連載小説
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第十三話

「来たか」

「何が来たかだよ、この色男。あたしら三人をはべらせようってんだろ」

「カンちゃんの、すけこまし。おんなたらし。うわきもの。」

「それではあらためて、ちゃんとお話ししましょうか。ろくでなしさん」



服も何も脱ぎ捨てた三人に、勘介は囲まれていた。自分も素裸で。

覚悟はしていた。聞かせてやろうとさえ思っていた。

それでも、いろいろとちぢみあがる心もちだ。



「知っていたのか」

「知らないはずないだろ」

「わたしたち、一心同体なんだから」

「そうか。そうだな」



勘介はがっくりとうなだれた。

その前でハヤテが、なにひとつ隠さず仁王立ちになる。

体の白い部分が、ほんのり赤くなっている。

ソヨは額の汗をぬぐっていた。


「さあ勘の字、なにか申し開きはあるか」

「・・・何もない」

「じゃあ、あたしたちのこと、どうするの?」

「しあわせにする。 なんとしても」

「どうするおつもりですか?」



三姉妹は、素っぱだかの勘介をまるはだかで責め立てた。

ソヨはにこにこと、ハヤテはにやにやと、シマキはにっこりと。



「・・・働く。 身を粉にして」

「粉になられちゃ困っちまうぜ?」

「あたしたちのこと、ほっといちゃうの?」

「ほっとかぬ。 三人まとめて、面倒見てやる」

「あらあら。 大きく出ましたわね」

「粉しか出ないんじゃねえか?」



三人は、それはそれは嬉しそうに笑って、勘介を追いこんだ。

しかし、勘介は、笑っていなかった。



「・・・ ・・・ ・・・」



言葉を重ねるごとに、まるで斬首を待つかのような面もちになる。

脂汗が垂れ、顔色まで土気色になっていく。



「お、おい。勘介?」

「体・・・ つらいの?」

「違う、そうではない。 ・・・俺は、まだ、言えなかったことがある」

「・・・勘介さん?」

「どうしても、どうしても、おまえたちに言えなんだことがある。

墓の底まで持っていこうと思っていた。だが ―」



ただならぬ様子に、三姉妹の笑みも消える。

勘介は神の前でおのが罪を懺悔するかのごとく、言葉を吐き出す。



「おまえたちが、おまえたちがほんとうに、俺のものになる。

 そう思ったら、話さずには、おれなくなった ―」
 


― 誓って言う。 俺はお前たちを恐れたことなどない。

 魔物であることは承知で、俺よりもはるかに強いことなど承知で、

 それでも怖いと思ったことなど一度たりとてない。



 だが、だが、それでも俺は―


 俺は。 俺は ―





                  おそ
 おのれが魔物になるやもしれんことが、 怖 ろしかったのだ ―





三姉妹の顔が、こわばった。


「俺は、魔物は恐れん。 魔物が怖いのではない」


シマキの顔が曇る。


「おのれがおのれでなくなることが、怖かった。 どうしようもなく、恐かった」


ハヤテが唇をかみしめた。


「そばにおまえたちがいてくれるとしても。 それでも、俺は・・・」


ソヨの目が涙でうるんだ。



「俺は、臆病者だ。 卑怯者だ ―」



震える勘介の肩を、シマキがいだく。



「あなたは、臆病でも卑怯でもありません」

「シマキ・・・」

「なにかに変わり果てることを恐れるのは、人として、あたりまえのことです」

「・・・ ・・・ ・・・」

「あなたがそういうことをひとことも漏らさないことのほうが、

わたしたちは怖かった」

「ちゃんと言ってくれれば、よかったのに」

「あたしたち、いまさらそんなの気にしなかったんだぜ。

別に、初めて言われたことでもないし、さ」


膝の上で白くなるまで握りしめられた拳を、ハヤテとソヨが両掌でくるんだ。


「ハヤテ、ソヨ」

「嫁がどうのだって、あたしら、何の気にもならなかったんだぜ」

「あたしたち、一心同体なんだもん」

「わたしを選ぶことは、ハヤテとソヨを選ぶこと。

わたしたちのだれか一人を選ぶことは、わたしたちみんなを選ぶこと」

「だからあんたが、あたしたちを三人とも選んでくれて、ほんとに嬉しかったんだ」


優しい言葉だ。 どこまでも自分を気遣ってくれる、優しいことば。

勘介は、そう思っていた。 しかし。



「そう言ってくれると、俺は救われる。だが・・・」

「あなたの思っているような意味ではないのです」

「・・・なにっ?」



シマキの声に、ひややかなものが混じる。



「別にあんたに気を使って言ってることじゃないんだよ」

「ほんとに、ほんとうに言ってるまま、そのまんまなの」

「なんだって?」



ハヤテとソヨの声にも、冷たいものがはしる。

これまで一度も聞いたことのない声音。



「勘介さん。 わたしたちを恐れぬと、そう言いましたね」

「言った。たしかに」

「でも、わたしたちも、やはり魔物なのですよ」

「それは知っている。けれども」


勘介は、先ほどのシマキの姿を思い返していた。

蒼い毛並み。ふるえた声。しなやかな体。

どこまでも美しいその肢体。


「おまえは、やはり、美しかった」

「あなたは、まだ知らない」

「・・・んっ?」

「わたしたちのことを、あなたは、まだ知らない」

「なにっ?」


シマキの声が聞こえる。上から、右から、左から。

勘介は思わず顔を上げる。



「やはり、話さねばなりません」

「あなたが覚悟を決めてここに来たように」

「わたしたちも覚悟を決めてここに来ました」


シマキが。 ソヨが。 ハヤテが。

シマキの声で話している。



「・・・なんだと・・・」

「勘介は、あたしたちのことを知らない」

「わたしたちのほんとうを、おしえなくちゃいけないの」

「あなたがわたしたちを得んとするなら、知ってもらわなくてはいけないことなのです」



シマキが、ハヤテの声で。

ハヤテが、ソヨの声で。

ソヨが、シマキの声で話していた。



「な、なっ・・・ いったい・・・」

「わたしたち ほんとは 姉でも妹でも ないの」

「あたしたちは みんなまとめて この世に生まれた」

「三心一体であり同心異体 それがわたしたち ―」

「い、意味が分からん・・・」



声の主が目まぐるしく変わる。 勘介は混乱した。

しかし三姉妹は、なおもおのれのことを語り続ける。



「わたしたちは ひとり」


「ひとりが わたしたち」

      かお
「よっつの 相 があるだけなんだ」



三人の顔から表情が消えた。

人形のような顔と声。




「よ、四つ、だと?」

「そうなの」



ソヨの輪郭がぼやける。

ハヤテの姿がくずれる。

シマキの体が透けて散る。



「カンちゃんに ひとりのわたしを」


「あなたにあわせたことのない わたしを」


「よにんめのあたしを みせてやるよ」



三人のからだが、風と舞う。

しとねも障子も揺らさずに、部屋の真ん中につむじが巻く。

その風が、蒼く光りはじめた。



・・・ ご お ・・・



渦巻く光が形をとる。

蛇? いや違う。

竜巻のようにうねる長いからだに、青い毛並みがてらてらと輝く。


いたち
 鼬 だ。



 ・・・ご   ・・・ご



そこには、三人がいた。

三人が、入り混じって、そこにいた。



 ごう・・・ ごう・・・ ごうううう・・・



長い髪が風に乗って、長い胴とともにうねっている。

三人の眼が光る。三人の耳がはねる。

鎌を生やした三人の手が、宝具をたずさえている。

    けんさく  
太刀と 羂 索 。

小太刀と宝輪。

小刀と薬壺。


三人の手がそれぞれをかかげ、ゆらゆらと揺れている。


見たことがある。 聞いたことがある。

たしかに、このすがたに、見覚え聞き覚えがある。

姉妹が守ってきたやしろ、その奥の院に祀られていた像。

子供のころ、爺さん婆さんが話してくれた昔語り ―


    ごんげん
「ご、 権 現 さま・・・」



山の守り神。 風のあるじ。

六宝をかかげ風に乗り嵐を呼ぶ神 ―






   いづなごんげん
    飯 綱 権 現 。






「これが、おまえたちの、こころ・・・」



― そのとおりです 勘介さん



三人の声がした。

並んで発せられたという意味ではない。

誰のものでもない、三人の声としかいいようのない声。



― わたしたちは やまのこころ

 ひとがやまに いだいたねがい

 どうか やまに じひぶかきこころが あるようにと 


 そのねがいから うまれたのが わたしたち



神の声を聴く、神の姿を視る。

神降ろしとは、こういうものか ―

勘介は、眼前にある光景におののいた。



― だから わたしたちは もとより

 ひとを きずつけられぬのです

 ひとのねがいから うまれたのだから 

 このてのかまでも ほうぐをもってしても 



― けれど ひとは やまをおそれた

 あらぶるやまのいかりを はてしないやまのやみを

 そして やまのこころであり やまのちからをもつ わたしたちのことを


                かお
権現さまは、そこまで話して、哀しみの 相 をつくった。

三人の顔を伏せ、三人の眼を落として。



― それでも わたしたちは ひととともに あろうとおもった

 おそれられても いみきらわれても

 それでも ひとのねがいと ともに ありたかった


― あやかしのちからを つかって みなを たぶらかし

 おそれを けすことも できたのかも しれない


 でもそれは だいじなだいじな えにしをこわすこと

 たおやかにつむいできた おもいでを こわしてしまうこと



勘介の心から、おののきが消えていた。

神の姿のしたものが神の声で話していること。

それは神託などではなく、ひとりの女の自分語り。

おのれの半生、胸中の吐露。



―わたしたちは このやまを このさとを だいじにしたかった 

 このやまと さとと わたしたちとの えにしを おもいでを だいじにしたかった

 それは わたしたちの おとうさんと おかあさんが 

 わたしたちに のこしてくれたものだから 



勘介は、飯綱権現の伝承を思い出した。

本家に伝わる物語。


「・・・この里の開祖は、権現さまをめとった山の民であったという。

もしやするとそれは ―」



― はい それが わたしたちの おとうさんと おかあさん

 おだやかなやまと ゆたかなさとと そこにくらす やさしいひとたち

 そして かれらとの えにしを わたしたちに のこしてくれたひと


― おとうさんと おかあさんは このやまを おだやかにして たびだっていきました

 けれど ひとのては また いづなを よみがえらせてしまった

 わたしたちへの おそれもまた よみがえってしまった ―


― ろうのなかで わたしたちは なやみました

 いっそ やまも さとも なにもかも めちゃくちゃにして

 あなたをさらって にげてやろうかと おもいました

 でもやはり わたしたちには それができなかった



いっそ、攫って逃げてくれれば。

いや、俺が、おまえたちを攫ってやれば・・・



― わたしたちは あなたと ひとのように であいたかった

 ひとのように こいをして ひとのように むすばれて

 よりそいあって このやまで さとで いきて いきたかった


― たとえ やまのかぜより つめたくきびしい せけんのかぜが ふきつけても

 あなたと わたしの だいじな みなさまたちに かこまれて くらして いたかった

 わたしたちの おとうさんと おかあさんのように




― けれど それはやはり みがってすぎる ねがい




三人の顔が上がる。 伏せられていた眼が起こされる。

三人の眼がしかと、動かぬ勘介を見据えた。




― 勘介さん わたしたちが おそろしいなら はっきりとそう おっしゃってください

 わたしはやまのおくへとさり にどとさとへは おりぬでしょう

 けしてあなたを うらみません にくみま・・・



神の言葉をさえぎり、勘介はのそりと立ち上がった。

どす、どすと、大股で、蒼い風に近づいていく。



― 勘介 さん ?



勘介は権現さまに、す、と手を伸ばした。

風に揺れる黒髪を手に取る。


「・・・ ・・・ ・・・」


ゆびでやわらかくはさむ。 てのひらでくるむ。

顔によせ、ほほにすりつけそれをたしかめる。



「・・・シマキの髪だ」



権現の頭が、勘介の顔に、ふわりと寄せられた。

勘介は宝輪を握る手にふれた。

さすった。にぎった。なぜてたしかめた。



「ハヤテの腕だ」



権現の手は宝輪をとりおとした。

勘介の手を取り、互いの指をからめあう。

勘介は自分に寄せられた頭に、自分の鼻を寄せた。

ふれて、嗅いで、たしかめた。



「ソヨの匂いだ」



権現の眼から、はらはらと涙がこぼれ落ちた。

三人の手に握られていた宝具がつぎつぎ手放され、

ぽと、ぼとと軽い音を立てて畳に落ちる。



― こうなっても、おまえたちはおまえたちのまま。

 なにも変わらんのだな。



― ならば、俺も変わらずにおられよう。

 なにがあろうと、なんになろうとも。



― シマキ、ハヤテ、ソヨ。 それに、権現さま。

 あらためて言うぞ。 俺とどうか ―



神のあかしを放り捨てた三人の腕が、勘介をかき抱く。

くるりと巻きつけられた長い体を、勘介は抱きとめる。

蒼くふるえる毛並みを、強い手で撫でた。



― 俺とどうか、一緒になってくれ。

― はい。



― この里で、山で、一緒に暮らしてくれ。

― はい・・・



― おまえたちに、冷たく厳しい風が吹いたなら、俺が守る。 必ず守る。 

 だから ―


― はい 、はいっ。 わたし 、あなたと・・・ ―



神の声が、勘介の声が、涙に流れて消えた。 

しかしふたりの胸には、お互いの言葉が。

誓いの言葉が届いていた。



     ひと
― この 女 と生きよう。 里のことも、人であることも捨てよう。
            とりこ
 腕の中のこのひとの、 虜 となって生きよう ―


     ひと
― この 男 と生きよう。 山のことも、神であることも捨てよう。
            しもべ
 腕の中のこのひとの、 僕 となって生きよう ―




外は白み、明け方の光が部屋にさしこむ。

勘介の腕の中には、三姉妹がいた。

大きく目を開き、はらはらと涙を流して。



―っ。 さんっ! ―・・・っ・・・


かん・・・ ああ、かっ・・・


うう、うれ、しっ・・・ か、かあっ・・・



三人とも口を大きく開いていた。 なにひとつ言葉になっていない。

三人の口は勘介の腕の中から先を争い、勘介の口を求めた。

勘介は三人の口を吸い、舌を吸った。三人は争って勘介にしゃぶりついた。

まるで巣の中の親鳥と、その帰りを待ちわびた雛鳥のように。



か・・・ かっ・・・


ありが・・・ ありっ、と・・・


い、しょ・・・ ずと、いっ、しょっ・・・



このとき、ようやく三姉妹は、この里山に安住の地を得た。

風に吹かれるままの自分たちに、太い止まり木が差し出されたことをさとった。



山あいからのぼった朝日が、しらじらと山を、里を照らす。

姉妹の家も、真横からのまばゆく白い光につつまれた。

四人のすがたはま白い光の中、白くとけあい、ひとつになっていった。
17/10/10 19:19更新 / 一太郎
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