうなっちゃうの。

「ぁ?あ、あぁ、ぁ、ぁ、あ、あ、ん、あ、あ、ふ、あ、あぁ」

「は、は、は、は、ぁッッッッッ!!!うぅっッッッ!!!あっっこれッ、ヤバ、ぁッッッ!」

「ぁ────????、ッッッッッああああああああああ、ああぅぅううううあ!!!!!がッ、ぐ、あああああああああ!!!!」

ごぷっ、と自分の中から音が聞こえた気がした。

彼女の膣内でソレが爆発した。脊髄に雷が落ち、身体の中に溶岩を流し込まれたのではないかと錯覚するほどの熱が彼女を内側から焼き尽くしていく。今までの彼女の身体が完膚なきまでに叩き潰され、もう一度再構成されていくような感覚に陥った。
元の淫魔の自分ではなく、彼専用の雌として。

「ああああああぁ────ぁ────ぅ────?」

「はぁ、はぁ、はぁ、うわ、めっちゃ出てる、ふぅ」

数分にも及ぶ射精の後、それまで自分の中に入っていた圧迫感が無くなる。散々身体を弄ばれ、蹂躙された彼の一物がずるりと膣内から抜け出ていく感覚に不思議と寂しさを感じた。
しかしソレが無くなった下腹部がまだじんわりと温かいのを不思議に思い、なんとか首を持ち上げ下を見るとどれだけの量の精液を出されたのかお腹が少し膨らんでいる様子が確認できる。ベッドは彼女がまき散らしたであろう液体でびっしょりと濡れていた。

背中が痛い。気がする。絶頂した時に折れそうほど背が反っていた記憶が朧げにあるのでそのせいかもしれない。

「あ、ぁ……はぁ、はぁ……ふぅ、っうぅ、はぁはぁ」

「……どう?満足した?」

彼が未だ先程の交わりの余韻に浸る彼女を抱き起こしながら問いかける。支えられながらベッドにぺたんと座り込む姿勢になった彼女は焦点の合わない視線で答えた。

「はぁ、はぁ、しゅごかった……わけ、わかんなくなるくらい、カラダ、ばらばらにされちゃうかとおもった……ふぅ、はぁ」

「そうか、それはよかった」

そう言うと彼は立ち上がり。

「じゃあ後は俺が満足するまで付き合ってもらうだけだな」

彼女の眼の前に未だ固さを失わない自分の男性器を見せつける。気のせいか初めより若干大きくなっているソレは二人の粘液で覆われて怪しい光とむせ返るような匂いと湯気を放っていた。

まだ呼吸も整わぬところに突然目の前にいきり立った陰茎を突き出され、それが発する自分と夫の匂いが混じった湿っぽい淫気を思い切り吸い込んでしまった彼女はそこで理解した。

じぶんは、コレのドレイだ。

いままでは、ちがうとおもってた。じぶんはニンゲンをこえたカイカンをカレにあたえられるから。じぶんはカレよりうえだと。ムイシキにそうおもってた。
でもそれはまちがいだ。わたしはコレがないといきていけない。わたしをたくさんきもちよくしてくれるコレがないと。だからわたしは。カレをまんぞくさせなきゃ。コレをいっぱいきもちよくして、ゴホウビにカレにいっぱいきもちよくしてもらわなきゃ。
こんなにおっきくなって、さきからとろとろえっちなしるもらして、とってもくるしそう。いま、きもちよくしてあげるからね。

彼女はほぼ無意識に彼の一物を口に含んでいた。顎が外れそうなくらい太くて、カリも大きくて、先端しか口に含めていないがそれでも精一杯彼を射精に導こうとする。

「ぅ……お……口、あったか……」

そんな思わず漏れてしまったような言葉にも嬉しくなって、彼を見上げると。

彼も同じように理解した眼をしていた。このオンナは自分の雌であると。

視線がぶつかり互いが互いの立場を理解したことを目で語り合った次の瞬間。

跪き、一物を一生懸命舐めしゃぶる彼女の角に彼は手をかけた。

「んッ……ん……んぅ?……」

そして、なにをしているのとでも言いたげに見上げる顔を確認すると邪悪に口角を吊り上げ。

角を自分の腰に思い切り引き寄せた。

「ん、んぁ……ん……んぶッ!!??んッッッ!!!んッッ!!!!んぶッッッッ!!!!!ごッッッッッ!!!」

そのままオナホールでも使うかのように無遠慮にその角を前後に激しく動かす。先までしか咥内に納まらないと彼女が思い込んでいたソレは、全て喉奥にすっぽりと納まってしまっている。

「う、あ、サキュバスの喉、スゲ、これ、性器だろっ」

「んッッッ!!!!!!ぅッッッッ!!!!!ぐごッッッッッ!!!!ぶぼッッッッッ!!!!」

「は、はは、ひでー顔になってんぞ、お前、サイコーだ」

「んんッッッッ!!!!んッッッぅッ!?ごッッッッ!!!!!!ぐッッッッ!!!!」

上目遣いに彼を見つめる彼女の顔は彼の言う通り酷い有様だった。
涙と鼻水と唾液でぐちゃぐちゃになり、艶のある少し青みが差した黒髪は乱れに乱れ、眼は虚ろでなにを見ているのか判断できなかった。
初めのうちは陰茎に添えられていた両腕はだらりと力なく垂れ下がり、今の彼女は本当に彼が性欲をぶつけるための人形であった。愛しの夫にそんな扱いを受けた彼女は。

幸せだった。彼が獣みたいに私を求めてくれている。幸せ。シアワセ。しあわせ。とっても気持ちいい。全身、チカラが入らない。でも彼が私を使ってくれている。私のアタマに生えたハンドルをしっかり握って。あんなモノを無理やり何度も突き入れられて顎が外れそうになってしまう。もう外れてるのかな。喉奥まで全部彼のペニスで埋まってて呼吸もできない。苦しい。気がする。もうなにもわかんないや、気持ち良すぎて。私も彼も気持ちいいならこれで終わってもいいよね。幸せだ。

そんな暴力的な快感がもたらす破滅的な思考に支配されていた。

「はぁ、は、出すぞ!一滴も零すなよ!!!」

彼はそう言って腰に彼女の頭を思い切り引き寄せるとその喉奥に思い切り白濁をぶちまけた。

「んッッっ!!!んッッッ!!ん……!!!ん……ッっ!!!!!んんぅーーーーーーーーッッッッッ!!!」

きた。精液。彼が気持ちよくなってくれている証。とっても美味しいモノ。

彼女は彼の言う通り一滴も漏らさないよう飲み下す。そもそも喉奥に無理やり注ぎ込まれているので、飲む必要はないのだが今の彼女にそんなことを判断できる理性は残っていない。
もはやスライムに近い粘度をもつ大量の液体を彼女は何とかすべて胃に収めようとするが、いかんせん量が多かった。

「んッ……んッ……ん……ん……?……ん、んむっ、ん……ごほっ!……あ……」

咳をした拍子に彼女の食道から逆流した白い液体がたらりと口端から糸を引きベッドに小さなシミを作った。

「……一滴も零すなって言ったよな?」

「あ……ごめん、なさ……あっ」

謝罪の言葉なんて聞きたくないとばかりに、彼は力なく座り込む彼女の肩を軽く押して再びベッドに仰向けに倒し、いつになったら萎えるのかわからない煮えたぎった欲望を股座に押し付けた。

「イケナイお嫁さんには、お仕置きだな」

「ぁ……ゃ……」

夜はまだ始まったばかりである。



一週間後、ようやく嬌声の止んだ二人の自宅には使い物にならなくなったベッドや絨毯、カーテン、その他家財道具を引き取る廃品回収業者の姿があった。怪訝な顔で夥しい数のシミがついた家具達を運び出す業者を見ながら彼女は思う。

今までの私はまだ魔物化の途中だったのだと。この濃密な一週間を過ごし、彼女は不必要なプライドや認識を捨て去ってただ愛する人に快楽を与え、与えられる生活を求める、心身共に真の意味での魔物娘になっていた。

彼女はこの一件で大切なことを学んだ。
この世界の誇張した説明が付いた食品等と違い、魔物娘の扱う薬や食べ物は大体がその説明通りの効果があるということ。

そして、人間の物であろうと魔物娘の物であろうとそういった類の物は用法用量を守って使わなければならないと未だ甘い痺れが残り、それでもまだ愛する男を求めて疼く身体で考えていた。



〜ドラゴンの場合〜


「どうしてそんなに大きくなっちゃったんですかー?」

「それは」

「それはー?」

「……我が誇り高き空の覇者たるドラゴンであるからに他ならない」

「そうなんですねー!」

「たとえ魔王が代替わりし、魔力の変質の影響で姿形や生態が変化しようとも我々ドラゴンのような高位種族であれば、このように自分の意思でかつての姿を取り戻すことが可能だ。この世界に魔物多しといえどこのような芸当が出来る種族は片手で数えられる程度しか居らん」

「すごいんですねー!」

「あぁ」

「…………」

「…………」

「…………」

「……いつもの姿の方がいいか?」

「うーん、いつもの姿も凛々しくて素敵ですけど、今の姿も大きくてかっこいいと思いますー!」

「……恐くは、ないのか」

「流石にその姿で出会った時みたいに敵意剥き出しだったらちょっと怖いかもしれませんけどー!今の貴方は優しいので―!」

「我が種族が人を憎み、敵対し、多くを喰らい殺していた頃の姿だぞ?我の気まぐれ一つでお前に牙を向けることもあるかもしれん」

「オレ、食べられちゃうんですかー?」

「……要らん。人の肉なぞ不味くて食えたものではないわ」

「良かったですー!」

「フン……」

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

「あのー、一つお願いしてもいいですかー?」

「……言ってみろ」

「貴方の背中に登ってもいいですかー?」

「……勝手にしろ」

「ありがとうございますー!よっ、よいしょ、ほっ」

「…………」

「よ、い、しょ、っと!おぉー!高いですねー!これが貴方の見ている世界なんですねー!」

「……いくら我がドラゴンとはいえ、自分の背中の上からの景色を自分で視ることなぞできんわ、愚か者が」

「……はっ!言われてみればそうですねー!」

「全く……馬鹿と煙は何とやらというやつだな……」

「そっかぁ、ここは貴方が見ている世界じゃないのかぁ……」

「……頭の上に来い、人間」

「え?いいんですかー?」

「我の気が変わらんうちに早くしろ」

「ありがとうございますー!よっ、ほっ、よいしょっ」

「…………」

「ふぅ、ふぅ、お、おぉー!さっきよりさらに高い!これが貴方の見ている景色なんですねー!」

「……頭の上ででかい声を出すな、喧しい」

「あ、すみません」

「我の聴力ならたとえお前が我の足元にいようと、通常の声量で十分聞こえている」

「えぇ!?先に言ってくださいよ!貴方に聞こえるように下で頑張って大きい声出してたのがバカみたいじゃないですか!」

「クク……なかなか滑稽で良い見世物であったぞ」

「はぁー、意地悪だなーもう」

「しかしなぜそこまでして我と同じ景色を見たがる?我と同じ目線になったとしてもお前が空の覇者となれる訳ではなかろう」

「あぁー……なんというか、貴方の見ているものが気になったんです」

「……別段変わったものを見ているわけではないが」

「……うーん……見ているものっていうより見えているものって言った方がいいのかな」

「今は我の視界には森と山、空、地平線が見えているがそれがどうした」

「はい、オレにも今ほぼ同じものが見えていると思います。でも、ここからの景色は貴方の足元じゃ見られません」

「…………」

「オレは、その、貴方が何をどんな風に見てどんなことを感じているのかを知りたかったんです」

「……我と同じ高さから同じ物を見ても、我が何を感じるかはお前にはわからんだろう」

「えぇ、まぁ、そうなんですけど、できるだけ知ろうとする努力はしたいなって」

「何故、そんなことを?」

「うーん……なんというか……今の姿の貴方見てると、置いてかれそうな気がしたんです。オレの高さからじゃ見えないモノのせいで急にいなくなったりしちゃうんじゃないかって、なんとなく思っちゃって。あのー、不安、っていったらいいのかな……」

「…………」

「あ、なんか変な話しちゃってすみません、降りますね、重いでしょうし」

「飛ぶぞ、掴まれ」

「へ?」

「我の角にしっかり掴まれ、お前には特別に我の世界を見せてやる」

「え、あ、あの、うお!飛んでる!高い!すげえ!」

「離すなよ、いくら我であろうと死んだものを元通りにすることはできん」

「はっはいぃ!」

「……どこか行きたいところはあるか」

「え、ええと、それじゃあ」



「帰りましょうか、オレ達の街に」



「……クク、そうだな。そろそろ帰るとしよう。腹も減った」

「はい!……う、うおおすげぇ、飛んでる飛んでる!速い!あ、ハーピーさんがひっくり返ってる」

「……やはりこの姿よりいつもの姿の方が良いな」

「そうですか?どっちも良いと思いますけど」

「この姿は今の生態での守るべきものを踏みにじっていた頃の忌むべき姿だ。少数の高位種族しかこの姿になれないのは事実だが別に誇るべきことでもない。それに」



「我も、お前と同じ高さから世界を見たいからな」



「…………」

「……何か言わんか、阿呆」

「え、あ、今……デレました?」

「……どうやらお前はここで振り落とされたいらしいな……!」

「わわわわちょちょちょちょっと待ってこの高さと速度で人型に戻らないで落ちる落ちる落ちるうわーーーーっ!!」



〜アリスの場合〜


「ど、どうしてそんなに大きくなっちゃったの?」

俺は見知ったはずの少女を見上げる。記憶の中では自分の胸の高さよりも小さかったはずの彼女は今、逆に自分の頭が彼女のお腹辺りに来るほどに大きくなっていた。
戸惑う俺を見下ろしながら彼女は微笑む。いつもの晴れ渡るような印象の笑顔ではなくじっとりとした熱を帯びた笑み。

「ふふ、私が大きくなったんじゃなくてね」

彼女は少し屈むと俺の頬を柔らかな両手で包み込み目が合うよう見上げさせた。目の前に広がる自分の記憶とスケールの違う彼女の整った幼い笑顔に威圧感を覚えてしまう。

「お兄さんが小さくなっちゃったんだよ」



彼女はサキュバスの突然変異種であるアリスという種族だ。書店で棚の高いところに陳列されている本を懸命に背伸びして取ろうとしているところに偶然出くわし知り合った。その時の彼女は日本人離れした容姿ではあるものの人間にしか見えず、また現代に侵食しつつある魔物娘なんてものを知らないその男も異国の血が流れる少女だと思い込んで接し、その後も何度か会って話したり彼女の遊びに付き合う仲となった。
彼女の正体を知ったのは夏のある日、男が家でくつろいでいるところに突然彼女がやって来た時だった。
過去に話の流れで自宅の大まかな位置を言ったことはあった気もするが、まさか訪ねてくるなんてと内心戸惑う男だったが、汗まみれの屈託ない笑顔で「お兄さんと遊びたくて、来ちゃいました」と言われれば特に忙しくもないのにこの炎天下の中を追い返す訳にもいかず、せめて陽が落ちて涼しくなるまではクーラーの利いた部屋で涼ませてあげようと思い、彼女を部屋に招き入れた。

その日、二人は初めて交わった。

破瓜の痛みに悶える彼女から異形の角や翼、尻尾などが突然生えた時はさすがに驚いたが「いままで騙していてごめんなさい、私、実はニンゲンじゃないんです、けど、それでもお兄さんが好きです」なんて涙交じりに言われては彼もその相手が人間かどうかなんて関係なく真摯に気持ちを伝えるしかなかった。
まだ陽が高いうちからまた陽が昇るまで汗だくで交わっていた二人は、次の日、主に彼女の正体について話し合った。

彼女はこことは違う別の世界から来た魔物娘と呼ばれる存在であるということ。

彼女達魔物娘は人間の男性の精を食料としているらしく、それを得ることに特化した生態を持っているということ。

その中でも彼女の種族『アリス』は特に変わった生態をしており、性交時の記憶を保持できず、行為後に身体も処女に戻り処女膜も再生してしまうということ。

正直、すぐには信じられないようなことばかりだったが目の前で尻尾と翼を揺らしながら自分に抱き着く彼女を見ていると信じざるを得なかった。

こうして二人の交際はスタートし、その後も逢瀬と身体を重ねていったのだが、彼は彼女の生態について重大な部分をまだ聞かされていなかったのである。



「……で、ここはどこなの」

気が付いたらそこにいた。彼女と一緒に街を歩いていると本当になんの前触れもなく、その場所に変わったのだ。瞬間移動とはこういうものなのかと一周回って冷静になるほどに突然だった。
自分が知っているもののいずれとも合致しない、異質な植物が鬱蒼と茂る森の中を彼女とはぐれないよう、手をつないで歩く。

「……不思議の国、かもしれません、たぶん」

「不思議の国?もしかして不思議の国のアリス?」

彼が知っている不思議の国のアリスは古い児童書である。少女がウサギを追いかけて異界に迷い込む有名な小説であるが、彼女が言う『不思議の国』というものはそれではないようだ。

「私、あのお話を見つけた時とても驚きました。母から聞かされていた話とそっくりそのまま……というわけではないんですけど、同じだと思えるところがたくさんあったので」

先程述べたようにアリスとはサキュバスの突然変異種である。サキュバスを母に持つ彼女は、他の魔物娘とは常軌を逸する自身の生態について然るべき時が来た時に困ることがないよう、母親からある程度説明をされていたらしい。自身の食料が男性の精であることすら知らないこともあるという種族の彼女が初めて交わった後、困惑する彼に自分の正体について淀みなく説明できたのはその母親の功績によるところが大きい。

「お母さんから聞かされていたっていうのは、どういう」

「……『もし、いつか貴女のことを大切にしてくれるヒトが現れて、貴女がそのヒトを大切に想うなら、きっと不思議の国っていう楽しいところに行けるわよ』って……私、その、あんまりその話を信じていなくて、母が作ったお話だろうって思ってたんですけど」

たしかこちらの世界の不思議の国のアリスも、アリスという名の実在の少女のために作られたおとぎ話だったはずだ。それがどちらの世界にも共通点はあれど異なるものとして語られ、あまつさえ実際に存在していたとはなんとも妙な話である。

「この世界についてほかに何か聞いていることはないの?」

「ええと、悪戯好きなネコさんがいるとか、いつも眠っているネズミさんがいるとか、お茶会が大好きな帽子屋さんがいるとか……」

彼が知っているその話とも大体同じ存在がいるようだ。できれば友好的な存在であるといいが……。
そんなことを考えていると突如森の木々が開け、一軒の家が顔を出した。特筆するべきことはない普通の家だがこの森にぽつんと立っていること自体がそもそも特異である。

「……明らかに怪しいけど、誰かいればここについて何か聞けるかもしれない」

「そ、そうですね、たくさん歩いてつかれちゃいましたし、すこし休ませてもらいましょう」

ドアをノックするも返事はない。彼女がドアノブに手をかけるとそのドアは歓迎するように音を立て、内側に開く。いけないことをしてしまったかのようにドアノブから手を放し自分に縋りつく彼女に代わり、恐る恐るドアを開くとそこには外観のイメージ通りの普通の内装と間取りの廊下や部屋が見える。そこに生物の気配はない。

「……誰もいないみたいですね」

「入ろうか」

「はいっ」

土足でもいいかと思ったが、彼女が律儀に履物を脱ぎ始めたので少し迷った後、彼も靴を脱ぎ侵入する。
廃屋や空き家ではない。埃が全く積もっていないからだ。廊下や部屋の家具、壁に掛けられた額縁の上までチリ一つない。普通であれば誰かが丹念に掃除しているのだろうと思うのだが、異様なまでの無臭がそれを否定する。誰かがここで生活している痕跡がない。これはまるで。

「……なんだか、私たちのためのお家みたいですね」

彼女も同じようなことを少しロマンチックに考えていたようだ。何者かが自分達のために用意したモノ。彼もそんな印象を受けていた。
そして二人は家の中を粗方探索し終えた。家に備え付けてある水道、ガス、電気や家電は問題なく使用できる。元の世界に戻れなくても当分ここで不自由なく生活できそうだ。寝室のクローゼットに彼女にぴったりなサイズとそれより一回り小さいサイズの可愛らしい服がぎっしり詰まっていたのは少々不気味であったが。

「……あとはこれだな」

「……そうですね」

二人はリビングらしき部屋の一番目に付く机を眺める。その上には大きなクローシュが置かれていた。見るからに怪しすぎるので後回しにしていたのだ。それを開くと──。

中にはラッピングされた数枚のクッキーが入った袋が二つ。それぞれ『男の子用』と『女の子用』というメモを添えて。

「…………」

「…………」

しばらくそれを眺めていると隣から「くきゅう」と愛らしい腹の虫が聞こえる。横を見ると彼女が顔を真っ赤にして俯いていた。

「……食べようか、せっかくだし」

「えっ、あ、あの、危なくないですか」

「俺もお腹すいてたし、少しここで休憩しよう」

「わ、わかりました、私、飲み物持ってきますね」

そして二人は並んでそれぞれメモ通りの袋を手に取り中の焼き菓子を頬張る。柔らかい甘みとバターの風味が口いっぱいに広がって──。

男の意識はそこで途絶えた。



気が付くと男は彼女よりも幼い身体に縮んでおり、彼女は外見こそ変化は無いものの、その表情は別人ではないかと見紛うほど淫靡に染まっていた。

「お、俺が縮んだのか」

「そうですよ、ふふ、とってもかわいい」

そう言うと彼女は彼の頬に手を添えたまま、ゆっくり顔を近づける。彼女の優しく、甘い匂いが男の鼻腔を通り抜け思考が絆されていった。

「かわいすぎて、たべちゃいたいです」

鼻と鼻が触れるか触れないかという距離でそう呟いたかと思うとそのまま彼女は彼の唇を貪った。

「んっ……あむっ……ふふ……んむっ……れろ……じゅる……」

「んっ!?んんっ、ん、ぷは、んむ、んん、ん−!」

口と口でするセックスのような濃密なキスに彼は息もできない。彼女の柔らかな舌が口の中を余すことなく味わっていく。

以前にも彼女からキスをされたことはあった。しかしそれは唇同士が触れ合うだけの愛嬌あるものであり、このようなドロドロの欲望が滲み出たものではない。

「ん……んぅ……ん、ふぅ、ふふ、おいしかった」

「ん、ん……ぷは、はぁ、はぁ、っはぁ」

交じりあった二人の唾液が橋を架け、ようやく唇が離れる。息の仕方も分からず、突然の快感に翻弄された彼は立っていることもままならないのか座り込んでしまい、肩で呼吸をしている。
彼女はそんな彼の顔を覗き込み手をさしのべた。

「さぁ、行きましょう?お兄さん」

「はぁ、はぁ、い、いくって、どこに」

「ふふ、お兄さんはこれから私といっぱい愉しいアソビをするんだよ?」

今の彼には嬉しそうにそう言いながら自身の舌で唇を濡らす彼女の手を取り、覚束ない足取りでふらふらとついて行くことしかできなかった。

彼女が彼を連れてきたのは先程探索し異常がないことを確認した、クローゼットのある寝室。彼女はドアの前で少し待っているように言うとドアを閉め、しばらくして彼を呼び入れた。

「じゃんっ、どうかな?お兄さん」

部屋の中にいた彼女はそれまで着ていた服を脱ぎ捨て、水色のエプロンドレスに着替えていた。金髪碧眼の彼女の容姿と相まってまさに『不思議の国のアリス』といった感じの装いだ。よく見ると角や尻尾、翼にも可愛らしいアクセサリーが付いている。

「に、似合ってるよ、とても」

「ふふっ、嬉しいです」

そう言いながら彼女はくるりと一回転する。尻尾や翼を通す専用の穴も空いているようで、背面まできちんとフリルやレースの装飾が付いた凝った衣装である。

「このクローゼットに入ってたんです。着心地良くて、かわいいし、サイズもぴったりで」

その場で回る彼女の勢いでふわりと宙を舞うフリフリのスカートとその隙間から見える細く白い太ももに目を奪われていると彼女が言った。

「さ、私は着替えたから次はお兄さんの番だねっ」

「え、い、いや、俺はいいって」

「だーめ、この服は私にぴったりだったんだから、こっちの小さめの服はきっとお兄さんにぴったりですっ」

クローゼットには彼女用であろうサイズの服とそれより小さなサイズの服が入っていた。しかし、その服は男児用のものではなく彼女のものと同じようなデザインの可愛らしいドレスやワンピースばかりだったのだ。

「お、俺にはそんな服似合わないから!いいって!」

「だいじょうぶですよ、今のお兄さんとってもかわいいから」

「いやほんと、大丈夫だから!」

「こーらっ。暴れちゃめっ、ですっ」

これを着たら自分の大切な何かが崩れ去ってしまう、そんな予感がして彼は服を脱がそうとする彼女に必死で抵抗し寝室から逃げようとする。しかし、現在彼女に体格で劣っている彼はズルズルと部屋の中に引き寄せられてしまうのだった。

「もうっ、大人しくしてくれないならこうですっ!こちょこちょこちょこちょ」

「え、ひゃっ、ま、あはははははははははははは!!ま、まっ、ひぅ、っく、ひひひひひひひひ、ひぃ!!」

「ふふふ、大人しくカンネンしなさいっ」

「や、やあっ、あははははははははは!!ふぅーっ、ふいっ!?ひっ、ひ、あはははははははははは!!」

子供に退行した敏感な身体を容赦ない擽りが襲う。脇や背筋、うなじ、太もも、足裏を彼女の細い指に這い回られる刺激に脳が痺れ、彼は口を動かすので精一杯だった。

「……着てくれる気になりましたか?」

「はぁ、はぁ、はぁ……や……やら……」

「……こちょこちょこちょこちょ」

「や、あはははははは!!ひーっ、ひーっ、ぅっ、っく、ふふ、あはははははははは!!」

二人の攻防は続いた。もっとも先程も言ったように彼女は体格で勝っているので、擽られてここまで体力を消耗した彼になら無理矢理着替えさせることも可能である。
しかし、彼女は自分の腕の中で痒みとも快感ともとれる感覚に悶え、それでも懸命に抵抗しようとする彼に無邪気な、それ故に容赦のない嗜虐心を湧き上がらせていた。

「それそれっ、着るって言わないと終わらないよっ」

「あひっ、う、あは、はひ、う、あ、ぅ、ふ、ぅ」

「もう限界だと思うんだけど、お兄さんはいつ降参してくれるのかなー?このままだとお兄さん、ダメになっちゃうよー?」

「あ、ぅ、ひ、あ、あ、くっ、ぅ、う、んぅ、は、ぁ、ふ……ぅ、ぁ?」

「……うーん、お兄さん、小さくなってもなかなか手強いです……私も腕、疲れてきちゃったし、もうこうなったら無理矢理……あ」

「は……は……は……あ……?……ぁ」

擽る手を止めた少女はその時、新しい玩具でも見つけたかのようにニンマリと微笑んで視線を彼の下に落としていた。呼吸を整えながらも、話の途中で言葉を切った彼女を不審に思い彼女の視線を追った彼はその先にあるものに気づく。

「ぁ……ゃ……これは、ちが……」

「……ふふ、流石お兄さんです、確かにこうなっちゃったら女の子の服は着れませんね……」

「う、ぁ……」

「私の手で擽られて気持ちよくなっちゃったんですね……じゃあ私が女の子の服、着られるように戻してあげますね」

そう言うと彼女は彼をベッドに優しく押し倒し、その股座にしゃがみこみながらズボンに手をかけた。

「わぁ……ふふ、かわいいです……」

「……っ」

「……ふぅーっ、あ、びくってしました、ふふ……はぁーむっ」

「ぅっっあ、あぅ、く、ぅっ」

「んむ……ん……んふふ……れーろっ、んっ……あむっ」

「うぅっ、あっ、や、あ、ぅ、ぃぁっ」

「ちゅ……ん……む……ちゅ……む……んん……んっ」

「うっ、あ、ひ、んんっ、あ、や、だ、め、うっ」

ちゅぱちゅぱと棒アイスを舐めしゃぶるような音が部屋中に響きわたる。先程の悶着のせいで身を捩る体力も残っていない彼は、自分の腰ごと抱き寄せる彼女の熱い咥内で陰茎を飴のように転がされる快感をただ享受することしかできなかった。

「ふふ……らにが、らめなんれふかぁ……?……んむぅ、んちゅ」

「ひっ、ぃ、なめながら、しゃべっちゃ、ぃ、あっ、う」

「んんぅ、む……はわいぃ……ろっれも、はわいいれふ、おにーはん、あむ」

「あっ、う、も、う、ぅっ、ぁ、でちゃ、ぁっ、ぅ」

「……ふぅ、んむ、いいれふよ……らくさん……らひてくらはい……れろっ」

耳に届くその言葉に、無理やり脳のストッパーが外されるような感覚が襲う。
彼は彼女の咥内で蕩けるような絶頂を迎えた。

「う、ぁ、ゃ……ひ、っぅくっ!!!」

「んむぅ、んッ……んッ……んッ……んむ……ちゅぅ、ちゅむ」

「あ、あ、あ、すっちゃ、ら、め」

「んぅー?んふふ……ん……ん……んぅ、ふ」

脈動が止み、一滴も残すまいとばかりに彼女が放出された精液をすべて吸い出してしまう。そしてようやく股座から口を放したかと思うと、咥内に液体を含んだまま未だ快感の余韻で動けずにいる彼の隣に顔を寄せた。

「はぁ……はぁ……ぁ?」

「……んふふ」

何をするのかと彼が不思議に思っていると、彼女はイタズラっぽい笑みで自分とは反対側の彼の耳を手の平で塞ぎ、

自分の口の中にある粘液を彼の耳元で聞こえるようわざと音をたてて、ゆっくり、ゆっくり、味わい、咀嚼しはじめた。

「……ぐちゅ……」

「……ぅ……」

「……ぐちゅ……ぐちゅ……ぐちゃ……」

「……っ……ぁ……」

「……ぐ……ちゅ、んふふ……ぐちゅ……」

「……ぁ……ゃ……ゃ、め……」

脳内で反響する卑猥な水音を聞かされ、自分が快感に屈してしまった証を彼女の口の中で好きなように弄ばれていることに対する言い様のない恥ずかしさがこみ上がってくる。
まるで自分そのものが彼女の口に含まれ舐め転がされているような。そんな錯覚を彼は覚えた。
そして。

「……ごくん」

「……ぁ……」

呑まれた。彼が、彼女に。

「……はぁぁ……やっぱり、おいしい……」

「……ぇ……え、や、やっぱり、って」

「ふふふ、そうですよ。あのクッキーを食べた時、全部思い出しました。お兄さんがいつ、どこで、どんな言葉をかけて、どこをいっぱい気持ちよくしてくれて、どんな風に私を愛してくれたのか。やっと思い出せました」

そう言うと彼の隣にいた彼女は、覆い被さるように上に移動した。彼女と視線がぶつかり、そのまま宝石と見紛うその碧眼に絡め取られ目を逸らすことができなくなってしまう。

「だから私、お兄さんにお返ししたいんです。お兄さんは私をたくさん可愛がってくれたから、次は私がお兄さん
のこと、いっぱい可愛がってあげます。ご飯もお風呂もトイレも全部私がお世話してあげます。寝るときももちろん一緒です。いろんなかわいいお洋服も着せてお外に連れてってあげます。髪だってかわいく整えてあげますよ。時々私もアソびたくなっちゃうこともあるかもしれませんけど、お兄さんは私に任せて気持ちよくなってくれるだけでいいんです。ねぇ、お兄さん」

「……ぁ……あ、ぅ……」

狂気を感じるほど澄んだ大きな青い瞳に貫かれながらそう一方的に捲し立てられ、彼は金縛りに遭ったように何も言えずただ言葉にならない声を発することしかできない。そんな彼が見えているのかいないのか、彼女がこう続けた。

「私のお人形になってくれませんか?そうすればお兄さんは何もしなくて、ただ気持ちいいことだけずぅっと考えていればいいし、そうなったら、私もとっても嬉しいです。私が嬉しいとお兄さんも嬉しいですよね。うぃんうぃん?ってやつです。お兄さん、私のお人形になってください。きっとお兄さんにとってそれが一番幸せですから」

断られることなど微塵も考えていない表情で突き付けられた、耳を疑う狂った提案。
これを受け入れたら、戻れなくなる。本当に取り返しがつかなくなる。こんな提案、駄目だって言わなきゃ。ちゃんと、断らな──。



「──……ねっ?」



数日後、不思議の国の某所。
緑が広がるその場所には丸いテーブルとその四方を囲むように椅子が置かれそこに三体の人型の存在が座っていた。
一人は眠ったままテーブルの上の菓子をポロポロと溢しながら頬張るネズミの少女。
一人は泰然自若といった様子でティーカップに注がれた液体の香りを楽しむ燕尾服のような衣装と帽子が特徴的な麗人。
一人はそわそわと落ち着かない様子で空いているもう一つの椅子を何度も横目でチラチラ見るウサギの女性。

「そんなに焦らなくてもそろそろ来るよ……ほら、噂をすれば」

燕尾服の麗人が森の方に視線を送るとそこから二人の少女がこちらへ駆けて来るのがわかる。

一人はトレードマークの水色のエプロンドレスのスカートの裾と背面から生えているであろう愛らしい尻尾と翼を揺らしながら。

もう一人はお揃いのデザインのクリーム色のドレスを着て、自分より一回り背の高い先程の少女に手を引かれながら。

「ごめんなさい、遅れちゃって」

「構わないよ、どうせ私の気が向いた時に開催してるものだからね。さ、遠慮せず座ってくれ、ご両人」

その言葉を聞いて空いている一つの椅子に水色のドレスの少女が迷うことなく座ると自分の太ももを軽く叩き、もう一人の少女に自分の膝の上に座るよう促す。
クリーム色のドレスを着た少女は恥ずかしいのか、もじもじと躊躇っているようだが先に座った少女に「お兄さん?」と声をかけられるとびくりと身体を震わせ、ゆっくりと彼女の膝の上に座った。

確かに少年らしい面持ちはあるもののどう見ても少女にしか見えない「お兄さん」と呼ばれた彼女──もとい彼は紛れもなく男性である。
同席している他の三人には周知の事実であるのか特に驚いた様子はない。

「ふふ、いいね、初々しくてつい笑みが溢れてしまうよ」

「すぅ……すぅ……なかよし……」

「は、はぁ、い、いいなぁ、私も早く旦那様を……じゅるり」

「ふふ、あげませんからね」

そういうと少女は後ろから彼をしっかりと抱き締めた。腕の中の彼の顔がみるみる紅潮していくのがわかる。

「おやおや、見せつけてくれるじゃないか。結構結構……それはそうと君達がここに来て一週間と少しだ。どうかな?こちらの住み心地は」

「もうそんなに経つんですね、お兄さんと皆さんのお陰で毎日とっても楽しいです。お兄さんはどう?」

彼女が腕の中に声をかけると彼は小さな声で「た、楽しい、です」と答えた。

「そ、それならよかった、ふ、ふふ」

「すぅ……すぅ……住めば都……」

「あぁ、君達が楽しいのなら何よりだ。きっと女王様もお喜びになっているよ」

「女王さま……ハートの女王様ですよね?やっぱり私達のために暮らしやすいお家とかかわいいお洋服とか用意してくれたのも女王さまなんでしょうか……?」

ハートの女王。この異界、『不思議の国』を治める傲慢不遜の暴君である。治めると言ったが実際に統治と呼ばれる行為を行っているかどうかは怪しく、彼女の気まぐれでこの世界は理解の及ばない摩訶不思議な現象や事件が毎日のように頻発し、混沌に包まれている。

「すぅ……たぶん……そう……」

「女王様なら、って感じですよね、ふふ」

「そうだな。確かな証拠なんて無いが彼女ならやりかねないし、またそれを実行する力も持っている。まぁ十中八九間違いないだろうね」

「やっぱりそうなんですね、一度会ってお礼、言いたいな……もとの世界に戻る方法も知りたいし」

彼女の言葉を聞くと眠っていたネズミの少女がうっすら目を開き悲しそうに呟いた。

「……かえっちゃうの……?」

「へ?あ、いえ、そうじゃないんです。ここでずっと暮らすつもりではあるんですけど、お父さんとお母さんが心配してるかもしれないから一度帰っておきたいなって」

それを聞いたネズミの少女は「よかった」とだけ言い再び目を閉じ眠ってしまう。

「あぁ、それはいけないね。なんとか安否を伝えた方がいい」

「そうですよね、なんとか女王様に会えないでしょうか……?」

「じょ、女王様に会えるかどうかはわからないから、お手紙とか書いて送ってみたら、どう?」

「えぇっ!?こっちから向こうの世界にお手紙送れるんですか!?」

「……あぁ、この世界に住むハーピー種のジャブジャブがたまに小遣い稼ぎにやってるジャブジャブ便に頼めば送ってはくれるが……」

麗人は一瞬考え込む素振りを見せたあと諦めたように肩を竦めて続ける。

「彼女らもこの世界の住人だ。配達はかなり出鱈目でいつ届くかなんてわからないし、そもそも届くなら良い方だなんて話も聞く。なによりどんな運び方をしているのか配達物の水損がとにかく多いらしい。他の物ならともかく両親に無事を伝える手紙を彼女達に任せるのはオススメできないね」

「すぅ……すぅ……びしょびしょ……」

「そう、ですか……」

彼女がしょんぼりと肩を落とす。提案した手前、責任を感じているのかウサギの女性が「ご、ごめんね」と声をかけている。
そんな様子を見て、麗人が口を開いた。

「もし、君達が良ければその手紙、私に預けてくれないか?」

「え、あの、それって」

「女王様の命でね、少し先にはなるが夫探しを兼ねて向こうに行く用事がある。その時までに私に手紙を預けてくれれば責任を持って君の両親に届けることを約束するよ」

「ひ、一人だけ旦那様探しなんてズルい!私も行く!」

「……むにゃ……わたしも……いく……」

「君達も誘うつもりだったよ。先のことだから伏せていただけさ……で、君は私を信頼してくれるかな?」

「は、はいっ、ぜひおねがいします!」

「ふふ、了解したよ、何度も言うようにまだ先のことだから焦らず手紙の内容を考えておくといい。たとえ槍が降っても君の両親に届けることをこの帽子に誓うよ。──さて、一段落したところで」

彼女はそう言うとテーブルに目を落として続けた。

「世間話はこれくらいにして、ティータイムにしようか。いい加減冷めてしまう」

「あ、そうですね、いただきます」

「ふ、ふふ、いい匂いしてたから、たのしみ、いただきます」

「……すぅ……いただきます……」

「あぁ、召し上がれ」

彼女の膝の上の彼も「いただきます」と小さく呟き紅茶を啜る。

「……おいしい……むにゃ」

「……はぁ、ふぅ、やっぱり、あなたの紅茶は、最高ね、ふふ」

「お褒めいただき光栄だよ」

両手でカップを持つ彼も「お、おいしいです」と言って実際美味しそうに飲んでいるが、微妙な顔をしている者が一人。

「舌に合わなかったかな?」

「い、いえ、あの、おいしいんですけど私にはその、ちょっぴり渋くて……」

それを聞いた燕尾服の麗人はその言葉を待っていたかのように薄く笑って言った。

「おや、君はミルクを持参すると思っていたから、そのカップだけ少々濃いめに淹れたんだが……持ってきていないのかい?」

「──あぁ、そうでしたね」

そう言うと同時に膝の上の彼がびくんと跳ねる。彼女の白く細い手がティーカップを置き、テーブルの下に吸い込まれていった。

「ねぇ、お兄さん……私、あまーいミルク、欲しいなぁ……」

彼女が彼の耳元で熱っぽくそう呟くとそのまま彼の耳を口に含んだ。
彼が小さな悲鳴をあげると、テーブルの下から微かに衣擦れの音としばらくして粘り気の含んだ水音も聞こえてくる。
麗人は最初と同じく何もおかしなことなど起きていないかのように紅茶を啜り、ネズミの少女は眠っているように見えるが先程まで紅茶を飲んでいた手は止まっており、代わりに微かに聞こえる音を少しでも聞き逃すまいとその大きな耳が頻りに動いていた。
ウサギの女性は今まで紅茶を飲もうとしていたことなんて忘れたかのようにその二人の様子に釘付けで息を荒げ、少女と同じようにその手はテーブルの下に吸い込まれてしまっている。
少女が彼に何をしているかはテーブルの陰になり誰にも見えていないはずだが、ここにいる全員がこの下で行われていることを理解していた。

そして彼がその容姿に相応しい一際高い声をあげると、耳を甘噛みしていた彼女の口が離れて、テーブルの下から少し濡れた小さな手が何かを掴むように優しく握った拳を形作り、姿を見せる。
そして彼女がティーカップの真上までそれを持っていくと、ゆっくり拳を開いた。
手の平からどろりとした白濁の液体が糸を引きぼとぼととカップの中に落ちる。透明の赤茶色だった紅茶はその『ミルク』により斑に濁った薄桃色に変わった。

「……いいにおい……」

「あぁ、とても濃厚で芳醇な香りだ。私も早く自分のカップに愛する者のミルクを入れて味わってみたいものだね」

「ふぅーっ、ふぅーっ……」

ウサギの女性は息も絶え絶えにになっている。そんな彼女をよそに、少女は自分の手に付いた液体が粗方カップに入ったのを確認すると、手に残ったそれを手の平から順に親指、人差し指、中指、薬指と舐め取っていった。

「れろっ、んっ、あむ、ちゅ、ん、おいし……あ、あの、少し舐めますか?」

その言葉はあまりの興奮に、もはやお茶会という名目を忘れつつあるウサギの女性を見かねてかけられたものだ。
その液体が少し付いた小指を差し出された彼女はなけなしの理性で答える。

「えっ!?いいの!?……でっ、でも止めとく!!たぶん、一回味わったら我慢できなくなるから!!今は匂いで満足しとく!!」

「賢明な判断だね。君も親切なのは結構だが、余計な気遣いなんてせずに自分と彼のことだけ考えればいいよ」

「……すぅ……そのとーり……むにゃ……」

「そ、そうですか……」

そう言って彼女は小指に付いた液体を舐め取ると、

「今日もとってもおいしいよ、ありがと、お兄さん」

彼の耳元にそっと囁き、唾液でべとべとになったその指を絶頂の余韻で蕩けて半開きになった彼の口に侵入させ咥内を優しく愛撫する。そして反対の手でスプーンを持ちティーカップを少しかき混ぜた後、彼女は美味しそうに紅茶を啜った。

ここではない世界のどこかにあると言われる異常が日常の狂った異界『不思議の国』。彼ら二人もそんな世界の日常に溶け込みつつあるのだった。



〜アヌビスの場合〜


「どうして……どうしてそんなに大きくなってしまったんだ!」

十年ぶりに再会した彼女の第一声である。感動の再会となるはずだったその場はその一言のせいでなんとも間の抜けた雰囲気となった。
そんな彼女の疑問に彼は同じく一言で答える。

「どうしてって……成長したし」

二人は幼い頃よりの関係である。家が近所で親同士の仲が良く家族ぐるみでの付き合いがあった両家の子供が知り合ってから仲良くなるのにそう長い時間はかからなかった。
魔物娘という存在が公になって十数年、ご近所さんが人外であるということも珍しい話ではなくなっていた。

そんな彼女はアヌビスという種族であり、この国の人間にはあまり見られない褐色の肌と黒い狼を思わせるふさふさの毛で覆われた頭の獣耳と尻尾、手足が特徴的な魔物娘だ。

年齢にして六つほど歳上である彼女が彼にとって姉のように接してくれる憧れの女性という立ち位置になるのは自然な成り行きであったし、彼女もまた真面目で頑固なアヌビスの種族柄、時には厳しく接することはあっても最後はいつも優しく微笑み頭を撫でさすってあげる、まさに弟のような彼を可愛がっていないはずはなかった。
二人はこのように本当の姉弟のように親睦を深めていった。

しかし、別れは彼が十二歳の時、突然訪れる。

彼が家庭の都合でどうしてもその地を引っ越さなければいけなくなったのである。

この世に終焉が訪れたかのように絶望し、本当に行かなければいけないのか、彼だけでも置いて行けないのか、なんなら私がそちらについて行ってもいいと、普段の理知的な姿からは想像もできないような激昂した様子で泣きながら彼の家族に詰め寄る彼女とは対照的に彼は泣かなかった。

「オレが、ねーちゃんの隣に並んでも恥ずかしくないくらい立派になったら迎えに来るから、待ってて」

涙を必死に堪えながらそんなこと言われては彼女も引き下がるしかなく、同時にその時、どんな手を使ってでも彼を自分の生涯の伴侶にしたいという強い思いが湧き上がり、その思いをぶつけるように彼を思い切り抱きしめるのだった。

「……絶対、迎えに来い。待ってるから」

「……ウワキすんなよ、ねーちゃん」

「ふふ、生意気なヤツだ。お前こそ私以外の女性に現を抜かすなよ」

「あたりまえだっ」

こうして二人は暫しの別れとなった。
時々、電話やメール、手紙などで連絡を取り合うことはあったが迎えに行くと言った手前、彼女のパートナーとして恥ずかしくないと思えるようになるまでは逢おうとは言わない彼とそんな彼の気持ちを汲んで、彼が未だ自分のことを想っているのか不安になることもあったが逢いたいとは言わない彼女の離ればなれだった時間は互いに対する気持ちを更に大きくしていった。

そして別れから十年後、大学を卒業した彼は彼女が未だ住んでいるというその街の会社に就職を決め、遂に戻ってきた。

あの頃とは見違えるくらい、それはもう、とてつもなく立派になって。

「あ、あの頃はこんなに小さかったのに……」

彼女が両の手の平を向かい合わせ、空中に物差しを作る。その手の間の空間はどうみても六十センチほどしかない。

「犬かなにかかオレは。さすがにそこまで小さくはなかっただろ……なかったよな?」

呆れてそう言う彼の身長は目測一九〇センチほど。別れた頃は彼女の抱き枕にちょうどいいサイズだった彼が何を食べてどう鍛えたらそんな身体になるのか鋼のように引き絞られた肉体は道行く人々が自然と避けて歩き、人混みの中では周りの人間より頭一つ抜きんでた身長で同行者とはぐれたことはなかった。一方の彼女は成長期を終えているのか平均的な大人のアヌビスより少し小柄な身長に十年前と大きな変化は無いように見える。

「それよりも十年ぶりに再会して第一声があれって流石にどうなの」

「た、多少成長していることは考慮に入れていたが、あそこまで大きくなっているとは思っていなかったんだ!」

「少年三日会わずば刮目して見よ、なんて言葉があってだな。まぁ十年も会わなかったら驚くのはわかるけどさ」

「ぐぬぬ……構想に十年費やした私の『もうお姉ちゃんと一緒じゃないと生きていけない身体になっちゃうプロジェクト』が……」

「なにその頭悪そうな計画……」

アヌビスは本来冷静な種族である。何事にも事前に細かくスケジュールを立て事に臨む彼女達だがその反面、自分の思い通りに事が運ばないと大きく取り乱してしまう一面がある。
典型的なアヌビスである彼女もその例に漏れず、この十年で自分の想像よりも立派になっていた彼についあんな言葉をかけてしまったということだ。
もっとも彼女の言う「多少成長していることは考慮に入れていた」というのもどこまで「考慮」されていたかは疑問であるが。

「……言いそびれてた、ただいま」

「あっ、え、ぅ……お、おかえり」

「会いたかった、ずっと」

「わ、私も……」

「姉ちゃんのために、立派になったよ」

「あ、ぁぅ……ち……」

ここにきてようやく再会した恋人同士のような会話を交わした。道行く魔物娘達もその桃色の空気に思わず顔を赤らめ様子を窺っている。
しかし。

「ちがぁーう!!」

「なにがだよ!!」

「もっとこう、『久々に会った憧れの女性といっぱい話したいけど言葉が出てこない』的な雰囲気を出してくれ!!なんで私の方がその役割なんだ!!」

「知らねぇよ!!よく自分で自分を憧れの女性とか言えるな!!間違ってないけどさ!!」

自分に予想外のことがあるとこのように普段の冷静さはどこへやら、焦って混乱に陥ってしまう彼女であるが、そんな彼女とこうしてやり取りするのも彼の楽しみにしていることの一つであった。怒られるので言わないが。

「もういい!!デ、デートに行くぞ!!今日はその予定だ!!」

「……ほぅ、奇遇だな、オレもこの後はそうしようと思ってたんだよ」

「それなら話は早い、すぐに行くぞ、行き先はもちろん──」



「水族館だ」
「私の家だ」



「…………」

「…………」

二人の視線がぶつかる。幼い頃もこうして意見がぶつかることはあった。お互いに頑固な二人、こうなると一歩も引かないことを長い付き合いで分かっている。
そんな時の解決法は一つ。一瞬で二人が勝者と敗者に分けられ勝者に敗者は絶対服従、古代より行われる残酷なほどに単純で公平公正な三竦みの闘争。



「「最初はグー!!」」



「こちら、大人二名様のチケットです、ごゆっくりどうぞ」

「ありがとうございます」

「…………」

「……いい加減機嫌直してよ」

「別にそんなんじゃない」

その街の某所にある水族館。幼い頃にも何度も彼女と一緒に来ているが彼がこの地を離れている間に大改装を行ったらしく、外観はともかく内装も彼の知っているものよりも洗練されたデザインに大きく変わっていた。もっともそれを知っていたのでデートの行き先として提案したのであるが。

「おぉー、めちゃくちゃ綺麗になってる、すげぇ」

「……すごいな」

「あれ、姉ちゃんはリニューアルしてから来てないの?」

「一人で来てもつまらないからな。誰かと来るならお前がよかった」

「……そっか」

ゲートを入ってエスカレーターを昇るとすぐ、改装後の目玉の一つである円柱型の巨大な水槽が薄暗い館内に姿を見せる。中には大小様々な海の魚が悠々と泳いでおりその様子を三六〇度全方位から観察できるような構造だ。ちょうど清掃の時間と重なったらしく、マーメイドらしき飼育員が水槽を拭きながら愛想よく客に手を振っている。

「おー、圧巻だね、まさにおさかな天国。あ、サメもいる」

そう言いながらちらりと横目で彼女を見る。公正なジャンケンの結果とはいえ自分の要求が通らなかったことに若干不機嫌だった彼女だが、

「……すごいな」

口は先程と同じように真一文字に結ばれているがその耀く目は興奮を隠しきれておらず、魚を追って右に左に忙しなく動き、尻尾は大きな周期でゆらゆらと揺れている。意図した事かはわからないが水槽のアクリルガラスに添えられた彼女の手の向こうには、肉球が気になるのか多くの小魚が集まって来ていた。
とりあえず楽しんでもらえているようで彼は一安心する。

「よくこれだけの数で泳いでぶつからないよね」

「……以前から気になっていたんだが小魚達は大型の魚に捕食されてしまわないのだろうか」

「んー、なんかちゃんと餌をあげてたら水槽内で食べられちゃうことはないって前にどっかで聞いたような」

「……それはありのままの生態展示と言えるのか……?」

「ま、まぁそうだけど、別にオレ達も捕食される魚を見に来てるわけじゃないし……あ、ウツボだ」

「っ!どこだ!?」

「そこそこ、岩の隙間」

彼の指差した方角を彼女が真剣な眼差しで見つめる。
彼女は何故かウツボが好きだ。というより蛇等の細長いウネウネした脊椎動物を全体的に好んでいる。水棲生物の中でもウナギやウミヘビなど彼女の好みに該当する生物は多数いるがウツボが一番いいらしい。以前、その理由を聞いたことがあったが、

「なんというか、お前も日本人なら白米のご飯が好きだろ?それと同じだ」

とよくわからない返答をされた。つまり魔物娘はみんなウツボが好きなのか?

そんなことを考えているといつの間にか彼女の顔がウツボではなくこちらを見つめていた。

「私以外の女のことを考えていただろう、顔を見ればわかる」

「いや、姉ちゃん以外の女性っていうより魔物娘全体について考えてたっていうか。姉ちゃんになんでウツボが好きかだいぶ前に聞いたことあったでしょ?それの『日本人が白米を好むようなもの』って答えがイマイチ腑に落ちなくて」

「あぁ、そのことか。なんと言えばいいか……少し待ってくれ、良い説明を考える」

そう言うと彼女は水槽の前で考え込み始めた。思考を巡らせているときの彼女の癖で黒い耳が時折ぴくぴくと動いている。

「……我々アヌビスについての話だ。この世界で生まれた私はまだ出会ったことはないが、元々魔物娘という存在が生まれた世界では『ファラオ』と呼ばれる非常に強い力を持つ魔物娘に仕える存在だったらしい。それは知っているな?」

「うん、なんか砂漠とかピラミッドとかそういうやつでしょ?」

「少し大雑把すぎる解釈だが大体そうだ。そしてそのファラオだが私が調べたところ記録に残っているどの個体も自分のすぐ傍に大蛇を置いていたという記述がある。ラミアではなく『蛇』だ。それがペットのようなものだったのか、ファラオの身体の一部なのか、はたまた蛇自体がファラオの本体なのか。はっきりとしたことは私が調べた範囲ではわからなかったが、『蛇』というものがアヌビスの仕えるべき存在のトレードマークとなっていたことはわかった」

そこまで話すと彼女は一呼吸置きまた話を続ける。

「私が蛇やウツボを好むのはきっとそういうことなんだろう。種族の性というやつだ。なんとなく懐かしくなるんだろうな」

「なるほど、蛇とかが好きなのはそういうことだったのか……でもなんでウツボだけ特に気に入ってるの?」

「え……そ、それは……その……つ、強そう、だし……」

「あぁ、なるほど」

「なっなんだその顔は!知らないだろうから言っておくがな!ファラオはもともと王だった人間が強大な力を持つアンデッド化したもので力と繁栄の象徴なんだぞ!その命令は聞いた者を誰であろうと従わせる強力で抗えないものなんだぞ!強いんだぞ!わかっているのか!」

「わかったって、そろそろ次行こうよ、ほら、深海魚コーナーだって、いてっ」

彼女のもふもふの腕とぷにぷにの肉球でバシバシ叩かれながら巨大な水槽を離れる。清掃中だったはずの飼育員は途中からその手を止めニヤニヤしながらオレ達の様子を窺っていた。マーメイドではなくメロウだったか。

その後も様々なコーナーを回り、クラゲを一緒にぼんやり眺めたり、ヒトデやナマコを触って興奮する彼女を落ち着かせたり、シャチにピンポイントで水をぶっかけられたりして一頻り水族館を楽しんだ。

「あー、楽しかった。まさかこんなに面白い場所になってるとはなぁ」

「あぁ、今度友人たちにもお勧めしておこう」

時刻は夕刻。街がオレンジ色に染まって夜の到来を予感させる。

「どうでした、オレの提案は」

「……そうだな、悪くなかった」

「なら、よかった」

彼女に今日の感想を尋ねる。自分の立てた予定通りに事が運ばないと取り乱す彼女であるがなんだかんだそのハプニングをある程度楽しんでいる節はあるのだった。
彼女にその自覚があるかどうかはわからないが。

そして自分の計画に付き合ってもらった後は彼女に華を持たせることも彼は忘れなかった。

「……それで……その……そろそろ夕飯の時刻だが……何か計画はしているのか?」

「ん?……あぁー、特に考えてないや」

「そ、そうか!全くお前は最後の詰めがいつも甘いな!仕方がないから今日は私の家で料理を振舞ってやろう!」

「姉ちゃんの手料理久々だから楽しみ」

「ふふふ、こうなると思って今日の献立はすべてお前の好物にしておいた、喜べ」

「わーい」

実はというと夕食のためにこの近辺のある程度綺麗めなレストランに目星を付けていた彼であったが、どうせ予約をしているわけではない。せっかく夕食を用意してくれているなら断るというのも野暮だろう。言わぬが花というやつだ。
彼は夕暮れに染まり始める記憶とは少し変わった馴染みの街を彼女と手を繋ぎ、歩幅に気を配りながら歩くのだった。



「ご馳走様でした」

「ふふ、綺麗に食べたな、感想は聞くまでもないか」

「おいしかったよ、また料理の腕上げたね」

「あの頃から何年経ってると思ってるんだ、料理の腕くらい上がる」

久々の彼女の家での夕食後、空になった器をしばらく満足げに眺めたあと重ねて流し台に持ってい行きながら彼女はそう言うのだった。
彼女の両親とも久々に話をしたかったが何やら気を遣ったのか夫婦で出かけているようだった。二人きりである。

「洗うの手伝うよ」

「いいからお姉ちゃんに任せて座って寛いでいろ、今日はたくさん歩いて疲れただろう」

帰宅した辺りからなにやら彼女の一人称がおかしくなっていたが、あえて突っ込まず言れた通りにソファに座り込む。
薄い桃色のエプロンを着け尻尾を揺らしながらシンクに向かうあの頃と変わらない、しかし彼からは相対的に小さく見える彼女の後姿を見て猛烈に抱きしめたくなる衝動に駆られるがそれは彼女の『予定』の内ではないだろうと思いぐっと堪える。今は彼女のターンだ。

「インスタントでいいなら食後のコーヒーもあるが」

「あ、お願いします」

「わかった、すぐに洗い物を終えるから待っていてくれ」

しばらくして洗い物を終えエプロンを脱いだ彼女が湯気の立つマグカップを二つ持って彼の隣に座った。

「ありがと、姉ちゃん」

しかし、彼女は彼にカップを渡さず自分の傍にカップを一つ置き、彼のものと思しきカップを両手で持つとニヤリと笑って言った。

「熱いからな、お姉ちゃんが冷ましてやろう」

「え、いや、自分でやるって」

「いいから遠慮するな、舌でも火傷したらどうする」

そう言うと彼女は湯気がモクモクと立つコーヒーに口をすぼめて、ふぅーっ、ふぅーっと何度も息を吹き掛けた。幼い頃、体調を崩した時に雑炊を食べさせてもらったことを思い出し、懐かしい気持ちになる。

「ふぅーっ……ふぅーっ……ふぅ、そろそろいいだろう。さぁ、美味しくなるようおまじないをかけたお姉ちゃんのコーヒーだ。遠慮せず飲め」

「あ、ありがと……あのー、さっきから気になってたんだけどさ……もしかして今、今日の初めに言ってたなんちゃら計画やってる?」

「『もうお姉ちゃんと一緒じゃないと生きていけない身体になっちゃうプロジェクト』だ。お前がこの家に入った時点で既に計画はスタートしている。本当は今日丸一日使う計画だったが、綿密なシミュレーションの結果、夕方からでも軌道修正が可能と判断して実行に移した」

もしかしてと思って聞いてみると表情一つ変えずにそう答えられた。
とりあえず丁度いい温度に冷まされたコーヒーを啜りながらその計画の全貌について聞いてみる。

「ええと、具体的には何をされちゃうのそれ」

「別にお前に危害を加えるようなことは何もしないから心配するな。お前はただ久々に再会したお姉ちゃんに甘えていればいい」

「そうですか……」

そう言うと彼女はマグカップを置き自分の太ももをポンポンと軽く叩く。
幼い頃から変わらない、自分の膝を枕に使え、の合図。
彼は遠慮なくそれに甘える。

「……狭い」

「ふふ、そんなに大きくなるからだ」

十年前は彼が寝転んで足を伸ばしてもまだスペースに余裕があったソファは足を折りたたんで何とか寝転べるような状態だった。
彼女のふわふわの手で頭を撫でられ、くすぐったさに少し身動ぎする。

「……立派になったな、本当に」

「……そうかな」

「あぁ、とても立派になった。私よりももうずっと身長も高いし、デートのエスコートもできるし、気遣いもソツなくこなしている。そこまでできれば十分だ、どこに出しても恥ずかしくない」

「……どしたの、急にそんなに褒めちぎって」

彼がそう言うと彼女は一瞬頭を撫でる手を止め、また撫でながら話し始めた。

「……お前は確かに立派になった。しかし私はどうだ。自分の練った計画を押し通すことばかり考えて、歳上であればするべき気遣いをなにもできていない」

「そんなことないよ」

「ふふふ、夕食も本当はどこか外の店に目星を付けていたんじゃないのか?見ていれば分かる」

「……バレましたか、まだまだですねオレも」

「何年の付き合いだと思っている、バレバレだ」

彼女はそう言うとため息を一つつき、さらに言葉を続ける。

「……本来ならすぐに言うべきだったことだ。しかし私はあの時、これで私がずっとお前にしてあげたかったことをようやく実行できると思って気が付かないふりをしてしまった」

「…………」

「……お前はこの十年で立派になった。しかし、私はそれに見合う女性なのか?事前に立てたスケジュール通りでないとなにもできないのに」

「……姉ちゃん」

「私自身もう少し色々なことに柔軟に対応するべきだと思っている。しかし、アヌビスの性とも言うべきか、どうしてもそういう事態が起こると混乱してしまうんだ……ふふ、自身の種族のせいにしてこの十年、改善する努力を怠ったからこうなっているんだろうな……お前の方が私なんかよりずっと立派だ」

彼は頭を撫でられながら膝の上から彼女を見上げる。笑っている気がするが灯りの逆光で細かい表情はわからない。

「……姉ちゃんはそういう想定外の事態を楽しめていないの?生きてたら全部が全部計画通りにいくわけじゃないと思うけど」

「……それは」

「楽しめていないって言うなら今日の水族館は姉ちゃんにとってあんまり楽しめなかったことになると思うんだけど」

「そ、そんなことはない!文句なしに楽しかった!しかし、それとこれとは別問題でだな」

もういい、じれったい。

彼は突然膝枕から頭を上げると「ちょっと待ってて」と言い、不安げな面持ちの彼女を置いて部屋を出て行った。
しばらくして部屋に戻ってきた彼はなにやら細長い箱を手にしている。

「そ、それはなんだ」

「開けてみて」

彼から箱を渡され彼女が言われた通りそれを開けると、そこには。

「──これ──」

「結婚しよう、姉ちゃん」

シンプルなデザインのシルバーの指環が通された、ネックレスが入っていた。

「な、な、お、おま、これ」

「ほんとは宝石とかもっと付いたやつを高級なレストランとかで渡す方が姉ちゃんは好きかもしれないけど、オレは今ここでどうしても言いたかった。今すぐに籍を入れるのは無理かもしれないけど、それでも」

「──っぁ」

「『突然』だけど、受け取ってもらえますか」

「……っ」

彼女が彼に思い切り抱き着く。別れたあの時と同じように。今度は離れないように力強く。

「……お前が、着けさせてくれ」

「え、ええと、このまま?着けにくいんだけど」

「口答えするな」

「はい」

彼は彼女に強く抱きしめられたまま、器用に彼女の首にそのネックレスを掛けた。

「はい、着けたよ。で、受け取ってもらえる?」

もはやその答えは言外に言っているようなものだが、彼女からちゃんとした返答を貰うまで聞こうと彼は思っていた。
そしてその返答は思ったよりも早く返ってきた。

「……こ」

「こ?」

「……子供は、三人欲しい」

「……計画的だね」

「……得意分野だ、任せろ」



数年後、その街で新たに居を構えた彼らは二人の子供に恵まれていた。
さらに現在彼女は第三子をそのお腹に宿しているのだが。

「ねーねーおかあさんいつ生まれるの?」

「そうだな、あと三ヶ月くらいだろうな」

「この子たちが生まれたら私達五人姉妹になるんだよね!」

「あぁ、そうだな。ちゃんと妹達の手本になるようなお姉ちゃんになるんだぞ」

母の言葉に二人の娘は口を揃えて「はーい!」と返す。
そう、第三子は三つ子だったのである。このことが最初に判明したときは大きく狼狽えてしまったが、今はどんなことが起こるかわからない五人の娘がいる生活を想像し期待に胸を膨らませている。

「ただいまー」

「あ、お父さんだ!」

「お父さんおかえりー!」

「お帰り、早いじゃないか。まだ何も食べるものを用意していないぞ」

「専務のファラオが身重の妻を放って仕事なんかするなって帰らせるんだよ。今日はオレが晩ご飯つくるから座ってて」

「ふふ、そうか。ならお言葉に甘えようかな」

「昨日もお父さんが晩ご飯作ってたよね」

「私もお父さんと晩ご飯一緒に作る!」

愛する夫と娘達のお陰で毎日予想もできないハプニングが起こる楽しい生活を送っている。ここに新たに三人加わればさらににぎやかな日々になるだろう。

「まったく。何事も計画通りにはならないものだな」

仲良くキッチンに立つ三人を見ながら大きくなったお腹を撫で、彼女は嬉しそうに微笑むのだった。



〜オートマトンの場合〜


「……すぅ……すぅ……」

「──起きてください」

「ん……むにゃ……」

「起きてください、マスター」

「……おはよ……う……?」

「おはようございます、マスター」

「……あの、どうしてそんなに大きくなっちゃったの?」

「詳しく説明している時間はありません。しかし簡潔に申し上げるならば」



「世界を救うためです」

説明しよう!
戦闘型巨大オートマトンである彼女は夫でありマスターであり、同時に彼女のパイロットでもある彼と共に日々平和のために戦っているのだ!

「え、ええと、そうなん、だ?」

「現在秘密結社ハンマリョー団がこの街に襲来中です。首後部のハッチより私に搭乗し交戦を行うことがマスターの任務です」

説明しよう!
秘密結社ハンマリョー団とは清く正しいとされるシュシン教の教義を広める宗教団体である!しかし、その内情は謎に包まれていて、教えに反したり従わない者を『異教徒』として襲い掛かり、愛し合う人魔の夫婦達の平和な生活を脅かす過激派組織なのだ!

「え、ええ……うん……そっか」

「さぁ、早くお乗りください」

「ちょ、ちょっと待って、うん、色々整理するから」

『起きたか、息子よ』

「その声は父さん!これどういうこと!?ここ俺んちだよね!?というかどこにいるの!?」

『上を見ろ』

「上……あぁ、あんなところに……どうしたのそのサングラス、おしゃれだね」

『彼女に乗らないのか』

「へ?いやちょっと状況が整理できてないっていうか」

『乗るなら早くしろ、でなければ帰れ』

「え、帰れってここ家……家なんだよね父さん……?……え、ちょ、どこ行くの父さん、とうさーん!……行っちゃった」

「何度も言うように詳しく説明している時間はないのです。お乗りください、マスター」

「……しゃーない乗るか、よっ……と、うぉすげぇ、ほんとにコックピットだ」

「マスターの生体反応確認……認証成功、ロック解除、いつでも出動できます」

「……そういえば兄貴とゴーレムさん達は?」

説明しよう!
彼には六体のゴーレムを使役する三歳年上の兄がいるのである!
この都市の防衛用に『可変式岩石戦闘装甲』という特別なパーツを用いて造られた彼のゴーレム達は戦闘の際、六体で一つとなり『変形合体ゴレムニオン』としてオートマトンの彼女と同じように平和を守るため戦っているのだ!

「……お義兄様とお義姉様達はハンマリョー団の襲来に合わせ先に出動しておられますが……戦況は芳しくないようです」

「なら早く助けないと、行くよ!」

「はい……安全装置取り外し完了、対ショック姿勢……直上射出まで……五、四、三、二、一、零!」

「うおおおおおおお、重力がすげえ」

「──……地上に到着を確認、対ショック姿勢解除……っ!」

「つ、着いたのか……あ、あれは!」

その時彼らが見たものは!
甲冑を着た兵士のような見た目の怪人たちに襲われ満身創痍で十字架に縛り付けられているゴレムニオンとそこに搭乗しているであろう兄であった!

「ククク……どうやら異教徒がまた一匹現れたようだな……異教徒に死を!」

「「「「異教徒に死を!!」」」」

「こ、こいつらが……」

「えぇ……ハンマリョー団の信者……そして中心にいるのが、ハンマリョー四天王の一角、狂信者レスカティーエ!」

説明しよう!
ハンマリョー四天王とは秘密結社ハンマリョー団の中でも特に強い力を持っているとされる四人の怪人のことである!中でも『狂信者レスカティーエ』は残虐な処刑を好む、巨大な槍の使い手として恐れられているのだ!

「兄貴!ゴーレムさん!大丈夫!?」

「っ……応答がありません……」

「ほう?コイツはお前の兄なのか。異教徒にしてはそこそこ骨のあるやつだったが所詮は異教徒、私の手にかかればこのザマだ。はっはっは!愉快愉快!」

「チクショウ……よくも兄貴達をッ!!!」

「マスター!落ち着いてください!冷静に相手の出方を、ッ!」

「怒りに我を忘れ、正面から向かってくるか……愚かな、これでもくらえ!!」

「遅いっ!!」

「ほぉ……今の攻撃を避けるか……なかなかの身のこなし……しかし、これならどうだ!!」

「それも遅いね!!」

「……!マスター!罠です!離れ」

「『主の雷(ボルテック・オブ・マスター)』!!」

寸でのところで避けたレスカティーエの巨大な槍から強烈な電撃が放たれすぐ傍にいる彼らに襲いかかる!

「ぐわああああああっ!!」

「がッっっっ……!」

「ククク、どうだ我らシュシン様の雷の味は……もう聞こえていないか」

説明しよう!
強い衝撃にも鉄をも溶かす高温にも耐えうる頑丈な装甲を持つオートマトンであるが、その内部構造は電撃にめっぽう弱く、先程のように電気を帯びた攻撃をまともに受けてしまうと大きな隙ができてしまうのである!

「……システムダウン……予備電源に移行……」

「大丈夫!?クソッ、動けっ!!」

「ククク、他人の心配をしている暇があるなら自分の身の安全でも確保しておくんだな!」

そう言い放つレスカティーエの鋭い刺突が動けないオートマトンに突き刺さる!彼女は無抵抗のまま吹き飛ばされ、建物に打ち付けられてしまった!

「ぐわああああああああ!!」

「……がッ……マス、ター……お怪我は、ありま、せんか……」

「……うぐ、な、なんとか……」

「……先程の攻撃により、脚部の駆動構造を四〇%損傷……脚部を使用した移動が不可能になりました……」

「そ、そんな!」

動けない彼らにレスカティーエが一歩、また一歩と近づいていく!

「どうやらここまでのようだな異教徒よ、私の攻撃を一度でも避けたことをあの世で自慢するといい……」

「クソッ、動け!動け!動いてよ!」

「っ、申し訳ありません、マスター……!」

「さらばだ……異教徒に死を……」

レスカティーエが持っている槍を高々と振り上げる!もはやこれまでかと思われた、その時!

『俺の弟夫婦に随分と好き勝手してくれてるみたいじゃねぇか……!』

「っ!ゴレムニオンとの通信回復!この声は!」

「兄貴!生きてたの!」

『当たり前だ!俺様を誰だと思っていやがる!』

「まだ生きていたか、死に損ないめが!しかし今のお前に何ができる!そこから弟が無惨に殺される様子を眺めることしかできまい!」

『あぁ、確かにこれだけガッチリ縛られてちゃあ『今の身体』では何もできねぇなぁ!!』

「なに……?」

『ゴレムニオン!!解散(パージ)ッッ!!』

説明しよう!
ゴレムニオンは先程も述べたように六体の可変式岩石戦闘装甲を用いたゴーレム達が合体した姿である!その合体は戦闘中任意のタイミングで解除し、再び合体を行うことが可能なのだ!ゴレムニオンは必殺技の一つであるその力を使いこの窮地を脱したのである!

「何!?合体を解いてあそこから脱出するだと!?信徒達よ!一匹も逃がさず葬れ!」

「「「「うおおおおおおおおっ!!」」」」

『遅い遅い!止まって見えるね!』

「クソッ!さっきはノロマだった癖になんだこのスピードは!」

説明しよう!
圧倒的攻撃力と防御力を兼ね備えたゴレムニオンであるが、その反面敏捷性に欠く側面がある!しかし、合体を解除した彼女達は戦闘性能を捨てた分身軽になり、スピード特化の性能へと変化するのだ!

「クッ、待ちやがれ!」

『どこに目ェ付けてやがる!』

「使えん奴らめ、こうなったら私が直々に神の裁きを下してやろう……!」

ゴーレム達の行く手に立ち塞がるレスカティーエ!しかし彼らは臆することなく突き進む!

「その身体で私に勝てると思っているのか!」

『俺一人で勝とうなんて思っちゃいないさ!』

そう言うと先頭を走る一体のゴーレムが突然振り向き、バレーボールのトスの要領で後ろを走っていたゴーレムをその腕で高く跳ね上げた!

「何ぃ!?小癪なっ!!」

それに気をとられたレスカティーエの隙を突き、一体は股下から!左右からは二体ずつ!レスカティーエをすり抜けオートマトン達の元へ駆け寄る!そして天高く跳ぶ一体は!

『アタマ貸してもらうぜぇ!』

「この私を踏み台にするだとぉ!?」

「お義兄様!お義姉様方!ご無事で何より!」

「兄貴!怪我は!?」

『こんくらいなんてことねぇ!そんなことより『アレ』をやるぞ!』

「『アレ』……!?」

説明しよう!『アレ』とは!

『決まってんだろうッッ!!『合体』だああああああッッ!!!!』

圧倒的パワーと防御力を合わせ持つゴレムニオン!高い戦闘能力と耐久性が武器のオートマトン!

この二体が一つになった姿こそ!

「……可変式岩石戦闘装甲により損傷箇所の応急処置完了、稼働に問題無し!マスター!お義兄様!いつでも行けます!」

「よし!」

「いくぜ!!」



「「「『魔導合体ッッ!!マトレム二オンッッ!!』」」」



「くっ、ガラクタが何体集まろうと変わらん!!行け信徒共!!異教徒に死を!!」

「「「「い、異教徒に死を!!うおおおおおお!!」」」」

「雑魚はすっこんでろぉおお!!!!」

「「「「ぐわああああああああ!!!!!!!!」」」」

「な……あの数を一撃で……しかし、これならどうだ!『主の雷』!!」

「無駄です!!」

「な、私の槍が!!なぜだ!!」

説明しよう!
極めて電気に弱いオートマトンであるが、電導率の低い可変式岩石戦闘装甲を身に纏うゴーレム達と合体することによりその弱点を克服することを可能としたのである!
機動性が低いゴレム二オンと電撃に弱いオートマトン、二体のメリットを兼ね備えるだけでなくデメリットを互いに補い合う姿こそ、この『魔導合体マトレム二オン』なのだ!!

「さっきはよくもやってくれたな!!」

「ぐあっ!くそ!この私が……!」

「弟よ!一気に決めるぞ!彼女にありったけのエネルギーを注ぎ込め!」

説明しよう!
自律行動も可能なオートマトンが操縦士を必要とする理由の一つが『リアルタイムでのエネルギー補給』なのである!夫のエネルギーを吸収したオートマトンは凄まじい力を発揮することが可能なのだ!

「マスター!補給準備完了しました!」

「いくぞ!コアペニス、スピンオン!!」

「ッッッッ!!感じます、マスターの力を!!エネルギー充填二〇〇%!!」

「これで終わりだ!レスカティーエ!」

「な、なんだ……?……右腕をあげて……や、やめろ!そんな悍ましいモノを見せるな!」

「いくぜ……!ギガ……!ディルド……!ブレイクウウウウウ!!!!!」

「ぐわあああああああああ!!!!!!」

説明しよう!
『ギガ・ディルド・ブレイク』とはゴーレム達の可変式岩石戦闘装甲をオートマトンの右腕に集め男性の一物の形を作り出し、それを高速回転・高速振動させながら超速度で相手に突撃する一撃必殺技である!

「おのれ……!この……この私が……ぐわあああああああああああ!!!!!」

「兄貴!俺達やったよ!」

「あぁ…………」

「兄貴?」

「……あばよ……ダチ公……」

「……兄貴?」

「……気を失っていらっしゃるだけです。激しい戦闘でしたから」

「そ、そっか、俺たちも帰って休もうか」

「はい、マスター……ッ!!北東の上空に敵の反応を三体確認!!」

「なんだって!三体ってまさか!」

「ハンマリョー四天王……残りの三人です!」



「ククク、どうやらレスカティーエがやられたようだな……」

「しかし、ヤツは我ら四天王の中でもナンバーツーの実力……」

「どうしよう……」

「割とマズいな……」

「だから一人で行くなって言ったのに……」

「帰って作戦会議だ……」

「そうだな……」



「……え?帰った?」

「今日のところは……ということでしょうか……いずれにせよ、私達の戦いはまだ終わっていません」

「……ああ、わかってるよ」

そう、彼らの戦いは始まったばかりである!
戦えオートマトン!戦えゴーレム!戦え兄弟!
世界中の愛し合う者達に真の平和が訪れるその日まで!
彼らの戦いは終わらない!



〜リャナンシーの場合〜


「どうしてこんなに大きくなったんだろうなぁ……」

この世界のどことも知れぬ色とりどりの花が咲き誇る草原に座り込み、空中に浮かぶ巨大な水の玉をぼんやり眺めながら男は呟く。その男の元に彼の膝くらいの身長しかない一人の少女が蝶のようにひらひら舞い降り、彼の太ももの上に着地した。
彼が眺める大きな水滴にはある映像が投影されており、そこにはステージの上に飾られた彼の若き日の顔写真の前で楽しそうに歌を歌ったり、楽器を演奏したり、思い思いの形で音楽を奏でる人々の姿があった。

彼の太ももに座る少女は彼を見上げ微笑む。

「ふふ、なんでだろうね」



その男は生まれながらにして虚弱な身体であった。幼い頃より何度も体調を崩し、その度に外を走り回る同世代の子供たちと疎遠になっていく彼は音楽を唯一の朋とした。決して裕福な家庭ではなかったが両親は体調を崩し寝込む息子のため楽譜を買い与えたり、時には楽団の公演に連れて行ったりもしてくれた。しかし、彼はどんな高名な作曲家が作った音楽よりも両親が少しでも寂しくないようにと唄い聴かせてくれる様々な童謡や民謡をこの上なく美しいと感じていた。

少し成長し、体調を崩すことも減った彼は故郷を離れ、働きながら本格的に音楽の勉強を始めた。両親が自分のために貯めていてくれたという貯金からなんとか入学費を捻出したが生活費までは賄えず、彼は音楽を学ぶ傍ら働いて日銭を稼ぎ、そこから最低限の生活費を差し引いたなけなしの金をすべてその道の探究に費やした。苦しい生活ではあったが追い求めるもののため、必要なものだと割り切り必死に毎日を過ごした。

そうした懸命な生活が何年か続いたが勉学や音楽的技術の向上に費やす時間が限られている彼は経済的に余裕のある貴族の子供などが数多くいるその学校で秀でた生徒というわけではなかった。卒業までになんとかなにかを残さければと焦燥感が募る反面、自分の探し求める音楽はここにはないのではないかという思いも首をもたげ始めていた。

そんなある日。彼が働いていた店で商品の整理をしていた時のことである。

「ふーん、ふんふん、ふん、ふーん」

「いい歌だね」

鼻歌を唄っているところに突然声をかけられ驚いた彼がその方向に目を向けると、そこには左右の側頭部でそれぞれ二つに結んだ明るい色の髪と大きな瞳が印象的な顔立ちの少女が立っていた。
一瞬何のことを言っているか理解できず、戸惑っていると彼女が言葉を続けた。

「さっきの歌、いい歌」

「え、あ、あぁ、聞かれてたか。恥ずかしいな」

「……聴いたことない歌だった。誰が作った歌?」

「誰がって……別に誰でもないけど」

その言葉を聞いた彼女は怪訝な顔をして問い詰める。

「誰でも……どういうこと?」

「そんなちゃんとした曲じゃないってこと。適当に浮かんだメロディー口ずさんでただけだし」

「……あなたは……音楽家?」

「そのタマゴ……かな?孵化できる見込みは少なそうだけどね」

彼女がしばらく言葉を返さないのを確認すると、彼は今度は黙って商品の整理を再開する。
そして作業が終わった頃にはもうその少女は何処かへ行ってしまっていた。
彼は不思議な子供だったと思いつつもそこまで気に留めることもなく、その日の仕事が終わる頃にはそんなことがあったということも忘れかけていた。

「……お疲れ様、待ってた」

陽が落ちて三日月が微かな明かりを街に注ぐ頃、帰り支度をして店を出るとあの少女が店の前に立っていたのだった。

「……なにか用かな?」

「あなたの歌がもっと聴きたい。お仕事中に言うのも悪いと思って、待ってた」

「……そりゃまぁ熱心なことで。言っとくけど食いもんを恵むような余裕は無いぞ、僕が恵んでほしいくらいだ」

「そんなのじゃ、ない」

正直なところ男はこの少女が物乞いか何かかと思っていた。しかし、よく見ると服は汚れ一つない清潔なものだし髪は毎日きちんと洗っているのか綺麗に整えられている。乞食というよりもいいとこのお嬢様と言われた方が納得できる容姿だった。

「早く帰らないと親に怒られるぞ」

「……家出中……っていうことにしておいて」

「……何が目的だ」

「さっき言った、あなたの音楽が聴きたい」

どうやら面倒な子供に目を付けられてしまったようだ。
なにを企んでいるか分からず不審に思うのと同時に、曲がりなりにも音楽に携わる者として自分の音楽が聴きたいと言われるのは悪い気はしなかった。

「……わかった、家に僕が書いた楽譜がある。見たかったら付いてこい」

「やった、ありがと」

こんな年端もいかない少女を自分のボロ家に連れ込むのはどうかと一瞬思ったが、疚しいことを考えているわけではない。家出中と言っていたし一晩寝る場所を与えるだけだと誰に言うわけでもなく自分に言い聞かせながら、彼は彼女を狭い部屋に招き入れた。
そして、学校で書いた五線紙を彼女に見せたのだが。

「……これ、本当にあなたが書いたの?」

「まぁ、多少教師のアドバイスは受けたけど」

「……違う」

「は?」

彼女は手に持っている紙から目を上げて言った。

「これは、あなたの音楽じゃない」

「……なんだよ、盗作だって言いたいのか」

「違う、あなたの音楽はこんな良いと言われたものだけをその良さも分からず詰め込んだようなものじゃない」

先程までどこか言葉足らずだった少女は立て板に水を流すように喋り始めた。
その譜面は教師に褒められた彼の数少ない作品のうちの一つだ。それをどこの馬の骨とも知れない子供にこんな風に言われては流石に声を荒げないわけにはいかなかった。

「……お前みたいな子供には高尚な音楽の良さはわかんないだろうな!一晩寝床をやるつもりだったが気が変わった、出ていけ!」

「うん、わからない。これよりあなたがが昼間唄っていた鼻歌の方が良い。たしか、こんな歌」

そう言うと彼女は一瞬しか聴いていないであろう、昼間に彼が口ずさんでいた唄を歌い始めた。
月明かりが窓から差し込む薄暗い部屋に彼女の鋼と硝子のような歌声が響き渡る。

彼は理解した。これが自分の求めていた音楽であると。誰かもわからない音楽家が良いといったものではなく、幼い頃、自分がこの上なく美しいと感じていた暖かく、柔らかで、しかしどこか切ない。懐かしい故郷の景色が鮮明に蘇るような、そんな音楽。

彼女の歌がもっと聴きたい。彼はいつの間にかそう思っていた。

「〜〜……ふぅ、やっぱり、素敵。続き、あるなら教えて」

「──え、あ、いや、ない」

「そう、残念」

「君は一体、本当に只の子供か……?」

「……『妖精』……っていうことにしておいて」

そう言うと彼女は一つ欠伸をした後、彼のベッドに寝転んだ。

「え、お、おい」

「寝床、一晩貸してくれるって言った。一緒に寝る?」

これが二人の初めての邂逅だった。

その日から彼の生活は大きく変わった。とはいえ傍から見て大きく生活サイクルが変わったわけではない。店で働いた後、彼の妹らしき少女が迎えに来るようになっただけだ。
変わったのは彼の音楽に対する考え方である。今までは良いものを作ろう、誰かに認められる作品を作ろうと必死であった。今の彼にその思いが無いわけではない。しかし、その承認欲求はある個人に向けられており、いわば、彼女のために音楽を作っているようなものだ。そんな状態が既に一年ほど続いていた。

「また店番しているときに浮かんだよ。ほらこれ」

「……〜〜〜、〜〜〜〜〜、〜〜〜……こんな感じ?」

「そうそう、どうかな?」

「うん、いい歌。聴いたこと無いのに、なんか懐かしい感じ。これ、浮かんだ時、どんなこと考えてたの?」

「うーん、それが何も考えてないんだ。そのメロディーに限ったことじゃないんだけどね。余計なこと考えず、頭を空っぽにするとそれが浮かんでくる、みたいな」

「……えっと、つまり」

「うん、無理に続きを作ろうとするとね、からっきし」

彼女は彼の部屋で生活を始めていた。突然現れた一回りほど年下の子供に周囲は疑問を抱いたが『昔から仲が良く、偶然この街で再開した従妹』ということで何とか落ち着いた。
簡単な食事なんかも作ってくれるし、一緒にいると不思議と曲作りが進む。未だに素性はわからないが彼女との同棲は悪いものではないと彼は感じていた。

「前作った曲は、どうだった?」

「あぁ、あれか。ダメだったよ、ボロカスに言われた。今まで何を学んでたんだって」

「そっか……良い歌なのに」

「君が良いって言ってくれるならそれでいいよ」

彼が心の赴くままに作る音楽は時代に合わないものだった。豪華絢爛で荘厳なものをよしとするその時代の主流な音楽に真っ向から反するものである、素朴で親しみやすい彼の音楽に学校の教師たちはいい顔をしないのだった。
しかし別にそれでもよかった。彼女が彼の作った歌を楽しそうに唄うなら、それで十分だった。

「……嬉しい」

「そろそろ先生たちのご機嫌取らないと学校追い出されそうなんだけどね……成績もいいわけじゃないし、コンクールで賞取ってるわけでもないし」

「それはダメ。好みじゃなくても、いろんな音楽聴くの、刺激になる」

「痛いとこ突いてくるね……なんとか先生に頭下げてみるか……ごほっ!ごほっ!」

突然大きく咳き込みだした彼を彼女は心配そうに見上げる。

「……大丈夫?最近よく咳してる」

「……ごほ、うん、季節の変わり目はね、こうなんだ。いつものことだから心配しなくていいよ」

「背中とか、さする?」

「ありがと、お願いしようかな」

窓から差し込む半分の月の明かりが二人を優しく照らす。
彼はやっと自分が求めていた音楽と、他の誰に認められずともそれを掛け値なしに良いと言ってくれるよき理解者に出会い、幸せだった。

しかし、そんな生活は長続きしないのだった。

「……顔色、悪い……ほんとに大丈夫?」

「はぁ、はぁ……うん、そろそろ、学校行かないと。ほんとに追い出されちゃうから……はぁ、はぁ」

年単位での過酷な労働と爪に火を灯すような生活、学業と音楽の追究のため削られる睡眠時間にもともと虚弱体質だった彼の身体は悲鳴を上げ、遂に本格的に病を患ってしまったのだった。

「ダ、ダメ、寝てなきゃ。倒れそう」

「はぁ、はぁ、あ、あはは。学校に行った方が良いって、言ったのは、君じゃないか……ごほっ!!!がはっ!!!」

「っ!!血……!!だ、だめ、死なないで!!死んじゃだめ!!」

心配しなくていいよ、いつものことだから。

そう言ったつもりの彼の口からは空気の通る音が漏れるばかりだった。

重度の肺炎。絶対安静で治療に専念しなければ長くは持たない。それが医者の診断だった。どうやら正直な医者だったらしく治療に専念すれば必ず良くなる、とは口が裂けても言えない様子だった。

「まぁ、僕じゃ薬代も治療費も払えないし、ここで終わりかな」

「……そんな、こと、言わないで」

「そっちこそそんな顔しないでよ。家出してたんでしょ。家に帰るいいきっかけができたと思いな、よ、ゴホッ、ゴホッ」

彼がそう言うと彼女がしばらく黙り込み、意を決したように話を切り出した。

「……あなたに、お願いがある」

「なんだい」

「……わたしと、セックスしてほしい」

突然の申し出に脳が思考を停止し、いったい何を言われたのかわからなかった。

「え、ええと?」

「セックス。男女の交わり。わたしの身体じゃ興奮できないかもしれないけど、してほしい」

聞き間違いじゃなかった。あまりにも先程の会話と繋がらない話題に困惑してしまう。最後の思い出作りとかそういうことだろうか。

「あ、あの、えーと、か、身体は大事にしなきゃ。そんなこと、軽々しく言っちゃだ、ゴホッ、ゴホッ、め、ゴホ、ダメだよ」

「……軽々しく、ない。あなたの命を救うため、真剣」

さらによくわからない言葉が彼女の口から飛び出す。つまり、彼女との性行為が自分の命を助けるのか?そんな馬鹿な話があるか。

そんな彼の内心を読み取ったのか彼女が言葉を続ける。

「……わたし、実は人間じゃない。リャナンシーっていう、妖精」

「そ、そうなんだ」

「……信じてない」

「いや、まぁ、うん」

「……見てて」

そう一言言うと彼女の身体が突然光に包まれた。どんなランプよりも眩いその閃光に思わず目を細めると次第にその光は小さくなり、やがて収まる。

そこには元の四分の一ほどの身長になった彼女が、背中に蝶のような翅を生やして飛び回っていた。

「……信じた?」

「……え、え……は、はい」

「わたし達、人間じゃないモノと人間の男の人がセックスすれば、男の人はインキュバスっていう魔物に近い存在になる。そうなれば身体も丈夫になって病気もきっと治る」

「そ、そっか……」

「病気が治ったら、また音楽も作れる。わたしの故郷にも案内する、きっと気に入ってくれる」

「うん……」

情報の洪水に頭が働かない彼は気の抜けた返事をしながらもなんとか目の前の状況を整理しようとしていた。
そんな彼を見て彼女はさらに続ける。

「……いままで、黙ってたことは謝る。ウソついてたことも。でも、わたし、あなたともっと一緒にいたい、もっといろんな曲、作ってほしい。だから、わたしと、セックスして……お願い」

「……うん、うん……よし、いくつか聞きたいことがあるんだけど」

ようやく状況を整理した彼が言葉を発する。

「……なんでもこたえる」

「インキュバス?って言ったっけ、それになるとどうなるのかもう少し詳しく教えてくれないかな」

「……ごめんなさい、わたしも詳しくは知らない。で、でも!身体が丈夫になって、あとは寿命もたくさん延びる!セックスしてれば、ご飯も睡眠もあんまり要らなくなる!不便な身体には絶対ならない!」

「それはつまり、君と交わると人間じゃなくなる、ってこと?」

「う……」

そう、彼女の『お願い』は彼に人間を辞めることを求める要求である。普通の人間であれば、魔物に対する嫌悪感さえなければ魅力的なその身体を求め、人であることを捨ててしまう者もいるだろう。しかし彼は違った。

「……人間じゃなくなるの、イヤ……?」

「そうじゃないよ、でも自分の身体がそこまで変わってしまうなら、今はその要求を飲めない」

「ど、どうして……」

彼女が目に涙を溜めながらそう言うと彼は照れくさそうに頬を掻きながら話した。

「……ゴホ、ゴホ、僕は自分の身体がそこまで長くないことをずっと前からわかってたんだ。ただでさえ身体が弱いのに、ましてやこんな生活してればね。それでも僕はベッドの上で長生きするより、少しでもやりたいことをやって死にたかった。まさか、ここまで早く限界が来るとは思わなかったけどね、ここ数年は調子良かったし」

「だ、だったら」

「そんな中で君と出会った。本当に奇跡だと思う。君のお陰でこの一年ほどは本当に楽しかった。君と出会って僕は自分が本当に求めていた音楽はずっと自分の中にあったことに気づけた。だから僕は君にお礼をしたくてね、ゴホ、そこの引き出しにある紙を取ってくれるかい」

彼の言う通り、彼女は今まで触れたこともないその引き出しを開き数枚の紙を取りだして彼の元へ運んだ。

「ありがとう。今、僕は君のためにこれを作っているんだ」

そう言って彼が見せたその紙には五線にいくつもの音符が書かれていた。何度も書き直した跡があり、ところどころよれよれになっている。
しかし、その楽譜は明らかに未完成のものであった。

「……これ……」

「君のために書いてる。君に歌ってほしくて。でも、見ての通りまだ未完成、ゴホッ、っだ」

「な、なら!!ちゃんと生きて完成させてよ!!全部完成したのを、あなたの手で、わたしにプレゼントしてよ!!」

普段はあまり感情の読めない彼女が珍しく声を荒げる。そんな彼女をしっかり見据えながら彼は続けた。

「……この曲はもう余命幾ばくもない今の僕が君に贈りたいものだ。もし、そのインキュバスとやらに僕がなったら病は無くなって、寿命は延びるんだろう?それは僕かもしれないけど、確実に今の僕ではなくなる」

「…………」

そんなことはない、と彼女は言いたかった。しかし、その言葉が口に出ることはなく、そのまま飲み込まれた。
インキュバスは人間の男性が魔物娘と交わることで身体が変質したものだ。インキュバスとなって根本から人格が変わるような大きな影響はないと聞くが、確実にその生態は元の人間とは別物になり、それは少なからず精神に影響する。
そしてリャナンシーである彼女は音楽に限らず絵画や彫刻、小説などの芸術作品が作り手の微妙な精神の変化に大きく影響されるものだということをわかっていた。実際同族が彼女の故郷に連れてきた男性は伴侶と交わる度、良い意味で作品をどんどん変化させていった。
彼はその変化を望んでいない。今、目前に迫る死を原動力として今の彼が持っている彼女への想いを、文字通り魂を込めて五線紙に刻もうとしている。
そんな彼に人間を辞めて、人の域を超えた生命を手にすることを薦める言葉を、魔物娘として、そしてリャナンシーとして彼女はこれ以上言えなかった。

「……わたしは、あなたのために何ができる」

「……これが、完成するまでで良いんだ。それまで僕を人間でいさせてくれれば。あとはどうしてくれても構わない」

「……あなたの気持ちは嬉しい、とても。でも、わたしにも、譲れないところはある。わたしのために、あなたが死ぬなんて許せない。あなたは絶対に死なせない。たとえ、あなたがそれを望んでいなくても」

「わかったよ。できるだけ早く完成させる」

その言葉を聞いた彼女は小さな身体で彼の胸に抱きついて言った。

「……でも、無理に作ろうとすると、だめなんでしょ」

「あぁ……頭空っぽにしないといけないんだけどね。最近はどうしても君のことばかり考えてしまって、なかなか進まないんだ」

小さな頭を人差し指で撫でながらそう言う彼に、彼女は涙声で「ばか」と言うことしかできなかった。



彼は少しでも静養するため学校を辞め故郷へ帰った。突然帰ってきた憔悴しきった様子の息子と見知らぬ少女に両親は随分と驚いていたがそれでも二人を受け入れた。
彼は自分の身体が日に日に弱っていくのを感じつつも懸命に五線紙に向き合った。そんな彼を彼女も献身的に支えた。

そして、遂にその時は訪れる。
すこし歪な丸い月が薄い雲とともに空に浮かぶ、十三夜月の夜のことだった。

「……もう、いいよ」

「ふぅ、ふぅ、待って、あと……あと四小節なんだ……はぁ、ゴホッ!!グッ!!……うぅ、ふぅ、はぁ」

「……もう、いいから、十分、伝わったから、あなたの気持ち」

「はぁ、はぁ……ここまで……なのか……ゴフッ!!ガハッ!!……はぁ、はぁ」

「うん、あなたは、十分がんばったよ。もう、休んでいいんだよ」

「はぁ、はぁ……ふ、はは、なんとも思ってない、つもり、だったが、ゴホ、ゴホ……やっぱり、死ぬのは、怖いな……ははは」

「うん、わたしも怖い……だから一緒にいこ。そこなら、怖いことも苦しいこともなにもないから。わたしと、ずっと一緒だから。わたしは、あなたが、傍にいてくれるだけで、それで十分だから」

「……ごめんな……君に歌わせてあげたかった」

「ううん……あなたを喪うより、怖いことなんてない……あなたの命より、大切な唄もない……」

「……ありがとう……」



翌朝、両親が彼の部屋に入るとそこにいるはずの二人の姿は無く、あるのは藻抜けの殻となったベッドとそこに置かれた完成間近の数枚の楽譜だけだった。

遺作となったその楽譜の題は『満ちぬ月』。彼が二十歳のことであった。



それから百年ほど過ぎた頃、二人はとある草原に一軒家を構え暮らしていた。
ここは『妖精の国』。おもちゃ箱をひっくり返したようなその国は以前いた世界とは次元を異にする世界にあるという不思議な場所で、リャナンシーである彼女の故郷だ。そこには頭や肩の上に乗るほどの身長の小さな翅を生やした少女とその彼女らと仲睦まじく触れ合う男の夫婦が二人の知るだけでも数十組住んでいる。
向こうの世界で死んだことになったあの日、彼はここへ来て彼女と交わった。夜になっても、また朝が来ても二人は繋がり続け、彼は人間ではなくなった。土気色だった顔色はみるみる生気を取り戻し、咳をすることもなくなり、溌剌とした様子で妻と草原を走り回るまでに彼の身体は回復したのだった。
しかし、彼は作品を作れなくなってしまった。リャナンシーの夫であるのにここに来て一向に創作活動を行わない彼を、他のリャナンシー達は不思議に思いそれとなく彼について尋ねることもあったのだが「いいの、今の私達は、幸せだから」と彼の腕の中で嬉しそうに言う彼女にそれ以上なにも聞くことはできないのだった。

そんなある日。

「きて、はやく、はやく」

「わかったって、僕は飛べないんだから待ってくれよ」

朝から一人で出かけていた彼女が突然帰宅し、彼の手を引きどこかへ案内していた。なにがあったのか聞いても「とにかく来て」の一点張りで答えようとはしないのだった。

そしてその場所に着いた。そこは草原のど真ん中に巨大な水の玉が浮かぶ、この世界でも特に非現実感の溢れる場所の一つだ。彼はまだ利用したことはなかったがその巨大な水の玉について以前彼女に聞いたことがあった。
これは水滴をスクリーンとして魔法で映像を投影し、様々な場所の様子を確認できる映像装置だ。これを使えば妖精の国で起きていることはもちろん、彼が元居た世界の様子も見ることができる。

「……面白い映画でも見つけたの?」

「いいからみて」

そう言って彼女はその水の玉に手をかざすと、その水滴に映像が映り始める。
そこには数十年経ってだいぶ様相が変わってしまっているが、彼が元々住んでいた世界が映し出されていた。その映像は活気のある街並みを進み、とある店に入る。店頭のショーケースには時代が変わっても形を大きく変えないバイオリンなどが置かれているところを見ると楽器屋だろうか。
その店をさらに進み、クラシック音楽などの楽譜が置いてあるエリアに入る。彼も名前を知っているような往年の偉大な音楽家たちの楽譜に並んで、それは置いてあった。

「え──」

明らかに自分の署名が入った作品。あのボロ家で彼女と共に作った音楽達、そして彼女だけを想い作った彼の最後の作品。その楽譜は綺麗に装丁され商品として並べられているのだった。

「なんで、これ」

困惑する彼に彼女は話した。
直接の原因は二十年ほど前、その時代のポップス、クラシック、ジャズ問わずあらゆる音楽界を席巻していたとあるミュージシャンが、創作に大きな影響を受けた人物として彼の名前を挙げたことだったらしい。それまで音楽史において全くの無名だった彼の名は『死の間際、愛する者のために書いた未完成の楽譜』というセンセーショナルな話題と共に瞬く間に全世界に広まり、多くの人々が彼の作った音楽を求め、それに応じて今まで歴史に埋もれていた彼の作品の音楽的価値が見直されていき、直筆のオリジナルの譜面は博物館に保存されるような代物になっていた。
そして何より、誰もが彼の早すぎる、静かな死を悼んだのだった。

それが一大ムーブメントとなった年、先程のミュージシャン主催で彼の没後周年記念コンサートが行われ、多くの人々がそこに詰めかけている様子を彼女はその水滴越しに見せてくれた。その後も五年ごとに行われているらしいそれは、二回目こそ多少人の入りは減ったもののその規模は回を追う度に大きくなり、映直近の物はどこの音楽祭かと思うほどの巨大な会場が用意され、名だたるアーティスト達がそこに集うのだった。

「……明日は、あなたがここにきて、百年でしょ。お祭り、やるんだって。一緒に見よ」



そして翌日。話は冒頭に遡る。

大きな水の玉に投影された映像の中で楽しそうに唄う人々をぼんやりと見ながら彼は考える。
自分は彼女のために音楽を作ってきた。他の誰が良いと言わなくても彼女が喜ぶならそれでいいと思っていた。
彼女にもういいと言われたあの日、自分の中で何かが燃え尽きるのを感じていた。でも彼女はそれでもいいと、一緒にいてくれるだけで十分だとそう言ってくれた。
この妖精の国に来てから、どれだけ五線紙に向かっても新しい音楽を作れなくなってしまったがそれでも彼女は何も言わず、ただ一緒にいてくれるのだった。そんな彼女に自分も甘えた。

自分の音楽を認めるのは彼女だけでいい、そう思っていたはずなのにその水滴の中には自分の作品を認めてくれる人が彼女以外にもこんなにもたくさんいる。

彼は自分の中で何かが湧き上がるのを感じていた。

「……僕の作ったものは、誰かのためになったのかな」

「……どうだろうね、わたし以外のことは、わからない」

「……また、音楽、作ってもいいかな」

「……無理して作ることはない。でも、わたしは今のあなたが作る、音楽が聴きたい。作ってくれるなら、うれしい」

この世界に来て初めての彼女のお願い。その言葉を繰り返していた頃の懐かしいやり取りを、もう何十年も前のことなのに鮮明に思い出してしまう。

「……そっか」

「……うん」

短く答えた彼女の言葉を聞くと彼は小さく息を吸い、ゆっくりと吐く息にに旋律を乗せた。あの頃のように、何も考えず、心の赴くままに。ただ彼女のために。
それを聴いた彼女もあの頃と同じように言葉を返すのだった。

「──いい歌だね」



「ふーん、ふんふん、ふん、ふーん」

とあるサバトの資料室。魔女が書類整理をしながら陽気に鼻歌を歌っていた。そんな彼女にサバトの長であるバフォメットが声をかける。

「なんじゃその歌は。どこかで聞いたことがある気もするが」

「あ、バフォ様。聞いてましたか。この前こっちに来たフェアリーちゃん達が歌ってたんですよ。今、妖精の国で流行ってるらしくて。私も覚えちゃいました」

「ふむ、もう一度歌ってみてくれんか」

その言葉を聞いた彼女は先程歌っていた鼻歌をもう一度繰り返した。
しかし、それを聞いてもバフォメットは喉に魚の骨が刺さったような顔をしている。

「うーむ、どこかで聞いたことのあるような曲の気がするんじゃが……思い出せん」

「歳じゃないですか?」

「は?ピチピチじゃが?……で、これはなんという名前の歌なんじゃ?」

「……えーとたしか──」



──『満ちる月』。

誰が唄い始め、どのように伝わったのか。それが人間たちの間で誰もが知る歌となるのは、まだ少し先の話である。



21/09/18 16:21更新 / マルタンヤンマ

■作者メッセージ
初投稿にするつもりだった話の息抜きに書いてたらこっちの方が筆が進んだので初投稿です

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